不幸の連鎖

三連休のど真ん中なのに昨日も今日も明日も仕事です。何でこうなってしまったのだろう?あいつさえいなかったら、などと思ったりしたものですから、不幸の連鎖を呼んでしまいました。今日はついていなかったです。

お昼に入った中華料理店『九龍』は「高い」「まずい」の典型でした。銀座の王子製紙本社近くにあるあの店です。最初に出てきた水のまずかったこと!こんな水で料理されたらまずいだろうなあ、と思ったらその通りでした。しかも、注文通りのものが来ませんでした。

帰りのJRのK線で人身事故があったらしく、大幅な遅延に巻き込まれてしまいました。K線では最近、人身事故が多発しています。
これも不幸の連鎖なのでしょうか?

Stiff shoulder

小樽

 

欧米人には肩こりがない、と噂で聞いたことがありましたが、それは根も葉もないウソでしょう。ちゃんと、肩こりにあたる英語がこのように存在するからです。

 

今朝、朝起きると、ついに腕があがらず、大袈裟に言うと、呼吸さえできないほどの右肩こりに襲われました。肩こりなんてもんじゃありませんね。肩激痛と言った方がいいでしょう。

 

とにかく、夕方、仕事がひけて、早速、新橋の整体院に飛び込みました。新橋の駅前の第一ビルの2階に、10軒くらい整体院が並んでいますよ。若いお姉ちゃんが客引きしている所もありましたが、これは危ない。私も簡単には擬餌針には引っかかりませんよ。結局、全くの当てずっぽうというか、一番安かったので、入ったのですが、そこは大当たりでした。治療してくれた人がとても懇切丁寧で、随分、体も軽くなりました。

 

その人によると、私の肩こりは、目からきている、とズバリと言い当てられてしまいました。要するに、パソコンのしすぎです。目のツボを押さえてもらうと、痛いのなんのって、「やっぱり、そうでしょう?」と自信満々でした。

 

年を取ると、病気の話が多くなってきますね。

 

失敬!

 

あ、忘れるところでした。治療してくれた人は小樽出身でした。「寒い所なので、帰るつもりはない」と言ってましたが…。

老舗おでん「やす幸」についに行きました

おでんの老舗、銀座「やす幸」に行ってきました。

ひょんなきっかけでした。今月の「月刊文藝春秋」の「同級生交歓」欄に、「信長の棺」の作家、加藤廣さんが書いておられ、「やす幸」のご主人・石原壽さんが旧制早稲田中学時代の同級生の一人として登場していました。

「やす幸」といえば、下々の者など、とても足を踏み込めない高級店です。後藤喜兵衛さんから、文春の記事のことで、メールで連絡を受け、私が「加藤さんを通して、安くしてもらえませんでしょうかね」と浅ましい、図々しいことを返信したところ、丁度、昨晩、加藤さんが同店2階でクラス会をやるということだったので、その隙に乗じて、乗り込んだわけです。

参加したのは、後藤さんと私と東京スポーツの佐藤祐二編集企画室長。佐藤さんには「ブログに書くんでしょ?」と言われてしまいましたが、やはり書いてしまいました(笑)。

噂に違わず、味も雰囲気も最高でしたね。客層もちょっとハイソな感じでした。15人くらい座れる広いカウンターと、四人掛けのテーブルが5脚ほど。奥に7、8人くらいが入れる小部屋、2階は行きませんでしたが、かなりの人が入れる宴会場があるようでした。ですから、板前さんがカウンターの中に10人ぐらいもいるのです。

おでん、といって馬鹿にしてはいけません。コンビニにあるぐらいですからね。

これが本物のおでんか、と唸らせるものがありました。関西風の透明の薄い味付けで、つみれは、くさみをとるため柚子が入っていました。がんもどきも口に入ると香ばしい食感が幸せ一杯に広がります。当然、ダイコンも上品このうえない味でした。今まで食べていたおでんは何だったのだろう、と思ってしまいました。

あとで聞くと、透明の薄い味付けは関東風で、関西では醤油の濃い色のスープなんだそうですね。ちょうど、うどんと逆です。関西では、うどんは薄い透明のスープなので、関東の真っ黒なうどんの汁を見てびっくりするわけです。

私もその昔、大阪に住んでいたので、よく「けつねうろん」(きつねうどん)を食べたものです。関東に戻って、立ち食いうどんを頼んだ時、そのどす黒い汁をみて、食べる気がしなくなってしまったことを思い出しました。

「やす幸」は昭和8年創業の老舗(銀座7-8-14)。お奨めですが、やはり、ちょっと、敷居が高いので、覚悟して行かれるといいと思います。我々の後日談は省略します。

「イエスの王朝」

 

ジェイムズ・D・テイバー著、伏見威蕃・黒川由美訳『イエスの王朝 一族の秘められた歴史』(ソフトバンク クリエイティブ)を読んでいます。まだ、途中ですが、本当に驚くべき「真実」ばかりで、久しぶりにラインを引きながら読んでいます。これまで、私が知り得ていた知識を遥かかなたにまで超えて、「コペルニクス的転回」と言ってもいいほど画期的なので、まさしく驚きの連続です。

 

まず、著者のテイバー氏は、ノース・カロライナ大学宗教学研究所所長で、キリスト教に関する研究の権威なので、同書もノンフィクションの歴史書として売り出している以上、信用するに値するということを前提にしなければなりません。

 

私はキリスト教徒ではありませんが、若い頃から「聖書」を少しずつ読み続けてきました。

 

特に「心の貧しい人は幸いである」「悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬を打ちなさい」「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」「明日のことまで思い悩むな…その日の苦労は、その日だけで十分である」といった「山上の説教」は、今でも私の規範に影響を受けています。

 

この本で、テイバー氏は、宗教家としてのイエスではなく、あくまでも歴史上に実際に生きた「人間イエス」を分析しています。実際、30歳までのイエスについては殆ど分かっていないのですが、テイバー氏は、東奔西走して30年間かけて、あらゆる資料を渉猟して、以下のような驚きべきことを明らかにしています。

 

●マリアは、ヨセフと結婚する前に、誰か他の男性と関係を持ってイエスを身篭った。つまり、マリアは未婚で私生児を身篭ったティーンエイジャーだった。(まるで、エリック・クラプトンのお母さんみたいですね)しかし、夫となったヨセフは、その子供を父親として認知した。(イエスの「処女降誕」を主張しているのは、マタイ・ルカ福音書のみで、新約聖書のほかの部分には全くない。マタイ・ルカの福音書はあくまでもイエスを神格化するために、「処女懐胎」の思想を生み出した)

 

●マリアが関係したイエスの父親は、ローマ軍の兵士だった。(ギリシャの思想家ケルススが178年頃書いた『真理の言葉』)。イエスの父親は、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラという名前で40年間、ローマ軍の兵士として務め、61歳でドイツで亡くなり、墓が1859年にドイツのビンガーブリュックで見つかっている)

 

●イエスには、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの腹違いの弟四人とマリア、サロメの腹違いの妹二人がいた。(マルコ福音書)みんなマリアの子であるが、イエスとは父親が異なるー父親はヨセフもしくはその兄弟のクロパと思われる。ユダヤの戒律により、夫が亡くなった時にその兄弟が跡継ぎとなることが決まっていた。クロパは正式な名前ではなく「呼び名」の可能性が高く、クロパはギリシャ語形で(聖書の中で)何度も登場するアルファイである。イエスの磔に立ち会い、埋葬に加わった女性三人は、①マグダラのマリア②イエスの母マリア③イエスの妹サロメである。

 

(ここで「腹違い」と書かれているが、原文か翻訳の間違いであろう。イエスも兄弟姉妹もすべて母親がマリアなら、イエスと「父親違い」が正しいだろう)

 

●マリアもヨセフも先祖を遡るとソロモンやダビデらイスラエルの王に辿ることができる。つまり、イエスも正統な王家として、王位継承を求めていたのではないか。(つまり、斟酌されるのは、イエスの行動は宗教家としてではなく、政治運動だったのではないか。そのために、反政府勢力として殺害されたのではないか。弟たちもこの「政治運動」に使徒として参加し)イエスとシモンが磔刑、ヤコブが石打ちの刑というふうに、五人のマリアの息子のうち三人がむごたらしい死を迎えた。(迎えた、ではなく遂げた、という訳の方がいいと思う)

 

「マルコによる福音書」では、12使徒は、①ペテロと名付けられたシモン②猟師ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)③ヤコブの兄弟ヨハネ④アンデレ⑤フィリポ⑥バルトロマイ⑦マタイ⑧トマス⑨アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)⑩タダイ⑪熱心党のシモン⑫イスカリオテのユダであることが書かれています。12使徒の12は必ずしも12人ではなく、イスラエルの部族の総称という説もありますが、イエスの異父弟のヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの四人が12使徒だとしたら、ヤコブは⑨のアルファイの子ヤコブ、⑩のタダイは、ヨセかユダの別名、シモンは⑪の熱心党のシモンのことでしょう。

 

(私がこれまで読んだ文献には、そこまで書かれていなかったのいつも隔靴掻痒の感がありました。①のペテロは「ペテロの否認」のペテロで、初代ローマ法王のペテロのことでしょう。⑫のユダはもちろん銀貨30枚でイエスを裏切ったユダのこと。「ユダによる福音書」が最近出版され、これまで違った解釈が生まれているので読まなければと思っています)

 

「イエスの王朝」には熱心党については、詳しく書かれていました。紀元6年以降、「ガリラヤのユダ」と呼ばれる過激分子が、統治者交代の隙に乗じて反乱を起こしたが、このユダが、熱心党(ゼロテ派)と呼ばれるユダヤ国粋主義者の一党を打ち立てた人物だそうです。

 

これらは、2000年も前の大昔の出来事で、現代人と関係ないと思ってはいけません。現代のパレスチナ問題もイスラエルによるレバノン侵攻も、2000年も3000年も前から続いている紛争の延長と見ると、よく分かるからです。

 

恐らく「イエスの王朝」は、宗教家からみれば、冒涜書になるかもしれませんが、私のような異教徒が歴史書として読むと、本当に、興奮してしまいます。聖書と新約時代の地図を参照しながら、ゆっくりゆっくり読んでいるので、読了は先のことでしょうが、また、折に触れて紹介したいと思います。

ブログ炎上

公開日時: 2006年9月13日 @ 02:31

某夕刊紙に「ブログ炎上って何だ」という記事がありました。

私もよく分からないので読んでみると、とんでもないことだったのですね。

有名人ばかり、狙われるものと思っていましたら、最近では「一般の人のブログでも『みんなが見ている』という認識が薄いと大変な目に遭います。些細な情報から個人が特定されて、ネット上でさらし者になったり、自宅や勤め先にまで被害が及ぶケースもあります。こうなると、もはやブログを閉鎖するしかありません」(メディア評論家・美崎薫氏)

ということだそうです。

ゾーとしますね。
匿名の影に隠れて鉄面皮でも被れば、何でもしてしまう卑劣漢が日本では多いということでしょう。こういうの好きくないですね。

でも、他人事ではありません。このブログもいつか炎上するかもしれませんね。

年金問題

 帯広

 

公開日時: 2006年9月12日 @ 10:06

ある年配の未亡人に話を聞く機会がありました。

 

彼女は、若い頃、3人の子供たちを大学に行かせたいという思いで、また、薄給の夫の家計を支えたいがために、保険の外交員の仕事を20年近く続けました。時には罵倒されたり、時には馬鹿にされたり、時には色目を使われたり、嫌なこともあったそうです。しかし、持ち前の我慢強さでその度に難局を切り抜けてきました。もちろん、その間、給料から厚生年金は天引きされていました。

 

そのおかげで、わずかながら、年金が出るようになりました。しかし、昨年、夫を亡くした途端、これまで、受給していた年金額が半額になったというのです。社会保険庁に問い合わせても「それがシステムだから」という一点張りで埒があきません。

何か、逆じゃないかと思いました。本来なら、夫が亡くなれば、2倍にしていいのではないのではないでしょうか。

全く不可解な話です。

またまた、どうしようもない、どこにもぶつけようもない怒りに駆られてしまいました。

孫は優しい

 

健康への第一歩は、健全な食生活と言われています。

 

普段、どういうものを食べたらいいのか、今、巷間で言われている標語をここに書いておきます。

 

「孫はやさしい」

 

つまり、

 

ま=豆

 

ご=胡麻

 

わ=ワカメ

 

や=野菜

 

さ=魚

 

しい=シイタケ

 

これらの食品を毎日、摂取することです。
皆さんもぜひ心掛けてくださいね!そういえば、北海道はこれらの新鮮な食品に溢れていたなあ、と気づきました。
北海道の皆さん、お元気ですか?(当然ですよね)

蟻とキリギリス

公開日時: 2006年9月10日 @ 11:06

京都大学出身を売り物にしている二枚目俳優がテレビのお遊びで転職に挑戦していました。
運転免許以外何の資格もなく、パソコンも殆ど出来ないことから、希望の職は殆ど見つからず、やっと探偵や建築関係であったものの、月収は30万程度。恐らく今の彼の年収の十分の一以下でしょう。
若い頃は二枚目で売り出した彼も48歳になり、暫く見ないうちに、加齢による何とかで、異性を引き付ける魅力度が劣化していました。お遊びとはいえ厳しい現実を垣間見た感じでした。

その晩の私のよく聴くFMラジオでも、転職サイトを運営する社長が登場し、「転職の現状」について、話していました。
どうも、今、自分の考えていることを引き寄せるものなのですね。
その社長さんの話は、主に若い人向けで、「人間、40歳、50歳になった時、いかに格好いい大人になっているかが肝心」と強調していたので、自分の胸に手を当てて、ちょっと、ドキッとしてしまいました。

ただ、一度、転職すると、そういう人は、現状に満足することができず、「転職癖」がついてしまうそうです。「仕事は自己評価より、人からの評価の方が大切。結局は、仕事は、人生の究極の目的ではなくて、仕事を通して、いかに人に役立つかが大切」と力説していました。

久しぶりにいい話を聞きました。

【追記】
天下の朝日新聞は翌日の朝刊に「旧フセイン政権とアルカイダの関係 米上院委、完全否定」の記事を掲載しました。

あと、身に余るコメント有難うございました。
挫折しそうでしたが、もう少し続けてみます。

大義名分の喪失


2003年3月にブッシュ米大統領が、イラク戦争を始めた理由がことごとく剥げ落ちてきました。


まず第一の「大量破壊兵器」WMDが見つからなかった。


そして、今日、米国上院情報委員会で、サダム・フセイン元イラク大統領とビン・ラディン率いる国際テロ組織アルカイダとは何の繋がりもなく、むしろ、フセイン大統領は、アルカイダは「脅威」だとみなしていたことが明らかになりました。


http://news.yahoo.com/s/ap/20060909/ap_on_go_co/iraq_report


それでも、いまだに戦争をやり続けているアメリカのブッシュ政権が何を考えているのかよく分かりません。


以前だったら、例えば、ヴェトナム戦争の頃だったら、すぐさま、反戦運動が広がり、遥か彼方の極東の僻地にでさえベ平連と略されるベトナム平和連合が結成されたのに、今の時代、イラク平和連合が創設されるどころか、極東の若い人は右傾化して、憲法改正を標榜する新首相に秋波さえ送っています。


このフセインーアルカイダ「無関係」説は、今日の東京新聞夕刊が一面トップで伝えたのをはじめ、読売、毎日、日経なども大々的に報道しているのに、天下の朝日新聞が一行も報道していない、ということが不思議です。


何かあったのでしょうか?


本国アメリカでも、9・11以降に拡大させたブッシュの戦争ーアフガン戦争、イラク戦争については無関心な人が多いようです。数日前のワシントン・ポスト紙が報じています。ざっと、戦争に関わっているのは、米国の全人口の5%、しかも、生活のために志願した底辺の貧困層ばかりで、95%のアメリカ人は、普段、戦争とは無関係な生活を送っているというのです。日本の、挙国一致、戦時体制とはえらい違いです。反戦運動も盛り上がらないはずです。


こんな時、ジョン・レノンが生きていたら、どんな発言するだろうかなあと夢想しましたが、やはり、夢想に過ぎない話であって、ジョンだったら、さっさとアメリカに見切りをつけて、今頃、日本に住んでいたかもしれませんね。

記念コインは買わないように

 公開日時: 2006年9月8日 @ 19:24

先日の「ひどすぎる阿漕な商売」の続報です。

我ながらしつこい。

先立つものが欲しかったので、思い切って、新橋にある古銭などを扱うコイン・ショップに行ってきました。

事前にマーケット・リサーチをしているので、例の10万円金貨は、せめて「額面」で買い取ってくれると思ったからです。

「もしかして、1000円くらい、上乗せしてくれるかなあ」というのが、正直な気持ちでした。

すると、どうでしょう。

「ウチは、額面でも買い取らないんですよ」と、のたまうではありませんか。

これが、現実だったんですね。

仕方ありません。

今度、駄菓子屋さんで10円の飴を買うとき、この10万円金貨を使おう。そう思いました。