カエターノ・ヴェローゾ

公開日時: 2005年3月28日

◎日曜日はサウダージな世界に浸ろう
=カエターノ・ヴェローゾを知らなかった私=

北海道帯広市にある地元紙「十勝毎日新聞」の栗田記者から「日曜日の昼下がりに聴くのでしたら、ピッタリですよ」と言って薦められたのがカエターノ・ヴェローゾの「ドミンゴ」というCDでした。どこか1960年代のフラワームーブメントの世代を思わせるカバージャケット。それもそのはず、このCDは1967年に発表されていたのでした。
栗田記者はまだ20代後半だというのに、やたらとジャズやワールドミュージックに詳しい。何しろ私と音楽談義をしても一歩も引けをとらないからだ(笑)。
「渓流斎先生、カエターノ・ヴェローゾも知らないなんてもぐりですよ」。ありゃあ、一本取られた。ということで、インターネット通して密かに買い求めてしまいました。
調べてみると、カエターノはMPB(ブラジル・ポピュラー音楽)の第一人者で、トロピカリズモの創始者。まあ、簡単に言えば、同郷のバイア州出身のジョアン・ジルベルトに憧れて音楽を始め、ボサノヴァにロックを取り入れた革命児らしい。今年、63歳になるからあのポール・マッカートニーと同い年。音楽活動暦も40年にも及ぶ。
正直、知らなかったですね、彼のこと。日本のマスコミも欧米偏重だったからブラジル音楽といえば、「セルジオ・メンデスとブラジル66」ぐらいだったのです。
このCD。私もやはり文句なしにお奨めです。ジャケットの中央のカエターノの右隣が当時22歳のガル・コスタ。彼女のヴォーカルがまたいい。カエターノのメランコリックでサウダージ(哀愁)な世界によく似合う。カエターノの抑制の効いた囁くような声もしびれる。驚くことに、この時、まだ25歳の若さだ。
このCDの1曲目の「コラサォン・ヴァガブンド」がカエターノの芸歴で最も重要な曲の1つらしいが、私のように最初は何の偏見も持たず、聞き流したらどうでしょうか。好きな1曲が必ず見つかるはずです。それにしても栗田記者は何で「日曜の昼下がり」なんて言ったのだろう。そうかあ、タイトル曲の「ドミンゴ」が「日曜日」という意味だったのですね。

ボツにされた原稿

以下は、先日、ボツになった原稿です。「何故こんなものが…」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思い、掲載することにしました。これが、取材も執筆も編集も発表の場も「自己責任」で行えるブログの特典かもしれません。

◎自動車の燃費向上機器を発明
=帯広大谷短大生の財田直哉さん=
北海道帯広市に住む短大生が、自動車の燃費を向上させる機器を発明して、特許を申請。インターネットでも販売を始めたところ全国から問い合わせが殺到している。
この学生は、帯広大谷短期大学二年生の財田直哉(たからだ・なおや)さん(二〇)。 大学での専攻は「日本語日本文学科」で、全く専門外だが、中学時代からパソコンに熱中し、学生企業家としてホームページなどを製作するパソコンスクールを自宅で開業。機械いじりが得意で三月に卒業後はそのまま企業家として独立する。図書館に通い詰めて燃費向上機器を独学で開発した財田さんは「これほど全国から問い合わせがあるとは思わなかった。環境にもやさしく、燃費代が節約できます」と話している。
財田さんが開発した機器は「メガコンパクト」と命名された。縦5㌢、横7・5㌢、厚さ3㌢のプラスチックのケースにコンデンサー、ヒューズなどが入っている。運転席のたばこ用電源ソケットにプラグを差し込むだけで機器が作動するため、機械が苦手な女性や年配の人にも簡単に装着できる。
この機器を接続するとコンデンサーで蓄電されて電流が増幅され、安定的な電気の供給が可能になる。アクセルを踏んだり、エアコンや音響機器を使用したりする際もバッテリーへの負担が軽く済み、燃費の向上につながる。財田さん自身が高速道路で同じスピードと距離で実験したところ、ガソリン1㍑当たり10㌔だった走行距離が12㌔に向上したという。「僕自身は年間、2万㌔くらい走行しますが、ガソリン代が年間3万円以上浮きました。二酸化炭素などの排出も減少し、環境にもやさしい」と財田さん。当初はエンジンルームのバッテリーに直接接続する機器を開発したが、「プラスとマイナスを間違えてしまう。機械を触るのが怖い」という要望に応え、今年一月に新製品として開発に成功した。
バッテリーに直接接続する類似品は、1万円から2万円で市販されているが、簡単に取り付けられる「メガコンパクト」は3980円から発売。財田さんの手作りで年間約1万個の製作を目標としている。
問い合わせは、帯広市の雑貨店「タジーマジー」 フリーダイヤル0120-241332。http://www.rakuten.co.jp/tussie-mussie/ (了)

アメリカ追随の不思議

日頃から、日本は何故、アメリカの植民地のように、米国に右へ倣えしているのかと感じています。「それは当たり前でしょう。日米安保条約のおかげで、日本はアメリカの核の傘の下で戦後、ぬくぬくと繁栄できたのですから」と多くの方は指摘されることでしょう。まあ、それは一理あります。でも、最近はあまりにも露骨なことが多すぎるので、子供のように何度も疑問を提示したくなるのです。「戦後60年も経つのに、何で日本は、アメリカの言うことばかり聞いて、アメリカの真似ばかりしなければならないのか」

例えば、郵政民営化。これは、郵便や宅急便の配達事業の問題ではなくて、低金利のおかげで集まった郵便貯金と簡易保険の合わせて350兆円という莫大な日本人庶民のなけなしのお金を、「規制緩和」して、貯金なんてしないアメリカ人が目を付けたということではないだろうか。ハゲタカファンドが欲しくて欲しくて堪らなくて、日本政府に圧力をかけているという図式なのでしょう。

一体、誰がシナリオを書いているのかなあ、と思ったら、ちゃんとインターネットでそのシナリオは公開されていたのですね。それは「年次改革要望書」と呼ばれ、在日米国大使館の公式サイト(http://japan.usembassy.gov)に日本語でも掲載されています。
ノンフィクション作家の関岡英之氏に教えられました。関岡氏によると、米国の要求事項は、日本の担当省庁に振り分けて検討され、審議会にかけられ、関連法や制度が改正され、着実に実現されてきたというのです。
最近、最高経営責任者(CEO)や法科大学院といった米国のモデルがグローバルスタンダードの名の下で日本中に跋扈しているのも、このシナリオが遠因しているようです。
ご興味のある方は、在日米国大使館の公式サイトを覗いてみてください。参考文献は、関岡英之著「拒否できない日本」(文春新書)。 

夏川りみ讃

公開日時: 2005年3月23日 

確かにブログを毎日書き続けることは大変ですね。
本日は再び、過去に書いた音楽エッセイで誤魔化します。

◎南国の潮の香りにあこがれて
=北国には夏川りみの歌声が似合う=

私は目下、北海道に住んでいます。4月に入っても本当に寒いですよ、こちらは。人間、特に私のような天邪鬼は正反対なものに憧れるようで、雪深い中、毎日毎日、南国の椰子の木陰と潮の香りを渇望しているわけです。そんな時、ラジオから流れる夏川りみちゃんの澄んだ歌声とゆったりとした三線(さんしん)の音色が、故郷でもないのに、一度だけ行ったことがある沖縄への「望郷の念」を掻き立てるのです。

迷わず、徒歩10分のCDショップに駆け込みました。目指すは彼女の最新アルバム「沖縄の風」。やはり期待を裏切りませんでした。これまで何度もCD化されている「涙そうそう」(ついに100万枚突破!)と「童神」も収められているので初めて買う人にはお得かもしれません。この2曲は何度聴いても飽きないし、本当に名曲ですね。世界に誇ってもいいくらいです。

石垣島出身の夏川りみは、子供の時に「のど自慢大会」で優勝するなど「天才歌手」として誉れ高かったのですが、何と一度「星美里」の芸名でデビューして全く売れず、一旦、歌手を廃業していたんですね。

「涙そうそう」は、同じ石垣島出身のビギンが、森山良子のために作った曲で、森山は22歳の時に死別した兄のことを詞にしたそうです。この曲をりみちゃんがビギンから「もらった」というエピソードは彼女のファンの人なら誰でも知っているでしょうが、私は正直知らなかったなあ。何しろ「なみだそうそう」と読んでいたくらいですから。本当は「なだそうそう」。沖縄の方言で「涙ぽろぽろ」という意味だそうです。あ、これも彼女のファンにとっては常識でしたね。

されどNHK

今日、3月22日は、NHKが(ラジオ)放送を始めて、ちょうど80周年だそうです。
そんなおめでたい年なのに、皮肉にも、昨年来の職員の不祥事で、大規模な受信料不払い運動に発展し、今のNHKは恐らく創業以来最大のピンチと言っていいでしょう。
海老ジョンイルを引き継いで新しくNHKの会長になった橋本元一さんは、小生、その昔、NHKの記者クラブに詰めていた頃、衛星放送の仕組みなどについて事細かく教授してもらい、大変お世話になった人なので、「頑張ってほしい」と陰では応援をしているのですが、何せ、技術畑出身の人なので、会長のような政治的な、俗人的な、野蛮的な、人間の欲望がとぐろを巻いているような重職には、絶対に向かない人で、何であの橋元(はしげん)さん(皆そう、親しみを込めて言ってました)が、会長なんかになってしまったのだろうか、と今でも不思議でしょうがありません。
と、書くのは今日の趣旨ではありませんでした。
私は正直、あまりテレビを見ません。むしろ、ラジオ党と言っていいでしょう。音楽好きというのが、1つの理由ですが、ラジオは、何かしながら、できるからです。食事をしながら、体操をしながら、勉強しながら…。そういえば、昔は「ながら族」と言われたことがあります。(これは死語?)とにかく、テレビだど、画面を見なければならず、思考もストップしがちで、想像力も退化する気がします。何にしろ、面白くなければテレビではないらしいので、ついつい見てしまいます。そして、後からすごい後悔が押し寄せてきます。「時間を奪われてしまった!」モモの心境です。
今日、ラジオで面白い話を耳にしました。NHKの80周年記念の特集の中で、ゲストに脚本家の早坂暁さんが登場しました。彼はこんなことを言うのです。
「今はやりの『オレオレ詐欺』なんか、ラジオを聴いて、しっかり耳の訓練をしていれば騙されないはずです。恐らく犯人は、刑事役にしろ、テレビドラマの口調を真似たと思います。それは、無駄な言葉が一切ない。しかし、本物の刑事は、台詞を読むように無駄な言葉がないような話し方はしないはずです。むしろ、無駄だらけです。『ところで、あの件はどうだったでしょうかねえ』といった感じで、本筋には全く関係ない話を急にしたりします。余分な無駄のない話に騙されるということは、やはりテレビの影響ではないでしょうか」
そこで早坂さんは、ラジオドラマの復権を主張するのです。
私は、さすが、鋭い点を衝くなあと感心しました。

チェット・ベイカー

公開日時: 2005年3月21日

渓流斎がブログを始めた理由の1つに、これまで8年間、ある雑誌に連載していた音楽エッセーが終了したことが原因にあります。おかげで世間様に署名で発表する機会が1つ減ってしまったわけです。「それなら、自分で手間暇掛けずに発信してしまおう」というのがこのブログに挑戦したきっかけになったのです。これから、数日間に渡って、これまで連載してきたその音楽エッセーの一部をご紹介致します。

◎ジャズの歴史的名盤をついに発掘!
=チェット・ベイカーにみる人生の悦びと辛さ=

チェット・ベイカーと聞いて「おー」と声を上げた人はかなりの音楽通かジャズファンですね。チェット・ベイカーには「シングス」という歴史に残る名盤中の名盤があります。と、書きながら、小生は知らなかったのですね。恥ずかしながら。帯広の地元FM局の一つである「FM-WING」でこのアーティストを教えてもらいました。これでもジャズについてはかなり通になったつもりでした。十年程にビル・エバンスを聴いてすっかりはまって、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンを中心にCDも百枚以上買ったと思う。六本木の「ピット・イン」や南青山の「ブルーノート」にも足繁く通ったものです。CDは持っていなくても大抵のジャズマンの名前と曲ぐらいは知っているつもりでした。
しかし、正直、彼のことは知らなかですね。最初、聴いた時、女性の黒人ヴォーカリストだと思ったくらいですから。早速、自宅から歩いて10分のCDショップ「玉光堂」に行ってきました。まさか、売っているとは思はなかったのに何と彼のCDが20枚くらいもあるのです。おかげで何を買ったらいいのか分からず、結局「えい、やあ」と選んで買ったのがこのCD「シングス」でした。
「歴史的名盤」というのも別に私が決めたわけではありません。このCDを知らないジャズファンは「もぐり」なんだそうです。そんな「もぐり」が講釈するとは片腹痛いのですが、まあ、聞いてくんなせい。
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンとミュージシャンの中には、不幸な最期を遂げる人が多いが、彼もご多分に漏れず、かなり波乱万丈の生涯を送ったようです。1929年に米国のオクラホマ州に生まれ、トランペッターとしてデビューし、20代で早くもウエストコースト・ジャズの旗手としてマイルスを凌ぐ人気者に。しかし、このCDは、トランペット奏者としてではなく、彼のヴォーカルにスポットを当てたもので、54年と56年に録音されている。まさにジャズの黄金時代。ヘレン・メリルの名盤「ウイズ・クロフォード・ブラウン」がリリースされたのもこの頃なんですね。
「シングス」のジャケット写真を見ると、髪型といい、白いTシャツにジーンズ姿といい、同世代のジェームス・ディーンにそっくりだ。その端正な顔つきも、麻薬中毒のおかげで、40代にして早くも老醜を晒し、58歳にしてホテルから転落するという、自殺か事故かわからない非業な死を遂げるのです。
もっと色々書きたいのだが、残念、紙数が尽きた。とにかく、一度聴いて彼の魅力に浸ってほしい。彼の囁くような中性的な歌声には、大人であることの苦しみ、辛さ、悦びがすべて詰まっているような気がする。
おっと、忘れるところだった。彼から最も影響を受けたのが、あのボサノヴァの創始者、ジョアン・ジルベルトだったんですって!道理で…。

地震

「おやおや、またですかああ!」といった感じです。
3月20日午前10時53分頃、福岡・佐賀で震度6弱の大地震がありました。
九州北部の地震は1898年の糸島地震(マグニチュード6・0)以来107年ぶりとのことですが、今回のようなマグニチュード7・0の規模となると、1700年以来305年ぶり、らしいのです。これはこれは大変な事件です。これだけの年月が経てば、地震に対する備えも免疫も殆どなかったことでしょう。建物が紙くずのように崩壊している写真を見て、改めて胸を痛めた次第です。
実は、渓流斎の遠い祖先は久留米出身のため、福岡、佐賀には沢山の親戚が住んでおります。大変心配でしたが、どうやら大過なく、無事のようでした。
寺田寅彦先生の「天災は忘れた頃にやってくる」というのはあまりにも有名な言葉ですが、これでは、「天災は忘れなくてもすぐやってくる」ではないですか!
ある地震学者が、日本列島は豆腐のような柔らかい土壌に乗っかっており、そこに大きな地震が来ればひとたまりも無い」とおっしゃっておりましたが、本当に、杞憂どころか、憂いても憂い過ぎることはないと言うべきです。大都会・東京に地震が来たら本当にどんなパニックが起きるのか、想像するだに恐ろしい。
ところで、1945年3月10日の東京大空襲で約10万人の無辜の民が犠牲になったことをご存知でしょうか。「紙と木で出来た日本の玩具ののような家屋を破壊するには、爆弾などいらぬ」と焼夷弾で東京の東京の下町を火の海にする計画を策略起草し、実行したのが、米空軍のカーティス・E・ルメイ将軍です。作家の深田祐介氏は「ルメイは東京大空襲で十万、広島原爆投下で二十万、長崎で八万と、全国各都市を含め四十万以上の民間人を殺害しているのだから、もし日本が勝っていたら、間違いなく戦犯として絞首刑になった人物である」と断定しています。(月刊「文芸春秋」2月号)

まさに、鬼畜米英。アメリカ憎し、といった感情がここ数週間、吾人の頭の中を占拠していたのですが、今日始めて、1923年の関東大震災の際に、アメリカ人が現在のレートに換算すると実に400億円もの義援金を日本に送ってくれた、という歴史的事実を知り、当然のことながら、アメリカ人の中には、本当に心優しい人もいたんだ、ということを改めて認識したのです。
人を人として理解するのは本当に難しい。

風水①

昨年11月から風水に嵌まってます。
風水といえば、いかにも非科学的で前近代的でまやかしに過ぎないと、お思いの方も多いかもしれませんが、中国四千年の陰陽五行説に立脚したものであり、「易経」は四書五経の1つでもあります。平安時代に活躍した安倍清明も陰陽師でしたし、京の都も風水の理論によってつくられました。あ、江戸の都もそうでした。プロデューサーは家康の参謀・天海僧正。東北の鬼門の日光に東照宮を祀り、裏鬼門に増上寺を配す…。
しかし、これ程、奥が深いものとは知りませんでしたね。
人は生まれた年によって一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星の九星のどれかに属し、それぞれの星がお住まいになる坎宮、坤宮、震宮、巽宮、中宮、乾宮、兌宮、艮宮、離宮の九つの「宮」があり、その住まいは年ごとに変わり、月ごとに変わり、日ごとに変わる。これだけでも覚えるのが大変なのに、「木」→「火」→「土」→「金」→「水」の五行が相互に助け合う相性があり、九星が微妙な補完関係を構築する。
また、九星の方位は、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二支と符合し、吉方があれば、五黄殺、暗剣殺、本命殺、本命的殺、月命殺、月命的殺、年破、月破の八大凶殺と呼ばれる凶方もある。
気にしたらキリがない世界ではありますが、昔の人は、人生という荒波を航海するための羅針盤として利用してきたのではないかと想像しました。
まあ、今日は第1弾ということで、またいつか、風水について触れてみましょう。

「鍋よし」の「鳥たたき鍋」

今晩は、毎日新聞の立松記者と十勝毎日新聞の児玉記者の送別会が帯広市大通り南16条の「鍋よし」でありました。
十勝毎日新聞社の小野寺編集局次長、近藤政経部長、北海道新聞社の鬼頭記者、HTBの加藤カメラマン、帯広市役所の武田企画部次長ら35人が参加し、和気藹々、皆満足、満腹で散会致しました。「鍋よし」の「鳥たたき鍋」はお奨めです。こんな美味しい鍋は北海道でしか食べられません。(了)

辛い時間など取るに足りぬ

1990年8月、米サウスダコタ州で、恐竜ティラノサウルス「スー」の化石を発見したスーザン・ヘンドリクセンさん(55)の言葉。

「スーは6500万年も地中に眠っていた。短い人生の、さらにその中の辛い時間など取るに足らない」(出典は3月16日付朝日新聞「ひと」欄)。

目下、逆境にいてその生活を楽しんでいる小生にとって、この言葉は後ろからいきなりハンマーでガツンと殴られたように衝撃的でしたね。この女性冒険家スーザンさん。もちろん、発見者として永久に「スー」の名前は語り継がれることでしょうが、その生涯も凄まじい。何と、50歳まで定まった家を持たず、発掘現場のテントやボートで暮らしていたということです。世紀の発見は決して偶然ではなかったのですね。納得しました。
ところで人類の文明が始まってたかが1万年。人間は、どれくらい賢くなったことでしょうか?
我田引水、自画自賛、牽強付会…。そんなことばかりではないでしょうか。周囲を見渡して御覧なさい。常識など、時、場所、雰囲気によってコロコロ変わる。共同幻想とも言うべき社会通念しかないことが分かるはずです。