銀座みゆき通りに関する考察=灘の清酒からスティーブ・ジョブズまで

Sakura in Karatsu Copyright par Y Tamano

 東京・銀座のみゆき通り。この通りは、江戸時代、築地周辺に屋敷を構えていた諸大名が、江戸城登城の際に利用したといいます。 明治になると、明治天皇が築地にあった海軍兵学校や海軍大学校などを御視察される際、行幸路とされたため、「みゆき(御幸)通り」と呼ばれるようになったと言われております。

 私はいつも出勤の行き帰りに、よくこのみゆき通りを通るのですが、築地から日比谷方面に向かって昭和通りを渡る横断歩道の辺りで、いつも上記写真の屋上広告が目に飛び込んできます。

 「SINCE 1743」ー。何の変哲もないお酒の看板広告なのですが、これを見る度に、日本人として誇らしくなってしまいます。普段は「自由平等主義者」を自称しておきながら、この時ばかりは極右の国家主義者になってしまいます(笑)。

 「なあんだ。日本も捨てたもんじゃないなあ」

 灘の清酒「白鶴」は、「寛保3年(1743年)、材木屋治兵衛が酒造業開始」と同社の沿革に書かれています。創業1743年ということは、あの世界史のエポックメイキングとなった1789年のフランス革命より46年も前ではありませんか。八代将軍徳川吉宗の時代です。

 逆に言うと、仏革命なんて、随分最近の身近な出来事のようにさえ感じるのです。1743年となると、1776年のアメリカ独立宣言より古いんですからね。どーだ!です。

 灘の清酒といえば、東大進学率で全国的に名高い昭和3年に開校した灘学園の創設者であることは良く知られています。「菊正宗」の嘉納治郎右衛門、「白鶴」の嘉納治兵衛、宮内庁御用達「桜正宗」の山邑太左衛門によって設立されたということですが、顧問になったのが柔道の講道館の創始者で、東京高等師範学校校長、国際オリンピック委員会(IOC)委員などを歴任した嘉納治五郎です。名前から分かるように、彼は、白鶴嘉納家の縁戚だったのです。

 ま、白鶴の看板を見上げて、いつもこんな歴史的、哲学的考察をしながら歩いています。

◇「みゆき族」と加賀まりこ

 みゆき通りは、1960年代はファッション文化の発信地で、VANやJUNなどのアイビールックに身を包んだ「みゆき族」が闊歩していました。女優の加賀まりこさんなんかはその代表的アイコンだったことを覚えています。

 そのみゆき通りに店舗を構えている数多のファッションブランドの中で、ひと際目立つのが、この「ジョン・スメドレー」です。店舗の2階上辺りに同社の鷲か鷹のようなアイコンと小さく「1784」の文字が読み取れます。同社の沿革によると、1784年、ジョン・スメドレーと彼の共同経営者であるピーター・ナイチンゲールによって、イングランドのダービーシャー州マットロックのリーミルズに設立されたということです。 「世界最古の製造工場」とも書かれています。

 おお!こちらも1789年のフランス革命より古い!1743年創業の白鶴には負けますけどね(笑)。

 「ジョン・スメドレー」といえば、やはり、アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズを思い出します。iPhoneの新製品発表会の際に、いつも黒っぽいタートルネックの薄いセーターを着て登場していましたが、あれが「ジョン・スメドレー」の「レノルド」と呼ばれるモデルです。1着3万1000円ぐらいするそうですよ。そんなに高いものだったとは!

 いつも同じような格好に見えますが、彼は同じ黒のレノルドを何枚も何十枚も持っていたといわれます。ちなみに、履いているジーズンはリーバイス501、スニーカーは、ニューバランスのM991。彼は禅に興味がある(曹洞宗の僧侶、乙川弘文=故人=を「生涯の師」としして仰いだ)など日本びいきで、たびたびお忍びで京都を訪れていました。

 これも、以前このブログに書いたのですがスティーブ・ジョブズが贔屓にした京都の寿司屋は下京区の「すし岩」、蕎麦は中京区の「河道屋」…まあ、いまだに熱狂的な彼のファンがいて、色んなサイトがありますから、ご興味のある方はそちらをご参照ください。

スペイン料理で歴史と民族を考察=残虐なスペイン人のイメージは植え付けられたものか?

銀座 スペイン・バル「Virgo」

 たまにですが、家人から買い物を頼まれます。それが、イタリアの名門Venchiヴェンキ(銀座4丁目)の高級チョコレートだったり、銀座ウエスト(7丁目)のモンブランやチーズケーキだったりしますが、大抵は、築地で鰹節を買って来い、とか、お茶を買って来いとか命じられます。

 本日はお茶でした。築地や銀座などに店舗を構えている「うおがし銘茶」の「魚がし煎茶」(250グラム、1620円)というお茶です。もともと、最初は25年ほど前に調布先生から頂いて、初めてこのお茶のことを知ったのですが、家人もすっかり気に入ってしまい、専らこのお茶を飲むようになったのです。そして、なくなりかけると、家人は

 「そろそろ切れるわよ」とギロっと睨んでお終い。後は分かるだろう?といった具合で、口をつぐむのです。

 ヤクザの親分が「面白くねえなあ」と上を見上げた時、子分たちはそれは何を意味するのか瞬時に判断しなければなりません。〇✕組の親分をイテコマスのか、△〇組にチャカを持ってカチコミをかけるのかー。子分になったような気分ですよ(笑)。

「Virgo」ランチ 前菜

 私がよく行くのは、調布先生から教えてもらった銀座5丁目にある店舗です。この店の近くでは、ちょくちょく「竹の庵」という和食店でランチを取るのですが、本日はスペイン料理の「Virgo」という地下の店にしました。ここのランチは税込1000円ですから、釈正道老師にはお薦めですね(笑)。銀座には「エスペロ」という有名なスペイン料理店がありますが、こちらの方は価格がちょっと高めで、ちょっと行き違いがあったりしたもんですからもう行かないつもりです。

 「Virgo」は、確か、2度目ぐらいの訪店でしたが、味は「エスペロ」と比べても遜色ありません。何と言っても、ドリンクバーがあって、ジュースもウーロン茶もコーヒー等も飲み放題。まさにエコノミーです。

 いつの間にか、渓流斎ブログは、世界各国の料理を食べて、国際問題と歴史を哲学するブログになってしまいましたから、本日は少しだけスペインのお話。この話は、このブログで既に書いたことなんですが、私はかつて、スペインがあまり好きではありませんでした。何と言っても、フランシスコ・ピサロ、エルナン・コルテスといった軍人・征服者が、中南米のインカ、アステカ帝国を滅ぼして植民地化したからです。何という冷酷で残虐。血も涙もない、ならず者のスペイン人です。

「Virgo」ランチ 主菜はホウレンソウと鮭のグラタン

 と、ずっと思っていたら、4年程前にスペイン旅行したら、少し考え方が変わりました。ピサロ、コルテスの出身地であるエストレマドゥーラ地方をバスで通った時、その光景を見て唖然としたのです。赤茶けたごつごつとした丘と谷の大地で、とても作物なんか取れそうもありません。1960年~70年代にジュリアーノ・ジェンマらが主演したマカロニ・ウエスタンが世界的にも大ヒットしましたが、これらの映画が撮影されたのはこのエストレマドゥーラ地方だったとガイドさんから聞きました。まさに、西部劇の荒野です。

 だから、彼らは地元では食えないので、海外に逃避行するしかなかった、ということが少し分かりました。

 何と言っても、「スペイン人=悪者」説は、かつてスペインの敵だった大英帝国のアングロサクソン人によるネガティブキャンペーンの影響が強いことも分かりました。英国人は、北米大陸でインディアン=ネイティブアメリカンを惨殺したというのに、スペイン人の方が残酷だというイメージを世界中に吹き込みました。何でも「勝てば官軍」なのかもしれません。英国は1588年、アルマダの海戦で、スペインの無敵艦隊を破ってからは、世界の海の覇権を巡って、今度はオランダと争います。結局、1674年の第3次英蘭戦争で勝利を収めた英国が世界の覇者となりますが、英国のオランダ嫌いは言葉として残っています。例えば、Let’s go Dutch,「オランダ方式で行こう」というのは「割り勘にしよう」という意味で、オランダ人が如何にケチだというニュアンスを含めたと言われてます。もう一つ、有名なDutch何とかという言葉がありますが、よゐこの皆さんのために省略しておきます(笑)。

◇スペイン風邪は、本当はアメリカ風邪

 ちょうど100年前に、世界で5000万人の生命を奪って人類を恐怖に陥れた「スペイン風邪」は、本来は、第一次世界大戦に参戦した米国の兵士がヨーロッパに持ち込んで、感染が拡大したものだと言われています。当時、中立国だったスペインが正直にインフルエンザ感染の蔓延を報告したため、「スペイン風邪」と呼ばれてしまったというのです。

 もしかしたら、スペイン人はアングロサクソンと比べて、それほど小賢しくも計算高くもない、のんびりしたおっさんタイプなのかもしれません。スペイン人と結婚している京都の加藤力之輔画伯の御子息で、自身もマドリードを拠点に画家として活躍している加藤大輔氏が言ったことが忘れません。「スペイン人って結構おおらかなんですよ。英国人やフランス人は植民地にした現地人とは決して混血しませんが、スペイン人は現地に溶け込むんですよ」。確かにスペインが植民地にした南米ではペルーにしろ、アルゼンチンにしろ、混血が多いですね。なるほどです。

 何と言っても、私自身、スペイン料理といえば、パエリアぐらいしか知らなかったのですが、スペイン旅行をして、肉料理だけでなく魚介や海鮮料理も豊富で、日本人の口に合うことを知り、すっかりファンになってしまいました。ピンチョスと呼ばれる小さく切ったパンの上に魚介やハムや野菜などを載せて食べるおつまみのような前菜食は、種類が豊富で、色んな種類のものをどんどん食べたくなってしまいます。

あ、話が長くなるのでこの辺で(笑)。

銀座で出会った有名人=梶原一騎さんと乙武洋匡さんは強烈な印象でした

Jardin de Karatsu Copyright par Y Tamano

「私の銀座物語」…なんて書いても、誰も興味も関心もないことでしょうから、別に読んで頂かなくて結構で御座いますが、ブログ主宰者の特権でこのまま勝手ながら続けさせて頂きます(笑)。

 最も古い記憶は子供の頃に連れて行ってもらった時に見た森永製菓の地球儀ネオン(銀座5丁目不二越ビル、1953~83年)か、不二家のネオンか…、それとも単にテレビか映画で見ただけか、その辺は曖昧です(笑)。銀座通りはまだ都電が走っていたことを覚えていますが、1967年12月に廃止されてしまったということですから、私は当時小学生だったので記憶に間違いない。多分、不二家でアイスクリームかケーキを食べさせてもらったと思います。

銀座で最も好きなお店の一つ、文房具の「伊東屋」さん ここでお買い物

 親から銀座に連れて行ってもらったのは、地下鉄ではなく国鉄だったということを覚えているのは、当時有楽町駅のホームから毎日新聞社が見えたからです。窓の奥で働いている人さえ見えました。毎日新聞本社は1966年に有楽町から今の一ツ橋のパレスサイドビルに移転したということですから、これも間違いない。ということは、森永や不二家のネオンの思い出は、東京五輪が開催された1964年とか翌65年頃の話だったかもしれません。

 一人で行くようになったのは高校生ぐらいからで、当然、まだお酒は飲んではいけませんから、行くとしたら、本屋さんでした。晴海通りの5丁目、今、高級ブランド「ボッテガ・ヴェネタ」がある辺りに「近藤書店」という本屋さんがあり、その3階に「イエナ書店」という洋書専門店がありました。あまり、買えませんでしたが、当時の海外の最先端の文化情報を吸収しているつもりでした。今は銀座も本屋さんはほとんど消滅してしまったので本当に残念です。もう取返しがつかないでしょう。

 そう、今やなくなってしまったお店は本屋さんだけではありません。20代~40代の頃によく通った銀座6丁目の交詢社ビルに「ピルゼン」(1951~2001年)というビアホールがありました。ビルの建て替えを機に閉店してしまったと聞きます。ピルゼンは、チェコのビールだと聞いたことがありましたが、そもそも現在、世界で飲まれているビールの80%を占め、ビールの代名詞とも言えるピルスナービールは、ドイツではなく、このチェコのピルゼン(プルゼニ)という街で誕生したというのです。ここで、おつまみとして食べたニシンの酢漬けが懐かしい。もう1軒、この旧交詢社ビルには「サン・スーシー」(1929~2001年頃)というバーがありました。文豪谷崎潤一郎が名付け親と言われ、フランス語のsans souciは、「憂いがない」「心配ない」といった意味です。

 大抵、酔っぱらって行ったので、場所を覚えていなくて調べ直したら、どうやら「ピルゼン」と同じ旧交詢社ビルだったことが分かり、吃驚。案外狭い範囲で飲んでいたことになります。もう誰と一緒に行ったのかあまり覚えておらず、当然、何を熱く語っていたかも覚えていません。ビールの泡と一緒に消えました。嗚呼。これも残念。

「伊東屋」の近くでランチ店を探していたら、結局「煉瓦亭」になってしまいました。7年ぶりでした。

 なくなった話ばかりではつまらないので、話題を変えますと、銀座ですから、歩いていると色んな有名人に出くわします。何と言っても、一番の強烈な印象を放っていたのが、「巨人の星」や「あしたのジョー」などで知られる漫画原作者の梶原一騎(1936~87年)さんでした(歴史上の人物とはいえ、とても呼び捨てできません!)。確か、1985年春頃、狭いみゆき通りの歩道ですれ違いそうになったのですが、梶原一騎さんは、実弟で空手家の真樹日佐夫(1940~2012年)さんをボディガードのように引き連れて、二人とも上下純白の高級スーツに黒っぽいネクタイなしのシャツを着こんで、肩を切って歩いてこっちに向かって来ました。梶原さんは薄いサングラスをかけ、その筋の人ではないかと思われるような威圧感。私? 曲がりたくもないのに、直前の並木通りを右折して逃げましたよ(笑)。

 他に、今はどうされているのか、3年ほど前に沢尻エリカさんと出くわしたことがありますが、大人の対応で、何も知らない、何も見ないふりを致しました。彼女はどこか危なげな症状に見えたのはこちらの錯覚だったと思いますが、数人の取り巻きさんに囲まれていました。落語家の三遊亭好楽さんは、両手に花(女性です)を抱えて、横断歩道を歩いてました。随分背が小さい人だなあという印象でした。また、名前が出てきませんが(笑)、ちょんまげを結った国会議員がいたじゃありませんか。彼もホステスさんに拉致されるように高級クラブに消えていったことを覚えています。

元祖ポークカツ(2000円)とライス(300円)煉瓦亭は明治28(1895)年創業。三代目が7年前に引退して、今の御主人は四代目。昔は1500円ぐらいだったと思うんだけどなあ。この値段ですから、釈正道老師にもお薦めです

 最後に一人挙げるとしたら乙武洋匡さんでしょうかね。今年1月某日の夕方でしたが、あの特殊な自動運転車いすに乗られて、アシスタントらしき妙齢の女性と談笑しながら「歩いて」おられました。乙武さんは2016年3月、不倫騒動とかを週刊新潮で報じられ、あれから相当苦労されたようでした。まさか銀座で本物と出会うとは本当に吃驚してしまいました。餓鬼ではないので、追いかけたりしませんでしたが、思わず振り返ってしまいました。何か宝くじに当たったような気分でした(笑)。

 まあ、実につまらない「私の銀座物語」を最後までお付き合い下さり、誠に有難う御座いました。本当は、ジャーナリストとして有名人さんとは多くお会いしてきましたが、銀座はプライベートで、仕事以外でお見かけしたという話でした。失礼をば仕りました。

毛沢東の負の側面を知らない?=「青山シャンウェイ銀座店」で孤独のグルメ

「青山シャンウェイ銀座店」メニュー

 さて、そろそろランチにでも行こうかと思ったところ、皆さま御存知の釈正道老師からメールが来ました。

 写真を送ります。昨日の春の嵐で散った遅咲きの山茶花です。ところで、最近の渓流斎ブログは、ようやく読者の期待に応えて、グルメブログに特化したと思ったら、昼飯にしては随分と高額ですねえ。金を拾ったか、闇営業か? そして何よりも、また悪い病気が出て、ゾルゲの蘊蓄まで開示するとは! 一読者として、これからは、城址探訪の短いエッセイと(長いのは駄目ですよ)、知る人ぞ知る銀座の千円ランチ情報を待っております。

Sazanka Copyright par Syakuseido

 山茶花の写真をどーせーーちゅうねん?

それに何ですか!?「金を拾ったか、闇営業か?」とは!!!

 失礼な。ちゃんと自腹で払っておりまする。

 昔の偉い人も言ってますでしょ? 「子孫に美田を残さず」と。生きているうちに、自分で稼いだ財産は使い果たすべし。変に残すと相続争いの元だと。

 あれ? これは誤用で、本来は、西郷隆盛が言ったとされる「児孫のために美田を買わず」が正式な言い伝え。その意味するところは、「子孫に財産を残そうと私利私欲に走るようでは志を果たすことはできない。志を遂げるためには全てを犠牲にする覚悟を持て、という自分自身への戒め」だというんですね。

 ま、い、か。

 とにかく、死んでしまったらあの世に持っていけないんですから、生きているうちに、本懐を遂げさせてくださいな、釈正道老師。

「青山シャンウェイ銀座店」」

 さて、「渓流斎ブログは、グルメブログに特化したわけでは決してありません」と、断っておきますが、釈正道老師から「知る人ぞ知る銀座の千円ランチ情報を待っています」と命令されるもんですから、本日は、仕方なく、一読者さまのご要望にお応えして、行って参りましたよ。

 「青山シャンウェイ銀座店」という一風変わった中華料理店です。何しろ、店内に上記写真のように、毛沢東の集団絵画があったり、メニューの中には「毛沢東ポークのパイコー麺」なるものもあります。この店にとって、毛沢東はヒーローなのかもしれませんが、毛沢東と言えば、大躍進政策と文化大革命で数千万人の犠牲者を出した世界史上最大の虐殺者と主張する学者もいますから、ヒーローなどと、そんな牧歌的な甘い雰囲気に浸ってられません。

 もしかしたら、お店の人は、大躍進も文化大革命も知らず、毛沢東にそんな負の側面があることなど全く知らないのかもしれませんが…。

「柔らか蒸し鶏の葱油醤油まぜそば」 900円

 いずれにせよ、何でこの店にしたかといいますと、あの「孤独のグルメ」で取り上げられたという「柔らか蒸し鶏の葱油醤油まぜそば」を食べてみたかったからです。900円ですから、釈正道老師にも御満足いただけることでしょう。

 蒸し鶏がそのまま骨付きで入っていて、麺もモッチリした歯ごたえでした。個人的には、タレがちょっと辛かったかなあ、という感想ですが、好きな人が多くいるかもしれません。お店は結構満員でした。

 あれっ? やっぱし、グルメブログになってしまいましたか? いえいえ、「世界の食を通して、歴史と国際問題について考察するブログ」ということにしてください。

 

 

スパイ・ゾルゲも歩いていた銀座=ドイツ料理店「ケテル」と「ローマイヤ」

 東京・銀座の電通ビル(1933年、横河工務所=三越本店、旧帝国劇場なども=設計、大林組の施工で建てられた電通本社二代目)

 《渓流斎日乗》TMは、ほとんど誰にも知られていないのですが、「世界最小の双方向性メディア」と銘打って、ほぼ毎日更新しております。

 でも、たまに、大変奇特な方がいらっしゃいまして、コメントを寄せてくださいます。洵に有難いことです。昨晩も小澤譲二さんという方から嬉しいコメントを頂きました。まだ面識はありませんが、かなり熱心にお読み頂いていらっしゃるようで、私の心の支えになってくださっております。

 「コメント欄」を御覧になる方はあまりいらっしゃらないと思いますので、重複になりますが、本日は、小澤氏のコメントを引用させて頂くことから始めます。一部省略致しますが、小澤氏は昨晩、こうコメントして頂きました。(一部、捕捉し、誤字等改めています)

かつて「ケテル」があった所(銀座並木通り) 今は、高級ブラント「カルチェ」の店になっています

 もうかれこれ20年も前ですが、私の友人ヘルムートが80年近く祖父の時代から続くドイツレストラン「ケテル」を銀座で経営していましたが、家賃高騰とイタリア飯ブームに押されて、やむなく店を閉めました。私の叔母や母も戦前、Mobo、Mogaの時代の頃に勤めていた朝日新聞社から近かったのでよくこの店に通っていた、と聞いています。

 えーーー!ですよ。

 私もこのコメントに返信したのですが、この「ケテル」は戦前、「ラインゴールド」という名前のドイツレストラン兼酒場で、ここでホステスとして働いていた石井花子(1911~2000年)が、客として通ったスパイ・ゾルゲ(1895~1944年)と知り合った所だと聞いたことがあったからです。石井花子は、ゾルゲの「日本人妻」とも言われ、「人間ゾルゲ」の著作もあり、私も読んだことがあります。(彼女には文才があり、とても面白かった。)ちなみに、「ケテル」は、閉店する前の1980年代~90年代に私は何度かランチしたことがあります。

 石井花子は戦後、処刑されたゾルゲの遺体を探し当てて(雑司ヶ谷の共同墓地に埋葬されていた)、改めて多磨霊園に葬って非常に立派なお墓を建てました。2000年に彼女が亡くなった後、彼女の縁者がこの墓を管理していましたが、今年1月になって、墓所の使用権を在日ロシア大使館が譲り受けることになり、久しぶりにニュースになったことは皆さまご案内の通りです。ゾルゲは、ソ連の「大祖国戦争」を勝ち抜くことができた、今ではロシアの英雄ですからね。

銀座電通ビル 1936年、日本電報通信社(電通)は聯合通信社と合併させられ、同盟通信社となった。戦前は、同盟通信の一部(本体は日比谷の市政会館)と外国の通信社・新聞社が入居 ドイツ紙特派員ゾルゲと、諜報団の一員アヴァス通信社(現AFP通信)のブーケリッチもこのビル内で働いていた

 その石井花子をネットで検索してみたら、そこには「1941年10月4日のゾルゲの誕生日に銀座のドイツ料理店『ローマイヤ』で会食したのが最後の面会だった(ゾルゲ逮捕はその2週間後の10月18日!)」と書かれていたので、これまた吃驚。ローマイヤは、何も知らずに今年1月に初めて行った店じゃありませんか。

ということで、本日は再度、銀座のドイツ料理店「ローマイヤ」に足を運びました。

 銀座並木通りの対鶴ビルにあった「ローマイヤレストラン」の店頭に立つローマイヤさん(「ローマイヤレストラン」の公式ホームページから)※安心してください。お店の店長さんからブログ転載を許諾してもらいました!

 全く知らなかったのですが、そもそも、この店は、第一次世界大戦後にドイツ人捕虜として日本へ連行され、その後、祖国では食肉加工の仕事をしていた縁で帝国ホテルでの職を得てロースハムなどを生み出したアウグスト・ローマイヤ(1892~1962年)が1925年に銀座並木通りの対鶴ビルに開いたドイツ・レストランで、谷崎潤一郎の「細雪」などにも登場。ゾルゲやドイツ大使館員らが足繁く通った店でした。1991年、ビルの改装に伴い日本橋にビアレストランとして移転していましたが、2006年に別の経営者によって銀座8丁目に店舗が復活したというのです。(「ローマイヤレストラン」の公式ホームページによると、現在の銀座あづま通りにある店舗は、2019年3月22日に新装開店したようです)

「ローマイヤ」は1921年に東京・大崎にハム・ソーセージ工場を建設し、製造開始したことから今年で創業100周年。

 ソ連赤軍(現ロシア軍参謀本部情報総局=GRU)のスパイだったドイツ人リヒャルト・ゾルゲがフランクフルト・ツアイトウング紙の特派員などとして勤務していた銀座電通ビルから「ラインゴールド」も「ローマイヤ」も歩いてほんの数分です。今も昔も、世界的な名声から(笑)、ドイツレストランはそう多くありませんから、恐らく、ゾルゲは週に何度もこれらの店に通ったことでしょう。

銀座「ローマイヤ」ランチ「豚ばら肉のロースト~中華風BBQソース~」コーヒー付で1100円

 あれから80年以上経って、ゾルゲも歩いたであろう同じ銀座の歩道を歩いたり、同じように食べたであろうドイツ料理を食したりすると、大変感慨深いものがあります。

 私はいつも歴史を身近に感じ、普通の人には見えない、現実には消え去ってしまったモノを想像することが好きなのです。

ミャンマー国軍による武力鎮圧で既に180人超の犠牲者

 食を通して、国際問題を考えるシリーズー。第365回(フェイクです)の本日は、今、毎日の新聞紙面で見かけない日はないミャンマーとその料理です。

 の、つもりでしたが、ガビーン。探して、探して、行ったらお店は閉まっていました。おかしいなあ…。月~金11:30~14:00はランチって書いてあったのになあ…。

 世界中の料理が食べられる「世界のグルメ 銀座」の触れ込みなのですが、銀座にはミャンマー料理店は1軒もないようです。都内の「ミャンマー料理店」を探してみたら、どういうわけか、高田馬場に集中していて、ここだけ20軒近くあります。在日ミャンマー大使館は北品川にありますが、高田馬場は、在日ミャンマー人が多く住んでいるということなのかもしれません。

 昨日のこのブログで、ロシア料理店のことを書きましたが、大好きな「チャイカ」は、高田馬場にあって、銀座から遠いので昼休みに行けない、といったことを書きました。ということで、同じように、高田馬場にあるミャンマー料理店にも行けそうにありません。

 結局、もう一回調べたところ、銀座に近い新橋に1軒だけあることが分かり、本日はその店を目指して出かけたわけなのです。会社から急いで歩いて20分かけて。

新橋「くしかぶき」

 「くしかぶき」という店でしたが、最初に書いた通り、さんざん探して見つけたと思ったら、閉まっていたわけです。コロナ禍の影響でしょう。仕方ないので、「証拠写真」としてメニューの看板写真を撮っておきました。

 ここで、ミャンマー料理を食べながら、ミャンマーに思いを馳せるつもりでしたが、残念。仕方がないので、この近くの居酒屋「新橋三丁目 魚市場」という店で、コロナ禍で仕方なく始めたらしいランチ「漬け刺身定食」(980円)を食べながら、軍事政権下で苦しむミャンマーの人々への思いを馳せました。

 ミャンマー国軍による突然の軍事クーデタが勃発したのは2月1日のことでした。それから全土で民衆のデモが広がりましたが、1カ月半経った3月16日の時点で、少なくとも180人を超える犠牲者が出ていると報道されています。

 ミャンマーで何が起きたのか、何が起きているのかーについては、日経ビジネスの取材で、ミャンマーの政治・軍関係者とのつながりが深い日本経済大学の井本勝幸特命教授が明解に答えています。結論を先に言えば、混乱の要因は、国軍がここまで民衆の反発が強いとは想定していなかったことにあるといいます。民衆は、陰で文句を言いながらも、最後はクーデタや国軍の支配を受け入れるだろうと国軍が浅読みしていたからだといいます。

 勿論、アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が国軍の動きを見誤り、対応に失敗したことが混乱の最大の原因です。しかも、スー・チー氏拘束でリーダー不在となり、NLDはほとんど機能していないといいます。

 井本特命教授によると、表向き、全権を握ったのは国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官(64)となっていますが、裏で糸を引いているのは、旧軍政トップとして独裁体制を敷いたタン・シュエ氏(88)ではないかといいます。

 また、ミャンマー国内外では、「中国が国軍を支援している」との見方が強まっていますが、むしろ、中国一辺倒だったのは、スー・チー政権の方で、国軍は中国の影響力の増大には危機感を強め、近年、中国ではなくロシアから兵器を購入していたといいます。クーデターの数日前にはロシアの国防相がミン・アウン・フライン総司令官と会談しているので、国軍は中国とロシア、そして中国の進出に神経をとがらせる隣国インドとのバランスをうまく取りながら、難局を乗り越えていこうしているのではないかと、井本特命教授は見ています。

 なるほど、随分、すっきりした解説でした。

「新橋三丁目 魚市場」 「漬け刺身定食」(980円)

 どうも、国際社会は、「スー・チー氏=善 VS 国軍=悪」と、単純に断罪しがちですが、そう物事は単純ではなさそうです。勿論、クーデタを起こし、民衆を武力鎮圧する国軍側に非があるという前提の上ですが、ノーベル平和賞受賞のスー・チー氏でさえ、ロヒンギャ族虐殺・迫害に関しては、黙認したことから、批判の矢面に立たされ評判を落としました。

 東南アジアでは、お隣のタイ軍事政権もそうですが、軍人が最も高い水準の教育を受けることから、軍人のエリート意識は異様に高く、支配者階級となるのは当然だという傾向が強いと言われています。

 日本とミャンマーの関係は深く、先の戦争では「インパール作戦」が展開され、援蒋ルートなどもできました。あの「戦場にかける橋」や「ビルマの竪琴」の舞台になったのもミャンマーです。現在では、日本政府の円借款などで、最大都市ヤンゴンから南東に20キロに同国初の経済特区ティラワが設けられ、多くの日本企業も進出しています。

 ミャンマーは熱心な仏教徒が多いわけですから、殺生や争いごとは本来、なじまないはずです。旧宗主国の英国の影響力は低下し、恐らく水面下で、米、中、ロ、印による駆け引きが続いていることでしょうが、日本も何らかの形で解決に貢献できないものか。陳腐な表現ながら、一国民として願っています。

 

 

 

ナワリヌイ氏に思いを馳せてロシア料理=銀座「ロゴスキー」で「つぼ焼きランチ」

  ロシア当局によって拘束された反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏は今、どうなっているのかと思ったら、首都モスクワから約100キロ東方のウラジーミル州ポクロフにある刑務所に収監されているといいます。(3月15日付ロイター電)

 ナワリヌイ氏の体調は良好だと伝えられていますが、弁護団の訪問を受けた直後に投稿されたインスタグラムのメッセージで、彼は「ロシアの刑務制度に驚いたことを認めざるを得ない。モスクワから100キロの場所に本物の強制収容所を作ることが可能だったとは全く想像しなかった」と発言しております。

 スターリン時代のラーゲリが復活しているということでしょうか。何とも恐ろしい…。

 ロシア全土でナワリヌイ氏の釈放を求めて抗議デモが展開されましたが、プーチン政権は強権を発動してナワリヌイ氏の妻ユリア・ナワルナヤ氏らを含め1600人以上を逮捕するなど抑圧しています。

 ということで、ロシアに思いを馳せて、本日は、銀座のロシア料理レストラン「ロゴスキー」に行って参りました。渋谷にある「ロゴスキー」は気に入って、もう随分昔ですが、友人たちと何度か行ったことがありましたが、銀座の「ロゴスキー」は今回が初めてです。

 というのも、ロゴスキーが入居している銀座のビルには中国人観光客御用達の家電量販店「ラオックス」があり、いつもいつも中国人観光客でいっぱいに溢れていて近づきにくかったこともあります。今は、コロナ禍で、そんなことはありませんが。

 でも、知る人ぞ知る有名店なのか、本日行っても、(緊急事態宣言下なのに)ほぼ満席で、私が出る頃には2~3人の客が外で待っていました。

前菜サラダ

 この店は「1951年創業 日本で最初のロシア料理レストラン」と銘打っています。一番の老舗です。でも、個人的には、ハルビン学院出身で恵雅堂出版を創業した麻田平蔵氏が高田馬場に開いたロシア料理店「チャイカ」(1972年創業)の方が味といい、良心的な価格といい、好きですね。皆さんにも是非お勧めです。昼休みは時間がないので、高田馬場まで行けないのが残念です(苦笑)。

ピロシキ(左)とボルシチ

 ロゴスキーと言えば、「つぼ焼き」なので、「つぼ焼きランチ」を注文しました。メニューをよく見たら、これが一番安くて2200円。一番高いランチコースは「ロゴスカヤ」で3960円でした。

 ランチでこの価格ですから、当然ながら、客層は富裕層に限られていました。まあ、服装と装飾品を一目見るだけで、それとなく分かります。中には高級ワインのボトルを昼間から開けているお客さんも目立ちました。逆に言えば、なるほど、こういう顔付き、こういう仕草をする人間が富裕層なのか、ということが手に取るように分かります。

 でも、私の斜め前方のテーブル席に座っていたアヴェックは、どう見ても怪しい。若い女性の方は20代の女子大生風。男性は初老、いや70歳は軽く超えていると思われる白髪の紳士。聞きたくもないのですが、女性は興奮して、結構ヴォリュームを上げて話しているので、耳に入ってきてしまいます。

名物「つぼ焼き」

 「ねえ、パパ。いいでしょ、いいでしょ?ねえ、買って、買ってえ」

 そのものズバリ、「パパ活」なのかもしれません。でも、パパ活にしては年が離れすぎています。「爺転がし」と言った方が無難かもしれません。とはいえ、白髪の紳士が可哀想かと言えばそうでもない。若い女子大生はこちら側を向いていたので、顔も表情もよく見えたのですが、白髪紳士は後ろ向きなので、表情が分からない。でも、声は聞こえます。

 「うん、うん、分かった、分かった」

 満更でもない表情を浮かべていると想像されます。

 どっちもどっちです。狐と狸の化かし合い。本当にどうでもいいんですが、もうちょっと声を抑えて会話してほしいなあ。食事をしていても、気が散ってしょうがない。

ロシア紅茶 勿論、ジャム入り

 ということで、ナワリヌイ氏の不遇に思いを馳せて、ロシア料理を選んだのに、怪しいカップルには水をさされてしまいました。

 でも、入場料2200円を支払って、生の人間観察と社会見学ができたと思えば、安上がりですんだかもしれません。

 とはいえ、一番安いランチにしたせいか、美味しかったですが、個人的にはちょっと量が少なかったなあ。腹六分目といった感じでした。

 ロシアといえば、何と言っても、トルストイ、ドストエフスキーと人類が産んだ最高峰の文学者を輩出しています。他にチャイコフスキーやムソルグスキーら偉大な作曲家もいますが、彼らも同じようにピロシキやボルシチを食べていたかと思うと、感無量になるではありませんか!

 

マスクの下を見たかった=助平爺の独白

 熱は出ないのですが、一時間ごとぐらいに猛烈に咳き込む「喉風邪」を引いてしまいました。なぜか、二週間以上も経つのになかなか治りません。

 熱が出ないし、食欲もあるので、日常生活に差し障りがほとんどないのですが、困るのは通勤電車の中で咳き込んでしまうことです。何十人もの白い眼がさっとこちらに向けて突き刺さってきます。

 「しゅびばせんねえ」と志村けんのヒトミばあさんのように謝るしかありません。

  喉風邪に加えて、花粉症ですから、頭がボーとして、気分もスカッとしません。

 生きていてもつまらないし、「何かいいことないかなあ」と願っても、街中は緊急事態宣言下で、皆不機嫌そうに歩いています。それに、ほぼ全員、マスクをしているので、ここしばらく、笑顔にも接していません。仏教用語でいうところの「和顔施(わがんせ)」のことです。

 そう言えば、皆マスクをしているので、他人様の鼻や口を見なくなって久しいことに気が付きました。一体、どんな形だったことやら、忘れかけてしまうほど、最後に見たのは遠い昔の話でした。

 それが、幸運にも、本日、本当に久しぶりに、他人様の鼻と口を見る機会を得たのです。お昼にレストランに入って待っていたら、通路を挟んで向こう側のテーブル席に若い二人の女性が案内されました。普通なら向かい合って座るのに、二人はわざわざ隣同士に並んで座ったので、向こうのテーブルと通路と私のテーブルを挟んで、向かい合うことになってしまいました。まあ、10メートルぐらいは離れていたことでしょうが。

 食事をするので、当然、その時はマスクを外します。まあ、真正面で向かい合って座っておりますから、見たくなくても相手が見えてしまいます。すると、どう見ても、10代後半か20代初めのピチピチギャルでした。顔の肌には皺がひとつもなく、ピンと突っ張っていました。服装から年齢層は最初から分かっていましたけど(笑)。

 この後書くことは、恐らくPC(ポリティカルコレクト)に欠けて、糾弾されるかもしれませんけど、二人は特に超美人というわけではありませんでしたが、青春のど真ん中で、「箸が転んでもおかしい年ごろ」のようで、何でもない話でも愉快そうに笑っていました。

 特に、私から見て右側の女の子は、その唇が、想像していた以上にぶ厚くて、とても蠱惑的で、まるでスクリーンの中の女優さんのようにさえ見えてきました。私は食事をしながら、チラチラと眺めました。いやあ、実に、眼福、眼福でした。

 えっ?やっぱり、PCに欠けて、単なる助平爺(スケベ シャチョウさん)の発言ですか?

 まあ、許してつかあさい。

 年を取っていくと、生きる喜びも愉しみもだんだんなくなってしまうものなのです。貴方には想像もつかないと思いますけど。

 相手に気付かれないように、チラッと見ていただけです。まるで、SFの世界ですが、単にマスクの中を見たかっただけなのです。

 こうして、罪を告白しましたから、どうか許してつかあさい。

(「命みじかし 恋せよ 乙女」と心の中で叫びました。古い!)

中国大陸料理で「倍返し」=銀座「天龍」の餃子はデカい

 先日、このブログで、可哀想な台湾のために少しでもお役に立ちたい、という思いで、台湾料理店「銀座 金魚」に足を運んだ話を書いたところ、早速、ある筋から「分かっているだろうな」と低い声で囁かれました。

 そこで、本日は中国大陸の料理に「倍返し」ということで探した挙句、銀座「天龍」に行くことに致しました。餃子では「日本一」と評判のあの有名店です。昭和24年創業、ということですから、東京でいえば老舗と言えるかもしれません。

 私も以前に何回か行ったことがありますが、今ある場所に移る前の1階にあった頃です。現在は、地下鉄有楽町線「銀座1丁目」駅に直結したビルの4階にありました。

 さすが人気店ですから、コロナ禍とはいえ、少し待たされました。

「銀座 天龍」の餃子ライス・ランチ1250円

 訪れるのは6~7年ぶりですから、すっかり味も作法も忘れておりました。迷った末、焼き餃子(8個入り、1150円)と銀座のラーメン(980円)を頼んだところ、お店の人が「多いですよ。餃子とライスで十分だと思いますよお」と言うので、作法に従うことにしました。

 細かい話ですが、餃子と別にライスを注文すると、ライス小だと200円、ライス大だと300円でした。でも、ランチの「餃子ライス」だと1250円。つまり、ライス分は100円で済んでしまうのです。

 少し待って運ばれてきた餃子を見て、ビックリ。「デカっ!」と声が出るくらいでした。

このデカさ!

 8個入りですから、食べても食べても減りません。たい焼きじゃありませんが、尻尾までお肉がパンパンに入っていました。お店の人が正解でした。これに、ラーメンでは、お腹ぱんぱんになるところでした。「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんのように、そんなに沢山食べられませんよ。腹八分目で十分。勿体ないことに、餃子2個も残している先客さんもいました。

 結局、台湾料理を食べたお蔭で、文字通り、「倍返し」で、中国大陸料理を食べることになりました。何か、予言やお告げに従って生きているようで、自分でも怖いです。

 

台湾応援のため台湾料理を銀座「金魚」で食す

銀座 台湾料理「金魚」 

 本日も当局の監視の目をかいくぐってグルメの話題で胡麻化します。

 とは言っても、かなり政治的な話題に触れます。2028年にも米国を抜いて世界一の経済大国になると言われる中国のことです。

 その中国が3月1日から台湾産パイナップルの輸入停止を始めたというのです。中国当局の発表では、その理由は、害虫が発見されたからというものです。台湾産パイナップルの中国への出荷量は輸出全体の9割を占めていたので、台湾の農家にとっては大打撃です。

 台湾では「害虫説」を信じる人はほとんどいません。パイナップルの一大産地である台湾南部は蔡英文総統の与党民進党の支持者が多いため、中国が蔡政権を追い落とす策略のために輸入停止の措置を取ったのではないかと穿った見方をする人もいます。蔡政権はコロナ対策で成功し、支持率も高かったので、中国は、苦肉の策を弄したということでしょうか。

台湾料理「金魚」ランチ「ルーロー飯と台菜麺」1120円 ホットコーヒーを食前に持ってくる風習のようでした

 はっきり言って、大国中国は大人げないですね。弱い者いじめは良くないですよ。台湾だけでなく、国内では同化政策を強行しています。香港では国家安全維持法を施行し、自由と民主主義を弾圧し、「一国二制度」の約束を反故にしようとし、内モンゴルやウイグル地区などでは、固有の言語であるモンゴル語やウイグル語などを禁止して、漢語一辺倒での教育を強制しています。

 中国の今年の防衛費も昨年比6.8%増で、日本円で22兆円余りと日本の防衛費の4倍。アジアの周辺国だけでなく、欧米各国にも脅威を与えています。

 勿論、中国にも言い分はあるでしょう。19世紀から20世紀にかけて欧米列強と、急速に近代化を成し遂げた日本によって、植民地化されるなど長い間支配され、「もう二度と騙されないぞ」と「富国強兵」国家樹立に邁進せざるを得なかったとも言えます。中国にとって、台湾はあくまでも「自国領土」であり、国際社会の批判は「内政干渉だ」と敏感になっています。

 あれっ? グルメの話をするはずが、いつの間にか、生臭い話になってしまいましたね(笑)。

台湾料理「金魚」

  そうなんです。中国による台湾パイナップル禁輸のニュースを聞き、台湾を応援したくなり、本日、台湾料理店に行ったわけです。

 調べたところ、銀座で一番の人気店が、メルサ4階にある「金魚」という店だということで、初めて行ってみました。

 さすが、人気店で、ちょっと待たされましたが、本場台湾の味でした。台菜麺が美味かった。数年前に台湾旅行した時の味を思い出しました。

 今度またこの店に行くとしたら、今回注文しなかった台湾名物「小籠包」でも頼んでみようかしら。

 それとも、こんなことを正直に書いたので、高級中国飯店に行って「倍返し」しなければならなくなるかもしれません。