「お金の大学」で金融知識を身に着ける

 銀座のフルーツ大福「弁財天」 いちじく大福が1000円だとか…

 2011年の「安愚楽(あぐら)牧場」事件(和牛オーナー制度と称して約7万3千人から約4200億円もの資金を集めて経営破綻=豊田商事事件を超え史上最大)や今年の「ジャパンライフ事件」(大物政治家や磁気ネックレスなどを餌にして約1万人から約2100億円を集めて経営破綻)など、なかなか巨額詐欺事件はなくなりません。

 騙されるのは決まって高齢者ですが、あれもこれも、皆、金融リテラシーがないので簡単に騙されてしまうのです。高齢者と言えば、人生経験が豊富で、酸いも甘いも散々味わってきたはずです。現在の普通預金金利は、メガバンクでさえ、1000万円を1年間定期で預けても0.002%です。ということは、株にしろ債券にしろ、外貨建てにしろ、年利5%の金融商品があるわけないのです。ないとは断定できませんが、あってもほんのわずかで、そんな希少価値の商品を強欲者が赤の他人に教えるはずがありません。それなのに…。

 最大の理由は、特に昭和世代は、「お金は汚いもの」と小さい頃から蔑視され、お金について学校で全く教えられてこなかったからです。私もそうでした。

 確かにお金は魔物ですから、悪い側面がありますが、正しい使い方を知れば、悪徳詐欺師に引っかからないのです。

 ということで、お金の基礎知識を網羅した面白い本を見つけました。「今売れている本」として新聞の書評に載っていた上の写真の本です。

 若い世代を対象にしているのか、漫画を多用して、文章も「お子ちゃま」向きですが(失礼!)、中身はしっかりツボを押さえています。著者の両@リベ大学長という方は、履歴など詳細は不詳ですが、10代の高校生から早くも起業して、年間1億円以上の収益を得る一方、数々の失敗もされているようです。少なくとも金融に関する書籍をかなり読み込み、セミナーに参加し、関係者や大富豪から話を聞き、実際に実践されているようなので、かなり詳細で濃密な金融の知識の持ち主であることは確かです。著者はYouTubeもやっていて、総動画本数700本以上、再生回数5300万回超ということですから、ユーチューバーとしてもやっていけているようです。

 何故、この本を渓流斎ブログで取り上げたかと言いますと、彼の思想に共鳴したからです。つまり、お金にまつわる問題を早く解決して、最終的に「経済的自由」を得ることが目的だという思想です。はっきり言って、お金は煩わしいですからね。

 そのために、著者は五つのステップを推奨しています。それが以下の五つです。

(1)貯めるー支出を減らす力

(2)稼ぐー収入を増やす力

(3)増やすー資産を増やす力

(4)守る―資産を減らさない力

(5)使うー人生を豊かにすることにお金を使う力

なかなか良いですね。お金は貯め込んで使わないのも馬鹿らしい。死んであの世に持っていけないですからね。著者は、最終的に、自分で稼いだお金で慈善団体に寄付していることが(節税対策かもしれませんが)、素晴らしい。これが、この本に共鳴したもう一つの理由です。

 具体的にどうしたら良いのか、この本は指南書ですから大体書いてあります。個人的に賛同できないこともありますが、しっかり、メリットとデメリットも説明してくれているので、これまた共感できます。読者が自己責任で判断すれば良いのです。

(1)の「貯めるー支出を減らす力」では、スマホは格安SIMにした方が良いとか、1961年から日本は「国民皆保険」制度になったから、ある程度は社会保険でカバーしてくれる。だから、余分な保険は見直した方が良いとか、具体的にアドバイスしてくれます。

 サラリーマンでも、最近多くの会社が認めるようになった副業をしたり、個人事業主になったりして「節税」することも薦めています。

(3)の「増やすー資産を増やす力」で具体的な投資商品を薦める一方、(4)の「守る―資産を減らさない力」では、詐欺師に騙されないよう、絶えず金融知識は更新して勉強を怠らないことも薦めています(そこまではっきりと書いていませんが=笑)。

 私も、こういう本をもっと若いうちに読んでいたら、今頃、悠々自適だったんですがねえ。今もヒイヒイ通勤しています。

特別展「桃山 天下人の100年」と上野「ぽん多」のカツレツ

 嗚呼、上野駅

 台風14号の影響で大雨が降る中、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「桃山 天下人の100年」を見に行って来ました。圧巻、感服、圧倒されました。普段は滅多に買わない図録(3000円)まで買ってしまいました。

 室町末から安土桃山、江戸初期にかけては、日本の美術史の中でもその時代は頂点を極めたと言っても過言ではないでしょう。狩野永徳、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達…国宝級が勢ぞろいです。彼らの先駆者の雪舟と後継者の尾形光琳、最近では伊藤若冲あたりを加えれば、もうほぼ完璧に近いでしょう。もしかして、逆に言えば、この奇跡的な時代に、日本人の美意識が完成したと言っても良いかもしれません。

 台風なのに出掛けたのは、この展覧会は、コロナ禍でオンラインによる日時指定の切符しか手に入らなかったからでした。しかも2400円もしました。(お蔭で、普段より空いていましたが、不注意にぶつかって来る人が何人もいて、一人も謝らない。日本人らしいなあ、と思いました。海外では、少しかすっただけでも、絶対、Excuse me とか Pardon ぐらい言いますからね)

 上野は久しぶりでした。2月に「出雲と大和」展(東博)を見に行って以来でしょうから8カ月ぶりです。そしたら、写真にある通り、嗚呼、上野駅はすっかり変わっておりました。東京文化会館や動物園、東博などがある公園口前の車道がなくなり、もう横断歩道を渡ることなく、そのまま駅から降りたら歩けるようになったのです。(そう言えば、東京・銀座の地下鉄の地下街を久しぶりに歩いたら、すっかり化粧直しされ、明るくなり、新しい店舗も入るようになりました)

 さて、肝心の「桃山」展ですが、絵画、襖絵から、武具甲冑、刀剣、茶道具、陶器、小袖に至るまで、信長、秀吉、家康に代表される天下人が愛用した品までもが見られるのです。また、御用絵師に描かせた肖像画などもあります。(会場には御用絵師の狩野家や土佐家の系図もありました)

 テレビの「なんでも鑑定団」の見過ぎかもしれませんが、1点何千万円も何億円も何十億円もしそうな「お宝」ばかりです。やはり、戦国武将ですから生命が掛かっています。命を削って得た「戦利品」です。これこそが、ハイリスク、ハイリターンの極致だと言えますね。

 この展覧会で特筆すべき作品を1点だけ挙げろ、と言われれば、私は本阿弥光悦・筆、俵屋宗達・絵による「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立博物館蔵)を挙げます。何十羽もの鶴が地上から空に飛び立つ連続写真のような絵を俵屋宗達が描き、その上に、本阿弥光悦が三十六歌仙の和歌を書いた巻物です。特に、「風神雷神図屛風」で有名な俵屋宗達は、生年没年不詳の謎の絵師で、たまたま彼を取り上げたテレビ番組を見ていたら、この作品が取り上げれられ、「いつか見たいものだ」と思っておりました。

 展覧会の鑑賞は90分までと、お上から子ども扱いされて、制限時間まで決められていました。私はギリギリ、85分粘ってやめましたが、もう一度見たかった作品もありました。展覧会は後期に作品を入れ替えするので、もしかして、もう一回行くかもしれません(笑)。

 会場を出て、この後、行ったのが上野の「三大とんかつ屋」の一つと言われる「ぽん多」でした。とんかつ屋御三家の一つ、「双葉」(川島雄三監督作品「喜劇 とんかつ一代」モデルになった=閉店)と「蓬莱屋」(小津安二郎監督がこよなく愛した店)には行ったことがありますが、「ぽん多」はどうも敷居が高く、店の前に行ったことがありますが、入るのは今日が初めてでした。

 これまた、テレビで「ぽん多」の主人に焦点を当てた番組を見てしまったため、「いつか是非」と思っていたのです。明治38年創業。「カツレツ」の元祖という有名店だということで、ランチでも1~2時間待たされると、ネットでありましたが、この日は台風のせいか、13時過ぎに入ったら運良く空いていて、すぐ座れました。

 ちょっと値が張ることは知ってましたが、ビール小瓶(550円)とカツレツ(2970円)とご飯と赤味噌汁とお漬物(550円)を注文しました。消費税を入れると、お会計は4400円でした。

 主人が腱鞘炎になるほど叩いて柔らかくしたお肉は、とても上品なお味でしたが、個人的ながら、目黒の「とんき」で食したロースかつ定食(2100円)の方が衝撃的にうまかったでした。比較してはいけなかったかもしれませんが、どなたかをお連れして再訪したいのは「とんき」の方ですね。

 そう言えば、夏目漱石も大好物だったという「空也最中」の御主人もよく行かれるという銀座のとんかつ屋「とん喜」のランチのひれかつ定食(950円)は安くて旨いです。先週も行きましたが、私はこの店にはもう30年以上前から通っています。ランチなので、これまたテレビ番組に出ていた店の御主人は全く小生のことを覚えていませんが。

 結局、「とんかつ屋談義」みたいになってしまいましたが、「ぽん多」のことを特別に称賛しないのは、やっぱり敷居が高いせいかな、と我ながら反省しています。

ポイント乞食と見事な「迂回政策」

 昨日は「トリキの錬金術」だの「鳥貴族マラソン」だのといった聞き慣れない言葉がネットを中心にあっという間に広まりました。

 何の話かと思いましたら、10月1日から始まった「Go to Eat」キャンペーンで、予約サイトを利用して飲食店を予約することで、ディナー時間帯は一律1000円分のポイントが付与される特典がありました。居酒屋チェーンの「鳥貴族」は1品327円という格安が売りだったことから、予約客が1品だけ注文してその差額の673円分のポイントを獲得する「錬金術師」が続出したというのです。ランチだと500円分ですが、それでも173円分のポイントが儲かるわけです。

 これは法に違反した商行為ではないので監督官庁も黙認していましたが、さすがに鳥貴族側も本日辺りからコース料理注文者のみにポイント付与するなどして変更したようです。

 この話は、昨日も書くことができたのですが、影響力が強い渓流斎ブログのことですから(爆笑)、真似されると困ると思い、控えておりました。もう変更されて、前述のような錬金術が使えないのでこうして安心して書くことにしたわけです。ちなみに、私自身は一度も「鳥貴族」に行ったことはありません。

 「トリキの錬金術」によるポイントの荒稼ぎは違法行為ではないですが、やはり、倫理的な面では「いかがなものか」となります。ネット上でも「ポイント乞食」なる批判が溢れていました。

 でも、こんなネットで予約してポイントを付与するような「迂回政策」といいますか、アナログ世代にとっては大変面倒なシステムにわざわざしたのは、裏に作為があるようです。やはり、この渓流斎ブログ9月17日付「菅新首相の背後に『ぐるなび』と京浜急行電鉄があり」で書いた通り、ということでしょうかね。再録すると、こう書きましたー。

 …例えば、菅氏が先頭に立って推進している最大469億円の予算がついた「Go toイート」というキャンペーン。その背後にはグルメ情報サイト「ぐるなび」の滝久雄会長が控えているようです。1996年から2012年にかけて、滝会長の広告代理店「NKB」から菅氏の政治団体「自由民主党神奈川県第2選挙区支部」と「横浜政経懇話会」に対して、計280万円献金し、ポスター制作費58万8000円請け負ったことが収支報告書に書かれているといいます。

 NKBは、滝久雄会長の御尊父の滝冨士太郎氏が創業した交通文化事業社が母体になった会社で、最初は地下鉄のベンチの広告から始めたといいます。まさに「たたきあげの苦労人」という共通点があるんでしょうか?

 ーということで、この面倒臭い「迂回政策」というのは「ぐるなび」に一部「蒸留水」が還元されるということなのでしょう。しかも、この蒸留水は、真水ではなく、黄金色に輝いています。

【追記】

 8日付東京新聞によると、「ぐるなび」「食べログ」など大手10サイトは、夕食なら200円程度の「手数料」を店から徴収しているといいます。

 政府は8日、夕食1000円未満、ランチ500円未満はポイント還元しない方針を発表しました。

稲庭うどん・秋田郷土料理店「銀座 佐藤養助」=菅首相と柿崎首相補佐官が御会食

 菅首相は、「首相の一日」を見る限り、朝、昼、晩のご飯はほとんど高級ホテルで召し上がっておられます。赤坂の議員宿舎では、どうも、奥方様と一緒に住んでいらっしゃらないんじゃないかと思われます。余計な推測ですが。

 食事はいつもホテルなのに、10月1日(木)夜は珍しく東京・銀座の稲庭うどん・秋田郷土料理店「銀座 佐藤養助」で会食されておりました。御相伴に与っていたのが、あの注目の共同通信・元論説副委員長から首相補佐官に御栄進されたばかりの柿崎明二氏と園田修光参院議員です。柿崎氏は菅首相と同郷の秋田県出身でしたね。

 それで秋田郷土料理店ですか。彼の首相補佐官就任祝いを兼ねていたのかもしれません。10月1日付の人事でしたから間違いないでしょう。

 場所が銀座ということでしたら、私もそこにランチに行かざるを得ません、ということで、本日行って参りました。

 お店は、泰明小学校近くと言えば見つけやすいかもしれません。斜め向かいにラーメンの「はしご」があります。私も何度も傍を通ったことがありますが、入店するのは今回が初めてでした。

 注文したのは、かけうどんの次に安い「二味せいろ」です。それでも1300円。天ぷらせいろになると2200円でした。残念、手が届きませんでした。そしたら、お隣の若い女性が平気で注文して食べておられました。

 麺に独特のコシがあり、実に美味い。一口食べただけで絶品さが分かりました。それだけの値段の価値があるお店でした(笑)。「八代目 佐藤養助」の創業は、万延元年。この年は、桜田門外の変があった年でしたね。まあ、凄い歴史です。

 秋田県湯沢市に総本店があり、同県内に10店舗、このほか、東京と福岡や、海外では香港とソウルに出店しているようです。

 うどんでこれだけ美味いのですから、秋田郷土料理なら大いに期待できます。その夜は、柿崎氏もさぞやご満悦だったことでしょう。

 帰り、お勘定を払うときに、早速、取材しました。「この店はお二階もあるんですか?先週、菅総理大臣がお見えになったようですね」

 「そうなんですよ。新聞に載っちゃいましたからね。先週の木曜日でしたか、飛び込みで来られて、SPが20人もいらしたんですよ」。あらま、僕みたいな密偵にそこまでしゃべっちゃっていいんでしょうか(笑)。しかも、ちゃんと、20人、本当に一人ずつ数えたのかしら? それにしても、日本の最高権力者が予約なしで来られたとは驚き。

 「(菅首相は)官房長官時代からよく御利用して頂いてますからね」

 あ、そういうことでしたか。菅首相にとって、ツーカーで話が通じる馴染みのお店だったんですね。

 最近の渓流斎ブログは、銀座のランチの話ばかりですが、本日は内容が濃いので、大目に見て頂けることでしょう(笑)。

南北戦争と和製英語の話=松岡將著「ドライビング・アメリカ」から

 9月28日渓流斎ブログで「英語翻訳は難しい」とのタイトルで、日本人にとって英語学習が如何に大変であることを書いたところ、満洲研究家の松岡將氏から30年ほど前に書かれた自著「ドライビング・アメリカ」(日本貿易振興会ジェトロ出版・1992年2月24日初版)を送って頂きました(他にも理由があるのですが割愛)。

 書かれたものが30年以上前なので、当時は通用していても、今ではPC(ポリティカルコレクト)でアウトになってしまう表現(例えば「女子供」とか)や今では死語になった「マルキン」「マルビ」といった言葉も出てきますが(笑)、今読んでも不変の話が多く出てきますので、勉強になりました。

 それにしても、当時はインターネットもパソコンも普及しておらず、原稿は、頭と手書きで書いたものですから感服致します。

 松岡氏は農林省に入省しますが、1972年から76年にかけて外務省に出向し、米国の在ワシントン日本国大使館に勤務します。その間の1975年は、昭和天皇皇后両陛下の訪米という最大のイベントに遭遇し、大使館地下に直通電話を何本も引いて緊密連絡の指令塔になったり、シカゴ農場ご訪問の担当で下見検分に行って分刻みの日程をつくったりしたといいます。その辺りは「住んでみたアメリカ」(サイマル出版会、1981年)に詳しく、この「ドライビング・アメリカ」では、ジェトロの理事になり、天皇陛下が訪問したシカゴのバルツ農場を15年ぶりに再訪したことなども書かれています。

 本書では米国人には常識であっても日本人の多くが知らなかった米国史が出てきます。例えば、米大陸最初の英国人による植民は、日本でもあまりにも有名なメイフラワー号ではなく、これに先立つこと13年前の1607年4月のスーザンコンスタント号、ゴッドスピード号、ディスカバリー号の3隻によってその第1歩が印されたことを挙げています。

◇知られざる南北戦争

 また、松岡氏一家4人が住んだ米ワシントン郊外のヴァージニア州が南北戦争の激戦地だったことから、所縁の地を訪れたりします。南部連合が首府としたヴァージニア州リッチモンドと北部連合の首府が置かれたワシントンとの距離はわずか150キロで、今なら車で2時間だという距離には驚かされました。

 そして、この本を読んで初めて知りましたが、南北戦争は一人の農夫ウィルマー・マクリーンの自宅で始まり、また同じマクリーンの自宅で終わったという歴史的偶然が描かれています。簡略すると、1861年7月、ワシントンから南西約20キロ離れたブルランという所で、前線巡察中の南軍の将軍と参謀が、マクリーンの自宅で昼食中に、北軍の砲弾が飛来し、炸裂したのが南北両軍による戦闘開始のきっかけとなります。

 マクリーンは戦火を逃れるためにブルランを離れ、ヴァージニア州のアポマトックス村に農場を買い、移住して数年間は平和に暮らしますが、1865年4月9日、道を歩いていたところ、南軍のマーシャルと名乗る若い大佐から呼び止められ、「リー将軍がグラント将軍と会見するふさわしい場所はないか」と尋ねられます。マクリーンは最初は、近くの使われていない裁判所庁舎に連れて行きますが、マーシャル大佐は気に入らず、そこで、マクリーンは彼を自宅に連れて行くと、大佐はその広間が気に入り、両将軍の会見の場になったといいます。

 ということで、旅順要塞陥落で乃木将軍とステッセル将軍が会見した「弾丸あとも著しく、崩れ残れる民屋」旅順の水師営と違い、アポマトックスのマクリーン・ハウスは何の変哲もない家で、観光客も少なく、奥さんから「なあに、この広間。普通の家とちっとも変わらないじゃないの」とまで言われた逸話まで書いてしまっています。

 日本人で、南北戦争に興味がある人はそれほど多くありませんが、米国史にとっては欠かせない一大事件です。色々と諸説ありますが、この南北戦争では、グラント将軍率いる北軍の死者は約36万人で、リー将軍率いる南軍の死者は約28万8000人で合計64万8000人。第2次世界大戦の米軍の死者が31万8000人といわれていますから、如何に犠牲者が多かったかが分かります。

◇英語翻訳は難しい

 この本の後半では、この記事の最初に書いた「英語翻訳は難しい」例が沢山出てきます。「英語は簡単すぎるから難しいのではないか」という著者の結論は、私と全く同じなので吃驚してしまいました。

 今からもう60年以上も昔ですが、日本、米、カナダ、ソ連の4カ国がワシントンで「北太平洋のオットセイの保存に関する暫定条約」の交渉が行われた際、日本代表団の一人がオットセイが英語から出た言葉だと思い込んで、何度も「オットセイ」と発音を変えたりして発言したのに全く通じなかったという笑えない逸話も紹介しています。(この話はオチがあり、仕方なくオットセイの絵を描いたら、相手から「何だ、鳩か」と言われたとか)

 和製英語になっている単語が、当たり前ながら米国では全く通用しないことも本人の体験談として書かれています。全てに答えが書いていなかったので、老婆心ながら小生が英単語付で御紹介するとー。

自動車のハンドル⇒wheel (be behind the wheel で運転する)

パンク⇒ flat tire(punctureなら通じます)

バックミラー⇒ a rearview mirror

エンスト⇒ engine stall (stopは使わない)

ガソリンスタンド⇒ gas station(standじゃない)

取り敢えずこの辺で。

「図書カード」拝受と宗教騒動のお話

 NHK出版から自宅に封書が届きました。「面妖な、何用か?」と思いながら開けてみたら、「図書カード」(500円分)が入っていました。やったー、です。

 クイズに当選したわけではなく、NHKラジオの語学テキストの投稿コーナーに投書したことで抽選で当たったようです。思えば、語学学習はもう半世紀以上、NHKラジオで学習してきました。一番最初が中学校1年生の時の「基礎英語」(サラブレッドの綴りがthoroughbredだと知り、カルチャーショックを受けたことを覚えています)、中2で「続基礎英語」、中3から「英会話」…そして今でも聴き続けている杉田敏先生の「実践ビジネス英語」は「やさしいビジネス英語」から聴いているので30年以上経つと思います。あと、大学生から「まいにちフランス語」も聴き続けています。

 「実践ビジネス英語」はかなりのハイレベルで、NHKラジオ英語講座では最高レベルです。2年前から義理の息子になった米国人に試しに使ってみると、「そんな言葉知りません。チェック!」と言って、スマホで検索します。そして「本当に知らなかった」と白状するのです。凄い快感になりますが(笑)、英語を母国語にする人さえ知らないというのでは、日本人が知らないのも当然ですね。そんなことを投書したのです。まさか、これが当たるとは!(投書は誌面上では非公開にしたので、今回が初公開です)

湯島「吟」しめ鯖と盛り合わせ

 さて、一昨日夜、この渓流斎ブログのサイト管理運営でお世話になっているIT技師長のM氏と湯島の「吟」で、本当に久しぶりに一献を傾けました。この「吟」は、高校時代の後輩さんがやっているお店ですが、コロナ禍で経営が大変になりました。そこで、いわゆるクラウドファンディングで資金集めをしていたので、私も些少ながら寄付に応じたのです。おかげで、半年間、飲み代は半額になりました。

 M氏は主に関東・首都圏の寺社仏閣の縁起をまとめた公式サイト「猫の足あと」を主宰運営しているので、現代の宗教界の裏話に通じています。彼と会うと、そういった話が聞けるのが楽しみです。宗教学者は宗派の宗旨や歴史については詳しいでしょうが、宗教界のゴタゴタや最新情報に精通しているのは、やはり宗教ジャーナリストになるからです(笑)。

 例えば浄土真宗です。彼は、寺院から宗旨を変更した旨のメールを時折受け取るといいますが、一番多いのが真宗大谷派(東本願寺)から浄土真宗本願寺派(西本願寺)、もしくは浄土真宗東本願寺派への宗派替えだというのです。浄土真宗東本願寺派というのは、かつて真宗大谷派の東京別院(浅草御廟)だったのですが、いわゆる「お東騒動」で真宗大谷派から離脱しました。その流れで、全国のかなりの寺院が浄土真宗東本願寺派へ宗派替えしているというのです。(ちなみに、浄土真宗には本願寺派以外に高田派など合わせて十派あります)

 へー、知らなかったですね。騒動の経緯などご興味のある方は検索すれば色々と出てきます。そうこうすると、いつの間にか、貴方も宗教ジャーナリストですね。

 浄土真宗系の寺院は今最も布教活動に熱心で、わずか3カ月の講習だけで僧侶の資格が取れる即席コースを設け、新寺を量産しているというのです。これまでどんな宗派も、僧侶になるためには短くても2年間以上の講習と修行等が必要とされていたので、M氏も「いかがなものか」と眉を顰めておりました。

 話は変わって、「日蓮聖人門下連合会」11教団(あの国柱会もあります)の一つ、顕本法華宗です。総本山は京都の妙満寺で、全国に約200の末寺がありますが、そのうち150の末寺が千葉県内にあるというのです。千葉で顕本法華宗が盛んなのは、その宗派の僧侶が、土気城主の酒井氏を帰依させ、領地七里四方の寺院を法華宗にさせるという荒技を行ったからでした。(七里法華の根本霊場)

 顕本法華宗は包括宗教団体なので、末寺は総本山に上納金のような布施を納めなければなりません。こういう制度は顕本法華宗に限らず、ほとんどの宗派、宗教に通じますが、彼の考えでは「関西に基盤も作れず、実質千葉県の末寺に頼っているのだから、布教活動の都合上、実質本山を千葉に設けるべきではないか」というのです。顕本法華宗の開祖日什大正師(1314~1393)の出身地である会津には、妙法寺(会津若松市)のわずか一カ寺しかないそうです。

 上納金というと、暴力団組織のように聞こえますが、実は、逆に、ヤクザの方が、寺のピラミッド制と末寺から本山への布施制度を真似したといいます。これには酔いが醒めました。

 このような総本山に上納金を納める包括宗教団体を嫌がって、最近では「単立」の宗教団体が増えているそうです。総本山から離れるには、お東騒動のように、自分たちで本山として独立するか、一本独鈷で行くかのどちらかを選ぶことになります。

 これは、寺院だけではなく、神社でも増えているというのです。神社本庁へ志納金が支払えないという理由のほか、神社本庁の運営に反対して離脱するというのもあるそうです。あの明治神宮でさえ、一時「単立」になったことがあったというので、驚いてしまいました。

 宗教は過去の遺物ではありませんから、絶えず進化して信者、門徒を獲得する布教活動(=経済活動)をしないとつぶれてしまいます。

 M氏によると、関東地方の旧武蔵国足立郡、埼玉郡をはじめとした荒川沿いに真言宗の寺院が現在でも多くあるのは、江戸幕府が河川改修、新田開発を積極的に行い、水田農村が飛躍的に増えたので、農村仏教である真言宗が飛躍的に増えたからだといいます。
 一方、山間部は鎌倉幕府の庇護を受けた臨済宗系の寺院が比較的多かったのですが、曹洞宗に宗派替したところも多く、その上、明治維新になって、庇護者である大名・旗本がいなくなってしまい、その経済基盤が崩壊して、寺院の数が減る要因になったといいます。

 ただ、曹洞宗の場合は、明治維新後に、本山の一つである「総持寺」を能登(現在、総持寺祖院として残されている)から神奈川県の鶴見市へ移転させ、これが結果的に功を奏し、関東の曹洞宗はその立場を維持できたのではないか、というのがM氏の見立てでした。

 如是我聞。盃を傾けながら、という罰当たりの行いをしながらでしたが、私自身は大変興味深く拝聴しました。

初のブラジル料理、そして共同通信出身が首相補佐官になるとは!

銀座ブラジル料理「バッカーナ」のステーキ・ランチ1320円

 このブログを熱心にお読み頂いているAさんから「『銀座のランチ』を楽しみにしています」とのメールを頂き、「他の記事はつまらんのかなあ」と内心、しょげつつ本日もまずは銀座のランチの話題をー。

 コロナ禍で海外旅行ができないので、せめて世界各国の料理を銀座で食べ歩きしている、という話をいつぞや書きましたが、昨日はブラジル料理に挑戦してみました。多分、私自身、ブラジル料理は今回生まれて初めて食したかもしれません。

 とはいっても、ランチメニューにあったのは「ステーキ・ランチ」のみでした。150グラムと300グラムがあり、私は勿論、150グラムの方を選びました。ステーキですからね、残念ながらブラジルらしい独特の料理とはいえませんでした。サラダ・バーがあり、選び放題、食べ放題でした。レタスのほか、トマトやブロッコリーやコーンやピクルスやポテトサラダまであり、それに加え、カレーまでありました。御代わり自由。空腹の時にこの店を選べば良いかもしれません。

ステーキ・ランチ 左上がビーフカレー、それにブラジルのマテ茶

 でも、カレーはお米が外米なのかちょっと…という感じで、カレールーも少し甘ったるくて、正直いただけませんでした。肉も堅かったなあ…。これは個人的感想で、超有名店にケチをつける意図は全くありません、ということを断っておきます。

◇共同通信出身が首相補佐官に

 さて、昨日29日の閣議で、共同通信社・前編集局論説副委員長の柿崎明二氏(59)を10月1日付で首相補佐官に起用するというニュースが飛び込んできました。加藤勝信官房長官は「政治・行政分野の報道活動に従事するなど幅広い知識と経験を有しており、適任だと首相が判断した」と起用の理由を説明しましたが、「いかがなものか」です。

 柿崎氏は菅義偉首相と同じ秋田県出身ということが決め手になったようです。地元紙の秋田魁新報(電子版)も「メディア出身者が国会議員を経ずに首相補佐官に起用されるのは初めてだ」と、おらが故郷出身者が出世して手放しの喜びようですが、何か引っ掛かりますね。

 そもそも、メディアというものは、権力を批判してこそ存在意義と価値があるものです。権力者側に立つのではなく、虐げられた弱者の立場に立って物事を俯瞰して考えてこそ、メディアです。たとえそれが青臭い書生論で、建前に過ぎないと言われようが。

 となると、メディアから国家権力の中枢に潜り込むということは、監視され取り締まられる側から、一挙に監視し取り締まる側になるということで、180度違うコペルニクス的転回と言えるのです。これまでさんざん政府や政権を批判してきたのに、持論や思想信条や宗旨まで変えて、まさに変節したことになります。

 私自身は政治部記者をやったこともないし、柿崎氏を知っているわけではなく、共同通信には何人かの友人・知人がおり、個人的な恨みもやっかみも何もないのですが、寅さんのように「それをやっちゃあ、おしめえよ」と言いたくなります。

 私はテレビのワイドショーの一部は不愉快になるので見ないようにしていますが、コメンテーターとして出演した柿崎氏は、いつもは体制べったり派で安倍政権の代弁者と言われた時事通信社出身の田崎史郎氏とは正反対の意見を述べていたのに、最近は、田崎氏に同調して政権寄りの発言が増えてきたと聞きます。まさに、官邸入りを見越していた、と批判されても仕方ありませんね。

 こんなこと書いても、何の足しにもなりませんが、菅政権の政策に少なからず影響を与える首相補佐官は、共同出身だということを国民は一時も忘れてはいけません。

 

英語翻訳は難しい=深い悩みに苛まれて生き抜くしかない

 昨日、携帯のiPhoneのソフトウェア・アップデートを行ったところ、普段なら30分ぐらいで終わるのに今回は、iOS14.01にバージョンアップしたせいか、1時間半も掛かってしまいました。

 バージョンアップしたら、最初の画面まで変わり、これまで見かけないアプリも勝手にインストールされていました。それは、「翻訳」アプリで、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語など10カ国語の翻訳ができます。

 ちょっと、試してみたら、まあまあ、なかなかの出来でした。人工知能(AI)か、ビッグデータか知りませんが、昔と比べてかなり精度が上がっていました。でも、英語和訳は、私はかなり難しいと思っています。中学生でも分かる簡単な英語でも、真逆な意味になることがあるからです。

 例えば、No kidding.  普通なら、「まさか」とか「冗談でしょ?」という意味なのですが、最近では「全くその通りです」と肯定の意味で使われているのです。

 もう一つ、Tell me about it.  普通なら「それについて私に教えてください」という意味なのですが、「もう分かったからいい加減にしてくれ」という使い方もあるのです。真逆ですね。

 You’re so beautiful. も素直に取ってもいいのですが、会話の中で、発音や身振りを交えれば、かなりの正反対の真逆のニュアンスを皮肉を込めて意味することすらできます。これはAIではまだできないでしょうね。

 何と言っても、英語の難しさは、単語の少なさにあると思います。日本語の「私」は、僕、俺、乃公、吾人、あっし、てまえ、おいどん、わし、あたい、自分…まあ、いっぽいありますが、英語なら「I」だけです。ということは、Iには、僕から自分までさまざまな「私」を含んでいることになります。AI翻訳機はそのうち、そこまで微妙なニュアンスを翻訳できるようになるかもしれませんが、もう少し時間が掛かると思います。

 さて、話は変わりますが、最近、ボケーと生きていたら、このブログのサイトから広告が消えていたことに昨日、気が付きました。IT技師長のM氏に調べてもらったら、8月9日あたりに「テーマ」をアップデートした際、PHPが書き換えられて広告がなくなってしまったというのです。昨日すぐ復活してもらいましたが、1か月半無駄にしてしまいました。

 この渓流斎ブログは2017年9月15日、gooブログから独立して、新しく自分のサイトを開設して以来、皆さまにとって目障りな広告をリンクすることにしました。これは、サーバー代とドメイン代の足しにするもので、皆さまのご理解とご協力を賜りたいと存じます(笑)。宜しくお願い申し上げます(広告をクリックして頂くと0.1円から0.5円ぐらいの収入が入ってくるようです。自分でクリックしたら違反となり、チャラになってしまうようです)。

 また話が変わりますが、このブログに、個人的ながら「最近心配事が絶えない」と書いてしまいましたが、どなた様からも御下問がないので正直に打ち明けたいと思います。まず、先月から高齢の母親が入院したこと、その前に高校時代の旧い友人が軽微ではない病気で、週に3回通院するようになってしまったことでした。まだありまして、小学校時代の旧い旧い友人が脚を骨折し、3カ月の入院を余儀なくされており、大学時代の旧い友人もホームヘルパーなしでは普通の生活をするのに困難を来すようになっていることでした。周囲の親しい人たちが次々と不自由な生活を強いられているのに、私は、持病以外は至って健康で(変な表現)、いまだに田舎から都心まで電車通勤して仕事を続けることができ、たまーには夜の街でお酒を呑んだりして、少し後ろめたい気分にもなっているのです。

 さらに、最近、三浦春馬さん、竹内結子さんといった端から見れば売れっ子で経済的には何ら不自由のないと思われる私より若い有名俳優が自殺してしまうので、衝撃を受けてしまいます。コロナ禍で仕事がなくなって生活に困っている無名の舞台俳優がそれこそ何千、何万人もいるというのに、です。もしかして、売れているとか経済的に恵まれいるとはいっても、本人の悩みは深く、そんなものでは満たされないのかもしれませんが。

 「生老病死」というのは、仏教思想から人間の理(ことわり)だということは頭では分かってはいますが、どうも心配事は軽減することなくまとわりつき、思想も哲学も宗教も「救い」にはならないのではないか、と私は詰ったりしたくなります。「お前には修行が足りないからだ」と言われそうですが、勉強すればするほど悩みは深くなります。

 電車に乗れば、老若男女、スマホの画面に熱中していて、何をやっているかと思えば、ゲームをやっています。ゲームが悪いという意味ではないのですが、車内で私のように仏教書や哲学書を読んでいる人間はこの何十年もお目にかかったことがありません。

 私も書物を棄てて、ゲームに熱中すれば救われるのでしょうか?ーいや、そうは思いませんね。やはり、心配事や深い悩みに苛まれながら、重い十字架を背負うようにして、毎日、歩み続けていくしかないことでしょう。仏教的な諦念かもしれませんが、与えられた生命を全うして生き抜くしかないでしょう。やはり、自殺は御法度です。

 

今は昔、元首相邸は大使館に近衛歩兵第3連隊はTBSに

平林寺前「たけ山」うどんランチ1000円

 竹内正浩著「『家系図』と『お屋敷』で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇」(実業之日本社)を読了しました。明治大正の歴代首相や有力者、元老らが住んでいたお屋敷などが、今、どうなっているのかも書かれていましたので、備忘録として列記しておきたいと存じます。(順不同で全て現在の東京都内の話に絞り、既に知っていることは省略=笑)

 ・麹町区永田町(千代田区永田町)西郷従道(隆盛実弟、陸軍中将、海軍大将)邸⇒(中略)国会議事堂

 ・早稲田・彦根井伊藩下屋敷⇒東京専門学校(早稲田大学キャンパス)

 ・築地・旗本戸川安宅(やすいえ)邸⇒大隈重信(肥前藩士、首相、侯爵)邸⇒(中略)料亭「新喜楽」(芥川・直木賞選考会場)

 ・築地・海軍大学校⇒(中略)築地市場(豊洲に移転しても健在)

 ・京橋区木挽町(中央区銀座8丁目)逓信大臣官邸⇒(中略)銀座中学校

 ・麻布区桜田町(港区元麻布)後藤新平(満鉄総裁、東京市長など歴任)邸⇒満洲国大使館⇒中華民国大使館⇒中華人民共和国大使館

 ・麹町区下二番町(千代田区二番町)加藤高明(尾張藩士族、帝大首席卒業、首相。岩崎弥太郎の長女と結婚し、「三菱の大番頭」の異名、伯爵)邸⇒ベルギー大使館

 ・神田一ツ橋(千代田区一ツ橋)文部省⇒(中略)毎日新聞社東京本社

 ・赤坂区一ツ木町(港区赤坂)近衛歩兵第3連隊⇒(中略)TBS、赤坂パークビル

 ・内山下町(千代田区内幸町)鹿鳴館⇒華族会館⇒(中略)日比谷Uー1ビル

【その他の逸話】

・戦前、霞が関といえば、海軍省があった海軍のことを指していた。陸軍は三宅坂と言ったように。戦後は、霞が関といえば中央官庁の別称となり、三宅坂は、本部があった社会党を指すことがあった。

・頭が大きかった桂太郎(長州藩士、陸軍次官、台湾総督、内大臣、首相、公爵)の脳は1600グラムもあった。一方、夏目漱石は1425グラム。

・三菱合資会社地所部(現三菱地所)が開発した駒込の六義園(旧・柳沢吉保別邸)近くの高級住宅地「大和郷(むら)」の初代名誉村長は若槻禮次郎(松江藩士族、帝大首席卒業、憲政会、首相、男爵)、村長は俵孫一(北海道庁長官などを歴任した内務官僚。浜口雄幸内閣商工大臣。政治評論家俵孝太郎の祖父)だった。

フォーが食べたい、そして日産の正体

 9月も半ばになろうとしているのに、まだ気温が30度を超え、猛暑のように暑い。地球温暖化は進む。去年もこんなに暑かったっけ? 残念ながら、もう忘れています。

 こう暑いと、急にヴェトナム料理が食べたくなってしまいました。ヴェトナムは、ハノイ、ハイフォン、ホーチミン、ビンズオン省など、仕事と遊びで何度か訪れています。私の世代は、どうもベトナム戦争のイメージだけが濃厚で、行く前は、大変な国だという印象ばかりでした。

 でも、着いてみると、そんなイメージは全くなく、戦争の爪痕が残っているのはホーチミンの「戦争証跡博物館」ぐらいで、私が訪れた5、6年前は、ベトナム人の平均年齢が27歳という若々しさ(年長者は戦争で亡くなっていたということか)でした。フランスの植民地だったのに、フランス語で話しかけても全く通じませんでした。

 ハノイもホーチミンも、都市は驚くほど近代的なビルが建ち並び、ゴミも少なく清潔でした。ただし、やたらとモータバイクだらけで道路を渡るのに苦労しました。また、取材で訪れた日系企業の工業団地なども衛生管理が行き届いていて、日本の工場よりきれいじゃないかと思ったぐらいでした。

 そこで、初めて触れたヴェトナム料理は、日本人にも合って、病みつきなりました。特に「フォー」という米粉のラーメンみたいな麺料理は、ラーメンと同じような色んな味付けがあり、上に載せる具までも、鳥から豚から牛肉など本当に千差万別で、毎日食べても飽きませんでした。

鶏肉入りフォー

 ということで、ランチは、フォーがまた食べたくなって、銀座のヴェトナム料理店に向かいました。今の愉しみといったら、食べることぐらいですからね。金に糸目は付けません(大袈裟な)。お互い、いつ死ぬか分かりませんから、子孫に美田を残さず、です。

 入った店は、マロニエビルの11階にあり、結構、高級店で、フォーのランチセット(春巻きとベトナムコーヒー付き)が1650円もしました。普段の私のランチの1.5日分です(笑)。

 さすがに高級店らしく、お客さんも裕福そうでした。私の隣に座った40歳前後の女性は、文字盤を見れば一目で分かる50万円ぐらいのフランク・ミュラーの高級腕時計をさり気なくしておりました。女性客の大半は、着ているものも、ジョン・スメドレーとかストロベリーフィールズとかいかにも高級そうでした。

 肝心の料理ですが、お値段なりに、とても美味しかった、とブログには書いておきます。

◇日産の正体

 さて、昨日のこのブログで、日産自動車へ1300億円もの政府保証融資がなされ、「何で日産だけが特別待遇になるのか?」といったような趣旨のことを書きました。

 そこで、調べてみたら、確かに日産は特別な会社だということが分かりました。日産は、皆さん御存知のように、戦前は日本産業株式会社と呼ばれていました。設立者は、満洲の「二キ三スケ」の一人、鮎川義介です。鮎川は、義弟の久原房之助が1905年に設立した久原鉱業や日立製作所など久原コンツェルンが、第一次世界大戦後の慢性不況により経営不振に陥ったため、1928年にその経営再建を託されたのでした。鮎川は手腕を発揮して多角経営に乗り出し、日産自動車もダットサンなどを吸収合併して手に入れたものでした。ダットサンのダットは国産第一号車「脱兎号」の出資者DAT(田、青山、竹内)の頭文字から取ったという話は、皆さんも御案内の通りです。

 こうして、日立製作所、日産自動車、日本水産、損害ジャパン、ENEOSなどの日産グループは現在、「春光懇話会」と呼ばれています。

 そして、この春光というのは、初代総理大臣伊藤博文の子息(婚外子)の伊藤文吉(元日本鉱業社長)の雅号でした。芝公園にあった文吉の私邸(現春光会館)にグループ企業の幹部が集まり、「春光会」を開いたのがその始まりでした。文吉の長男俊夫(伊藤博文の孫)も東大法学部を卒業後、日産自動車に勤務していたといいます。

 日産は、初代総理大臣伊藤博文と縁のあった会社だったんですね。ビスマルクは「鉄は国家なり」という名言を残しましたが、その伝でいけば、「日産は国家なり」というわけだったんですか? 日本政府の皆さん。