渡る世間に鬼はなし パートⅡ

 相変わらず、このブログに添付するGoogleアドセンスの設定がうまく行かず、難儀をしております。

 唯一、「神頼み」とさせて頂いているのが、Googleのフォーラム(公開投稿)です。ここで小生の悩みと難題に回答を下さっている方がいらっしゃるのです。ハンドルネームらしきお名前はあるようですが、御本名は知りません。それなのに、イチから、手取り足取り、ご教授してくださります。勿論、お会いしたこともありませんので、義理も恩義もないはずです。それなのに、「ボランティア」として、毎回毎回、小生の愚問に対する「解決策」を、大変お忙しいというのに、考えてくださります。

 私が初めて「公開投稿」欄に投稿したのは、もう1週間前の1月30日でした。その後、60通以上、投稿のやり取りをさせて頂きましたが、いまだに問題は解決しておりません。その途中で、「先生」は、私のブログサイトのWordpressのダッシュボードなどの「スクリーンショットの画像を貼り付けてください」との要請がありました。が、私はスクリーンショットの画像の撮り方など分かるわけがありません。そこから、話が始まったりしましたから、優に60通以上は投稿が増えてしまったわけです。

 そのスクリーンショットの画像は、公開投稿欄にうまく貼り付けることが出来ない関係で、ときたま、「テスト」として、この渓流斎ブログに掲載して、先生に診てもらうことにしました。それで、読者の皆さまは魂消てしまうでしょうが、時々、意味不明の「テスト」が掲載されているのです。(嗚呼、ご説明出来てよかった!)

上野「蓮玉庵」

 そんな精神的にカリカリする状態が、もう1カ月近く続いていますから、さすがにメンタルの調子は最悪です。それに輪をかけて、今読んでいるブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」(ブルーバックス)が、地球の終わり、生命の絶滅、宇宙の終わりの話ですから、さすがに落ち込みの度合いに拍車が掛かります。ま、言ってみればニヒリズムです。

 ただし、この本「時間の終わりまで」は、私が生涯読んだ本の中でもベスト50以内に入る名著だと思っています。科学的真実が書かれていますから、それだけ読む価値があります。

 あれっ?何の話でしたっけ?(笑)

 あまりにも私がカリカリしているので、この渓流斎ブログのご愛読者であるYさんから、メールを頂きました。「noteにされたら如何ですか?」と仰るのです。えっ? note? 何ですか?てな感じです。そこで、早速、調べてみましたら、一言でいえば、会員制の有料ブログらしいのです。月100円とか1000円とか自分自身で料金は設定できるらしいのです。

 Yさんが、毎月400円支払って、愛読しているnoteは、有名文芸評論家のご令嬢で、山本周五郎賞などを受賞している人気小説家、Yさんのブログです。Yさんの小説は、世界各国で翻訳されており、彼女はベストセラー作家でもありますから、恐らく彼女のnoteの読者も10万人ぐらい登録されているのではないかと想像されます。

 もし仮に、10万人だとすると、年間4800円×10万=4億8000万円! えっ?ほんまかいな? 勿論、管理会社からこのうち手数料等で十何%か引かれますけど、それにしても桁違いです。

 ただし、こういう方は稀なケースです。名もない一般人がnoteをやっても、まず有料会員など集まらないし、何と言っても、ブログの過去記事も引き継ぐことが出来ません。この先、何か運営会社に粗相があったりして立ち行かなくなったりした場合(ま、そんなことはないでしょうが)、noteの記事は消滅する、というおまけ付きです。

 ということで、ここ1カ月も、メンタルの不調で、こんなことしかブログに書けません。こんなんでは、「有料会員」なんて夢のまた夢ですね(苦笑)。

東京・上野の博物館巡り=ランチは「蓮玉庵」で

 先週の土曜日は、駆け足で上野の二つの博物館を「はしご」しました。

 最初に訪れたのは東京国立博物館です。 

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 特別展「中尊寺金色堂」を是非とも観たかったからです。藤原清衡(1056~1128年)によって建立された中尊寺は、東北地方現存最古の建造物で、今年で建立から900年の節目を迎えました。

 土曜日でしたので、少し列が出来ていて、入場するまで15分ほど待たされました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 現地の平泉(岩手県)にある中尊寺金色堂には、私もこれまで3度ほど訪れたことがありますが、特別展では、ご本尊の阿弥陀如来座像と脇侍としての勢至菩薩立像と観音菩薩立像、それに地蔵菩薩立像、増長天立像、持国天立像といずれも「国宝」を間近に、しかも360度の角度から御尊顔を拝することが出来ました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 平泉では、仏像は、確か、ガラスケースの奥に納められ、遠くからしか拝することが出来ませんから、足を運んだ甲斐がありました。

 ただ、本館の狭い特別5室での数少ない展示でしたので、観覧料一般1600円は少し高い気がしましたけど。

上野・東京国立科学博物館

 次は上野駅に少し戻って、国立科学博物館に行って参りました。

 実は、昨年、同博物館が収蔵品の収集・保存などで資金が足りなくなって、クラウドファンディングを募集していました。私も「博物館がなくなっては困る」という危機感からわずかながら寄付をしましたら、「入場招待券」が1枚送られてきたのです。有効期限が3月31日までとなっていたので、慌てて出かけたのです。(しかし、よく見たら、来年2025年3月31日が有効期限でした=笑)

上野・東京国立科学博物館

 入場入り口で、その招待券をお見せすると、係の人(恐らく70代ぐらいの男性)が、「じゃあ、(半券を)切りますね」と言って、切ろうとしながらも、「でも、オタクさんは65歳過ぎていますね。65歳以上は無料ですから、この券は他の人にお譲りになったらどうですか?」と仰るのです。

 えっ? なに~~~~

 この私が、見かけだけで、65歳以上に見えるのかえ!!!

上野・東京国立科学博物館「偉大な科学者たち」

うーーん、バレたらしょうがねえ~(「与話情浮名横櫛」)

 しかし、落ち込むほど、相当なショックです。自分自身はまだ若いつもりなのですが、世間様はそれを許してくれない。嗚呼~

上野・東京国立科学博物館

 しかし、国立科学博物館が資金難に陥った理由がこれで分かりましたよ。常設展は、65歳以上と18歳未満は、入館料が無料(一般・大学生は630円)なのです。無料だと赤字になるに決まっています。せめて、子どもも65歳以上も300円ぐらい取ってもいいじゃないですかねえ。日本人だけではなく、全人類の「宝」が展示されているわけですから。

 ということで、ここは丸々、一日、いても飽きない博物館です。大人も子どもも楽しめます。地下3階まで展示室があり、細かく全てを観ていったら、一日では無理でしょう。

 また、何度でも足を運びたいと思いました。

 もう午後1時を過ぎていましたので、ランチをどうしようかと探しました。最初は、以前Gさんと一緒に行った「藪そば」にしようかと思いましたが、場所がウロ覚えです。確か、アメ横辺りにあったと思いますが、アメ横はいつでも週末は地獄のような人だかりですから、出来たら避けたいのです。

 そうだ、久しぶりに「蓮玉庵」にするか。ということで行ってみました。

 そしたら、随分古びた建物になってしまい、営業しているかどうかも分からないほどです。勇気を出して暖簾をくぐりました。

上野「蓮玉庵」特別ランチ(午後2時まで)のかき揚げ蕎麦1000円とお酒800円

 入ると、ほぼ満員で、手前の席だけ空いていて、お店の人は、そこに案内してくれました。

 何しろ、安政6年(1859年)創業の老舗の中の老舗です。森鴎外先生も足繁く通っていたといいます。

 ちょっと高いというイメージでしたが、何と、土曜日なのに特別ランチメニューをやってくれていたので、その1000円のかき揚げ蕎麦と熱燗1本(800円)を頼みました。特別ランチは、午後2時まででしたので、ギリギリセーフでした(笑)。

Ça ne fait rien Parole et musique de Kin-no-suke Takada 「大したことではありません」 作詞作曲:高田謹之佑

ここ数週間、Googleアドセンスの件で、ドタバタしております。でも、「公開投稿」の場をお借りして、救世主の方から援助を受けて、一つ、一つ、問題を乗り越えております。

皆さまにはご迷惑をお掛け致しておりますが、そんな苦悩の中、1曲仕上げましたので、お時間のある時に、お聴きください。

下の Ça ne fait rien をクリックするか、ダウンロードをクリックすれば、何とか聴くことが出来ると思います。

 

渡る世間に鬼はなし

 かつて人気のTBSドラマ橋田壽賀子ドラマの影響で、「渡る世間は鬼ばかり」と間違って覚えていらっしゃる方が多いかもしれません。

  本来は「渡る世間に鬼はなし」です。世の中、殺伐としていて、無慈悲な人間ばかりだと思われがちだが、実際は、鬼のような無情な人間ばかりではなく、情け深い優しい人もたくさんいる、といった意味です。

 でも、オレオレ詐欺やら、ロマンス詐欺やら、空き巣、火事場泥棒などのニュースに接したりすると、とても人を信用できなくなってしまいます。やはり、「渡る世間は鬼ばかり」と確信してしまいます。

それなのに、嗚呼それなのに。

私は目下、ブログに広告を貼り付けるGoogleアドセンスで、大変、大変、大変、苦労しています。引っ越しした新しいサーバー会社には「お問い合わせ」コーナーが充実していますが、Googleアドセンスに関してだけは、「分かりかねます」とつれない返事です。それでも、新サーバー会社さんは、Googleアドセンスの公開質問場のアドレスを紹介してくださいました。

 「公開」なので、不特定多数の多くの人に見られ、大きな恥を晒すようですが、背に腹は代えられません。そしたら、本当に、奇特な方が現れたのです。敢えて、名前は伏せますけど、数日前から始まり、もう20通ぐらい「公開投稿」のやり取りをさせて頂いています。その半面、20通以上やり取りしていても、Googleアドセンス問題は、まだ解決していないということです。

 今止まっている作業は、wordpressのスクリーンショットを撮って、投稿してください、ということでした。やっとスクリーンショットで画像は「ペイント」に保存でき、投稿に際して、ご指示通り「貼り付け」(Ctrl +V)して画面上に写真が付いていることを確認して「投稿」しましたが、何度試しても、画像が反映されないで投稿されてしまうのです。

 「何故なんだ?」先程、ランチに行った際、このことをずっと考えておりまして、「そうだ!ブログに貼り付ければ良いんだ」と思いつきました。ということで、掲載写真は、Site Kitに「ダッシュボード」しかなく、「設定」が現れていないという証拠写真です。(その後、本文に付けた写真の通り、「設定」が出現しました!)

 私の救世主さまが、この画像を見てくださることを大いに期待しております。

私も多額納税者の仲間入り?

 一難去ってまた一難です。もう笑うしかありません。

 本日は午前、自宅近くの税務署に行って来ました。この渓流斎ブログも「個人事業主」として青色申告してますので、一足先に確定申告に行って来たのです。

 今は、2年前から会場で、パソコンではなく、スマホで一人で操作(確定申告)するようになってます。国税庁は、自宅で一人で自分のパソコンかスマホを使ってe-TAX をやれ、と盛んに喧伝しますけど、まず一人じゃ無理ですね。自分でやっていても、細かい所で何度も何度も分からない点が出てきます。会場に行けば、側で巡回している税務署員に声を掛ければ、すぐにではなく、何度も何度も呼んでやっと、しかも、嫌そ~うな顔して、やっと対応してくれます。失礼ながら、誰もいないよりマシです。

 私も、係の人を6~7回呼び止めて教えてもらい、1時間ぐらいで終わりました。しかし、納税額が8万6000円と巨額です。えっ? どういうこと? 昨年は、逆に約2万円の還付金があったのです。しかも、ブログの広告収入が昨年は2万5000円ぐらいありましたが、今年はわずか約3000円しかありません。大赤字です。そんなんで何で納税? あり得ない!

 ということで、調べたら、個人事業主としての「収入」は記入しましたが、雑費や消耗費などの「経費」は記入していなかったことが判明しました(苦笑)。若い税務署員(もしくはバイトさん)は笑いをかみ殺しながら、「もう一度、最初からやり直すしかありませんね」と言った後、私の側から二度と姿を現すことはありませんでした!

 え~~~~~~~~~~~~~~~

 ですよ。仕方がないので急いで最初からやり直ししたら、40分ほどで数字の記入が終わりました。それでも、納税額が6万5200円もありました。もう終わってしまったから仕方がないのですが、他の給与や年金などの「収入」分野はキチンと記入出来ても、いわゆる掛かった経費の「支出」を申告していなかった分野があったことが後で分かりました。

 でも、もう手遅れです。納税は国民の義務です。私はこれで、お天道様の下を堂々と歩けるということを声を大にして言いたい。裏金まみれの自民党派閥議員にも面と向かって言いたい。「お前たちも、日本人なら、しっかり、国民として納税義務を果たせよ」。

汚名を晒して本名で死ぬということ

 1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者(70)が、鎌倉市内の病院に入院して、「最期は本名で死にたい」といった趣旨で本名を名乗って亡くなったという「事件」は、どんな優れた作家も脚本家も書けないでしょうね。何しろ、50年近くも逃亡生活を続けていたのですから。 

 ユゴーが創作した「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンでさえ、投獄されたのは19年間ですから、50年間は目も眩むような長さです。私も交番を通る度に桐島容疑者の白黒の手配写真を見ていたので、「よく捕まらなかったなあ」と感嘆しました。

 桐島容疑者が使っていた偽名は「内田洋」と言われています。1月30日付の東京新聞朝刊一面のコラム「筆洗」がこのことで実に面白いことを書いていました。企業の「内田洋行」か、当時ヒット曲を出していた「内山田洋とクールファイブ」からあやかって取ったのではないか?といった推理には脱帽しました。恐らく、筆者は60代かなと想像しました。少なくとも50代後半でしょう。そうでなければ、内田洋行も内山田洋もすぐ思い浮かばないはずです。

 「筆洗」記者は最後に、「広島県の出身と聞く。カタカナで『ウチヤマダヒロシ』と書いてみる。本当は帰りたかった『ヒロシマのウチ』と読めてしかたがない。」と締めくくっています。実に名文コラムでした。思わず、「座布団3枚!」と言いたくなりました。

 桐島容疑者が事件を起こしたときは、明治学院大学4年生の21歳の頃だったと言われます。すぐ捕まっていたら、恐らく、7~8年で娑婆世界に戻れていたはずなのに、50年も逃亡生活を続けたのは彼の意地だったのか? それにしても、稀に見る精神力です。私にはとても真似できません。

 詳しい事情聴取が行われる前に彼は亡くなったので、彼の逃亡生活は不明ですが、数十年間、藤沢市の建設会社で住み込みで働き、銀行口座がないので、現金で給料をもらい、運転免許証もなく、当然ながら、携帯電話も持っていなかったようです。

 語弊を恐れずに言えば、思い込みの激しい若いときに起こした事件で、罪を償えば済んだ話でした。病を得て自分の人生を振り返ったとき、「俺の人生は一体何だったのか」と後悔し、「最期は本名で死にたい」ということになったのでしょう。しかし、過去の汚名を世間に晒すことになりました。

 もし、彼が内田洋のまま亡くなっていたら、桐島聡は、永遠に歴史の闇に葬り去れていたことでしょう。やはり、「人は死して名を残す」という人間の性(さが)だったと思わざるを得ません。

苦しいときは良いこと

 本当に、今年に入って心安まる時間がありません。(眠っている時以外ですが)

 一難去って、また一難です。どうしちゃったんでしょうか???思い起こせば、ここ6~7年は私生活の面で、平穏無事とまではいきませんでしたが、大きな波風が立つことはありませんでした。まるで極楽とんぼです。

 それが、今年に入って、急に難題、課題、難問が次々と押し寄せて来るのです。しかも、こちらは素人の専門外のことばかりですので、すぐには解決できません。

 昨晩は、天下のGoogleさんからメールが来ました。

 「Gmail の保存容量を 50% 使用しています」というのです。「空き容量がなくなりますと、Gmail でのメールの送受信や、Google Driveと Google Photosへの新しいファイルや写真のアップロードが行えなくなります」と、かなり脅し文句に近い印象を受けました(失礼!)。こりゃ、困った!

 仕方がないので、今朝チェックしてみたら、私のGmailは10年前の2014年のメールも残っていました。友人からの懐かしい私信もありましたが、仕方ない。削除するしかありません。10年分のうち、5年分を削除しました。もうこれで、暫くは「警告」は来ないかもしれません。作業中は、何か「終活」をやっているような気分で、さらに落ち込んでしまいました。死んだら紙もデジタルも持って行けませんからね。

銀座「マトリキッチン」

 そんな折り、作家の真山仁さんが、本日1月30日付毎日新聞の朝刊で、「私人逮捕系」と呼ばれるユーチューバーたちについて、インタビューに応じていました。「私人逮捕系ユーチューバーは自分を正義の味方のように思っていたのかもしれません。…しかし、逮捕権を一般の人が自在に使うとリンチになる恐れもあるのです」などと発言しておりましたが、私が注目したのは、情報過多の対処の仕方についての質問に対して、「情報や雑音があまりにも多くなり過ぎたときに遮断することはあります。苦しいときは良いことだと思います。ただ、それはイレギュラーだと思ってほしい」と彼が発言したことでした。

 えっ!? 苦しいときは良いことなの? パッと目から鱗が落ちるような感覚になりました。「苦しいときは良いこと」とは、恐らく、真山氏は、情報遮断する際に、苦しかったらそうしなさい、という意味で使ったのでしょう。しかし、私は、そのまま、独立して「苦しい時は、良いことが起きる証拠」と曲解してしまったのです。そう曲解した瞬間、ほんの少し心が軽くなりました。

誤解とはいえ、この言葉には大いに救われました。

サイトがダウンしてつながらない。。。

 先週土曜日にブログを更新しようかと思いましたら、サイトのブラウザであるWordpressのダッシュボードに繋がりません。そのうち、メールで「サイトがダウンしています」とのお知らせが来ました。でも、ほぼ間もなく、「嬉しいお知らせです!サイトがオンラインに戻りました。」との通知が来たので、「やったーー」と言いながら、アクセスしてみますと、それでも繋がりません。すぐに、また「サイトがダウンしています」とのお知らせが来て、ほぼ間もなくして、「嬉しいお知らせです!サイトがオンラインに戻りました。」との通知が来ました。でも、アクセスしてみても、まだ繋がりません。まるでオオカミ少年のようなので、段々信用が出来なくなりました。この「ダウンしてます」「オンラインに戻った」のメールは結局、4回も続いたので、もうブログ更新は諦めました。

 「サイトのダウン」は先週土曜日が初めてではありません。新サーバーに引っ越ししてからまだ2週間ぐらいしか経ちませんが、もう4回目です。さすがに多いので、新しいサーバー会社に問い合わせてみましたが、梨の礫です。いつもなら直ぐ返事が来るのですが、今回は無視された格好です。「サイトがダウンしています」を間違えて「サーバーがダウンしています」と書いたせいかもしれません。別に責めたり、追及したりするつもりはありません。もしかしたら、アクセス数が一遍に多く押し寄せたので、サイトがダウンしたのかもしれませんし、ただ原因を知りたかっただけです。それと、対処の仕方も聞きたかっただけでした。

御室社

 何か、今年はどういうわけか、トラブル続きです。自宅近くの神社の初詣では、「大吉」が出たというのに、これでは「お祓い」でもしなければなりませんなあ(苦笑)。

 問題、課題は一つ一つ、整理してクリアしなければなりません。本日は、某銀行の「ワンタイムパスワード」が「エラー」表示されてニッチもサッチもいかなくなったことから、朝早くから某銀行に何度も電話してやっと繋がりました。何てことはない、スマホのiPhoneの機種を昨年、変更したからだということが分かりました。原因は本当に単純でした。まず、ソフトトークンを一度解約してもらい、新たにもう一度、ソフトトークン利用を申し込んだら、新しいスマホでも、ワンタイムパスワードが簡単に使えるようになりました。お蔭で、少しすっきりしました。

 おっ!先ほどの「サイトダウン」に関して、5時間掛けて、今やっと、サーバー会社から返事が来ました。

 「サーバーの状況を確認しましたところ、直近24時間中にサーバーのメモリ使用量が上限に達しており、このためサイトがダウンした可能性が高いです。」

 再度メールがあり、

 「原因につきましては、その他の要因(プラグインの動作など)でメモリを使用していた可能性もございますので、断定ができかねます。」

 とのことでした。土曜日にアクセスしても繋がらなかった皆さまにもご迷惑をお掛けしましたが、もし、今度もまた《渓流斎日乗》にアクセスしても繋がらなかったら、かような要因だとご判断して頂ければ幸甚です。。。。

生物とは粒子の袋に過ぎない=ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」

 迂生は、昨年は「理科系転向」宣言を致しまして、古人類学、進化論、生物学、宇宙論、行動遺伝学、相対性理論、数学、物理学、量子学等に関する書籍を乱読したものでした。

 しかし、メンタルに不調をきたすと、本が読めなくなるもんですね(苦笑)。雑念が湧いて、同じ箇所を何度も繰り返して読んでも、頭に入って来ません。しかも、暫く間が空くと、それまで読んでいたことを忘れてしまい、また最初から読む始末です。

 今読んでいるブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)もそんな感じで同じ箇所を何度も読んだりしているので、昨年12月中旬から読み始めて、もう1ヶ月以上経つというのに、まだ半分も読んでいません。難解と言えば、難解ですが、一応、「基礎知識」だけは身に付けて臨んだので、読めないことはありません。含蓄のある文章なので、まるで「聖書」か「仏典」のように何度も同じ箇所を繰り返して読み進めています。

 前回、2023年12月21日付の渓流斎ブログ「死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著『時間の終わりまで』」でも取り上げましたが、まずは著者の読書量の多さには圧倒されました。学者だから当たり前だろう、と言われそうですが、著者のグリーン氏は、専門の量子力学だけではなく、哲学、歴史学、文学、心理学、神話、宗教学に至るまで幅広く「文化系」の書籍を読破しているのです。

 これだけの知識と教養があれば、新書で686ページに及ぶ大著も難なくものにすることが出来るのでしょう。さて、前回は、この本は科学書ではなく、哲学書みたいだ、といった印象を書きましたが、第3章の「宇宙のはじまりとエントロピー」辺りから、ぐっと著者専門の量子力学の学説が頻繁に登場してきます。最初は「人間とは何か」といった哲学的アポリアから問題提起を始め、いよいよ「生命とは何か」といった科学的真実のアプローチが始まります。

王子「明治堂」1889(明治22)年創業の老舗パン屋さん

 ざっくばらんに生命とは何か、他の本からの知識でご説明しますと、138億年前に時間と空間もない無の状態からインフレーションとビッグバンにより宇宙が誕生します。46億年前に太陽系と地球が生まれ、適度の温度と水に恵まれた「奇跡の惑星」である地球に40億年前に生命が誕生します。40億年前の生命とはまさに量子論の世界です。水素やヘリウムなどの原子が結合して、アミノ酸が出来たり、タンパク質が出来たりするわけです。この後は、生物学、進化論の世界になります。

 生命とは、もともとは原子や粒子の結合ですから、著者のグリーン氏は実に面白い言い方をしています。何年か前、著者がテレビに出演して宇宙について話した際、グリーン氏は司会者に向かって「あなたは物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋に過ぎない」と言ったというのです。この「あなた」とはグリーン氏自身でもあり、人類全員のことでもあります。いや、生物だけでなく、石などのモノでさえ、「粒子の袋」でもあるというのです。

 しかし、人間には意識や思考があっても、石は何も考えません。本書の中で、著者はさまざまな疑問を読者にぶつけてきます。もしかしたら、自問自答なのかもしれませんが…。

 心も思考も感情もない粒子たちの集まりが一体どうやって、色や音、気持ちの高まりや感嘆の念、混乱や驚きといった内なる感覚を生み出すのだろう?

 本書では、このようなアポリアが何度も登場し、著者は色んな学説を引用して説明しますが、明解な答えまでには行き着いていません。読者も一緒に考えてみようというスタンスなのかもしれません。

 それにしても、「粒子の袋」とは言い得て妙です。私も、歩道や駅構内で故意にぶつかってきたり、電車内で足を踏んだりしても謝らない人間に対しては、「物理的に制御された粒子の袋」だと思い込むことにしました。そうすると、不思議と腹も立ちませんからね(笑)。

年賀状じまい

 断捨離、終活、墓じまい…実に嫌な言葉です。

 けれど、たとえ子どもがいたとしても、他者であり、迷惑を掛けるわけにもいきません。浄土真宗の祖親鸞上人は「私が死んだら遺体は賀茂川に流して、魚の餌にしなさい」と遺言されたといいますが、今の時代、そんなことしたら、死体遺棄罪となってしまいます。最期の始末ぐらい自分でしたいと思っても、現実的にはそれさえ叶いません…。

 そんなことを考えていたら、今年の年賀状で、結構「これっきり」にされる方が増えたことを思い出しました。北海道にお住まいのAさんは、定年退職を機に、「来年は年賀状はやめることにしました。今後はメールでのお付き合いをお願いします」と添え書きにありました。

 一番明解だったのは、愛知県にお住まいの会社の元後輩のフリーライターのB君です。「郵便料金が値上がるので、来年から年賀状は取りやめにすることにしました」と、切実な理由が書かれていました。

 そして、一番印象的だったのが、神奈川県にお住まいのCさんです。松の内をとっくに過ぎた1月23日に普通葉書で返信がありました。「私は本年、卒寿の年となり人間を卒業いたします。不思議な御縁で御座いましたが、以後、御失念いただき、お気遣い下さいませんようお願い申し上げます。」

 何と、エスプリの効いた「年賀状じまい」でしょう。このCさんという人は、20世紀最大のスパイ事件と言われるゾルゲ事件に関与したのではないかと言われた人物の奥さんでした。その人は、上智大学でドイツ語を習得した日本人で、ゾルゲも働いていたドイツ通信社(DNB)の同僚として勤務していたという接点がありました。内務省警保局のリストには載っていませんでしたが、共産党員だったこともあり、GHQが執拗にマークした人物でもありました。

 10年以上昔、私は、国会図書館で見つけた新聞記事を手がかりに、その人物の奥さんに辿りつきました。彼女は2時間以上インタビューに応じてくれた上、当時の写真を多く貸してくださったりしたのでした。

 さて、年賀状じまいですが、私自身は、一気に断絶するのではなく、ディクレッシェンドという形で、毎年減らしていこうと思っております。年賀状のやり取りで、一番枚数が多かったのは、300枚ぐらいだったことを記憶しておりますが、それが、250枚になり、150枚になり、この20年は100枚ぐらいが続いておりました。でも、今年は90枚、来年は80枚、いずれ身の丈に合った50枚になると思っております。

 あらあら、結局、「嫌な言葉」のお話になってしまいました。