仮想通貨で300億円も資金洗浄されたとは驚き
いやあ、驚くばかり。
先週土曜日の12日に放送されたNHKスペシャル「仮想通貨ウォーズ ~盗まれた580億円を追え!~」は、自分の知らない「ホワイトハッカー」だの「カリスマ・プログラマー」だのといった存在を初めて教えてくれ、大変興味深く見ることができました。
コインチェック社の580億円もの仮想通貨「NEM」が、恐らく国際的な犯罪集団によって、どういう手口で盗まれ、換金されていったかを追うドキュメンタリーで、仮想通貨は、もともと匿名性の強いことが利点だったのが、これを逆手に取って犯罪に使われ、結局、追跡が困難か、長期戦になることで番組は終わっおりました。
仮想通貨は2009年のビットコインの誕生が初めてらしいですが、今や、1500種も発行され、時価総額40兆円なんだそうです。これじゃあ、ちょっとした国の国家予算規模です。驚きですね。
それが、今朝14日(月)の毎日新聞のスクープによると、東京に拠点がある指定暴力団が、振り込め詐欺や違法薬物取引などで集めた収益金を仮想通貨で資金洗浄したといいます。その額、何と300億円!なんだそうです。
記事によると、仮想通貨の中の「Zcash(ジーキャッシュ」「Dash(ダッシュ)」「Monero(モネロ)」は「匿名3兄弟」と呼ばれ、特に匿名性が強いことから、悪用されやすいそうですね。
「だんご3兄弟」じゃあるまいし。。。実行犯の仲介役の中国人の男性が、匿名3兄弟を使って、複数の交換所の口座間で移動を十数回繰り返して、追跡を困難にして、2016年から計約300億円を洗浄して日本円に換えたことを毎日新聞に、匿名で証言しております。
でも、こんことしゃべったら、分かってしまうに決まってます。東京に拠点がある指定暴力団も、実行犯も、その筋の関係者だけでなく、公安、警察関係も既に把握していることでしょう。
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今や、小学生でも簡単なゲームやハッキングのプログラミングができてしまうという時代です。生まれたときからパソコンやスマホがある、いわゆる、「デジタル・ネイティブ」世代の時代です。
誤解を恐れずに言えば、私のようなアナログ世代とは、何か、全く別の人類に思えてきてしまいます。
「終わらなかった人」映画化 贋作「東京物語り」
大学は出たけれど、定年になって大学に入り直す男を描く壮大な家族劇「終わらなかった人」(「日の入り」連載の外館牧子原作のベストセラー小説が原作)が、巨匠小田安二郎のメガホンで、活動写真が撮られたそうですね。主演は、猫ひろしと黒樹瞳。華族出身の入江たか子が友情出演。6月から有楽町の邦画座を始め、全国一番館でロードショウ公開です。
築地・中村家のランチ弁当850円(京都「宮武」の日替御膳880円に対抗しました)
花の都、東京では、銀座の柳も春風に揺られている今日この頃です。
巷の弐番館ではニュース映画がかかってます。
「満洲某重大事件」のニュースの後、「車は作らない」柳瀬元秘書官が「記憶にございません」と能面のように表情一つ変えない答弁で、能吏ぶりを発揮。「私はあなたと違うんです」福田元事務次官は「全体的に見れば私はやってません。だから血税が原資の5000万円の退職金は返しません」と、高らかに宣言しています。
扨て、銀座の柳通り。
ナウいアヴェックが、モボ、モガスタイルで、ミルクホールで逢引を重ねてます。ジルバを踊って、リキュルをあおり、すっかりいい気分。でも、当時はセブンイレブンがなかった!
ソフト帽を被った彼の名前は白澤明。近くの交詢社内にある時事新報の記者。十五代目羽左衛門に似たハンサムな顔立ち。真っ赤な口紅の彼女の名前は原田節子。今はときめくエレベーターガール。今売り出し中の女優原節子似の美人さんだ。
「なあ、節ちゃん。今度の休みはキネマに行かないか。小田安二郎の『終わらなかった人』がかかるんだよ」
「へえ、題名だけだと、つまんなそうね」
「新朝社の『日の入り』に連載された小説が原作なんだよ。大学は出たけれど、定年になった田代宗助が主人公…」
「何か、余計、つまんなそう。いっそ、小田急で逃げましょか」
「節ちゃん、それじゃまるで、『東京行進曲』じゃないか」
「まあ、明さんもよく流行り唄をご存知のこと。それより、今、霞ヶ関で流行っている『接吻はらはら』とかいう遊び、どんなのか、教えてくださらない?『万朝報』のゴシップ欄に出ていたわ」
「だめだめ、子どもがそんなことに興味を持っちゃだめ。美人薄命だよ」
「なあに、それ!? チョベリバ」
「チョベリバ?」
「卍まんじ」
「節ちゃん、余計、分かんないよ」
「えへへへ、明さんも、天保生まれだから、水滸伝しか知らないんでしょ」
「あに言ってるんだか…」
赤塚公園のニリンソウ自生地
若い二人には明日がある。熱血指導マスターの掛け声で、二人は、銀座・交詢社通りの人を押し分け、搔き分け、夕陽に向かって走っていくのでした。
おしまい
京都・花街島原近くの「宮武」は旨くて安い穴場の店どす
京都国立博物館の「池大雅展」は見どころ一杯
名古屋城天守が木造で復元 4年後が楽しみ
「最近の渓流斎ブログは実につまらん。昔はもっと誠実でひた向きで、パンチが効いたものが多かったのに、最近のものは読むに耐えません」(福岡県・A子)。
玉敷神社の「藤まつり」は1本だけ
「昨日は、自宅近くの騎西・玉敷神社『藤まつり』に行って来ましたが、今年は異常気象で、例年ならGWに満開のはずの藤の花がすっかり散っておりました。見物客もガラガラで、露天商さんも町内会も当てが外れて、暇を持て余しておりました。地元観光協会の会長さんは『スマホで花がすでに散っているのがリアルタイムで分かるから、観光客が来ないんだよ。便利なのも、困ったもんだなあ」とボヤいておりました。」(埼玉県・B男)
「今日は朝から酷暑向けに、いち早く、クーラーの掃除に『おそうじ屋さん本当』に来てもらいました。毎年、クーラー掃除をしているのですが、おカネはかかっても、モーターが軽くなり、電気代がかなり抑えられるのです。これは案外知られていません。それに、心なしか、空気が澄んで感じられます。半日かかったので、昼飯を食いに出かけられず、どうしようかと思って、作家の松井今朝子女史のホームページを覗いたら『牛肉をマルエツで買って、タケノコの水煮と、生姜で、甘辛く作って、美味かった』と言う記事を読み、すぐ、隣の公設市場で材料を仕込んで甘辛く煮込み食しましたが、手前味噌ですが、美味かったですね。皆さん一度やってみたらどうですか(笑)。松井女史の実家は、京都・祇園の高価な料理屋『川上』ですが、此処のメニューの百分の一のおカネで出来るのですから安いものです(笑)。松井今朝子女史のHPの料理献立はアナですよ」(香川県・K男)
質屋体験記ー遊ぶ金欲しさの放蕩息子の告白
遊ぶ金欲しさと、かつ丼をペロリと平らげたいがために、半世紀以上収集してきた切手を売り飛ばして来ました(笑)。
新聞の折り込みチラシに「高価買い取り」なる宣伝文句が目の前に飛び込んできたからです。
しかも、自宅から割と近い。自転車(笑)を全速力で飛ばせば、5分程度の同じ区内です。
「スタンダード・ショップ」なんて称してますが、実態は質屋でしょう。昨日まで、団子や和菓子を売っていたのを、クレープやワッフル屋と称するようなもんです(笑)。
切手は、かなりのコレクションでしたが、高望みはしませんでした。これでも色々と研究していて、額面の7割で引き取ると喧伝する質屋もありましたが、現実の実態は高くても6割と踏んでいました。
それに、お年玉年賀葉書の当選の切手も多くあったので、2〜3割かな?と覚悟しました。タダで仕入れたようなもんですからね(勿論、元手は掛かってますが)
結局、三十代前半の若い店長は、「5割」という裁定を下しました。「もうひと声」と言いたいところでしたが、最悪の想定を上回ったので我慢しました。どうせ、遊ぶ金ですからね(笑)。
若い店長は、もっとヤクザかかった男かと思ったら、何処にでもいそうなチャラいサラリーマン風で、雇われのチイママといったタイプ(笑)。「他に何かあれば引き取りますよ」というので、古い古いブランドのバッグを思い出し、「結構傷んでるんだけど、それでも大丈夫?」と聞いたら、「超オッケーすよ」と言うので、また自宅に戻って取りに行きました。
持ち込むと、店長は「あ、これは1989年製ですね」とズバリ当てるではありませんか。もう30年近く前です。当時はバブル全盛期で、フランス製の高級バッグですから、10万円ぐらいしたかと思います。
昔は高級バッグでも、最近は、誰もが持ち歩き、流石に目立つので使うのが恥ずかしくなり、押入にしまってました。チャックの先端の飾りのようなものが一つ欠けていたので、5000円で引き取ってくれれば御の字だと思ったら、本部に相談した雇われ店長さんは、ピッタリ5000円を提示するので、即断即決でした。
これら、バッグや切手をどうするのかと思って質問したら、この業者は、ネットオークションに懸けるか、最近めっきり増えた中国人や韓国人やアセアン諸国の観光客に、修繕せずにそのまま販売するんだそうです。
それが飛ぶように売れるんだとか!
私自身は、腐ってもネットオークションはやらないので、別に構いませんが、どれだけ外国人観光客にマージンを付けるのかは少し興味あります。
5000円で売った元私のバッグですが、恐らく7000円以上で売られるんじゃないないかなあ、と勝手に想像しながら、「大金が入ったことだし、かつ丼でもペロリと平らげるか」と藪蕎麦まで自転車を走らせるのでした。
おしまい
【京都の旅】西陣 今宮神社の「今宮祭」
商売は時代によっては、浮き沈みがあり、道楽息子がいたりして、
昨日も、「かざりや」は、お客さんで一杯でした。
ギブソン破綻と大陸新報と記者の劣化
私は、少年の頃、ギター小僧でしたから、フェンダーやマーチン、ギブソンと聞くと、襟を正したくなります。
当時でも20万円、30万円は軽くしましたから、とても手に届くはずがなく、憧れの的でした。
ですから、昨日(米時間5月1日)、「ギブソンが破綻した」というニュースを聞いた時は本当に驚き、悲しくなりました。「ギブソンが危ない」という憶測記事が数週間前に流れていたので、覚悟はしておりましたが、やはり、寂しい。米裁判所に連邦破産法11条(日本の民事再生法)の適用を申請したらしく、負債は最大5億ドル(550億円)だとか。
5月2日付朝日新聞夕刊の記事によると、ギブソン破綻の原因は、ギターをあまり使わない「ヒップホップ」が人気を集める一方、ロック音楽が低迷し、エレキギター市場も縮小傾向が続いていたからなんだそうです。そのせいで、ギブソンは、日本のティアックなど音響メーカーを買収して多角経営を図ったのですが、それも裏目に出たようです。(再建後は、ギター製造に専念するらしい)
ギブソンは1894年創業といいますから、ロックなんてありません。もともとは、カントリーやジャズ、ブルースギターを中心に始めたのでしょうが、記事を書いたのは若い記者のせいか、一言も触れていません。ギブソンを愛用したギタリストとして、「ルシール」と名前を付けて愛用したB・Bキングは当然出て来なければならないし、何と言っても、レスポールギターの生みの親である名ギタリストのレス・ポールは最重要人物です。恐らく、若い記者は知らなかったのではないでしょうか。
批判ついでに、同じ朝日新聞夕刊の社会面に「戦時下の上海 幻の雑誌」「井伏・壷井ら有名作家ずらり」といった見出しで、太平洋戦争末期に上海で発行され、これまで「幻の雑誌」とされてきた日本語の雑誌が北京などで見つかり、その内容が明らかになった、と報じてます。
北京の図書館で見つかった雑誌は、月刊「大陸」で、これまで日本の公共図書館では所在が確認できなかったといいます。そこには井伏鱒二や壷井栄ら有名作家らも寄稿していたといいます。それはそれでいいのですが、この雑誌「大陸」について、「日本軍などの支援で創設された新聞社『大陸新報社』が1944年に上海で創刊した」としか書いておりません。
大陸新報社=朝日新聞ですよ!ブラックジョークかと思いました。山本武利さんの「朝日新聞の中国侵略」(文藝春秋)を読んでいないんでしょうかね?大陸新報は、朝日新聞が昭和14年に、帝国陸軍とグルになって、大陸利権を漁る方便として創刊した新聞なのです。侵略の急先鋒みたいなもんです。その事実をひた隠しにしているとしたら、随分と悪意がありますね。
もし、その事実を知らないで若い記者が書いたとしたら、不勉強というか、記者の質が劣化したと言わざるを得ません。
大陸新報と朝日新聞との関係を知っていて、わざと書かなかったとしたら、これはまた酷い話です。原稿を見たデスク、整理部か編成部か知りませんが、校正と見出しを付ける部署も含めて、「証拠隠滅」と言われてもしょうがないでしょう。
「新聞社崩壊」(新潮新書)を書いた畑尾一知さんが心配した通り、このままでは、記者とデスクの劣化で本当に新聞社は崩壊してしまうかもしれませんよ。
トロリーバスは覚えてない。新宿「イーグル」にて
昨晩は、高校時代の古い友人と会って歓談しました。K君が独立して社長になったというのでそのお祝いでした。も1人、S君も参加しました。
場所は、新宿の二幸の地下にあるバー「イーグル」です。えっ?二幸はもうない?そうですか、今はスタジオ・アルタとか言ってますね。もう30年近く前からですか(笑)。
イーグルは、学生時代によく行っていた店でした。あの、古き良き昭和時代を感じさせる内装は昔と変わらず。店の人にいつからやってるのか、聞いたところ「創業52年になります」と答えが返ってきました。
高校時代の同級生ですから、同い年なのですが、記憶が違うので笑ってしまいました。
友人2人は、子どもの頃、銀座や上野などではトロリーバスが走っていた、というのです。昭和初期じゃあるまいし、私は全く覚えてないのです。
「よくパンタグラフが、バチバチと火花を散らしていたのを覚えてるよ」とK君は言うのです。
私自身、銀座や日比谷で都電が走っていたのはよく覚えてますが、トロリーバスは、やはり覚えてませんね。
2人は子どもの頃は、都内の北区に住んでいたので、しょっちゅう都心に連れて行ってもらったのでしょう。私は、東京郊外の西武池袋線沿線の都下が自宅だったので、一番近い都心は池袋だったのです。
当時は、今のパルコがある所は、丸物デパートでしたが、これは2人とも覚えてました。また、池袋駅前では、片脚や片腕をなくした傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら、よく物乞いしてましたが、そのことも2人とも覚えてました。
でも、それは昭和40年前後ですから、「戦争が終わって20年経っても、いたんだなあ」とK君は感慨深げでした。
やはり、東京オリンピックが開催された昭和39年前後で、東京の街並み、雰囲気はすっかり変わってしまいました。
あと、S君が超高級腕時計ロレックスを、中古なので某国で破格の安い価格で買ったのはいいのですが、自動巻なのでメンテナンスに5万円も掛かると言われたそうです。「こんなんじゃ、もう一個買えちゃうよ」と彼も苦笑いでした。
ほんなこんなで、くだらないバカ話をしているうちに、4時間も長居してしまいました。
エスカルゴなんかちょっと変わったおつまみを頼み、一杯300円のジムビーンの水割りを7〜8杯も呑んでしまいました(笑)。