邪馬台国の久留米・八女説、鎌倉幕府成立、咸宜園、吉田ドクトリン…は「日本史の論点」で学びました

アルハンブラ宮殿の天井画(イスラムは偶像崇拝を禁止しているのに、このような具象画があるのは極めて珍しいとか)

中公新書編集部編「日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇まで」(中央公論新社、2018年8月25日初版)も、スペイン旅行の際に持って行った本でしたが、なかなか面白くて、往復の飛行機内では、かかっている映画で面白い作品が少なかったので、専ら読書に耽っておりました。

第1章の古代が倉本一宏・国際日本文化研究センター教授から始まり、中世は今谷明・帝京大学特任教授、近世が大石学・東京学芸大学教授、近代は清水唯一朗・慶大教授、現代が宮城大蔵・上智大教授と、「今一番旬」と言ったら語弊があるかもしれませんが、最先端の歴史家を執筆陣に迎え、最新の「学説」を伝授してくれます。

歴史は時代を映す鏡ですから、その時代によって変化するものです。最近では、学校の教科書から聖徳太子や坂本龍馬の名前が消えると話題になったり、鎌倉幕府の成立が、これまでは、「いい国つくろう」の1192年(源頼朝の征夷大将軍就任)だったのが、壇ノ浦の戦いで平家が滅び、頼朝が守護・地頭を置く文治勅許を獲得した1185年が、現在学界では圧倒的な支持を得ていることなど初めて知り、勉強になりました。

「日本史の論点」ですから、各時代で、長年論争になってきた「課題」が取り上げられています。

例えば、畿内説と九州説との間で論争が続いてきた「邪馬台国はどこにあったのか」。古代の倉本一宏氏は、纏向(まきむく)遺跡発掘により畿内説が学界では優勢になっているのものの、同氏はあえて九州説を取っていました。邪馬台国の邪馬台は「やまたい」ではなく、「やまと」と読むことが適切だとして、福岡県の久留米市と八女市とみやま市近辺が筑紫の中心だったと考え、この地域で灌漑集落遺跡が発見されれば、そここそが邪馬台国の可能性が高い、という説を立てておられました。

ちなみに、小生の先祖は、久留米藩出身なので、遺跡が見つかればいいなあと応援しております。

古代史専門の倉本氏はこうも力説します。「武家が中央の政治に影響力を持ち、政治の中心に座ったりすると、日本の歴史は途端に暴力的になってしまった。…もちろん、『古代的なもの』『京都的なもの』「貴族的なもの」がいいことばかりではないことは、重々承知してはいるけれども、苦痛を長引かせるために鈍刀で首を斬ったり、…降伏してきた女性や子供を皆殺しにしてしまう発想は、儒教倫理を表看板にしている古代国家ではあり得ないものであった」と。

これは、「古代=京都=公家=軟弱・ひ弱=陋習=ネガティブ」「中世以降=武士=実力=身分差別なく能力主義で這い上がれる=ポジティブ」といった固定されたイメージを覆してくれるものでした。

他にも色々取り上げたいのですが、あと2点ほど。まずは、近世を執筆した大石氏によると、江戸時代は義務教育はなかったが、人々は知識に対して貪欲で主体的に勉強したといいます。その一例として、大分県日田市(天領)にあった「咸宜園(かんぎえん)」を挙げております。

これは、1817年(文化14年)、儒学者の広瀬淡窓(たんそう)が設立したもので、全国から生徒が集まり、1897年(明治30年)に閉鎖されるまでの80年間で、5000人近くの人が学んだといいます。生徒たちは何年間もここに下宿して勉強し、長州の大村益次郎も学んだ一人だったそうです。

◇吉田ドクトリン

話は飛びますが、永井陽之助(東工大教授)や高坂正尭(京大教授)らの説を引用して「現代」を執筆した宮城氏によると、戦後の吉田茂路線(ドクトリン)とは、「軽武装」と「経済」を重視する政治的なリアリズムだったといいます。

そして、1951年のサンフランシスコ講和会議に池田勇人蔵相の秘書官として随行した宮澤喜一(後の首相)は、54年に吉田が首相の座を追われて鳩山一郎政権が成立すると、危機感を持ったといいます。56年には「暴露本」のような「東京ーワシントンの密談」(中公文庫)まで出版します。その理由について、宮澤は、五百旗頭真氏らのインタビューで、GHQによって追放されていた鳩山や岸信介といった「戦前派」が復活して、彼らの信条通りの政治が実現すれば、明らかに戦前に遡ってしまい、せっかく、吉田茂や池田勇人と一緒になってつくった戦後の一時代が終わったと思ったからだといいます。

同じ自民党でも、昔は、中選挙区だったせいか、派閥があり、同じ保守でも思想信条がハト派からタカ派まで両極端な政治家が同居したいたことが分かります。

言うまでもないことですが、今の安倍晋三首相は、「戦前派」の岸信介元首相の孫に当たります。安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を目指して憲法改正を主張するのは、遺伝子のせいなのかもしれません。

まだまだ、書きたいのですが、この辺で。

 スペイン・アルハンブラ宮殿

アマゾンは消費税分を払っていない?

スペイン・グラナダ

昨晩は、東京・南麻布の日本料理店「有栖川清水」に行きたいと思いつつ、先立つものがないため、日暮里の安居酒屋「やじろう」で我慢して、久しぶりに増本君と懇談しました。

増本君は出版社の経営者ですが、実態は、社員一人の零細出版社のたこ社長です(笑)。それでも、トーハン、日販という大手取次ぎ店と契約できている数少ない出版社の経営者です。それは、全国で1000社ほどしかないそうです。

誰でも簡単に出版社をつくることができますが、大手取次ぎと契約するには、それなりの準備金とか支度金のほか、厳しい出版計画や口座管理などが必要とされ、なかなか許可が下りないそうです。大手取次ぎと契約できれば、出版した本は全国の書店に梱包して流通してもらえるのです。(昨晩は「口座貸し」という業界用語を初めて知りました)

でも、1000社のうちの大半は、社員数人から十人程度の零細企業が多いということでした。

その増本君が怒りをぶちまけていたのが、世界一の通販アマゾンです。「あいつら消費税払わないんだからなあ…」というわけです。

「えっ!?」。私は耳を疑いました。

スペイン・アルハンブラ宮殿

増本君によると、日本の出版社がアマゾンと電子書籍で契約すると、アマゾンの日本法人ではなく、米国かどこかタックスヘイブン国の本社と契約させられるため、日本の消費税は曖昧になるというか、結局払わず仕舞いだというのです。

しかも、無謀にも、アマゾンは出版社からの卸値を定価の60%にまでダンピングを要求するというのです。

ここで、本の価格の仕組みを簡単に説明しますと、定価1000円の本があったとしますと、そのうちの20%が小売店、つまり本屋さんに入るようになっています。本屋さんはこの20%で従業員に給料を払ったり、光熱費、家賃を払ったりするわけです。

流通卸のトーハンや日販には定価の67%で引き取ってもらいます。しかし、新刊は、5%の歩戻しが取られ、実質62%でしか引き取ってもらえないこともあるようです。

そこに割り込んできたのが通販最大手のアマゾンです。通常60%のところ、2年前に期間限定で66%にするキャンペーンを張り、KADOKAWAなどの大手出版社が契約を結びました。

が、内部機密契約ですから、正確な実態は分かりません。

出版不況と言われて久しく、街の本屋さんが次々と閉店に追い込まれる中、通販だけは元気です。小売りの書店はいらないので、ネット環境と倉庫と物流さえ抑えておけば、1冊に付き、執筆も製本もしないのに、定価のまるまる40%もの売上高を確保することができるからでしょう。

しかし、アマゾンは、電子書籍とはいえ、日本語の本を扱っておきながら、そして、購買者から消費税を取っておきながら、消費税分を申告しないというのは、もし、それが事実なら如何なものか、ですよね?

国税庁の佐川長官、あ、お辞めになりましたか、今は藤井長官ですか、いずれにせよ、長官直々に陣頭指揮を執って調べてもらいたいものです。来年は消費税10%に増税されますからね。

今日、東銀座で500円ランチ!20分は並びましたが、並び甲斐ありました

【追記】

タイムリーにも、2018年10月12日(金)付読売新聞朝刊は、公正取引委員会が「プラットフォーマー」と呼ばれるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)など巨大IT企業を、独占禁止法40条に基づく強制調査を検討している、と報じておりました。

アプリを販売する条件として、売り上げの30%という高い手数料を取るケースもあるらしいのです。

吉報ではないでしょうか。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」で心が洗われました

「体育の日」のある三連休のほとんどがブログの取材と執筆と校正と、講演者様とのメールのやり取りと、訂正と更新とさらに更新に追われてしまいました(笑)が、寸暇を惜しんで、東京・上野の国立博物館で開催中の特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に足を運んできました。

普段の私は、やましい心の狭いことばかり考えておりますから、せめて仏像様のお力と御慈悲によって、心を洗おうという罰当たりな魂胆を敢行したわけです。

京都にお住まいの京洛先生のお導きで、有難いことに、京都奈良の寺社仏閣はかなり巡っているのですが、大報恩寺は聞いたことがありませんでした。

非常に楽しみに出掛けたところ、大報恩寺とは、北野天満宮近くの千本釈迦堂のことではありませんか!

ここなら、京洛先生お気に入りの寺で、小生も何度かお参りしておりました。

千本釈迦堂大報恩寺は、鎌倉初期の安貞元年(1227年)に義空上人(奥州藤原秀衡の孫に当たる)によって開創された寺です。洛中で「火災に遭うことなく現存する」最も古い寺だといいます。本堂は、創建時そのままのもので「国宝」に指定されております。柱には応仁の乱の刀や槍の傷跡が残っていました。

◇京洛先生と倶梨伽羅紋々

京都の人が言う「この前の戦災」とは、鳥羽伏見の戦いではなく、応仁の乱を指すことがこれで分かりました。

境内では毎年12月に「大根焚き」が行われ、もう5、6年前のことですが、たまたま京洛先生と一緒にベンチに座って、熱々の大根を食べていたら、テレビがこちらに取材に来ました。

そしたら、京洛先生はその筋の人ですから、背中の倶利伽羅紋々を見せながら、何か一言言った途端、テレビ・クルーの人たちは真っ青な顔をして慌てて逃げ去ってしまったのです。

何事が起きたのか、京洛先生に尋ねたところ、彼は、ちょうど取材に来たテレビ局のライバル・テレビ局のロゴが背中に入ったジャンパーを着ていたのです。

「『ここの者だけど、いいの?』と言っただけですよ」と京洛先生は平然としたものでした。もちろん、彼はライバル・テレビ局の人間ではありません(笑)。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」のパンフレットより

さて、大報恩寺展のことでした。

四年に一度のご開帳でしか拝めない「釈迦如来坐像」(快慶の一番弟子・行快作)や「釈迦十大弟子立像」(快慶最晩年作)、「六観音菩薩像」(運慶の晩年の弟子・肥後定慶作)は、前から後ろから360度の角度から見ることができて、見応え十分でした。なんて、言ってはいけませんね。荘厳な気持ちになりました。

合掌

お蔭さまで、心が少し軽くなりました。

【六観音菩薩】とは

六道それぞれの衆生を救う6体の観音密教では、地獄道聖(しょう)観音餓鬼道千手観音畜生道馬頭観音修羅道十一面観音人間道准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音天道如意輪観音を配する。(大辞泉より)

【釈迦十大弟子】とは

釈迦(しゃか)の10人の高弟。「智慧第一」の舎利弗(しゃりほつ)、「神通(じんつう)第一」の目犍連(もくけんれん)、「頭陀(ずだ)第一」の摩訶迦葉(まかかしょう)、「天眼第一」の阿那律(あなりつ)、「解空(げくう)第一」の須菩提(しゅぼだい)、「説法第一」の富楼那(ふるな)、「論義第一」の迦旃延(かせんねん)、「持律第一」の優婆離(うばり)、「密行第一」の羅睺羅(らごら)、「多聞(たもん)第一」の阿難陀(あなんだ)。(大辞泉より)
地獄道から衆生を救済する聖観音菩薩像(もちろん、この菩薩像だけがフラッシュなしの撮影を許可されていました。「地獄にいる人が多いせいなのかなあ」と邪推してしまいました)

沿道広告禁止のスペインとスタンプなしの帰国審査

アルハンブラ宮殿

日本で報道されている最近のニュースや話題が、どうもつまらないので、また、先月のスペイン旅行の話を取り上げます。毎日書かなければならないので、話題を見つけるのが大変です(笑)。

スペイン国内の移動は大型バスで、高速道路を利用しましたが、沿道はほとんど全く広告看板がありませんでした。

確かに、人家も見当たらない荒野を駆け抜けることが多かったのですが、それにしても、見当たらない。ケバケバしい広告だらけの日本とは大違いです。スペインはよほどの不景気なのか? 理由を添乗員さんに聞いたところ、「法律で禁止されているんですよ」という答えが返ってきました。

そうなのか。さすが、年間7000万人も観光客が訪れる世界第2位の観光国。美観を大切にするんだろうなあ、と納得しました。

ただし、例外がありました。巨大な牡牛の看板です。目鼻口は描かれず、シルクスクリーンのような真っ黒な看板です。どこかの牧場の印なのか、闘牛場のコマーシャルなのか、と思ったら、オズボーンというスペイン人なら知らない人がいないウイスキー会社の広告看板だというのです。極甘口のシェリー酒「オズボーン・ペドロヒメネス・1827」が有名なんだそうです。

ボトルラベルには、その真っ黒い牡牛がブランドマークとして載っています。

添乗員さんの話では、このウイスキー会社は目下、広告看板設置をめぐって、政府と裁判闘争中なんだそうです。まだ、判決が出ていないようなので、看板は撤去されていないといいいます。

◇◇

もう一つ。スペインの話ではないのですが、2年ぶりに海外旅行して出入国審査が変わっていたことには驚きました。随分簡素化されていたのです。

出入国の際、自分でパスポートをスキャンして、自分でカメラの前に立って、「人相認証」をやってもらうのです。そして、帰国した際に、以前パスポートに押してもらっていた入国スタンプが省略されてしまったのです。

スタンプなし!「バン」と係員にスタンプを押してもらった時、「あ、日本に帰ってきた」と安堵感が広がったものですが、何か拍子抜けしてしまいました。

【追記】

今日はあっさりしているので、少し追加します(笑)。

●昨年買った高級腕時計が、もう電池切れで今朝止まってしまいました。そこで、銀座の和光に行って電池交換してもらったら、何と3240円も取られてしまいました。以前の安い時計は、1000円ぐらいで済んだんですけどね(笑)。

で、思ったことは、時計屋さんにとって、電池交換がビジネスモデルになっているんじゃないかということです。先日、10年近く使っていたドイツ製電気シェーバーの切れ味が悪くなったので、最高機種9シリーズに買い換えたところ、何と18カ月で「替え刃」を交換するようにとのメッセージが入っておりました。

前の機種5シリーズは10年ぐらい使いましたが、替え刃を交換したのは1回だけ。つまり5年間ぐらい持たせていましたからね。何か、プリンタのインクリボン交換のような気がしました。電気シェーバーなんかなかなか壊れませんから、替え刃で儲けるシステムになっているんでしょう。

●安部第4次政権は、「全員野球内閣」なんだそうです。

早速、「政治をスポーツに例えるな!」と非難轟々です。

「全員野球じゃなくて、ライト(右翼)とキャッチャー(捕手⇒保守)しかいない」という人もいます。

「まだ3年か。とはいえ、終わりの始まり。ショート内閣になるかも」という人もいます。

 10月3日付日経の緊急世論調査によりますと、内閣支持率は、9月の調査から5ポイント減の50%、内閣改造を「評価しない」が44% に上りました。

 

察するにあまり…

アルハンブラ宮殿

国民の皆様には声を大にして言いたい。

昨日は、若い記者から「みそぎは終わったのか」なぞとタワケた質問をされました。でもですね、2016年、あの憎き週刊文春がスクープした金銭授受問題とかゆうやつで、私も秘書も、あっせん利得処罰法違反容疑で告発はされましたが、天下の東京地検特捜部は嫌疑不十分として不起訴処分にしたんですよ。

一点の曇りもないシロだと確定したわけです。

だから、若い不勉強な新聞記者にも言ってやったんですよ。「私については何の刑事事案にもなっていない。検察の捜査がすべてだ。まず正確な記事を書いてほしい」とね。

 アルハンブラ宮殿

そもそも、私の派閥の親分でさえ、モリカケ問題、公文書改ざん問題があったにもかかわらず、財務相を辞任するどころか、あろうことか、いや、口が少し滑りました、当然のこととして、第4次改造内閣で留任されたんじゃあ、あーりませんか。

私もね、本来はですね、党の総務会長になるはずだったですよ。つい先日も、日本の最高権力者から「実績、手腕、調整能力は他に追随を許さない」と褒められたばかりなんですよ。それを、馬鹿な、いや、また口が滑りました、賢明なる国民の皆様の中の異質な方が、SNSとかで、「どうせ検察とグルだろ。いかがなものか」と批判したり、野党党首からは「睡眠障害がこんな都合よく治る人はあまり見たことがない」なぞと皮肉ったりするものだから、党三役になれず、ナンバー4の選対委員長に甘んじてしまったわけですよ。

ふざけた話ですよ。

「人の噂も七十五日」と言うじゃありませんか?2年も昔のこと、馬鹿な、いや賢明な国民はもうとっくに忘れてますよ。大臣室で業者からもらった100万円と秘書がもらった500万円は、支持者と一緒に呑めや歌えやと銀座のホステスのチップで、とーうの昔に使い果たしてしまいましたよ。悪銭身につかずってやつですかねえ。でも、我ながら、私腹を肥やしたわけじゃないから見上げたもんですよ。

えっ?わしが誰かって、それは、察してあまりあるでしょう。

軽減税率はかなり恣意的では?

アルハンブラ宮殿

星の王子さまは「大切なものは目に見えない」と喝破しました。

だから私も言いたい。

「大切なことは誰も教えてくれない」。

つまり、知識は自分で学ばなければならないのです。特に、「生きる術(すべ)」。「人間の業(ごう)」…。

それらを学んで来なかったから、分別のついた老境に入っても、チンピラに因縁をつけられたり、詐欺師に騙されたり、人に裏切られたりするのです。

あ、俺のことか?(笑)。知識を身に着けても駄目じゃん!

アルハンブラ宮殿

という救いようがないオチで始まりましたが、ちょうど1年後の来年10月から、消費税が10%に増税されることが、99.99%確実となりました。

ところが、ここに来て急に、特例と言いますか、「軽減税率」案が浮上してきました。

この件については、「御用新聞」と揶揄されている読売新聞が、他紙を圧倒して、抜きん出て報道してます。さすが、「政府系機関紙」です。政策に関する情報は、この新聞を読まなければ分かりません(笑)。天下の朝日新聞は後塵を拝しております。経済面は特につまらない…。

しかし、この軽減税率、よく理解できませんね。仕組みが複雑です。例を取ると「外食」です。店内で食事すると、10%の消費税が掛かりますが、「お待ち帰り」だと、食品などの軽減税率が適用されて、8%で済むというのです。

そんなら、私は滅多に行きませんけど、ファストフード店に行って、店内で食べずに、お持ち帰りのフリをして、外のテラスの席でこっそり食べたら安上がりで済むということなのでしょうか。セコイ話ですけどね(笑)。

アルハンブラ宮殿

「新聞は8%の据え置きにする」という話も解せないですね。私は、新聞業界で働いていながら、不公正を感じます。どうせ、新聞業界のドンが政府筋に圧力を掛けたのだろう、と推測してしまいます。

一番困ってるのはスーパー業界です。「生活必需品」は軽減税率が適用されますが、酒やタバコは駄目、その他諸々…となると、レジ作業というか、値札付けや会計処理が複雑になることでしょう。

財務省のお偉い役人さんは「軽減税率は、欧米の例に倣った」と弁明してますが、思わず「欧米か!」と何処かの漫才師のように突っ込みたくなりました。

日本の格差社会は、まだマシなのか?

バルセロナ サグラダファミリア教会

英エコノミスト紙(電子版)を見ていたら、興味深い記事に当たりました。

Sep 26th 2018付の記事で、タイトルは「 Buying time How life expectancy varies across America」。意訳すると、「時はお金で買うもの 米国の平均寿命は何で地域によってこうも違うものか?」あたりでしょうか。

簡単に要約しますと、米国立保健統計センターの調査によると、ノースカロライナ州のフィアリントンという街の住民の平均寿命は97歳だったのに対して、オクラホマ州のスティルウエルの住民は56歳だったというのです。実に41歳も開きがあるのです。驚きです。

グラナダ アルハンブラ宮殿

ちなみに、日本の場合を調べてみましたら、厚生労働省によると、男性の場合、1位は長野県で79.84歳で、最下位の青森県が76.27歳。その差3.57歳。女性の首位は沖縄県の86.88歳で、47位の青森県は84.80歳。その差は2.08歳です。

よく格差社会と言われますが、米国の41歳差は半端じゃありませんね。

フィアリントンもスティルウエルも、人工的につくられた街ということで共通点がありますが、前者は、もともと酪農場だった所を英国の「田園調布」をモデルに開発された富裕層向け高級住宅街で、同市チャトハム郡の住人の96%が白人。後者は、もともとイチゴ畑だった所が、1830年に、チェロキー族などネイティブアメリカンが強制的に移住させられた街だというのです。

フィアリントンの世帯の平均年収が8万1900ドル(925万円)に対して、スティルウエルはわずか2万5000ドル(282万円)。

全米6万5662カ所の平均寿命を調査した研究者たちは、この大きな格差の要因は、貧困と教育にあると結論付けておりました。貧困で教育に恵まれない地区ほど、肥満や運動不足で喫煙習慣があり、高血圧、糖尿病などの病気に罹る人が多く、それが短命につながっているのではないかというのです。

教育については、高学歴が高収入につながり、健康志向になり、禁煙もするようになるということです。

この記事を読んで、皆様もさまざまな感想を持たれることでしょう。「ネイティブアメリカンは差別されて可哀想だ」とか「格差社会とはいっても、日本はまだマシだ」とか…。

バルセロナにて フラメンコ

日本でいえば、56歳というのはまだ働き盛りですが、貧困のどん底に押し込められて、夢も希望もない生活で、酒とタバコぐらいしか人生の楽しみがないとしたら、こんな世の中、長生きしてもしょうがないと思うのが人情なのでしょう。

何を書いても批判されるでしょうから、今日は過激にまとめてみました(笑)。

西城秀樹と姐さん(文春砲の見出しそのまんま)

サラゴサ

もう20年近い昔ですが、これでも仕事で、(好むと好まざるとに関わらず)、芸能担当記者をやっていたことがあります。

芸能と一口に言っても守備範囲は幅広く、文楽能歌舞伎といった伝統芸能から、最先端の音楽、人気歌手、テレビや映画に出演する国内外の大物俳優インタビュー、放送行政などさまざまでした。

レコード大賞の審査員などもやったお蔭で、芸能界の実態についてはかなり詳しくなってしまいました。大手芸能事務所と裏社会との関係、タレントの出自、政財界や宗教界との関係、警察公安と芸能界との持ちつ持たれつの関係…等々です。

バルセロナ サン・パウ病院(ガウディの師ドメネクが設計)

小指のない芸能事務所の社長さんと懇談したこともありますが、茲でさらに詳細に書けば、生命の危険に及ぶので、残念ながら書けませんね(苦笑)。最近は、ネットで色んなことが、虚実ない交ぜで書かれていますから、ご興味のある方はそちらをご参照ください。半分近くは当たっているんじゃないでしょうか。(ということは、半分は嘘、デタラメ)

いずれにせよ、自分自身は、かなりの「芸能界」通だと思っておりました。でも、今日発売の「週刊文春」を思わず買ってしまったのですが、先日亡くなった人気歌手の西城秀樹の実姉と広域暴力団五代目山口組の宅見勝若頭(=当時、1997年8月に、中野会との内部抗争で暗殺、享年61)とは内縁関係だっため、大阪市の名刹四天王寺の墓地では、秀樹と宅見若頭の墓が隣同士にあることが写真入りで書かれておりました。(執筆はノンフィクション作家森功氏)

知りませんでしたねえ。

秀樹と9歳離れた実姉は、秀樹を芸能界にメジャーデビューさせるに当たってかなり尽力した人で、大阪で高級「クラブ西城」を経営し、当時は「宅見ママ」ということでかなり有名だったらしいのです。

グラナダ大聖堂

宅見若頭が神戸で暗殺された1997年は、私自身バリバリの芸能記者でしたから、そのニュースはかなり衝撃的でした。芸能関係には複雑に入り組んだ利権構造があり、宅見若頭は当時、頭がキレる「経済ヤクザ」として名を馳せ、芸能界にもかなり深くコミットしていたことを噂で聞いていたからです。

暗殺された宅見若頭は、当時は自分自身も若かったせいか、かなりの年配だと思っていたのですが、61歳と、思えば随分若かったんですね。

あれから21年ですか…。芸能担当記者から足を洗って(笑)かなり年月が経ってますから、最新情報には全く疎いのですが、芸能界の相関図は20年前とそう変わっていないと思っております。

(残念ながら、今はあまり興味がないので、タレントさんの名前と顔が一致しません。←それじゃ駄目じゃん!)

「本能寺の変」にスペインも絡んでいた!?

グラナダ

実は今、4冊ぐらい並行して本を読んでいるため、頭の中は、ごった煮のシチュー状態です(笑)。

病気をきかっけに、本はなるべく買わないようにしているのですが、やはり、本ぐらいしか人生の楽しみ(と同時に苦しみ)がないので、増えてしまいます。

今朝から読み始めたのは、安部龍太郎著「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」(幻冬舎新書、2018年7月30日初版)です。「世界史からの視点」というのが、新鮮というか、斬新的です。

プラド美術館 ベラスケス像

安部先生は、いつぞや、京都は、京洛先生の守備範囲である上京区にある老舗居酒屋「神馬(しんめ)」に出没され、ちょうど、京洛先生と小生がそこで一緒に呑んでいた時に、安部先生と取り巻き編集者が奥の超一等席にいらっしゃっていたという話を聞いたことがありました。つまり、同じ時間と空間を共有していたわけです(笑)。神馬は、東京からハイヤーを乗り付けて来店するツワモノがいるほどの人気店で、調子に乗った神馬の親父が、あまりにも居丈高だったので、その後我々は行かなくなりましたけど…。

さて、「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変 」です。私も加藤廣さんの「信長の棺」などを読んで、本能寺の変の「黒幕」は、五摂家筆頭の近衛前久(さきひさ)だったいう説に、私も納得しましたが、さらにその背後に、スペインやイエズス会もいたというので驚きですね。

コルドバ 大聖堂

安部氏は、以下のような持論を展開します。

…信長は南蛮貿易による利益と軍事技術の供与を受けるために、イエズス会を通じてポルトガルと友好関係を築いていたが、ポルトガルは1580年にスペインに併合された。

そこで、信長はスペインとの新たな外交関係を築く必要に迫られ、イエズス会東アジア巡察師のアレッシャンドロ・ヴァリニャーノと1581年2月から7月まで交渉したが、合意に至らなかった。

スペインが明国征服のための兵を出すよう信長に求めたからだと思われる。日本にそれを示す資料は残っていないが、ヴァリニャーノがマニラ在住のスペイン総督に宛てた手紙を読めば、そうとしか考えられない。

信長は、イエズス会とスペインを敵に回したため、信長政権はとたんに不安定化した。キリシタン大名や南蛮貿易で巨万の富を得ていた豪商たちが見限り始めたからである。

これをチャンスとみたのが、京都から備後の鞆の浦に追放された室町幕府15代将軍足利義昭。彼は朝廷や幕府ゆかりの大名に檄を飛ばし、これに応じたのが、義昭の従兄弟で義兄弟に当たる近衛前久だった。前久の工作で、明智光秀が本能寺の変を起こした…

というのです。

サラゴサ

なるほどねえ。スペインが絡んでいたとは、驚き、桃の木ですよ。

日本は偏向報道国家なのかなあ?

ラ・マンチャ地方

ほんの1週間ですが、スペイン旅行に行ってよかったと思っています。

「スマホ中毒」から少し解放されたからです。行く前は異常でした。電車に乗っても、バスに乗っても、歩いていても、気になって、すぐ液晶画面を見ていましたから。

実際、大した情報に接していたわけでもないことも分かりました。単に習慣になっていたんですね。悪習慣は断ち切ることです。

グラナダ・アルハンブラ宮殿

帰国して痛感したことは、新聞でもテレビでも、日本の海外ニュースは、アメリカと中国と韓国の話題ばっかりだということです。スペインやフランスなどで起きたことは、ほとんど報じてくれません。

BSの海外テレビ放送を見れば、十分事足れるでしょうが、地上波は、米中韓ばかりに集中して、まさに「偏向報道」と断定してもいいでしょう。

もちろん、基軸通貨ドルと世界最大の軍事力を持つ米国と、日本も大いに依存している世界第2位の経済大国である中国を中心に世界は回っていることは確かですが、それにしても、見たくもない為政者の顔ばかり見せ付けられたり、見たくも聴きたくもない芸能が世界基準(スタンダード)で最先端の潮流だとばかり押し付けられては、さすがに、うんざりしてしまいます。

まさに、日本の常識は、海外の非常識でもあるわけです。

コルドバ大聖堂

思うにスペイン旅行は、普段の喧騒から離れた歴史散歩だったかもしれません。

少年の頃、歴史学者を夢見たぐらいの歴史好きだったせいか、日本史と世界史の基礎知識はかなり時間をかけてみっちり頭に叩き込みましたから、今でも重大事件の起きた年号や背景ぐらいソラで言えます(笑)。「レコンキスタ」「スペイン継承戦争」「スペイン内戦」など起伏に富む複雑なイベリア半島の歴史は、ある意味で魅力的で、何と言っても800年間もイスラムに支配されていた風土と文化に直接肌を感じることができたのが今回の旅行の大いなる収穫でした。

特に、私は美術建築好きでもありますから、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤの三大巨匠とピカソの「ゲルニカ」といった傑作画やガウディのサグラダファミリア教会などを間近に見られたことは、何よりも得難い至福の時間だったと言えます。

逆に歴史にも芸術にも興味がない人が旅行しても、つまらないんじゃないかなあ、と思ってしまいました。

現在、見えないもの、見えていないものを見るために、想像力を働かせなければならないからです。それにはある程度の知識が必要なのは否めません。

いやはや、またまた、堅い話になってしまい、失礼仕りました(笑)。

バルセロナ サグラダファミリア教会

先日会った友人の田所君なんかは「俺、最近、プラスチックゴミが気になってしょうがないんだよなあ」という始末です。確か、10年ぐらい前、日本で割り箸が使い捨てされるという「事件」で話題になった際も、「割り箸のお蔭で、熱帯雨林が破壊されている」と、彼は叫んでいたものでした。

何はともあれ、このように、メディアの影響力は強いのですから、現役のマスコミ従事者にはもっと自覚してほしいものです。

独裁主義国家じゃあるまいし、偏向報道はやめてほしいなあ。。。