フレペの滝

話は前後しますが、お昼は羅臼町では有名なお寿司屋さんに入りました。うに丼2100円。あまりにも食べっぷりがよかったのか、マスターが「今朝採れたばかりのブドウエビはどうですか」と勧めるのでチャレンジしてみました。
さしみだったので、まだピチピチ動いていました。コリコリとして甘みがあり、それでいてとろけるようでした。1200円。東京だったらいくらするでしょうか?

相泊から、再び知床峠を通って、斜里町の知床自然センターに戻ってきました。
ここに車を置いて、フレペの滝を目指しました。歩いて20分くらいでした。

フレペの滝は、乙女の涙という意味だそうです。ガイドマップには「高さ100mの断崖の途中からオホーツク海へと流れ落ちる不思議な滝」と説明しています。

運良く、またまた鹿さんがいました。
絵になりました。
絵葉書にもなります。

相泊

知床は、最後に残された日本の秘境でした。

行ってみて初めて分かったのですが、突端の知床岬までには、道路が通っていないのです。

天然のサンクチュアリです。ここに、やっと、人間に追い詰められたヒグマたちが100数頭生息しています。

知床岬に、どうしても行きたい人は道がないので船で行くしかありません。

道路が通っている最北端が、相泊という猟師街です。
ここで行き止まりです。
車から降りて歩いてみました。
港町といえるような大きな町ではありません。全国的に有名な「羅臼昆布」を採る漁業関係の人が何人かいるだけでした。
皆、不機嫌そうな顔をしていました。
「昆布はいつ取れるんですか?」とおばちゃんに聞いただけでも
「まだ、まあだー」と吐き捨てるように言うのです。

後日談ですが、知床から帯広に戻ったところ、新聞で「羅臼で昆布採りが始まった」という記事が載っていました。

まあ、余所者はおよびでないということだったんでしょう。

海に入ってみました。真夏だというのに、飛び上がるほどの冷たさです。
真冬の寒さは想像もできないくらい厳しいでしょう。

海岸近くにエゾシカをみかけました。

変な言葉遣いですが、本物の野生を感じました。

北方領土問題

北海道に住んでいると、ことのほか北方領土に関心が高まります。まさしく、身近な問題だからです。
写真は、知床の明泊から見える国後島です。霧で少し霞んでいますが、手を伸ばせば届きそうなほど近い所に位置していました。
「こんな近くにあるのか」というのが正直な感想です。

ここでは、あまり政治的な問題に触れても詮方ないことでしょう。私に何か力があったり、世論を動かしたりできれば別ですが、庶民は悲しくても運命を受け入れてしまいがちです。
今、北海道新聞の「戦後60年―戦禍の記憶」の通年企画で、「北方領土の元島民」の連載が続いています。これを読むだけでもこの新聞を読む価値があります。恐らく、このような連載ができるマスコミは、メディアの性格的にも体力的にも地政学的にも世界を見渡しても道新ぐらいでしょう。

そして、「戦後60年」ということは、成人として戦禍の渦中を体験した人の証言を得る最後の「戦後」になるという現実を我々は理解しなければなりません。
私はこの連載で、初めて島を占領された元島民の生き証人としての生の声を知ることが出来ました。
例えば、択捉島にいた佐藤八重さん(84)さんは、「ソ連兵5人ぐらいが靴のまま家に上がりこみ、銃剣で天井を突き、畳を全部ひっくり返し、神棚にあった腕時計3個をわしづかみにして持っていった」などと証言しています。
また歯舞諸島の志発島で昆布漁業者だった腰昭二さん(78)は、「当時を知る私たちの世代が他界してしまったら、島がどこにあるのかさえ国民は分からなくなってしまうのではないか」と憂えています。

島には軍属以外に、教師や漁師や商店主ら普通の生活をしていた庶民が沢山住んでおり、ある日、突然、過酷の運命に晒され、今も帰島の夢は叶っておりません。私は一瞬、パレスチナ問題みたいだ、と頭によぎりましたが、政治的発言は止めましょう。問題があまりにも深く、自分の無力を恥じ入るばかりです。

世界自然遺産

知床が世界自然遺産に登録されたのは、日本時間で7月15日のこと。
その記念すべき日に知床に足を踏み入れることができました。
例の木下小屋で一泊し、翌朝、「オホーツク展望台」に登った後、知床自然センターに行きました。

ここは、知床を訪れる人なら誰でも必ず立ち寄る所です。記念品や土産物のほかに、ガイドブック、知床の大自然を写した「ダイナビジョン」もあります。いわゆる知床の情報発信基地です。

ここに、知床の世界遺産登録を祝して御神酒がおいてあったのです。各自、自由に飲めるというので、早速、一杯所望すると、とても冷たく、喉越しがよく、天にも登る気持ちでした。

思わずおかわりしてしまいました。

近くに老夫婦がウロウロしていたので、ほろ酔い気分で「これ、とても美味しいですよ」と薦めたら、無視されてしまいました。

変なおじさんに見られたのでしょう。

エゾシカ

しばらく「絵日記」が続くことをお許しください。

ご覧の通り、エゾシカです。なかなか勇壮でしょう?野生の鹿なので、筋骨隆々。観光客慣れしているところもありますが、やはり動物園の鹿とは比べ物にならないくらい生き生きしています。

この鹿も現地では嫌われ者だそうです。大事な作物を食べたり、木の皮を食べて樹木を枯らしたりするからだそうです。

半分は当たっているのですが、半分は人間のエゴでもあるのです。
難しい問題です。

知床が世界自然遺産に登録されたことにより、高橋北海道知事は早速、観光客の立ち入り制限などの「知床ルール」構想を明らかにしました。

エゾシカも道内に3万頭くらい生息し、そのうち、1万頭くらいが知床に住んでいるそうです。(小耳に挟んだうろ覚えの知識ですが)
これから、増えるエゾシカをどう対処するかという問題も、いたちごっごのように永遠の課題として続くことでしょう。

部外者の私としては、出来る限り保護して欲しいのですが…。あの瞳を見ているだけでも、本当に、バンビさーんと言いながら抱きつきたくなります。

知床潜入記

いよいよ知床に足を踏み入れました。

知床というのは、アイヌ語で「地の果て」という意味だとばかり思っていたのですが、最近では「地の突出部」つまり「岬」という説が有力になってきました。アイヌ語の「シリ・エトコ」からきているそうです。

最初に泊まる所は山小屋だったので、何の食べ物もないので、取り敢えず、斜里町の街中のレストランで腹ごしらえすることにしました。「海鮮スパゲティー」900円。うーん、値段は観光地並みです。失礼、観光地でした。大体のメニューは平均1500円ぐらいでした。

泊った山小屋「木下小屋」は、羅臼岳の縦走コースの登山口にありました。「地の果て」という感じでした。電気がありません(ランプです)。トイレは外です。もちろん、電気がないので、夜の使用は不可能に近い。いやいや、こんなこと言うのは私くらいでしょう。用意がいい人は、皆、懐中電灯を持っていました。

そういえば、皆さんの装備がすごいのです。熊除けの鈴は当たり前。立派な登山靴。テントと寝袋と一週間分くらいの食料が入っていそうなバックパック。膝に防水のサポーターをはめ、魔法の杖を二本も持参しているのです。

私は日本の百名山も何も知りませんが、アルピニストにとっては、たまらないのでしょうね。

こちらは重装備でもなかったので、登って約40分くらいのところにある「オホーツク展望台」までトレッキングにいきました。いや、結構きつかったです。踵の皮がベロンチョと剥けてしまいました。

そういえば、木下小屋の近くの岩尾別温泉のあたりで、キタキツネを見ました。

なかなかラッキーだと思います。テレビや写真集などで、多くの動物たちを目にしますが、あれは何時間も粘り強く待機して、努力を重ねて撮ったものだからです。ぽっと出の観光客がそう易々と動物たちと遭遇することはありません。
その点、幸運でしたね。

霧のない摩周湖


オンネトーの後、「霧の摩周湖」を目指しました。摩周湖を訪れるのは、実に32年ぶりです。
32年前は確かに、布施明の歌の通り、霧で何も見えなったという記憶があります。

今回、初めてまともに見ることができました。

湖の真ん中に「弁天島」があることも初めて分かりました。

展望台からの眺めだったので、湖面と展望台の距離は800㍍くらい離れていたと思います。

それでも、青々とした瑞々しい水を満々と貯めた湖には、吸い込まれてしまいそうな美しさがありました。

摩周湖なんて、名前もいいですね。

まあ、変な文章を読むより、摩周湖の美しさを写真を通してだけでも味わってください。

オンネトーの夏

知床に行って参りました。感動、感動、感動の渦でした。
そこで、ちょっと、時間を掛けて「知床大旅行」のご報告を致したいと思います。
序章は、まだ、知床は出てきません。
まずは、途中で立ち寄ったオンネトーからです。
賢明な読者諸兄姉は覚えていらっしゃるでしょうが、私は昨秋、紅葉を見に、オンネトーを初めて訪れ、その美しさに感動しました。

でも、夏のオンネトーもなかなか素晴らしかったです。

きれいでしょう?

感動すると言葉が出てきません。左の山並みが雌阿寒岳で、右が阿寒富士です。

まるで絵葉書みたいでしょう?

今日は誰かさんの○○回目の誕生日です。
友人からお祝いのメールももらったり、お寿司をご馳走になったりしました。

この場を借りて御礼申し上げます。

有難う!

それにしても、早く、知床が見たいなあ。

知床

知床が14日に、ついにユネスコの世界自然遺産に登録されました。

私は居ても立ってもいられなくなったので、これから旅立ちます。

ということで、私のブログは、三日ほどお休みさせて戴きます。

あしからず

いい写真撮ってきますからね!

お楽しみに

言葉の乱れ

公開日時: 2005年7月14日 @ 11:10

最近、巷では「言葉が乱れている」と、喧しいですね。

わたし的には、世間ずれすることはやばい、てゆーか、うざいっていう感じかな。

といった感じです。世の聡明な評論家や教育者は眉をしかめます。

しかし、言葉というのは、手垢がつくと、その意味から遊離して、それこそ、うざったくなり、人は、何か新しい言葉を見つけることによって、得意になったり、新鮮な気分を味わったりしたくなるものではないでしょうか。

それでも、新語の「賞味期限」も段々早くなりました。

私が若い頃よく使っていた「ナウい」とか、「アベック」なんて使うと、今の若い人は噴き出してしまうことでしょう。

数年前に流行った「チョベリグ」だの「チョベリバ」なんていうのも、死語になってしまいました。

「汚名挽回」「後世畏るべし」といった誤用についても、よく指摘されますが、そもそも「独壇場」も「だらしない」も誤用が転じて、次第に慣用的に使われたものです。

でも、こういう話は大好きです。もっと、もっと、話題にしましょう。