戦前のIBMの謎と阿保信子さんに関する情報募集

5月26日に参加した諜報研究会。第1部は、北の丸公園周辺の防諜研究所跡や近衛歩兵連隊などの跡地などを巡る「見学ツアー」でしたが、第2部は講演会でした。

講演の一つ、「戦前・戦中のIBMをめぐる日米のインテリジェンス攻防戦」は、NPO法人インテリジェンス研究所の山本武利理事長によるもので、大変興味深いお話を聴くことができました。

1911年に米ニューヨーク州で創業されたIBMは、コンピューターの世界嚆矢といいますか、ナンバーワンといいますか、知らない人は誰もいないくらい有名です。

しかし、もともとはどういう会社で、諜報機関と関係があったのか、なかったのか、謎めいたところがいっぱいあります。まず、ネットで検索しても出てこない話です。ネット上には、ほとんど会社による「公式見解」しか書かれていないからです。何しろ、2002年には、あの悪名高い世界4大会計事務所の一つプライスウォーターハウスクーパース(PwC)のコンサルティング部門を買収したぐらいですから、ますます謎めいています。

今やIBMは世界170カ国以上に拠点がありますが、山本理事長によると、IBMが日本に進出したのは昭和12年(1937年)のことです。何と、支那事変(日中戦争)が始まった年ではありませんか。IBMという社名ではなく、IBM全額出資の「日本ワットソン統計会社」として、本社を横浜市山下町に登記されます。何か、怪しい…

しかも、日本支社代表取締役(1937~40)は米国人ではなく、ベルギー人のGuy de  la Chevalerie シュバルリー。この人、その後、1944年にニューヨーク駐在のベルギー領事も務めたといいます。山本理事長の話では、この人、あまり顔かたちが分からない遠目の写真はありますが、社長なのにアップの写真はないそうです。これまた怪しい…。

「日本アイ・ビー・エム50年史」では、シュバルリーは、欧州IBM支社から派遣され、初来日で、日本語が不自由だったと書かれているのに、山本理事長がワシントンで発掘したOSS(CIAの前身)資料によると、彼は、1931~35年、東京駐在ベルギー大使の秘書で、満洲、モンゴルを訪問したことがあり、フランス語と英語と日本語を話す、とまで書かれているのです。

山本理事長は、一橋大と早稲田大学の名誉教授という学者ですから、「彼が日本滞在中に米国の情報機関と接触したかどうか分からず、恐らくスパイではなかっただろう」と学術的に冷静に分析しておりますが、IBM、つまり日本ワットソン統計会社の顧客には中島飛行機や立川飛行機、三菱重工業などの軍需産業もいたことから、機密情報を把握していたことは確かでした。恐らく、彼はニューヨーク滞在中、米情報機関からの要請で、情報を伝えたのではないかと推測しておりました。

最後に山本理事長は「諜報員といえば、ゾルゲのようにジャーナリストに身を隠して活動を行う者が多いと思われがちですが、技術者や産業分野の方で多く活動していたのではないか」と推測していました。

確かに、スパイですから、余程のことがない限り、身元は最後まで分かりませんからね。大変興味深い話でした。

講演が終わって、普段でしたら、顔を合わせたくない人もいたりして、あまり積極的に参加することはないのですが、今回は特別な理由があって、懇親会にも参加しました。

話は今年1月に遡ります。この《渓流斎日乗》を読んだある読者の方から私にメールがあったのです。東北地方にお住まいのMさんという方です。

…2017年10月1日の「関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関」を拝読いたしました。
私の叔母は軍属として、ハルビン特務機関情報部教育隊に所属していたようです。ハルビン特務機関長は、土居明夫特務機関長(秋草特務機関長の前任)でした。叔母は、21歳でハルビンで殉職したのだと思っています。(勲八等瑞宝章の叙勲となっていたので殉職と思いました。)死亡年月日は、昭和19年9月20日、身分は陸軍軍属(雇員)です。
叔母の名前は、阿保 信子(あぼ・のぶこ)で、私はその甥に当たります。父は満鉄に勤めていて、終戦で中国での強制労働後、復員してます。叔母は、私の父の影響で満洲にいき、ハルビン特務機関に採用されています。

ハルビンでの葬儀には、陸軍大臣、教育総監、参謀総長、関東軍司令官、ハルビン特務機関長の立札があります。(当時の葬儀写真あります。)
推測では、教育総監の立札から、情報部教育隊(471部隊)に所属し、日ソ開戦にそなえての諜報活動、宣撫活動において、殉職したのではと思っています。(通知された、死亡状況は戦病死、死亡場所はハルビン第1陸軍病院と記載)

当時の状況を詳しく知りたいと思って、あらゆる方面に問い合わせいたしましたが不明とのことでした。なにかヒントになることは、ありませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。…

私のブログは玉石混交(笑)で、色んな話題を追っていますが、よくこのような超真面目なお問い合わせが寄せられるのです。

この件については、私の力ではなどうしようもないので、私の知る限りの専門家に問い合わせてみることにしました。

まず、諜報関係から731石井細菌部隊に至るまで尋常ではないくらい精通されている比較政治学・現代史が専門の加藤哲郎一橋大学名誉教授に聞いてみましたが、手掛かりがなかったようでした。

ハルビンといえば、哈爾濱学院ですから、哈爾濱学院同窓会の事務局長を務めている宮さんに問い合わせてみたところ、「471部隊、ハルビン特務機関でも検索して調べましたが、どれも阿保信子さんという該当者はいませんでした。正規の学院生には女性はいません。特修科、専攻科に女性がいたのか不明です。」などといった丁寧な回答を寄せて頂きました。

1月下旬。最後に残った専門家が、NPO法人インテリジェンス研究所の山本武利理事長です。山本先生は非常に真摯な方で、丁寧に答えてくださいました。

 「私の持っている関東軍情報部の名簿は昭和20年6月頃のものです。Mさまの叔母さまは昭和19年に亡くられていますので、残念ながら名簿では見出せませんでした。471部隊は重要な機関で、私の本にも頻出しますが、実態はよくつかめません。叔母さまの情報を教えていただければ、私も助かりますし、叔母さまの今後の探求の手がかりになります。よろしくMさまにお伝えください」と直ぐお返事がありました。

 そこで、Mさんも交えて小生と山本先生と3人でお会いしようということになり、機会を作ったのですが、2回ほど流れてしまい、やっと今回の講演会の後の懇親会でお会いすることになったのでした。

 ところが当日。Mさんが見つからず、受付の人に「Mさんという人は来てましたか?」と聞いたところ、「懇親会は欠席してお帰りになったようです」というので、仕方ないので、山本先生にご挨拶して帰宅しようとしたら、当のMさんが山本先生の傍にいるではありませんか。拍子抜けしてしまいました。

 Mさんは、大変几帳面な方で、御自分の足で厚労省や公文書館などに行って名簿を取り寄せたり、先日公開されたばかりの731石井細菌部隊の名簿の閲覧を希望して今長い順番を待っているところです、などいった話をされてました。

持参された写真も見せてもらいましたが、確かにハルビンで行われた叔母さまの葬儀では、陸軍大臣や教育総監らからの花輪も掲示され、単なる21歳の女性軍属ではなく、何か特務機関で重要な使命を帯びた方だったようにも見受けられました。

この拙文を読まれた方で、阿保信子さんについて何か少しでも御存知の方がいらっしゃったら、コメントして頂ければ幸甚です。

諜報研究会の見学ツアー 「九段下〜北の丸公園」

江戸城 清水門

5月26日(土)は、NPO法人インテリジェンス研究所が主催する見学ツアーに参加してきました。

前回、高田馬場の戸山公園近辺にある石井731細菌部隊関連の史跡を辿ったツアーでしたが、今回は、九段下の北の丸公園近辺にある近衛歩兵連隊など昭和史だけでなく、江戸、明治時代関連の史跡も沢山見ることができました。

軍人会館

午前10時50分、麹町警察署九段下交番前集合。老若男女、30人ぐらいが参加しました。

まずは、すぐ隣の九段会館へ。1934年2月に、軍人会館として建立されました。総工費272万円だったとか。

昭和11年の「2.26事件」の際に、戒厳令司令部(中将香椎浩平・司令官)にもなりました。

2011年の東日本大震災で天井壁が落下して、お亡くなりになった方もいらして、今も耐震改修中です。

防諜研究所跡

極秘のスパイを養成する陸軍中野学校は、軍人会館近くの愛国婦人会本部裏に「防諜研究所」として設立されました。(勿論、防諜研究所跡の碑はなし)

清水門と牛ヶ淵

目の前は江戸城の内堀の牛ヶ淵。隣は、九段精華高等女学校(空襲で消滅。戦後もGHQの許可下りず、復校ならず)。

「愛国婦人会」と「九段精華学校」の碑はありました。

大隈重信候 雉子橋邸跡

防諜研究所跡前の道路を隔てたところにある大隈重信の屋敷跡。

ここに住んでいた頃は、大蔵卿だったようです。(後で関連話が出てきます)

憲兵司令部・東京憲兵隊跡

大隈重信の屋敷跡の北隣は、現在、合同庁舎になってますが、かつて、泣く子も黙る憲兵さんの司令部があったところでした。現在は、合同庁舎に東京地検と関東公安調査局が入居していたので、思わず苦笑してしまいました。

日本は誠に伝統を重んじる国です。《渓流斎日乗》も検閲しているのかしら?

憲兵司令部は、昭和10年に大手門前からこの地に移転してきましたが、ここは、元は、フランス大使館の敷地跡だったとか。

吉田茂像

憲兵司令部跡から、清水門(これは必見!国の重要文化財)を通過、というか、坂道階段を登って、北の丸公園へ。

何故かしら、最近、公明党さえ責任問題を追及し始めた麻生財務相の母方祖父の吉田茂の銅像へ。

吉田茂は戦中、東条首相に歯向かったことから、戦後は英雄扱いでしたが、実はそうでもなかったという大宅壮一の文章を引用して、主催者は説明してくれました。

近衛歩兵第二連隊跡

近衛歩兵第一連隊跡

近衛兵は、勿論、天皇陛下を御守りする最後の砦のような兵ですから、宮城(皇居)から目と鼻の先のこの北の丸に設置され、全国から最も優秀な人材が選ばれました。

明治に設置され、先の敗戦で消滅しましたが、この近くに近衛砲兵大隊もありました。明治11年(1878年)に竹橋事件が起きた所です。

昭和時代の「5・15事件」や「2・26事件」など青年将校らによる反乱はよく知られておりますが、竹橋事件についてはあまり知られてないので、少しブリタニカ大百科事典を引用させて頂きます。

【竹橋事件】明治初年の陸軍兵士の反乱事件。 1878年8月 23日竹橋 (現東京都千代田区北の丸公園) 在営の近衛砲兵隊二百数十人が,西南戦争恩賞遅延を理由に決起し,隊長,士官を殺害。大蔵卿大隈重信邸を襲撃し,仮皇居 (現在の迎賓館赤坂離宮) 門前で天皇に直訴しようとしたが,同日東京鎮台兵の手で鎮圧された。陸軍裁判所は,同年 10月 15日に死刑 53人,準流刑 118人,その他の刑を宣告。死刑はただちに執行された。この事件をきっかけとして政府は「軍人訓誡」「軍人勅諭」を発布し,軍律強化に努めた。(引用終わり)

ほら、先程の大蔵卿大隈重信邸まで出てきたではありませんか!死刑53人とは只事ではありませんね。

しかも、舞台になったのが、宮城と目と鼻の先の近衛砲兵大隊ですから、山縣有朋ら明治新政府は焦ったでしょう。死刑の数の多さは見せしめの意味もあったんでしょう。

江戸幕府を倒してまだ10年しか経ってませんからね。

しかし、鎮圧に成功した新政府は、この後、「明治十四年の政変」などを経て、薩長への権力集中を確立し、藩閥政治を成就していくわけですね。

昭和天皇御野立所(おのだてしょ)碑

最後にお導き頂いたのが、昭和天皇御野立所。昭和天皇が昭和5年、関東大震災後の帝都復興の様子を視察された所だというのですが、何でこちらをご紹介して頂いたのか、よく分かりませんでした。

いや、そんなこと言ってはいけませんね(笑)。これらツアーは、資料まで配布してくださり、無料だったのですから。

ガイドして頂いた正田先生、山本先生有難う御座いました。

【追記】ちなみに、北の丸公園は、都心のオアシスです。緑豊かで目の保養になる中、一人ベンチでお昼のおにぎりを食べましたが、最高でした!

また、さすがに、九段下、飯田橋近辺は、歴史の宝庫でした。榎本武揚が始めた北辰社牧場(牛乳を販売)跡や、肥前藩士だった佐野常民が創設した日本赤十字社跡、徳川幕府が創設した蕃書調書(明治になり帝国大学に発展)などもありました。もっと探索したくなりました。

京都・建仁寺の湊葆州前管長の「13回忌法要」

こんにちは。皆さまご存知の京洛先生です。

昨日は、京都五山の「建仁寺」の湊葆州(素堂)前管長の「13回忌法要」に伺い、ご焼香をしてきました。

 「7回忌法要」の時も、《渓流斎日乗》に、その様子を御報、掲載されましたが、その後、他の貴重な日記、写真とともに、諸般の事情から、雲散霧消、電脳空間から潰え去りました。

 ですから、本日は、改めて、お坊さんというか、高僧の「法要」の様子を御報します。

 昨日は午前10時から、皆さまもご存知の建仁寺で、僧侶、在家、檀信徒らおよそ400人が参列して、法要が、粛々と営まれました。貴人も、かって、ご覧になった事もある、創建800年(平成14年)を記念して、小泉淳作画伯が天井に描いた「双龍図」がある「法堂」が法要のメイン会場です。

 湊老師の弟子であり、同寺の小堀泰巌現管長が導師になり、臨済宗の各派本山の管長さん、高僧ら百人余が読経されましたが、お坊さんが大勢でお経をあげられるのは写真とおりで実に壮観です

 在家の迂生は、法堂内で、椅子に座って、お経を聞きながら、手を合わせ、廻し香で、済みましたが、お坊さんたちはお経を唱えながら、一時間弱、堂内をグルグル回られるのですから、高齢の方は大変だと思います。日頃、修行をされているから、大丈夫でしょうが、俗世間の高齢者ではとても務まらない、と思いましたね。

 食事のお斎(おとき)も、在家は、部屋で座って、食べるのが、苦痛なお年寄りが多いようで、「椅子に座る方がよろしおすなあ」と注文をつける人もいました(笑)。これも洋風の暮らしに慣れた現代人の成れの果て、結末だと思いますが、若者をどうのこうの、言えませんね(笑)。

 迂生が、座った大広間も、正座が出来ない方が多く、胡坐をかくのすら、大儀、難儀なようです(笑)。「この間、正座して、時間をおいて、その場で立ったら、ボキッと骨が折れる感じがしたので、吃驚しましたわ」と冗談とも、いえないやりとりをしている人がいましたね。こういう席での、世間、話は、なんともいえない人生勉強です(笑)。

 法要で、「矢尾治」(検索するとどんな仕出し屋か分かります)の、精進料理が出ましたが、お箸の紙袋を写真添付しましたのでご覧ください。

 禅宗の御膳らしく「食事五観文(しょくじごかんもん)」が書いてあります。渓流斎さんは「食事五観文」はご存知ですか?

 大約すると①この食物が食膳に来るまでの、幾多の労力に感謝しよう②自らの行いについて、この食物を頂くに値するか、反省、供養して頂きましょう③誤った行いを避けるため、三毒(貪る、瞋り、痴か)の過ちはしません④食事は良き薬であり、身体を養い、健康を得る為に頂くのです⑤仏の道を進む為、この食物を頂きますーという事です。

 そして、もう一つ、大広間には、法要にあたって、湊老師の墨蹟がかかっていました。「生死事大(しょうしじだい)」、「光陰可惜(こういんおしむべし)」です。

 人間は「まだ、まだ」と思っている間に、時間は過ぎる。一刻、一刻を大事にしないといけない。この世は無常で、常に存在するものではない!、という警句ですね。

 「志」をたてたら余計なことは考えず、専心、日々、一瞬、一瞬を精進しろという事です。「もう、過去の人ですよ」なんて悠長なことを言っていてはダメですぞ(大笑い)。「喝!」です(大笑)。

 人間、長く生きたとか、短いとか、ではなく、人生、どう生きたのか、と言う事です。言うは易いのですが、実践は難しいものです。

 湊老師は、串本の「無量寺」の住職時代には蘆雪、円山応挙の美術館を境内に建てられました。

 また、埼玉県川口市芝の「長徳寺」の住職もされました。「和歌山 無量寺」、「川口市 長徳寺」で検索すると、どういうお寺か分かります。長徳寺は一度行かれると良いでしょう。色々、逸話のある古刹です。

 法要の「粗供養」で頂いた、建仁寺御用達の「松寿軒」の薯蕷饅頭、美味そうでしょう。

 うまずいめん喰い村の彦作村長がご覧になれば、「美味しそうでたまりません!」と、涎をたらたら流される、と思います。

以上

All photos Copyright par Kyoraque-sensei

日大広報が共同通信出身だとはワロタ

米倉久邦さんー。今、日本で最も有名な人物です。

日大アメフト反則事件で、内田前監督、井上前コーチの記者会見を仕切って、質問する記者に「迷惑だ」と早く打ち切るよう命じ、「そんなことしたら、日大のブランドが堕ちますよ」と反駁する記者に、きっぱりと「堕ちません!」と切り返した日大広報担当の司会者といえば、分かるかもしれません。

まさに、「傲岸不遜」「横柄」「上から目線」「無礼千万」「何様なの???」…。

どう見ても後期高齢者に見える老人。利権が盛りだくさんの日本一のマンモス大学でそれなりのポジションを確保しているこの人物は一体誰なのかー???

ちょうど、昨晩も、広島にお住まいの菅原先生と電話で話しをしていて、この話題となり、右翼の菅原先生は「じゃけん、あの広報はいいのお。しつこい記者の質問をさえぎって、面目躍如じゃ。読売新聞の出身じゃないかのお」とべた褒めでした。

やはり、どう見ても、教育界出身に見えない。どこかのマスコミ出身の匂いがするというのが、二人の一致した見解でしたが、やはり、(と繰り返しますが)マスコミ出身者で、それが共同通信出身だと聞いて、驚くやら、納得するやら。

「横柄」「傲岸不遜」「無礼千万」はまさしく共同通信らしい。。。

しかも、この米倉さん。記者としては最高の地位の論説委員長にまで登りつめた人だったんですね。1942年生まれといいますから、今年76歳。やはり、後期高齢者でしたか。きょうび、この年まで働けるのは、稀というか、奇跡に近いのが現状です。

ます、60歳過ぎればハローワークに行ってもほとんど職が見つからない。65歳過ぎればまず無理。70歳過ぎればあり得ません。

共同論説委員長まで務めた米倉さんにはそんな苦労話は無縁だったことでしょう。

多くの人は勘違いしてますが、「広報」の一番の仕事というのは、マスコミに情報を公開することではなく、逆に、いかに、スキャンダルやネガティブ情報を隠蔽することが主目的で、その手腕が問われるわけです。ですから、米倉さんの「QBを潰してこい」という内田前監督顔負けの「記者を潰してこい」という八面六臂の大活躍は皮肉な意味で賞賛に値するのです。

この方、どうやら「前科」があるらしく、日大大学関係者が、広域暴力団からお金を借りてスキャンダルになりそうになったところ、豪腕で情報を握りつぶしたらしいですね。

下衆の勘繰りと言われようが、彼の年俸が気になりますねえ。

ほとんどの人は、マスコミ業界の内幕を知らないでしょうから、これを機会に個人的感想を述べますと、東京の大手新聞・通信社と言われる8社を色分けしますと、まず、産経新聞と時事通信社は論外で、落選。昔から産経=残酷、時事=地獄と言われてきましたが、その社風と伝統は、人事面でも待遇面でも、今でも変わらないからです。

業界のトップはやはり、朝日新聞で「お殿さま」。部数がトップの読売新聞はせいぜい「外様」止まり。日本経済新聞は、そのものずばり「勘定奉行」といったところでしょう。毎日新聞は、薩長に逆賊扱いされた「会津藩」。最後に残った共同通信(=東京新聞)は「お公家さん」ですね。

なぜ、共同がお公家さんかと言いますと、全国の地方新聞社やスポーツ新聞社、テレビ、ラジオ局などからの分担金から成り立っている社団法人ですから、汗水たらして営業することはありません。オリンピックなどの一大イベントがある時は、目の玉が飛び出るほどの特別金を徴収します。ですから、共同通信の記者は、他人様に頭を下げることはなく、宣伝してほしい企業や作家やタレントや政治家や行政から「先生、先生」呼ばわりで、チヤホヤされ通しなのです。

同業他社より2~3倍の人的資源があるので、1人の原稿を書く量も忙しさも、他社と比べて半分か3分の1で済みます。そりゃあ待遇も抜群です。

「横柄」「傲岸不遜」「無礼千万」な態度は、米倉さんに限らず、共同通信の記者に多く見かけました。全員じゃありませんけどね。一部かもしれませんが、そういう甘い会社がそういう人間を育てる伝統と土壌があったというわけですね。

米倉さんの態度は、驚くに値しないわけだったのです。

あくまでも個人的な感想ですけどね(笑)。

日大は学校法人と言えるのか?

日本大学アメリカンフットボール部による反則行為が大スキャンダルになり、内田正人監督が辞任せざるを得なくなり、加害者選手が記者会見して、「監督コーチからの指示があった」と明らかにしても、昨日はとうとう、内田前監督も井上奨コーチ(この方、一見ヤクザ映画に出てきそう)も、最後まで自分たちの非を認めませんでした。

どうしてなんでしょうかね?

新聞やテレビの報道では全く意味が分からなかったのですが、本日発売の「週刊文春」を読んで、初めて事の真相が分かった次第。

かなり根が深かったんですね。単なるアマチュアの大学スポーツの問題ではなかったのです。もっともっと根が深い。なぜ、あそこまで、日本大学という組織が虚勢を張り、組織ぐるみで自己防衛を図り、弱者を切り捨て、「御本尊護持」のため、ただただ勝つためだけに、選手に反則させたり、卑劣な手段まで使わせたりしたのか。

そんな暴力体質の日大は、裏社会に通じた暴力組織と変わらないと冗談で思っていたら、冗談じゃなかったんですね。週刊文春は、日大の田中英寿理事長と広域暴力団山口組六代目司組長や住吉会の福田組長(当時)とのツーショット写真などを掲載して、暴力団との「付き合い」を示唆していたので、吃驚大仰天ですよ。

金沢城 Copyright par Sahya

この田中理事長とは、どういう人物なのかと思ったら、日大相撲部出身で、同監督・日大職員から次々と出世階段を上って、ライバルを蹴落として、ついに大学の最高権力者にまで登り詰めた人らしいのです。

週刊文春は粘着質ですから、微に入り細に入り、ネチネチと獲物を追いかけて、相手が観念するまでつきまといます。ヤワな新聞社やテレビ記者にはとてもできない芸当です(笑)。田中理事長が唯一頭が上がらない夫人優子さんは、元演歌歌手で東京・阿佐ヶ谷の駅近くで「ちゃんこ料理 たなか」を経営しています。

日大関係者によると、本来なら学校法人の最高意思決定機関は理事会なのに、日大では、この「ちゃんこ屋」での会議が重要事項の決定に左右するというのです。

びっくり、魂消たですよ。

内田前監督は、保健体育事務局長、人事部長も兼務して昨年、大学の事実上のナンバー2の常務理事に就任し、まさに、カネと人事を思いのままにできる絶大な権力を握ったそうです。気に入らない人間は、飛ばしたり、内田氏に逆らう他のスポーツ部は、予算を削ったりしたようです。

田中理事長は、大学内に利権構造をつくり、再来年にも内田常務理事に理事長職を譲って自らは院政を敷くつもりだったらしいのです。

ちゃんこ屋会議といい、利権づくりといい、まさに公私混同が甚だしいですね。(このほか、驚いたことは、本人は否定していますが、強面の井上コーチがゲイビデオに出演していたとか、被害者の関学アメフト選手の父親が、大阪維新の会所属の市会議員だったという話。たまげましたねえ)

金沢城 Copyright par Sahya

日大は、日本最大の7万人もの学生を擁するマンモス大学で、学校法人として92億6000万円もの補助金を受けているそうです。

もちろん、補助金といっても、原資は国民の血税です。ですから、この1カ月間近く、上から下まで大騒ぎしていましたが、結果的には国民として、誰でもこの問題について、とやかく言う権利があったわけですね。

大学を私物化した田中理事長や内田常任理事(とその取り巻き連中)らにとって、日大は勝つことだけが、御本尊護持のための絶対必要条件だったわけです。勝利のために反則しようが、暴力を使おうが構わないという日大の体質を見ると、教育機関というより、教育の名を借りた暴力集団。そして、利権の温床をつくったりしていますから、利潤のみを追ったハゲタカファンドのような営利至上主義のブラック企業にも見えてきます。

こんなんでは、大学と呼べないのではないでしょうか?

助成金をもらうなんておこがましい。

日大の前身日本法律学校を創設した長州藩士山田彰義も草葉の陰で泣いているのではないでしょうか。おっと、そう言えば、今年は私の嫌いな明治維新150年でしたね。

日大・内田前監督は常務理事も辞任せざるを得ないでしょう

「毎日更新」が《渓流斎日乗》の真骨頂なのに、うーん、一昨日、昨日と、少し筆が止まってしまいました(苦笑)。

酷い眼精疲労のせいもありますが、気力が劣化したのでしょう。あまり認めたくありませんが、社会の事象に対して、何となくアパシー(無感動)になってしましいました。怒りが湧いてこない!

国会は、相変わらず、モリカケ問題で、うんざりしてしまいます。人間は嘘を押し通すことができても、真実はいつか暴かれるものです。当事者たちが完全否定しても、あれから1年経って、なかったはずの公文書が出てきて、再び、疑惑を深めているんですから、既視感しかありません。安倍政権は潔く退陣するしかないでしょう。

書いてる本人は、全くの無力ですが。。。

そして、相変わらず、日本という社会の「メディアスクラム」ぶりには心底暗澹たる思いが致します。最近では、「アメフト暴行問題」です。朝から晩まで、「ああだ」「こうだ」と何処のテレビもラジオも新聞も、繰り返し同じビデオを流して、同じような報道ぶりです。日大の内田監督がすぐ謝罪すればよかったのに、初動が悪かったせいで、縺れに縺れて、日大はすっかり天下の悪徳大学となってしまいました。

本日は、加害者の日大選手が、関学の選手らに謝罪するとともに、反則行為は、監督・コーチからの指示だったことを暴露したため、大学どころか、まるで暴力団になってしまいました。ルールの中で全力を競い合うのがスポーツなのに、勝つためには反則しようが手段を選ばないのでしたら、単なる喧嘩か闘争になってしまいます。

日大の内田監督は、アメフトの監督は辞めても、日大の常務理事の椅子は留まると明言してましたが、これで、常務理事を辞めざるを得ないでしょうね。

この方、日大アメフト部出身で、あの日大アメフトの黄金時代を築いた篠竹幹夫監督に指導を受けたとありますね。70歳ぐらいに見えましたが、まだ、62歳でしたか。。。

◇◇◇◇◇

皆さんご案内の通り、私はインサイダーの人間ですから、現役時代に現場で一緒になったことがある共同通信社の宍戸記者が、日大アメフトOBということで、NHKから民放まで、朝から晩までテレビに出まくってるので感心したり、本日、日本記者クラブで行われた日大の加害者選手の記者会見で、司会進行役を務めたのが、スポニチの宮内役員で、この方、遥か大昔の東京スポーツ記者時代を知ってますが、何で、司会進行役を務めたのか理由を知りたくなったりしました。

まあ、単なるスポニチが幹事社だったからかもしれませんが(笑)。

東スポ時代の宮内さんは、色々と武勇伝がありましたが、うまずいめん食い村の赤羽村長さんの方が詳しいので、委細省略致します(笑)。

「サイボク」で、美味しい焼肉、ウインナーソーセージを堪能できました

今日は天候に恵まれる中、昨年結婚した娘夫婦が、わざわざ、埼玉県日高市のサイボク(埼玉種畜牧場)にまで連れて行ってくれ、焼肉バーベキューを御馳走してくれました。

場所は、あの安倍首相とトランプ米大統領がゴルフをした霞が関カントリー倶楽部のすぐ近くでした。

サイボクは、品質が高い上等なハムやソーセージ、豚肉で有名です。先の大戦で獣医として従軍した笹崎龍雄(1916〜2012、享年96)が、激戦地フィリピンから帰国し、敗戦翌年の昭和21年に創業したものです。食糧難の時代に将来の日本の食は豚肉ではないかという信念で創業したようです。

苦労の末、豚の品種改良などに成功し、今ではハム・ソーセージの国際コンクールなどで何十個もの金メダルに輝いています。

確かにうまい。

昨日、書いた「亜硝酸ナトリウム」や「ソルビン酸」などの添加物が入っているか気になり、販売されているハムやソーセージの原材料をチェックしてしまいましたが、やはり、発色剤としての亜硝酸ナトリウムだけは入ってました。今の日本、いや、世界の加工ハム・ソーセージの中で、亜硝酸ナトリウムのないものを見つけるのは至難の技なのかもしれません。

とにかく、広い園内には日帰り温泉やレストラン、肉屋はもちろん、野菜や蜂蜜などの販売所もあり、半日は遊べる所でした。

何と言っても、現役で仕事が忙しくてたまの休日は、休んでいたいだろうに、娘夫婦は、わざわざ、車で送り迎えまでしてくれ、本当に有り難かったです。

実は、あまり私的なことは書きたくなかったのですが、親として失格で、大したことはやって来なかったのに、ここまで親孝行してくれて、不覚にも少し泣けてきました。

「亜硝酸ナトリウム」「ソルビン酸」「リン酸塩」「トランス脂肪酸」には気をつけろ!!!

先日、週刊誌をわざわざ購入したのは、薬師寺管長のスキャンダルが読みたかったみたいな感じになってしまいましたが、本当は、「食べてはいけない『国産食品』実名リスト」という記事が気になっていたからでした。

(1)亜硝酸ナトリウム(発色剤)→発がん性物質

(2)ソルビン酸(保存料)→蕁麻疹

(3)リン酸塩(決着剤)→腎臓疾患

(4)トランス脂肪酸  →冠動脈疾患、肥満、アレルギー性疾患

の表示には、これから気を配って、なるべく買わないように心掛けようかと思ってます。

記事によると、(1)亜硝酸ナトリウムと(2)ソルビン酸の両方が入っていると、相乗毒性があるといいます。(1)亜硝酸ナトリウムと(2)ソルビン酸と(3)リン酸塩の全てが含まれるもので、比較的多かったのが「丸大食品」と「プリマハム」のハム、ソーセージ、ウインナーと名指ししてます。

やばい!あたし、しょっちゅう、スーパーで安くて手頃なので買ってました!製品の裏に貼ってある「成分」や「原材料名」など熱心に見たことなんぞありませんでした。

このほか、塩分と油分の過剰摂取で問題視されているのが、インスタント麺。食べてはいけない実名リストに、日清食品の「カップヌードル・キング」と「どん兵衛 特盛てんぷらそば」、まるか食品の「ペヤング ソースやきそば 超大盛」を挙げてます。私も、かつては、よくインスタント麺を食べてましたけど、調味料のグルタミン酸などは神経に影響があるそうです。

(4)トランス脂肪酸は、意外にもチョコレート菓子に含まれているとか。森永製菓の「チョコボール(ピーナッツ)」「小枝」、明治の「フランオリジナルショコラ」、ロッテ「コアラのマーチ」などが、槍玉に上がってます。

これを暴いた週刊新潮には、当然、お菓子屋さんやハム屋さんなどからの広告は入らず、大企業を敵に回すと大変なことになることは分かってるでしょうから、大したもんです。はっきり言って、覗き見主義の週刊新潮の論調は皮相的で、嫌いですけど、「これこそジャーナリズム」と感心しました。無くしてはいけないメディアです。

しかし、これでは食べるものがなくなってしまうと心配する人たちのために、最後に同誌は、ハム、ソーセージなら「無塩せき」と表示されたもの。コンビニでおにぎりを買うのなら、「ほぐし鮭」より、元の素材に近い「塩鮭」の方が安全性が高いと勧めてます。

ま、いつも高級食材でしか食べない皆様には関係ない話でしたね(笑)。

宗教界のトップが辞めらざるを得ない理由

昨日は、関西方面にお住まいの御住職さまが、「大変だ、大変だ、管主が辞められてしもうた」と大騒ぎしてたものですから、世界遺産にも登録されている奈良・薬師寺の村上大胤管主(71)の記事が今日発売の「週刊新潮」に出ていたので、それを早速、買ってみました。わざわざ。

いわゆる一つの不倫で、44歳の美貌の銀座のホステスが、売り込んだようですね。なんて、書き方をしてはいけませんね。何しろ、管主は、仏教の説く「不邪淫戒」を破戒していたわけですから。奥方様は闘病中だったともいわれてます。

薬師寺は、白鳳時代の680年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立したと伝えられています。宗派は、南都六宗の一つ、法相宗です。小生不勉強で知りませんでしたが、法相宗は、僧侶の「肉食妻帯」は認めれているということなのでしょうか。

薬師寺の管主ともなれば、宗教界のトップの一人ですから、法話や講話や講演、説教などで、全国の小中学校、高校大学から、一般企業、NPOに至るまで引っ張りだこでしょう。20年前に亡くなった高田好胤(1924~98)管主もテープ本が飛ぶように売れるほど大人気でしたからね。私も、中学校の修学旅行で行った際に高田管主の法話を聞いたことがあります。

週刊新潮も最近は、不倫摘発週刊誌化してきましたね。そんな風に、書いてはいけませんね(苦笑)。この週刊誌のおかげで、これまで泣き寝入りしていた女性たちが、大いに助かったことか。

築地「ふく」 さば塩定食900円

いずれにせよ、同誌は、薬師寺は年間200万人が訪れていると仮定して、拝観料の平均を800円とすれば、年間16億円の入ってくると試算してます。宗教団体ですから無税ということなので、まるまる、寺院の収入ということになるのでしょう。もちろん、伽藍の修復など必要ですが、これは、写経の納経料などで年に3億5000万円ほど入ってくるようです。

道理で、高級外車を購入したり、一晩10万円(あたしの月給じゃおまへんか)ぐらい銀座のクラブで豪遊してもビクともしないはずです。

村上元管主は、自ら高級外車ボルボのセダンを運転して、「デート」していたと事細かく書かれ、最後に「売り込んだ」ホステスは、管主と関係した回数と時間まで、週刊新潮の記者に伝えております。

ご興味ある方は是非お読みください(笑)。

でも、フト、高尚なタメになる法話や講話よりも、「金の切れ目が縁の切れ目」といった俗世間で言われる戯言の方が浮かんできて、自分で書いていても、何か暗い気持ちになってきました。。。

今、薬師寺の公式ホームページを見たら、既に村上大胤管主の名前など全て削除されていました。素早いこと!

片岡みい子さんのお導きで素晴らしい方とお会いしました

昨晩は濃厚な時間を過ごすことができました。

いや、誤解しないでください(笑)。昨晩は、わざわざカナダから帰国したその筋の日本人男性と銀座のフレンチレストランで会食し、実りのある話をお伺いし、有意義な時間を過ごすことができたというお話です。

その筋といっても、裏社会の人ではありません。れっきとした表社会の紳士です。今は引退されておられますが、現役時代は、ファッション関係とフード・コーディネーター等の仕事をされていたようです。

仮名として、杉下さんとしておきます。奇遇といいますが、偶然といいますか、必然といいますか、回りくどいので、単刀直入で言いますと、この《渓流斎日乗》を通して知り合った方でした。

このサイトで、昨年(2017年)2月7日に、おつなセミナーの仲間だった翻訳家で画家だった片岡みい子さんが亡くなったことや、その後のお別れ会のことなど実名で書かさせて頂きましたが、カナダ在住の杉下さんが、たまたま検索して見つけてそれらを読まれ、先月4月14日にわざわざ、メールで感想を投稿してくださったのです。(個人的な内容なので、投稿は公表しませんでした)

それによると、杉下さんは、片岡さんの夫で仕事のパートナーだった故正垣さんと、東京の中高一貫のエリート学園の同級生で親友だったといいます。勿論、片岡さんとは生前何度もお会いしたことがあるといいます。

なにぶん、杉下さんは現在、カナダにお住まいのため、何度かメールを交換させて頂きました。こちらが10行ぐらい送ると、100行ぐらいで返信が来るといった感じでした。どういう話の展開だったのか、力道山が刺された赤坂の「ニュー・ラテン・クオーター」や芝公園の中華料理店「留園」(汪兆銘政権を擁立した影佐機関を支援した盛一族が亡命して創業)、それにビートルズを呼んだ興行師として名を馳せたキョードー・トウキョウ創立者の永島達司さんらについて異様に詳しいというより、かなりインサイダー情報をお持ちの方で、一体、この方、どちらの組関係の方なのかと戦々恐々としてしまったわけです。

こちらも、10年近く探訪記者として、その方面だけを取材していたため、かなりの構図を普通の方より理解し、ある程度の知識はありましたが、それ以上の情報通です。

種明かしをすると、杉下さんのご尊父は、東京・赤坂などで大型のナイトクラブ数軒を経営する顔役だったというのです。杉下さんもご幼少の頃から、芸能・スポーツ関係者から政財界の大物を身近に接してきたわけです。

で、5月に久しぶりに帰国されるというので、懇談する機会をつくってくださったのです。

お会いすると驚きました。てっきり、肩で風を切って歩くような映画に出てきそうな怖い方を想像していたら、物腰も柔らかく、言葉遣いも大変丁寧な真の紳士だったのです。何と言っても、お酒は一滴も呑めないか、呑まないというんですからね。

2時間半にわたって、みっちりお話を伺ったり、こちらから一方的にしゃべったりして、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

もう半世紀近い昔の話とはいえ、色々差し障りがあるといけませんので、昨晩の会談の内容を詳しく書けないのが残念ですが、どんな方が登場したかと言いますとー。

大行社と日本青年社、ホテル・ニュー・ジャパンの横井英樹さん、ベニハナのロッキー青木さん、ポール・アンカとナツキ(後のデヴィ夫人)、サミー・デービス・ジュニア、東声会の町井さん、東日貿易の久保さん、高倉健さん、児玉さん、岸信介さん、宝塚と岡村吾一さん、田中清玄さん、銀座の福田さん、菅官房長官と藤木組といった方々、そして、3億円事件とロッキード事件の真相です。ご興味がある方は、最後に参考文献を何冊か挙げておきます。

一番驚いたのは、トランプ米大統領が、はるか昔、若き青年実業家の頃、ある若い日本人に対して行った陰徳の話でした。その日本人は、杉下さんの従兄弟に当たる人だというのです。この詳しい話もここでは書けませんので、悪しからず。(苦笑)

最後に杉下さんが強調したことは、2020年の東京五輪の選手村の食事でした。1964年の東京五輪では、杉下氏のご尊父が親しかった元日活ホテル総料理長の馬場久氏が陣頭指揮を取って、世界最高級の食事を提供したらしいのですが、今度の20年五輪は、かなりレベルが落ちる料理関係者が落札したか、しそうなんだそうです。「日本の調理業界はかなり心配してます。小池都知事にはしっかり判断してもらいたい」と杉下さんは仰ってました。

帰り、東京中のショップで探したというドイツ製のワイン「聖母=歳暮」まで手土産に頂いてしまいました。仮名ですが、杉下さん、その節は大変お世話になりました。いつか、カナダに行くようなことがあれば宜しくお願い申し上げます。コラ!(笑)。

【研究者のための参考文献】

・ロバート・ホワイティング著「東京アンダーグラウンド」(角川書店)

・山本信太郎著「東京アンダーナイト“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー」(廣済堂出版)

・山本信太郎著「昭和が愛したニューラテンクォーター ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス」(DU BOOKS)

・城内康伸著「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男―『東声会』町井久之の戦後史」(新潮社)

・野地 秩嘉 ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯 」(幻冬舎文庫)

・大須賀瑞夫インタビュー「田中清玄自伝」(筑摩書房)

・木村勝美山口組若頭暗殺事件―利権をめぐるウラ社会の暗闘劇」 (文庫ぎんが堂)

・後藤忠政著「憚りながら」(宝島社)

・山平重樹著「実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界」(双葉社)