今、大変難儀な本に取り組んでおります。
人生残り少なくなってきたので、せめて、死ぬ前に人類として読むべき古典は読破しなければいけない、という至極真面目な動機から、まずは、アダム・スミスAdam Smith(1723~90)の「国富論」に挑戦しております。
正式なタイトルは「国民の富の性質と原因に関する研究」An Inquiry into the nature and causes of the wealth of nationsというらしいのですが、初版は1776年。ちょうどアメリカ独立宣言の年と同じです。日本は安永5年。十代将軍徳川家治、老中田沼意次の時代で、平賀源内がエレキテルを復元し、南画の池大雅が亡くなった年です。
格闘している本は、「読みやすい」という評判の高哲男・九州大名誉教授による新訳で、講談社学芸文庫の上巻(2020年4月8日初版、2321円)と下巻(同年5月14日初版、2409円)の2巻本です。いずれも(索引も入れて)700ページ以上あります。大袈裟ではなく、百科事典並みの厚さです。それなのに、1日10ページ読めるかどうか…。
正直、書いている内容がよく分からないのです。例えば、こういった調子です。
人間に対する需要は、あらゆる他の商品に対する需要と同様に、必然的にこのような仕方で人間を規制するのであって、その進行があまりにも遅すぎる場合には速め、あまりにも急速な時には停止するわけである。…云々(136ページから)
「停止するわけである」と言われてもねえ…何度も何度も読み返して、何となく意味が分かる程度です。
250年ぐらい昔の「名著」と呼ばれる超有名な古典ですから、さぞかし多くの人類が読んできたことでしょうが、果たして最後まで読破出来た人は何人いるのか? ー3億人、いや1億人もいますかねえ(笑)。日本人も専門家にとっては必読書なんでしょうけど、我々のような素人ともなると、300万人もいますかねえ?思ったほど難解なので、途中で挫折する人が多いと思われます。
そもそも、アダム・スミスAdam Smith(1723~90)がどんな人物なのかよく分かっていませんでした。「経済学の父」と呼ばれるくらいですから、その分野の開拓者で、それ以前は学問研究として経済学なるものはなかったことでしょう。スミス自身は、英国人というより今でも独立心旺盛なスコットランド人で、グラスゴー大学の倫理、道徳哲学などの教授を務めた人でした。
18世紀の英国は、産業革命が進展し、徐々に政治の民主化も行われ、「啓蒙主義」の時代と言われるように、同時代人として、フランスのヴォルテール(1715~71)、テュルゴー(1727~81)らフランス啓蒙主義者もおります。スミスもスコットランド貴族の家庭教師として2年間、フランスに滞在した際、彼らと交際したようです。スミスが亡くなる1年前の1789年は、フランス革命の年ですから、ロベスピエールらも同時代人ということになります。
親子ほどの年の差がありますが、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91年)も同時代人ですから、もし、貴族のサロンか何処かでモーツァルトの演奏を耳にしていたとしたら親近感を覚えます。(下巻の訳者解説によると、スミスはエディンバラ音楽協会の会員として、毎週金曜日に開催される演奏会でヘンデルやコレッリらの室内楽や協奏曲を聴くのを楽しみにしていたといいます。)
後世の学者が「国富論」のキーワードとして挙げているのは、まずは「見えざる手」であり、「分業」でしょう。スミスは、重商主義を批判し、富の源泉は人間の労働であるという「労働価値説」を唱え、市場機能に基づく自由放任主義を主張しました。
よく誤解されて引用される「神の見えざる手」(invisible hand of God)という言葉は、「国富論」には一度も出て来ることはなく、「見えざる手」という言葉さえ、実は1回しか出て来ないといいます。これは、私はまだ読破していないので、私が見つけたことではなく、先行研究からの引用です(笑)。
でも、「労働価値説」「自由放任主義」「分業」「見えざる手」でもうお腹いっぱいで、「国富論」を全て理解したような、分かったような気になってしまいます(笑)。これから1400ページ以上も読み切れるかどうか…その間、ブログ執筆も止まってしまいそうです。
【追記】
アダム・スミスのもう一つの主要著書「道徳感情論」では、「利他心」や「他人への思いやり」の体系、「国富論」は「自己愛」や「利己心」の体系であるという伝統的な解釈は完全な誤りではないが、前者は倫理学、後者は経済学に属しており、この二つの領域がどのように関連付けられ、統一的な思想・理論体系を形作っているのかという点になると、まだ説得力のある説明は提供されていない、と訳者の高哲男氏は「解説」で書いておりました。
もう一つ、話は全く違いますが、また訳者解説の中で「アダム・スミスは1723年、スコットランド東部の港町カーコーディーKirkcaldyで税関吏の子どもとして生まれた」とあり、吃驚しました。なぜなら、最近、ビートルズの「ホワイトアルバム」に収録されている「クライ・ベイビー・クライ」という曲をコピーしながら聴いていたのですが、歌詞が非常に難解で、3番にこんなフレーズが出てきます。
The Duchess of Kirkcaldy always smiling and arriving late for tea.
カーコーディーの公爵夫人はいつも笑みを絶やさず、お茶会には遅れてやって来る(試訳)。
この曲は恐らくメインボーカルのジョン・レノンが作詞作曲したものと思われますが、何で急にカーコーディーが出てくるのかさっぱり分かりませんでした。でも、英国人ならカーコーディーとはアダム・スミスの生誕地であることは常識なのかもしれません。となると、読書家のジョン・レノンは「国富論」も読んでいたのかもしれません。