八卦

時事通信社が発行する「世界週報」という雑誌は、国際情報誌ですが、ここにユニークなコラムが昨秋から毎週掲載されています。「ドクター観幾の占い学入門」というコーナーです。

占い?と馬鹿にするなかれ。これが実に奥が深く、示唆に富み、日本人の文化、慣習、言語、風習に溶け込んでいるか、唖然としてしまうほど詳述されているのです。いずれ、単行本化されると思うのですが、毎週、色んな話題を取り上げているので、お暇な方は立ち読みでもしてください。

膨大なことが書かれているので、一つだけ取り上げると、相撲で行司が「ハッケヨイ、残った、残った」と言いますが、この「ハッケヨイ」って何だと思いますか?これが、「八卦良い」ということだったのです。行司さんが、勝負の行方を占っていたんですね。

八卦というのは、「太極」という宇宙が「ビッグバン」で「陰」と「陽」の「両義」に分裂し、この両義が「陽陽」「陽陰」「陰陽」「陰陰」の4つに分裂し、さらにこの「四象」が「陽陽陽」「陽陽陰」…の順列組み合わせで8つの「卦」に分裂します。これを「八卦」(はっけ、もしくは、はっか)と呼びます。

この八卦を組み合わせて、64通りにそれぞれ意味を持たせて易を占います。これが「易経」です。易経は、古代中国の周の時代に考案されたもので、またの名を周易とも呼ばれます。中国の有名な高位高官の超難関任官試験「科挙」では「四書五経」が必須科目でしたが、『四書』は「論語」「孟子」「大学」「中庸」、『五経』は「易」「書」「詩」「礼」の5種の経典のことです。そう、五経の中の第一の科目として「易経」を学んでいたわけですね。

「易経」で古代の中国皇帝は、自然現象、人間関係、方位、徳目などを占っていたのですが、むしろ政治学、宇宙哲学・倫理として学んでいたのです。皇帝を補佐する高位高官の必須科目になるわけです。

今日はこの辺で止めておきます。

美瑛

テレビドラマ「北の国から」の舞台になった富良野の隣町、美瑛は、全国的には知名度は今ひとつですが、その美しい街並みと景色は富良野以上かもしれません。

JR美瑛駅前の商店街は、3年ほど前に約67億円も掛けて大改築されたそうです。どこかヨーロッパの小さな田舎町のようで、異国の地に足を踏み入れた感じでした。商店の屋根裏部屋に当たる所、人間で言えば、おでこの辺りに「1920」とか「1951」とか、その商店が創業した年代が刻まれています。新しく見える床屋さんが意外と古かったり、駅舎の隣に「2002」と刻まれた新しい建物が建っていたりして、本当に見飽きません。

駅前から車で南東へ10分ほど走らせると、もう田園地帯です。とはいえ、まだ芽も出ていない時期なので、何を植えているのかわかりませんでしたが…。「丘のまち 美瑛」というキャッチフレーズで観光を売り出している通り、なだらかな丘がずーと続き、その先に教会でもあれば、スイスか南フランスかトスカーナ地方と見紛うばかりの景色です。

この風景の素晴らしさを全国に知らしめたのが、風景写真の第一人者・前田真三さんというカメラマンです。東京・八王子出身で、商社マンだったのに、45歳にしてプロのカメラマンになった人です。美瑛には、「拓真館」という前田さんのフォトギャラリーもあります。私は美瑛に行って、初めて前田さんのことを知りました。

美瑛に行けない人は是非、前田さんの写真集でも見てください。心が洗われますよ。

前田さんには及びませんが、最後に私の写真を。

旭山動物公園

北海道旭川市の旭山動物公園に行ってきました。
昨夏は、東京の上野動物園を抜いて、全国で1位の月間入場者数を誇ったということで、確かめに行ったのですが、その予想と期待を裏切らず、実に素晴らしかったです。

なぜ、日本の最北端の動物園が輝かしい1位を獲得したのか?
やはり、動物園という「見世物」の原点に立ち返ったのがよかったのではないかと思います。とにかく、見せ方がうまい。本当に、うまく見せます。魅せます。

特に、話題の「ペンギン館」と「アザラシ館」と「ホッキョクグマ館」がよかったです。いつもは、海岸で疲れたように寝そべっているアザラシが水の中で、あれほど活発的だとは思いもよりませんでした。それを、この動物園では水族館のように目の前で見せてくれます。

ホッキョクグマ館では、屋外に出ると、人間が屋内からホッキョクグマを観察している姿も見えます。ホッキョクグマがノソノソ歩く敷地に透明のタイムカプセルのような「観察室」が突き出ています。外から見ると、その屋内の観察室から覗いている人間がまるで見世物のように見えるのです。

それとは知らず、ホッキョクグマを屋外から見ていると、突き出た透明のタイムカプセルの中から、水木しげるの漫画に出てくるような、髪の毛の長い河童のような妖怪がぬっと顔を突き出してきました。最初、何が起きたのかわからず、本物の妖怪ではないかと勘違いしてしまいました。しかし、すぐに我に返って、あれは、見物人のおばさんだったということがわかり、大笑いしてしまいました。

人間も動物ですが、動物園の動物が一番まともで、人間が一番不可解に見えたのが、何ともいえない笑い話でした。

朝風呂注意

正直、ここ数年、朝の起き掛けの胸の苦しさ、気分の悪さと言ったらなかったのですが、原因が分かりました。

北海道大学医学部の大塚吉則助教授によると、明け方は自律神経が、夜間休息時の副交感神経優位から、日中活動時の交感神経に切り替わる時期なんだそうです。だから、自律神経は不安定な状態で、血圧の変動や不整脈などが起こりやすいそうなのです。

となると、「朝風呂」は大変危険だそうです。温泉に行けば、どんなに前日に深酒しようと、朝風呂に入りたくなるものですが、入浴中に心臓発作や脳出血で亡くなる人は年間に1万4千人(推定)もいるそうです。

それでも、朝風呂に入りたい人は、部屋でまず歯を磨いて、顔を洗って目を覚まし、散歩などして体も目覚めさせることです。そして、入浴前に水分を十分摂るのがいいそうです。掛け湯をしっかりして、半身浴がお奨めだそうです。老婆心ながら、GWで温泉に行かれる方は十分注意しませう。

歴史の教訓

歴史家でもある作家の加来耕三氏の講演を聞きました。加来氏は46歳の若さですが、すでに300冊の著作があり、年間160日も全国を講演に飛び回っているそうです。演題「歴史を学び、未来を読む」のポイントは1つ。「歴史小説やドラマを史実として誤解して騙されてはいけない」ということでした。

日本人で人気のある歴史上の人物のベストスリーは①織田信長②坂本龍馬③諸葛孔明(この3人を特集すると歴史雑誌は完売するそうです)。しかし、実際は人気のある人物ほど「歴史の空白」があって、分からない所が多いそうです。それを作家が空想で穴埋めをし、脚色し、時には講談調の受け狙いで、全く事実に反することを書き加えることもあるそうです。

ですから、急に凡人から偉人に変身したりする。その方が面白いからです。しかし、これを史実だと信じてはいけない。龍馬ファンの多くは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んだ人で、そういう人に限って頭が悪くておっちょこちょいなのです。

日本人は歴史を夢とロマンで語ろうとする。それでは歴史から教訓を引き出せない。歴史に奇跡や偶然はないし、ありえない。要するに地道な努力しかないのです。昨日アホだった人間が急に明日利口になるわけがない。やはり明日もアホなのです。

常に歴史から前向きに未来を予測し、前兆をつかむこと。そのためには、例えば経営者の場合、出発点に戻って創業の理念に戻ったらどうかーといった内容でした。

昨今、「歴史に学ぶ経営術」といった類の特集をしたビジネス雑誌・書籍が飛ぶように売れるようですが、百害あって一理なし。序に、ホリエモン本も眉唾ものです。人間は、残念ながら成功から何一つ学べない。失敗からしか学べないからです。これは私見です。

自分に正直であれ

多摩美術大学教授で洋画家でもあるT氏が、美術評論家のN氏を前にして、こう言いました。
普段は無口のT氏ですが、酒席で酔いが回ったのか、つい、本音が出てしまいました。

「現代アートとか、現代美術とか、名前を付けるのはあなたたちの仕事かもしれないが、我々は自分に正直であればそれでいいんです。何かを表現したくて、それが作品になるわけで、その評価まで気にしていては何もできません。あるがままの自分に正直になるしかないのです。だから、結果はどうでもいいのです。自分自身は、芸術家だろうが、美術家だろうが、画家だろうが、アーティストだろうが、自分で名乗りたい名前を名乗ればそれでいいのです。他人から名前を付けてもらうことはないのです。どうせ、評論家は責任を取らないでしょう?そう、評論家は責任を取らないのです」

いつも威張っているN氏は、この時ばかりは、ぐうの音も出ませんでした。

奇跡的

「生きていることは謎です。一人一人がもっと自分の謎に気がつけば、人生は変わる。生きて死ぬことがむなしいと思うか、奇跡的なことだと感じるかでは、全然違う」(文筆家・池田晶子さん=北海道新聞のインタビューに答えて)

小泉淳作美術館 中札内村

今日は、北海道河西郡中札内村にある『中札内美術村』内の「小泉淳作美術館」に行ってきました。

2002年に、京都・建仁寺法堂の天井画「双龍図」を完成した「アトリエ」が、中札内村で廃校になった小学校の体育館だったことから、ここに小泉画伯の美術館ができたようです。天井画は、縦20m、横30mぐらいある巨大な墨絵です。制作の模様は、2002年にNHKの「日曜美術館」で放送され、館内でもそのビデオが流れていました。

美術館には、その下絵の50号ぐらいの大きさと100号ぐらいの大きさの2点が飾っていましたが、それだけでも随分と迫力がありました。2匹の大きな龍が絡むようにして大空を飛翔している図です。2匹はいわゆる「阿吽」の像です。こういう極めて難しい画材を、墨だけで描いているのですから、本当に涙が出るくらい感動してしまいました。

略歴によると、画伯は1924年生まれで、最初は慶応大学文学部に入学したのですが、絵の道、捨てがたく、東京美術学校(東京芸大)に入り直しているのです。最初は、ルオーの影響で、絵の具を厚く塗りたくった洋画でしたが、日本画に転じ、世に認められたのは何と50歳を過ぎてからです。1977年、53歳の時、「奥伊豆風景」が山種美術館賞を受賞します。

それでも、どこの画壇やグループにも所属せず、フリーで孤高として画業を続けてきたところが素晴らしい。誰でもできないことです。若い時は、絵だけでは食っていけず、工芸やデザインの仕事もしていたようです。70歳の時、奥さんに先立たれ、娘さんも嫁いでいたので、現在、鎌倉で一人暮らしです。エッセー集「アトリエの風景」(講談社)を読むと、絵だけではなく、文才にも恵まれていることが分かります。

いつか、画伯にお会いしたいなあ。そして、京都の建仁寺に行って、本物の「双龍図」を見に行きたいと思います。

ブログストーカー

ブログストーカーなる卑劣漢が存在することが、週刊誌で知りました。(2日遅れの週刊誌は買わない、と豪語しておきながらこの有様です)

よく通う近所の蕎麦屋とか、駅周辺の地理状況などの記述事項から、その人の住所を探り当てて、「公開」したり、自宅の写真を送り付けて、筆者を恐怖に陥れる輩もいるそうです。

最低ですね。

まあ鬼畜の仕業ですね。

最も、狙われるのは「若い・独身の・女性」に限られているそうなので、私はどれも当て嵌まらないから、被害に遭うことはないでしょうが、それにしても、こういう類の「愉快犯」は許せませんね。必殺仕置人に頼みたいくらいです。

館野泉さん 復活…

公開日時: 2005年4月23日

10年前の今頃、これでも私はクラシック音楽の担当記者で、すべてのクラシックを聴いてやろうと意気込んでおりました。その頃、知ったのがフィンランド在住の日本人ピアニストの舘野泉さんという人でした。大抵のピアニストなら、ショパンかベートーベンを弾きたがるのに、この人はシベリウスとか、あまり知られていないフィンランド人の作曲家の曲を演奏するので「随分変わった人だなあ」と印象に残っていたわけです。

彼が1996年にリリースしたCD「北斗のピアノ」はまさしくフィンランドの作曲家らによるピアノ名曲集です。この中のシベリウス作曲「樅の木」は、美智子皇后陛下が失語症になられた時に、特別に舘野さんを皇居に招いて弾いてもらった曲だそうです。

その舘野さんが、2001年1月にフィンランドの第二の都市タンベレでの演奏会直後に脳溢血で倒れたというニュースを耳にしました。その後の懸命なリハビリで、一昨年8月に奇跡的なカムバック。ただし、右半身の感覚がまだ戻らず、左手だけでの演奏会だった、という話です。昨年5月には東京を中心にいくつかの演奏会を開き、間宮芳生氏が彼のために作曲した左手のための「風のしるし」が初演され、大好評だったそうです(リハビリの苦労話はインターネットで見られます)。

「左手のための」といえば「左手のためのピアノ協奏曲」が有名です。この曲はラベルが、1932年に第1次大戦で右腕を失ったオーストリア人のピアニストの依頼によって作曲されたものです。このピアニストはあの哲学者のウィットゲンシュタインのお兄さんだったんですよね。

舘野さんは、リハビリの最中、時には「もう2度とピアノが弾けないのではないか」と絶望したそうですが、息子さんからブリッジが作曲した左手のための「3つのプロビゼーション」の楽譜をプレゼントされ、これが立ち直るきっかけになったそうです。国際的に活躍している日本人は松井やイチローだけではありません。舘野さん、頑張れ!