光の速度は不変なので時空がゆがむ=Newton 別冊「相対性理論」

 今、Newton 別冊「相対性理論」(ニュートンプレス、2023年2月5日発行)を読んでいます。私は、典型的な文系人間のズブの素人なのに、実に大胆不敵です。

 しかし、実は、あることがあってから、私はすっかり「理系」志望になりました。文系の学問なんて実に幼稚に見えます。歴史や政治思想なんて、勝者の論理じゃないですか。何はともあれ、お家大事、周囲を洞ヶ峠から眺めて、忍びを使って、勝ち馬に乗ることしか考えない人間。インパール作戦では、10万人の兵卒を白骨街道に置き去りにして指揮官の将軍は飛行機で逃げ帰った人間。心理学なんて学問なんですか? 人間は、気まぐれでコロコロと自分の意見を変えます。朝は、「左」だと言っていた人間が、夕方には「右」だと言い張ります。自己保身のためなら、気に喰わない人間を踏み台にして、内通、変節、寝返り、裏切りなんて平気の平チャラです。所詮、人間は、生物学的にそのように出来ているわけですね。

 人間には物語が必要だ?ー要らないでしょう。新聞のお悩み相談コーナーを読んでごらんなさい。強欲あり、嫉妬あり、羨望あり、怠惰あり、卑怯あり、無関心あり、差別あり。人間は、毎日毎時、いかに醜い争いをしているのか3分間で分かりますよ。21世紀になっても戦争はなくなりません。ウクライナだけではありません。パレスチナ、シリア、スーダン、アフガン…と紛争、内戦が続き、明日の生活もままならない難民が溢れています。人間は所詮、他者を支配して楽をして過ごしたい無責任な生物なのです。弱肉強食のジャングルでの仁義なき戦いの世界です。人生に意味も目的もありません。それでお仕舞い。

 えっ? それを言っちゃあ、おしめえよ、ですか?ま、確かに、ここまで言ってしまっては身も蓋もありませんね。ただ、私も「あること」があってから、随分、醒めました。達観して冷血人間になりました。でもー。

 出来る限り、勇気と夢と希望を持ってください。人間にとって最も大切なことは慈愛であり、思いやりである、と思ってください。恵まれない他者には親切にしてください。ボランティア奉仕と寄付と布施に励んで、陰徳を積んでください。

 というのが私の本心、としておいてください。

◇物理学、万歳

 その一方で、自然科学は宇宙の真理を教えてくれます。人間なんていなくても構いません。地球46億年、宇宙138億年の歴史から見て、人間は小数点以下のページにやっと登場するに過ぎません。すっかりひねくれてしまった私としては、それが実に爽快なのです。宇宙に終わりがありますが、その前に、我々が住む天の川銀河の終末があります。いや、その前に太陽系の崩壊、消滅があります。そうなれば、人間も、その記憶も、文化遺産も何もかもなくなります。

 このように理系の学問は随分、悲観的絶望的な危険思想なのに、どういうわけか生きる勇気と希望が湧いてきます。人間が考え出した神や如来や宗教を超えた絶対真理を追究するからなのでしょう。泣こうが喚こうが人間を超えた学問とも言えます。

 ですから、「光の速度は不変なので、時間と空間が相対的に変化する。時間が遅れたり、空間がねじれたり、縮んだりして見える」(アインシュタイン特殊相対性理論)と言われても、門外漢でもすんなりと理解できるのです。いや、人間を超えた真理なので、泣こうが喚こうが、そう理解するしかないのです。

築地「わのふ」

 でも、科学は、それほど乱暴な話ではありません。発表された当初は仮説だったとしても、ちゃんと科学的実験で証明されていきます。例えば、2020年、東大、理化学研究所、島津製作所などが光格子時計という最新技術を使って、東京スカイツリーの地上階と450メートルの展望階とで時間の進み方を測定したところ、約5京分の1、展望階の方が地上階より時間が速く進んでいたことが証明されたというのです。

 えっ?本当ですか? 典型的な文系人間のズブの素人の私なのに、このNewton 別冊「相対性理論」は実に面白く読めます。

 

 

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

銀座「ひろ」1000円ランチ 前菜 「赤字覚悟でやってます」と店主。

 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

銀座「ひろ」1000円ランチ 銀座で一番安いのでは?

 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットに驚き

 ブログのネタに困った時は、ランチの話題に限ります(苦笑)。そんな、無理して書かなくてもいいのに。。。常軌を逸していますねえ。ま、病気だから仕方ないかあ(笑)。

 本日は、銀座のれん会(正式には協同組合銀座百店会)が発行している「銀座百点」に載っていた銀座8丁目の「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットを食しに行きました。「コーヒーのお代わりがOKなので、とてもお得に感じます」。なーんて書いてあったので、値段も確かめずにホイホイ行ってみました。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 そしたら、ガビーンです。セットの珈琲にアイスコーヒーを注文したら、「アイスはお代わりはありませんけど、宜しいですか?」と念を押されてしまいました。恐らく、ホットコーヒーならお代わり出来たのでしょう。サンドが運ばれてきて、一緒に置かれた「請求書」を見たら、びっくり仰天です。何と、1980円もするのです。き、聞いてないよお。珈琲とサンドで2000円近くもするなんて。。。あんりまー、です。

 小誌「銀座百点」は富裕層階級向けの雑誌だったですね。

 「カフェーパウリスタ」自体は、何度か訪れたことがあります。今より少し若い頃に、おあ姐さんと一緒に、コーヒーを飲みながら雑談しました。その時、私は、「カフェーパウリスタは明治44年創業で、昔は、銀座の交詢社前にあったんですよ。交詢社には福沢諭吉が創刊した時事新報社があり、ここで菊池寛が社会部記者をやり、友人の芥川龍之介や谷崎潤一郎らも出入りしていた関係で、カフェーは大正文士の溜まり場になったんですよ。『銀ブラ』という言葉も、銀座をブラブラする、という説と、この銀座のパウリスタでブラジル珈琲を飲むという説もあるんですよ」なーんて、蘊蓄を傾けたりしたものです。気障な奴でしたね(笑)。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 でも、「カフェーパウリスタ」で食事をすることは初めてでした。値段を見て、びっくりしましたが、このアメリカンサンドとやら、実に美味い。私が今まで食べたサンドウィッチの中で、一番旨いと言ってもいいかもしれません。具材はレタスとトマトと鶏肉と卵といったもので、特別なものではないんですが、清楚で上品な味わいでした。

 今回、「カフェーパウリスタ」に行ったのは、あのジョン・レノンが気に入って、1978年の某月某日、3日連続、奥さんのオノ・ヨーコさんと一緒に通い詰めたという噂を小耳に挟んだからでした。同店には、ジョンとヨーコの二人にサインをしてもらった珈琲のカップとソーサーが「お店の宝」としてあるらしく、その写真だけが店内に飾られていました。(他のお客さんが側にいたので、写真を撮れず残念)

 このサイン入りのカップとソーサーは、テレビの「何でも鑑定団」で鑑定してもらったら、幾らかなあ、と夢想しました。まあ、100万円でも買う人はいるんじゃないですか?(笑)

あるものを「なかったこと」に

 中国国家統計局は15日、若者(16~24歳)の失業率の発表を突如、取りやめ、大きな話題になりました。6月は21・3%と過去最悪の水準となっていたので、7月はさらに悪化したことが容易に想像されます。

 これに対して、中国のSNS上で「失業率を発表しない、ということは問題がなかったことになりますね」といった皮肉のコメントが投稿されたようです。あれっ?中国には言論の自由があったんですね。

 中国人、特に国家中枢を占める漢民族は、どうも都合の悪いことは、「なかったこと」にすることが得意のようです。これで思い出したのは、2011年7月に中国浙江省温州市で起きた高速鉄道の列車衝突・脱線事故です。この事故で40人の死者が出たと言われていますが、当局は、問題の列車の事故調査をしないで、そのまま高架下の土中に埋めてしまったという国際社会が見ても唖然とすることが起きたことです。

 いまだに当局は、詳細な事故調査をしていない、ということは、事故は「なかったこと」にしてしまったようなものです。

Ginza

 まだあります。中国は、福島原発の処理水を海洋放出することに対して、強固な批判をし続けていますが、読売新聞によると、中国は、国内で運用する複数の原子力発電所が、福島の処理水の最大で約6・5倍の放射性物質トリチウムを放出しているというのです。

 これまた、読売新聞の報道がなければ、中国原発からの海洋放出は「なかったこと」になります。これまた漢民族の「お家芸」が発揮されたことになります。

 そこで、最近、私のブログのあるサイトに関して、色々と言い掛かりをつけてくる人がいたので、早速、この漢民族の手口を使うことにしました。

 関係者がいるので、詳細は茲では書けませんけど、要するに「なかったこと」にすることにしたのです。ややこしい人間とは関わらず、関知せず、関与しないことが常識人の基本です。なかったことにしても大勢に影響はないし、ネット上に載るべき重要なことでもありませんからね。削除は屈辱的でしたが、むしろ、余計なものがなくなってスッキリした気分ですよ。

明治維新~77年目の終戦から78年

 本日8月15日は、78回目の終戦記念日です。昭和20年8月15日は、明治維新から77年目のことでしたから、それを越えてしまったわけです。

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」と中村草田男が詠んだのは昭和6年(1931年)でしたから、昭和20年(1945年)当時の人々から振り返っても、明治維新(1868年)は遥か昔に思えたことでしょう。(江戸時代生まれの日本人も健在だったことでしょうが)

 同じように令和の現代人が、昭和の敗戦時を振り返れば、同じように遥か遠い彼方の出来事だと思うのは当然です。戦後生まれは、既に、日本の人口の8割以上占めていますから、戦争体験者も減りましたし。

Ginza

 本日、日本武道館で開催された全国戦没者追悼式(台風7号の影響で、9府県の代表者が参加出来ず)では、天皇陛下から「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。…ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」とのお言葉がありました。

 その半面、岸田首相の式辞は、昨年とほとんど同じのコピペ原稿を感情も入れずに棒読みしていただけでしたから実に情けない。東京新聞の調べでは、660字の9割が「一言一句同じ」だったといいます。岸田さんにして1957年の戦後生まれですが、さらに自分より若いスピーチライターに丸投げして、戦禍の悲惨さの想像力の欠如がおぞましい。

 世界史上初めて、日本は原爆の被爆国であり、先の大戦では、民間人、軍人、軍属ら310万人という尊い生命が奪われました。戦争で最初の犠牲になるのは無辜の市民であることは、ロシアによるウクライナ侵攻でも見せつけられました(ブチャ虐殺の悲劇)。同時に日本はアジア諸国等に対する加害者でもありました。

 私も、二度と戦争を繰り返してはいけないという強い信念がありますが、今の「戦争を知らない」為政者たち、特に、自民、公明、日本維新の会の皆様は、一刻も早く平和憲法を改正して、軍備増強に躍起になっておられます。本人や家族は絶対に戦場に行かないと思っているからでしょう。

 また、戦前と全く同じように、強大な財閥、中でも、軍需産業企業がこれらの政党を後押ししているような言動が最近、見受けられます。

 先の大戦は、政界、財界、官界のエスタブリッシュメントが立案、計画、プロデュースして、新聞と臣民が追従、追認、挙句の果てには率先して遂行したものでした。

Ginza

  もし仮にまた戦争が起きるとしたら、全く同じ轍を踏むことでしょう。何を差し置いてでも情報戦から始まります。好戦的なメディアが周囲の危機感を煽り、SNSでは流言蜚語が飛び交い、逆に世論が政府を突き動かすことでしょう。「何で、早く始めないのか」と。

政府による思想統制を端緒に隣組も復活して、裏切り、寝返り、告げ口、陥れ、濡れ衣が横行することでしょう。日本人は集団ヒステリーを起こす傾向が強いので、非国民をあぶり出し、不逞外国人を排斥し、膺懲(ようちょう)といって、集団暴行をすることでしょう。

 嗚呼、こんな悪夢が正夢にならないことを祈るばかりです。が、やはり、教育が重要です。戦争の悲惨さは何世代にも渡って伝えていかなければなりません。だからこそ、こうして終戦記念日があり、全国戦没者追悼式が挙行されるわけですから。

健康のために出来ること=物理の学び直し

 別に(沢尻エリカさん風に)、皆様とお約束したわけではありませんけど、今、物理学の勉強をし直しています。

 ここ数年、人間関係で色々とありまして、すっかりミザントロープになってしまいました。人間どもの歴史も哲学も宗教も物語もうんざりです。勉強とは言っても、写真のニュートン別冊「学びなおし中学・高校物理」を読んでいる程度ですが、気分はすっかり中学生です。自分が多感だったあの中学生時代も思い出します。あの頃は大人と子どもの中間時代で、どっちつかずという精神的にも肉体的にも不安定を抱えていました。社会に対する不信感だらけで、大人顔負けのニヒリズムに陥っていました。中学生時代に戻りたい気持ちは毛頭ありませんが、戻れたとしても、もっと理科系の勉強をしておけばよかったと思っております。

 その思いが強いのでこうして物理を勉強し直しているのです。自分は何のためにこの世に生まれて来たのか?他人が歌ったり踊ったり演技したりしているのを見るためにこの世に生まれてきたわけではないし、他人の「妄想」に付き合うために生まれて来たわけでもありません。それに、他人の動画を見て時間を浪費するために生まれて来たわけでもありません。そんなこと言うなんて、我ながら随分ひねくれてますけど、結局、誰も自分の身代わりになってはくれません。自分自身で答えを見つけて納得した人生を送るしかありません。

 物理を勉強し直そうと思ったのは、これまで思想形態の変更ーもっと易しく言えば、自分自身の考え方のクセを変えてみようと思ったからでした。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻は、プーチンが自らをピョートル大帝に見立てて、大国ロシアの復活を試みたとか、米国を中心にした西側NATO諸国との覇権争いだの、文科系思考で何とでも言えますが、自然科学的思考を導入すると違った側面が見えてきます。黒海沿岸の肥沃地帯(ウクライナ)を巡るホモ・サピエンスの浸食とか、物理学の運動の第3のの法則「作用・反作用の法則」とニュートンの万有引力の法則で説明できるとか…。勿論、プーチン大統領の蛮行は万有引力の法則の定数には当て嵌められないことでしょうが、プーチンも人間なら自然界の生物の一員ですから、何らかの自然界の法則に左右されていることは間違いないはずです。

 それに、長引くウクライナ戦争を見ていると、「作用・反作用の法則」が働いていることは間違いないですね(実際、ロシアとウクライナの戦力が同等ではないので、この法則は科学的に証明できませんが)。ロシアがイラン製(と思われる)のドローンを使えば、ウクライナもドイツ製の戦車や米国製のクラスター弾を使用していると言われていますから、歴史学者が否定しようが、もう第3次世界大戦が進行中と言えるのではないでしょうか。

 ところで、この「学びなおし中学・高校物理」を読んでいると、懐かしい微分積分が出てきます。私自身、受験生時代に苦しめられたものですが、受験が終われば、全く使うことがなかったので、すっかり忘れてしまいました。ダーウィンに言わせれば「用不用説」なのでしょうか。

 社会に出ても微分積分は使うことなく、全く役に立ちませんでしたが、果たして学んで損したのでしょうか? いや、私はそう思いませんね。難問が解けない苦しみは夢にまで出てきますが、解けた時の快感は今でも思い出してアドレナリンが出るくらいですからね(笑)。

 つまらない人間関係に拘っているのなら、微分積分の問題を解いている方が健康に良いのかもしれません。

国立科学博物館に寄付しました

 東京・上野の国立科学博物館(科博)が、保管標本や資料の維持費等がひっ迫したということで、寄付を募るクラウドファンディングを始めました。小生も遅ればせながら、参加しました。(システム利用料として寄付金以外に220円掛かります)

 目標金額は1億円としていましたが、寄付を呼び掛けたその日の午後5時過ぎに1億円を突破したというので、よかったでした。私は昨日の8日に寄付したところ、支援者としては2万765人目で、支援総額が3億4200万2500円になった、と即、回答がありました。そして、本日はもう5億円近くになっていました。募集は11月5日まで続けるそうです。

Toda Fireworks

 それにしても、こんな事態になったのは、「国立」とは名ばかりの、博物館の「独立行政法人」化です。維持費が足りないのは「自己責任」と言わんばかり、政府自民公明政権は手を差し伸べることさえしません。クラウドファンディングは科博の苦肉の策だったのでしょう。500万点以上の標本等を保管するためには絶えず一定の温度を保たなければならず、電気代もばかになりません。今年度の光熱費は2021年度の約2倍になる見込みだということで、科博は「このままじゃやっていけない」と危機感を募らせたことでしょう。標本等は、年間数万点増えると言われています。科博のホームページにある通り、これら全て「地球の宝」です。

 でも、こんな学問・芸術・科学分野の保護の維持として、民間の寄付で賄うのは如何なものか、です。政府自公政権は、やたらと周囲の危機感を煽り立てて、防衛費の倍増に躍起になっておりますが、アカデミーに対しては随分冷たいじゃありませんか。

 そう言えば、菅義偉首相(当時)が任命拒否した日本学術会議の人事問題もいまだ宙に浮いていると言いますか、解決しておりません。というか、政権に異議申し立てをする学者は、現政権が続く限り、任命は絶望的でしょう。

東銀座

 貴重な標本や遺跡品は、一度失ったら二度と復元できず、お終いです。戦争が起きる度にそれは繰り返されてきました。2001年、タリバンによるアフガニスタンのバーミヤン大仏の破壊は、個人的に、心がよじれるほど痛恨の極みでしたが、今でも、ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナ博物館が所蔵する貴重なスキタイ文化の遺跡物の損壊が危ぶまれています。

 いつまでたっても、ホモ・サピエンスは愚かだとしか言いようがありません。

壬申の乱と戊辰戦争ぐらいか…=十干十二支の暦について

 昨日は、四柱推命のことを書きました。と、同時に、四柱推命の基礎になっている陰陽五行説についても少し触れました。

 四柱推命も風水もそうですが、易占いをするに際して、基本になっているのが、十干十二支(じっかんじゅうにし)です。これは、中国の古代から行われた暦法の用語です。十干というのは、甲(こう)、乙(おつ・いつ、とも)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)で、一旬 (10日) を表わしています。

 十干を、陰陽五行説の「木、火、土、金、水」と組み合わせると、甲乙が木に分類され、が木の兄(きのえ)、が木の弟(きのと)になります。同様に、丙丁は火で、は火の兄(ひのえ)、は火の弟(ひのと)。戊己は土で、は土の兄(つちのえ)、は土の弟(つちのと)。庚辛は金で、は金の兄(かのえ)、は金の弟(かのと)。壬癸は水で、は水の兄(みずのえ)、は水の弟(みずのと)となります。

 十二支は、子(鼠)、丑(牛)、寅(虎)、卯(兎)、辰(竜)、巳(蛇)、午(馬)、未(羊)、申(猿)、酉(鶏)、戌(犬)、亥(猪)のことです。今でもその年の干支(えと)として使われているので日本人にも大変馴染みがあります。中国では、すでに紀元前17世紀頃に成立した殷代に干支の組合せで暦日を表わしていたそうです。前4世紀頃には、十干が五行「木、火、土、金、水」 と組み合わされて、漢代の前2世紀頃から年月日に、十二支は時刻や方位(辰巳は巽とか)などに使われるようになったといいます。

 これらが日本に伝えられ、年号を甲子(きのえ ね)、乙丑(きのと うし)、丙寅(ひのえ とら)などと使われるようになりました。十二支は、日本語で音読みすると、子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)となります。ですから、甲子(きのえ ね)は「こうし」、乙丑(きのと うし)は「いっちゅう」、丙寅(ひのえ とら)は「へいいん」と読みます。(日本語は音読みと訓読み、漢字も漢音、呉音などがあり、世界一難しいのでは? とにかく面倒臭い!)

 十干十二支の組み合わせは、全部で60通りあり(10干✖6干支=60。だから、「甲子」はあっても、「甲丑」はありません)、それを過ぎると、また1番目に戻るので還暦になるわけです。昔は日本には西暦なんかありませんから、古代から近代、明治までずっとこの暦を使ってきたわけです。ですから、歴史上の事件でかなり使われているのかと思いましたら、意外にも少ないのです。

 まずは、西暦645年の「乙巳(いっし)の変」です。中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺したクーデター事件です。乙巳は「きのと み」の年ですね。次は672年の壬申(じんしん)の乱です。天智天皇亡き後の後継者争いで、大海人皇子(後の天武天皇)が大友皇子を討った事件です。壬申は「みずのえ さる」の年です。

 そして幕末の「戊辰(ぼしん)戦争」なら誰でも知っています。戊辰は「つちのえ たつ」で1868年の年です。それぐらいなのです。えっ!?です。中国では「辛亥(しんがい)革命」が有名です。革命が起きた1911年が辛亥(かのと いのしし)の年に当たるからです。

銀座

 この他、十干十二支で知られているのは、高校野球と阪神タイガースの本拠地として有名な甲子(こうし)園球場(開場した1924年が甲子=きのえ ね=の年)と丙午(ひのえ うま=へいご)生まれの女性は気性が激しく夫を早死にさせる、という迷信ぐらいです。日本人は迷信深いので、丙午の年に生まれる赤ちゃんが異様に少ないのです。

 もう一つ、私が通った大学の近くに「庚申塚」という地名がありました。神道では、道教の影響を受けて、庚申(かのえ さる)の日や年に信仰行事が営まれていましたが、信者(庚申講員)が建てた碑塔や建てられた場所のことを庚申塚といったそうです。

 いずれにせよ、かつて日本人は、元号のほかに、庚申とか甲子といった年号を使っていたことを現代人はすっかり忘れています。

四柱推命も「いいとこどり」で良いのでは?

 あんりまあ、です。このところ、このブログのアクセス数が増加しております。《渓流斎日乗》は、2005年に開始しましたが、内容は、20年近く経ってもそれほど変わらないと思うのですが…。

 本人は、別に「承認欲求」が人一倍強いわけではなく、「出る杭は打たれる」ので、出来れば目立ちたくないというのが本音です(笑)。ですから、アクセス数が増えることは矛盾しております。

 考えられるのは、先日、占い師の古澤鳳悦氏のお導きで、筆名を「高田謹之祐」に改名したからなのでしょうか? もし、そうでしたら、恐ろしくなるぐらいよく当たりますね。

 思い当たるフシはもう一つあります。古澤師には、「四柱推命」で小生の運勢表をつくってもらったのですが、それによると、ちょうど今年5月から、10年おきの変革期に入っていたのです。私の場合、天変通は「偏官」となり、十二運は「長生」になります。(と書いても、何のことかお分かりにならないことでしょう。私もそうなので、この後、少し勉強してみました)

銀座ソニービル

 とにかく、10年おきの変革期なので、仕事運、恋愛運(笑)、金銭運、相性などが劇的な変化を遂げる、ということです。何となくですが、今年5月から潮目が変わった感じがします(笑)。特に、人間関係がそうです。ここ数年の出来事で、亡くなった親友もおりますが、過去、大変親しくお付き合いしていた友人知人の中で、こちらから連絡しても返信がなかったりして御縁が薄れて来た人が、何人も何人も出て来たのです。 えっ?何で? 「何か悪いことをしたのかしら?」ーということに関しては、思い当たるフシが全くないので説明が付きません。思い当たることと言えば、やはり、この「10年おきの変革期」しかありません。それで「人生の不可解」を納得するしかないのです。私はそこまで追い詰められました。

◇四柱推命を勉強

 そこで、自分自身でも四柱推命を少し勉強してみようと思いました。最初はネット上に溢れる無料の情報によってです。古澤師から、私の生まれた四柱(年柱、月柱、日柱、時柱)の中に「偏財」も「正財」も、つまり「財の星」が全くない、と言われ、かなりビビりましたから、まずこれらの星が何を意味するのか検索してみました。そしたら、財の星とは、やはりお金に関わる星でした。サイトでは、はっきりと書いてはいませんでしたが、財の星がない人は生まれつきお金に恵まれないということになります。財は、お金だけでなく、人財ということで、友人知人も意味する、というサイトもありました。ということは、財の星がない人は、友人知人に恵まれない運命だということになります。

 これらを克服するためには、いい方法がある、とあるサイトはのたまいます。偏財は「気遣い」の星、正財は「心遣い」の星なので、財の星がない人は、人に気遣い、心遣いをすれば、お金も増え、友人知人も増えるというのです。

 まあ、占いですから、当たるも八卦当たらぬも八卦です。でも、何となく一理あるかな、とも思いました。その一方で、「正直な自分の気持ちを折り曲げて、無理して付き合って友達を増やしても、その人の人生に意味はない」「自分の殻に閉じ籠る弊害がありますが、一人で楽しんでもいい」なんて薦めるサイトもありました。おお~、これはなかなか鋭い所を突いてますね(笑)。

 無料サイトでは限界があるので、四柱推命の基礎を学んでみようと、思い切って、恥ずかしながら、入門書を買ってみました。上の写真の本です。1430円也。

 四柱推命には色んな流派があるらしく、古澤師が使う用語と、この本で使われる用語が違っていて、ひどく戸惑うことがありました。(例えば、古澤師は「変通星」と言いますが、この本の著者は、「通変星」と言っております。そして、決定的に問題なのは、年柱で、古澤師の鑑定では私は「丙申壬」なのに、この本では「丙申庚」、日柱で、古澤師は「丙戌丁」なのに、この本は「丙戌戊」、時柱で、古澤師は「壬辰壬」なのに、この本では「壬辰戊」になっているのです。これでは全く運勢が違ってしまうので困り果てましたが、古澤師の鑑定を採用することにしました。)

 この本で、一番興味深かったのは、あの松下幸之助さんの四柱の中に、私と全く同じように「正財」「偏財」の財の星がなかったことでした。嗚呼それなのに、それなのに。松下幸之助と言えば、松下電器(現パナソニック)の創業者で、東京・浅草寺の門の大型提灯を寄付するほど、超々大金持ちです。財の星がなければ、お金に縁がない、なんて言えませんね(笑)。それに、これだけの人ですから、多くの友人知人に恵まれたことでしょう。前述したサイトによれば、気配り、心配りしたお蔭かもしれませんが…。

 もう20年も前になりますが、私が北海道の帯広に住んでいた頃、自分の運命を儚んで、運勢を知りたくて、風水教室に2年ほど通ったことがあります。四柱推命と同じ陰陽五行説の基礎を学ぶことが出来、風水とは如何わしいおまじないでも何でもないことを知りました。しかし、自分自身は、とても「見立て」が出来ないな、と思いました。筮竹(ぜいちく)を用いた易まで習いましたが(高価なキットまで購入しました!)、「これしかない」といった最終判断が自分には出来なかったからです。

 逆に言いますと、筮竹占いは、何とでも解釈して、何とでも宣誓できるのです。あるものが「白」とも言えれば、陰の部分は「黒」でもあり、「灰色」でもあります。上から見れば、円形でも、横から見れば、長方形だったりします。それと同じです。いかようにも解釈できるのです。

 四柱推命も同じことが言えます。財の星がない人は、お金や友人に恵まれない、と言えますが、松下幸之助さんの例を見れば、そんなこと言えませんよね?

 先の「四柱推命入門」によると、私の「中心星」は「印綬」で、この印綬の星は、「勉強家で知的好奇心が旺盛な人」「アカデミックで、お金よりも名誉を重んじる人」などと書かれていました。

 結局ですね、私は、四柱推命も占いも「いいとこどり」で良いと思ってます。ある程度の法則か方便だと思っても構わないと思っております。藁にも縋りたいほどの難局に追い込まれた時に、メンタルヘルス(精神的な健康)のために活用すればそれで良いと思っております。

 私も、四柱推命を活用して、今年5月からの「10年毎の変革期」を何があろうと乗り越えようかと思っております。

 【追記】2023.8.6

 やはり、気になって、古澤師に、四柱推命というものは、流派によって鑑定の基準が違うのかどうか、お尋ねしたら、明解な答えが返ってきました。 

 私信なので全てはご紹介できませんが、「月律分野蔵干表」というのがあり、これも流派によって、時間がまちまちだといいます。古澤師は、佐藤観幾氏の下で勉強し、多くの実例を見ながら3度ほど修正して今の月律分野蔵干表になったそうです。今後変更することはないといいます。

 「もっと詳しく知りたい場合は、四柱推命教室を開いておりますので勉強にいらしてください。お待ちしております。」とまで言われてしまいました(笑)。

 勿論、小生は古澤師に観て頂いた鑑定シートを最も信頼しております。

動画サイトは「承認欲求」の強さの表れか?

 旧い友人のAさんは、忘れた頃にやって来る人です。もう疎遠になったのかな、と思った頃に、急に、メールを送って来たりするのです。昨晩も突然でした。履歴を見たら、実に約1年ぶりのメールでした(笑)。

 内容は大したことではありません。「このYouTubeに出ている元朝日新聞記者・ジャーナリストの〇〇さんは御存知ですか?」といったものでした。メールにリンク添付されていたので、早速見てみましたが、私は存じ上げない方でした。(でも、間接的には彼の周囲の人の中で私が昵懇にさせて頂いている人もおりました)

 「マスコミでは語られない報道の真実。日本と報道を滅ぼす存在達との戦い。特別動画講義」と題して、政財界のスキャンダルの真相に斬り込み、舌鋒鋭く、口角泡を飛ばして、語りとばしておられました。何十万という読者さまがいらっしゃるようで、コメント欄には「情報量の多さに驚きました」「表に出ないカラクリを知るたびに日本の衰退の加速を感じます」「正義の味方」などといった賛美のオンパレードです。

 その方は、かなり自信満々の語り口でしたが、そのYouTubeは、約1時間とあまりにも長いので全部を見ませんでした。とはいえ、ジャーナリズムの世界もここまで来たか、と思いましたね。他のYouTubeを見れば、ジャーナリストと称する有名無名の有象無象の皆様方が「我よ、我よ」とばかりにサイトをアップされておりました。今の若い人たちは、新聞も週刊誌も、もう面倒臭い活字は読まないんでしょうね。YouTubeは、お笑いや映画、音楽、演劇、美術などのプロモーションに最適だとは思っておりましたけど、ジャーナリストもYouTubeで稼ぐようになったんですね。

Tsuquiji

 ジャーナリストという世間では一応「潔癖」だと思われている商売も、YouTubeの視聴者を引くためにはある程度過激でなければいけません。「絶対に儲かります」とか不確実性のことでも自信満々に断言しなければいけません。(予言が外れたり、間違っていたりしたら即、削除!)そして、アクセス数を稼ぐには肩書がモノを言います。ジャーナリスト以外に「元朝日新聞記者」とわざわざ名乗っているのは、朝日新聞がマスコミ界一の知名度と信頼度があると思っていらっしゃるからなのでしょう。確かに、大変失礼ながら、「元産経新聞記者」とか「元時事通信記者」では格が落ちますからねえ。「元読売新聞記者」も残念ながら弱い…。

 でも、ここだけの話ですが、(ブログではありえない!)正直、見ていて恥ずかしくなりました。いくら、それが真実で、正義であっても、雁首を晒して、ジャーナリストを称して登場して持論を展開するなんて、まず、私にはあり得ない。ブログで精一杯ですよ。ブログでも恥ずかしいぐらいなのに(笑)。

 それにしても、旧友のAさんは、何でこんな動画を送って来たのでしょうか?

 一応、それとなくワケを聞いてみますと、こんな答えが返って来ました。

 「この『元新聞記者』は、現役時代の空気が忘れられず、ネットの渦に巻かれて、いつまでも承認欲求が強いのかもしれません。老婆心ながら、良からぬ外的ストレスも抱えることでしょうに」

 動画サイトは、「私を見て、見て!」「ねえ、私の話を聞いて、聞いて!」のオンパレードです。普通の正常な人が見たらウンザリします。そのような作為を、Aさんは「露出狂」とは言わずに、「承認欲求が強い」なんて、随分、上手い事を言うなあ、と思いました。座布団2枚あげたいぐらいです。

 本人が至って生真面目で、悪や不正を追求している姿は美しくもありますが、世の中、そう単純ではありません。欧米諸国から「戦争犯罪人」と訴追されているロシアのプーチン大統領でさえ、中国や北朝鮮などにとっては、欧米の悪と対峙する正義の味方ということになっていますからね。

 いくら高邁な精神で、自己の良識を信じて、ネットやメディアに登場したりしても、「どうせ金儲けだろ?」と見透かされます。だから、私は、結果的に、自分で金儲けでブログを書いていることを棚上げにして、動画サイトはあまりにも露骨なせいか、「恥ずかしいなあ」と思ってしまうのです。