戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)

藤堂高虎はとてつもない築城名人

国宝姫路城

昨晩、お城関係の本を読んでいたら、三重県の津城は、正式には安濃津城ということを初めて知り、自分の不勉強を恥じるとともに、本当に驚いてしまいました。

 以前、沖浦和光著「天皇の国・賤民の国」を読んでいたら、中世になって差別をされた人々が浄土宗系の仏教に縋り、多くの寺院が建てられるようになったという話が出てきました。その中で、三重県の津市のことも出てきたので、たまたま、津市出身で、浄土系の名門中学校を出ている学生時代の友人がいるので、メールで聞いてみたところ、「私が育った安濃津(あのつ)あたりは、差別された人たちが多く住んでいて、私が通った小学校は、全国でも同和教育のモデル校として表彰されたこともあります。中学は浄土真宗の学校でした」といった答えが返ってきました。

 いきなり、初めて聞く「安濃津」という地名が出てきましたが、特に調べることはなく、津市の郊外にある地名なのかなあ、と思っていたら、どうやら、津城が安濃津城(津市丸之内)と呼ばれるぐらいですから、津市の中央部もかつては安濃津と呼ばれていたのかもしれません。

 となると、古代に征服されて、差別された人たちは、中世になって浄土系の宗教に救いを求めるようになり、その領地には寺院が建てられ、戦国時代になって、城郭が建てられたという仮説が成り立つのではないかと思ったわけです。よく知られている史実として、蓮如の建てた石山本願寺の跡地に大坂城がつくられ、このほか、 加賀前田藩の金沢城は、それ以前は、加賀一向一揆の拠点だった浄土真宗の尾山御坊という寺院だったといいます。

  私の晩年の趣味は、どういうわけか、いつの間にか、お城と寺社仏閣巡りになりましたが、城郭と寺社とは、水と油(戦闘と慰霊)で全く関係がないと考えていたら、意外にも密接な関係があったのですね。本当に驚きました。

 日本の歴史や文学、美術を知るには、仏教思想が欠かせませんが、当然ながら、寺社仏閣や城巡りの際にも、仏教思想はこうして役に立つわけです。

唐沢山城(伝藤原秀郷の築城、日本の100名城)

 先程の安濃津城は、浅はかにも、藤堂高虎の築城かと思っていたら、永禄年間(1558~70年)に、伊勢の有力国人・長野一族の細野藤光が築城したものでした。しかし、織田信長が伊勢を征服し、その弟の信包が城主となります。関ケ原の戦いの後になって、藤堂高虎が入城し、全面改修し、城下町も整え、明治維新まで藤堂家が続きます。

 藤堂高虎は、築城の名人と言われ、調べば調べるほど、とてつもない偉人だったことが分かります。伊勢の人ではなく、もともと、近江の甲良荘(滋賀県犬上郡)出身で、甲良大工という築城集団がいたようです。藤堂高虎もその影響で、伊予の今治城(海城)と宇和島城(重要文化財)、それに伊勢の安濃津城と伊賀上野城などを作り、江戸城、大坂城、二条城、丹波亀山城などを改修、篠山城、名古屋城などの縄張りを任されています。徳川家康も一目置いて、江戸の屋敷は、寛永寺そばの上野の領地を与えます。上野は、勿論、伊賀上野から取って付けられた地名です。

 明智光秀もいいですが、藤堂高虎も大河ドラマの主人公にしてほしいものです。

人間嫌いで友達もいないのに人間に興味がある=樹木希林著「一切なりゆき」

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 2020年、令和2年、新年明けましておめでとう御座います。

 えっ!? お正月だというのに、ブログなんかをチェックしているんですか?まあまあ、お正月ぐらいゆっくり休んで、気楽にお過ごしくださいな。

 私も皆さまと同じように、年末年始はゆっくり過ごさせて頂きました。大晦日は、何年振りかに「紅白」を30分ぐらいチラッとみて、除夜の鐘も聞かずに寝てしまいました。(最近流行の音楽は、もう、とても付いていけなかったのですが、乃木坂とか日向坂とか、欅坂とか、やけに坂が付いたアイドル名が多いんですね。あと、46とか48ってどういう意味何でしょうか?)

 正月は実家に行って、お節料理と、ノーベル賞授賞式後の晩餐会で出されたという灘の生一本「福寿」を堪能しました。

 そんな年末年始の日本人の油断と隙をついて、あのカルロス・ゴーン被告が、まさかの国外逃亡するとは!今年も波乱の幕開けとなりました。

 個人的ながら、私自身の運勢は「ディケイド decade」と呼ばれる「人生で10年に1度、変革が起きる」という運命に左右されており、今年がその年に当たります。社会人になって、1980年、1990年、2000年、2010年と、過酷な運命に晒されて来たわけです。

 ま、これ以上、悲惨な人生になることはないので、2020年は、良い意味での変革が起きると思っております。

 さて、年末年始は、軽い、といったら失礼ですが、お酒に酔っても頭に入るような本を読んでいました。昨年2019年に最も売れた大ベストセラーでもある樹木希林著「一切なりゆき」(文春新書)です。著書というより、そしてエッセイというより、本人が、色んな雑誌などのメディアの取材で応えたことをまとめた「安易」な作りで、「現代日本人のベストセラー」の読者と編集者のレベルが如実に反映されていました。

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 樹木希林さんは、かなり自然に振る舞うように見せかけた演技でしたが、日本の芸能史には欠かせない、比類のない個性派女優でした。ロックンローラー内田裕也氏との40年以上にわたる「別居結婚」や、映画やテレビやCMに至るまで幅広く活躍し、2018年9月に行年75歳で逝去されたことはほとんどの日本人なら御存知のことでしょう。この本で面白かった箇所を引用しますとー。

・モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。私の下着は、友達の亡くなった旦那さんのお古で、みんな前が開いているの。

・年を取るって好きなの。若くなりたいなんて思わない。

・私は人のこと嫌いなんです、煩わしいから。だから友達もいない。…だけど裏腹に、人間そのものにはすごく興味があるんです。

・失敗することも沢山あるけど、歳のせいかすぐ忘れちゃう。特に嫌なことは(笑)。だから、「あの時、こうしておけばよかった」と後悔することは一切ありません。いつまでも後ろを振り返るより、前に向かって歩いた方がいいんじゃないですか。

・どうやったら他人の価値観に振り回されないか?「自立すること」じゃないでしょうか。自分はどうしたいか、何をするべきか、とにかく自分の頭で考えて自分で動く。時に人に頼るのもいいかもしれないけど、誰にも助けを求められないときにどうするかくらいは考えておかないと。

 女優樹木希林は、やはり、普通の知識人以上に物事をよく考え、見極める人だったんですね。

・性格の良い男はいると思うんですけど、性格の良い女はいないですね。年齢に関係なく、女の持っているものの中でまず裏側の怖さの方が先に分かっちゃう。女の持っている「たち」というのは、凄まじいものだなと思います。

…嗚呼、もっと若い時に、知っていたならば…

仏教思想と古代史と現代人=2019年の個人的回顧

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今日は大晦日。午前中は、狭い陋屋を一人前に大掃除して、窓も綺麗に拭いて、良い新年を迎えられそうです。

 皆様にはこの一年、御愛読賜り、誠に感謝申し上げます。中には「つまらない」だの、「読む価値なし」だのと仰る方もおりましたが、それは、読んでいる証拠でもあり、叱咤激励のお言葉と勝手に受け取って、来年も続けて参りたい所存で御座います。

 このブログは、気の進まないまま、フェイスブックとツイッターに同期しておりますが、フェイスブックでは毎回アップする度に、まだお会いもしたことがない西日本にお住まいのYさんがお忙しい中、無理を押して「いいね!」ボタンを押してくださるので、励みになっております。イニシャルだけでお名前は書けませんが、御礼申し上げます。

 さて、この後に書くことは、本当にどうでも良い個人的な話です。一年を振り返って、個人的に一応区切りを付けたいだけですので、もうお読み続けることはありませんよ(笑)。

高野山 壇上伽藍

 我が人生、いつの間にか、老境の域に達してしまい、個人的な趣味が、全国の寺社仏閣とお城巡りになりましたが、昨年は、その長年の念願を実現することができました。7月に和歌山県の高野山、12月には出雲大社と、日本を代表する国宝姫路城に行くことができたのです。その内容については、既に事細かく書きましたので、このブログ内で検索して頂ければ出てきます(笑)。

 高野山から帰った後、真言宗について勉強を始めました。アカデミックではなく、職業柄、残念ながらジャーナリスティックな面での勉強、というか情報収集です。具体的には、真言宗内の宗派の力関係とか、全国に展開される真言宗寺院の展開、そして宗祖空海の人となりについてです。これも、ブログにかなり詳しく書きましたので、また、検索でもしてご参照ください(笑)。

 その後、ひょんなことで、このブログを通して、作家村上春樹氏の従兄弟に当たる西山浄土宗安養寺の村上純一住職と知り合い、8月の最も暑い盛りに京都・安養寺を訪れて村上御住職と面談しました。その際、また、色んなお話を聴くことができ、また、何度かメールをやり取りするうちに、法然上人や浄土宗にも興味を持つようになりました。

 またまた、ジャーナリスティックなアプローチで、浄土宗の宗派や全国の寺院について勉強していたら、たまたま、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)と出合い、日本の浄土教思想に目覚めてしまいました。この後、読んだ沖浦和光著「天皇の国・賤民の国 両極のタブー」(河出文庫)により、仏教とカースト制度に影響を受けた差別問題が日本の歴史の底流に流れていることを初めて知り、実に、実に衝撃的でした。

出雲大社

 出雲大社に行ったのは、古代史に大変興味があったためで、実際に参拝し、その規模と大きさを知ることができたのが収穫でした。やはり、大和朝廷との関係が気になるところで、大陸や半島との交流で一足先に文明が進んでいた出雲が、最終的には大和に「国譲り」したことになるのでしょうが、何とも言えない、霊的な「気」も感じることができました。

  既にこのブログで登場させて頂いた武光誠著「一冊でつかむ古代日本」(平凡社新書) によると、 これまで「大王」と呼ばれた王族の長を初めて「天皇」と名乗ったのは壬申の乱を経て統一した天武天皇(631?~686年)でした。「古事記」「日本書紀」に則った紀元2680年にならんとする皇室からみると、「天皇」の名称が登場したのは1300年ほど前ということになるので、意外と最近だったことが分かります。

 また、古代の朝廷は、十数人からなる公卿と呼ばれる太政官(左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議)による合議制で政策が決まり、天皇はそれを追認する形だったという史実を知り、「いかにも日本的だなあ」と改めて思いました。中国やドイツでは考えられないことです。

 先の大戦で、戦艦「大和」が米軍の爆撃によって沈没したことは、まるで古代から続いてきた大和朝廷が滅ぼされたような象徴的な意味合いがあり、それに代わる(米国直輸入の)「戦後民主主義」と呼ばれる時代も、70年も過ぎれば綻びが目立つようになり、ついには、公文書を改竄したり、破棄したり、処分したりしても平気な政権が長期にわたるというのに、その弊害さえ、その政治システムにより除去できない日本の現代人は、歴史的に見ても、古代の朝廷を批判できないんじゃないかと思っています。

 このブログも、どういうわけか、最近、驚くほどアクセスが増えてきており、感謝申し上げる次第で御座います。取材費も原稿料も出ないのですが(笑)、色んな世界(精神世界も含む)を駆け巡って、これからも頑張って執筆していこうかなと存じます。

 来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 令和元年12月31日

 渓流斎 敬白

🎬「男はつらいよ お帰り寅さん」は★★★★★

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喜劇だと思ったら、悲劇でした。見事やられてしまいました。途中から泣き笑いで、いい歳をして、感情を抑えることができませんでした。

 22年ぶりの新作シリーズ第50作目「男はつらいよ お帰り寅さん」は、製作費と同じくらい宣伝費をかけているようにみえるので、新聞でもテレビでも週刊誌でも、ラジオでも、どこでもこの映画のことで話題持ち切り。

 今では簡単に予告編も見られ、あらすじまで分かってしまいますから、知った気になって、観た気になってしまいますが、それでは、勿体ない。劇場に足を運んで大きなスクリーンで御覧になることをお薦めします。

 私のような1969年の第1作から1997年の第49作まで、大体見ているロートル世代でしたら、涙なしには見られません。(もしかして、初めて見る若い世代でも楽しめるかも)

 若い頃は、寅さんシリーズは当たり前のように上映され、いつもお決まりのパターンのマンネリズムだと思ってましたが、それが見事浄化して、様式美に昇格していたことが、今になって分かりました。

 寅さんこと渥美清(1928~96)さんも本当に亡くなり、(68歳の若さだったは!当時は、彼の訃報原稿を書いたりして大忙しだったので、そこまで若かったことは実感できませんでした)この映画でも、既に寅さんは亡くなって、甥っ子の満男(吉岡秀隆)が小説家になり、偶然初恋のイズミちゃん(後藤久美子)と再会する話で、喜劇ではなく、次回もまた続くような気の持たせ方で映画が終わります。

 まあ、そこがいい所です。

 寅さんは、回想シーンでしか登場しませんが、4Kか何か知りませんが、デジタル処理した昔の映像が、今の映画と同期して、違和感がないのが、この映画の凄いところです。

 この映画は、満男役の吉岡秀隆(49)主演作ですが、彼は、「三丁目の夕日」などで、売れない作家役をやっているので、今回の小説家役も適役でした。また、ゴクミと言っても、30年前の美少女ブームの頃の後藤久美子(45)のことを知らない人も多いでしょうが、私生活では、フランス人F1レーサーと結婚して、スイスなどに住み、半ば引退した格好でしたが、山田洋次監督から手紙による熱烈な説得により、イズミ役として復帰したことが、週刊誌に書かれていました。

 イズミは、ゴクミの私生活通り、英語とフランス語が堪能で国連難民高等弁務官事務所の職員になって世界中を飛び回っている役でしたから、本人と重なってしまいました。流石に英語もフランス語も発音が良かった。山田監督の「アテ書き」ですね。

 映画の舞台も、葛飾区柴又のほか、銀座と神保町と八重洲ブックセンターで、個人的に、私が最も縁と馴染みの深い東京だったので、それだけで胸が熱くなってしまいました。

 この映画で、寅さんが関わったマドンナが、最後の回想シーンで、ほぼ勢ぞろいしました。最初に私は「寅さんのシリーズをほとんど観ている」と豪語しましたが、「あれ?彼女誰だっけ?」という女優さんが2人ぐらいいました。後で調べたら思い出しましたが、女優さんに失礼に当たるので、その人の名前を書いた公文書は、現政権のように、シュレッダーにかけて、隠蔽しておきます(笑)。

 でも、22年ぶりに「男をつらいよ」を観ると、すっかり忘れていた意外な女優さんまでもが、マドンナ役で出ていたことが確認できました。サクラ役の倍賞千恵子さんは、若い頃は本当に正統派の美人だったことも、改めてこの歳になって気が付きました。そして、ヒトは残酷にも年を取り、タコ社長もおいちゃん役の俳優さんも既に亡くなって、この世にいないのにスクリーンで復活していました。これもまた、ロートル世代にとっては感慨深いものでした。

 恐るべき映画でした。

スマホに支配される前に自分自身を知れ!=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」

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 ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 ) を読了しました。どちらかと言えば、歴史書ではなく、哲学書でした。深い歴史の知識に支えられた歴史哲学書でした。深く考えさせられました。

 色んな書評が出ているでしょうが、どれも、象を撫でて、犬だ、猫だと言っているような類で、どれも的確でない気がします。一言でまとめること自体、複雑な示唆に富む論考が数多含まれているからです。強いて言えば、「訳者あとがき」が最も著者の意図を端的に代弁しているかもしれません。(例えば、著者のハラリ氏は、謙虚さを重視し、一神教よりも多神教に優しい目を向ける、とか、著者は人類の将来に非現実的な期待を抱いていないが、絶望もしていない、などといった部分)

 前著を読んでいない私が意外だったことは、ハラリ氏はイスラエル出身の人ですから、ユダヤ教やシオニズムなどに対して絶対的な信仰と信頼を置いているかと思っていたら、言ってよければ、冷ややかに批判的に見ていることでした。それどころか、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史から見れば、宗教も思想も人間の生きる価値までもが取るに足りない、大したことはないと明示しているのです。科学者らの見解を引用して、そもそも2億年後には哺乳類は絶滅する、とまで書いていますから、王の墳墓も歴史的建造物も何もかも無意味に思えてきます。

 ハラリ氏はこんなことを書いています。

 「自己嫌悪に陥ったユダヤ人」あるいは「反ユダヤ主義者」だ思われたくないので強調しておきたいのだが、私はユダヤ教が特別邪悪な宗教だとか、暗愚な宗教だとか言っているわけではない。ただ、ユダヤ教は人類史にとって、特別重要ではなかったと言っているだけだ。ユダヤ教は何世紀にわたって、…書物を読んでじっくり考えることを好む、迫害された少数派の質素な宗教だった。(255ページ)

 シオニズムは、地表のおよそ0.005%の土地を占める、人類のおよそ0.2%の人々(ユダヤ人のこと)がほんのわずかな時間に行った冒険を神聖なものとしている。シオニズムの物語は、…モーセやアブラハムが生きた時代や類人猿の進化の前に超過した果てしない歳月にも、何一つ意味を与えていない。(354ページ)

 エルサレムは「ユダヤ民族の永遠の都」であり、永遠のものに関しては絶対に妥協できないと、彼らは主張する。…現在の宇宙の年齢は138億年。地球はおよそ45憶年前に形作られ、人類は少なくとも200万年存在してきた。それに対して、エルサレムはわずか5000年前に創設され、ユダヤ民族は長くても3000年の歴史しか持たない。これでは永遠という資格はとうていない。(同ページ)

 ユダヤ教超正統派の男性の約半分が一生働かない。彼らは聖典を読み、宗教的儀式を執り行うことに人生を捧げる。彼らと家族が飢えずに済むのは、一つには妻たちが働いているからで、一つには(イスラエル)政府がかなりの補助金や無料のサービスを提供し、基本的な生活必需品に困らないようにするからだ。(67ページ)

 このほか、現代人に対して、こんな風に批判しています。

 テクノロジー自体は悪いものではない。…だが、人生で何をしたいのか分かっていなければ、代わりにテクノロジーがいとも簡単にあなたの目的を決め、あなたの人生を支配するだろう。…スマートフォンに目が釘付けになったまま通りを歩き回るゾンビたちを見たことがあるだろう。あなたは彼らがテクノロジーを支配していると思うだろうか?それとも、テクノロジーが彼らを支配しているのか?(345ページ)

コカ・コーラをたくさん飲んでも若返られないし、健康になれないし、運動が得意にもなれない。むしろ、肥満と糖尿病になる危険が高まる。それにも関わらず、コカ・コーラは長年、膨大な資金を投じて、自らの若さや健康やスポーツと結びつけてきた。(309ページ)コカ・コーラや アマゾン、百度、政府がみな我先にあなたをハッキングしようとしている。あなたのスマホやパソコンや銀行口座ではなく、あなたとあなたの有機的なオペレーションシステム(OS)をハッキングしようと競っている。私たちはコンピューターがハッキングされる時代に生きていると言われるが、…、実は私たち人間がハッキングされる時代に生きているのだ。(一部換骨奪胎)(346ページ)

 やはり、訳者もあとがきで、引用しているように、この本で著者が最も言いたかったことは、次の部分かもしれません。

 もちろん、あなたは、権限を全てアルゴリズム(AIによる問題解決の方法や手順)に譲り、アルゴリズムを信頼して自分のこともそれ以外の世の中のことも全て決めてもらって、満足そのものかもしれない。それならば、くつろいで、そういう暮らしを楽しめばよい。…だが、自分という個人の存在や生命の将来に関して、多少の支配権を維持したければ、アルゴリズムより先回りし、アマゾンや政府より先回りし、彼らより前に自分自身のことを知っておかなければならない。

 著者のハラリは、その自分自身を知る一つの方法として最後にヴィパッサナー(物事をありのままに鑑札する、という意味)瞑想を挙げていました。確かに、タイトル通り、21世紀に生きる人類のための指南書でした。

【追記】

 ●法然は「選択本願念仏集」の中で、念仏(仏を念ずる)の手段として、凡夫では到底できない瞑想よりも、易行である称名を選択するべきだ、という革命的理論を展開していました。

 ●著者のハラリ氏が本書で言いたかったことは、既に古代ギリシャの賢人が述べています。

 人生の究極的な価値とは、ただ単に生き長らえるということではなく、むしろ、気づきと深い思考を巡らすことに掛かっている。(アリストレス)

京都・北野天満宮「終い天神」で猿まわし

Copyright par Kyoraque-sensei

おはようございます。京洛先生です。

クリスマスも終わり、「もういくつ寝ると♪お正月♪♪」ですね。帝都での忘年会は大盛会で何よりでした(笑)。

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洛中では、12月25日(水)は、北野天満宮の今年最後の「天神市」でした。毎月、菅原道真の命日の25日に開かれている「天神市」ですが、一年の最後なので「終(しまい)天神」と呼ばれています。

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以前、渓流斎さんも、大枚をはたいて、中古の「英国製高級ジャケット」を買い求められましたが、「終い天神」は、年の瀬ということもあり、正月の飾りつけ、料理の材料用品などが売られていて、季節感を味わえますね。

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朝から晴天に恵まれ、10万人を超える参拝客や買い物客で、北野天満宮周辺は終日、大にぎわいでした。

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境内周辺には約1000軒の露店が並びましたが、本殿近くでは、「猿まわし」も来ていて、昔の風情も残っています。好いですね。

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お猿の飛んだり、跳ねたりの熱演後、見てのお代の「ザル」が回されましたが、気風の好い人も多く、ザルの中には、小銭だけでなく、お札もかなり投げ込まれていて、お猿さんも満足したと思いますよ(笑)。

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神社の境内と、見世物、興行は一体ですが、貴人も、お正月は近所の氏神様だけでなく、初詣で賑わう都心の大きな神社に出向いて、こうした「猿まわし」などのパフォーマンスが今も続けられているかどうか、実地検証されては如何でしょうか。

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部屋に閉じこもって、本ばかり読んでいる場合じゃないですよ(笑)

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以上

「昼の憩い」京都農林水産通信員、いや、京都ふるさと通信員の京洛先生でした。

人口減で年金が出ない?

 今年2019年に国内で誕生した日本人の子どもの数は、1899年の統計開始以来初めて90万人を割り込むそうですね。厚生労働省の推計では86万4000人だとか。アジャパーです(死語)。

  とにかく、かなりの人口減で、厚労省の国立社会保障・人口問題研究所の試算では、2019年の1億2615万人が2050年には1億人を切り、2100年には今の半分以下の5000万人を割り込むと予想しています。

 日本の財界を牽引するメディアである日本経済新聞は「少子化は社会保障の支え手の減少に直結するほか、潜在成長率の低迷を招く恐れがある。人口減が予想より早く進む事態への備えが求められる」などと書いておりますが、何処か他人事のように聞こえます。

  ソ連崩壊を予言した歴史人口学者のエマニュエル・トッド博士に、これからの日本はどうなってしまうのか、聞いてみたいものです。 でも、明るい未来像を描いていないでしょうね。そもそも、少子化の要因の一つが、規制改革とやらで団塊ジュニア世代を中心に非正規雇用者を大量に生み、結婚したくても、できない若者が増えたことにあります。政治権力者による政策の失敗という人災みたいなところがありますから。

 出生率の低下は日本だけではなく、お隣の韓国でも深刻です。2018年の日本の出生率は1.42でしたが、韓国では1を切って0.98だったといいます。人口減に苦しむ極東の先進国は、開発途上国からの移民を受け入れざるを得なくなり、国家や国の在り方が激変するかもしれません。そうでなくても、日本は学校や職場でも陰湿ないじめや村八分が多いですから、異国人とはマナーや宗教や文化などの相違で摩擦と軋轢が生まれることでしょう。

◇日本人は本を読まなくなった

 さて、国立青少年教育振興機構がこのほど、全国の20~60歳代の男女5000人を対象に、読書習慣に関して調査した結果、1カ月に本を全く読まないと答えた人は、全世代で49・8%に上ったといいます。2013年の調査では28・1%でしたから、大幅に増えたことになります。特に20歳代に絞ると52・3%ですから、この世代の半分以上は本を読んでいないことになります。

 確かに電車内で本を読んでいる人は、年配者しかおらず、若い人のほとんど全てがスマホと格闘しています。ニュースやSNSをやっている人もいますが、まあ、大体、文字通り、スマホ・ゲームで格闘していますね。

 外国から来る人たちは、生活と生命が掛かっていますから、一部ですが、電車内でも一生懸命に勉強しています。

鳥取砂丘

◇Tomorrow never knows

  今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 )を読んでいますが、「雇用」「宗教」「移民」「戦争」「神」など21の項目を哲学的に論考しています。「人工知能(AI)の発達のおかげで、無用者階級が生まれるだろう」などと予測していますが、「未来のことは、どうなるのか誰にも分からない」と正直に語っています。そこがこの本の良いところです。

 あと80年もすれば、日本の人口が半分になってしまうなんて、想像もつきませんが、悲観的、絶望的にならざるを得ないなあ、と思いつつ、途中で筆を置いて(正確にはパソコンを切って)、ランチに行きました。そしたら、某レストランで40歳代後半と思しき男性サラリーマン4人が、何と、人口減の話題で盛り上がっていました。そのうちの一人が「人口は51万人ぐらい自然減となり、鳥取県と同じ人口が消えたんだって。でも、鳥取は県だけど、八王子市と同じくらいの人口だけどな」と、さも自分が調べたかのように、新聞で読んだことを話してました。

 そしたら、もう一人が「俺たちの年金、どうなっちまうのかなあ。支えてくれる世代がいなくなれば、出なくなっちまうんじゃないか」と反応し、その一言で、一座はシーンとなってしまいました。

年に一度の忘年会=新橋が再開発ラッシュ

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、年に一度の忘年会でした。場所は、東京・内幸町の居酒屋「はらぺこ」で、本当に久しぶりでした。3年ぶりぐらいなのに、女将さんが小生のことを覚えていて、「あらまあ、本当に久しぶり。でも全然変わりませんね」とお世辞を言ってくれました。

 店の辺りが工事中で、昔はよく行っていたのに、ちょっと迷ってしまいました。女将さんに取材した者によると、新橋の田村町は目下、再開発中で、JRAの馬券売り場などがあった所には巨大なビルが2021年にオープンするそうです。はらぺこビルにも再開発の声がかかったそうですが、途中で立ち消えになったようです。また、来年の東京五輪後にはNTTビル、帝国ホテル、東京電力、みずほ銀行の広大な土地が三井不動産によって再開発され、新橋駅前のニュー新橋ビルも建て替えられるといいます。 新橋も大きく変わっていくんですね。

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  今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社)を読んでいますが、その中で、「人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存している」と書かれていました。一人で本ばかり読んでいないで、たまには友人たちとの懇親も大切ですね。

 でも、そのはずだったのが、顔を合わせると、貶し言葉ばかり飛んできます。忘年会に参加したのは、審美眼に厳しいマスコミ業界の方々ばかりでしたが、密かにこのブログを盗み見している人もおり、やれ、「長過ぎる」だの、やれ、「つまらない。読むに値しない」だのと非難轟々です。それでいて、「ブログのうるさい広告で1000円儲かったらしいじゃないですか。ここの飲み代を全部払ってくださいよ」と恐喝する人までおりました。なあんだ、ちゃんと読んでいるじゃないか!

 話題は、最新のメディア業界の話でしたが、「ブログに書いたら、いてこましたるでえ」と恫喝する者もおり、茲では書けません。残念でしたが、大した話は全くありませんでした(笑)。

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「一笑一若 一怒一老」=笑う門には福来る

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週末に何気なくテレビを見ていたら、声優の羽佐間道夫さんという人が登場し、随分含蓄のあるタメになる人生訓のような話をされていたので、つい見入ってしまいました。

 大変失礼ながら、よく存じ上げなかったのですが、この方は、テレビ草創期から洋画の吹込みなどで活躍してきた大御所というか、重鎮でした。 羽佐間という名字はどこかで聞いたことがあると思ったら、実兄は元NHKアナウンサーの羽佐間正雄氏で、従兄はフジサンケイグループ代表などを歴任した羽佐間重彰氏だったんですね。「赤穂浪士の間光興の直系子孫で、オペラ歌手の三浦環の親戚」という情報もありました。

 それはともかく、声優としては、「ロッキー」のシルベスター・スタローンを始め、ポール・ニューマン、ハリソン・フォードらの吹き替えなど数多ありました。意識していませんでしたが、結構耳に入っていたわけです。

 今はアニメブームとやらで、声優になりたい若い志願者がたくさんいるようで、羽佐間氏も後進の指導に怠りありません。オーディションのような風景も写っていました。確かに若い女性の「演技」はテクニックがあり、上手いといえば上手い。しかし、どこか、コンピュータのような金属的な音の感じがします。その場で、羽佐間氏が比喩的に批判した言葉が妙に的を射ていました。「君はネズミの役はできるかもしれないけど、それじゃあ、ゾウの役はできないね」

 うまいことを言うなあと思いました。羽佐間氏によると、今の若い人たちは、上手だけど、みんな、御姫様か王子様の役ぐらいしかできないといいます。つまり、幅がないというか、かつての声優はもっと役域が広く、魅力的だったと言いたかったようです。その理由として、現在は、情報は目(視覚)から入ることがほとんどで、若い人はあまりラジオも聴かない。そうなると、声だけを聴いて想像する力が衰え、聴衆者のレベル(聴力)も下がる。同様に製作スタッフの聴力も下がるので、声優の力も衰えるというのです。

 これは名言ですね。動物はもともと、姿は見えなくとも、音によって遠くから忍び寄ってくる危険を察知していたものです。また、あらゆる芸術作品にはやはり、審美眼がしっかりした批評家や大衆がいなければ、作品そのものの質は向上しないわけです。これは何も芸術作品に限った話ではなく、政治の世界も同じでしょう。今の体たらくな政治家を選んでいるのは有権者なのですから、有権者のレベルが政治家に反映しているわけです。

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 羽佐間氏のそのバイタリティ溢れる話しぶりと容貌から、70歳ぐらいかなと思ったら、昭和8年生まれの86歳だと聞いて吃驚してしまいました。インタビューワーが、若さの秘訣を尋ねると、 東京ミッドタウン日比谷の「ザ・スター・ギャラリー」にある俳優の宝田明さんのプレートの話をしてくれました。そこには、スターの手形とサインと一緒に 一言添え書きがしてあるらしいのですが、宝田さんは「一笑一若 一怒一老」と書いているそうです。つまり、一つ笑えば若返り、一つ怒れば、年を取るといった意味でしょう。宝田さんは昭和9年生まれの85歳。旧満洲で、侵攻したソ連兵に撃たれ、一命を取りとめて苦労した宝田さんだけに、この言葉に込める意味の重さを感じました。

 羽佐間さんは若い頃、舞台俳優を目指していましたが、とても食っていけずに声優に転向したという後悔が今でも残っているようでした。当初は、声優は、俳優のように顔を出さず、セリフを暗記しなくても済むので、ギャラは俳優の7掛け(7割)と決められていたのですが、ストライキを起こして、声優も俳優並みのレベルに引き上げた苦労話もしていました。

 私は最近、街中や電車内などでも一人で怒ってばかりいたので、これでは老けますなあ(苦笑)。やはり、「笑う門には福来る」ですね。