文献引用を明示しないという流儀


中国・大連旧日本人街 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu Kaqua

鶴見俊輔座談「近代とは何だろうか」(晶文社)を読了しました。

もう半世紀以上昔の対談もありましたが、少しも古びてないことに驚かされました。

引用したいことは沢山ありますが、一つだけ絞ることにしました。

それは、民俗学者折口信夫博士のことに触れ、今時の学者の流儀について、忸怩たる思いで見つめた部分です。

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歴史学の泰斗林屋辰三郎(1914~98)が、鶴見俊輔との対談「京都文化を語りつぐ」(「思想の科学」1967年12月号)の中で、こんなことを言ってるのです。

…折口さんという人は、論文や史料なんか、何も引用されないけれども、読むべき史料は全部読んでおられます。簡単に、これは日本で一番古い用例だと書いて、それに対して何も証拠をあげておられないわけですよ。だから、果たしてそれが一番古い用例だと言えるかどうか分からないのです。ところが、あとになって後進の我々が一生懸命探し回っても、やはりそれが一番古い用例だと結論づけられるわけですよ。…

折口信夫は、釈迢空という名前の歌人でもあり、学者と同時に芸術家でもあるわけです。ということで、アカデミズムの作法しか知らない学者は、参考文献を注釈として、何十冊も何百冊も書き連ねて、自分の学説が分からないほど、他人の引用で終わってしまう弊害があるのではないか、と暗に自戒を込めて語っているわけです。

折口信夫は芸術家でもあるので、一々引用文献は明記しない。それなのに、悉く正しいというわけです。

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鶴見俊輔は、折口信夫の話ではありませんが(大本教の出口なおについて)、安丸良夫と「民衆の姿と思想」(「思想の科学」1977年6月号)をテーマに対談し、その中でこんなことを語っております。

…学者は常に刺客を恐れて、批判者に貫かれないように鎧を着て、この本もあの本も読んだ、この資料もあの資料も読みましたと、必要以上に引用してしまうもんですよね。…

いやあ、浅学菲才な私は、引用文献が多い論文の方が重要で信頼できるものとばかり思っていましたので、目から鱗が落ちるような話でした。

寺社仏閣巡りの「猫の足あと」はお薦めです

東京・目黒不動尊

IT関係で言えば、私が初めてワープロを買ったのは1985年。エプソンの「ワードバンク」という機種で、ディスプレイにはわずか数行の文字しか掲示されませんでした。

生まれて初めてパソコンを買ったのは1995年。アップルの「マックブック」という機種でした。初めてインターネットに接続しましたが、当時はまだダイヤル回線で遅く、画像が出ると驚きました。ブラウザはネットスケープナビゲーターという「N」のマークが印象的でしたが、今はとんと噂は聞きません。どうなったのでしょうか?

そして、ブログを始めたのが2005年で、10年起きに新しいことに挑戦してます。2015年は、特になく、黄泉の国に行ってましたけど(笑)。

まあ、IT関係は、比較的早い時期に挑戦していることを自慢したかっただけですが、実は、技術的なことは恥ずかしくも全く何も分かっておりません。

それが先日、海城学園の同窓会に参加して、若い後輩の皆さんの中には、結構IT関係の仕事をしている人が多く、「へー」と思っただけででした。

そしたら昨日、何気なく名刺を整理していて、海原メディア会の事務局長でIT会社の社長でもある松長氏の名刺の裏を見たところ、そこには「猫の足あと」と書いてあったので吃驚!知ってるぞ!と思い、彼に連絡して問い糾したところ、彼はあっさりと「へい、あっしがやりやんした」と、かつ丼をペロリと平らげたのです(笑)。

いやはや、少し脱線しました(笑)。

猫の足あと」とは、今のところ、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東圏内にある寺院、神社の沿革、観光名所などが網羅されたサイトです。

私の趣味(と言っては怒られますが)に「寺社仏閣巡り」がありまして、たまたま自宅近くに全く知らなかった豪勢な神社を発見して、検索したところ、この「猫の足あと」に巡り合い、それ以降は、分からない時は、このサイトに頼るようになっていたのです。

まさか、世代が少し違いますが、高校の後輩が開設していたとは!灯台下暗しでした。

しかも、これらの寺社仏閣は、松長氏が全て自分の脚を使って廻り、自ら写真も撮ってきたといいますから、二重の驚きです。

「サイトの寺社仏閣は、貴兄が(全て・ほとんど・大体)取材、執筆したのですか?」との小生の質問に彼はこう答えました。

…江戸時代は自転車もない中、日本橋を出発したら初日の宿泊は、保土ヶ谷又は戸塚でしょうから、舗道をウオーキングシューズで歩くのは当時よりかなり楽でしょうね。
朝から夕方まで散歩を続けると4万歩、約30km、参詣寺社30~50くらいになります。

御朱印画像をくれる方、汚い画像を綺麗な画像に差し替えるように画像を送ってくる寺社様などの場合は、「画像は◯◯さんからの寄贈」と注記しております。
従って画像の全てが小生の撮影と言ってもいいでしょう。…

ひょっえー!ぶったまげました。

寺社仏閣巡りは、週末と祝日のみらしいですが、1日4万歩、50カ所とは大した魂消たです。

「江戸五色不動尊」や「秩父三十四カ所霊場」なども掲載されていますが、まだ、関東圏内に限られていたのは、1人で廻っているせいだったんですね。

ということで、お忙しい方もこの「猫の足あと」(←こちらをクリック)を覗いてみて下さい。

今度、IT関係に異様に詳しい松長氏から渓流斎ブログのホームページ化について、相談に行こうかと思っております。

藤井四段、29連勝の凄さ

オニユリ

史上最年少棋士の藤井聡太四段が、デビュー戦以来無敗、歴代単独1位となる29連勝を昨晩達成したということで、日本の社会は大フィーバーです。皆んなアース・ウインド&ファイアーの曲をかけてデスコで踊ってます。

神谷広志八段(56)が1987年に達成した公式戦連勝記録の28を30年ぶりに塗り替たということで、藤井四段の出身地、愛知県瀬戸市では大手紙が号外まで出したそうな。

何と言っても、藤井四段はまだ14歳。2002年7月19日生まれということですから、平成どころか、21世紀生まれじゃありませんか。20世紀の昭和生まれの人間から見ると、何ともまあ、別世界の異次元の人間に見えます(笑)。

私は、囲碁将棋はやらず、全くの素人なのですが、将棋の「四段」というのは途轍もなく強いんだそうですね。藤井四段は、デビュー戦の加藤一二三「九段」を破るぐらいですからね。

私は将棋を知らないので、ついつい下世話なことに疑問を持ってしまいます。

母親は、ちょくちょくマスコミに出てきますが、父親は殆ど出てこない。一体どういう方なんでしょう?とか、どういう教育で、このような天才が生まれたのだろうか、とか、極めてレベルの低い疑問です(笑)。

藤井四段は、5歳頃に祖母から将棋の並べ方を教えてもらってから興味を持ち、メキメキ実力をつけて小学四年で、プロの登竜門「奨励会」に入会しました。

現在、名古屋大学附属中学の3年生。いわゆるひとつの偏差値が非常に高い学校で、相当地頭も良いようです。

大変な負けず嫌いの性格で、通った地元の幼稚園は「モンテッソーリ教育」と言われるユニークな教育法を取り入れることで知られ、藤井四段は、3歳にして早くも単純作業でも飽きずに繰り返し、最後までやり遂げる不屈の忍耐力を身につけたようです。

これは、同じ愛知県出身の天才イチローが、小さい頃から毎日毎日、バッテイングセンターに通って同じ動作を繰り返して忍耐力を身につけてやり遂げてきたことに共通点があるように思えました。

藤井四段の父親は、大手住宅設備機器会社(どこなんでしょうかなえ?)の会社員なんだそうで、40歳代だと思われます。両親とも将棋はアマチュアレベルだそうですから、藤井四段は天才とはいえ、後天的な要素がかなり強いことが分かります。

これだけ、有名になれば、広告代理店も黙ってません。既に大手学習塾やチョコレート会社が名乗りを挙げているそうです。

村下ファンドなら既に株を買い占めているかもしれません。あ、駄目ですよ。皆さんが行動を起こす頃は、売り抜けられてますから(笑)。

Amazonは良い会社です

滝の城祭り

先日、クレジットカード会社からメールに利用通知(速報=金額のみ)がありました。

以前は、このようなメールを受け取ってもさして注意を払いませんでしたが、ある事件をきっかけに細心の注意を払うようになりました。

その事件とは、某地方自治体から都税の徴収連絡があり(あら、バラしちゃった)、その納税を窓口ではなくオンラインでクレジット決済したことがありました。

そんなことを忘れた半年ぐらい経ってから、都税事務所から丁重なる手紙が来て、「実は都税事務所のコンピューターがハッカーにやられて、貴方のカードの番号、住所、氏名、年齢、職業等が盗まれた恐れがある。ついては、不審なカード利用にはお気をつけください」との、まあ、何とも優しい忠告をしてくれるんじゃあーりませんか。

そんな事件があったものですから、カード利用に関しては、細心の注意を払うことになったのです。

で、先日のことです。カード会社からの利用お知らせには、その前日に私が3900円使ったというのです。しかし、その日はカードで買い物したことはないし、通販で決済したこともない。前日のことですから、記憶も確かです。

昔なら、3900円など端金でしたから、その程度の金額でしたらやり過ごしていましたが、今は稼ぎがないので、3900円はかなりの大金です(笑)。そこで、カード会社に問い合わせてみようかと思い、問い合わせ先のサイトを見たら、「覚えがない利用でも以下の可能性があります」と、数件のケースが並べていました。「他の家族の誰かが利用した」とかそんなもんです。その中に、Amazonプレミア会員の会費の可能性もあったので、念のため、調べてみました。

実は、Amazonは、もう1年近く利用してません。ですから、あり得ないと思っていました。でも、本当に久し振りに自分のAmazonのサイトにログインして、登録情報を確認したところ、な、な、な、何と、Amazonプレミア会員になっていたのです。その会費が3900円だったことも初めて知りました。

いつ、プレミア会員になったのか、全く覚えていません。何かの拍子でクリックしてしまったのか、本来は、気をつけて、会員にならないように、バッテンを外したりしなければならないのに、それを怠ったせいかもしれません。

プレミア会員になっても、荷物が当日に届くとかいう程度で、自分には別に必要がないので、早速、会員脱退の手続きをしました。

そしたら、Amazonから「お客様は、まだプレミア会員として利用していないので、3900円はご返却します」との返信があったのです。

まだ、その返金は確認していませんけど、意外にも、Amazonはいい会社なんですね。街の小さな本屋さんも沢山潰してくれますしね。

ちなみに、Amazonは、意外と純利益率は低い(薄利)らしいですが、創業者ジェフ・ベゾスさんの保有資産は8兆2000億円で、世界の大富豪ランクで第3位(2017年速報版)です。

5年ぶりの「ジャポネ」

久しぶり、5年ぶりぐらいに西銀座「ジャポネ」に行きました。カウンター14席に、ずらっとトグロを巻くように14人も並び、結局30分も待たされました!

うまい、安い、遅いがこの店の特徴(笑)。

散々迷った末にジャリコ並600円を注文。やはり安いですね。

並んでお腹を空かせたので、美味い、旨い。

若くないおじさんは、ジャリコ大盛り750円を頼んでました。

もうこんな長く並びたくないので、今度行くときはいつになることやら…。

大相撲の赤房、白房…て何?

江戸城趾

稀勢の里ブームで、大相撲人気が再燃して切符が手に入らないそうなので、専らテレビ観戦。

江戸の明暦の大火で、市中20万人の人口のうち、10万人(ほとんどが町民)が亡くなったことは以前書きました。

亡くなった方々は、本所の回向院に葬られたそうです。宗派に拘らない寺だったからだったようです。

その回向院では、資金捻出のため(?)、お上から勧進相撲が許可されていました。闇か、大っぴらか知りませんが、賭け相撲だったようですね。

現在も、相撲興行には顔役さんが欠かせないとか、相撲部屋同士で星取勘定のやり取りがあるとかないとか、といった話は、茲では触れません(笑)。

今日は相撲の土俵の上にある櫓の下の房のことを書きます。

江戸時代の浮世絵を見ると、相撲興行は戸外で行われ、屋根が付いた土俵で、ちゃんと4本の柱があったことが分かります。

この柱は、観客の見る角度では死角となって見にくいせいか、室内興行になると、いつから始まったのか定かではありませんが、屋根は吊り屋根となり、柱はなくなりました。その代わりに、4本の房がぶら下がっています。

ベテランの中継アナウンサーだと、「赤房下で…」とか、「白房下で…」とか解説してくれます。房に色が付いているわけです。

これは出鱈目に付けたわけではなく、風水、陰陽道、四神相応などから決まりがあります。これらは大陸から伝わりましたが、和風にアレンジされるようにもなりました。

何と言っても、相撲は神事ですからね。

まず、テレビ画面の手前を「正面」と言い、行司さんが立っている向こう側を「向正面」と言います。左が「東」、右が「西」です。東の方が西より上位で、番付によって変わりますが、同じ横綱でも東の方がその場所は格上になるわけです。

で、「房」の話でしたが、正面が「黒房」、向正面が「赤房」、東が「青房」、西が「白房」となります。(正確に書きますと、黒房が北西、赤房が南東、青房が北東、白房が南西)

これは、方位学によるもので、北が黒、南が赤、東が青、西が白だからです。

江戸城趾

これには「四神相応」と言って、その方角に四神が当てはまります。

北が玄武(亀みたいな神様)、南が朱雀、東が青龍、西が白虎です。そうです、奈良県明日香村のキトラ古墳にも描かれていたあの四神です。

相撲の話に戻しますと、正面が北、向正面が南…ということになるのです。そして、それぞれが四季にも相当します。色が四季の色だとも言えます。つまり、青は「あはし」赤は「あかし」、白は「しるし」、黒は「くらし」から来ていたのです。

整理しますと、
【東】左側(北東)=青房(青龍)・春
【南】向正面(南東)=赤房(朱雀)・夏
【西】右側(南西)=白房(白虎)・秋
【北】正面(北西)=黒房(玄武)・冬

奈良の平城京、京の平安京も、江戸城を中心にした江戸市中もこのような風水や陰陽道、四神相応などで街づくりされていたことがよく知られています。

特に、家康、秀忠、家光の三代将軍のブレーンだった南光坊天海大僧正が、江戸の都市設計計画に大きく関わったことは有名です。

しかし、その一方で、これら天海上人がつくったと言われる街づくりは、実はこじ付けで、後世の人による作り話だったという説もあるようです。

小生は、来週、休暇を取って、「江戸の五色不動尊巡り」をする予定ですので、自分なりに調べてみました。

かなり知っていたことでしたが、結構面白かったです。

この話はいつかまた。

ライスカレー1700円、一本勝負

東京・池袋の「服部珈琲舎」

江戸城に参内した後、母の日という商業主義者の戦略に引っかかって、カーネーションを届けに実家の母に届けに行きました。

途中で、西武池袋線に乗り換えるので、池袋駅で降りなければなりません。

池袋駅は乗り換えで通ったり、通過したことはありますが、駅の外に出るのは本当に久し振りでした。

10年ぶりぐらいでしょうか。

実は、池袋は、東京の中でも最も嫌いな街の一つなんです。 何故なら、駅構内はあらゆる方向からカオス状態で人混みが押し寄せてくるからです。

不愉快な街なのでできれば避けたい。しかし、何十年も西武池袋線沿線に住んでいたため、都心に出るときは池袋はどうしても通らなければならない。それが嫌で、長じてからは、池袋とは関係のない所を求めてわざわざ住んだぐらいでした。

そして、10年ぶりぐらいに降り立った池袋東口(西武百貨店側)。あまりにもの変わりように呆然としてしまいました。

毎週のように通っていた新栄堂書店が閉店し、その近くのキンカ堂という安価な洋服店とその地下にあったキンカ堂食堂も消えて無くなっていたのです。

唖然、呆然。浦島太郎さんか、リップ・ヴァン・ウィンクルの心境です。

街はすっかり綺麗になって、面影の片鱗もありません。池袋駅東口は昔、今パルコがある所は丸物(まるぶつ)というデパートでした。西口は焼跡闇市がかすかに残るバラック建ての商店も残り、街のあちこちでは、白い薄汚れた傷痍軍人服を着た片腕がなかったり、片脚がなかったりする元帝国兵隊さんたちが、アコーディオンを弾いて物乞いをしていました。東京オリンピックの前の昭和30年代でしたが…。今の若い人は知らないでしょうね。おっ!ついに私も歴史の証人になってしまったか!

さて、昼の1時を過ぎてお腹も減ってきたので、何処かないだろうかと彷徨いたところ、「ライスカレー」の看板が出ていた喫茶店にすかさず入ることにしました。

最近「カレーライス」店は多いのに、「ライスカレー」店が少なくなった、とあの著名なウマズイめんいく村の赤羽彦作村長さんがブログに書いていたので、「ライスカレー」の看板ですぐ反応してしまったのかもしれません(笑)。

そして、席に着いて、メニューを見たら吃驚仰天。珈琲が700円。ライスカレーセットが1700円もするのです。ま、席に着いてしまったので逃げるわけにもいかず、相手に焦った顔を見せることなく冷静に努め、写真にあるライスカレーを注文しました。味?それは、コメントを控えさせて頂きます。

ちょうど同じ時間。京都の京洛先生は、京阪電車に乗って大阪市都島区の藤田美術館にまで出掛け、日本に三つしかない曜変天目の一つを御覧になり、美術館のお隣の太閤園で、優雅にカリーライスを召し上がっておられました。

1700円だったそうですが、間近に綺麗な日本庭園と池袋ではなく池を御覧になられて充実した時間をお過ごしになったようです。

一方の私は、池袋の人混みを見ながら、「いかがなものか」と呟きながらのライスカレー。

どちらに軍配が上がったのか、言うまでもありませんねえ(笑)。

お濠

「彩翔亭」は知られざる穴場かもしれません

航空発祥の地

大型連休最終日の昨日は、埼玉県所沢市にあるご先祖様のお墓参りに行って来ました。

もともと、掃台趣味がありますが、歴史に残る有名人とはいえ、所詮、赤の他人(笑)。やはり、自分をこの世に在らしめてくださったご先祖様には感謝を込めて、お参りしなければなりません。

航空発祥の地

まさに、掃台趣味とはよく言ったもので、私のお参りは、お彼岸の時に飾られたお花等の処分やお掃除が目的でした。

霊園は私鉄会社西武が沿線に開拓した広大な敷地を分譲したものです。特定の宗教には限定されていないので、仏教にも色んな宗派があり、キリスト教団のお墓もかなり散見されます。

ウチのお墓の敷地は、かなり広い方だと思われますから掃除が大変です。新緑の季節になり、雑草も生え出して、草むしりも大変でした。

彩翔亭

で、お参りが終わって、霊園の近くの駅に隣接するところに、航空公園があるので陽気に誘われて散策しました。

ここは日本の航空の発祥の地です。詳細はお調べ下さい(笑)。

亡父も志願して陸軍に入隊すると、どういうわけか、航空隊に配属され、この所沢に配属されたことがあるというので、縁が深いところです。

父は、昔は「色盲」と言われた「先天色覚異常」だったため、即、パイロット試験に不合格でした。もし、父が色盲でなかったら、終戦間近でしたから、恐らく、特攻隊にでも採用され、私もこの世に存在しなかったんだろうなあ、と感慨深くなります。

この先天色覚異常は日本人の男性の5%、女性の0.2%いらっしゃるそうですね。遺伝性と言われていますが、私を含む子供である兄弟は誰も遺伝していません。

彩翔亭

父は長じて、運輸省の航空管制官になり、ここ所沢にある航空管制本部で勤務したことがあるので、あらゆる意味で縁が深い土地だったわけです。

私も、この航空公園には、何度も何度も行ったことがあります。週末は大混雑で、駐車場が満杯になりますが、私は既に自家用車は手放してしまいましたので、いつでも行けるのが有難い(笑)。

彩翔亭

昨日は散策し、普段行ったことがない道を通っていたら、見たことがないお茶屋があったので思い切って覗いてみることにしました。

そしたら、あら、ビックリ。

京都と見紛うばかりの立派な雰囲気のある小さな滝も流れる日本庭園まであるではありませんか!看板を見たら「彩翔亭」とありました。

彩翔亭

ただ、看板には何の説明がないので、庭で草むしりをしていた係の人に「こんにちは」と声を掛けて、「この屋敷は、どなたか有名な方の別荘か、所沢市の所有なのですか?」と聞いてみました。

そしたら、「いいえ、(埼玉)県の所有ですなんですよ」と教えてくれました。

へー、知らなかった。こんなところに、こんな落ち着ける茶室と日本庭園があるなんて、わたしとしては大発見です。

彩翔亭

この彩翔亭について、スマホで検索してみましたが、結局、詳しい経緯は不明でした。ただ、ここは日本の航空発祥の地であり、国有地で、埼玉県が無償で借り受けていることが分かりました。

都心から離れていますが、西武新宿線航空公園駅から歩いて程なくしてこの彩翔亭がありますので、皆さんも機会があれば是非。

オノ・ヨーコさんが幻覚型認知症とは…

山吹

今日4月26日は、「ゲルニカ爆撃」(1937年)、「チェルノブイリ原発事故」(1986年)が起きた日。

昨日は、ポール・マッカートニーが51年ぶりに日本武道館でコンサート。SS席が10万円とかで、ホテルニューオータニでの自民党二階派パーティー券とどちらが高かったか話題になりました。

そのパーティーで、あの今村雅弘復興相が「震災は、まだ東北で、あっちの方でよかった」と挨拶し、さすがにこの発言で、安倍首相も大臣の更迭に踏み切ったようです。

そりゃそうでしょう。一番、被災者に寄り添って、励ましの言葉一つぐらいかけなければならない立場の人が、「本人の責任」「裁判したけりゃ、やればいい」なんて切り捨てていたんですからね。

東日本大震災で、いまだに12万人近くの被災者が避難生活を余儀なくされているというのに、その東北の被災者に対して、「東北でよかった」などと、監督官庁の大臣が言うべき言葉ではありません。

蒲公英

今村雅弘復興相は、70歳の佐賀県人。東京大学法学部を卒業して、1970年に国鉄に入社し、JR九州の企画部長などを経て、政治家に転向した人でした。

日本の最高学府を出た学士様がこの程度では、世界中で、エリート粉砕を叫ぶ候補が、選挙で当選するはずです。

菜花

残念ながら、ポール・マッカートニーの10万円の公演切符は買えませんでしたが、今日発売の「週刊新潮」は買いましたよ。

オノ・ヨーコさんが「幻覚型認知症」という記事が出ていたので、ビートルズ・フリークとしては買わずにはいられません(笑)。

ヨーコさんは84歳だそうで、車椅子に乗った写真まで掲載されていました。

ちょっとショックでしたね。

新潮らしく、「少なく見積もっても2300億円超の財産があっても、病魔の進行になす術はない」と、皮肉を書いてましたが、小野洋子は、安田財閥の一族で、父親英輔は東京銀行の常務だったという、もともと大金持ちの家庭で育ったことを家系図を入れて紹介するなど、ツボは抑えてました。

「千代田」会談

アジフライ定食

昨晩は、東京・飯田橋のグランドパレス 日本料理店「千代田」で、小新聞主筆、水雷艦長、官房秘書、財界之財界さんらと食事会。

艦長さんの機嫌がすこぶる悪く、引き連れてきた若い水兵さんに対して急に豹変して、今村復興相の如く「おまえ、うるさい」「出て行け」と怒鳴り、その後、スッキリされたのかぐっすりと寝込んでしまいました。

会談の内容は、財界之財界さんから堅く口留めされているので、茲では書けないのが残念です。

共謀罪の話は、出なかったことになっています。

恐らく、誰も知らないでしょうが、この渓流斎ブログは、改編、引越し、中断、消滅、復活…と色々ありましたが、今年で12年目になります。

昨晩の会談でも、殆ど読まれていないことが判明し、これからも、誰容赦なく、気遣いすることなく、誰も読んでいないのなら、備忘録のつもりで続けてみるか、という気持ちを新たにした次第(笑)。