庶民の王者

Roma

来日中の中国の温家宝首相が、都内のホテルで宗教団体の名誉会長と会談した際、名誉会長は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってください。庶民は大事です」と話しながら温首相と握手したそうです。

「庶民の王者」とは、名誉会長ご自身のことを指すのでしょうか。それとも一般名詞として、他の人のことを言っているのでしょうか。

それにしても「庶民の王者」というのは凄まじい言葉ですね。

こんなことを書くと、炎上してしまうでしょうか?

日本は米国の植民地か?

ローマ

アメリカ合衆国政府は、東京・赤坂1の10の5の駐日大使館敷地の賃貸料を9年間も払っていないということを、10日付毎日新聞夕刊で初めて知りました。(コラム「牧太郎の大きな声で言えないが…」)

1998年以降、一切払っておらず、催促してもラチがあかないとか。

超一等地、赤坂の地価相場は、3・3平方メートルあたり、897万円(4月3日調査)。それが、駐日大使館敷地が1万3000平方メートルもあるというのに、年額250万円。その250万円さえ、9年間も払っていないというのです。

日本はアメリカの植民地なのか?

同紙の読者以外は知らない事実なので、あえて再録致しましたが、牧太郎さんには、堂々と大きな声で言ってもらいたいものです。

嫌な東京人

Rome

「クルマを捨てて歩く!」(講談社新書)の著書がある帯広畜産大学教授の杉田聡さんは、広い北海道の大地で、車を持たずに、絶えず歩く、という記事を読みました。(9日付朝日新聞)懐かしいですね。

杉田さんは、自宅と大学まで片道3キロ、近所のスーパーまで週2回、1・5キロを、よほど体調が悪い時を除き、吹雪の日も、零下30度の朝も、只管、歩くそうです。

私も経験があります。帯広に住んでいた頃、自家用車を持ちませんでした。只管、歩きました。でも、最低温度を経験したと言っても、零下19度くらいだったと思います。帯広では、マイナス10度を上回ると、暖かいと思ったくらいでしたが、さすがに、マイナス19度は、堪えました。耳が千切れるので、毛糸の帽子は欠かせません。もちろん、オーバーに手袋。それでも、頭がクラクラすることがありました。歩くといっても、1キロくらい。せいぜい20分か30分くらいです。ほとんど人間は歩いておらず、鹿さんやキタキツネさんと出会いました。

杉田さんは言います。「車は速すぎて、人間の認知速度ではない。他人の思いやりを可能な限り深めることが文明化であるなら、車は文明の利器かもしれないが、文明を破壊する道具ではないか。歩いている限り、多かれ少なかれ人と出会う。車という個室化された自分の領域に入ると、外部の人間のことが分からないと思う」

今、東京のどす汚れた大気汚染の中を歩いています。無関心を装う人間とすれ違うだけです。東京の人は、身内贔屓と、傲慢と贅沢三昧の海外高額出張する人間が大好きなようです。ババア呼ばわりされても、自分のことではないと思っているらしい女性の多くが彼を支持しました。

大新聞に投書した東京に住む45歳の主婦は「影響力の大きさと実行力、思いをかねようとするエネルギーの強さ」に目がくらんで、彼を批判しつつ、清き一票を入れたそうです。

矛盾しているなあ、と思ったら、結局、ご自身が一番大事なのですね。

そういう東京が嫌になりました。

音更町で見た目に痛いほど降り注ぐ星々が忘れません。闇夜一面に星が広がり、自然への畏怖を感じたものです。倣岸な人間など、吹き飛んでしまいます。

水も空気も食べ物も美味しく、暖かい温泉が身に染みました。

東京人は、自分を中心に世界が回っていると考えている人間が何と多いことか!

脳科学、オカルトブーム、斬られる

ローマ(いい写真でしょう?)

精神科医の斎藤環氏が、毎日新聞のコラムで、昨今の脳科学ブーム、スピリチュアルブームを批判していますね。(8日付)

名指しこそしてませんが、その元凶は、最近、テレビや週刊誌に出ずっぱりの脳科学者の茂木健一郎氏であり、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏であることは、それなとなく分かります。

これらのブームの背景には、われわれ人間には、生きる上で、「価値規範」という幻想が必要だからだ、と斎藤氏は言います。

これまで、その、価値規範は、宗教や思想であったのですが、1995年のオウム事件以降、カルト的なものに対する拒絶反応が確立し、オカルト的なものに接近するようになった。倫理観も美的判断も、おしなべて「脳に良いから」という理由で、価値判断の最上位に置かれているというのです。

要するに、かつての宗教哲学イデオロギーに代わって、脳科学、心霊が幅をきかせるようになったというのです。

私の意見はこうです。

かつての宗教は、聖職者を頂点とする教会支配の免罪符になり、イデオロギーは、お山の大将になりたがる傲慢な人間が、弱者を支配して政治権力を掌握するための手段として利用するための方便であった、ということは、歴史が証明していると思います。

そして、今の脳科学ブーム、オカルト・ブームは、コミュニティが解体して、大海に放り出された孤独な個人の拠り所だと思っています。

両方とも、因果関係がはっきり分からず、証明できないという点で共通しています。

つまり、「これをやったら脳にいいよ」「ボケ防止になるよ」と言われても、実際に、効能があるのかどうか、分かりませんよね。

「守護霊が泣いています」とか「主護霊の定義が間違っています」と自称霊能者に言われても、誰も見えるわけではなく、証明できませんよね。

究極的にはそれらを信じて、彼らの言っていることに耳を傾けるかどうかの問題だと思います。彼らは、耳を傾ける人がいる限り、発言を続けるだろうし、有体に言えば、商売になっていると思います。

はっきり言います。

脳科学もオカルトも商売道具です。

それで、救われる人がいれば、誰も文句は言えませんが。

平成の落首

ローマ

●東京・新宿の新都市で

「都政の私物化」 説明不足でも 3選

●福岡国際センターで

「ママでも金」 優勝しなくても 世界選手権代表

●バグダッドで

「自爆テロで○人死亡」 ニュースにもならず 責任者出て来い!

邪気をはずす

ローマ

天外伺朗氏の「宇宙の根っこにつながる生き方」(サンマーク文庫)を読了しました。
この本で、氏は、はっきりと「あの世はある」と断定しているので、世に言うトンデモ本の類いではないのかと思われるかもしれません。

しかし、天外氏は、大手企業の研究所で、先端技術の研究開発に携わっている人なのです。どこの企業なのか、略歴には具体的に書いていませんが、CDレコードやロボットのAIBOを開発したというのですから、恐らく、ソニーなのでしょう。
少しだけ彼の言うことに耳を傾けてみましょう。まず、彼は「あの世」とは言っても、死後の世界とは言ってません。あの世とは、今、生きているこの世と同時進行で連動している精神的な世界だと言っているのです。
要するに、心の持ちようでどんな世界でも作れるというのです。少なくとも、私はそう理解しました。

「カルマの法則」というものがあります。自分の言動が自分に跳ね返ってくるということです。前世まで持ち出す人がいますが、私には前世があるとは思っていません。現実の世界あるのみだと思っています。それでも、その現実の人間界は、言葉の世界だけではありませんから、心の中で、相手を嫌っていると、必ずと言っていいくらい、相手も嫌っていたりします。

「人は陰徳を積むと報われる」と聞いたことがあります。「情けは人のためならず」ともいいます。こうして、人に対して良くすれば、やった分だけ、必ず自分に跳ね返ってくるのです。その逆に、人に意地悪すれば、いつかは、自分の身に天罰が落ちるものです。

この本の中で、著者は、悪いカルマ、つまり、邪気から逃れる方法を伝授しています。
1つは、自分の感情を無闇に押さえ込もうとしないこと。

1つは、あるがままの自分をそのまま受け止めて、肯定すること。

1つは、流れに身を任せること。

云々…

とにかく、邪気が外れる様子を自分で観察してみることが大切なのだそうです。そのためには、絶えず、前向きに明るく、すべてを肯定的に捉えて生きることが大切なのです。

その手段として、瞑想が一番の早道で、本書では、その瞑想法まで紹介されています。

と、ここまで書いて、「人間は何を考えても自由なのだ」という確信を強くしました。

天外氏の言っていることを「嘘だろう」と思う人は、ありえない話なので、全く、意味もなく、効果もないことでしょう。しかし、「ありえるかもしれない」と、思う人には、その程度の効果があり、「絶対にそうだ」と確信する人には、因果応報も、天罰覿面も、カルマの法則も、百%的中することでしょう。

そうできていると思います。

かの松下幸之助氏の口癖は「僕は運がいいよ」だったそうです。

その口癖が彼に運を引き寄せていたのかもしれません。

この話をバカらしいと思うか、なるほどと納得するか、それも自由です。

ブログ大国、日本

フォロロマーナ

米テクノラティ社によると、世界中のブログの統計を調べたところ、日本語が37%を占め、世界一に躍り出たそうです。第2位が英語の36%です。3ヶ月前の調査では、日本語が33%で、英語が39%だったので、日本語がついに逆転したのです!ちなみに第3位が中国語(8%)、第4位がイタリア語とスペイン語(各3%)、第6位がロシア語、フランス語、ポルトガル語(各2%)です。

「土佐日記」「更級日記」をはじめ、日記文学に伝統を持つ日本にとって、ブログは容易く受け入れやすいメディアではないでしょうか。英語さんとは歴史が違いますよ。

私がブログを始めた2005年3月の時点で、世界のブログは800万件だったのですが、今では7200万件もあるそうです。わずか、2年間で9倍も増えたのです。大ブームと言っていいでしょう。

7200万件の中から、皆さん、わざわざ、この「渓流斎日乗」という小さなメディアにアクセスして頂き、どうも有り難う御座います!!

できましたら、コメント、つまり感想を聞かせて戴ければ幸甚です。一方通行では、独裁者と変わりありませんから。

お待ちしております。

ちなみに、このブログの昨日のアクセス数は「47」と正常に戻りました。ご心配をお掛けしました。

奥野修司『満足死』

ローマ

最近出版された「満足死」は、大宅ノンフィクション賞作家の奥野修司氏が、地域医療というより過疎地医療に半生を捧げている高知県佐賀町(現黒潮町)の拳ノ川診療所の勤務医、疋田善平(ひきた・よしひら)氏の日々の活動を追った記録です。

疋田医師は「寝たきりゼロ」を目指して、「死ぬまで働け」と提唱しています。人間には運動するための細胞と、生命を維持するための細胞があり、生命維持の細胞は、その個体が死ぬまで、コンスタントに働くが、運動細胞は、使われないと衰退してしまうそうです。「寝たきり」というのは、その生命維持細胞が元気なのに、運動細胞が衰退した状態で、寝たきりにならないためには、運動細胞を活性化し、生命細胞を衰退させればいい。全細胞が同じように衰弱し、器官が止まれば、苦しむことがなく、自然死を迎えることができるというのです。

死ぬまで健康を保ち、自然死したければ、「死ぬまで働け」というわけです。

面白いデータがあります。(京都大カール・ベッカー教授)

イギリス、ドイツ、日本の3カ国で「両親の面倒を最後まで看ますか」と質問したところ、

英国人は50%、独人は62%、日本人は75%の人が「ハイ」と答えました。

ところが、実際に親が寝込んだときにそれを実行したかどうか調査すると、

英国人は40%、独人は50%、日本人はわずか20%しか実行していなかったというのです。

日本人は口先だけなんですね。現実と期待値の乖離がみられます。

疋田医師は難問をぶつけます。

「子供が面倒を看てくれなかったら、行政に頼りますか?最近は、福祉予算が削られ、簡単に老人ホームにもはいれないんですよ」

それでは、どうしたらいいのか。寝たきり(生活死)になってから、臨終(生物死)を迎えるまでの間隔が短ければ短いほどいい。その理想が一週間だというのです。

疋田医師は言います。

「大体、嫁さんをはじめ、家族がお世話をしてくれるのは1ヶ月です。バカ息子でも1ヶ月はしてくれます。1ヶ月過ぎると、早く死んで欲しいとは言わなくても、粗末に扱われると思った方がいい。これが、二カ月、三カ月となると、現実問題、世話する側で困る人が出てくる。そうすると、生活死から生物死まで、最長1ヶ月以内でないと具合悪い。もちろんベストは一週間以内です。それでは1ヶ月以内にコロッと死ぬにはどうしたらいいか。それが私の言う『死ぬまで働け』という意味です」

どうです、少しは参考になりましたか?

詳細は同書を読んでみてください。

無粋だなあ~

ローマ

げ!どうしちゃったの!?

というのが正直な感想です。小生のこのブログは、毎日、アクセス数をチェックできるのですが、平均「45」ぐらいだったのです。多いときは「60」ぐらい。少ないときは「30」ぐらいです。アクセス数が「30」を切ったら止めるつもりでした。

それが、一昨日に何とアクセス数が「305」もあったのです。このgooブログの全75万4776件中890位というランク入りのおまけ付きです。一昨日は、相変わらずアンチエイジングの話を書いていますし、賛否両論が予想される政治的な話は一切書いていません。何かの間違いでは?一体、どうなってしまったのでしょうか?

単なる「まぐれ」かと思いましたが、昨日も「98」もアクセスがありました。理由がさっぱり分かりません。あるとしたら、改名のおかげかもしれません。

それでも、相変わらず、自分のブログですから、マイペースで絵日記を綴って行きたいと思います。

昨日は、休みで、J大学病院に診察に行き、帰りは新橋の安売りチケットで新国立美術館の「モネ展」を購入。急に氷雨が降ってきたので、電車で有楽町まで行き、旭屋書店で本を数冊購入(タイトルは秘密)。その後、御徒町まで足を伸ばしました。久しぶりにG先生に会うためです。うまくて安い鮨屋を紹介してもらうために、御徒町まで行ったのです。

鮨屋は、駅からほど近い「すし幸」。氷雨の中、店外にはみ出て、もう数人並んでいました。G先生はせっかちですから、「止めよう。トンカツ屋にしましょう」ということで、松坂屋裏手の有名な「蓬莱屋」に行くことにしました。しかし、「本日休業」。仕方がないので、再び、「すし幸」に戻って30分くらい氷雨の中を立って待ちました。

でも待った甲斐がありました。さすがでしたね。「うまい」「安い」「早い」の3拍子揃っていました。コハダ、蝦蛄、カジキ、ネギトロなど変わったものばかり注文して、納得のいく値段でした。

途中、「ここは銀座の『すし幸』のチェーン店ですか?」と板さんに聞いたら、「いやあ、関係ないっす」というお返事。あとで、G先生に「そんな質問してはいけませんよ。無粋(ぶすい)です」とたしなめられてしまいました。

あと、ブログのアクセス数の話をすると、「見られない方がいいですよ。インターネットは、匿名性に隠れて、本当に知的レベルも低いし、全く品性がない。書いている内容もひどすぎるし、相手にするメディアじゃないですよ。2チャンネルなんて、便所の落書き以下。ひどいものです」と一刀両断でした。再び、「ネットは無粋です」とのお言葉。

うーん。確かにそうかもしれませんね。

続いて、さきほど、旭屋書店で、買おうか買うまいか迷っていた江上剛著「会社を辞めるのは怖くない」(幻冬舎新書)の話をすると、G先生は「江上剛は世間知らずだね。そんな本を出版するなんて、毒を撒き散らすようなもの。犯罪だよ」と怒り心頭のご様子でした。

粋を大切にするG先生にはいつも教えられます。

従軍慰安婦問題について

ローマ

いわゆる従軍慰安婦問題が最近またニュースで度々取り上げられています。

アメリカの下院でマイク・ホンダ議員が決議案を提出したのがきっかけで、慰安婦制度は「その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるもので二十世紀最大の人身売買事業の一つである」と断罪しています。

ホンダ下院議員は、名前から分かるように、カリフォルニア州選出の日系議員で、支持母体は、アジア系アメリカ人で、産経新聞などによると、ホンダ氏の多額献金者の中には、中国系の世界的な反日団体「世界抗日戦争史実維護連合会」会長のアイビー・リー氏らが含まれているそうです。ホンダ氏の支持者には反日プロパガンダの闘志らが多数いるということです。この決議案の提出は、何と6回目だということも、不明を恥じながら今回のニュースで初めて知りました。

今回、これほど大きなニュースになったのは、3月1日に安倍首相が「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」と発言し、米国内で一斉に反発の声があがったためです。

国内では「従軍慰安婦は強制的だった」と発言すると、いまだに「左翼自虐史観だ」と糾弾される雰囲気があります。ですから、国民の大多数の支持を得ている自民党の総裁である安倍首相の発言は、極めて自然な思想信条から発言されたものでしょう。3月16日に閣議決定した政府答弁書でも「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」としています。

私は戦後生まれで、粒さにこの問題を研究したわけではなく、新聞、雑誌等の報道などに接するのみなのですが、先日(4月1日付)、毎日新聞に掲載された作家の瀬戸内寂聴氏の寄稿文には、目を瞠らせられました。実は、この文章の最初の部分も氏の文から引用したものです。

瀬戸内氏は、これまで、4人の慰安婦に会ったことがあり、韓国人の3人は、日本軍により強制的に拉致されたということをはっきり書いています。そのうちの1人は友達と道を歩いていたら、走ってきた軍用トラックがいきなり止まり、兵隊が降りてきて、荷物のようにトラックに投げ入れられた、というのです。北朝鮮の拉致と何ら変わらないことを戦争中に日本軍は白昼堂々とやっていたわけです。

こういうことを書くと、また反日分子だの、左翼自虐史観の肩を持つのかと批判されそうですが、私は旗幟を鮮明にします。強制性を裏付ける資料が見あたらなかったとう政府見解があっても、そういう資料は破棄か焼却されたのではないでしょうか。瀬戸内氏も「私は彼女たちの話を造り話とは絶対思わなかった」と断言しています。

ですから、私は、従軍慰安婦に強制性があった、という立場を取ります。

ただし、私は反日分子でも左翼自虐史観の持ち主ではありません。米帝の覇権主義には辟易していますし、なぜ、ホンダ氏が、今、殊更に取り上げるのか、組織背景や動機などについても知りたいものです。