T君のこと、その後…

ミラノ

一緒にイタリア旅行をしたT君は、帰国後、三重県の自宅に戻らずに、そのまま東京のゲストハウスに居ついてしまいました。

いわゆる住所不定無職です。前科一犯こそつきませんが、毎日、何をしているのやら、職探しをしているのかと思っておりましたが、そうでもないようで、相変わらず、トイレの中で中国語の発音練習をしたり(怖い!)、イタリア語で曲を作ったりしていたようです。

堪りかねた私は昨晩、彼に事情聴取をしました。場所は、銀座の「はち巻き岡田」という居酒屋です。吉田健一が贔屓にした店で、久保田万太郎、川口松太郎、山口瞳や花柳章太郎、伊志井寛らも通い詰めたお店です。

店に入ると、T君は「昔、入ろうとして、断られた店だね」と言いました。すごい記憶力です。もう4半世紀以上昔の話です。まあ、20代で、こんな店に入ろうとしたなんて、生意気でしたね。お品書きには、値段が明示されていませんでしたが、名物の「粟麩田楽」は本当に美味しかったですね。菊正宗の樽酒を5,6本空けてしまいました。

私は、早速、T君にローマでの行方不明事件を問い糺しました。「雲隠れしただろう?」

すると、どうやら、彼は雲隠れしたわけではなく、本当に、行き違いになって、はぐれてしまったということが分かりました。T君、疑ってすまなかった。

場所を変えて「ルパン」に行きました。ここでもハイボールを5,6杯空けてしまいました。店の奥には太宰治や坂口安吾、織田作之助の写真が飾られ、私も、もう30年近く通い詰めているのに、客の顔と名前を覚えようとしないで放っておいてくれる店です。

そして朗報です。まさしく福音です。

彼に職が見つかったのです。しかも、住む家も。

私の高校時代からの古い古い旧友からの紹介です。「友達の友達は皆友達だ」の世界です。彼らこそが、一緒に人生を歩んでいく、同じ世界の人間です。

ということで、昨日は色々ありました。

お父さんの古い時計

ラオコーン

イタリア旅行に行く前に、腕時計が止まってしまいました。いつものことながら電池切れだと思い、三越デパートの6階にある時計売り場に行って、電池を交換していもらいました。

1500円でした。

その時、売り場の人が「大分、リューズにゴミが溜まっているかもしれません。今度、止まったら、一度分解して掃除したりして調べた方がいいかもしれませんね」と言うのです。そして「1万5000円くらいかかります」と付け加えました。

ちょっと、待ってください。その時計は、確か、1万円だったのです。大阪に住んでいた1989年頃に、量販店の「ジャパン」という、社長か誰かの太ったおっさんをアップにした顔が看板になっているお店で買ったのです。

「1万円の時計を1万5千円で修理するわけにはいかないなあ」と考える暇もなく、翌日、見事に、その時計はまた止まっていました。電池を換えても止まるということは、17年も使ったので、もう寿命なのかもしれません。

でも、翌日にはイタリアに出発しなければなりません。そんな時、偶然、昨年亡くなった父親の形見の腕時計があったのです。高価ではない、というより、はっきり言って安価なものですが、私にとっては思い入れのある時計です。

この時計をはめて、イタリア旅行を敢行したのです。

ところで、物欲のなくなったT君は、外国に行くというのに、時計さえしてこなかったのです。既に質に入れたのか、最初から持っていなかったのか、聞きそびれました。

そういえば、彼は用もないのに、「今、何時ですか」とイタリア語で声をかけて、イタリア人と会話の練習をしていました。

「物なんて、何もなければ、それで何とかやっていけるものだよ」という自分の言葉を実行しているようでした。

 

ローマで見たもの

フォロロマーノ ローマ帝国の議事堂や元老院などがあった

シャッターを押したら苦笑いしていたお嬢さん

街角に立つ銅像に扮した人

中学生かなあ?変な外国人が後ろから撮りました

トレヴィの泉のおじさん 頑張っています

親子かなあ?何か映画の一シーンみたい

最新ファッションに身を包んで

バッグが様になっています

本場のカンツォーネを聴きました

カフェ「グレコ」で 何処の国の観光客も同じです

ローマの地下鉄 スリが多いと聞いて緊張しました

永遠の都市ローマで迷子になる

コロッセオ

先週も、ローマ地下鉄で列車衝突事故があったり、トルコでバス事故があって、日本人観光客に死傷者が出たりしました。ローマでは、まさしくその地下鉄に乗って来ましたし、旅行もほとんど大渋滞の中のバスだったので、自分もよく無事に帰ってこれたものだと、思っています。

フォロロマーノ

旅行中に何もなかったかといえば、そうでもなく、最大の「事件」は、迷子事件でした。

現地最終日の8日(日)、午前中、4時間ほどの自由時間をもらえました。オプションツアー(6500円)もあったのですが、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会にあるカラヴァッジョの「聖マタイの殉教」をどうしても見たかったので、「自由」を選んだのでした。

コインを投げるスペースもなかったトレヴィの泉

フランチェージ教会を出た後、近くのパンテオンやサンタ・マリア・ソプラノ教会に行き、まだまだ時間があるので、ナヴォナ広場の方に足を伸ばそうと、T君と二人でとぼとぼと石畳を歩いていました。

ティトゥス帝の凱旋門

いつのまにか、狭い路地に入っており、ここがどこか分からず、私は手持ちの地図を一生懸命に眺めていました。

運動速度が極端に反比例しているT君ですから、私より、彼は後方200メートルくらいを歩いていました。

3分ほど、地図を見つめていたと思います。すると、T君の姿がまるっきり見えなくなってしまったのです。

焦りましたね。

スペイン広場は人だかり

私は元来た道を戻り、戸口で大道芸人のような化粧をして現代舞踊のようなものをしていた若い奇妙な女性がいたので「日本人は見なかったか」と聞いてみました。

彼女の答えは「あっちへ行け」でした。

物乞いの話を熱心に聞くT君

焦ってしまいました。

狭い同じ路地を何往復したか覚えていません。

そのうち、私自身も疲れ、トイレに行きたくなってしまいました。

テーブルクロスに「鮮」とか「美」とか、意味を度外視して単なるアートデザインにしているバル(Bar=日本の喫茶店とフランスのカフェとイギリスのパプを合わせたような店)があったので、そこに入ることにしました。

パンテオンの前にいたローマ兵

昨日は、スペイン広場の近くで、「グッチ」やら「プラダ」やらの高級ブランド店通りにある「グレコ」というカフェに入りました。

1760年創業とかで、カサノヴァや詩人のキーツやシェリーが通った店としても知られています。

(そういえば、ローマの「三越」は1630年創業とプレートが掲げられていました。江戸時代の「越後屋呉服店」の創業でしょうが、数千年の歴史のあるローマでは新しく感じました)

そこのカプチーノが7ユーロ(1050円)、エスプレッソが6ユーロ(900円)でした。私はエスプレッソを頼んだのですが、量がほんの数滴で、一息で飲んでしまいました。

カラヴァッジョ「聖マタイの殉教」

ですから、ここのバルの珈琲も、5ユーロ(750円)くらいするかなあ、と思ったところ、店の若いお嬢さんは「ナインティ」というではありませんか。一瞬、90ユーロ(13、500円)では高すぎるので、19ユーロ(2850円)かなあ、と思いました。

それでも高い。聞き返すと、彼女は「90」と言った後「セント」と続けたのです。

 

アンティコ・カフェ・グレコ

わずか90セント、135円だったのです!

要するに赤坂プリンスホテルと、「プロント」「ヴェローチェ」の違いです。

地元のローマっ子は、こういうバルに行くのでしょうね。

何かが起きたわけではなく、単なる観光客の群集

そういえば、いわゆる観光スポットを避けて、裏道に行けば、人通りもそれほど多くはなく、手ごろな店に出会うことができることがわかりました。ツアーで連れて行かれたショップで、チーズやパスタを買ってしまったのですが、ローマの庶民が買うスーパーでは、我々が買った値段の十分の一くらいで売っていました。

それを最終日になって知ったのが本当に悔しいです。

あと1ヶ月、いや、少なくとも一週間はローマに滞在したかったです。

トレヴィの泉

それで、T君はどうなったのか、という話です。

普通の人なら、別に放っておいても構いません。イタリアでは、人が横断歩道を歩いていても速度を緩めずに車に突っ込んでこられる経験を私は何度もしました。T君は、まさか、交通事故に遭うのではないか、と心配でしょうがなくなりました。

しかし、午後1時のテルミナ駅での集合時間が刻々と近づいてきました。

イタリアでは、タクシーは日本のように道路を流していないので、簡単につかまりません。どこか観光スポットに行かなければなりません。

そのうち、自分自身が迷子になっているのに気がつきました。

二重に焦ってしまいました。

パンテオン

他の団体客に迷惑をかけるわけには行きません。緊急時ために添乗員の村山さんが、携帯の電話番号を皆に配っていたので、彼も持っているはずです。大の大人ですから、どうにかなるでしょう。

それより、自分が迷子になってしまい、大丈夫だろうか?

結果を申しますと、私は、スペイン広場から地下鉄に乗って、テルミナ駅まで、集合時間通りに何とか着くことができました。

T君は何と、バスに乗って帰ってきたのです。彼はヨーロッパは初めてです。1ヶ月前にイタリア語を勉強し始めて、何とか簡単な言葉を話せるようになりましたが、相手から返ってくる言葉を完璧に理解するまでに至っていませんでした。

よく、バスに乗って帰って来れたなあ。

不思議に思いましたが、素直に安堵しました。

でも、これには後日談があるのです。我々が帰国した後です。

彼は「不法滞在でもいいから、どこかに行きたかった」と告白したのです。

なあんだ。あれほど探したのに、どうしても見つけることができなかった。

ということは、彼の方から雲隠れしていたのです。

ついにローマに潜入 

ヴァチカン博物館

10月6日(金)の夜にローマに入りました。シェラトンホテルで、一泊4万5千円とか(290ユーロ)。たぶん現地在留の日本人ガイドさんが大袈裟に言っていると思われます。でも、イタリア旅行で一番いいホテルでした。ローマは二度目で、それほど期待していなかったのですが、やはり、ローマはどの地方都市と比べても最高でした。質量とも。残念ながら、フィレンツェもヴェネツィアもナポリもローマ皇帝の首都にはかないませんでした。

ラファエロ「アテネの学堂」

二度目と言っても、実に27年ぶりですから、随分印象も変わりました。

何と言っても人の多さには驚きました。以前は博物館に並んで入った記憶がありません。どこも予約なしてすんなり入れたような気がします。(ねえ、今村くん?)

すごい群集

翌日7日に、ヴァチカン博物館に行きましたが、早朝並んでいる時に急に具合が悪くなってしまいました。暴飲暴食と旅の疲れが出たのかもしれません。午前8時半開館で、8時過ぎからゾロゾロと並び始め、入場できたのは9時半過ぎでしたから、1時間半並びました。途中で、眩暈や吐き気がして、具合が悪くて「帰ろうか」と思ったくらいでした。入場してトイレに行ったら、何とか体調を取り戻すことができましたが。

ミケランジェロ「ピエタ」(サン・ピエトロ大聖堂)

システィーナ礼拝堂は「撮影厳禁」でした。礼拝堂は、まるで体育館みたいな感じで、足の踏み場もないほど人でごった返していました。でも、ミケランジェロの「最後の審判」は圧巻でした。飽きるほど見つめました。

博物館を出てから、すぐ隣のサン・ピエトロ大聖堂に入りました。ここでも人でいっぱい。迷子になりそうでした。ここは撮影OKでしたから、ミケランジェロの有名な「ピエタ」を撮ることができました。

サン・ピエトロ大聖堂

サンピエトロ広場

 

『薬指の標本』

渋谷のユーロスペースで上映中の「薬指の標本」http://www.kusuriyubi-movie.com/index.htmlを見てきました。芥川賞作家の小川洋子の原作をフランス人の監督ディアーヌ・ベルトランが映画化したということで、是が非でも見なければならないという気がして、本当は「子供の街、渋谷」にはあまり行きたくなかったのですが、暇な合間を縫って出かけてきました。

それにしても最近の小川洋子の活躍は目覚しいですね。読売文学賞を受賞した「博士の異常な数式」が映画化、舞台化されて話題になり、「ミーナの行進」が今年の谷崎賞を受賞。目下、日本人作家として諸外国語に翻訳されるのは村上春樹に次いで多いらしく、米週刊誌「ニューヨーカー」に翻訳が載った日本人作家としても、大江健三郎、村上春樹に続いて三人目というのですから、もう世界的作家の仲間入りです。

そんな彼女の作品をフランス人が映画化するということで興味が沸かないわけにはいきません。

で、見た感想はどうだったかと言いますと、フランス語で bizarre  という単語がありますが、それに近いです。「奇妙な」という意味です。

主人公のイリスを演じるオルガ・キュリレンコはウクライナ人のモデルで、これが女優としてデビュー作だそうです。辺見エミリと伊東美咲を足して2で割ったような可憐な女優です。確かに原作に忠実に映像化されたのでしょうが、彼女の魅力を表現したいがために映画化したのではないかと勘ぐりたくなるくらい彼女の官能的な肢体がスクリーンに乱舞されます。そして、標本技術士役のマルク・バルベの変態性愛者スレスレのミステリアスな雰囲気は、見ている者を催眠術にでもかかったような気にさせます。

ストーリーは、まずはありえないような話です。どこかの港町(ハンブルグで撮影されたようです)が舞台で、安ホテルに船員と部屋を時間差で共有したり、わざわざ離れ小島のような所にあるラボに船で通勤したり(なんで主人公は近くにアパートでも借りないのでしょう?)…まあ、内容については、これから映画を見る人のために内緒にしておきます。

ただ、最後の終わり方が、「わけの分からない」ヨーロッパ映画らしく、「すべて、あとは鑑賞者の想像力におまかせします」といった感じで、それが、さっき言ったbizarre という言葉に集約されるのです。そこが、ストーリーがはっきりしているハリウッド映画との違いです。

そのせいか、わずか144人しか収容できないミニシアターで上映されているのでしょう。平日の昼間だったせいか、お客さんも10数人しかいませんでした。

でも、こういう映画って、「あれは何を言いたかったのだろう?」と引っかかって、あとあと残るんですよね。最後に付け足すと、この映画の不可解な不条理な世界にマッチしたベス・ギボンスの音楽が素晴らしかった、ということです。

 

ポンペイ写真館

神殿か行政府?

壁画 雨ざらし状態でよく残っているものです

 T君  ガイドさんが「広いから、ちゃんと付いて来なければ迷って化石になってしまいますよ」と冗談を言っていたので、「彼はもう化石になっています」と返しておきました

腹にベルトを巻いているので奴隷と言われています イオウガスか何かの影響で苦しみながら息絶えているようです

ポンペイの道路 手前が水が溜まった時に横断する歩行者用の飛び石 馬車の轍も見えました

居酒屋「金時」

クロネコヤマトの宅急便

神殿?

ナポリ出身の日本語堪能ガイドさんとパン屋さんの竃

天候に恵まれました

すべての道はローマに通じる

水やワインを入れたと思われる甕

結構、高台にあるのです

ポンペイ遺跡で放し飼いになっている野良犬 非常に賢くてもって帰りたいほどでした

再訪したいナポリ、ポンペイ

ナポリのストライキ

ナポリ湾

フィレンツェからユーロスターに乗って、ナポリhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AAに行きました。500キロ、約3時間30分の列車の旅です。

窓外には、イタリアらしい田園、ブドウ畑、牧舎などが見えました。でも、北海道の景色の方が雄大で素晴らしい、というのが正直な感想です。

カプリ島

夜ナポリに着いて、驚きました。新聞記者と市バスのストライキとかで、道路はカオス状態です。あんな車の渋滞は、東京にもないくらいです。4車線のところを6台くらいの車が、押し合いへし合いしているのです。よく交通事故にならないものかと思いました。人口100万人で、超過密状態は社会問題になっているそうです。

ナポリはピザの発祥地。アラブ圏のパンの一種ピタがナポリに伝わり、ピッツァになったそうです。

しかし、スパゲティのナポリタンは、どうやらまるっきり関係ないようです。日本にも留学したこともあるナポリ出身のガイドさんが「何で、ケチャップなんか使うのよ。生トマト使うなら分かるけど。絶対に、ナポリではケチャップは使わない」と断言していました。

青の洞窟

10月6日(金)に、ジェット船でカプリ島に行きました。『青の洞窟』を見るのが主目的でした。晴天で夏のような暑さでしたが、高潮の影響で、結局、青の洞窟は見ることができませんでした。ご覧のように、本当に小さな洞窟で、小さなボーとに乗り換えて、仰向けにならないと入れない狭い所ですが、洞窟の中は案外広いようです。

良心的な旅行会社は、青の洞窟を見ることが出来なかったので、1000円返却してくれました。

カプリ島でも、またケーブルカーのストライキをやっていました。

おかげで、行き場を失った観光客が、そこかしこに溢れていました。

また、カプリ島は、高級リゾートとして知られ、芸能人の別荘もあるそうです。

イタリア人は格好いい

ジェット船でナポリに戻り、バスでポンペイhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4にまで行きました。約1時間。

ポンペイ

紀元79年8月24日午後1時、ヴェスヴィオ火山が噴火して、火山灰の下に埋もれた古代遺跡です。

そのまま、忘れ去られていましたが、1748年に再発見され、250年以上経った今でも発掘作業が続けられている、というからすごいです。

とにかく広大です。当時2万3千人くらい住んでいたそうですからね。

驚くべきことは、日本ではまだ弥生時代で、やじりで動物を追いかけていた頃、パン屋さんがあり、ワイン醸造所があり、円形闘技場あり、大浴場あり、かなりの高度の文明を享受していことです。映画「ベンハー」に出てくるような馬車に乗っていたようで、道路が綺麗に完備されていました。馬車の轍さえ残っているのです。大雨になった時、道路は川になってしまうので、川を渡れるように飛び石が備わっていたりしていました。

ポンペイの壁画で有名なアレクサンダー大王とペルシャのダリウス3世の「イッソスの戦い」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%8E%8Bを見たかったのですが、ナポリの考古学歴史博物館にあるらしく、そこは、ツアーの日程に組み込まれていなかったので、見られませんでした。残念。再訪したくなりました。

北品川の「金時」

この写真のどこかに筆者がいます

昨晩は、後藤先生のお導きで北品川の「金時」という創業70年という老舗居酒屋で痛飲しました。

酩酊してしまい、年のせいか、会合で何を食べたのか、何を話したのか、さっぱり覚えていません。とにかく、ビールと焼酎をガバガバと飲み、気がついたら二日酔いで目が醒めたといった有様です。

参加したのは、テレビ東京建物の浦本さん、辰巳出版の大西さん、東京新聞の大石さん、東商の清水さん、日経BP社の大豆生田さん、共同通信の村上さん、東京スポーツの佐藤さん、電通の大沼さん、東洋経済の福井さん、新聞協会の吉澤さん、週刊新潮の安河内さん、それに私と後藤さんの実に13人も集まりました。

これだけいると、席が離れていてほとんど話をする機会がなかった人ばかりでしたが、何となく阿吽の呼吸で、皆言いたい放題で、私なんか話した内容を全く覚えていないくらいですから。

この店は、後藤さんが、BS-iの番組「吉田類の酒場放浪記」を見て、思い立って決めたそうです。ちょっと、都心から離れ、京浜急行「北品川」駅から歩いても、道がくねくねして分かりにくいのですが、随分、人が集まったものです。誰かが「後藤さんの人徳だね」と話していました。

この店の女将、長谷川いつ子さんがなかなかのやり手で、普通のネクタイを、さっと蝶ネクタイに結び変えてしまう早業を披露して、皆をあっと言わせていました。浅草出身で、北品川には「都落ちしてきました」なんて言ってました。

品川は、言わずと知れた宿場町ですから、昔は大いに繁盛したのでしょう。「金時」の前の狭い道路が、旧東海道だったらしく、どこかに弥次さん喜多さんが出てきそうな雰囲気。この辺りは遊郭で、置屋もあったとか。古い街並みも残っており、昼間に散策するのもいい所かもしれません。

何を食べたか思い出しました。お刺身と枝豆とこの店の名物の「肉豆腐」でした。これは美味でした。締めて5千円。

メディチ家のこと

イタリア旅行から帰国してちょうど一週間経つのに、まだ、時差ボケです。翌日からすぐ仕事で、日曜日は、試験だったせいかもしれません。

老人力がついたおかげです。

4日目の10月5日はフィレンツェに行きました。

ウフィッツィ美術館で、長年の夢だったボティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」を見ることができました。写真を撮ることができなかったのが残念です。

ガイドさんの説明によると、この有名な2枚の絵は、メディチ家のある新婚夫婦の寝室に飾られていたそうです。

メディチ家に関しては、ルネッサンスのパトロンとして歴史に名前を残したことぐらいしか知りませんでしたが、現地に行って色々と勉強になりました。

ミケランジェロ広場

まず、メディチ家は金融業で莫大な財産を築いて、トスカーナ大公にまで上り詰めた家柄ですが、元々は、小さな薬局を営んでいたそうです。このメディチが語源になって、医学のメディスンになったそうなのです。

ダヴィデ像

このメディチ家は、「王族」を生んだだけでなく、17世紀から18世紀にかけて、二人もローマ教皇(クレメンス7世とレオ10世)を輩出しているのです。

また、フランスの王后にも2人、政略結婚で、嫁ぎ、アンリ2世の王妃になったカトリーヌは特に、メディチ家の料理をフランスに伝え、これが基になって、現在のフランス料理に発展したそうなのです。

ドゥオモ

ナイフとフォークをフランスに伝えたのも、メディチ家の料理人だったそうです。

これは、知りませんでしたね。

フランス料理も「世界の三大料理」と威張っていても、元を糺せば、メディチ家の料理だったわけなんですね。