クラウドファンディングで9億円超=国立科学博物館

 むふふふ、ご覧の写真の通り、国立科学博物館からクラウドファンディングの御礼書と入場券が送られてきました。

 同博物館所蔵の500万点のコレクションの保存・維持等に掛かる経費が不足していて、「このままでは危ない」という記事を読み、僅少ながら、私も寄付したのでした。

 クラウドファンディングは今年8月7日から11月5日まで行われ、「1億円」が目標だったのに、最終的には5万6584人から9億1602万5000円の寄付金が集まったといいます。

 こりゃ凄い。

 私もバリバリの文系人間から理系人間に転向したので、嬉しい限りです(笑)。自宅に届いた封書の送り人は、国立科学博物館の篠田謙一館長の名前になっており、「どっかで聞いたことあるお名前だなあ」と思ったら、思い出しました。昨年12月にこのブログでも何度か取り上げさせて頂いた「人類の起源」(中公新書)の著者でした! あの本はベストセラーになったので、皆さんもご存知だと思います。700万年前にヒトがチンパンジーから枝分かれし、20万年前に現生人類であるホモ・サピエンスが誕生する物語を素人でも分かりやすく書かれていました。未読の方は是非お勧めです。現生人類と旧人のネアンデルタール人が交雑していたという意外な真実まで書かれていました。

 この本がきっかけではありませんが、古人類学と呼ばれる関連書は、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史  人間を生き残らせた出来の悪い足」(文藝春秋)を始め、結構読んできました。その後は、進化論や宇宙論、それに量子論(量子力学、量子化学、量子生物学)、さらに踏み込んで行動遺伝学まで関心が広がってしまい、個人的には、理科人間に転向したつもりになってしまいました。

新富町

 もうぐちゃぐちゃした人間関係が嫌になったからでした。偉人だろうが、傑人だろうが、有名人だろうが、もう人間はいいです。もう、よおく分かりました。十分です。領土的野心で無辜の市民を殺戮することを厭わない人間が地球上に一人でもいる限り、とても人間に共感も興味も持てません。だから、人間を扱う、と言いますか、人間なしでは成り立たない歴史も宗教も経済も心理学も一応一区切りにしたいと思っています。人間とは何か?というより、生物とは何か? 生命とは何か? 宇宙とは何かといった自然科学に目を向けたいと存じます。

 偉そうですねえ(笑)。本日は12月27日。早くも2023年の暮れも押し詰まってきました。この1年を振り返ってみると、このブログで取り上げさせて頂いた本も、文系より、量子論や星座や宇宙論など理系が増えたのではないかと思います。

 しかし、根本は変わりません。フランスの後期印象派の画家ゴーギャンの描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の題名にちなんで、それらを解明することです。これは、以前にも書きましたが、「我々はどこから来たのか」は古人類学で分かってしまいました。ヒトとは、神が創造したのではなく、生物の霊長類で700万年前にチンパンジーから枝分かれした類人猿でした。「我々はどこへ行くのか」も絶望的ながら分かってしまいました。地球が滅亡する前に絶滅し、人間の功績も偉業も名前も無に帰するということが最新の宇宙論が教えてくれます。最後の「 我々は何者か 」も量子生物学で解明できます。タンパク質、アミノ酸で出来ているという前に、炭素、水素、酸素、窒素、リン、硫黄の六つの元素で出来ており、それらはさらに、原子核と陽子と中性子と電子で出来ていることになります。

 でも、それでは、あまりにもつまらないので、人間は霊魂を信じたり、神を創造したり、物語をつくったり、いもしないヒーローに憧れたりするのです。そして、奇跡や偶然が起きたりすると大喜びして、欣喜雀躍するのです。

 ありゃまた身もふたもない話をしてしまいましたが、あくまでも真理は追究していきたいと思っています。宇宙から「そんもんはない」と諭されても、人間として生きる意味や意義を考えていきたいと思っています。皆さんも伴走者として、もう少しお付き合いください。

大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です

 昨日、この渓流斎ブログに音楽の話題を掲載しましたところ、皆様ご存じの宮さんからメールを頂きました。

 

渓流斎高田謹之祐様

 お久しぶりです。
 記事としては久しぶりの音楽ネタ、待ってました。
 バンド演奏中のミュージシャンとしてのお姿も拝見することができよかったです。
 カッコいい!
 どんな演奏なのかな? 動画が見たいです。または音源が聴けると良いですね。
(LINEだと何でも送れますね)

 さて私も、12月23日(土)、近くの介護施設のデイサービスセンターでバンド演奏してきました。
 公民館のウクレレサークルがあっという間に18年目を迎え、これが101回目の演奏会です。
 サークル名は「大谷(おおや)ウクレレサウンズ」です。
 創立当初からの会員はもう私を含めて4名しかいませんが、指導してくれる講師の先生が86歳で最高齢、会員数は12名で私が会員で最年長の83歳、女性も含めて80代が4名、平均年齢75歳のサークルです。
 演奏曲は
 ジングルベル
 小さな竹の橋
 浜千鳥
 高校三年生
 東京ブギウギ
 昴
 里の秋
 パ-フィデア
 オ-シャンゼリゼ
 どうにも止まらない
 いい日旅立ち
 聖夜

 夢一夜
 ある恋の物語
という内容で、ウクレレで色々なジャンルを弾いています。

朝の銀座

 渓流斎さんのハイレベルな大学バンド「エトランジェ」とは違い、はっきり言って下手バンドです。が、施設の方々も一緒に歌って楽しいひと時を過ごしていただいています。
 動画を送りたいのですが、データ量が私のメールの送信容量を超えてしまうので、動画からの静止画(ボケてます)と動画から音データのみを取り込んだ音源を添付します。暇な時にご笑聴下さい。
 悩んだ末! ブログに掲載自由です(笑)

◇◇◇◇◇

 ということで、思いもかけない「朗報」が届きました。この記事の最初と最後に掲載した「音声」(両方とも同じです)が、大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です。ヴォーカルも宮さんのようです。頑張ってますねえ。負けました!エトランジェよりうまい!これまで101回も演奏されてきただけあります。音楽は素晴らしいですね。

 皆さまもお楽しみください。

 

《渓流斎日乗》100万アクセス突破できました!おめでとう御座います!!

 あれ?

 いつの間にか、この《渓流斎日乗》のアクセス総数が100万ページビューを超えておりました!

  • 総閲覧数:100万2046
  • 今日の閲覧数:513
  • 昨日の閲覧数:1077
  • 先週の閲覧数:8809
  • 総購読数 12月:2万6583
  • 総訪問者数:65万3082
  • 現在オンライン中の人数:4
  • (2023年12月26日午前9時現在)

これも全て、毎日、せっせとご愛読して頂いております皆さまのお蔭です。大変感謝を申し上げます。

 このブログは、2005年3月15日に開始し、当初は「gooブログ」のサイトでお世話になりました。その後、諸般の事情で消滅したりしましたが、2017年9月15日から独立して新しいサイトを立ち上げることにしました。その際、技術面で大変お世話になったのが、海城高校の後輩でIT会社の社長を務めていた今は亡き松永哲聖氏です。100万アクセスには6年ちょっと掛かりましたが、もし彼が生きていたらどんなに喜んでくれたことか。一緒に祝杯をあげていたと思います。

 ブログの筆名はもう4~5回変えましたが(笑)、今年7月に、古澤鳳悦師の助言で「高田謹之祐」に改名した途端、アクセス数が急上昇です。それまで、1日300アクセス数ぐらいでしたが、改名してからは1000を超える日が続き、吃驚です。これもこれもまた、ご愛読して頂いている皆さまのお蔭ですが、古澤師にも御礼申し上げます。

東銀座 キッチンカー

 操觚者を自称している私の場合、ブログですから、動画や写真には頼らず、あくまでも文章で勝負しております(笑)。今時、そんな面倒くさい文章を読んで頂けるなんて幸運以外何でもありません。

 ところで、ユーチューバーで、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)など五つの罪に問われた元参院議員のガーシーこと東谷義和被告(52)は、東京地裁での公判で「正直、しんどかった。被害者の方には大変申し訳なく思っています。配信は二度とやりたくない」などと発言したらしいですね。彼のユーチューブでの登録者は123万人を超え、年収は1億円以上もあったそうですが、それだけ、目立つとなると自然と過激化し、犯罪と紙一重になります。

 このブログは、あくまでも目立たないように、目立たないように、強制もせず、煽動もせず、でくのぼうと呼ばれながらも、地道にやっていきますので、もし、お気に召された場合、今後もご愛読賜れば幸甚で御座いまする。

45年ぶりの演奏会でした=東京外語大音楽クラブGMC忘年会

 皆々様方にはちょっと内緒にしておきましたが、12月23日(土)、東京・中目黒のライブハウスで大学時代の音楽クラブGMCの忘年会がありまして、そこで、学生時代以来45年ぶりにステージに立って(実は座って)演奏して来ました。

 まあ、無事終了し、自己採点でも合格点をあげてもいいくらいでしたが、実は、ここまで来る道程が半端ではないくらい難行苦行の世界でした(苦笑)。参加を決めてからのこの3カ月間、3回ぐらい参加の断念を考えたぐらいでしたからね。

 まず、今年10月某日、学生時代に、50曲ぐらい英語でオリジナル曲を作って演奏するバンド「エトランジェ」を組んでいた相方の刀根君から急にメールで、「12月にGMCの忘年会が(コロナ禍を経て)4年ぶりに開催されるので、一緒に参加しよう」との連絡がありました。小生はOB会のメールリストから漏れていたので、初耳でした。ですから、彼から連絡がなければ参加しなかったことでしょう。

 それにしても、卒業して以来一度も演奏会に参加したことがないので、実に45年ぶりの共演です。ま、何とかなるか、と始めましたが、直ぐに難所に突き当たりました。私は関東地方に住み、相方の刀根君は東海地方に住んでいるので、そう直々顔を合わせられません。そこで、オンラインで「せーの」と始めてみましたが、通信には「時間差」があって、とてもうまくいきません。お互いに録音したものを合わせることにしましたが、音のやり取りですから限界がありました。

新富町

 次に、障害が出てきました。11月になって、小生の拙宅で練習することにしたのですが、前日になって、彼の持病が発症して入院するはめになりました。即退院は出来たのですが、彼の体調の面で参加は無理かなあ、と思った次第です。

 もう一つは、12月になって、「不自信過剰」で、精神的に不安定な私が、公私ともに、どうも「心のわだかまり」が出てきて音を楽しめなくなり、「やっぱり参加はやめようか」という気になってしまったのです。

 他にも沢山の難局がありましたが、昨日参加出来たということは、結局、切り抜けることができたということになります。他人事みたいですが(笑)。

 23日当日は、午後2時集合でしたので、午前9時から午後1時まで秋葉原で借りたスタジオ(4時間で5400円)で2人で最初で最後の音合わせをしました。演奏制限時間が20分で、わずか6曲でしたので、何とかうまくいきました。

 会場に行くと、80人ぐらい集まっていたと思いますが、90%以上知らない後輩の皆さんばかりでした。それでも、学園祭の演奏会で、我々のバンドのバックでベースとして参加してくれた久島君やキーボードで参加してくれた上阪君やドラムスで参加してくれた、我々が3年生の時に部長を務めた小林先輩と45年ぶりにお会いしました。他に、会場には、我々が2年生の時に部長だった巌野さんや玉井先輩もいらっしゃっていて、ビックリしました。皆さん、昔の面影はなく、全く風貌は変貌していたので、街中ですれ違っても絶対分からないことでしょう(苦笑)。はっきり言って、もう別人です。

 忘れてはいけない人は、国木さん(旧姓)です。彼女がいなかったら、参加していなかったことでしょう。温かい助言を沢山頂きました。彼女は、フランス科の先輩でもある山室さんのバンド「ファウンダーズ」のボーカリストとして松原先輩と一緒に参加しておりましたが、私が見た範囲のバンドの中でナンバーワンでした。このバンドには同期の荒城君がベース、キーボードが上阪君、ドラムスが小林先輩が参加していて息がぴったり合っていました。後から、同期で部長も務めた梶原君もやって来て旧交を改めました。

築地本願寺

 GMCというのは、「外語ミュージック・サークル(またはクラブという説も)」の略で、私が入会した最初の頃は「フォークソング・クラブ」と名乗っておりました。ここには刀根君から誘われて入ったわけです。その前は「軽音楽クラブ」とも言っていたようですが、詳しくは知りません。ただ、その頃、後にゴダイゴのメンバーになって大成功したタケカワユキヒデさん(英米語科)もクラブ員でした。

 もう一人、私の同期の人見君はロックバンド「バウワウ」のヴォーカリストとして、世界的に一世風靡した人でした。彼については、あるネット情報では、早大軽音楽サークル「ロッククライミング」出身としか書いていませんが、実は東京外語大GMC出身で、「ポーの一族」というバンドで、荒城君のギター、久島君のベース、梶原君のドラムスで当時からプロ顔負けのヘヴィーなヴォーカルを披露しておりました。

 何を言いたいのかと言いますと、GMCはそれだけレベルが高かったということです(笑)。今回、全く知らなかった後輩の皆さんの演奏を聴きましたが、やはりレベルは非常に高かったでした。彼ら、彼女らも、若くて40代、ほとんど還暦を過ぎているように見受けられましたが、若い、若い。

 (演奏風景は、主催者の幹事さんから動画が送られてきました。小生、動画編集が出来ませんが、もし、奇跡的に動画編集が出来ましたら、いつか、このブログにアップする予定です。)

 【追記】2024年1月1日

 昨年末、宮さんが大変御親切にも動画を編集してくださり、LINE用とメールから開封できる動画編集を添付して送ってくださいました。受け取る側の私も色々、試行錯誤して、やっと、ブログに貼り付けられる状態まで持って行くことが出来ましたが、結局、いずれもデータ量が多過ぎて、ブログに添付することは出来ませんでした。

 いずれにせよ、大変な労力と時間を掛けて動画を編集してくださったジョン・レノンと同い年の宮さんには大変感謝申し上げます。

スマホがなくなる日、あなたは?

 郵便料金が値上げするそうですね。定型封書が84円から110円(31%増)、葉書の63円が85円(35%増)に値上げされるようです。審議会で承認されれば、即、ではなく、人々が忘れた頃に値上げになることでしょう。(来秋という説も)

 それにしても、大幅な値上げです。一気に上がったという感じです。ネットのメールのお陰で、郵便物が減ったことが原因でしょう。年賀状だって、若い人を中心に出さなくなりました。それだけ、郵便局の収入が減少し、輸送費や人件費も上がり、事業継続のためには値上げするしかない、という悪循環にはまったということなのでしょう。

 郵便料金の値上げは、日本だけではなく、欧米先進国も免れていません。英国では、1994年から2023年にかけて20回も値上げして、現在は4倍の0.75ポンド(約135円)、米国は17回値上げして66セント(約90円)になった、と本日12月19日付の日経が書いております。よく調べとるなあ~。

 ネットの普及のお陰で、郵便だけでなく、新聞も出版も斜陽産業になってしまいました。明治の人は想像もつかなかったことでしょう。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった成長産業も150年も経てば、零落するという例証になりました。他に、絹糸や繊維産業、鉄鋼、造船産業…日本の戦後高度経済成長期を支えた産業は世界的競争力を失ってしまいました。

東銀座「中国菜 紹興宛」 ※スマホだけでしか注文を受け付けなかったのはこの店ではありません

 その点、今現在の成長産業と言えば、スマホ関連ということになるのでしょうか。先日、東京・銀座の和食店にランチに行って、吃驚しましたよ。注文しようかと思ったら、店員さんが「そこのバーコードで注文してください」と言うのです。えっ? ヒトが目の前にいても、注文すら出来ないとは!

 幸い、私はスマホ中毒者ですから、バーコード読み取りアプリはしっかりインストールしております。ですから、難なく捌けました。でも、レストランでバーコード注文するのは生まれて初めての経験でした。これ、若い人なら簡単なんでしょうけど、高齢者世代はどうなるんでしょうかね? まさに、置いてけぼりになることでしょう。

 今や、スマホがなければ、仕事も遊び(ゲーム)も食事も、何も出来ない時代になってしまいました。そう言えば、私自身も、スマホで買い物したり、確定申告までしたりしてますからね。

東銀座「中国菜 紹興宛」牛肉と香港ライスヌードル炒めランチ 1100円

 でも、そんなスマホも、そしてパソコンも、2050年にはなくなっているという驚きべき予測があるようです(みずほ産業調査)。スマートフォンは、スマートグラスやスマートコンタクトなどに取って代わられるということらしいですが、私のような旧い世代にはもう想像も尽きません。その頃、生きているかどうかも分かんないし。。。

 当然、2050年ともなれば、産業構造が劇的に変化していることでしょう。時代の流れで、狭い日本列島はもっともっと国際色豊かになっているかも知れませんし、相変わらず、喧嘩や訴訟や戦争はなくならず、人々は毎日、恐怖で怯えているのかもしれません。

 駄目ですねえ。いつもながら、こういった悲観的な予想しか出来ないなんて。。。遺伝子なのかなあ? でも、今のウクライナや中東の状況を見ただけでも、とても楽観的にはなれませんね。

 とはいえ、頭脳を図るIQ調査や、国際的な学習到達度調査(PISA)を見ると、人類学的にも? 東アジア人は知性が比較的高いようなので、優秀な日本人が大いに力を発揮して難局を対処してくれるものと期待しております。過去には全く想像もつかなった将棋の藤井聡太八冠や米大リーグ本塁打王の大谷翔平選手が出現するぐらいですから、夢想なんかじゃありません。何と言っても、彼らのメンタルの強さには脱帽します。

心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)

 2023年12月6日の記事「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(上)」の続きです。

 先日、安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス)を読了しましたが、この本の内容について、誤解を招くことなく、どうやってまとめていいやら随分、悩んでしまいました。

 著者の安藤慶大名誉教授も「あとがき」で書いているように、遺伝について語ること自体をタブー視する風潮は、我が国では依然として根強く、教育現場で「学力は遺伝だ」などと言うと、生徒が勉強する意欲をなくすので、「言ってはいけない」ことになっているそうです。「本書はパンドラの箱を開けてしまったことになるかもしれない」とまで書いております。

 著者が専門の行動遺伝学とは、文字通り、行動に及ぼす遺伝の影響を実証的に研究する学問です。一卵性、二卵性の双子のきょうだいの類似性から実証データを収集する「双生児法」が基本になっていますが、既に150年の歴史があるといいます。その結果-。

・「心は全て遺伝的である」、すなわち人間のあらゆる行動や心の働きに、遺伝の影響が無視できないほど効いている。(51ページ)

・環境も遺伝だというと、詭弁だと非難されそうだが、これも行動遺伝学が見出した重要な発見の一つである。つまり、人が出会い、環境を作り出すときには、その人の行動が関わっている。だから、そこには遺伝の影響が反映されているということである。(151ページ)

・親の社会経済階層(収入)と子どもの教育年数とは相関関係が見られ、昨今流行した「親ガチャ」は正しいことになるが、遺伝の影響はそれとは独立に個人差を生み、貧しい家庭に生まれても本人に遺伝的才覚があればのし上がることが出来る(その逆も然り)。(199ページなど)

 ーなどといった驚くべきことが例証されています。

上野・西郷どん

 行動遺伝学は、「分散の学問」とも言われています。世の中には色んな人がいらはりますが、そのバラつきの原因は何なのか、そこに遺伝の違いが関わっているのか、遺伝で説明できない環境の要因で説明することが出来るのはどれくらいあるのかーといったことを研究する学問だといいます。そこで、遺伝による分散をVg、環境による分散をVeとすると、両者を足し合わせたものが表現型の全分散と考えてVpとなり、以下の数式で表されるといいます。 

 Vp=Vg+Ve

 これは、統計学の「分散分析」と呼ばれる手法となり、まさに、行動遺伝学というのは数学であり、科学であるということが分かります。

 その一方で、データ解析によって、遺伝による学力格差や収入格差などが見出され、それに加えて、障害者に対する差別などの問題も表れることから、科学的分析だけでは済まなくなります。いかに一般大衆にも誤解のないように分かりやすく説明するには「文学(レトリック)」の力が必要とされますし、問題を解決するためには、教育や行政による政策も必要とされます。さらに、最後に残るのは倫理問題になるかもしれません。

 パンドラの箱を開けてしまった著者も、行動遺伝学がもたらした危険性を予言して批判したり、逆にそこから新しい教育制度、政治制度、社会思想などを構築する議論が起こるだけでも、「本書を出版した意義は十分にあると信じている」と最後のあとがきで吐露しておりました。

 読者には、重く深い課題を課せられたようなものです。

 私は政治活動をするようなことは不向きですがら、個人的に、困難な状況や難題に遭遇したとき、「遺伝だからしょうがない」と自分自身を諦める納得の材料にしたり、実に嫌な、生意気で性格の悪い人間に遭遇したとき、「こいつ個人が悪いのではなく、単なる遺伝によるものに過ぎない」と思い込むことによって不快感から逃れる手立てにして、なるべく自分自身を追い込まずに精神障害を発症しない手段にしようかと思っています。

 あ、そっか~。何でも自分自身を追い込む生真面目な性格は、遺伝に過ぎないかもしれませんね(笑)。

浮世の憂さから逃れられる良書=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)を先日、読了しました。この渓流斎ブログでこの本について初めて触れたのが、11月17日に書いた「そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう」でしたから、11月の後半は、通勤電車の中でどっぷり数学に浸かっていたことになります。頭の悪そうな老人が、スマホのゲームをしないで、数学の本を読んでいるなんて、さぞかし異様な光景だったことでしょう。

 それでいて、数学を勉強している本人は、一瞬ながら浮世の憂さを逃れる気分になることが出来ました(苦笑)。恐らく、心配したり悩んだりする脳の器官(もしくは部位)と、数学の難問を解く脳の器官は別になってるんじゃないかと思います。

 前回にも書きましたが、数学の勉強をしたのは、予備校時代以来約半世紀ぶりでしたから、すっかり錆びついていた、どころか、完璧に忘れていました。中3で習う二次方程式の解の方程式すら忘れていたわけですから、もう何をか況やです。

 それに文部科学省の「学習指導要領」が半世紀前の昔とは大幅に変わっていますから、我々の世代ではそれほど深く習わなかったか、もしくは理科系の「数Ⅲ」で習うような「集合」や「確率」などが今では「数ⅠA」の段階で教えられていることを知りました。

 それに加えて、19世紀のドイツの天才数学者ガウス(1777~1855年、ナポレオンと同時代人!)の「合同式」(a と b とが法 n に関して合同であることを表記するとa ≡ b (mod n)となる。)なんかも掲載されていて驚くばかりです。

新富町「はたり」豚丼とざるそばセット1100円

 この本の趣旨は、数学の公式だけを単に丸暗記するのではなく、それに至るプロセスや問題解決能力を養うことを目的に「論理的思考力」を涵養することにありましたが、その通り、文学的、情緒的、感覚的思考力ではない明晰な思考力が身に着くような気がしました。そういう意味では、大変な良書です。確かに、社会に出れば、殆どの人は、sin、cos、tanも、平方根も、三角関数も、微分積分も、つまり、数学を使うことはないので、役に立たない学問だと錯覚しがちですが、そうではなかったことが分かったわけです。

 17世紀半ばに活躍したフランスの哲学者デカルトは、私も影響を受けた哲学者ですが、彼は代数学全盛の時代に、座標軸を発明し、古代ギリシア時代以来埋もれてしまっていた幾何学を復興した人でした。つまり、デカルトの哲学とは数学的思考によって裏付けられていたというわけです。(その逆も言えます。プラトンは、アテネ郊外に創立した哲学学校の校門に「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と掲げたそうです。)

 だからこそ、ヨーロッパでは、古代ギリシャの数学者ユークリッドが書いた「原論」を20世紀初頭まで、2000年間も現役の数学の教科書として使われていたといいます。(ユークリッド幾何学は、2次元平面を前提とした幾何学なので、平行線公準は成立しますが、球面上の幾何学では平行線が交わることがあります。こうして、平行線公準を否定することによって、非ユークリッド幾何学が生まれました。)

 とにかく、数学的思考は奥が深いのです。人間としてこの世に生まれてきたからには、数学は、役に立つとか立たないとかいった打算に左右されることなく、論理的思考力を涵養するために学ぶべきだということをこの本で教えられました。いつか、もし、続編の「教養としての『数Ⅱ・B』」が出版されれば、絶対に買います。

裕次郎、ひばり…随分若くして亡くなった有名人=光陰矢の如し

 この渓流斎ブログは、「安否確認」にもなっております。しばらく休載すれば、「渓流斎の野郎、とうとういったか」といった話になりかねないので、無理して毎日、更新するようにしています。それでもどうしても空くことがあります。「題材がない」「気力がない」「書くほどの価値がない」といった理由ですので、どうか一つ、その辺は斟酌、もしくは忖度して頂ければ幸甚で御座います(笑)。

 本日の主題は「光陰矢の如し」です。振り返れば、40歳ぐらいまでは時間がゆっくり流れていたと思っていましたが、40歳を過ぎると、あっという間です。いわゆる幾何学級数的速さで時間が飛んでいき、私も本当に、気がついてみたらあっという間にお爺さんになってしまいました。「浦島太郎」の話は実話だったんじゃないかと思うほどです。

 年を取ると、若い時に、随分年長で、お爺さん、お婆さんに思えた有名人の皆さんがかなり若かったことに気がつきます。それに、既に、とっくに彼らの年齢を越えてしまったりしています。

 昭和の大スターだった石原裕次郎は行年52歳、美空ひばりも同じ52歳です。それを言えば、エルヴィス・プレスリーは42歳、ジョン・レノンは暗殺されたとはいえ、40歳の「若さ」です。

 今の若い人は知らないでしょうが、私が中学生ぐらいの頃、往年の女優浪花千栄子は、晩年にオロナミン軟膏のコマーシャルに出ていたお婆ちゃんというイメージがありました。(「浪花千栄子で御座います」)それが亡くなったのは66歳だった、と今では簡単に調べられますから、「えっ~!?」と大袈裟に驚愕しました。今の女性の66歳は若いですからね。「お婆さん」なんて絶対に言わせないでしょう。

 ついでながら、浪花千栄子が、何でオロナイン軟膏のCMに採用されたのか? それは彼女の本名が、「南口(なんこう)キクノ」だったから、というまことしやかな都市伝説を聞いたことがあります(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 作家でいえば、文豪の夏目漱石は49歳、自殺したとはいえ、芥川龍之介は35歳、太宰治は38歳、三島由紀夫は45歳。短命とはいえ、彼らは天才ですから、100年、1000年と読み続けられる作品を残しました。

 驚いたのは、私も面識がある、といいますか、取材でお会いしたことがある作曲家の武満徹さんです。当時は随分年配の方に見えましたが、調べ直してみたら亡くなったのが、まだ65歳だったとは!「随分、若くして亡くなられたんだ」と改めて驚きました。同じ作曲家の芥川也寸志も何と63歳、黛敏郎も68歳と古希も迎えずに亡くなっていました。

 私の母校の海城高校のお近くに住んでいたお笑い「てんぷくトリオ」の三波伸介はまだ52歳だったんですね。1982年に亡くなっているので、あれほど一世風靡した有名人でしたが、今の若い人は知らないかもしれません。

 そして、演歌歌手の藤圭子は、亡くなったのは、まだ62歳の若さでしたか。。。若い人は彼女を知らなくても、宇多田ヒカルの実母だと言えば、分かるかもしれません。藤圭子の両親は旅回りの浪曲師、本人は演歌で、娘のヒカルはJーPOPと、まさに絵に描いたような日本の歌謡芸能史の変遷です。「歌は世につれ 世は歌につれ」です。年を取ると、こうして二代、三代に渡って、芸能史を目の当たりにすることが出来、「俺は、音羽屋は先代の六代目から観ているだ」なんて自慢できたりするわけです。

 毎日、元気がない、気力もない日々が続きますが、「年を取るのも悪くない」と思えば、しめたものです。

そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 渓流斎という人は勤勉で生真面目な人間なので、目下、数学を勉強しています。大学は文系でしたので、高校卒業以来約半世紀ぶりの学習です。社会人になっても、数学は全くと言ってもいいほどほとんど使いませんでした。せめて使うとしたら算数ぐらいでしたから、すっかり忘れてしまいました。

 国立の文科系大学を受験したので、数学はⅡBまで必須でした。あれだけ、微分積分の問題を苦しみながら解いたのに、悲しいかな、やれば思い出すでしょうが、忘れてしまいました。それどころか、二次方程式の解の公式すら忘れているのです。

{\displaystyle ax^{2}+bx+c=0\quad (a\neq 0)} の解の公式は

{\displaystyle x={\frac {-b\pm {\sqrt {b^{2}-4ac}}}{2a}}}

 となりますが、全く記憶にないほどです(苦笑)。この公式は中学3年で習うといいますから、中学生の時、よほどサボっていたことになります。思い起こせば、中学生の時、私はグレていたので確かにその通りです(笑)。

 今、世界ではロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがガザ地区に報復の大量殺戮を行い、戦争が絶えることがありません。それに対して、無力感に浸っているのは私だけではないと思います。国連を始めとした国際機関の働きも無力で、大国の米国は逆に戦争を容認するか、むしろ煽っている状況です。

 文学も音楽も美術も映画も演劇も戦争を止めることが出来ません。もう絶望するしかありません。そこで救いを求めたのが(宗教ではなく)数学でした。数学的思考形態を脳髄に刷り込ませよう、と思ったのです。

 その数学の前にイーロン・マスクさんを見習って、感情をシャットダウン出来ないものか模索しました。私は大変涙もろいので、ウクライナのブチャでの虐殺や、本来なら病人やケガ人を治療するガザ地区のシファ病院が空爆されたり地上戦で子どもたちに死者が出たりする映像を見ただけでも、涙が止まらなくなってしまいます。なるべく、感情的にならないようにしましたが、修行が足りないせいか、やはり、心を痛めてしまいます。

銀座1丁目「舞桜」 舞桜御膳1000円

 数学的思考とは何か? ーたまたま、目にした本に明晰に書かれていました。その本は「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)という本です。著者の永野裕之氏は言います。

 社会に根ざした学問の場合、非常に似通ったケースであっても、一方は正しく、他方は正しくないということがあり得ます。グレーゾーンのような領域が多々あり、判断が難しいのです。その点、数学にはそういった玉虫色の結論がありません。いつでも白黒がはっきりするので明瞭です。

 私はこの節を読んで目から鱗が落ちる思いでした。勿論、現実世界はそう単純ではありませんから、神さまがいて白黒をはっきりさせて悪者を退治してくれるようにはなっていません。ただ、著者の永野氏は、数学を学ぶことによって「論理的思考力」、言い換えれば「問題解決能力」を養うことが出来ると力説しています。

 なるほど、その通りですね。先日、フランスの格言に「明晰でないものはフランス語ではない」というものがあることをこのブログでご紹介しましたが、この伝でいきますと、「明瞭でないものは数学ではない」ということになります。

 数学は確かに数式を多用して問題を証明する学問ですが、論理的に証明する学問でもあります。例えば、「集合」論では、「ある命題の真偽と、その対偶の真偽は一致する」という定理があります。命題とは、真偽を客観的に判断できる事柄のことで、対偶とは、その命題の「逆」の「裏」から作られたものとなります。つまり、「pならばqである」という命題の対偶は、「qでないならばpではない」となります。

 例えば、「天才でなければピカソではない」という命題があったとしたら、その対偶は「ピカソであれば天才である」となります。天才という定義は難しいですが、ピカソは天才なので、「命題と対偶の真偽は一致する」ことになるわけです。

 このほか、本書では「背理法」による証明も出てきますが、対偶と同じように数の計算式は出てきません。まさに論理的思考力を養う学問と言えます。

 この本は、まだ半分しか読んでいませんが、108ページ辺りからデカルト(1596~1650年)が登場してきます。私は学生時代、デカルトを卒論のテーマにしようとして、「我思う故に我あり」で有名な「方法序説」だけは原書で読み、「省察」や「情念論」なども読みましたが、難解過ぎて理解できず、とうとう途中で挫折してしまいました。そのせいか、デカルトが哲学者であるのと同時に優れた数学者だったことを忘れるところでした。この本では、座標軸を発明したのはデカルトだとはっきり書かれております。

 デカルトは、意味が抽象的になる短所を持つ代数学に、意味が具体的になる長所を持つ幾何学を導入して座標軸を発明したといいます。例えば、二次関数の代数を、幾何学でグラフ化(図形的に関数が変化する様子を表す)することによって意味を分かりやすくしたというのです。(私はこのブログにグラフを書くことが出来ないので、分かりづらいかもしれませんが、堪忍してください。)

 なるほど、デカルトは偉い。哲学と数学は矛盾するわけではないことを証明したような人だったとも言えます。

フランス語は18世紀でも人口の20%しか話されていなかった!

 いい年こいて、いまだに身に付かないフランス語を勉強しています。専らNHKのラジオ講座「まいにちフランス語」ですが。

 今放送されている応用編「フランコフォニーとは何か」(講師は西山教行、ジャンフランソワ・グラヅィアニ両氏)は、知らなかったことばかりで大変勉強になります。

 フランス語を勉強した人なら誰でも知っている格言があります。

 Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.(明晰ではないものはフランス語ではない。)

 18世紀のフランスの啓蒙主義作家アントワーヌ・ドゥ・リヴァロールの言葉ですが、確かにフランス語は文法がしっかりしていて、英語のような、どっちにでも意味が取れそうな曖昧さは微塵もありません。大袈裟な!

 そのせいか、フランス語は今より遙かに国際語として通用していました。フランス語を日常的に使っていた有名な外国人は、プロイセン(ドイツ)のフリードリッヒ2世、ロシアのエカテリーナ二世女王、米国の政治家・外交官ベンジャミン・フランクリン(仏語ではバンジャマン・フランクランと読みます)、女性遍歴で有名なイタリア・ベネツィアの作家カサノヴァらです。欧州全体でフランス語が使われていたのです。

 いや、これはさほど驚くべきことではありません。私が何よりも驚いたのは、18世紀のフランス本土で日常的にフランス語を使っていたのは、全人口のわずか20%しかいなかったという史実です。フランス語を使用していたのは、フランス王権のあるパリ近辺のイル・ド・フランス地方や北部のピカルディ地方などです。当時、83県のうち、15県しかなかったといいます。残りの80%はそれぞれの地域の言語ー例えば、バスク語やブルトン語やコルシカ語などを使っていたのです。

 そう言えば、日本だって、19世紀の江戸時代までは地域語が日常語であり、恐らく津軽藩と薩摩藩との間では言葉が通じなかったと思われます(笑)。

タコス・パーティー

 フランスではフランソワ1世(1494~1547年)が1539年、ヴィレル・コトレの勅令を発布し、行政、司法、教会等の文書をこれまでのラテン語からフランス語にするよう取り決めました。この勅令は、現代フランスでも有効といわれる最古の法とも言われますが、実質的な効力ではなく、象徴的な面が強いといいます。実際、2014年、当時のエロー首相は、閣僚が英語を多用しないようにこの勅令を参照したそうです。

 このように、16世紀にフランス語は公用語になったとはいえ、18世紀末になってもフランス語を話せるのは国民のわずか20%しかいなかったというのは、驚くほかありません。「まいにちフランス語」講師のグラヅィアニ講師によると、フランス語が仏全土に行き届くのは、19世紀の第三共和政(1875~1940年)になってからで、初等教育が義務化され、農村人口が都市に流れ込み、ラジオやテレビが普及してからだそうです。ただし、フランスとスペインに居住するバスク人の間でバスク語を使う人は300万人おり、フランスでバスク語しか出来ない人は現在でも2万人いるそうです。

 私はバスク人には大変興味があります。日本人なら誰でも知っている日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですし、仏作曲家のモーリス・ラヴェルも、キューバ革命のチェ・ゲバラ(アルゼンチン人)もバスク人だと言われています。

 何と言っても、スペインのバスク地方の街サン・セバスチャンは映画祭で有名ですが、何と言っても、三つ星のミシュラン・レストランが世界的にも多いグルメの街として知られていますからね。嗚呼、一度、行ってみたい!!