蒔絵、書、作陶にも才能を発揮した目利き職人=東博特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

 先週の土曜日、東京・上野の国立科学博物館で開催中の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(2100円)に行って参りました。通好みの展覧会なので、土曜日だというのに割りと空いておりました。

 私が本阿弥光悦のことを初めて知ったのは今から30年以上昔、美術記者をしていた頃でした。連載企画として「琳派」を取り上げることにしたのです。琳派と言えば、いずれも国宝に指定されている「風神雷神図屏風」の俵屋宗達と「燕子花(かきつばた)図」の尾形光琳は、あまりにも有名ですが、それ以外(尾形乾山、酒井抱一を除き)はあまり知られていません。自分の勉強も兼ねて、どなたか連載を書いてくださる専門家はいないものか、探したところ、大阪出身の先輩の持田さんから「奈良の大和文華館に琳派の専門家いるから、そこがええんちゃう?」と仰るのです。電話で交渉し、学芸員の中部義隆さんという方を紹介されました。彼は、たまたま東京に出張があるというので、仕事の合間をぬって直接お会いすることにしたのです。

 お会いすると、縁なし眼鏡をかけ、ガリガリに痩せていて、髪の毛もボサボサ。私より4歳若い新進気鋭の学芸員でしたが、大変失礼ながら、風采も上がらず、「この人で大丈夫かな」と心配したものでした。彼には、12回の連載記事であること、行数は13字×100行、写真の手配もお願いします。原稿料は1回分○○円といった具合で交渉が成立しました。そして、最初の心配は杞憂に終わり、結果的に、読者の評判も良く、この人を選んで良かったでした。

 この連載の第1回に取り上げられていたのが、本阿弥光悦で、写真は彼の代表作で国宝に指定されている「舟橋蒔絵硯箱」でした。私はこの時、本阿弥光悦のことをよく知らなかったのですが、「本阿弥光悦こそが琳派の祖である」という出だしだったので、大変驚いたことを鮮明に覚えています。ですから、大和文華館の中部義隆さんのお名前も、その後、忘れることはありませんでした。

 その中部さん、今頃、何をなさっているのか、検索してみたら、吃驚しました。2016年4月5日に56歳の若さでお亡くなりになっていたのです。大和文華館には28年間勤務し、12年には学芸部長にまで昇り詰めておりました。

 正直な話、中部義隆さんと出会わなかったら、本阿弥光悦の存在を知らず、今回の展覧会に足を運ぶことはなかったと思います。不思議な御縁だったので、ショックを受けました。

 30年前は、本阿弥光悦(1558~1637年)についての詳細はそれほど分かっていませんでしたが、その後、新たに発掘された史料や書簡などで今ではかなり詳しく分かってきました。本阿弥家は、代々、刀剣の真贋を鑑定する「目利き」の職でした。それが、光悦に限って、本職以外に蒔絵や漆芸、書、作陶などに並外れた才能を発揮した「万能の天才」で、また、茶碗の楽家ら多くの職人同士を結びつけて合作させるような総合プロデューサーでもあったのです。(光悦は、茶の湯は、織田有楽斎と古田織部から伝授されたといいます。)

 彼が生きた時代は激動期です。織田信長が明智光秀の謀反で討たれた本能寺の変(1582年)が起きた時、25歳。豊臣秀吉が小田原征伐(1590年)で天下統一を果たした時は33歳。徳川家康が征夷大将軍に任じられた時(1603年)は46歳です。戦国時代の末期ですから、刀の鑑定は重職です。光悦は、この時、加賀の前田家の禄を食んだと言われていますが、大坂の陣が終わった1615年に、徳川家康から京都洛北の鷹峯(たかがみね)の地を拝領しています。

 話は少し脱線しますが、東博のミュージアムショップで玉蟲敏子ら著「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」(東京美術)が販売されていたので、購入することにしました。この本によると、この鷹峯の地を下賜するに当たり、家康の命を受けて立ち会ったのが京都所司代の板倉勝重だったというのです。

 板倉勝重については、この渓流斎ブログで書いたことがあります。(2023年4月30日付「通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に」)勝重は家康の信頼が厚い三河武士で江戸町奉行などを歴任し、嫡男の重昌は、島原の乱の総大将になりましたが、戦死し、江戸屋敷があった木挽町(現東銀座のマガジンハウス社向かい)に今では宝殊稲荷神社が建ち、重昌がまつられているという話を書きました。

 さて、展覧会ですが、国宝「船橋蒔絵硯箱」と俵屋宗達下絵、光悦筆の13メートル以上に及ぶ重要文化財「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」、それに、光悦は熱心な日蓮法華宗の信徒だったことから「法華題目抄」(重文)などが見ものです。このほか、近代三大茶人の一人、益田鈍翁がかつて所持していたといわれる光悦作の「赤楽茶碗」もありました。鈍翁とは益田孝のことで、幕臣から維新後、今の三井物産や日本経済新聞をつくった人です。さすが、お目が高い。

 私は刀剣も茶碗も、全く目利きが効かず、贋作をつかまされるタイプでしょう。普通の人より、かなり多くの「本物」を見てきたつもりですが、真贋鑑定だけは諦めています(苦笑)。

 先程の「もっと知りたい本阿弥光悦 生涯と作品」によると、俵屋宗達は生没年不詳ですが、本阿弥光悦の義兄弟(宗達は、光悦の従兄で本阿弥家九代の光徳の姉妹と結婚)と言われ、尾形光琳・乾山兄弟は、光悦の甥宗柏の孫に当たります。また、光悦の曾孫光山から始まる家系(親善系)に生まれた本阿弥光恕(1767~1845)は、芍薬亭長根(しゃくやくてい・ながね)の名前で戯作者として活躍し、葛飾北斎(画)と組んだ「国字鵼(おんなもじぬえ)物語」などを出版しています。また、光恕は、酒井抱一、大田南畝らとも交際していました。

不安や怖れを感じても恥ではない=アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」

 アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)を読了しました。先週から大きな不安を抱えていた私としては、大変時宜のかなった「読むクスリ」でした。もっと言えば「救済の書」でした。

 最も励まされたことは、メンタルの不調は、誰にでもあることで、不安や怖れを感じても何ら恥じることはないということでした。そのメカニズムというのは、脳が「生き延びるため」に警告しているに過ぎないということでした。その強度は人によって千差万別(一晩寝たらケロッと治ってしまう人から、自裁まで考えてしまうほど深刻になる人まで)ですが、その苦しみは一生続くことは稀で、人生のごく一部分に過ぎないということでした。

 なぜなら、苦しみや悲しみが一生続かないのと同じように、幸福感も一生続かないからです。美味しいご馳走を食べて満腹感を得ても、翌日になったらもう忘れてしまいます。志望校や目指す会社や官公庁に就職できても、幸福感はすぐ減少してしまいます。好きな人と結婚できても…、以下省略。

Tsukiji

 また、行動遺伝学でも問題になっていたように、人は生まれと育ちのどちらの影響が強いのかという設問がありました。遺伝か?環境か?どちらが人生を左右するのかというアレです。著者のハンセン氏の見解は「自分のゲノムを選んで生まれて来られないのと同じように、メンタルの不調に見舞われるかどうかも自分では決められない」というものです。しかし、決められるとしたら自分の意志によるもので、こうして、不安や怖れの原因(脳による防御メカニズム)を学んだりすることも一つの手です。ハンセン氏は、唯脳主義者ではないようですから、身体機能も重視し、とにかく「運動」(1日15分のジョギングか1時間の散歩程度)することでリスクを下げることは可能だと力説しています。

 このように、ハンセン氏は、メンタルの不調から自分を守る3要素として、この「運動」のほかに、「質の良い睡眠」と「友人」を挙げていました。

 それと、さらに付け加えますと、先程、ハンセン氏は、幸福感は長続きしないと説いておりましたが、だからこそ、幸せは追い求めるのはやめた方が良いと助言しています。幸福は、追え追うほど逃げていく、とまで言います。

 私自身は、自分の幸せは追求してもおかしくはない。もっと言えば、人生の目的とは幸福の追求だと思っていますので、ハンセン氏の見解とは異にしますけど、とにかく、この本に巡り会って良かったと思っています。

不安や恐怖は「生き延びるため」の警告=感情は五臓に宿ると考える漢方医学

 今年は正月から個人的に精神的ストレスが掛かる事案が立て続けに起きてしまい、神経をすり減らしておりました。幸い、以前のパニック障害のようなメンタル症状が再発するまでには至りませんでしたが、いまだに、心がどうも、不安定です。ブログ更新の気力さえ減退しました。

 何か処方箋がないか、と探していたところ、直ぐに見つかりました。アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)です。新聞の広告を見て、即、書店に走って買い求めましたが、この本の前書きの「日本の読者の皆さんへ」を読んだら、何と、10代のジュニア向けに書かれた本だったのです。「まずったかな?」と思いましたが、いやいや、大の大人が読んでも、シニア層が読んでも大丈夫です。結構歯ごたえがある難しいことも書いているからです。

 これまで、このスウェーデンの若き精神科医(とは言っても今年50歳ですか…)が書いた「スマホ脳」「運動脳」「ストレス脳」などを私は愛読してきたので、彼の説は信用しています。この本は旧著と重なることも書かれていますが、今の精神状態の私にとっては「読むクスリ」になっています。

 人間は、何故、不安や恐怖を感じるのか? 一言で言いますと、脳が我々を「生き延びさせる」ために仕組んでいることだ、というのです。我々の脳は、いまだに弱肉強食のサバンナに生きていた時代の脳を頑固に引き継いでおり、捕食者が逃れるために、「闘争か逃走か」を一瞬で判断しなければなりません。ですから、不安や怖れなどは、脳が「何かがおかしい」と警告する手段であり、信号でもあるというのです。

 それゆえ、過剰判断だったり、古い脳の勘違いだったりすることもあるといいます。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」みたいなものです。

 でも、脳に悪気はありません。とにかく、我々を生き延びさせることだけを考えているからです。

 この本について、いずれまた書くことにしまして、またまた、NHKラジオで聴いた薬膳料理家阪口珠未さんのお話を引用させて頂きます(記憶で書いておりますので、間違いは訂正しますから、御堪忍願います)。阪口さんは北京に留学して、漢方(中医学)を学んだ方です。ですから、ハンセン氏の西洋医学とは考え方が全く違うので、非常に興味深いのです。西洋医学では、人間の感情や思考は全て、脳の機能という考え方ですが、中国医学は違うのです。いわゆる五臓六腑が感情を司り、脳はその補助的に機能するといったような考え方です。以下のような感じです。

・肝臓→怒り

・心臓→喜び、興奮

・脾臓→憂い

・肺臓→悲しみ

・腎臓→怖れ

 人間は強度の精神的ストレスに晒されると、下痢になったり、不眠になったりします。となると、脳だけでなく、五臓六腑が感情を司るという漢方の考え方は捨てがたいですね。日本人ならこちらの方が分かりやすいです。阪口さんは薬膳料理家なので、これらの五臓をコントロールする食材の話もされていました。

 肝臓の「怒り」を抑えるには、菊の花やセロリや香の物が良いそうです。心臓の「喜び」は良いのですが、興奮し過ぎたり、人に気を遣い過ぎてエネルギーを消耗します。自己嫌悪になったりして不眠にもなります。それには、食材として、レバーやアサリ、ヒジキや海苔などが効くそうです。特に赤い食材が良いのでナツメも良いそうです。

 「憂い」の脾臓は、思い込んだり、悩み過ぎたりすると消化機能、特に胃腸が不調になります。取り返しがつかない過去を反芻したり、将来悪いことが起きたらどうしようなどと妄想したりするといっぺんに脾臓が悪くなります。腸を整えるには、雑穀や高麗人参、発酵食品などが良いようです。

 「悲しみ」の肺臓というのは、人は、喪失感などから悲しむと呼吸が浅くなります。その対策には呼吸器を強くしなければなりませんが、白い食材が効果あるといいます。カブやダイコン、白キクラゲなどです。

 腎臓は、低下すると、恐れや不安感が増します。残念ながら、「腎力」は加齢とともに失われていくといいます。だから、高齢者は、若者のように無茶しなくなるということなのでしょう、例外の方もいますが(笑)。確かに外出する際、火の元や戸締まりが気になってしょうがなくなります。「腎力」を強めるには、黒い食材が良いようです。黒豆、黒ゴマ、ヒジキ、海苔、昆布、ウナギなどです。他に、安神(精神安定)作用があるナツメ、クルミ、アーモンドなどのナッツ、ヤマイモ、レンコン、里芋、キノコ、シジミ汁なども効果あるようです。

 私も、読むだけでなく、実際に試してみようかと思っています。

新《渓流斎日乗》再開のお知らせ

 皆さまにはほんの少し御心配をお掛け致しましたが、サーバー移行が完了し、新しいサーバーで、このブログ《渓流斎日乗》を再開することが出来ました。

 とは言っても、素人ではどう変わったのか、見た目では、さっぱり分かりません。Wordpressというブラウザを使っておりますが、ドメインをそのまま継承しましたから、中身も全く変わっておりません。要するに、「見えない」サーバーだけが変わったということになります。

 このブログのテンプレートと言いますか、体裁や形式を2017年9月に整えてつくってくださったのは、松長哲聖さんでした。そして、2005年3月からgooブログで連載していた12年間分の古いブログの記事を全てサーバーに移行してくれたのも彼でした。しかも、高校の同窓という誼(よしみ)で、これらは無償でやってくださったのです。

 そんな彼が一昨年に53歳の若さで亡くなってしまったこともあり、今回の「引っ越し」ということになりました。

 でも、私は素人ですから基本的な手続きやら新サーバーの発掘など、分からないことだらけです。当初は、もう継続は諦めて、廃業を覚悟したほどでした。

 遺伝的に、私はかなりメンタルが虚弱に出来ていて、いわゆるHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という部類に属しています。ですから、夜も眠られず、神経をすり減らしておりましたが、その間、面識のないAさんからコメントを頂きました。「『渓流斎日乗 このまま継続!』とのお知らせを読みました。更新を楽しみにしております一人として感謝です。有難う御座います。」。まさに「えっ~~!!!」です。世界人口は80億人おりますが、世界の80億人に1人の割合でこんな奇特な方が世の中にいらっしゃるとは! 嘘偽りなく涙が出て来ました。このAさんは面識のない方だったからです。

 もう一人、パスカルの「パンセ」に出てくる言葉には大いに励まされました。

 人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそ恥である。

 この言葉は私の心の奥底に突き刺さり、救済の言葉となりました。

 結局、旧サーバーの管理者さんの御協力等もあり、新サーバーに移行できました。あと、WordpressのSSLの設定とか、広告収入に繋げるGoogleのアドセンスの設定とか、よく分からないことだらけで、このままではどうなることやら? また挫折してしまいそうですが、船は港を出ましたから、何とか荒波は乗り越えて頑張ろうと思っております。

 以上、つまらないご報告迄。

読者の皆さま=《渓流斎日乗》継続できそうです

 色々とありましたが、旧サーバーの管理者Hさんのご厚意と援助がありまして、新サーバーに移行することになりました。

 私は全く素人なので、よく分かりませんが、読者の皆さまは、このままkeiryusai.com のドメインでサイトがご覧になれるという話でした。ので、そのまま継続してお読みになれるようです。

HigashiGinza

 IT音痴の私ですから、技術的に何も出来ず、結局、新サーバーさんに、有料で「代行移行」してもらうことにしました。

 移行期間中は、ブログの更新は出来ないということで、《渓流斎日乗》はしばらくお休みさせて頂きます。

 どうぞ宜しくお願い申し上げます。

「気滞」と「瘀血」を防いで朗らかに生きたい

(※渓流斎ブログは新サーバーに移行する予定ですが、主宰者=私のこと=の技術的無能力によって消滅する可能性もあります。)

 正月早々、ノロウイルスに感染して寝込んだり、集合住宅の役員として難題を突きつけられたり、一難去って一難の状況が続き、ついに、この渓流斎ブログの存続問題にまで発展してしまいました。

 そのせいか、毎日、憂鬱と不安で、肩痛、腰痛、関節痛などが少しも収まりません。何処かのマッサージにでも行けば、一時的には治るでしょうが、また再発しそうです。

 そんな折、大変為になる面白い話を聴きました。またまた、NHKラジオの聴き逃しサービスで、「日曜カルチャー」漢方薬膳研究家の阪口珠未氏による「元気に美しく年を重ねる食養生」の話です。

 以下は「如是我聞」で、阪口先生の話をそのまま要約したわけではないことを最初にお断りしておきます。

HigashiKurume この樹木は、中学生の頃、私の膝下しかありませんでしたが、半世紀以上過ぎて3メール以上の高さに成長していました

 漢方の考え方に、人間の身体には「気」と「血」と「水」の三つの構成要素が通っており、これらが停滞したり、鬱血したりすると、病気になったり、不調になったりするといわれています。

 「気」はエネルギーであり、これが滞ると「気滞」と呼ばれます。ストレスや心配や不安で気滞になるようです。イライラしたり、うつ状態になります。病は気から、とよく言いますから、私も慢性になっている肩痛、腰痛も、気滞の影響の一つだと思っています。

 阪口先生は、気の流れを良くするには、香りの良い食材を摂ることを勧めていました。香りの良い食材とは、レモン、ゆず(の皮)、カボス、シークワーサー、グレープフルーツなどの柑橘類なんだそうです。他に、ふきのとうや赤紫蘇なんかも良いといいます。そして、ジャスミン茶やバジルやミントなどのハーブも気の流れに良い、というので、私はこの話を聞いて、早速、遠くの専門店に行ってジャスミン茶を買ってきましたよ。すっかりお酒も弱くなってしまったので、これからジャスミン茶でも飲みますか。。。

 「血」はここには栄養が流れており、これが滞ると「瘀血」(おけつ)と呼ぶそうです。私は初めて聞きました。瘀血になると、冷え症や倦怠感など身体のあらゆる器官や部所で不調や不振が起きます。私の肩痛、腰痛もそうかもしれません。瘀血にならないようにするには、阪口先生は、下半身を使う運動を勧めていました。ウオーキングなんか良いのでしょう。血液の流れを良くするには、ショウガやニンニクを摂ると良いようです。また、阪口先生は個人的に瘀血対策として、ハイビスカスとバラとサンザシ(林檎に似た果物)などを混合したお茶を飲んでいるそうです。

 この他、気滞や瘀血にならないために、サバ缶はお勧めですが、油が酸化したスナック菓子や乾物などを摂りすぎると良くないそうです。

 「水」は、人間の身体の50~75%を占めていますから、ご説明するまでもないでしょう。人間は水で出来ているといっても過言ではないので、水がなければ確実に死に至ります。水は肌などのうるおいにも関係しますので、老人になれば、うるおいもなくなり、身体に占める水量も減ります。

 いくら、気滞や瘀血や水量に気をつけていても、人間は「加齢」からは逃れられません。平均的に女性は閉経となる49歳、男性は56歳から加齢が始まるといいます。(まあ、その前から始まるヒトも多いことでしょう。)

 私のように、毎日、抑鬱や不安にさらされていては、老化は進行することでしょう。阪口先生は、何よりも我慢せず、ストレスを溜めないことをお勧めしていました。そう言われてもねえ。。。

 私は日本人の典型ですから、どうしても我慢してしまうんですよね。これからは、ジャスミン茶でも飲んで、なるべくリラックスしますかぁ。。。

 

《渓流斎日乗》存続の危機?

 拙ブログ《渓流斎日乗》は、2005年3月から始めましたから、もう20年近くなります。その間、多くの読者の皆さまに支えられてここまでやって来られたと思います。感謝申し上げます。

 2017年9月から、高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏のお導きで独立して広告収入まで得ることができました。このまま順風満帆に行くかと思いましたら、その松長氏が一昨年、53歳の若さで他界されてしまいました。技術面で彼におんぶにだっこの状態でしたので、今後存続できるかどうか不安を覚えてしまいました。

 広告収入を得ていますので、確定申告をしています。正直に書きますと、一昨年の広告収入は年間約4万2000円で、松長氏を引き継いだ管理者の方が管理するサーバー代とドメイン代が計年間2万円で、差し引き、約2万2000円の「収入」がありました。

 昨年はお蔭様で、アクセス数が急激に増え、「100万回アクセス」まで突破しましたので、今年の確定申告は大いに期待したのですが、わずか約3000円でした。あれっ?3万円の間違いではないのかな?と問い合わせをしたところ、ブログサイトの広告へのクリック数が減り、広告収入は約2万3000円でした。これに、サーバー代、ドメイン代を差し引くと、手取り3000円になるというわけです。

 このブログを書くために、書籍代やら映画など観劇費やら交通費やら「取材費」が相当かかっています。年収3000円ではとてもやっていけません。

HigashiKurume

 と、思いましたら、今朝、ブログの管理者の方から初めて電話があり、今後、会社組織として再編成する関係で、ブログのサーバー代、ドメイン代を月1万円にしたい、との御提案がありました。年間12万円ではとてもやっていけません。

 そこで、管理者の方からもう一つあった御提案は、「引っ越し」です。自分で新たにサーバーとドメインを契約し、グーグルの広告も新たに契約しなさい、といったものでした。レンタルサーバー代は月1000円、ドメイン代は年間2000円で済む会社もあるようです。

 いやはや、このブログを続けるにはそれしかありません。ただし、私自身は、技術面でズブの素人ですから、自分の力だけで「引っ越し」が出来るかどうかは、全く心もとないのです。

 うまくいかなければ廃業するしかないかなあ、と諦めています。まさに青天の霹靂で、どうなってしまうのか? 《渓流斎日乗》の存続の危機です。

SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

そんなに有名になりたい?=無名という名の恍惚我にあり

 個人的な身辺雑記が続いております。

 私の旧い友人のA君は、幼少から習っていたピアノの腕前を発揮して自分で作曲もし、仲間と一緒に音楽会を毎月、都内で開催しています(クラッシックをベースにしたピアノ曲)。多い時は月に3~4回です。その度に、「参加してほしい」と連絡が来るのですが、こう見えても私は、週末は、老親介護やセミナー参加や展覧会や映画やマンション理事会やら色々とありまして、まず行けません。その度に、何度も何度もお断りするので、先方も「その気はないな」とそろそろ諦めてくれるかなと期待していました。それでも、彼はしつこく連絡してきます。

 こりゃあ、いつか、はっきり、断った方がいいかもしれないな。ーと思いつつ、その断りの文面がなかなか思い浮かびません。機微に触れる問題なので、相手を傷つけたくないし、最初から喧嘩別れするなら話が早いのですが、別に彼とは絶交したいわけではなく、たまに会って一緒に酒でも飲みたい相手でもあるからです。

Higashi-Kurume

 実は、私自身も中学生からギターを始め、高校生ぐらいから自分でデタラメな曲を作り始め、大学では軽音楽クラブに入って、学園祭で自作を演奏したりしていました。何を言いたいのかと言いますと、音楽に関する趣味や好みや拘りが普通の人より強いということです。何しろ、自分で曲を作ってしまうぐらいですからね。

 毎年のように、音楽の好みは変わっていきますが、ロックなら1960年代のビートルズから80年代のポリスまで。今のヒップホップは付いていけません。ジャズは、ビル・エヴァンスとウエス・モンゴメリーに始まり、マイルス、コルトレーン、ヴォーカルならエラ・フィッツジェラルドとシナトラはやはりピカイチ。

 クラシックならモーツァルト。そして、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの「3大B」の正統派。卒論でドビュッシー、他にシューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ストラビンスキー、マーラーはかなり聴いた方。

 それ以外なら、ボサノヴァのA・C・ジョビンとシャンソンのゲンズブールはレノン=マッカートニーと並ぶ20世紀の偉大なコンポーザーだと思っていますし、バート・バカラックもフランシス・レイもニーノ・ロータも同時代人として生まれた幸せを感じています。

 自分の好きな音楽の100分の1も此処ではご紹介出来ませんでしたが、まあ、ざっと、好きな曲ばかり聴いて来ましたので、わざわざ時間と電車賃を掛けて、いくら「素晴らしい音楽です」と説得されても、彼の音楽は、以前に何度か生で聴いたことはありますが、自分の好みにピタリと合って万難を排してでも、といった最優先事項にならないのです。申し訳ないのですが。

 そこで、今回は、はっきりと断ることにしました。特に、彼は、私がマスコミ人であることを知っているので、「都庁の記者クラブで会見を開いて音楽会を取り上げてほしいので、手続きの仕方を教えて下さい」と聞きに来たからです。

 都庁の記者クラブは行政が中心ですから、コンサートはまず取り上げません。その辺りを含めて、彼には色々と説明し、嫌われるのを覚悟で最後にこんな文面を付け足しました。

 「貴兄はそんなに有名になりたいのですか?そんなに名声を得たいのですか? そこまでしたいのなら、プロになって大手音楽事務所と契約したら良いと思います。興行面で裏社会とつながっていることが多いですが、かなり売り込んでくれますよ」

 これに対して、彼は、

「目的は、より多くの人にじっくり聴いてもらって、心の財産にしてほしいと思っているだけですよ。ですから、音楽を聴いてもらえる新たな仕組みを作る必要性を感じてます。足下をしっかりさせないといけないので、宗教団体と同じかもしれません」云々の答えでした。

 まあ、あまり話がかみ合っていませんが(笑)、顧客開発は独自でやってくれそうで、私は大いに期待したい。

 それにしても、ヒトはそんなに有名になりたいものですかねえ? 私は長年、取材記者として有名人と会ってきましたが、彼らがうらやましいなんて一度も思ったことがありません。むしろ気の毒になるくらいです。プライバシーもないし、自由に街を歩けないし、公共トイレなんかにも入れないでしょう。

 そんな私でさえ、正直、自分のブログを読んでいただける読者数が増えてほしいとは思いますけど、有名になりたいとか、名声を勝ち取りたいとか思いませんね。分かって頂ける皆さまの心に伝われば、それで十分です。

 ですから、自分が無名であるということの恍惚を感じています。

病院開院ラッシュ=自宅徒歩圏内に3軒も内科医院が林立!

 個人的ながら、ノロウイルスは昨日、やっと小康状態になってくれました。1月3日から7日まで diarrhea が5日間も続きましたから、軽症ではありません。特効薬がない上、1年半前、つまり2022年7月にも同じノロウイルスに罹って苦しめられたというのに、免疫もできないとは、ナンタルチヤです。

 今回、遠出が出来ないので自宅近くの病院といいますか、診療所で少しだけお世話になりました。ここは昨年10月に出来たばかりです。もともと、自宅近くにはバスの停留所名にもなっている診療所がありますが、もう大分昔に院長の先生が早く亡くなり、奥さんも女医さんでしたが、高齢になっておられました。

そしたら、また自宅近くに明日9日に、同じ内科の診療所が開院するというのです。

 駅前通り商店街は、ほとんど閉店してシャッター通りになってしまったというのに、やたらと病院だけ出来るとはドユコト? しかも、自宅から歩いて数分圏内に同じ内科の診療所が林立するとはドユコト? このブログをお読みになったファンの皆さまが殺到されると困るので、地名は明かせませんけど、こりゃあブログに書くしかありませんよね?(思い誤って検索しちゃ駄目よ)

X 診療所

 まず、バスの停留所名にもなっている「X 診療所」です。バスの停留所として「X 診療所前」があるくらいですから、かなり古い診療所です。開院の詳細は分かりませんが、地元の医師会の登録が1971年になっています。

 ここは先述したように、院長先生がもう25年ぐらい前に他界されました。自宅から徒歩で4分と近いので、昔はよく通ったことがありますが、昨今は全く行かなくなりました。

Y 内科・循環器内科

 次は、昨年10月に開院した「Y 内科・循環器内科」です。ここは、何の前触れもなく、いきなり開院したという感じです。ポストの中に「開院内覧会」のチラシが入っていましたが。ここは、「X 診療所前」から最寄り駅に近い次の次のバス停の目の前に造られました。写真のように、ちょっとモダンな瀟洒な建物です。自宅から歩いて6分ぐらいです。確か、以前は個人の自宅を兼ねた税理士事務所があった所だと思います。

 ノロウイルスで少しお世話になったのがこの病院です。

Z 内科

 最後は、「Z 内科」です。ここは、バス停「X 診療所前」から最寄り駅行の次のバス停の近くにありますので、私の自宅から歩いて5分ほどです。

 ここは以前から大きな看板が建てられ、病院と薬局建設の案内があったので、いずれ建つだろうことは知っておりました。ここは以前はお蕎麦屋さんがあった所でしたが、2年前に火事で焼失してしまいました。

 蕎麦屋より病院の方が儲かるということなんでしょうか? そんなこと言ってはいけませんね(苦笑)。 でも、「開院内覧会」があるというので、昨日、ちょっと覗いてみました。そしたら、吃驚です。駅に近い所にある、私もそこでコロナワクチンを打ったことがある「N 内科」のチェーン店だったのです。チェーン店なんて言ったら、またまた怒られますね(苦笑)。胃カメラ、大腸カメラ等も備え、リハビリ設備も整え、この辺りでは一番、機器が充実している感じでした。

 駅前通り商店街では、果物屋さんが消え、肉屋さんが消え、時計屋さんが消え、寿司屋さんも中華料理店もなくなったというのに、病院だけは元気なんですね。個人商店で健在なのは、クリーニング店と理容・美容店ぐらいです。(最寄り駅近くに理容・美容学校があるので、この辺りはやたらと床屋さんと美容院が多いのです。)

 とにかく、いずれにしても、私の自宅から4~6分の徒歩圏内に内科医院が3軒も林立するなんて、異様に感じてしまいました。