先週末は悪夢でした=触らぬ神に祟りなし

先週末は、ロクなことがなかった、と書けば、そうなってしまいますが、「永遠の相の下」で見れば、貴重な体験をしたということになるのかもしれません。

 週末は疲れて、結構、昼寝をしてしまいます。それも、30分とか1時間といった「うたた寝」ではなく、2時間とか3時間とかしっかり熟睡します。それでいて夜は、また9時間ぐらい眠られますから、まるで眠狂四郎です(笑)。

 そして、最近はよく夢を見ます。大抵は、起きた時、内容は忘れてしまうのですが、時には、酷い悪夢の場合は、内容までしっかり覚えています。

五島列島 Copyright par Tamano Y  ※写真と本文は関係ありません

 先週末の悪夢は最悪でした。理路整然としているようで、夢ですから、現実離れした飛んでもないことが起こるのです。それでも有りそうなことです。内容はざっとこんな感じです。

 ある75歳の老人が、私のブログの愛読者だということで、メールでアプローチして来ました。どうやら、ある有名作家の秘書の評伝をゴーストライターとして書いてほしいらしいのです。有名作家は、秘書にデータ集めから、関係者の調査まで任せていますが、実は、執筆しているのも秘書だったというのです。老人は、その秘書に会って、取材してほしいので、今度、芦屋の豪邸に来てくれ、というのです。

 その老人は、幕末に、尾張藩、会津藩、桑名藩などの藩主を生んだ「高須四兄弟」で有名な高須藩の末裔を称し、祖父が神戸の貿易商で巨万の富を得て、六甲や八ヶ岳にも別荘があるというのです。まず、秘書に会わせる前に「品定め」したいので、神戸のコーヒーチェーン店に来てほしいというのです。お会いすると、その老人は3時間も一方的にしゃべくりまくり、しかも、お金に不自由したことはなく、悪い人間に巡り合ったこともなく、このチェーン店の創業者はマブダチなどと自慢話ばかりです。三浦和義さん御愛用のハンティングワールドをチラつかせ、流石に辟易しましたが、表情で表すことも出来ず、トイレに行くことを口実にやっと解放してもらいました。

 老人はその場で、「では、今週末に芦屋の自宅に来てください」と口約束してくれましたので、品定めは合格したのかと思っていたら、翌日になって、急に「貴方の視野が狭いことが分かりました。私は高須藩の末裔です。私の自宅には選ばれた人間しか入れることはできません」と丁重な「お断り」のメールが届いて、そこで目が覚めたのでした。

五島列島 Copyright par Tamano Y ※写真と本文は関係ありません

 嫌な悪夢を見てしまったので、「お口直し」に久しぶりに映画を見に行くことにしました。そしたら、これが最悪だったのです。かなり手厳しく批判するので、この映画の名誉のためにタイトルは秘匿しますが、ハリウッド映画で、主演は往年の美男俳優で今年59歳になりながら、若さを保って頑張っています。しかも、日本人の作家が原作ということで、「これは応援しなければ」ということで、本当に久しぶりに映画館に足を運んだのでした。

 日本の新幹線の列車内を舞台に、主役の「運び屋」と、ヤクザに雇われた殺し屋との壮絶な抗争で、やたらと殺し合いが続き、日本国内なのにマシンガンがぶっ飛ばされ、あり得ない展開です。日本語の看板がやたらと出て来ますが、駅構内に「自動柵」もないし、これらは明らかに日本で撮影されたわけではなく、莫大な製作費を掛けて、大掛かりなセットを作って米国内か何処かで撮影されたものであることがすぐ分かりました。

 笑えないし、怒れない。こんな映画を見て喜ぶ人間がいるんだと思うと呆れてしまいました。全く、お金と時間を無駄にしてしまいました。59歳の初老俳優と日本人作家を応援したいがために見た行為が仇でした。

 いやはや、これからもう少し生き続けるには、嫌なことは忘れてしまうことが肝心です。そして、何よりも、触らぬ神に祟りなし。

松岡將氏と山本悦夫氏が神保町の書店に出店

 満洲研究家兼美術評論家の松岡將氏からメールを頂きました。な、な、な、何と、神田は神保町に「書店」を出店されたというのです。

  仏文学者の鹿島茂氏をプロデューサーに迎え、「本を愛する方でしたら、どなたでも出店可能」ということで、世間的に有名無名関係なく、入会金と月額使用料を支払えば、「パサージュ」と呼ばれる書店の本棚の販売スペースを借りられるというのです。(パリの屋根付き回廊商店街=パサージュをイメージしています)

 そして、何ともまたまた驚くべきことに、松岡將氏の上の本棚が、皆様御存知のガルーダ研究家の山本悦夫氏のスペースになっているというのです。これは大変だ!是非とも現地に行って確かめて見なければ・・・。ということで、本当に久しぶりに神保町に出掛けてきました。

神保町・中華「漢陽楼」

 年を取ると足腰が弱くなり、出掛けるのも億劫になってくるものです(苦笑)。しかし、思い立ったら吉日。今回、神保町を目指したのは、もう一つ理由が御座いまして、牧久氏の最新著書「転生 満洲国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」(小学館)を読んで、周恩来の偉業に感激して、また是非とも、周恩来が日本留学時代によく通ったという神保町の中華料理店「漢陽楼」に行ってみたくなったかったからでした。

 個人的ながら、私は東京都内で一番好きな所を挙げろと言われれば、まず、お茶の水~神保町界隈を挙げます。大好きな街です。世界最大の「本の街」だからです。早速、御茶ノ水駅から歩いて、「漢陽楼」を目指しました。5~6年、いや7~8年ぶりぐらいでしたが、迷わず行けました。しかし、残念。定休日でした。毎週末と月曜日が休みのようです。

 仕方がないので、古書店街に入り、何処に行こうか思案しました。30年前は文藝記者でしたから、毎週1回は書店巡りをして、10冊近く書評用の本を買い込み、昼に、洋食屋の「南海」とか、「さぼうる」とか色々行ったものでした。でも、神保町と言えば、カレーか餃子というイメージが強いです。

 結局、入ったのが、昔からよく通っていた「ラドリオ」という喫茶店。喫茶店といっても、ビールや水割りぐらい呑める「休憩所」です。

「ラドリオ」チキンカレーとアイスコーヒー1000円

 私が入った直後に、「満員御礼」となり、後から来た人は行列をつくっていました。

 私はそこで、チキンカレー(サラダ付)とアイスコーヒーという遅い昼食を取りました。銀座と比べればやはり安いです(笑)。

神保町「パサージュ」

 食事が終わって直ぐ、「現場」に直行しました。「すずらん通り」ということで、ここは、地下鉄神保町駅から三省堂書店に行く道ということで、本当によく利用した通りですから迷子になるわけありません。でも、老舗餃子店が閉店したり、店が結構変わり、雰囲気も変わりました。30年前にすずらん通りを歩いていた人の中には亡くなった方もいらしゃるでしょうから(失礼!)。

 パサージュは、中国専門の有名な「内山書店」の隣りの隣りにありました。

松岡將氏出店の「本棚」

 そして、店内に入り、ざっと見たところ、100か200ぐらいの本棚がありました。(島田雅彦や米原万理、井上ひさしらの本棚もあるようです。)しかし、どういうわけか、自分でも信じられませんが、店員さんに聞く前に、一瞬で、松岡將氏の出店「本棚」を発見してしまったのです。しかも、目立たない一番下の本棚だったというのに…。何か見えないものに引き寄せられる感じでした。(写真撮影は自由でした)

上の棚が山本悦夫氏、下の棚が松岡將氏

 確かに、松岡將氏の本棚の上が山本悦夫氏の本棚になっていました。

山本悦夫氏の出店本棚(1)

 山本氏は、もう一つ、左横にスペースを確保されていました。これは、現場に行かなければ分かりませんでしたね。

山本悦夫氏の出店本棚(2)。渓流斎ブログでもご紹介した「ホーニドハウス」も並んでいます

 それにしても、凄い偶然です。

 でも、あれっ? 松岡將氏と山本悦夫氏と接点があったのでしょうか? 恐らく、以前、10年ぐらい昔、「おつな寿司セミナー」(解散)に松岡氏を無料講師として講演して頂いた際に、山本氏も聴衆として参加されていて、会場でお互いに名刺交換でもされたのではないか、と推測しています。

 それにしても、繰り返すようですが、凄い偶然ですよ。皆さんも、機会があれば、神保町に出掛けて、確かめてみてください。その際、是非、ご購入を(笑)。

4回目のワクチンと1カ月遅れの誕生会

 昨日木曜日は、ちぃっと休みを取って、4回目のワクチンを拙宅近くのクリニックで受けて来ました。

 問診票に「1カ月以内に病気になりましたか?」との御下問があったので、正直に「胃腸炎か食当たりになりました」と書いておいたら、女医先生が「もう治りましたか?治ったら、まあいいでしょう」と言いながら、あっという間に終わってしまいました。痛くも痒くもありませんでした(笑)。

 お蔭様で熱も出ませんでしたが、夜寝る頃にちょっと打ったところが腫れている感じで少し痛く、寝返りをうつのをやめておきました。

 1,2回のワクチンがモデルナ、3,4回目はファイザーでしたが、米ファイザー社の社長さんは、4回接種しながら、コロナになったことが新聞の記事に出ていました。ファイザーの社長ですから、恐らく、ファイザーのワクチンだと思われますが、4回も打って罹ってしまうなんて、いやはや、何をか況やです。ファイザー社は大いに儲け過ぎたので、その副反応だったかもしれません(失礼、言い過ぎでした!)

浦和宿「満寿家」 うな重(特上)きも吸いもの、お新香付き 5100円

 せっかく休みを取ったので、夜は、私の1カ月遅れの誕生会を家族が開いてくれました。ちょうど1カ月前の誕生日の頃は胃腸炎か食当たりで、5日間ものたうち回っていたので、延期せざるを得なかったのでした。

 場所は、中山道浦和宿にある江戸時代から有名な鰻の老舗「満寿家」(明治21年創業)です。ここ数年、すっかり鰻は高騰してしまい高嶺の花です。目の玉が飛び出るほど高かったでした。誕生会は家族が開いてくれましたが、勘定払いは、私の役目です(苦笑)。

 でも、半月前に予約したら、「満寿家」はとてもいい個室を取ってくれました。1階の角部屋で、灯篭のある小さなお庭に囲まれ、どこかの旅館のように雰囲気があります。しかも、トイレまで付いているので、外に出ることなく、まさに家族水入らずで楽しめました。二人の幼い孫も来てくれて、チョロチョロしますから、本当に助かりました。

 ワクチンを打ったばかりなのに、米国人の女婿と一緒にビールや冷酒を呑みながら、先に台湾を訪問して物議を醸したペロシ米下院議長(最初、プロウシと発音するので誰のことかと思ったら、プロウシかプロシが正しいようです。何で日本のマスコミの外信部はペロシと訳したんでしょうかねえ?)の旦那さんの話やシビアな米国政治と、庶民に対する所得税引き上げ(ウクライナ軍事支援金の捻出のためらしく、バイデン大統領の支持率低下の要因になった)の話などで盛り上がりました。

 泊まりのない旅館に来たと思えば、随分安上がりで済んだのではないかと思い直しました。

「レインボーラムネ」、貰っちゃいました

 いやはや、今年は個人的に随分色んな事がありましたが、それでも、何か、ついていますね。「捨てる神あれば、拾う神あり」です。んっ?

 今や、売り切れ店続出中で、とても手に入らないイコマ製菓本舗の幻の「レインボーラムネ」をただで貰っちゃったのです。

 別に不正したわけじゃあ、ありませんよ(笑)。

新橋「奈良まほろば館」 炙り柿の葉寿司ランチ1200円

 昨日のこと、巷ではお盆休みで、閉まっているお店も多く、私もランチをどうしようか、迷っていたのですが、結局、新橋の「奈良まほろば館」に入ることにしました。ここはいわゆる奈良県の物産店で、地元の名産品が買えるほか、食事もできます。

 何度か利用したことがあるのですが、いつもの通り、寿司とそうめんとデザートも付いた「炙り柿の葉寿司セット」(1200円)を頼んだ後、何か物足りなくなり、結局、かき氷も後で注文することにしたのです。いつぞや、夏休みに友人と一緒に奈良を旅行したことがあり、彼の行きつけの柿の葉寿司店に行った後、かき氷も食べたことを思い出したからです。

 今年はロクな夏休みが取れないので、せっかく奈良県物産店に来たなら、「奈良旅行をしたつもり」になりたかったこともありました。

新橋「奈良まほろば館」 かき氷950円

 正直、柿の葉寿司を食した後、大きなかき氷を全部食べ切れるかどうか、それにお腹の方もどうなるか心配でした。そこで、「かき氷のハーフ(半分)」はありますか?と聞いてみたのですが、残念ながら「ありません」ということで、そのまま「プレーン」を頼んでしまいました。

 写真では入道雲のお化けみたいに見えますが、中に小豆のあんこなどが入っております。

 意外にもイケて、結局、全部食べてしまいました(笑)。

 合計2150円です。ランチにしては豪華です。

イコマ製菓本舗さんの幻の「レインボーラムネ」

 そして、会計をしようとすると、「おめでとうございます」ということで、イコマ製菓本舗の「レインボーラムネ」をプレゼントしてくれたのです。

 聴くところによると、1500円以上のお買い物をした方の中で先着順にプレゼントしていたらしいのですが、これが、つまり、私が、最後だというのですよお!

 「レインボーラムネ」のイコマ製菓本舗は奈良県生駒市に本社があるということで、この「奈良まほろば館」も関わりがあるというわけです。

 でも、大人気で、どこもかしこも売り切れ続出。先ほど、ネットで見てみたのですが、やはり、ネット販売も「品切れ中」で、完売しているようです。

 だから、今や「幻」のレインボーラムネと言われているのです。そんな貴重品をただで貰っちゃうなんて、ラッキーですねえ。これもこれも、思い切って、かき氷を注文したお蔭でした。

77回目の終戦記念日に思ふ

 いつも渓流斎ブログを御愛読賜り、誠に有難う御座います。最近、驚くべきことに1日のアクセス数が「3000」台を達成することが多くなっております。普段は1日「300」とか多くても「500」ですので、「どないしたんやあ?」といった心境になります。

 よくよく調べたところ、今年1月17日に配信した「比企氏一族滅亡で生き延びた比企能本とその子孫の女優=『鎌倉殿の13人』」のアクセスが異様に多いことが分かりました。ということは、NHKの大河ドラマを御覧になっている方が、たまたま暇つぶしに検索したら、私のブログが出てきたということなのでしょう。まあ、「通りすがり」ということで、この異様なアクセス数も一過性だということが分かりました(笑)。

銀座「マトリキッチン」デザート

 昨日は8月15日。77回目の終戦記念日でした。戦後生まれが今や8割を超えるといいますから、ますます戦争体験者が減り、防衛費増強が叫ばれる中、今後の日本はどうなってしまうのか心配です。終戦記念日の昭和20年8月15日から77年経ち待ちましたが、昭和20年から見ると、77年前はちょうど明治維新の年、明治元年(1868年)なんですね。欧米列強に追いつけ追い越せという「富国強兵」策で、日本は、日清、日露、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と戦争に明け暮れていました。

 この明治から昭和にかけての先人たちについて、後世の安全地帯にいる私が一方的に批判するつもりはありません。むしろ、あの19世紀から20世紀にかけての帝国主義、植民地主義で世界がしのぎを削っている中、日本が植民地化されないための苦肉の策の軍国主義はある程度、致し方なかったと思っています。当時最も尊敬された人物は軍人さんでしたからね。

 ただ、あの時代は「人権」思想がなかったのが問題です。東北の飢饉で娘が身売りされていたのは人身売買であり、いまだに奴隷制度が残存していたことになります。維新で、封建時代を打破できたと思ったら、明治以降は公侯伯子男の爵位のある身分社会が温存され、陸士・海兵を出たエリートだけが優遇される階級社会でしたので、一兵卒などは虫けら同然の扱いです。兵站(ロジスティックス)の概念すらなく、飲食物は「現地調達」にして補給がないので、戦死者の大半は餓死でした。ランチサンドにチョコレートまで付く恵まれた米兵とはえらい違いです。(インパール作戦の司令官牟田口廉也も、それに続くビルマ戦線の司令官木村兵太郎も、「あとは宜しく」と自分たちだけが飛行機に乗って戦場と白骨街道から脱出、いや逃亡しています。併せて16万5000人の戦死者を出したというのに)

 8月15日に終戦にはなりましたが、軍隊は即日解散されたわけではありません。9月2日に米戦艦ミズリー号降伏文書の調印でやっと全面的に武装解除されたと言えます。私の父は大学受験に失敗したため、17歳で志願して帝国陸軍の一兵卒になり、19歳になる2日前の18歳で終戦を迎えましたが、炊事当番だっため、1週間ほど上官の食事を作るために残された、と聞いたことがあります。戦争が終わっても特権階級から奴隷のように使役されたわけです。

新橋「奈良県物産館」 柿の葉寿司ランチ1200円

 大東亜共栄圏の高邁な理念と思想だけは、GHQと東京裁判が断罪するほど酷くはなかったのですが、統治する日本人のエートスが「強い者にはこびへつらい、弱者には虎の威を借りて傲岸不遜に振舞う」では、盟主としての資格は全くありません。迷惑を掛けたアジアの人々に対して反省だけでは足りないと思っています。(現地の人たちは、欧米列強から解放を謳いながら暴力で支配する日本よりもましだと欧米を選んだのです)

 日米開戦からわずか半年で、日本はミッドウェーで大敗し、それからは玉砕に次ぐ玉砕で、挙句の果てには鬼畜と見下していた外国人から歴史上初めて占領・支配される始末です。(開戦時、米国のGNPは日本の12倍もあったという無謀な戦争)日本史上最悪の時代でしたが、日本人は痛い目に遭わなければ分からない民族です。もし、連戦連勝だったら、今でも戦争を続けていたことでしょう。それは、ウクライナに侵攻したロシアを見れば分かります。

◇旅行キャンセルし、夏休み返上

 さて、目下、お盆休みとなり、私も今頃、日蓮宗の総本山身延山にお参りに行っていたところでした。しかし、コロナの第7波の感染が拡大して、感染者数も高止まりし、おまけに、先月7月は個人的に病気をして1週間も会社を休んでしまったことから、旅行はキャンセルしてしまいました。身延山のキャンセルは2年連続2度目です。

 ということで、夏休みは返上して、しっかり、出勤しております。

新橋「奈良県物産館」 かき氷950円

 あ、そう言えば、先日、このブログを読んでくださる都内にお住まいのNさんからは「もう一人の自分をつくられることが必要ではないですか」との助言も頂いたことを書きました。どうしようか、ずっと考えていたのですが、もう一人の自分は、何も日本人にすることに拘る必要はない。一層のこと、フランス人にしようということで、名前も考えました(笑)。

 François Hautchamp ( フランソワ・オウシャン)です。

 フランソワは、アッシジの聖フランチェスコに由来するらしいですが、フランス人にはよくある名前です。国王や、ラブレー(作家)、ミッテラン、オランド(大統領)もフランソワです。オウシャンは私の造語で、Hautは高い、champ は田んぼという意味です。オウシャンは、マルセル・デュシャンみたいでいいじゃないですか(笑)。

 もう一人の自分、フランソワ・オウシャンはバカロレア試験を控えた1970年代のリセの学生という設定です。これから、サルトル、カミュに加え、ポール・ヴァレリーやレヴィストロース、メルロー・ポンティー、アンリ・ベルクソン、ミシェル・フーコーらを読破しなければ、試験にすら臨めないといった状況です。

 パスカルを例に出さなくとも、人生はどうせ暇つぶしです。好きなことをすれば良いのですが、個人的に、今さら、「呑む、打つ、買う」にのめり込む年齢(とし)ではあるまいし、です。

 1970年代のフランス人の学生フランソワ・オウシャンがもう一人の自分…いいんじゃないでしょうか?!

 

書き下ろし長編時代小説「新選組最強剣士 永倉新八 恋慕剣」は力作です

 今年6月でもうFacebookのチェックはやめたのですが、大学と会社の先輩でもあった日暮高則氏から出版社を通して、拙宅に本が送られてきました。書き下ろし長編時代小説「新選組最強剣士 永倉新八 恋慕剣」(コスミック・時代文庫)という本です。

 あれっ? 日暮さんは今年2月25日に「板谷峠の死闘」(コスミック・時代文庫)を出版されたばかりで、私も早速購入して、この渓流斎ブログに「感想文」を書いたばかりなのに、もう新刊を発表されたんですか!?

 しかも長編です。相当前から何作か、書き溜めていたのかもしれません。

 文庫本なので2~3日で読めるかと思ったら、結局、読了するのに1週間以上掛かってしまいました。実は、私はこれでも「新選組フリーク」なので、ちゃんと史実に沿っているのかどうか、チェックしながら読んでいたからでした。嫌な性格ですねえ(笑)。

 いくら小説だからといって、あまりにも史実からかけ離れていると荒唐無稽で、興醒めしてしまいます。あの司馬遼太郎は、作品を書くのに、馴染みにしている神保町の高山書店から最低トラック1台分の書籍を購入して、膨大な資料を読み込んで執筆していたと言われていますから、たとえフィクションでも史実にそれほど逸脱しない、あれだけの物語が書けたのだと思います。

 そこで、この「新選組最強剣士 永倉新八 恋慕剣」はどうでしょう? 永倉新八はあまりにも有名です。物語の主軸になっている京都・遊郭島原の芸妓との間にできた娘探しや、明治24年の大津事件の犯人津田三蔵と永倉新八が出会っていたというのは、作者が長編小説に仕立てるために苦心したフィクションであることは明々白々なので、それらは良しとしましょう。

 永倉新八は松前藩江戸定府取次役の子息として生まれ、神道無念流の剣客に。近藤勇の天然理心流道場「試衛館」の食客になった縁で、新選組では二番組隊長に。あの池田屋事件では近藤勇らとともに正面から斬り込み、すっかり名を上げた剣士…。フムフムその通りです。新選組時代の朋友島田魁は、維新後も生き延びて京都・西本願寺の太鼓楼の寺男になっていた?…うーん、確かに史実はその通りです。藤堂平助は、伊勢藤堂藩主の御落胤だったという異説まできっちりと抑えています。著者は、新選組フリークが驚くほど、かなり細かく調べ尽くしています。

 でも、永倉新八が江戸で近藤勇らと別れた後、芳賀宜道らと幕臣らを集めて組織した隊のことを「靖共隊(せいへいたい)」と80ページに書かれていますが、これは「靖共隊(せいきょうたい」もしくは、「靖兵隊(せいへいたい)」の書き違いでしょう。また、永倉新八ら靖共隊が行軍途中で原田左之助と別行動を取ったのが、「小山付近」(81ページ)となっていますが、これも、「山崎宿(千葉県野田市)」の間違いではないでしょうか。

 あと、二つ、三つ、隊士の死因について、通説とは違うものが散見されましたが、通説を取らなかったということで済むかもしれませんが、194ページに「明治二十九年(一八九六年)は、…この時、日本は日清戦争の真っ最中」と書かれていますが、明らかに勘違いですね。日清戦争は1894~95年で、前年に終わっていますから。

 いやあ、今、校正の仕事もしているので、誤字脱字や事実関係について、つい過敏に反応してしまうのは、「職業病」なのです。意地悪ではないので、2刷になった時に訂正されたら良いと思います。

 というのも、この本は力作なので必ずや増刷されると思うからです。これから読まれる方の楽しみがなくなるので、内容については触れられませんが、元新選組の永倉新八と大津事件の津田三蔵に接点があったなどという発想は、誰にも出来るものではありません。それでいて、もし、老境を迎えた永倉新八が明治24年、その2年前に開通したばかりの鉄道(東海道線)に乗って京都に行き、芸妓小常との間に出来た娘磯を探しに行ったとしたら、その年に起きた大津事件の報道に身近で接していたことになり、もしかして津田三蔵にも会ったかもしれない、と読者に思わせることに成功しています。

 また、大阪堂島の米相場の先物売買についてもかなり調べて描写されています。

 新選組ファンでなくても、複雑な人物関係と物語の構成について、関心すると思います。日暮氏の作家としての力量がこの一冊で証明された、と私は思いました。

 【追記】2022年9月1日

 永倉新八の回想記「新撰組顛末記」(新人物文庫)の181ページに「永倉新八がかねてなじみを重ねていた島原遊郭内亀屋の芸奴小常が、かねて永倉の胤を宿していたがその年の7月6日に一女お磯を産んで…」とあります。また、229ページには「新撰組時代に京都でもうけた娘の磯子にあって親子の対面をする。磯子はそのころ女優となって尾上小亀と名のっていた。」とあります。

 小常も磯も実在人物だったことが分かります。

「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントにまたまた当選してしまいました

 にゃんとまあ、またまた、また、月刊誌「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。

 「歴史人」はここ数年、毎月買い続けて、毎月、読者プレゼントに応募しているので、いつだっけ? 何月号のプレゼントが当たったのかなあ、と思ったら、やはり8月号でした。

 しかも、上記写真の通り、「徳川家康公 御家紋 御花押」入りの彫刻グラスと「葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のクリアボトルの二つもです。

 えっ? 何で? 何かの間違いなのでは? いや、確かに間違いなんでしょうけど、開けてしまいましたし…この際、有難く拝受仕り候、ということで、そこんとこ宜しくです。

「徳川家康公 御家紋 御花押」入りの彫刻グラス

 欲しかった家康公のグラスでは、シーバスリーガルか、ジャック・ダニエルか、奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」を家康公の気分になって、オン・ザ・ロックで飲むつもりです。

 「マイ・ボトル」は世の中に溢れていますが、「マイ・グラス」をお持ちの方はさぞかし少ないでしょう(笑)。

「葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のクリアボトル

 意外にも当選してしまった「葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のクリアボトルは、うーん、何にしましょう? こちらなら返品しましょうか? ただし、御社が、返送用段ボールと郵送料を持って頂くという条件付きですよ(笑)。

 もし、こちらも当選品として受け取って良いなら、冷やした麦茶か何かを入れて、会社に持って行くことにしますか。

 そう言えば、私は「歴史人」は毎月購入して、このブログに「感想文」を書き、応募葉書にはいつも、酷い誤字脱字を指摘して、切磋琢磨されるよう叱咤激励しております。もしかしたら、私は「歴史人」の回し者に見られるかもしれませんが、単なる愛読者です。内容が良いので、いつも勉強させて頂いているだけで御座います。

 いずれにせよ、私を選んでいただいたABCアーク社の編集部か広告部か販売部か分かりませんけど、皆様、誠に有難う御座いました!

「気分の落ち込みから守ってくれるのは歩数」=アンデシュ・ハンセン著「ストレス脳」を読んで

 徐々に健康も回復し、やっとビールも飲めるようになりました。さらには、恐々ながら高級アイスのハーゲンダッツも食べましたが、翌日、何ともありませんでした(笑)。

 これで、少しは生きる自信を取り戻しても良さそうなものですが、またまた、色々と御座いまして、すっきりしない毎日を送っています。

 それではいけないので、アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「ストレス脳」(新潮新書、2022年7月20日初版、1100円)を読むことにしました。まさに、読むクスリです。ハンセンは、ちょうど1年ほど前に「スマホ脳」を読んで、大いに感心して、私がFacebookをやめるきかっけをつくってくれたスウェーデンの精神科医です。

 間違いないだろう、と、迷わず購入したのですが、体調の関係で読むのに少し時間が掛かってしまいました。でも、目から鱗が落ちると言いますか、逆説的ながら、脳の仕組みを明瞭に解明してくれて、生きる自信も回復しそうです。

 それほど難しいことは書かれていません。約20万年前に霊長類から進化した現生人類(ホモ・サピエンス)は、約1万2000年前に農業革命が起こして定住生活するまでに、狩猟採集生活を続けてきました。ですから、99%近く、現代人の脳には、狩猟採集生活時代の進化がそのまま残っているというわけです。それは、一言でいうと、脳は「生き延びる」ことを第一に進化していったということです。そのためには、ライオンや狼などの捕食者から一刻も早く逃げること、死に至る感染症に罹らないようにすること、餓死しないよう食物を確保すること、雨露を凌ぎ、暑さ寒さから身を守るーといったことを最優先に脳が進化していったというのです。

 「生き延びる」ことが最優先ということは、幸福感とは無関係で、残念ながら、脳は幸せになるように出来ていないというのです。これには驚きです。例えば、好きな人と結婚できても、直ぐに現実に直面して離婚したくなったり、豪華なプレゼントを貰っても、すぐその喜びは消え、もっと欲しい、と欲望にキリがないように脳がつくられているということか?

 著者によると、現代人の4人に1人がウツや強い精神的不安を経験しているといいます。とはいえ、人が不安になったり、気分が落ち込んでウツ状態になる、というのは、脳が正常に機能している証拠だと言える、とまでいうのです。不安信号は、これから何か危険が迫っているので警戒するように注意しているということ。ウツ状態になって外出を控えたくなるのも、感染症が蔓延していて、他人と接触を避けようとしていること、だと言うのです、ただし、これら危険信号は、狩猟採集生活時代の脳が過剰反応しているだけで、現代のような安心・安全世界ではあり得ず、まず当てはまりません(今の新型コロナやウクライナ戦争の話はおいといて)。つまり、免疫系の過剰反応や誇大妄想などが、精神疾患を引き起こしてしまう。脳はそういうメカニズムになっているというわけです。

 以上は私がこの本を読んで勝手に斟酌したものですが、著者の言葉をそのまま引用すると、以下のようなものがあります。

 ・脳は精神的に元気でいるように進化せず、常に最悪の事態に備え(不安)、場合によっては自分を守るために引きこもらせる(ウツ)ようにした。

 ・過去に体験したトラウマをわずかでも思い出せるものは何であれ、脳に記憶を取り出させてしまう。…あなたにも時々思い出すような辛い記憶があるかもしれない。それは脳が、同じようなことが起きないようにあなたを守ろうとしているのだ。時々再体験させることで、前回どのように対処したのかを思い出させる。思い出すことで精神が悪くなったとしても、脳にしては大したことではない。脳は生き延びるために進化したのであって、幸福を感じるためではないのだから。

 ・なぜ孤独はリスクなのか? 長く孤独でいると睡眠も途切れがちになる。…独りで寝ている人は危険が近づいても誰にも教えてもらえない。だから、深く眠り過ぎず、直ぐに目が覚めることが重要だったのだ。

 さてさて、現代人がウツにならないようにするにはどうしたらいいのか?ー著者はあっけなく、回答を出しています。「運動すれば良い」というのです。精神科医として多くの患者を診察した結果、運動をしていた人がウツになる例はあまり見られなかったというのです。「毎日じっと座っている代わりに15分間ジョギングするだけで、ウツになるリスクが26%減る。1時間、散歩しても同じだけリスクが下がる。つまり、ジョギングのように心拍数の上がる運動は散歩の約4倍も効率的だということだ。15分以上走ったり、1時間以上散歩したりすると、さらに防御効果が高まる。」(175ページ)

 著者のハンセン氏は「最終的に、あなたを気分の落ち込みから守ってくれるのは歩数なのだ」とまで言い切ります。狩猟採集時代、人間は1日平均、1万5000~1万8000歩は歩いていましたが、今の西洋諸国の現代人の平均は5000~6000歩と、昔の人のわずか3分の1しか歩いていないというのです。 

 世界はパンデミックとなり、私も映画館や博物館に行くことは減り、部屋に引き籠って、本ばかり読んでおりました。そして、いつの間にか、心身ともに不調になっておりました。

 これからは、一日平均8000歩は歩くことを目標にして、免疫系の「過剰反応」から我が身を守ることにしますか。                                      

クール・マスクと田中帽子

 都心でも連日34度の猛暑が続いています。第7波のコロナ激増中ですから、これにマスクを付けて外を歩かなければならない、となると苦行僧そのものです。

 私は病み上がりですから対策を取らなければなりません。マスクは結構、買い溜めして余っているのですが、それらは真冬用といいますか、付けているだけで息苦しくなります。そこで、ドラッグストアで、「クール」用のマスクを買って来ました。30枚入りで980円でした。

 結構涼しい。息苦しくないのです。皆さんにも、夏場は、クール用をお勧めします。

田中帽子店 明治十三年創業 天然草木(麦わら)100%

 さて、もう一つが帽子です。結構、持っているのですが、改めて、ブランド品を買ってみました。明治13年に埼玉県春日部市で創業された田中帽子です。現在の社長は6代目という老舗です。

 単なる麦わら帽子なんですが、馬鹿にしちゃあいけません。驚くべき機能性を持っていたのです。7月19日に民放のバラエティ番組で、この田中帽子店が取り上げられ、私も随分感心してしまいました。

 麦わら帽子の利点は、何と言っても、その驚くべき通気性です。私は夏の帽子として他にイタリア製の帽子を2年前に購入したのですが、被ると汗でびっしょりになります。帽子に表示されているマークを読んでみると、その素材は「再生繊維(紙)」と書かれていたのです。そっかぁー、紙だったら、通気性がないわけでした。

 その点、麦わらだと通気性抜群ですから、それほど汗をかくことはありません。それに何と言っても軽いので、頭にかかる負担も少ないのです。

 私が7月14日(木)にJR大宮駅構内の田中帽子店臨時ショップで購入したのは、「シモン」という麦わら 細麦中折れハットでした。1万1000円もしましたが、テレビの番組で見たら、製品の製造過程が全て手作りだったので、「これぐらいの価格なら安いぐらいだ」と納得しました。

 そうそう、テレビでは実験していましたが、再生繊維(紙)の帽子では紫外線を少しだけ吸収してしまいますが、麦わら帽子となると、紫外線は100%カットされていたのです。これなら堂々と猛暑の陽中でも歩けます。

 田中帽子店には立派なHPがありますので、御覧になると良いと思いますけど、残念なことに、私が購入した「シモン」は現在、品切れ中のようですね。

 えっ!? 勿論、私は田中帽子店の回し者ではありませんし、これは宣伝でもありません(笑)。猛暑、パンデミックという最中、皆さんも御自身の身の上を御自分で守るために、ちょっと工夫したら如何ですか、といった話でした。

ザ・ビートルズBlu-ray「ゲットバック」セッション感想

 1週間の病気療養生活で、本は読めないし、寝てばかりいられなかったので、ちょうど購入したばかりのBlu-ray3枚組「ザ・ビートルズ:Get Back」(ウォルト・ディズニー・ジャパン、7月13日発売、1万6500円)を時間を分散して見ていました。

 1969年1月2日から31日にかけて収録された「ゲットバック」セッションで、約60時間の映像と約150時間の音声を、新たに7時間47分間のDVD3枚組に編集したものです。既に昨年、ネットで配信されて話題になりました。

 私はネットの有料会員ではないので、DVD化されればいつか買うつもりでしたが、私のようなビートルズ・フリークから言わせてもらえれば、やはり、Blu-ray3枚組1万6500円は高過ぎるし、長過ぎる。普通の人なら、映画「レット・イット・ビー」で有名になったルーフトップ・コンサートが入った3枚目(2時間18分)だけで十分だと思います(バラ売りしないでしょうが)。

 会社の同僚の勧めで、DVDセット(1万3200円)ではなく、より画質が鮮明なBlu-rayセットを選んだので、53年以上昔の映像なのに昨日撮影したばかりのような驚くべき鮮やさです。デジタル・リマスター技術の進歩のおかげでしょうが、驚嘆するしかありません。

 今更説明するまでもありませんが、「ゲットバック」セッションは当初、レコーディングの様子やライブ演奏を収録してテレビ番組のために撮影されたものでした。ライブ演奏会場は当初、古代劇場だったり、テレビスタジオだったりしましたが、中止になり、結局、ロンドンのアップル社の屋上になりました。4人は激しく意見をぶつけ合い「空中分解」となり、ジョージが途中で「脱退宣言」してスタジオに顔を出さなくなったりします。

 当初は、「ゲットバック」アルバムとして、春にも発売する予定でしたが(私は、当時中学生で、「ミュージックライフ」誌に、ニューアルバム「ゲットバック」の広告が掲載されていた事を覚えています)、「お蔵入り」となり、夏に、ビートルズとしては最期のレコーディングとなった「アビイ・ロード」の方が先に秋に発売され、お蔵入りになっていた「ゲットバック」は翌70年に映画「レット・イット・ビー」のサントラ盤(フィル・スペクターによるアレンジ)として発売され、同年4月にビートルズ解散(ポール脱退)も発表されます。

 話が前後した、随分マニアックな話でした。

 ということで、このセッションではビートルズの初期のカバー曲や新曲が完成する前のラフな状態や試行錯誤が伺えるわけです。アルバム「レット・イット・ビー」収録曲は勿論、「アビイ・ロード」に収録される「オー!ダーリン」や「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のほか、後に各自ソロになってアルバムに収めることになる「テディ・ボーイ」「バック・シート」(ポール)、「ギミー・サムシング・トゥルース」(ジョン)、「オールシングズ・マスト・パス」(ジョージ)までありました。これらは大体、3年後の1971年に発表される曲でしたから、随分早い段階で試作品が出来ていたことを初めて知りました。

 もう一つ驚いたことは、この作品を撮ったマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が大御所かと思っていたら、メチャクチャ若いのです。BBCのポップス番組「レディ・ステディ・ゴー」のディレクターだったことから抜擢されたらしいのですが、1942年生まれということでポールと同い年。当時、まだ26歳です。(髭を生やしたポールは、40歳過ぎに見えます。)

 もっとも、有名なプロデューサー、ジョージ・マーチンも1926年生まれですから、この時、まだ42歳です。実に若かったんですね。

 また、空中分解しかけたところで、辛うじて「繋ぎ役」となったオルガン奏者のビリー・プレストンは1946年生まれですから、当時まだ22歳です!(リトル・リチャードのバックで弾いていたビリーがビートルズと初めて会ったのが16歳だったとは!2006年、59歳で病死されたことは返す返すも残念です)

 扨て、やっと感想文です(笑)。これは、病身で見るべきではありませんね。気分が落ち込みます。映画「レット・イット・ビー」が公開された時、中学生だった私は、東京・新宿の武蔵野館で朝から晩まで4回も見続けた覚えがあります。当時は入れ替え制度がなく、席も「指定席」以外自由だったからです。その後も何十回もこの映画は観ているので、内容は知り過ぎてはいるのですが、ここまで酷いとは思いませんでした。

 特に、今の時代では考えられないくらい彼らもスタッフも四六時中、煙草を吸いっぱなし!神聖な職場だというのに女(とはいっても恋人や配偶者)を連れ込み、特にジョンは遅刻魔で前半はほとんどやる気なし。ポールの独裁的な態度は強引で、ジョージがついにキレて行方をくらます始末です。呆れた事に、ワインやアルコールを飲みながらのレコーディング。会話も実に下品で野卑なのです。「ゲットバック」の歌詞に出て来る「カリフォルニア・グラス」が「カリフォルニアの大麻」のことだったとは!

 あの大天才モーツァルトに嫉妬したと言われるサリエリだったら、こんな感想を述べるかもしれません。

 「奴らは何て、下品で野卑なのでしょう。それなのに、奴らが生み出すメロディといったら天使から遣わされたような天衣無縫の旋律。あんな下ネタ好きで、酒や煙草はのみ放題。隠れてラリッているに違いない。不良少年がそのまま大人になったようで、社会の常識に染まろうとはしない。そんな野卑で下品な人間が天上の音楽を紡ぎ出すとは、神は如何にも不公平に人間を作りたもうたことか」

 それでも最後の「ルーフトップ・コンサート」は圧巻で、全ての悪や災いを帳消しにしてくれる感じです。ビートルズの音楽は鮮明な映像とともに、これから100年後も1000年後も人類の歴史が続く限り、繰り返し聴かれることでしょう。