自己中心的な日本人が増えたのでは?=コロナ禍で心の余裕がなくなったのか?

◇セロトニントランスポーターが少ない日本人

 ブログなんかに、正直に心の内を書くべきではないのかもしれませんが、私は、ここ毎日のように、社会や政治に対する「不満」と「不快」と、そして何よりもぼんやりとした「不安」の「3不」を抱えて生きています。だから生きているのが辛く、苦しくなります。

 最後の「不安」ですが、脳科学者の中野信子さんによると、日本人の97%がセロトニントランスポーターという遺伝子が少ないので、不安を感じる人が多いのだといいます。

 セロトニンとは、ストレス物質であるノルアドレナリンの作用を抑制して、不安を鎮める役割があります。でも、何でも「諸刃の剣」という側面があり、このセロトニンが多過ぎても、大胆不敵で、羽目を外して、犯罪まがいの無謀な行いも平気でしてしまうことになります。日本人にセロトニントランスポーターが少ないのは、古代から地震、雷、噴火、津波、水害など天災があまりにも多かったため、不安を感じて、将来に備えて準備するような遺伝子を持った人間だけが生き残ってきたからではないかというのが中野氏の説です。

 セロトニントランスポーターが多い民族は、北欧や南欧に多いそうですが、いわゆる冒険心が強いので、バイキングになったり、新大陸を発見したり、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼしたりするんですね。

 農耕社会の日本人は、作業に協力しない不逞の輩を村八分にしたり、同調圧力で監視社会を作ったりしたわけで、今の日本社会にもその遺伝子が繋がっているわけです。少しでも、セロトニントランスポーターが多い人は、そんな閉鎖社会に嫌気をさして、国内を放浪するか、海外に逃避行したりするわけです。

◇譲り合いの精神が喪失

 そんな日本人も最近、随分変わってきたように思われます。セロトニントランスポーターが増えて、大胆不敵になった、とも言えます。恐らく、コロナ禍で皆が本当にイライラしているせいかもしれません。電車に乗っても、真冬で着ぶくれしているせいか、座席に座っても隣同士窮屈になります。お互いさまなのに、急に大声を出して威喝する輩を毎日のように見かけます。大胆、40代ぐらいの男が多いです。狭い歩道を歩いていて、こちらが右側の端っこを歩いても、向こうから歩いてくる輩は、絶対によけたりせず、「オラオラ、この爺い、モタモタすんな、ドケい」と睨みつけてきます。とにかく、譲り合いの精神が喪失してしまっているのです。

◇異星人を見るような目つき

 こんな不快は、私が住む関東人に多いのかと思ったら、昨日、久しぶりに中部地方に住む旧い友人と電話で話をしたところ、何処(いずこ)も同じ冬の夕暮れでした。彼は、かつて大病して障碍者手帳を持つ身で、まだ老け込む年でもないのに、歩くときは杖が手離せません。電車やバスに乗る際、揺れると引っ繰り返ってしまうので、なるべく座るようにしています。それなのに、優先席に座っている若者は、スマホに夢中で、一切、周囲を気配ることなく、当然の権利として座り続けるというのです。

 友人は仕方がないので、そこは優先席であるため、席を譲ってくれるように懇願すると、さも驚いたように、相手を宇宙人か異星人か珍しい動物でも見るかのような目つきで、そして、自分のプライドだけが傷つけられて、恥をかかされたような雰囲気を醸し出して、実に不愉快そうに立ち去るというのです。自分は何も悪いことはしていない。無実だ、と言いたそうに。

 それは一人や二人ではなく、何十人も、皆そうだというのです。

◇優秀で心優しい日本人は何処に行った?

 あらまあ、世界に比類なき優秀で、心優しい、節度と品格があり、教養が高い日本人なんじゃなかったのでしょうか?スマホで夢中になっているのは、たかだかゲームとかSNSです。目の前にいる困っている人間には眼中になく、ヴァーチャルな世界にだけ浸っているのです。

 日本人はこういう自己中心的な人間を世の中に生み出すためだけに、社会を作り上げてきたかと思うと、不快で不快でしょうがありません。

 今、ロシアでは、プーチン独裁政権下で、反政府指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏が拘束されたことから、全土で同氏釈放を求めて、デモが広がり、1月23日は3000人以上が拘束されたという報道があります。警官が若者を殴りつけている場面もありました。今の日本は、菅義偉政権の支持率が各社の世論調査で30%台という「危険水域」に達しても、ロシアのような深刻なデモ運動や政権交代の気運も起きません。

 今はコロナ禍で、外国人観光客が皆無となり、街では日本人だけが目立つようになりました。そのせいか、余計に日本人の「アラ」が目立つようになったと感じるのは私だけなのでしょうか?

ジョージ・オーウェル「一九八四年」は人類の必読書

◇自分は何のために生まれてきたのか?

 自分では若いつもりでしたが、いつの間にか、自分の人生を逆算する年代に突入してしまいました。残りの人生、自分に何ができるのか、何がしたいのか、そもそも、一体何のために、この世に生まれてきたのか?

 まあ、答えは見つからないまま、一生を終えることでしょう。ですが、少しながら、見極めぐらいできるようになりました。つまり、ベンチャー企業に投資して莫大な利益を得たい、とか、競馬で大穴を当てたい、とか、若い女の子を侍らしてどんちゃん騒ぎをしたい、とか、もうそういった欲望は歯牙にかけないで、このまま知的好奇心を持ち続けていくということです。具体的には、本を読んだり、寺社仏閣、城巡りをしたり、劇場や博物館などに足を運んだりといった程度ですが。

スペイン・バルセロナ・サグラダファミリア教会

 今は、新型コロナによる自粛で動きが取れないので、只管、読書です。残りの人生、あと何冊読めるか限りがあるので、なるべく、まだ読んでいない古典や名作に絞ることにしました。その中で、気になっていたのが、やはり、ジョージ・オーウェル(1903~50年)です。2018年9月にスペイン旅行を敢行し、帰国して早速読んだのが、彼のスペイン内戦従軍記「カタロニア讃歌」でした。その感想文は同年11月6日の記事「『カタロニア讃歌』はノンフィクション文学の金字塔」に書いた通りです。誰一人も褒めてくれませんが、我ながらよく書けたと思っています(笑)。

 この時、「ジョージ・オーウェルの代表作を読んでいくつもり」と書いておきながら、なかなか実現していなかったことを2年以上も経って、やっと着手しているのです。「一九八四年」はやっと読了し、今は「動物農場」を読み始めているところです。

◇今さらながらの「一九八四年」

 えっ?あれだけ話題になっていたのにまだ読んでいなかったの?

 皆様のご怒り、ごもっともです。でも、「一九八四年」の「訳者あとがき」によると、読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまう本の英国での第一位が、この「一九八四年」だというのです。

 私も高校時代に、高校の図書室で初めて手に取って、「何だ、SFかあ」と生意気にも数行読んで借りずに書棚に返したままでした。私が高校生時代、1984年は、まだまだ先の未来の話だったのです。そんなあり得もしない空想小説なんて…と本当にボンクラだった私は勝手に判断してしまったのです。

 今回読んだ「一九八四年」(ハヤカワ文庫)は、2009年初版で高橋和久東大名誉教授による新訳です。旧版のミスプリントなどを直した本格版のせいか、私が手に入れた2020年1月15日発行は「42刷」にも達しています。やはり、結構読まれているのですね。

 この本が書かれたのは1949年で、オーウェル45歳ぐらいの時です。(翌年亡くなるので、最後の作品になりました)彼にとって、1984年は「35年後の未来」ということになりますが、今、我々が生きている現代2021年は、1984年から見れば、もう軽く「35年の未来」は過ぎてしまっています。嗚呼、何とも怖ろしい…。

 「ビッグ・ブラザーがあなたを見ているという全体主義的な監視社会は、空想事ではなく、現実世界になっています。世界中で、何億もの監視カメラが街角やコンビニや駐車場に張り巡らされ、チップが埋め込まれたスマホが公然と販売され、位置情報やら、その個人が何を買って、何を食べたのか、FacebookなどSNSのお蔭で、趣味趣向から友人、家族関係、不倫まで情報漏洩して当局や広告代理店やメディアに把握される有様です。特に、ブログなんか書いている小生なんぞは丸裸にされているのも同然ですね(笑)。

 「一九八四年」は、ミステリーか推理小説の側面もあるので、まだ未読の人のために、主人公のウィストン・スミスと恋人のジュリアが最後にどうなってしまうのか、書かない方がいいでしょう。でも、人類にとって必読書であり、知的財産であることは確かです。「人類が読むべきベスト10」に入ると思います。

◇露骨な性的描写も

 正直、最初、出だしのオーウェルの文体に馴染めず、投げ出したくなりましたが、それを越えると、どんでん返しが待っていて、「ガーン」と視界が開けます。というより、露骨な性的描写があったとして「チャタレー夫人の恋人」(D.H.ローレンス作、伊藤整訳)の裁判で問題になった最高裁による猥褻の概念ー「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、通常人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」に匹敵するどころか、それを越えた描写が出てきて、俄然、面白くなります(笑)。よく、発禁処分にならなかったなあ、と思ったぐらいです。私なんか高校生の頃、「チャタレー夫人」を読んでも何ともなかったですが、やはり、未成年は読んじゃ駄目ですね(笑)。

◇観念論による鋭い政治風刺

 でも、この小説の中核は、観念論と政治風刺です。監視と粛清の嵐が吹き荒れるソ連のスターリニズムを思わせる箇所が想起されるのは今さら言うまでもありませんが、そう容易く読める文章は続きません。オーウェル特有の「無知は力なり」「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「二重思考」といった概念を会得するには骨が折れることでしょう。

 文庫版の解説はあの著名なトマス・ピンチョンが担当して、鋭い指摘をしています。

  平和省は戦争を遂行し、真理省は嘘をつき、愛情省は党の脅威になりそうな人物を片っ端から拷問し殺していく。もしこれが馬鹿馬鹿しいほど異常と思われるなら、現在の米国に目を向けてほしい。戦争を造り出す装置が「国防省」と呼ばれていることを疑問に思っている人はほとんどいない。同様に、司法省がその恐るべき直轄部門であるFBIを用いて基本的人権を含む憲法の保障する権利を踏みにじっていることは、十分な書類として提出されているにもかかわらず、我々はその省を真顔で「正義(ジャスティス)の省」と呼んで平気でいる。

 オーウェルの「一九八四年」も英国伝統の風刺と逆説を熟知していなければ、作者の意図も理解できないということになりますね。

築地「魚河岸三代目 千秋」の「おすすめ丼」のお薦め

 昨日は、行きつけのランチの店、築地の「魚河岸三代目 千秋」に行き、いつもの「おすすめ丼」を食して、帰ろうとしたら、上の写真の「お年賀」を頂いてしまいました。

 手ぬぐいか何かかなあ、と思ったら、中身は焼きのりでした。でも、こんな気が利くお店は初めてです。夜の馴染み客なら分かりますが、私はランチしか行ったことがありませんからね。

 この店は知る人ぞ知る店で、わずか11席しかない狭い店なので、いつも超満員です。いや、知る人ぞ知る店ではなく、漫画「魚河岸三代目」か何かのモデルになった人気店らしいのです。私は漫画は読まないので、よく分かりませんが、店内にそれらしき漫画が置いてありました。

 ここは、恐らく、築地で、いや、東京で、いや、関東で、いや東日本で、いや日本で一番美味しくて安い海鮮丼を出す店だと思います。3~4年前に会社の同僚から教えてもらい、月に数回行くほど気に入っています。

 でも、この店の角刈りの大将(主人や店長というより、大将が一番相応しい)が、いつもテンパっている感じで、威勢が良いというべきでしょうが、ちょっと怖いところがあり、店が満員だと、「ちょっと外で待っててください」と怒られるし、コロナ禍の前は、席の間隔を空けて座ると、「順番に詰めてお座りください」と怒られたりしました。そこで、我々は、この店に行くとき、「今日は『緊張丼』に行くか」といった符丁を使ったりするのでした。(本人は怒っていない、と思いますが、この店に行くには覚悟がいります)

 繰り返しますが、大将の腕は確かで、お味はピカイチです。ここの海鮮丼を食べたら、他の店では食べられないくらいです。お吸い物も、大将は出すときに、いつも「熱いのでお気をつけてください」と同じセリフを使いますが、これも抜群に旨い。それに、何と言っても日替わりの「おすすめ丼」なんか1000円ですからね。

 あまり教えたくない店だったのですが、立派な「千秋」のホームページがあったので、皆さんも御自分で場所を見つけて行ってみれば、絶対に後悔しないと思いますよ。

 えっ?肝心の「おすすめ丼」の写真がない?

 まさか、撮れるわけないでしょう。「緊張丼」というぐらいですから、大将の目の前で写真なんか撮ったりしたら、どんなにどやされることやら…。できるわけないでしょう(笑)。

株価高騰は異常なのでは?来年も城巡りが楽しみ=大晦日所感

 今日は大つごもり。まずは、この1年、読者の皆様には御愛読賜り、洵に有難う御座いました。先程、このブログのページヴューを見たら、何と総計40万アクセスを超えておりました。新しいサイトに独立・移転してカウントを始めたのが、2017年9月15日のことです。3年で40万を超えるなんて、誰も知らない秘密結社のような無名のブログにしては我ながら大したもんだと自負しております(笑)。

 もともと、「渓流斎日乗」を始めたのは2005年3月15日のことでした。来年で16周年ということになります。こんなに続くとは!です。今年は15周年の記念で、簡単な飲み会でもやろうかと図っておりましたが、豈はからんや、新型コロナ禍で、あえなく中止を余儀なくされてしまいました。

 ブログはもともと、遠く離れた異国に住んでいる友人への手紙のつもりも含めて書き始めたのですが、思想信条や趣味嗜好が合わなかったのか、彼からの音信も途絶えてしまいました。ブログを書くと、どうも「ソリが合わない」と思われるのか、それとも、「こんな奴と付き合っていられない。時間の無駄だ」と思われるのか、2020年も離れて行ってしまった特別な方もおり、個人的にはかなり落ち込みました。

 でも、新しい読者の方も増えましたし、こうして、長らくいまだに読み続けてくださる方もいらっしゃるわけですから、気を取り直して、来年も続けていきたいと思います。

福知山城

 いつも「長い」と言われているので、これで終わりにしても良いのですが(笑)、またマスクを買ってしまった話をします。通販で「100枚900円」を見つけて、まだ沢山マスクは残っているのに、つい誘惑に負けてしまったのです。1枚、何と9円ですよ!本当かなあ。…忘れもしない、今年5月3日、マスクがどこの店に行っても品切れ状態だった頃です。自宅近くで売っていたマスクは、50枚3300円もしたのです。1枚66円です。それが7カ月後に7分の1近くも値段が急降下したのです。信じられませんね。

 信じられないと言えば、株価です。昨日の大納会で、日経平均の終値が2万7444円と年末の株価としてはバブル経済で史上最高値を付けた1989年以来31年ぶりの高値だったというのです。年間の値幅は1万1015円という乱高下です。コロナ禍で、倒産や雇い止めや失業という最悪の景気の御時世で、異常ですよ。まさに逆現象が起きてます。「日銀がETFを買って、せっせと株価を釣り上げている」とか「外国人投資家が、割安の日本株を物色して買いに邁進している」とか専門家は色々言ってますが、説明つきませんね。そのうちバブルが弾けて、暴落するのではないでしょうか。まあ、私の予想は当たらないでしょうが、投資に向いてないと悟った私は、大半の自己資産は今年、損切りで市場から回収したことを告白しておきます。

 今年は相変わらず「城巡り」をし、坂本城や丹波亀山城、福知山城など明智光秀ゆかりのお城(跡)や関ヶ原などに行けたことは収穫でした。また、本で戦国時代の合戦や武将関係、江戸五百藩などの知識も得ることができ、来年もお城巡りが楽しみです。温泉付きを望んでますので、一刻も早いコロナの終息を願っています。

 私自身、お酒は呑みますが、煙草は吸わず、夜鷹も博打も賭博もやらないので、エンゲル係数90%でもいいですから、貯金を取り崩しながら残された人生を牛の歩みで過ごしていきたいと思います。来年は丑年ですからね。

 皆様も良いお年をお迎えください。

NHKラジオの聴き逃しサービスは是非ともお薦めです

 年賀状をやっと書き終わりました。12月5日から書き始めたので、結構掛かりました。

 今年はかなり「喪中はがき」が多かったり、「70歳を機に年賀の御挨拶を今年限りに致します。長い間の交際有難うございました」という方も少なからずいらっしゃって、買い求めた年賀状がかなり余ってしまいました(苦笑)。そこで、出してはいけない人に出したりしてしまいました。…告白しておきまする。

 出す相手を探すために、古い住所録を引っ張り出して見たところ、かなりの方が故人になっておりました。半数近いかもしれません。会社の今の職場ではいつの間にか自分が最年長になってしまいましたからね。亡くなった方は、会社の上司に当たった人、仕事で知り合った人たちが主ですが、仕事柄、有名作家さんや評論家、芸能関係の方もいらっしゃいます。時の流れは速いものです。人生、こうしてバトンタッチしていくものだとしみじみと感じています。

 さて、一昨日のこのブログで、学生時代の畏友小島先生からの指令で、NNKラジオ「らじる☆らじる」の聴き逃しサービスの三島由紀夫の話を書きましたが、他にも沢山の聴き逃した番組があったことを発見して、はまってしまいました。(小島先生には感謝申し上げます。有難う御座いました)

 特に興味深く拝聴したのは、NHKラジオ第2で放送されている「宗教の時間」で、田上太秀駒澤大学名誉教授による「釈尊にとってのあの世とは」(11月15日放送)と静岡市の宝泰寺住職藤原東演氏による「百喩経(ひゃくゆきょう)の教え~自分を見つめる」(11月29日放送)でした。「こんな良質な番組を聴き逃していたとは!」と自分の不明を恥じたほどです。

 田上氏によると、仏教思想の根幹の一つである極楽とかあの世とかは、釈尊は説いていないといいます。それは、紀元後に成立した「無量寿経」などの極楽浄土思想によって広まったというのです。確かに、お経は釈尊一人が説いたものだけを指すのではなく何百年、何千年に渡って高僧が受け継いで説いてきたものですから、特に異論はなく、むしろ、仏教思想の深さを思い知らされました。田上氏の語り口からは、何も、仏教だけが絶対的な真理だといった押し付けがましさが全くなく、難しいことをかみ砕いて分かりやすく解説し、視聴者と一緒に考えていきましょう、といった好印象を受けました。

 藤原東演氏の講話も実に面白かったです。静岡駅に近い宝泰寺という臨済宗妙心寺派のかなり大きな禅寺の住職の子として生まれながら、家業を継ぐ気は全くなく、外交官にでもなろうと、京都大学法学部に進学しますが、学生時代は遊んでしまい、司法試験にも落ちたりして、結局、家業を継ぐことになったという飾らない正直な話には、身近に感じてしまいました。ひねくれているかもしれませんが、成功譚なんかより、失敗譚の方が遥かに面白いですからね。

「百喩経」とは、目先の利益や快楽を求める者や物事の本質が分かっていない者たちの失敗や過ちを題材にユーモアと皮肉にあふれた小咄によって仏法を説いたもので、私もこんなお経があったとは知りませんでした。皆さんもこの番組を「聴き逃しサービス」でお聴きになるといいでしょう。あと1カ月ぐらい聴くことができそうです。

 あ、もう一つありました。今、聴いている真っ最中ですが、「カルチャーラジオ 日曜カルチャー『語り継がれる“幸田家”のことば』」(1)~(5)(11月8日~29日放送)です。お話は文筆家・エッセイストの青木奈緒さん。文豪幸田露伴の曾孫で、随筆家の幸田文の孫に当たる人で、露伴とは会ったことはありませんが、文には一緒に育ててもらったらしく、彼女との思い出を中心に作品を朗読しながら語っています。

 これまた、実に面白い。残念ながら、第1回放送の聴き逃しサービスは今日12月28日午後3時で終わってしまいますが、第2回以降ならまだ少し間に合います。第1回では、幸田文の書いた「木」を朗読しながら、それに関する逸話などを話しています。エゾマツやトドマツなどは「倒木更新」といって、種からしか次世代が生まれないといいます。接ぎ木として生まれず、種子から育つので、成長して大木になるまでに50年から60年掛かる。そのため、林業に従事している人たちは50年とか60年とか長いスパンで物事を考えている、といった話には非常に感銘を受けました。青木さんは、北海道の富良野までそのエゾマツを見に行く話をされていました。幸田文が50年前に書いたエッセイが御縁で、東京大学が管理している普段は入れない場所に行くことを誘われて感動したといった話もされていました。

繋がった、何が? パソコンとプリンターが

会津の赤べこ 2750円(今注文しても納期は3月になるそうです!来年は丑年だったんだ!)

 嬉しいーー! 最近にない珍しい嬉しさです(笑)。

 やっと、パソコンとプリンターが繋がったのです。ここ1週間以上ずーっと格闘していても全く繋がらず、いつも「ドライバーやソフトウエアの情報を取得できませんでした。ネットワークの接続を確認し、再度実行してください」と表示が出てくるばかり。もう何十回もこの表示で阻まれたことか! これでは、パソコンが悪いのか、プリンターが悪いのか、Wi-Fiなどのネット環境が悪いのか、さっぱり分からないではありませんか!

 幸い、会社の後輩さんに私と同じD社のパソコンをお持ちの方がいたので、試してもらったら、彼のパソコンは何の支障もなく、すんなり、繋がったのです。それなら、小生のパソコンでも繋がるはずだ、ということで、会社に自分のパソコンを持って行って、彼に操作してもらったら、それでも繋がりません。えっ?どういうこと?じゃ、僕のパソコンのソフトが何か引っ掛かっていて、ドライバーがインストールできないの?。さっぱり分かりません。そこで何度もお世話になっている大御所IT博士の志田氏に、申し訳ないと思いつつ、また、問い合わせてみましたが、「うーん、それだけの説明では分からないなあ…云々」と匙を投げられてしまいました。

 最後の手段は、プリンターのC社に直接問い合わせることです。最初はメールで問い合わせてみましたが、送信した後、注意書きを見たら「大変混んでおりますので、お答えは来年正月明けになるかもしれません」と書かれていたので、そこまで待てません。仕方ないので、電話してみました。勿論、混雑していて、なかなか出てくれません。20分ぐらい待たされました。何で、こういう問い合わせ番号は、「050」の有料なんでしょうかねえ?電話が繋がらない間中、AIは「長らくお待たせてしています。この状態でも、電話料金は掛かります」といったメッセージを繰り返しています。

 いい加減、諦めかけたところ、やっと繋がりました。40代以降の落ち着いた声の女性でした。この方、仕事なのか、めっちゃくちゃ詳しい。当たり前か?(笑)。「ああして」「こうして」と手取り足取り指示してくれて、見事、パソコンとプリンターの接続に成功しました。

 何てことない。原因は、結局、Wi-Fi環境のせいでした。それに合ったドライバーか何かをインストールし直したら、うまく行ったのです。細かい話ですが、普段、O社のモバイルWi-Fiを使っているのですが、あんなこんなで、月の通信量を使い切ってしまったので、R社の携帯モバイルのテザリングでパソコンを使っていたのでした。プリンターと接続するためには、プリンターもR社のテザリングWi-Fiから接続しなければ、パソコンとプリンターは同期しなかったわけです。

会津「赤べこ」

 一昨日は、このブログで「最近ツイてなくて、落ち込んでいます」と愚痴ばかり連ねましたが、一山、二山越えた感じで、これで「生きていてよかった」と大袈裟に思いました。皆さまには御心配お掛け致しました。

 確かに最近、ツイていないんです。昨夕は会社から帰宅する際、電車が人身事故で40分も遅れ、車内は「過去最多」のコロナ禍だというのに満員御礼。昨日は、会社に自分のパソコンを持って行ったので、立ったまま荷物が重くてしょうがない。混んでいて網棚が遠くて載せられないのです。「何でこんな日に…」と呪詛してしまいました。(すみません。コロナ禍による社会情勢を重く考えていない個人的感想です)

 良い話もありました。蜜柑のお返しに北海道のお菓子を通販で送った九州の叔母さんからは、12日目にして、やっと「届きました」との連絡があったのです。恐らく、北海道から九州まで、筏を使って地球1周して運んだことでしょう。

 【追記】

 会津の「赤べこ」の写真をブログに掲載したことで、久しぶりに小学校以来の旧友の吟さんとお話できました。彼女は10年ほど会津若松などに暮らしていたことがあり、懐かしかったようでした。それ以外、茲では書けない(笑)色んなプライベートなことをお伺いしました。

 はっきり言って、私は会津の味方です。幕末の会津の悲劇を知っていますからね。

何故、日本人は勤勉で不安を感じやすいのか=中野信子著「シャーデンフロイデ」を読んで

 銀座「バルネア」 パエリヤ サラダ付 1000円

 最近どうもツイていなくて、ほんの少し落ち込んでいます。

 まあ、そう大した話でもないんです。

 例えば、九州の叔母さんから蜜柑が送られてきたので、そのお返しに通販で北海道の御菓子を送ったところ、10日も経ったというのに先方から御返事がない。「届きましたか?」と聞くのも変ですし、モヤモヤしてしまいます。たかが、御菓子で1週間も2週間も掛かるんでしょうか?

 もう一つ、やっとパソコンのプリンターを購入し、1週間前に届きましたが、無線LAN方式になっていて、どうしても、パソコンとプリンターが繋がりません。幸い、スマートフォンはアプリを入れて、どうにか繋がりましたが、やはり、パソコンでなくては意味がありません。これも、原因が分からず、モヤモヤしてしまいます。

 あとは、目の前でバスや電車に乗り遅れるとか、期待して初めて食べに行った銀座のランチが美味しくなかった、とか、まあ「軽症」の不運でしたが、私にとって重症の不運もありました。

 3年程前に、変動金利型10年満期の個人国債を購入したのですが、金利があまりにも低いし、1年経てば中途解約できるので、先日、思い切って解約したところ、何と、約5000円も損失額を出して返金されました。「元本保証」だったはずなのにどういうことだ!!

 調べてみたら、中途換金の場合、元本+経過利子相当額-中途換金調整額で「払戻金」が計算され、財務省のホームページにも「元本割れしないから安心」なんて書いてますが、嘘こけー!ですよ。実際は、中途解約金とか手数料とか証券会社から差し引かれるので、前述通りマイナスになってしまいました。これは私が実体験したので、本当の話です。やはり、自分は投資家に向いていないと思ってしまいました。(21日に発表された2021年度予算案は106兆円で、そのうち借金に当たる国債発行額は43兆超円で歳入の40.9%にも上るとか。日本は大丈夫かなあ?)

会津の赤べこ、ついに買っちゃいました

 まあ、こんな調子で少し落ち込んでしまっているわけですが、いわば、軽い「不安神経症」だと思われます。何で、日本人にこのような症状を持つ人が多いのかと思いましたら、ちゃんと脳科学的に説明できるんですね。

  先日、このブログで中野信子著「サイコパス」(文春新書)を取り上げましたが、同じ著者が書いた「シャーデンフロイデ」(幻冬舎新書、2018年1月20日初版)が一番良かった、と旧友の森川さんが薦めてくれたので、読んでみました。確かに、こちらも実に面白い。シャーデンフロイデ Schadenfrreude とはドイツ語で、シャーデンとは「損害、毒」、フロイデとは「喜び」という意味だそうです。そう言えば、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」は、An die Freude ( アン・ディー・フロイデ)でしたね。

 シャーデンフロイデには、「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンという物質が大きく関わっています。例えば、困った人を助けたりすると快楽ホルモンのオキシトシンが分泌される一方、人に対する嫉妬や妬み、組織や社会の輪を乱す者に対する制裁心や、別に関係もないのに有名人の不倫を叩いたり、自警団のような過剰な正義感などもオキシトシンと関係があるといいます。つまり、喜びと害毒の両極端の感情を作用するわけです。

 本書の中で、一番興味深かったのは、なぜ、日本人は正義感が強くて真面目で、規律正しく、大人しく全体行動に従う人が多いのか、といった分析でした。まず、日本は古代から稲作農業が中心で、米作りには集団による協同作業が必要になります。こうした向社会性が強い場では、個性が重んじられる合理主義より集団の意思決定が尊重されます。つまり、異分子は排除され、反集団的な人の遺伝子は絶えたということなのでしょう。

 もう一つ、日本は世界的に災害大国だということです。地球全体の総面積のわずか0.28%しかない日本列島で、マグニチュード6以上の大地震の約2割も起き、災害被害総額も世界の約2割も占めているというのです。こういった土地で生き延びて繁殖するためには、助け合いや集団行動が不可避になっていくわけです。

 また、日本人には不安を感じにくくする物質セロトニンが少ないため、不安を抱きやすいという説があります。脳内でセロトニンを合成する部位におけるタンパク質の密度が低いSS型とSL型を持っている日本人は98%もいるといいます。密度が低いと物事をいい加減に考えることができず、事前に準備をする勤勉なタイプが多いということになります。逆に密度が高いLL型は、まあ、無鉄砲で果敢にリスクを取るタイプでしょう。こちらは、日本人の2%だといいます。サイコパスが人口の1%だと言われていますから、本書には書いていませんが、恐らく、日本人のサイコパスは、この2%の密度が高いLL型の中に入ると思われます。

 日本人の98%が勤勉タイプだとしたら、自然災害が多い日本では、セロトニンが少ない方が生き延びやすかった、つまり、不安で心配性の方が予防策を講じられて有利になったことから、そういうタイプの人が生き延びて遺伝子が残ったと考えられるというのです。一方、米国人にセロトニンが多い人が見受けられるのは、リスクを取ってでも新大陸に向かう不安を感じにくいタイプの人が生き延びたためだといいます。

 面白いですね。私自身が不安を感じやすいこと、大きなリスクを取ってでも投資したいと思わないことが、見事証明されたような感じです。つまり、私自身、セロトニンが少ない日本人の典型だったということになります。

 となると、人の性格や人格など、何でも、遺伝子のせいにすることができるかもしれません。所詮、人間だって、単なる生物です。「俺のせいじゃない。DNAのせいだ」と。-ここまでくると、脳科学は免罪符みたいに感じますね(笑)。

 

仏マクロン大統領もCovid-19に感染=ランチはゆったりとした店で

 昨日17日はフランスのマクロン大統領が新型コロナウイルスに感染(陽性)したというニュースEmmanuel Macron a été déclaré positif au Covid-19 が世界中を駆け巡りました。米国トランプ大統領、英国ジョンソン首相、ブラジル・ボルソナロ大統領ら世界の最高指導者が次々と感染しましたが、「フランスよ、お前もか」といった感じです。

 ルモンドなどの現地仏紙は、マクロン大統領は16日夜に、与党幹部ら10人ほどをエリゼ宮に招いて夕食を伴にしていたことを一斉に報道しました。政府は、国民に対して、会食人数は6人を超えないよう呼びかけ、おまけに夜間外出禁止令までが出していたので、野党からは「警察は何をしているんだ」と糾弾の声が上がったらしいですね。

 そう言えば、我が極東の国でも最高指導者が、銀座の超高級ステーキハウスで7人で会食したことが発覚して陳謝したばかり。まさか、マクロンさんは菅さんの真似をしたわけじゃないでしょうが、随分、世界が狭くなった感じがします。

 情報が本当に瞬時に伝わってしまうからです。

 ということで、政治嫌いの渓流斎は、「孤独のグルメ」ですから、本日も銀座ランチ行脚です。

 「京町しずく」という店にしました。銀座インズ1の2階にあります。夜の居酒屋がメインでしょうが、ランチもやってました。全室個室というので落ち着けます。

 ほんの少し、高級感がありますが、値段は驚くほど大衆並みなので、得した気分になれます。

ヒレカツ御膳 御飯は大盛でーす

 どれも美味しそうで、メニュー選びに迷ってしまいましたが、週替わりの「ヒレカツ御膳」にしました。

 おかずが五品もあり、コーヒーも付いて、1000円(税込み)ですから、リーズナブルです。ちょっと近くの三省堂で買い物があったので、ゆっくりできませんでしたが、時間があれば、ゆったりとくつろげます。何しろ、個室になっていますからね。

 愚生自身、もう最近、すっかり縁遠くなってしまいましたが、アベック向きの店かもしれません。アベック? 死語ですか? カップルでした!年齢がバレてしまいますね(笑)。

時の首相は政権トップの器ではないのでは?=「孤独のグルメ」に敬意を表して銀座ランチ巡り

銀座 スペイン料理「ロボス」 イベリコ豚のグリル 1000円

  もう破れかぶれ気味です。

 今の、時の政権といいますか、菅義偉首相は、どうも為政者トップの器ではないように見受けられます。聞こえてくるのは「官僚の書いた作文の棒読み」とか、「二階(幹事長)政権の操り人形」とか、「内閣支持率低下に怯えて宗旨変え」とか、ネガティブな噂ばかりです。コロナ禍という有事の宰相として相応しいとは思えず、何か、批判する気にもなれません。

 派閥を持たないガースーさんということで、日本学術会議問題にせよ、融通が効かないというのは、「揺るぎない精神」の持ち主ではなく、周囲の首領(派閥の長)に気を遣い過ぎて、単に、自己判断ができずに硬直しているだけなのかもしれません。いつも目がどんよりしていて、その目が泳いでいる人です。こういった噂は「首相周辺」とやらが政治記者に流しているようですが、「周辺」って、一体誰なんでしょうか?

 かつて、こういったヤバい噂をオフレコで発言する人をマスコミ業界はボカして、「政府首脳によると」とか「政府高官によると」とか書いていましたが、今では「政府首脳=内閣官房長官」「政府高官=事務次官、内閣官房副長官」のことだということがバレバレです。そこで、「政府筋」とか「首相周辺」なんていう新語を生み出したのかしら?(各社まちまちですが、周辺とは公設秘書も入るようです)

 傍から見て、菅首相と加藤官房長官との意思疎通がうまくいっているようにも見えません。邪推かもしれませんが…。

 ということで、政局の話はこれぐらいにして、本日も、渓流斎ブログ、実は「グルメ・ブログ」と揶揄される通り、銀座ランチ巡りの話です。

銀座コリドー街の先、つまり新橋寄りに「裏コリドー」なる商店街が出来ていました

 今年初め辺りから、テレビで「孤独のグルメ」という番組を見るようになりました。原作の漫画は読んだことはありません。俳優の松重豊さん扮する井之頭五郎という輸入雑貨商が、腹が減ったので仕事先の街でお店を見つけてランチする、というそれだけの話です。

 この番組は、再放送か、再々放送か知りませんが、第1シリーズは2012年1月から始まったようで、もう9年前のことですから、主演の松重さんも今のように白髪ではなく、黒髪で実に若い(笑)。取り上げられるお店は、どの店も安くてボリューム満点の和洋中華何でも御座れといった感じです。番組の最後の方で、原作者の久住昌之さんが、その店に実際に訪問して、昼間っから呑んだりしているので、是が非でも行きたくなるお店ばかりです。でも、いざ、実行に移そうと調べてみると、何と、ほとんどのお店が現在、閉店してしまっているのです。

 テレビに取り上げられて大いに宣伝になったはずなのに、です。閉店の理由は、店主の高齢化とか、後継ぎがいない、といった切実なものが多かったようですが、それにしても残念。

 ということで、つまらない政治の話をするより、私も井之頭五郎になったつもりで、職場のある銀座ランチを楽しむことにしたのです。今までは行きつけの同じような店ばかりでした。

 本日行ったのは、「ローマイヤ―」という老舗のドイツ料理店です。創業1921年ということは、大正11年。まあまあ、古いお店です。

 初めて行ったのですが、知る人ぞ知る有名店らしく、こんなコロナ禍の御時勢なのに超満員。前に3人組が店内に立っていて入れず、外で待っていたら、後から来た元気がいい若い女性がつかつか来て、先に店内に入ろうとするので、「おや?」と思ったら、「(おめえごときが)先に入りますか?」と一応声を掛けてくれたので、「はい」ではなく「うん」と言って先に店に入らせてもらいました。

「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」

注文したのは、本日のランチの「豚肩ロースの白ワインビネガー煮込み」。ライスとスープとコーヒー付きで1100円。本日のランチなので、早いかと思ったら、混んでいたせいか、10分以上待たされました。これで、味が悪かったら、もう二度と…、と思いましたが、これが結構、薄味でいけました。この味と値段なら再訪したいと思いました。

 さすが老舗です。

 ついでながら、昨日行ったランチは、銀座7丁目の「只今」という割烹・小料理屋さんです。看板に「ランチはじめました」とあるので最近始めたと思われます。

 「只今」は「ただいま」と読むのではなく「しこん」と読みます。禅用語で、「今は今しかなく、自分は自分でしかない」という意味なんだそうです。「ただいま」の語源だとか。奥が深いです。

 場所は、ちょっと分かりにくい、路地を入ったマンションのような建物の4階。九州出身の女将さんともう一人女性が給仕してくれます。狭いお店で、席数は15。

 恐る恐る入ったら、男性1人のほか、男女4人の先客がいて、4人は昼間からワインや焼酎を飲んで御機嫌でした。4人とも50代ぐらいの感じでしたが、ゴルフ談義に花が咲いていました。

写真の4種のおばんざいの他にイワシ焼きが付きました 1200円

 ランチは「おばんざいランチ」1種類で、メインディッシュとして「ロールキャベツ」か「肉豆腐」か「本日のお魚料理」のいずれか一つを選びます。私は、魚がイワシだったので、「本日のお魚料理」にしました。

 初めて行く店なので、その店の「作法」を知りませんでしたが、最初におばんざいが出てきて、さあ食べようかな?と思ったら、なかなか御飯とお味噌汁が出てきません。先に食べ終わった男性客を女将さんたちが、わざわざ出口までお見送りしているのです。ランチなのに、そこまでするかな、といった感じです。時計を見ていませんでしたが、おばんざいが運ばれた4分後にやっと御飯と味噌汁が出てきて、その6分後にメインのイワシが出てきた感覚でした。

 でも、さすが割烹だけあって、美味しかったでしたが、ちょっと量が少なかった。お腹が空いている時は、物足りない感じでした。

 

ランチで2~3万円はとても、とても=「銀座百点」12月号を読んで

 「銀座百点」という冊子があります。1955年に創刊、ということは今年で65周年にもなります。

  銀座に出店している小売店から大型店まで会員になっている協同組合「銀座百店会」が発行しています。紳士服の英國屋、カバンのタニザワ、真珠のミキモト、文房具の伊東屋、それに三笠会館や歌舞伎座、近年銀座に進出したユニクロまで現在会員数は125店に上ります。


 銀座百店会の広報誌的役割を持つのがこの「銀座百点」です。広報誌的とは言ってもあまり宣伝臭くなく、創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら一流作家が執筆し、また同誌に連載された作品で、向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」などがベストセラーになったりしています。

 年間定期購読料は4248円ですが、私は銀座の店で食事をしたり、物を買ったりした時、加盟店の店頭に「ご自由にお持ち帰りください」と置いてある時があるので、たまに貰っていくことがあります。

 先日は、銀座の天ぷら「ハゲ天」に久しぶりにランチをし、ハゲ天も銀座百店の会員で、お店にこの冊子の最新12月号が置いてあったので、お店の人に断って持ち帰ったのです。

 久しぶりに読んでみたら、私の大学時代の同級生・生駒芳子さんが「審美眼が求められる街」というタイトルで、エッセイを書いておられました。出世されましたねえ(笑)。彼女はファッション雑誌「マリー・クレール」の編集長なども歴任したファッション評論家ですが、10年前に、金沢に行って伝統工芸に目覚めてからは、「伝統工芸・ファッションプロデューサー」の肩書で今はお仕事されているようです。

 彼女が駆け出し雑誌ライターだった頃、東銀座のマガジンハウス(恐らく当時は平凡出版だったかも)にほぼ毎日、朝まで詰めて原稿を書いていたらしく、その時に一番楽しみにしていたのが、歌舞伎座の裏にあった「さつまや」というご飯屋さん。「そこで頂くおでんやお魚定食は、美意識に溢れた本物の味」と書かれていたので、「行ってみようかなあ」と思ったら、程なくして閉店してしまったそうです。嗚呼、残念でした。

 ほかに、私も25年ぐらい昔、六本木の事務所でインタビューしたことがある作曲家の三枝成彰さんが「いつまでも特別な場所」というタイトルで、同氏が贔屓にしている行きつけの銀座の店を書いておられます。

 そしたら吃驚、ビックリ、そのまたびっくりです。

 三枝氏ご贔屓の「すきやばし次郎」はミシュランが認めた超一流の寿司店ですが、確か、ランチでも3万円はくだらない値段です。数寄屋橋通りのおでん店「おぐ羅」は、グルメネットの相場を検索してみると、7000円ぐらい。歌舞伎座の向かいの路地にある京料理「井雪」は、「日本料理の神髄が味わえる」らしいのですが、5万円から6万円。新橋演舞場近くにあるステーキ店「ひらやま」は、「肉好きの方には是非一度、行っていただきたい」と三枝先生は仰いますが、ランチが1万5000円~2万円、ディナーは5万円~6万円が相場のようです。

東銀座「井雪」 「日本料理の神髄が味わえる」そうですよ。

 並木通りのフレンチレストラン「ロオジエ」は、三枝氏がよく行かれる店のようですが、こちらもランチが1万5000円~2万円、ディナーは5万円~6万円。「金春湯」の近くにある高級居酒屋「大羽」も「好きな店だ」と書かれてますが、2万円~3万円。

 まあ、これぐらいにして、凡夫の私が吃驚仰天するのはお分かりになって頂けたかもしれません。何しろ、私は「銀座で500円のランチが食べられた!」と嬉々としてブログに書くような輩ですからね。人間的にも器が小さい、小さい。我ながら嫌になりますよ。

 でも、オペラも作曲される三枝氏のような大物の有名作曲家ともなると、毎日のようにランチ2~3万円、ディナー5~6万円は普通で何ともないんですね。協奏曲や管弦楽曲などのほかに、映画音楽やテレビニュースのテーマ曲、CMなど作品の印税が入って来るからだと思われます。人間的にも器が大きくなるはずです。