沈みゆくヴェネツィア

ゴンドラ

沈みゆく広場

颯爽としたヴェネツィアっ子

観光客の群集

ヴェネツィアのサンマルコ寺院広場に着くと、「アクア・マルタ」といって、高潮が押し寄せて、広場が水浸しでした。

15~17世紀に栄華を誇ったこの水の都も、現代では、観光以外にこれといった産業もなく、堪りかねた市当局が20年ほど前に、石油コンビナートなどの工場を誘致した結果、地下水の汲み上げによる地盤沈下が起きしてしまったそうです。

まさに、沈みゆくヴェネツィアです。

鳩も多かった…

人口と同じ6万人の観光客が毎日押し寄せるそうで、人間の重みで、なおまた、地盤沈下が進むのではないかと心配しています。ヴェネツィアの中心街から、お金持ちはとっくに郊外に逃げており、中心部にいるヴェネツィアっ子は、観光客相手の関係者ぐらいといった有様です。

ここで、有名なベネチアングラスの工房を見学しました。

若いイタリア人が、「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」と、日本語で盛んに売り込んでいるのです。

「落としても割れない」と言って、デモンストレーションをしていましたが、ワイングラスのセットが何と2000ユーロもするのです。催眠術にかかった日本人観光客は買っていましたが。

女優さんみたい!

ヴェネツィア刺繍の店見学もコースに入っていました。

すべて「手作り」なので、30センチ×30センチの大きさでも三カ月は悠にかかり、値段も40万円と目の玉が飛び出るほどでした。

ヴェネツィアングラス工房

ところで、イタリアの最高級ワインをご存知ですか?

ブルネッロ・ディ・モンタリチーノという銘柄で、ヴェネツィア・サミットでも各国首脳に出されたそうです。

日本のレストランで飲むと1万5千円は取られるそうです。

それを私は、現地で半額以下で購入することに成功しました。

ヴェネツィアの夜に飲んだキャンティ・クラシコも美味しかったです。

自分のために他人を利用しない生き方

ヴェニス

T君と私は30年来の友人である。「俺」「おまえ」の仲で、お互いに包み隠し事をすることなく、遠慮することなく、つかず離れず付き合ってきた、という感じでした。

今回の旅行で、彼とは、色々と事務的なことを含めて、色々とやり取りしなければなりませんでした。

ヴェニス

互いに遠く離れていて、仕事の関係もあって、メールでのやり取りが一番楽でした。

しかし、彼は私のメールにあまり返事をくれませんでした。3回出して、やっと、1回返事が来る感じでした。あまり来ないので、同じメールを続けて3回送ったこともありました。それなのに、彼から来る返事は「はい」といったひと言二言しかありません。「随分、薄情なやつだなあ」と思ったものでした。

ヴェニス

それが、彼に会って、そういう風に思った自分が随分倣岸だったと言うことが分かったのです。

先にも書きましたが、彼と再会した時、そのあまりにもの変わりように、息が止まるほどでした。実際、動作が、本人の意思に反して、遅延状態を呈していました。

「はい」とたった2文字をメールで打つのに、どんなに時間がかかっていたことでしょう。

自らの傲慢さに、恥じ入りたくなりました。

サンマルコ寺院広場

とはいえ、彼は別にふさぎこんでいたわけではありません。旅行中、随分、快活で「こんなに笑ったのは何年ぶりかなあ」と上機嫌でした。

また、バスの中で自由席でしたが、「俺が座った所が『特等席』」などと言って、得意がっていました。

これは、名言だと思います。

素晴らしい人生訓でありませんか。

サンマルコ寺院広場

時に、彼は非常に真面目な面持ちでこんなことを言うのです。

「柄谷行人が、カントの『純粋理性批判』を引用して言ってたけど、『自分のために人を利用しない生き方』を提唱していいた。でも、やつらは口先だけ。言っているだけ。実際、何もやっていないんだよ。口だけ、カントも柄谷行人も。だから、俺は決めたんだよ。親兄弟だろうが、連れ合いだろうが、親友だろうが、自分のために、利用しない生き方をしてみせよう、とね」

【自分のために、他人を利用しない生き方】

旅行中、私はこの命題にずっと悩まされることになるのです。

 

物欲のない修行僧

ヴェニス

そんなT君の様子を見て、さりげなく、目立たないように、援助の手を差し伸べてくれたのが、添乗員の村山さんでした。

ミラノ、ヴェニス、フィレンツェ、ナポリ、ポンペイ、ローマと廻りましたが、現地ガイドがいる時は、自ら、一番後ろに回って、我々が迷子にならないように見張ってくれたり、我々だけに特別にエレベーターに乗せてくれたり、はたまた、長い距離では、タクシーまで用意してくれたのです。

感謝しても感謝しきれません。

ミラノ・スカラ座

ところで、団体のツアーは本当に格安です。しかし、その裏にはカラクリがあります。

休憩所として、土産物店と提携して、団体客に物を買わせるシステムになっているのです。別に買わなくてもいいのですが、団体客は皆、私も含めて、催眠術にかかったように、何らかのものを、不必要でも買ってしまうのです。

このシステムを考えた人は本当に天才だと思います。

欧州では特に、トイレに行くのにもお金が掛かります。気軽に入っていけないのです。駅でも公衆トイレでも大体、50セント(75円)ぐらい入口で取られます。そういう慣例(ローマ帝国時代の発明だそうです)を逆手にとって、「トイレ休憩」の時間を土産物店訪問(実際、ここでは無料でトイレが借りられます)に当てる旅程を旅行代理店が組んでいるのです。このシステムには、本当に感心してしまいました。

私なんか、騙されて、色々と買ってしまいましたが、T君は、一切、モノを買わなかったのです。T君とは、30年の付き合いです。少しは、想像できたのですが、これほどまで禁欲的になれるとは思いませんでした。

そもそも、今回のイタリア旅行に私が彼を誘ったのは、彼が「もう、僕には夢も希望もないんだよ」とメールで伝えてきたからでした。「それじゃあ、死ぬ前にナポリでも見ようか」と思ったわけです。

しかし、これほどまで、物欲がなくなったとは想像もつきませんでした。修行僧という言い方は大袈裟ではなかったのです。

私は、毎日、水(1ユーロから2ユーロ)を買ったり、食事の際、ビールやワイン(5ユーロから10ユーロ)を注文しましたが、彼は、ほとんど注文しませんでした。もちろん、土産物屋に入っても、何も買わずに出てきました。

 

ミラノ・レオナルド・ダ・ヴィンチ像

彼がお金を使ったのは、物乞いの人に幾ばくかの小銭を渡したぐらいでした。

それは、こちらがイライラするくらい時間をかけてじっくり彼らと話し込んで、お金を渡していました。

「別に彼らが、物乞いのフリをして、家に帰れば豪邸に住んでいても構わないんだよ」と彼は言いました。

「それより、彼らの目だよ。物乞いで訴える乳飲み子を抱えた若い母親と、僕らと全く同じ目をしているんだよ。それが嘘でも別に構わないんだよ」

T君については、まだまだ書きたいことがあるので、続きはまた明日。

 

T君のこと

今回の旅行の最大の目的は、T君との旧交を温めることでした。

T君は、昨春、大病を患って、生死の境を彷徨いました。一命を取り留めたものの、以前とは少し、不可逆級数的に運動能力が下降してしまいました。

行政用語で言うと、継続的に日常、社会生活で相当な制限を受ける状態になってしまったのです。

T君は、このブログを読んでいますが、「好きに書けばいいじゃないか」と言ってくれたので、彼のことを抜きにしてこの旅行が語れないので、書いています。

正直に書くと、日暮里駅のスカイライナーで待ち合わせた時、あまりにもの変わりように驚いてしまいました。

体重が43キロだということですから、以前よりも20キロも痩せていたわけです。あまり食事をせず、3日間断食したことがある、というのです。頭もまるめ、まるで修行僧のようでした。

普通の人の歩く速さの3分の1ぐらいなので、団体には遅れ気味で、ついていけません。

私は、少し後悔してしまいました。

最終日の10月8日、ローマで自由時間があり、彼と二人で行動しましたが、何と、混雑にまぎれて、はぐれてしまったのです。あの時は本当に焦りました。

 

 

 

イタリア人は意外と質素

ミラノ

ラテン系のイタリア人は仕事より遊び好きで、フェラーリに乗り、グッチ、プラダ、アルマーニと世界に誇る自国のブランドを身に付けて人生を謳歌している印象が強かったのですが、実際、行ってみると、彼らの生活事態は意外に質素だということが分かりました。(ホームステイしたわけではありませんが)

最近、イタリアで「1000ユーロ世代」という本がベストセラーになったらしく、この本は、30代の平均月収が1000ユーロといったことが書かれているらしいのです。1ユーロは目下、150円なので、月収15万円ということになります。これは、日本人の平均月収の半分以下なのです。それなのに、ガソリンが1リットル1ユーロ数十セント、約180円もします。イタリアは日本のように鉄道や地下鉄が発達しているわけではないので、車は必需品です。日本では、だいたい1リットル140円くらいですから、かなり生活も厳しさを伴うわけです。

そういえば、今回の旅行では、やたらとデモとストが多かったのですが、労働者の権利として、イタリア国内では毎月のように行われているそうです。デモやストをやってガス抜きしなければ、やってられない、ということでしょうか。

要するに、グッチだのフェラガモだのトラサルディーなど、高級ブランド品を買えるのは、米国や日本などの金持ちということになのです。

サンタマリア・デレ・グラッツェ教会

それにしても、日本人はイタリア好きです。全国各都市と姉妹都市を締結しています。

ミラノ

首都ローマは東京と、ファッションの街ミラノは大阪と、ナポリは鹿児島市と締結しています。

ミラノでは、青と赤のレジメンタルのネクタイを買いました。18ユーロ(2700円)でした。安物です。

ウインドーショッピングしたところ、イタリアでもアルマーニのネクタイは74ユーロ(1万1100円)もしてましたから。

 

 

 

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

10月2日にパリ経由で最初の滞在先ミラノに入りました。イタリアは指折り数えると、三度目なのですが、実に20数年ぶりです。全体を通して、観光客の多さには本当に驚きました。20数年前は、美術館にしろ、教会にしろ、並んだ記憶がほとんどないのですが、今では、並ぶどころか、予約を取らなければ入場できないということですから本当に驚きです。

しかも、予約を取っても、必ず入れるとも限りません。イタリア名物のストライキがあるからです。とにかく、観光地はどこに行っても人、人、人で、さながら、ラッシュアワーの新宿駅か、日曜日の原宿竹下通りといった感じでした。大袈裟ではなくて、どこに行っても観光地は芋を洗うような群集でした。観光客は白人か、日本人が一番多かったです。

昔はこれほどまでに、人は押し寄せませんでした。20数年前はまだまだ、海外旅行は高嶺の花で、日本人でも行かれる人も数が限られたせいかもしれません。今は猫も杓子も、時間さえあれば行けますからね。それに、日本から欧州まで、昔は北廻りでも20時間くらいかかったと思いますが、今では11時間か12時間で行けてしまうのです。これでは、増えるはずです。本当に足の踏み場もないくらい、何処も彼処も観光地は人、人、人で混んでいました。10月の平日だというのにです。

ミラノの最大の目的は、サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でした。当日(10月3日)は、運悪く国立博物館の職員のストで、当初、見ることができないと言われたのですが、裏口から、そっと入って、5分間だけ、見させてもらいました。

昔と違って、写真撮影は厳禁です。昔は、欧州のヨーロッパの美術館は、どこに行っても簡単に作品を写真撮影できたのですが、そんな鷹揚な美術館はほとんどなくなってしまいました。

ということで、今回は、室内の美術作品はほとんどありません。

その代わり、ご覧のような美しい女性をアップすることができました。

すごい美人さんですよね。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前にいた女性です。望遠で撮っています。載せたら怒られちゃうかなあ?

肝心の「最後の晩餐」にはやはり感動しました。22年ぶりの再会でした。今回は、あのダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで、映画を見た後だったので、さすがに感慨深いものがありましたね。

この教会の近くに、旅行代理店と契約している土産物店がありました。そこのおっさんが、変な日本語で盛んに売り込みをしていました。

ココダァケ、ヤスーイー、シンジラレナァイ、テヅクリ、ワタシ、ツクッタ

ワタシ、ニホンゴ、ベンキョーシテマァス、キョーカショ、ワタシ、ノッタ、

エハガキ、イチマイ、20セント、シンジラレナアーイ

こんな調子でした。

話は前後しますが、今回のイタリア旅行はH社の団体ツアーにもぐりこみました。15組30人のツアーです。このうち、4組が新婚カップル、6組が定年退職前後の熟年夫婦、残りの5組が素敵なおばちゃまか、私たちのような訳の分からない怪しげな野郎2人組。

それにしても添乗員の村山奈保さんが、とても優秀で素晴らしかった。イタリア語(スペイン語も)が堪能で、とても気配りのできる人で、彼女のおかげで、大変困難な旅行もスムーズに運ぶができました。後から説明しますが、苦難を乗り越えられたのも彼女のおかげといっても過言ではなかったです。

(つづく)

 

 

ナポリを見たら死ぬな

一週間ばかし、イタリア旅行に出かけて、日本を留守にしていました。

当然、ブログは更新できませんでした。序でながら、新聞もテレビもほとんど目にしていなかったので、浦島太郎状態です。世の中の動きを知らずに済むなんて、こんなことは本当に久しぶりです。すごい快感です。

大変なことがあったらしいですけどね…。

私のブログの熱心な読者から「どうなってしまったのですか?」というメールを戴きました。ご心配をお掛けし大変失礼申し上げました。

一週間とはいえ、昨年、ブログを始めて、こんなに長い間隔で更新しなかったのは初めてです。実は、皆さんに何も言わなかったのは、突然、更新を止めたら、どれくらい読者のアクセスが減るかなあ、と確かめたかった面もあります。(実はあまり変化ありませんでした。おかしいですね)

イタリアに行ったのは、職場でも家庭でも人生に行き詰っていたからです。でも、帰国して色んな経験をして、結局、そういう風に自分が勝手に決め付けていたということが分かりました。

「ナポリを見て死ね」という格言を信じて、イタリアを選んだのでした。死ぬ前に一度じっくり見てみようと…。

でも、行ってみて確信をもって言えます。「ナポリを見たら死ぬな!」

この一週間、只管、建物と人間だけを撮り続けてきました。見たい人はご覧ください。

それでは、今晩は帰国早々疲れたので寝ます。

L’ automne deja

L’automne deja!- Mais pourquoi regretter un eternel soleil, si nous sommes engages a la decouverte de la clarte divine,- loin des gens qui meurent sur les saison.  – Arthur Rimbaud

素朴な疑問です。

ルネッサンスの三大巨匠といえば、ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロです。そう、世界史に名前を残しています。でも、ミケランジェロとラファエロは苗字でなくて名前なんですよね。正確には、

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

ミケランジェロ・ブオナローテ(1475-1564)

ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)

です。ブオナローテやサンツィオでは誰のことか分かりませんよね。ボッティチェリでさえ苗字で、名前はサンドロ・ボッティチェリ(1444-1510)です。

(パブロ)ピカソでも、(クロード)モネでも、(ポール)セザンヌでも、(オーギュスト)ルノワールでも、苗字ですよね。

そういえば、「夜警」で知られるレンブラントがいました。確か名前だったはずです。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-1669)がその正確な名前です。ファン・レインでは誰のことか分かりません。

本人がそういい残したのでしょうか?よく分かりません。

立花隆氏講演会

今日は、東京・池袋の立教大学で行われた立花隆氏http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86の講演会に行ってきました。1ヶ月ほど前に応募したら当選したからです。この手のものは良く当たります。

タイトルは「日本はどこへ向かうのか~大学と大学教育の未来~」というもので、会場のタッカーホールには1200人ぐらいの人が集まったのではないでしょうか。

講演は大学から招聘されたせいか、3分の1くらいは立教大学の宣伝みたいな話でしたが、さすが、立花さんらしい薀蓄のある話でした。

立教大学は、キリスト教の聖公会の大学です。そのカトリックとプロテスタントをプラスしたような聖公会の伝統の影響から、大学教育には、一つの立場だけを絶対視せず、対立する視点を合わせて飲み込む幅の広さを持つ、と立花さんは指摘していました。いい意味で「あいまいさ」で、大学出身OBを見ればそれが分かる。例えば、マスコミで目下活躍している徳光和夫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%85%89%E5%92%8C%E5%A4%AB それに、みのもんたhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9F 古舘伊知郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%88%98%E4%BC%8A%E7%9F%A5%E9%83%8E らは立教出身。彼らを見てみると、早稲田大学出身の田原総一郎、筑紫哲也、久米宏らと比べるとその違いに分かるでしょう。今の世界を悪くしているのは、原理主義です。テロを起こしているのも、正義を振りかざしているのも…。そういう意味で、自由とあいまいさを信奉する立教大学は素晴らしい、と持ち上げるわけです。

面白いことに、黒沢清、万田邦敏、青山真治、塩田明彦、周防正行といった今はときめく新進気鋭の映画監督は、全員立教大学出身で「立教ヌーベルバーグ」と呼ばれているそうです。彼らの共通点は、映画論の蓮見重彦教授の門下だったということです。

もちろん、安倍晋三さんに対する批判も忘れていません。安倍さんが尊敬崇拝する「お爺ちゃん」の岸信介http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8Bについて「安保世代」の立花さんが痛烈に批判するのです。立花さんは東大に1959年入学、ということですから、当然、「安保世代」そのもので、1960年安保騒動では、デモに出かけています。

立花さんは言います。5月19日を境に運動はまるっきり様変わる。5月19日までは、デモ隊は数千人から1万人規模だったが、19日以降は、連日連夜何十万人という人が「岸退陣」のデモを行う。安倍さんは、これまで出版した自著の中で祖父の業績ばかり褒め、安保騒動の時でも、自宅付近に来たデモ隊に対してたじろぎもしなかった、と書いておきながら、この5月19日のことをひと言も書いていない。!と立花さんは言うのです。

5月19日に何が起きたのか?子供だったので、よく覚えていない私などは、「樺美智子さんが殺された日かな」などと思ったのですが、その日は「岸がクーデター起こした日」だったというのです。

5月18日から19日にかけて、岸首相(当時)は、安保特別委員会の審議を打ち切って、議場の中に、警官500人と何と広域暴力団の松葉会http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%91%89%E4%BC%9Aの組員300人も入れて、反対派を排除して、わずか30分で議決したというのです。

「そんなことをやったのは、日本の歴史上、ほかに誰もいない」と立花さんは怒るのです。

「岸はやってはいけないことをやった。クーデターに近いことをやった。それで、5月19日を境に『民主主義を守れ』という運動に変わる。彼(安倍)は、安保反対者を馬鹿と力説しているが、この歴史的事実を全く認識していない」と言うのです。

当事者の発言なので、大変重みがありました。

中札内マッシャー物語

いつかこのブログでもご紹介した熱田千華子さんの遺作の書評が、24日の北海道新聞に載りました。

http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/

この記事を書いてくれたのは、北海道新聞記者の石橋崇さんです。毎年、5万点も6万点も新刊書が出る中、私が無理にお願いして頼んだら、快く引き受けてくれたのです。

彼は、今も道新の帯広支社で勤務しています。メールのやり取りをしているうちに、彼が今年の3月から4月にかけて連載した企画記事「中札内マッシャー物語」http://tokachi.hokkaido-np.co.jp/kikaku/inuni_miserarete_nakasatsunai/index.html

のことを知らせてもらいました。

今は、ネットで簡単に読めるので、便利な時代になりましたね。

読んでみると、なかなか面白かったです。思わず、感動で涙が出てしまったほどです。

犬ぞりレースの話ですが、国内では、競技人口がわずか200人ほどしかいません。

この物語の主人公、北嶋和美さん(北海道・中札内村教育委員会職員)は、国内でも珍しいトップクラスの女性マッシャー(乗り手)なのですが、周囲からのやっかみや嫉妬などのプレッシャーにめげずに、果敢にも国際的にもレベルが最も高い米国アラスカ州フェアバンクスの「リミテッド・ノースアメリカン・チャンピオンシップ」に挑戦するという話です。

皆さんも是非読んでください。