「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。

「スマホなしの日」、または「断スマ」

 2017年9月に独立して、新しくこの《渓流斎日乗》ブログの専門サイトをIT専門家の松長氏の尽力によって立ち上げた時は、まだ元気いっぱいで、朝の通勤電車の中で、スマホを使ってブログ更新をしておりましたが、今ではそれが夢のようです。

 日々、仕事でパソコンを使っているため、最近は、酷い眼精疲労で、寝ても醒めても眼痛がひどくて、活字がぼやけて、更新するのも大変です。肉体的に限界になり、「スマホ休養日」を取ることにしました。先日の投稿記事「スマホを使うとバカになる」で書きましたが、川島隆太東北大学加齢医学研究所長の「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文にもモロ影響されました(笑)。

 川島氏によると、言葉も、ネット検索して調べていては、脳の器官が使われていないということでしたね。ということは、記憶として定着しないということです。私はこの10年近く、英単語も仏単語も電子辞書を使っていたのですが、これからは、なるべく紙の辞書を使うように戻しました(笑)。

 我ながら、人間が実に単純に出来ております(笑)。ということで、このブログも「毎日更新」から、眼が疲れている時は「お休み」に方針転換致します。ご理解の程、賜ります。

Alhambra, Espagne

 さて、英単語の話が出たことで、語学のお話をー。小生、老境の域に入りながら、いまだにこの年で、語学の勉強しています。哀しいかな、今や、覚えてもすぐ忘れてしまいます。もし、このブログをお読みの若い方がいらっしゃれば、語学は若いうちですよ、と御助言申し上げます。遅くても40代まででしょうね。50代になると急激に低下し、それ以降は言わずもがなです。

 先日、ラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、こんなフレーズが出てきました。

 Diplomacy is definitely the order of the day in a situation like that.

 単語はいずれも中学生レベルで、難しくありません。

 「外交は、そのような状況では、その日の決まった秩序になる。」という意味かと思ったら、な、な、何と「確かに、そういう状況でしたら相手にずばずば言い過ぎないことが重要です。」と訳されていました。

 Diplomacyは、外交のほかに、「婉曲にものを言う」という意味があるそうで、全く知りませんでしたね。the order of the day はイディオムで、「時代の風潮」とか「ふさわしい」「重要だ」という意味があるらしいのですが、かなりレベルが高いフレーズだと思います。

 このように、何歳になっても語学を習得するなんて夢のまた夢ですよ。

 若い頃からの「乗りかかった船」で、フランス語の勉強も続けておりますが、英語の常識とはかけ離れているので、面白い点が多々あります。

 例えば、

 ・smoking

 ・four

 ・email

 これが英語なら、上から下に「喫煙」「4」「電子メール」と答えるのが、「常識」ですが、もし、これが仏語なら、「洋服のタキシード」「かまど、オーブン」「エナメル」という意味になってしまうのです。

 つまり、何を言いたいかと言いますと、「常識を疑え」ってことですかね(笑)。

 

スマホを使うとバカになる

 《渓流斎日乗》は、ほぼ毎日書いておりますが、書き終わるたんびに「こんなこと書いても何の足しにもならない」と後悔してしまいます。自分は醒めた人間ですからね(笑)。しかも、何処からか原稿料を貰っているわけでもなく、職業として成り立っていないので、時間の無駄を感じてしまいます。

 とはいえ、最近は、ボチボチと「コメント」してくださる人も増え、当初の「世界最小の双方向性メディア」の目論見が少し達成できたようで、嬉しく感じでおります。全て皆様のお蔭です。有難うございます。

Alhambra, Espagne

 今日は、いつもと違って、凄く書きたくて書いております(笑)。大袈裟ではなく、実に衝撃的な論考を読んだからです。先週発売された月刊「文藝春秋」4月号に掲載されていた 川島隆太東北大学加齢医学研究所長による「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文です。

 乱暴に要約しますと。「スマホを使うとバカになる」と実証データで検証しているのです。(すみません。筆者の川島氏はそんな直裁的な表現はしてません。あくまでも、この論文を読んだ個人の感想です)

Espagne

 この話に入る前に他の話をします(笑)。ここ1カ月近くも読んでいた本を昨日やっとのさのことで読破できたからです。(そのため、月刊文春を読むのが遅れたのです=笑)

 今さらながらですが、船橋洋一著「通貨烈烈」(朝日新聞社)という本です。初版発行が1988年5月20日ですから、もう30年以上も昔の本です。「プラザ合意」の内幕を知りたくて参考文献を探していたら、「国際金融アナリスト」の肩書きを持つ会社の同僚が「日本の経済ジャーナリズムの頂点ともいうべき作品。たまたま2冊所有していたので、新しい経済学徒の貴兄に差し上げます」と有難いことに「謹呈」してもらったのです。

 著者の船橋氏は、御存知、まさにジャーナリストの頂点ともいうべき大手新聞社の「主筆」を務めた方で、現在、財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長を務めておられます。(この財団は色んな噂があるようですが)お会いしたことはなく、写真を拝見し文章を読んだだけですが、「鬼に金棒」「向かう所敵なし」といった漲るほどの自信に満ち満ち溢れ、私のようなドサンピンが100人束でかかっても負けない感じです。

 で、この本を読んでみて、実際そうでした。船橋氏は1944年生まれですから、この本を出版した時、43歳ぐらいだったでしょうが、その年齢で、よくあれだけのものが書けたものです。日本の中曽根首相、ベーカー米財務長官、ボルカーFRB議長、バラデュール仏蔵相、ペール西独ブンデスバンク総裁ら錚々たる世界各国の蔵相、財務長官、首相、中銀総裁ら普通の人がとても会えない金融、財政を取り仕切る重鎮100人以上に面談する桁違いの取材力です。失礼ながら、大手新聞社という看板があったからかもしれませんが、当時の筆者は、米国の国際経済研究所(IIE)の客員研究員として「出向」し、もともと英語で執筆したというのですから魂消ました。

1985年9月22日、米ニューヨークのプラザ・ホテルで五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開催され、米国の巨大貿易赤字解消のために為替問題が話し合われます。これがいわゆる歴史に名高い「プラザ合意」です。会議が開催された頃、1ドル=240円だったレートは、みるみると円高になり、1987年末には1ドル=120円と、何と「半額」になってしまいます。 

 同書は、そのプラザ合意からルーブル合意(87年2月21日、パリ・ルーブル宮で開催されたG5)に至る内幕を関係者の証言をアラベスクのように集積して推測、分析、論考したもので、ハルバースタムの名著「ベスト・アンド・ブライテスト」に匹敵するノンフィクションの金字塔かもしれません。

でも、私のようなドサンピンでは理解度が中途半端で、急激な円高やDM高などについては「よく分からなかった」というのが本音ですが、むしろ、プラスの意味で、理解できなかったということは、収穫でした。恐らく、当時の金融当局の権威者たちも、「市場の推移に任せた」ため、あそこまで変動するとは思わなかったのではないかと愚考しました。(同書が書かれた当時は、まだ「ベルリンの壁」が崩壊する前で、GDPよりもGNPを経済指標として重視していた時代で、中国も台頭していないので、現在の状況とは全く違うことも痛感できました)

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 これから、やっと本題のスマホの話です(書く方は疲れるのですが、読む方は、もっと疲れることでしょう=笑)

 川島氏の論文は、東北大学と仙台市教育委員会が共同で、2010年から継続して、毎年約7万人の仙台市立小・中学校に通う児童・生徒全員を対象に行った「学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト」の調査結果を基に導き出したものです。内閣府の調査では、2017年に全国の小学生の約30%、中学生の約58%、高校生の約96%がスマホを利用しているといいます。

 調査では、携帯・スマホの使用時間と学習時間の長さと成績の関係も調べました。結論から先に言いますと、スマホの、特にLINEなどのSNSを使えば使うほど、学習時間や睡眠時間などに関係なく成績が落ちるというのです。タイトルにある通り、偏差値が10も低くなるというのです。

 川島氏は「脳トレ」で名を馳せた脳科学者でもありますが、こんなことを書いております。

 …たとえば、「忖度」という言葉の意味を紙の国語辞典とスマホを使ってネットで調べた場合、前者では左右の大脳半球の前頭前野が活発に動く一方で、スマホを使うと全く働いていませんでした。しかも、何もしないで放心状態でいるときよりも前頭前野の働きは低下していたのです。…

 私はこんな文章を読んだので、勝手に「スマホを使うとバカになる」と表現したのでした。それにしても、衝撃的な怖ろしい結果です。

 文部科学省は最近、小中学生でもスマホの学校持込みを容認する方向を打ち出しましたが、いいんでしょうかねえ?この川島氏の論文を読めば、子どもたちが将来、どんな大人になるのか一目瞭然です。

 ま、ほとんどの人が、文科省の役人も、教育委員会の人も、この論文を読まないでしょうから、「問題提起」として《渓流斎日乗》で取り上げさせて頂きました。

 

「王子様」改名します 欧米人の愛称は難しい

 3月22日から全国公開される映画「バンブルビー」。車に変身するロボットと少女の交流を描いたSF作品です。私は観るつもりはありませんが、主人公の少女の名前がチャーリーというので、何かの間違いじゃないかと思いました。

  チャーリーCharlieは、チャールズ Charles の愛称(チャーリー・チャップリンとか)なので、男の子の間違いだと思ったのです。

 それが素人の赤坂の夜は更けて(古い!)。

 チャーリーCharlieは、 シャーロット Charlotte の愛称、略称で、女の子にも使えるというのです。知らなかったですね。

 知らなかったと言えば、ディックDick は、リチャード Richard の愛称だったことです。日本では、歌手のディック・ミネが有名です(これまた古い!)。ディックには凄い意味があり、ミネさんにはそれ相応のものがあったからという逸話がありますから、リチャード・ミネでは迫力に欠けますね。(よゐこの皆さんは、ディックの意味は調べないでくださいね)

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 また、映画ですが、4月5日に公開されるクリスチャン・ベール主演の映画「バイス」は、かのブッシュ・ジュニア米大統領の副大統領を務めた悪名高いディック・チェイニーを描いた作品です。タイトルの「バイス」には、副大統領のvice presidentと 悪徳という意味のviceを掛けた言葉らしいのですが、ディックだと、悪者らしく、サマになります(笑)。リチャードだと何か王様みたいですからね。

 ちなみに、リチャードの愛称として、ほかにリッチー Richie やリック Rick 、リッキー Rickie など沢山あります。

 ついでながら、愛称で有名なものを列挙してみましょう。

 ビルはBill は、ウィリアム William の愛称でしたね。William の短縮形Will がドイツ語読みになってBill になったのかしら。元米大統領ビル・クリントン、マイクロソフトのビル・ゲイツらウィリアムより、通称のビルの方が本名に近い感じです。元ローリング・ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンは芸名ですが、本名はウィリアムです。ビリーもウィリアムの愛称で、私はビリー・ジョエル、ビリー・プレストンらミュージシャンがすぐ思い浮かびます。そうそう、西部劇の「石川五右衛門」ことビリー・ザ・キッドがいましたね。これも、ウィリアムじゃ、王子様みたいで、サマにならない。

Alhambra, Espagne

 今日、こんな愛称のことを書くことになったのも、山梨県に住む18歳の高校生赤池さんが、親から名付けられたキラキラネーム「王子様」を「肇」と改名することが認められたニュースを耳にしたからでした。「王子様」では女の子に笑われたり、何かと不自由な生活を強いられたらしく、改名できて良かったと思います。手紙では赤池王子様様になっていたんでしょうか。

 欧米人の愛称、短縮形の話でしたが、ロバートRobert⇒ボブBob、エリザベスElizabeth ⇒ベス Beth 、ベティ Betty 、リズ  Liz など、今は便利な時代となり、ネットで検索すれば、いっぱいできてます。

Alhambra, Espagne

 最初にチャーリーは男女両方に愛称があった、と書きましたが、他に、クリス Chris (男の子クリストファー Christopher  と女の子クリスティン Christin /Christine )やサム Sam (男の子サミュエル Samuel と女の子サマンサ Samantha )などもあります。

 記述に間違いが多いですが、ウィッキー(ウィキペディアの短縮形=笑)にも「英語人名の短縮形」がありましたからご興味のある方はどうぞ。

 

 

中学生だった頃の自分へ

 ヒエール瀧です。

 ブログって便利ですね。世界情勢、政治批判から個人的な雑記まで、ルポでもフィクションでも何でも書くことができるんですからね。そこで、今日はあくまでもタイトル通り、些細な個人的なことを書きますので、ご興味のない方は飛ばしてください(笑)。

 渓流斎ブログで、何回か書いたことがありますが、小生、中学生の頃、グレてしまい、学業成績も学年トップから最下位とまではいきませんが、下位に急降下してしまいました。

 グレたとは言っても、かわいいもんで、親の財布からお金をくすねたり、タバコを吸ったり(やっぱり駄目ですね。しっかり、警察に補導されましたからお許しを)、本屋で立ち読みしたり、ビリヤードに入り浸ったりした程度ですが、とにかく、学業はすべてホッポリ出して遊び呆けてしまいました。

 何がきっかけかと言いますと、中学1年生の最初の家庭訪問で、担任の先生から「あなたの息子さんは学年のトップですから、このまま頑張ってください」という話を横で聞いて、すっかり、慢心してしまったのです。その日のうちに、自分の「人生計画ノート」を作ります。良い高校、良い大学に入って、ということは東京大学に入って、大蔵省に入り、作家に転身し、(この辺りは、三島由紀夫の影響でしょう=笑)、総理大臣になって、最高の立身出世をします。

 でも、その時、「一体、そんなエスカレートに乗るような人生の何処が面白いんだろう」と空しくなってしまったのです。人生計画ノートには「20○○年 総理大臣になる」の後は、「20××年 ヒヒヒーンになる」と書いてありました。「ヒヒヒーン」って何でしょうかねえ?自分でもさっぱり分かりません。馬になってどうするつもりだったのでしょうか。

 どうやら、中学生の幼い知性では言葉が見つかりませんでしたが、当時はニヒリズムに取り付かれてしまっていたようです。「どうせ、いつか死んでしまうのに、何をやっても無駄だ」という暗黒の海に突き飛ばされた感覚に陥ってしまったのです。そんなニヒリズムから逃れたいがために、もがき苦しんでいたような気がします。全く無意識でしたが。

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 このニヒリズムは大人になっても消え去ることも解決することもありませんね。人生、楽しもうが苦しもうが、何の意味もないし、何の価値もない。頭の片隅でどこか冷めています。どうせ人類も地球も太陽系もいつか必ず滅亡するのだから、人類の歴史も宗教も文化遺産も何もあったもんじゃない。人間は人を裏切るし、「自分さえ良ければよい」という自分勝手な考えの持ち主ばかりで、すぐ人を貶したり、足を引っ張ったりする。何で周囲の皆はそんな実態に気付かないフリをして、安穏として暮らしているのだろうか、と不思議でしょうがありませんでした。

 パスカルもこのようなことを言ってます。

 「人間は、本質的に、はなはだ不幸なので、何ら退屈の原因がなくても、その本来の気質によって退屈に陥ってしまう。また、人間は虚無的なので、退屈になってしまう多くの原因がありながら、玉突きや球打ちのような至ってつまらないことで気をまぎらわそうとするのだ」(「パンセ」から少し改変)

 玉突きとは、ビリヤードじゃありませんか!17世紀の仏クレルモンフェランやパリには既に玉突きがあったんでしょうね。この文章を読んだ時に、中学生だった自分に読み聞かせたくなってしまいました(笑)。

Alhambra,Espagne

 ピエール瀧さんが、コカインか何かの薬物に手を付けたのも、ニヒリズムに取り付かれたのかもしれません。とはいえ、人間は虚無に取り付かれても、大人になれば、何とか歯を食いしばって、真っ当に生きなければなりません。違法なことをするのはもってのほかです。

 私も、大した人間にはなれませんでしたが、今の自分があるのは「グレた中学生があったお蔭」として、当時の自分を許してやろうかと思っています。

家を持たない生活

 私の世代は、子ども時代がちょうど高度経済成長期で、小学校1年生の時に初めてテレビが家庭に入り、父親は中古の「スバル360cc」を買い、電機洗濯機や電気冷蔵庫も買えるようになりました。貧しいながらも一生懸命に働けば、住む家も広くなり、明日はより良い生活ができるという夢と希望に溢れていました。

 父親は国家公務員でしたが、国が貸し与えてくれた借り上げ木造住宅の官舎は、玄関と台所が土間。つまり、土でした。トイレは汲み取り式で、ガスはなく、調理場と風呂は薪でした。しかも、風呂はお隣の高橋さんと共用でした。当然、電気炊飯器などなく、お米は釜で炊いてました。洗濯物は、今の若い人は知らないでしょうが、母親が洗濯板を使って、ゴシゴシ洗ってました。水道はなく、井戸水で、夏はスイカを冷やしたりしました。

 まるで縄文弥生時代人のような生活ですが、これは昭和35年前後の話です。

 その後、高度経済成長の波に乗り、バルブ絶頂と崩壊というジェットコースターのような体験もしました。

 それで、何が言いたいかといいますと、今の10代、20代の若い世代は、生まれたときから「失われた20年」の時代で、勿論、高度経済成長もバブルも知らない不況の世代ですから、モノに対する執着がほとんどのないというのです。

 私なんか、唯一の趣味といえば、音楽を聴いたりギターを弾いたりすることでしたから、生まれて初めて買ったレコードなんかも鮮明に覚えています。今の若い世代はそもそも、曲はダウンロードするものなので、CDなんかも買わない。

 昔の世代は、子どもの時に、切手や野球選手カード、はたまた、きん肉まん消しゴムなどを集めたりしましたが、今の世代は不況でモノを買ってもらえず、コレクションの習慣も持たずに成長してしまった。

 ですから、昔のステータスシンボルだったスイス製の高級腕時計など買わない。スマホで済んでしまいますからね。車だって、今や、オープンカーでさえ3時間で3000円で借りられる時代ですから、所有しようとも思わない。

 本や雑誌も買わず、キンドルやタブレットで済まします。新聞もスマホのニュースで読んで買わないでしょうなあ。

 何よりも驚いたのが、家を持たない落語家が出現していたことです。今年1月に「その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方」 (光文社新書) という本まで出版した立川こしら (43) という立川志らくの弟子の真打です。この本を読んでいないので、詳細は分かりませんが、恐らく独身の方なのでしょう。地方巡業といいますか、地方での落語が多く、ほとんどホテル住まいのようです。でも、住民票とか住民税とかどうなっているんでしょうかねえ。

 確か、コンビニを冷蔵庫代わりに使って、家に冷蔵庫を持たない元大手新聞社の記者もいたぐらいですから、モノ離れや執着しないことは今の流行かもしれません。

 私も少しずつ「断捨離」を始めていますが、まだまだ修行が足りませんねえ(笑)。

【追記】

この記事、意外にも各方面から反応が多くてビックリです。皆様、コメント有難う御座います。

「家を持たない人」たちを「アドレスホッパー」というんですか。アメリカ人なら分かりますが、日本人も増えているとは!そして、今や装飾品までレンタルがあるとは!

定住しない生活ですから、日本人も縄文人に逆戻りしたのかしら(笑)。人生ってその人の価値観が反映されますからね。

モノを捨てられない人でも、罪悪感を抱く必要はありません。大塚宣夫著「医者が教える非まじめ老後のすすめ」がお勧めです。

子どもにとってはガラクタなら、後に彼らが処分できるように手配しておけば迷惑になりませんよ。

もっと非まじめに好き勝手に生きればいいのです。

高校の同窓会でビッグニュースが

 昨晩は、東京・新大久保の居酒屋で海城高校の目良先生のクラスの同窓会を開催し、私は幹事長を仰せつかっていたので司会進行もやって来ました。

 新大久保も随分変わりましたね。驚いてしまいました。駅の改札口は一つしかありませんが、出て右側に行くと、母校の海城学園があり、もう20年近く前の韓流ブームで、韓国系の店がいっぱいできました。

 昨日は、久しぶりに改札口を出て、正面の横断歩道を渡り、「グローブ座」方面の脇道を久しぶりに行ったら、立ちすくむほど驚いてしまいました。

 トルコ系のケバブなどの飲食店や外国人向けのスマホ・ショップなどが林立し、その辺りに、イスラム系かアラブ系かインド系か、アフリカ系か、これまで見たことがない多くの異人さんたちがタムロしていて、とても、ここは日本なのか?と思わざるを得なくなってしまったのです。

安倍首相や山下法務大臣らには是非とも視察に訪れてほしいものです。

 さて、同窓会ですが、48人のクラスメートのうち16人が参加してくれました。本当は20人ぐらい集まる予定でしたが、直前になってキャンセルする人も出ました。来年は大台を突破してほしいなあ、と思いました。

 今回の同窓会のビッグニュースは、石川君が関東地方にある中高一貫の名門学園の校長に4月から就任するという話です。

 でも、責任が異常に重い重職なので、本人は浮かない表情でした。何しろ、校長というのは、生徒だけでなく、その家族、また、教職員などの人事管理が主な仕事ですから、現職の校長から引き継ぎがあった際、とても校外、いや口外できない機密情報を受け継いだというのです。

 そこには、週刊誌記者や学園もののシナリオライターや漫画家が随喜の涙を流して、涎も流して喜びそうな、パワハラやセクハラ、不純交際、お金の使い込みなどのスキャンダルがあったようです。勿論、詳しいことは、ここでは書けませんけど、日本全国のどこの学園にもある話です。

 母校の教師になった細田君も「モンスターペアレンツが色々と言ってくるから、担任になると大変だよ」と溜息をついてました。

 でも、校長ともなると、学園外の人とのつきあいが生じるので、「機密費」があるそうです。領収書もいらないので、「おい、今回の同窓会費、全部出してくれよ」と冗談で言ったら、石川君は「そんなの出来るわけないじゃん」とあっさりと断ります。まあ、超真面目で、一切不正が嫌いな石川君だからこそ校長にまでなれたのですから、当然の話でした。

 高校卒業以来44年ぶりに参加した人も二人いて、高校時代に体重40キロ台とガリガリに痩せていた佐橋君は、今や70キロを超え、30キロも増量。姿、顔形もすっかり変わって、全く誰なのか分かりませんでした(笑)。

 彼は、誰もが知っている某コーヒー・メーカー兼チェーン店の取締役に出世していて、これも、皆があっと驚きました。

 もう一人、44年ぶりに参加した鈴木君は、横浜の果実卸売り会社の社長になっていました。高校時代は不良でしたが(笑)、親分肌は全く変わらず、どうやら、皆が酔っ払っている間に、彼は二次会の酒代を全部出してくれたようです。

 私も久しぶりに少年時代の友人に会って、前後不覚になるほど酔っ払って、どういう風に帰ったのか、覚えていません。鈴木君、今度会ったら、お返ししますから、覚えておいてください。

(このブログは、驚くほど多くの不特定多数の皆様が御覧になっているため、名前の一部は仮名にしております)

「アポ電強盗」は案外普通の市民の顔をしている

 東京都江東区のマンションで、独り暮らしをしていた80歳の女性が「アポ電強盗」(こんな名称、どうにかならないものかなあ)とか言われる予告電話詐欺で殺害された事件(2月28日)は、身につまされます。本当に気の毒で、早く犯人グループが捕まってほしいものです。

 「オレオレ詐欺」の手口も随分凶悪になったものです。生命まで取られてしまうのですからね。これでは簡単に他人は信用できません。詐欺師と言えども、結構、普通の善人面しているから困ります。

 私は以前、2回も詐欺師と面通ししたことがあります。場所はいずれも、東京・有楽町(銀座)です。一人は70歳前後の老人です。夕方6時前、有楽町マリオンの中のあの「通路」を歩いていたら、「おう、久しぶりだなあ」と懐かしそうな顔をして近づいてきた老人がいました。身長は170センチぐらい。高村光雲の有名な彫刻「老猿」のような顔つきでした。

 仕事で、これまで何百人、何千人という人に会ってきましたが、全く見覚えがありません。「おい、俺だよ…」と言いながら、相手はもっと近づいて来るので、少し警戒しました。そして、「この間の…」と言いかけてきたので、すぐ、いくら鈍感な私も詐欺師だと分かったので、ちょうど見えた、左前方の高い所に設置されていた「監視カメラ」を指差しました。

 後ろを振り返った老猿は、少しギョッとした表情になりましたが、全く悪びれた様子もなく、また人混みの中に消えていき、また別のカモを探しているようでした。3年ぐらい前ですが、今でもその男の顔は覚えています。

 もう一人は、絵に描いたような詐欺師面でした。銀座「三笠会館」の前の並木通りを渡ろうとしたところ、目の前で黒塗りのレクサスに横付けされました。何か、道順でも聞かれるのかと思ったら、50歳ぐらいの男が、ウインドウを開けて、「はい、これ」と言ってから、「今、そこのホテルでさあ、余ったからどう?」と小包を押し付けてきたのです。

 咄嗟のことで、人の良い浅はかな私は、何か試供品でもくれるのかと思っていたら、「時計だよ。ロレックス、似合うと思うよ」と半ば強制的な口調です。柔らかなパンチパーマをかけ、目付きが鋭く、イタリア製のスーツでピシッと決め込み、その筋の人風(ふう)です。助手席には小包が10個ぐらいあり、そのうちの二つも押し付けてくるので、「いえ、結構です」と丁重にお断りして退散しました。

 そんなにお金を持っていそうに見えたのかしら?私は風采の上がらない初老の貧民ですけどねえ(笑)。「何で、俺が?」というのがその時の率直な感想でした。

 その詐欺師もどこか切羽詰っているような感じでした。組長風に見えましたが、それも、せめて2次団体か3次団体で、上納金に苦労している感じでした。

 私の場合は、風貌を見て、すぐ判断できましたが、顔も見えない電話やSNSやメールだけで、簡単に相手を信じ込んでしまうんですからね。でも、「自分は絶対に騙されない」と思っている人間に限って、いとも簡単に、あっけなく騙されてしまうということを肝に念じておくべきです。

Espagnol

 さて、明日土曜日は、夕方から都内で高校の同窓会です。今年は「幹事長」を拝命されてしまったので、色々と大変でした。

 同窓会の副幹事をやってくれている岡本君は、株の相場師で、毎日2回も3回もメールマガジンを送りつけてくるのですが(笑)、今朝は「60歳以上の収入は年金も含めても『10~20万円』が最多」という記事をリンクしてくれました。

内閣府の調査(2017年6月に全国の60歳以上の男女2920人を対象に行なわれ、1976人から有効回答 )によると、60歳以上の「年金と合わせた平均月収」は、「10~20万円」で32%で、最多だったというのです。その次に多いのが「20~30万円」で26%。全体の6割近くは、月収が10万円~20万円の範囲だったというのです。

私も、老人になるまで全く分かりませんでしたが、これが実態です。あのスーパーボランティアの尾畠春夫さんの年金は月5万5000円です。60歳以上でも定年延長で働いている場合、給料が年金と合わせて28万円以上あると、年金が減らされるという地獄のようなお上による「仕打ち」も課せられます。

 まあ、ざっくり言いますと、60歳以上で月収50万円もあれば、年金は出ないということです。つまり、お金持ちの老人は世の中にそうざらにはいないということです。

 それだけに、アポ電強盗どもは、血眼になって、1日何十件も何百件も、電話をかけまくって、カモを探すのでしょう。

 詐欺師たちが、普通の顔をして市民に紛れ込んで街中を歩いていると思うと、ぞっとします。

「心の底から愛する日産」だったのでは?

 昨日、10億円の保釈金を振り込んで東京拘置所から保釈された日産・ルノーの前会長カルロス・ゴーン被告、64歳。

 その変装ぶりには唖然としてしまいましたね。その写真を茲に掲載できないのが残念ですが、メディアでは話題騒然となりました。(勝手に新聞社や通信社の写真を掲載しているパンピーサイトもありましたが、著作権料を支払っているのかしら?)しっかり調べた人、というより、勝手に使われた会社の社員が帽子の「N」の記章を見て、埼玉県川口市に本社がある鉄道車両の整備や組み立てなどを行っている「日本電装」(昭和25年創業)という会社だということがすぐ分かりました。

 ただし、同社は、日産とは取引も資本関係もなく、「何で、ウチが使われたのか分からない」と困惑しているそうです。

 もしかして、拘置所には、色んな変装道具が完備しているのかしら?

このマークです。日本電装のホームページから

 帽子にマスク。安全・反射用の蛍光ベルトの付いた作業服姿で、御本人は「どうだ。うまく、化けただろう」と得意げに出て来ました。昨年から本国フランスで話題になっている「黄色ベスト運動」にあやかったのでしょうか?(「○○ハウジング」と書かれた作業服は、やはり埼玉県内の建設会社)

 でも、お笑いのコントじゃあるまいし、何であんな格好したんでしょうか?007のように、作業服の下は、パリッとしたタキシードでも着ていたのでしょうか?「潔白を証明するのにあんな格好で出てきてはイメージがマイナスになるのでは」と心配というより、がっかりする日産社員もいたようですね。

 正門前に横付けされた黒塗りの車をチラッと見たゴーン被告は、その後、前に止まっていた塗装工事用の軽自動車に乗り込みます。それが、彼が「心の底から愛している」と宣言した日産製ではなくて、ライバルのスズキの車なんですからねえ。

 煩悩のように108日間に及んだゴーン被告の拘置については、外国メディアが「日本は法治国家か?」「前近代の野蛮国か?」などと批判し、外圧に耐え切れなくなった日本の「良識ある知識人」の皆さんが「法改正しなければ」と盛んに秋波を送っていますが、如何なものかですよ。日本は法治国家です。

 それより、何で「良識ある知識人」さんたちは、中国広州市で1年以上拘束されている伊藤忠の商社マンの安否を気遣わないのでしょうか?

【追記】

 カルロス・ゴーン被告の「変装劇」は、著名な弁護士高野隆氏(62)の自作演出だったことを、本人がブログで告白し、「それは失敗だった」と認めるとともに、ゴーン被告と関係者にご迷惑をお掛けしたことを謝罪しておりました。

孫呉からの逃避行

 先週の土曜日、「松岡二十世とその時代」「王道楽土・満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」の3部作をこのほど完成した満洲研究家の松岡將氏のお導きで、都内の氏の御自宅で、「満洲今昔物語」の試写会が開催され、私も末席に連なって参りました。

黒河から孫呉にかけて Copyright par Duc de Matsuoqua

 「戦前の満洲」と「現在の中国東北地方」を写真で比較した映写会に参加するのは、私自身、これが3回目か4回目ですが、毎回、参加メンバーの顔ぶれが変わり、回を追うごとに、BGMを入れるなど出来栄えが向上しております。人生の大先輩に向かって「やればできるんじゃないか」と心の中で頷いておりました(笑)。

 松岡氏の自邸のリビングには、氏が若き頃、「政界のプリンス」と呼ばれた現首相のご尊父と一緒に写った写真が飾ってありました。そんな偉い方なのですが、松岡氏の謦咳を接してから10年以上経ちますので、「ゲストの皆さんには粗相のないように」と冗談が言えるほどの仲になっております(笑)。

黒河から孫呉にかけてのグーグルマップ Copyright par Duc de Matsuoqua

 満洲問題に関しては、これまで「侵略国家」「傀儡政権」「偽満洲」との見方が大半でしたが、戦後50年経った頃から、満蒙開拓団の悲劇や残留孤児の問題などもクローズアップされ、次第に一方的に偏った史観だけではない見方も見直されるようになりました。

孫呉駅付近 Copyright par Duc de Matsuoqua

今回参加されたのは、中国専門のニュースサイト「レコードチャイナ」相談役の八牧浩行氏(旧満洲の中国吉林省生まれ。ご尊父が満洲電業の技術者で、現地の人に請われて戦後も大陸に居残った)、過酷な引き揚げ体験を持ち、現在「語り部」として活躍されている森彦昭氏、日系米人ポール邦昭・マルヤマ著「満洲奇跡の脱出」(NHKドラマ「どこにもない国」の原作)を翻訳した高作自子氏でした。

戦前の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 この中の森彦昭氏の悲惨で過酷な引き揚げ体験をご紹介致します。(御本人がまとめられた手記も参考に致します)

 森氏は昭和16年5月生まれで終戦時、わずか満4歳でした。ご尊父は南満洲鉄道(満鉄)の社員で、森氏は、ソ連国境の黒河(1858年、清国とロシア帝国が国境策定条約を締結した璦琿)に近い孫呉市の満鉄の社宅で生まれました。

現在の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 当初は、まがりなりにも平和な家庭生活が続き、森氏には1歳下の妹と3歳離れた弟も生まれました。そんな一家団欒生活が一変したのは、戦況の悪化です。

 昭和20年5月には、年嵩の民間人の父親も強制的に徴兵され、関東軍へ入営します。その後、終戦から2カ月も経ったというのに、同年10月に八路軍の銃撃に遭い、戦死してしまうのです。享年34。

当時、大陸では、ソ連に加え、八路軍と国民党軍の三つ巴の内戦に突入しておりました。

黒河から孫呉に向かう(直線距離70キロ) Copyright par Duc de Matsuoqua

昭和20年8月9日。ソ連軍は、スターリンも参加した英米ソによるヤルタ会談の密約から日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲に攻め込みます。前線部隊には、俗に「マンドリン」と呼ばれる70連発もできる短機関銃を持った、犯罪者や狼藉者、無法者あがりの兵士が多かったという説が有力で、逃げる無防備の避難民を銃殺したり、戦車でひき殺したり、婦女暴行も絶えなかったりしたと伝えられています。

そんな中、一家の大黒柱を失っていた森家は、乳児と幼児の3人を抱えた母親が、北端の孫呉から南の大連まで約1年間をかけて、逃避行を試みるのです。その距離、何と約1413キロ。

 しかし、その途中の撫順の収容所で、森氏の妹と弟の2人もが、栄養失調か飢えによって亡くなります。妹の民子ちゃんは3歳、弟の義昭ちゃんはまだ1歳でした。

孫呉市内 Copyright par Duc de Matsuoqua

 幼い我が子を2人も失い、絶望し果てた母親の美砂保さんは当時、26歳の若さ。最後の気力を振り絞って、昭和21年6月30日、葫藘島から米海軍「V-28」に乗船して、残った5歳になった森氏と一緒に念願の帰国を果たすのです。

孫呉県賓館 Copyright par Duc de Matsuoqua

 私は孫呉という地名は初めて聞く名前でしたが、ここにはあの石井細菌部隊の支部もあったようですね。映写会では、松岡氏が気を遣って、孫呉が何処にあるかなど地図を作成して紹介してくださいました。

 私は戦後生まれですから、このような悲惨な戦争体験は主に文献でしか知りませんでしたが、このように体験者の生の話を伺うと、はるか昔の歴史ではなく、つい最近の出来事だったことが分かります。

 森氏は苦難の末に、帰国できましたが、大陸に遺棄された多くの日本人は、戦死したり、殺害されたり、自死を余儀なくされたりしました。月並みですが、改めて、平和の大切さを身に染みて感じました。