ミシュランの三ツ星に異議あり 世界を動かす投資会社は表で繋がっている

 京都の古刹 建丹寺の住職 怒庵路慶大禅師から飛脚便で、渓流斎の下に巻物で直筆の書状が送られてきました。
…前略 一筆啓上仕ります。
「ミシュラン」か「身酒乱」か知りませんが、あんな「インチキ番付」ガイド本を今なお信じている賢くないマスコミや人間が日本にはまだまだいるのですから、本当にどうしようもない日本及び日本人です。厭になります。…
 何か穏やかではありませんね。
 …低空飛行の安倍政権が生き延びられるのはよく分かります。何はともあれ、「京都で、”ミシュラン三ツ星店”が、火災!!」の報道騒ぎのことです。
 あの店は2010年に食中毒を出し、当時、新聞にも報道された「名店」(笑)なのです。食中毒はマスコミで言えば誤報と同じで、致命的な大事故です。「美味い!」「まずい!」の以前の問題で、飲食店では致命的な事件なのです。…
 あら、そういうことでしたか。
 …ところが、ミシュラン関係者は、日本語が読めないのか、それとも、食中毒でも評価するのか、この事件が起きてからも、三ツ星か、四ツ星か知りませんが、この店をずっと表彰してきたわけです。マスコミはそれを指摘しなかったのも酷い話ですが。…
 確かに酷い話。ミシュランの評価を見て、海外からわざわざ予約して来店する観光客も多いと聞きますからね。
京都市内
 …最近、スウェーデンの「ノーベル文学賞」の権威が堕ちて、馬脚を現しましたが、「番付」「権威付け」が、如何にいかがわしいものか、よく分かる例証ではありませんか。…
なあるほど。
 …そう言えば、「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものです。火事を出した飲食店には、「ノーベル文学賞」関係者も出没しています。この際、かの著名な笈川探訪が作っている「マスコミ人犯罪帳」と類似の「名店・食中毒多発帳」を作ってみては如何ですか。これは人気を呼ぶでしょうね。…
はい、承っておきます。
 …あ、さて、三井物産の社内誌「中外商業新報」から幾星霜を経て、福沢諭吉が創刊した時事新報の廃刊によって日本を代表する経済紙になった日経が、5月15日付朝刊で、日本を代表するヤフーが「大企業病」になって、メルカリなどといった新興台頭を許して凋落している様を報じていますね。ヤフーが落ち目になれば、ソフトバンクも駄目になる。ソフトバンクが駄目になれば、何十兆円もの貸付があるメインバンクのみずほ銀行も危うくなるという、風が吹けば桶屋が儲かる逆のパターンが起きるやもしれませんぞ。…
 えっ!? そんな話、初耳ですよ。
…日本の経済メディアは何で真実を隠して、どうしようもない観測記事ばかり垂れ流すんでしょうかね。そんな神のみぞ知る占い師も分からない将来の業績など誰が分かるというのですか。…
 御意。
…それより、世界最大の投資会社米ブラックロックのことを日本のマスコミはほとんど報じませんね。何か、隠したいという裏でもあるんでしょうか?誰がやっても同じの日本の首相の一日の動静を報道するくらいなら、世界一の投資会社のローレンス・フィンク会長兼CEOの動向を追ってもらった方が、観測記事なんかよりも余程タメになりますよ。ある日はアラブの石油王に会ったとか、ある日は、アマゾンの社長と会ったとか、それだけで、ダウもニッケイも大幅に動くというものです。…
 えっーー?世俗を離れた御住職にしては、随分とお詳しいですねえ。。。
…フィンク会長が日本法人の会長兼CEOを委託した井澤吉幸氏は元三井物産副社長からゆうちょ銀行の社長まで務めた人。日本法人社長の若き有田浩之氏は、一橋大を出て、を興銀(現みずほ銀行)ニューヨーク支店勤務から、同地のブラックロック本社に転職した叩き上げの人ですが、めったに報道されないので、誰も知らないでしょう。…
 ええ、確かに知らないことばかり。。。しかし、出てくるのは、日経、三井物産、みずほ銀行、ソフトバンク…と何か、皆さん、裏じゃなくて表社会で繋がっている感じがしますね。
…ムワハハハ…その通りじゃ。…
あれっ? 大禅師! 何で、飛脚便で巻物書状を送って来られながら、私の所感にすぐ反応できるのですか?
…当たり前じゃ、書状が届いたかどうか確認したワシの電話で今、繋がっとるんやないか。…
あちゃあ、これまた失礼しました!

仮想通貨で300億円も資金洗浄されたとは驚き

いやあ、驚くばかり。

先週土曜日の12日に放送されたNHKスペシャル「仮想通貨ウォーズ ~盗まれた580億円を追え!~」は、自分の知らない「ホワイトハッカー」だの「カリスマ・プログラマー」だのといった存在を初めて教えてくれ、大変興味深く見ることができました。

コインチェック社の580億円もの仮想通貨「NEM」が、恐らく国際的な犯罪集団によって、どういう手口で盗まれ、換金されていったかを追うドキュメンタリーで、仮想通貨は、もともと匿名性の強いことが利点だったのが、これを逆手に取って犯罪に使われ、結局、追跡が困難か、長期戦になることで番組は終わっおりました。

仮想通貨は2009年のビットコインの誕生が初めてらしいですが、今や、1500種も発行され、時価総額40兆円なんだそうです。これじゃあ、ちょっとした国の国家予算規模です。驚きですね。

それが、今朝14日(月)の毎日新聞のスクープによると、東京に拠点がある指定暴力団が、振り込め詐欺や違法薬物取引などで集めた収益金を仮想通貨で資金洗浄したといいます。その額、何と300億円!なんだそうです。

記事によると、仮想通貨の中の「Zcash(ジーキャッシュ」「Dash(ダッシュ)」「Monero(モネロ)」は「匿名3兄弟」と呼ばれ、特に匿名性が強いことから、悪用されやすいそうですね。

「だんご3兄弟」じゃあるまいし。。。実行犯の仲介役の中国人の男性が、匿名3兄弟を使って、複数の交換所の口座間で移動を十数回繰り返して、追跡を困難にして、2016年から計約300億円を洗浄して日本円に換えたことを毎日新聞に、匿名で証言しております。

でも、こんことしゃべったら、分かってしまうに決まってます。東京に拠点がある指定暴力団も、実行犯も、その筋の関係者だけでなく、公安、警察関係も既に把握していることでしょう。

◇◇◇◇◇

今や、小学生でも簡単なゲームやハッキングのプログラミングができてしまうという時代です。生まれたときからパソコンやスマホがある、いわゆる、「デジタル・ネイティブ」世代の時代です。

誤解を恐れずに言えば、私のようなアナログ世代とは、何か、全く別の人類に思えてきてしまいます。

「終わらなかった人」映画化 贋作「東京物語り」

大学は出たけれど、定年になって大学に入り直す男を描く壮大な家族劇「終わらなかった人」(「日の入り」連載の外館牧子原作のベストセラー小説が原作)が、巨匠小田安二郎のメガホンで、活動写真が撮られたそうですね。主演は、猫ひろしと黒樹瞳。華族出身の入江たか子が友情出演。6月から有楽町の邦画座を始め、全国一番館でロードショウ公開です。

築地・中村家のランチ弁当850円(京都「宮武」の日替御膳880円に対抗しました)

花の都、東京では、銀座の柳も春風に揺られている今日この頃です。

巷の弐番館ではニュース映画がかかってます。

「満洲某重大事件」のニュースの後、「車は作らない」柳瀬元秘書官が「記憶にございません」と能面のように表情一つ変えない答弁で、能吏ぶりを発揮。「私はあなたと違うんです」福田元事務次官は「全体的に見れば私はやってません。だから血税が原資の5000万円の退職金は返しません」と、高らかに宣言しています。

扨て、銀座の柳通り。

ナウいアヴェックが、モボ、モガスタイルで、ミルクホールで逢引を重ねてます。ジルバを踊って、リキュルをあおり、すっかりいい気分。でも、当時はセブンイレブンがなかった!

ソフト帽を被った彼の名前は白澤明。近くの交詢社内にある時事新報の記者。十五代目羽左衛門に似たハンサムな顔立ち。真っ赤な口紅の彼女の名前は原田節子。今はときめくエレベーターガール。今売り出し中の女優原節子似の美人さんだ。

「なあ、節ちゃん。今度の休みはキネマに行かないか。小田安二郎の『終わらなかった人』がかかるんだよ」

「へえ、題名だけだと、つまんなそうね」

「新朝社の『日の入り』に連載された小説が原作なんだよ。大学は出たけれど、定年になった田代宗助が主人公…」

「何か、余計、つまんなそう。いっそ、小田急で逃げましょか」

「節ちゃん、それじゃまるで、『東京行進曲』じゃないか」

「まあ、明さんもよく流行り唄をご存知のこと。それより、今、霞ヶ関で流行っている『接吻はらはら』とかいう遊び、どんなのか、教えてくださらない?『万朝報』のゴシップ欄に出ていたわ」

「だめだめ、子どもがそんなことに興味を持っちゃだめ。美人薄命だよ」

「なあに、それ!? チョベリバ」

「チョベリバ?」

「卍まんじ」

「節ちゃん、余計、分かんないよ」

「えへへへ、明さんも、天保生まれだから、水滸伝しか知らないんでしょ」

「あに言ってるんだか…」

赤塚公園のニリンソウ自生地

若い二人には明日がある。熱血指導マスターの掛け声で、二人は、銀座・交詢社通りの人を押し分け、搔き分け、夕陽に向かって走っていくのでした。

おしまい

京都・花街島原近くの「宮武」は旨くて安い穴場の店どす

うまいめん食い村の村長、京洛先生です。最近、横田英樹さんの教えを受けて、渓流斎日乗の乗っ取りに成功しました(笑)。
 昨日9日は、洛中でも、こんなに旨くて、安い定食を食べさせるお店があったのかあ、と感心する出来事があったので御報告させて頂きます。
 ”花の銀座”や、”東都の花街・新橋”、さらに、日本一高い高級鮮魚”を扱う築地河岸を控える所で、連日、豪勢なランチを食べている方(あたし、のことじゃん!)には信じられないでしょうが、860円で上の写真のような、旨い出汁がしみたカレイの煮つけを主肴に3、4品の小鉢がつくのですから、貴人も吃驚仰天でしょう(笑)。繁盛するのは至極当然だと思います。
 この店は、知り合いの京都府警OB氏が、「京洛先生、美味くて安い昼飯を食わせるところを案内しましょうか」と、お誘いがあり、これに素早く対応した次第です。さすが、”地回り”ですね。庶民の動静をよくご存じです(笑)。
 場所は”洛中の台所”である、京都中央卸売市場の傍でした。迂生のほかに、これまた知人の大学教授、洋画家先生も誘って、昨日朝早くからノコノコ出かけた次第です(笑)。
 「朝10時半からやっていますが、朝一番なら大丈夫ですよ」という適切な助言もあり、朝食を控え、朝・昼兼用のランチ懇談に、指定された「宮武」にまいりました。玄関は上の写真の通りです。
 同店のホームページを検索してご覧になれば分かりますが、今は歴史遺産になっており、新撰組も通い、その時、大暴れした刀傷も残る花街・島原に隣接したところで、食事後はちょっとした歴史探索も出来ます。
 10時30分からの”朝食・昼食ランチ”でしたが、出てきたおかずの多さには一堂吃驚しました。ご飯もお替り自由です。
 日替御膳の「カレイの煮付」は期待通り、甘辛く煮込んであり、玉子もたっぷりついて大満足でした。おかずも、それぞれ、下ごしらえが十分してあるのがよく分かり、味がしみて、美食家の洋画家先生は「これは、嬉しいですね、毎日、食べに来たくなりますね」。大学教授も「860円でこれだけの料理が食べられるのですから、朝からお客さんが大勢来るのは当然です。旨くて、安い店は皆さんよく知っていますね」と感心しきりでした(笑)。
 店内には、ちょとした中庭があり、夜は予約もOKで、府警OB氏は「夜は店の入口が薄暗くて、風情が漂いますよ。値段も、そんなに高くありませんから」とのアドバイスもありました。
 同店のコンセプトは、「料亭クラスに限りなく近い旬の魚料理を居酒屋としてお出しする」という事で、魚のプロとして厳選された新鮮な素材に拘り、旬の魚を使用した料理を一人でも多くのお客様に堪能してもらうのが目標なんだそうです。
 
  歴史散歩好きの渓流斎先生が次回、上洛された折は「宮武」及び、島原界隈をご案内しましよう。
 以上
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京都国立博物館の「池大雅展」は見どころ一杯

渓流斎先生ともあろう人が、じゃあーなりすとを気取っておきながら、よっぽど才能が劣化したのか、ネタが尽きたように思われますので、またまた、いつものように、タネをご提供申し上げましょう。
あ、申し遅れましたが、皆様ご存知の京洛先生です。
  迂生は、連休中に京博の「池大雅展」を見てきましたが、4月29日の祝日は、がら空きで、国宝、重文多数をゆっくり見ることができました。
 文豪川端康成が愛藏した国宝「十便十宜」(川端康成記念會蔵)は、大雅と与謝蕪村の合作ですが、確かに川端が手元に置いておきたかった名品、優品であるのが分かりました。
  来場者が少ないので、ガラスケース越しに、ゆっくり15分くらい、自分の所有物のように眺めることができました(笑)。
 このほか、国宝「楼閣山水図屏風」(東博蔵)、国宝「山水人物図襖」(遍照光院蔵)や、重文「蘭亭曲水・龍山勝会図屏風」(静岡県立美術館蔵)、重文「魚楽図」(京博蔵)、重文「五百羅漢図」(萬福寺蔵)などなど、どれも堂々として、画面いっぱいに、大雅の心意気が伝わります。
 池大雅は本名は「池野」だそうですね。京都の銀座の下っ端役人の子供で、彼が生きた享保(1704年)から元文、寛保、延享、寛延、宝暦、明和 、安永(1780年)までの、18世紀の洛中は、ちょうど与謝蕪村、円山応挙、長澤芦雪、伊藤若冲らも活躍していた時代でした。
  大坂に住んでいた皆様ご存知の木村兼葭堂(画家、本草学者)も京都に池大雅を訪ねて、あれこれ交流し、サロン活動を繰り広げていたようです。江戸時代も、幕末に向かう前の頃ですね。
 頼山陽も18世紀後半の生まれで、大雅より年下ですが、恐らく、池大雅らの影響を受けたりしていた思います。
  会期は今月20日までですが、今から出かけてもゆっくり見られると思いますよ。
 京博の近くにある真言宗智山派総本山「智積院」にもついでに立ち寄り、躑躅(つつじ)なども撮ってきました。
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名古屋城天守が木造で復元 4年後が楽しみ

 長い連休の後は、どうもエンジンがかかりにくいもんです。仕事にも勉学にも身が入りません(苦笑)。
ということで、皆様からの投稿も交えた種々雑多の話題をー。
「最近の渓流斎ブログは実につまらん。昔はもっと誠実でひた向きで、パンチが効いたものが多かったのに、最近のものは読むに耐えません」(福岡県・A子)。
あっちゃあ、いきなり、強烈なパンチを食らいましたね。
まあ、自己弁護しません。病気のため、中断した時期が長かったせいかもしれませんけど、理由になりません。本人は、毎日、知らなかったことを知る喜びでいっぱいで、一歩ずつ前進しているつもりなんですけどねえ。。。あ、これ以上書くと本当に自己弁護になるのでやめときます。
 
玉敷神社の「藤まつり」は1本だけ
「昨日は、自宅近くの騎西・玉敷神社『藤まつり』に行って来ましたが、今年は異常気象で、例年ならGWに満開のはずの藤の花がすっかり散っておりました。見物客もガラガラで、露天商さんも町内会も当てが外れて、暇を持て余しておりました。地元観光協会の会長さんは『スマホで花がすでに散っているのがリアルタイムで分かるから、観光客が来ないんだよ。便利なのも、困ったもんだなあ」とボヤいておりました。」(埼玉県・B男)
 なるほど、地元観光業界にとっては死活問題ですからね。確かに昔は、咲いているのか、咲いていないのか、満開なのか、散ってしまったのか、最新情報のほとんどが口コミでしたからね。口コミなんか、糸電話(死語)みたいなもんですから、多くの人にそんなに正確に伝わるわけがない。
 無駄がなくなったと、言えなくもありませんけど、余裕がない生活になったということなんでしょうね。
赤塚公園(東京都板橋区)の橡の木(マロニエ)の花
「今日は朝から酷暑向けに、いち早く、クーラーの掃除に『おそうじ屋さん本当』に来てもらいました。毎年、クーラー掃除をしているのですが、おカネはかかっても、モーターが軽くなり、電気代がかなり抑えられるのです。これは案外知られていません。それに、心なしか、空気が澄んで感じられます。半日かかったので、昼飯を食いに出かけられず、どうしようかと思って、作家の松井今朝子女史のホームページを覗いたら『牛肉をマルエツで買って、タケノコの水煮と、生姜で、甘辛く作って、美味かった』と言う記事を読み、すぐ、隣の公設市場で材料を仕込んで甘辛く煮込み食しましたが、手前味噌ですが、美味かったですね。皆さん一度やってみたらどうですか(笑)。
 松井女史の実家は、京都・祇園の高価な料理屋『川上』ですが、此処のメニューの百分の一のおカネで出来るのですから安いものです(笑)。松井今朝子女史のHPの料理献立はアナですよ」(香川県・K男)
早速、 松井今朝子女史ホームページ を私も覗いてみることにしました。確かに、美味しそうで、男でも手軽に出来そうな料理がいっぱい載ってますね。松井さんは「今ごはん、昔ごはん」などたくさんの料理関連本を出版されているようで、実家が実家だけに、お料理は得意なんでしょうね。
 このホームページを覗きますと、松井先生はしょっちゅう趣味の乗馬をされていて、その帰りに大宮(さいたま市)の馴染みのお店に立ち寄って、食材などをお求めになっているようです。
名古屋城
 あまり、人様から頂いた投稿ばかりでお茶を濁してはいけませんので、私も一言。
 私も今年3月に行ったばかりの尾張名古屋城天守が、木造復元のため、昨日7日で入場禁止になった、というニュースには驚きました。全く知りませんでしたね。再公開は2022年末といいますから、4年後じゃありませんか!
 嗚呼、無理して行ってよかった。(行ってない皆さんはごめんなさい。)
 皆さんよくご存知の通り、名古屋城は戦前、城郭では国宝第1号に指定されましたが、1945年に米軍による空爆で焼失してしまいました。文化財遺産を平気で破壊するような国は歴史観がない野蛮な国と断言します。
 多くの新聞は、「戦災により焼失」だの、「空襲により焼失」だのと、主体を書かずに、曖昧にぼやかしてますが、はっきりと「米軍による」と書かなきゃなりません。
 マスコミは、どうしても、こうも主体や主語を曖昧にするのでしょうか!
 そうでなければ、なぜ米軍がそこまで追い込まれて、日本の国宝を破壊したのか、なぜ戦争が起きたのか、さえも曖昧になってしまうからです。
 名古屋城天守は1959年に鉄筋コンクリートで再建されましたが、今度は17世紀当時の図面も参考にして、しっかりと耐震に対応した木造で復元するというので、完成が楽しみです。老骨に鞭を打ってでも是非ともまた見に行きたいです。
 城巡り趣味の渓流斎与利

質屋体験記ー遊ぶ金欲しさの放蕩息子の告白

遊ぶ金欲しさと、かつ丼をペロリと平らげたいがために、半世紀以上収集してきた切手を売り飛ばして来ました(笑)。

新聞の折り込みチラシに「高価買い取り」なる宣伝文句が目の前に飛び込んできたからです。

しかも、自宅から割と近い。自転車(笑)を全速力で飛ばせば、5分程度の同じ区内です。

「スタンダード・ショップ」なんて称してますが、実態は質屋でしょう。昨日まで、団子や和菓子を売っていたのを、クレープやワッフル屋と称するようなもんです(笑)。

切手は、かなりのコレクションでしたが、高望みはしませんでした。これでも色々と研究していて、額面の7割で引き取ると喧伝する質屋もありましたが、現実の実態は高くても6割と踏んでいました。

それに、お年玉年賀葉書の当選の切手も多くあったので、2〜3割かな?と覚悟しました。タダで仕入れたようなもんですからね(勿論、元手は掛かってますが)

結局、三十代前半の若い店長は、「5割」という裁定を下しました。「もうひと声」と言いたいところでしたが、最悪の想定を上回ったので我慢しました。どうせ、遊ぶ金ですからね(笑)。

若い店長は、もっとヤクザかかった男かと思ったら、何処にでもいそうなチャラいサラリーマン風で、雇われのチイママといったタイプ(笑)。「他に何かあれば引き取りますよ」というので、古い古いブランドのバッグを思い出し、「結構傷んでるんだけど、それでも大丈夫?」と聞いたら、「超オッケーすよ」と言うので、また自宅に戻って取りに行きました。

持ち込むと、店長は「あ、これは1989年製ですね」とズバリ当てるではありませんか。もう30年近く前です。当時はバブル全盛期で、フランス製の高級バッグですから、10万円ぐらいしたかと思います。

昔は高級バッグでも、最近は、誰もが持ち歩き、流石に目立つので使うのが恥ずかしくなり、押入にしまってました。チャックの先端の飾りのようなものが一つ欠けていたので、5000円で引き取ってくれれば御の字だと思ったら、本部に相談した雇われ店長さんは、ピッタリ5000円を提示するので、即断即決でした。

これら、バッグや切手をどうするのかと思って質問したら、この業者は、ネットオークションに懸けるか、最近めっきり増えた中国人や韓国人やアセアン諸国の観光客に、修繕せずにそのまま販売するんだそうです。

それが飛ぶように売れるんだとか!

私自身は、腐ってもネットオークションはやらないので、別に構いませんが、どれだけ外国人観光客にマージンを付けるのかは少し興味あります。

5000円で売った元私のバッグですが、恐らく7000円以上で売られるんじゃないないかなあ、と勝手に想像しながら、「大金が入ったことだし、かつ丼でもペロリと平らげるか」と藪蕎麦まで自転車を走らせるのでした。

おしまい

【京都の旅】西陣 今宮神社の「今宮祭」

こんにちは、皆さん。
迂生は”西陣のお祭り”と言われる、今宮神社の「今宮祭」が、5日から行われるので、一足先に、昨日、同神社に参拝に行ってきました。
 ポスターにあるように「神幸祭(しんこうさい)」は、5日、6日が「湯立祭(ゆたてさい)」、13日は「還幸祭(かんこうさい)」です。
 神幸祭は三基の神輿を中心に大勢の人が氏子区域を行列して歩き廻ります。
「湯立祭」は、同神社の境内で大釜にお湯沸かし、神楽女が笹の束を熱湯にくぐらせ、勢いよく参拝客に笹からしたたるお湯を浴びせかけます。お湯を浴びると、「無病息災」に過ごさせるという習わしです。例年、大釜の周りには、大勢の参拝の人が集まるのですが、今年も大勢の人がお湯を浴びにやってくると思いますね。
 今宮神社は正暦5年(994年)創建ですが、”玉の輿神社”の異名もあります。なぜだか分かりますか? 江戸時代、西陣の八百屋の娘の「お玉さん」が徳川家光の側室になり、お玉さんは5代将軍綱吉を生みます。
  あの有名な「桂昌院」です。女性乍ら「従一位」まで、位を昇りつめたわけですね。庶民の出身でしかも女性がここまで出世したわけで、文字通り「玉の輿」です。桂昌院は京都のいろんな神社仏閣に寄進していますが、信心深い人だった、と言えるでしょう。
  もし、皆さんに愛嬢がおられ「玉の輿」にのられる可能性があれば、一度、今宮神社に”お宮参り”されたらどうでしょうか(笑)。
 同神社の参道には、千年は続くという、あぶり餅のお店が二軒あります。「いち和」と「かざりや」です。
白味噌を使い、炭火で香ばしく焼いた、あぶり餅の味は、何とも言えません。
 「いち和」は創業1000年、「かざりや」は400年です。「いち和」は、もともとは「一文字屋和舗」が正式名称だったのですが、いまでは略して「いち和」になっています。
 昨日は「かざりや」で食べましたが、両者で、味が微妙に違うようです。「かざりや」の方が、少しだけ辛いような気がします。いずれにしろ、1000年、400年も続くというのは大変なことです。

 商売は時代によっては、浮き沈みがあり、道楽息子がいたりして、おかしくなり廃業する、と思うのですが、それだけ「商い」を続けられる、というのは凄いことですね。

昨日も、「かざりや」は、お客さんで一杯でした。時代劇のロケにも頻繁に使われていますが、新緑に囲まれて、境内周辺は、紅葉の青葉が際立っていました。

  この近所の新大宮通には「さかい」という冷やし中華の美味い店があります。今度、上洛されたらご案内しましょう。
以上 うまいめん食い村の村民第1号こと京洛先生でした。
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ギブソン破綻と大陸新報と記者の劣化

私は、少年の頃、ギター小僧でしたから、フェンダーやマーチン、ギブソンと聞くと、襟を正したくなります。

当時でも20万円、30万円は軽くしましたから、とても手に届くはずがなく、憧れの的でした。

ですから、昨日(米時間5月1日)、「ギブソンが破綻した」というニュースを聞いた時は本当に驚き、悲しくなりました。「ギブソンが危ない」という憶測記事が数週間前に流れていたので、覚悟はしておりましたが、やはり、寂しい。米裁判所に連邦破産法11条(日本の民事再生法)の適用を申請したらしく、負債は最大5億ドル(550億円)だとか。

5月2日付朝日新聞夕刊の記事によると、ギブソン破綻の原因は、ギターをあまり使わない「ヒップホップ」が人気を集める一方、ロック音楽が低迷し、エレキギター市場も縮小傾向が続いていたからなんだそうです。そのせいで、ギブソンは、日本のティアックなど音響メーカーを買収して多角経営を図ったのですが、それも裏目に出たようです。(再建後は、ギター製造に専念するらしい)

ギブソンは1894年創業といいますから、ロックなんてありません。もともとは、カントリーやジャズ、ブルースギターを中心に始めたのでしょうが、記事を書いたのは若い記者のせいか、一言も触れていません。ギブソンを愛用したギタリストとして、「ルシール」と名前を付けて愛用したB・Bキングは当然出て来なければならないし、何と言っても、レスポールギターの生みの親である名ギタリストのレス・ポールは最重要人物です。恐らく、若い記者は知らなかったのではないでしょうか。

批判ついでに、同じ朝日新聞夕刊の社会面に「戦時下の上海  幻の雑誌」「井伏・壷井ら有名作家ずらり」といった見出しで、太平洋戦争末期に上海で発行され、これまで「幻の雑誌」とされてきた日本語の雑誌が北京などで見つかり、その内容が明らかになった、と報じてます。

北京の図書館で見つかった雑誌は、月刊「大陸」で、これまで日本の公共図書館では所在が確認できなかったといいます。そこには井伏鱒二や壷井栄ら有名作家らも寄稿していたといいます。それはそれでいいのですが、この雑誌「大陸」について、「日本軍などの支援で創設された新聞社『大陸新報社』が1944年に上海で創刊した」としか書いておりません。

大陸新報社=朝日新聞ですよ!ブラックジョークかと思いました。山本武利さんの「朝日新聞の中国侵略」(文藝春秋)を読んでいないんでしょうかね?大陸新報は、朝日新聞が昭和14年に、帝国陸軍とグルになって、大陸利権を漁る方便として創刊した新聞なのです。侵略の急先鋒みたいなもんです。その事実をひた隠しにしているとしたら、随分と悪意がありますね。

もし、その事実を知らないで若い記者が書いたとしたら、不勉強というか、記者の質が劣化したと言わざるを得ません。

大陸新報と朝日新聞との関係を知っていて、わざと書かなかったとしたら、これはまた酷い話です。原稿を見たデスク、整理部か編成部か知りませんが、校正と見出しを付ける部署も含めて、「証拠隠滅」と言われてもしょうがないでしょう。

「新聞社崩壊」(新潮新書)を書いた畑尾一知さんが心配した通り、このままでは、記者とデスクの劣化で本当に新聞社は崩壊してしまうかもしれませんよ。

トロリーバスは覚えてない。新宿「イーグル」にて

昨晩は、高校時代の古い友人と会って歓談しました。K君が独立して社長になったというのでそのお祝いでした。も1人、S君も参加しました。

場所は、新宿の二幸の地下にあるバー「イーグル」です。えっ?二幸はもうない?そうですか、今はスタジオ・アルタとか言ってますね。もう30年近く前からですか(笑)。

イーグルは、学生時代によく行っていた店でした。あの、古き良き昭和時代を感じさせる内装は昔と変わらず。店の人にいつからやってるのか、聞いたところ「創業52年になります」と答えが返ってきました。

高校時代の同級生ですから、同い年なのですが、記憶が違うので笑ってしまいました。

友人2人は、子どもの頃、銀座や上野などではトロリーバスが走っていた、というのです。昭和初期じゃあるまいし、私は全く覚えてないのです。

「よくパンタグラフが、バチバチと火花を散らしていたのを覚えてるよ」とK君は言うのです。

私自身、銀座や日比谷で都電が走っていたのはよく覚えてますが、トロリーバスは、やはり覚えてませんね。

2人は子どもの頃は、都内の北区に住んでいたので、しょっちゅう都心に連れて行ってもらったのでしょう。私は、東京郊外の西武池袋線沿線の都下が自宅だったので、一番近い都心は池袋だったのです。

当時は、今のパルコがある所は、丸物デパートでしたが、これは2人とも覚えてました。また、池袋駅前では、片脚や片腕をなくした傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら、よく物乞いしてましたが、そのことも2人とも覚えてました。

でも、それは昭和40年前後ですから、「戦争が終わって20年経っても、いたんだなあ」とK君は感慨深げでした。

やはり、東京オリンピックが開催された昭和39年前後で、東京の街並み、雰囲気はすっかり変わってしまいました。

あと、S君が超高級腕時計ロレックスを、中古なので某国で破格の安い価格で買ったのはいいのですが、自動巻なのでメンテナンスに5万円も掛かると言われたそうです。「こんなんじゃ、もう一個買えちゃうよ」と彼も苦笑いでした。

ほんなこんなで、くだらないバカ話をしているうちに、4時間も長居してしまいました。

エスカルゴなんかちょっと変わったおつまみを頼み、一杯300円のジムビーンの水割りを7〜8杯も呑んでしまいました(笑)。