ポール牧さん死去、63歳

ポール牧さんが亡くなった。享年63。自宅マンションから飛び降りたらしい。

彼とは会った、というより、記者会見で「見た」ことがある。とても快活で、饒舌で、「指パッチン」のサービスをして、見たまんまの人だった。まさか自殺するとは…。よほど、誰にも知られることがない、深い、暗い、闇を心の奥に抱えていたのだろう。

桂枝雀さんの時にも感じたのだが、人を笑わせたり、喜ばせたりする人が自殺したりすると、普通の人以上にショックが大きい。

何の映画か忘れたが、ポール牧さんがシリアスなヤクザ役で出演した映画の演技は、異様な迫力があった。見てはいけないものを見た感じで、コメディアンは仮の姿で、本当はこちらの方が本職ではないかと思えたくらいだった。

それにしても…。

ジェイク・シマブクロ

公開日時: 2005年4月21日 

◎超技巧演奏に圧倒されっ放し
=ジェイク・シマブクロはウクレレの伝道師か!?=

うーむ…。最初に聴いた時にはどうしても信じることができなかった。
「これが、あのウクレレなの?」
決して軽く見ているわけではないが、ウクレレといえば、ギターよりも2本少ないわずか4弦。ボディも小さいので音量がない。しかも音域は2オクターブしかない。漫談用の伴奏楽器、いやハワイアンの伴奏楽器というイメージが強い。これだけハンディのある楽器を「リードギター」として採用したミュージシャンはこれまでいただろうか?
今、注目のウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロを遅ればせながら聴いている。テクニックは申し分ない。何度も言うようだが、今まで「サイドギター」として甘んじていた楽器を前面に押し出してスポットライトを浴びせたのは彼の功績であることは間違いない。これまで誰も考えつかなかったことだ。まさに逆転の発想と言えよう。
彼のプロフィールを調べてみると、1976年11月3日、ハワイ州ホノルル生まれ。わずか4歳でウクレレを始め、高校卒業後、プロデビューとある。本人に直接取材したわけではないが、名前からして日系3世か4世の米国人だろう。4人の沖縄出身の女の子の「SPEED」に島袋寛子ちゃんがいたから、彼のご先祖様も同じく沖縄出身かもしれない。いけませんね。ジャーナリストが正確に調べもしないで憶測で書いてしまうとは。でも、お許しください。彼の作った曲を聴いていると、どうしてもハワイアンというジャンルには収まり切れない何かを感じるのです。
例えば今回取り上げたアルバム「クロスカレント」。1曲目にその標題曲が収められているが、パリでもニューヨークでもいい。車を運転しながら聴くと、爽快感があって、いい癒しになると思う。それだけ都会的なハイセンスに溢れている。しかも、ガット弦が醸し出す自然の温かみが感じられるのです。
それにしても彼の超技巧には圧倒されっ放し。何度も繰り返しますが「これ、本当にウクレレなの?」 (了)

外資ファンド

遅ればせながら、北海道では2日遅れて発売される週刊誌を読んでいます。
週刊誌を買うのは控えたはずですが、これだけは読みたかったからです。「週刊ダイヤモンド」4月23日号の特集記事「外資ファンド全解剖 ハゲタカか?白馬の騎士か?」

やはり、期待は裏切られず、中々面白いですね。
私のような「経済音痴」でも分かりやすく、読みやすいです。

1つだけ取り上げると、写真入りで紹介された日米の比較「地団駄踏む日本、ほくそ笑む米国」。
日本の場合、1990年、松下電器がMCAを7800億円で買収したと思ったら、売値は5200億円。つまり、2600億円の大損。
1989年、三菱地所がロックフェラーセンターを2000億円で買うも、売値は600億円。1400億円の大損。

一方の米国代表リップルウッドは、1998年に新生銀行を10億円で買って、2900億円で売り抜け、2890億円の大儲け!2003年には、日本テレコムを2513億円で買って、3400億円で売ったから、887億円の儲け!!

単純な計算なので、誰でもすぐ違いが分かりますね。

何でこうなるのか。陰謀説でも「神の見えざる手」でも「資本主義の原理」でも何でもいいですから、どなたか説明していただけないでしょうか?

鈴木秀子『死にゆく者からの言葉』  

とても素晴らしい本に出会いました。標題の鈴木秀子氏著「死にゆく者からの言葉」(文芸春秋)。

今まで、生涯で1万冊以上の本は読んできましたが、私のベスト100、いやベスト50に入ると思います。

何が素晴らしいか。一言で言えば、前向きに生きていく勇気を与えてくれるからです。

標題からわかるように、この書は、ホスピスの仕事に携わっている著者が、余命幾ばくもない人が最期に残した言葉をまとめたものです。

仕事とはいえ、普通、人は「赤の他人」に「心を割る」ことはありません。

しかし、彼女を前にすると、不思議と、どんな意固地で頑な人も最後は心を開いて、彼女にすべてを委ねます。
彼女は、特段のことはしません。苦しいと思われる「患部」に手を当てたり、話を聞いてあげたりするだけです。

もともと彼女にそのような「力」があったわけではありません。
この本の前半に少し触れいていますが、彼女自身が九死に一生を得て、「臨死体験」をしたからです。「臨死体験」したおかげで、彼女は何かに導かれるようにして、気がついたらホスピスの仕事を始めていました。

この本には色々なエピソードが出てきますが、ひとつだけ紹介します。

「運命の善意」という話です。主人公は49歳の女性で、出版社で編集の仕事をするバリバリのキャリアウーマンでしたが、末期の癌に侵されます。最初は自分の不運を嘆き、絶望に陥り、誰も側に寄せ付けません。著者も例外ではありません。著者も、直ぐ御託を並べて食って掛かる彼女に会うと不愉快になるので会いたくない、と正直に告白しています。
そんな彼女が著者の一言で、ころっと変わります。何と言ったかと言うと「生まれ落ちた時から運が悪いってどういうことですか」という質問でした。
彼女は、この言葉で電流に打たれたように、子供の時の記憶を蘇らせます。

詳細は省きますが、彼女は最期にこう悟るのです。

『偶然というものはない。起こることすべてがある意味で必然。起こる出来事に運命の善意が働いて、すべて良く、取り計らってくれる。私はこれといった仕事の成果を残したわけではなく、ただ辛い中で競争心だけを燃やして生きてきただけだった。人生に意味があるなんて思ってもみなかった。でも、今、私はよく分かったのです。「運命の善意」を知るために、私に辛い一生を与えられたのだ、と…』

プラスエネルギー

弟子:不安や恐怖、怒りといったマイナスエネルギーを、安心、平安、平静といったプラスのエネルギーに転化する方法はあるのでしょうか?

師匠:マイナスからプラスへ転化しようとするより、まずは、そのエネルギーを受け入れることです。自分の中の陰の部分をしっかり見つめて把握することです。陰の部分を受け入れることです。どんな感情も排除するのではなく、受け入れてあげてください。裁かず、判断せず。純粋性を求める人は、自分にも他人にも厳しくなります。世の中の陰を感じる時、本当は自分の中の陰を見ているのです。あるがままの自分を愛してください。自我が自分で何とかできない、と降参した時、大いなる何かに身を委ねることを知るのです。大いなる何かとは、何か?全て自分自身に正直であれ。祈りも効果的です。

弟子:マイナスエネルギーを我慢して受け入れる、ということですか?

師匠:起きていることは、全て必要なこととして起きているのです。安心してください。

光ファイバーなのに

何じゃ、これっていう感じです。

本日、ADSLから光ファイバーに乗り換えたのですが、全然変わらない。100MBだというので、「快適、快適、スーイ、スイ」と大いに期待したのですが、40MBのADSLとほとんど変わらないのです。どうなっているんでしょうかね。

やり方が間違っているのかもしれません。
でもよくわかりません。

ADSLと光ファイバーと全く違うという意見の方、是非コメントしてください。

占い

時事通信社が発行する国際情報誌「世界週報」に昨年11月からユニークな企画が連載されています。題して「ドクター観幾の占い学入門」。

え、占い?

そう、占いです。これが大変奥が深くて滅法面白い。いずれ単行本になるでしょうが、非常に知的好奇心を満足させてくれます。占いではよく「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言います。この八卦が何を意味するかと言うと、

クオリーメン 復活…

公開日時: 2005年4月13日

ビートルズの前身のクオリーメンなるバンドが「歴史として」存在することはわかっていましたが、まさか現在でも存在しているとは思いもよりませんでした。
クオリーメンは、ジョン・レノンが1956年、当時通っていたリバプールの高校の名前を取って学友たちと結成したスキッフル・バンドです。まさにビートルズの歴史が始まった最初のバンドなのです。

翌年の57年、セント・ピーターズ教会のパーティーでの演奏会で、ジョンとポール・マッカートニーが初めて出会います。この時、ポールはエディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」を歌って聴かせ、ジョンが思わずポールを「スカウト」したことはあまりにも有名な話ですが、当時のメンバーの一人は「そんなことはなかった」と否定しているので、真実はわかりません。

正直言いますと、今までこの曲を聴いたことがなかったのですが、嬉しいことに、昨年、彼らがリリースしたCD「SONGS WE REMEMBER」(BMGファンハウス)で初めて聴くことができました。40年以上の歳月を経て、彼らはひょっこりと「再結成」していたのでした。もちろん、この40年の間、皆、音楽活動から離れ、中には家具職人になったり、名門ケンブリッジ大学を出て旅行業界で働いていたりした人もいたらしいのです。

40年以上の空白があるし、趣味や遊びの領域を出ないだろうと全く期待せずに聴いたのですが、正直その演奏とボーカルのうまさに驚いてしまいました。改めて彼らのレベルの高さに感服してしまいました。

ビートルズの最後のアルバム「レット・イット・ビー」の中に「マギー・メイ」という曲がありますが、このCDにも収録されており、クオリーメン時代のレパートリーだったことが分かりました。ロックンロールの初期の音楽形態とも言われるスキッフルがどういうものかこのCDを通して分かりますよ。(了)

追記…今年になってメンバーの一人が急死しましたので、最初で最期の再結成で終わってしまいました。

gooブログに大不満

使わせてもらって文句を言うのも何なんですが、このgooブログ、夜間の投稿があまりにも多いせいか、「投稿」しても消えてしまうか、ちゃんと掲示されたのか、さっぱりわからず、何度も同じ原稿を投稿してしまう羽目になることが間々あります。

わずか10行くらいの原稿でも、2時間も3時間も無駄に時間を費やしてしまい、つい「こんなことやってられない」と、デエーと卓袱台を引っくり返したくなります。

恐らく、サーバーの能力の問題だと思われますが、「改善しろ」というのも無理難題ですね。

でも最近、読者の方も増えたようなので、もう少し続けてみようと思います。

今日は、北海道池田町にあるワイン城に行って来ました。三十周年を迎えた2004年から、2年間、約9億円をかけて全面的な改修工事が終了し、4月17日にリニューアル・グランドオープンするのです。

地元に名産らしいものがなかった時代の1963年に、当時の町長で後に参議院議員にもなった丸谷金保氏の音頭で、ワイン作りを始めたそうです。今では池田町の「十勝ワイン」といえば全国的に有名です。そういえば、夕張市の「夕張メロン」も、斜陽になった炭鉱のまちを如何に復興するか考えた挙句、地元名産として開発したものです。

歴史を辿れば、今では全国のブランドになった静岡茶も、明治になって食い扶持を失った没落した武士、それも旗本階級が始めた名産です。静岡は、「最後の将軍」徳川慶喜公が、只管恭順の態度を示して蟄居した所ですからね。調べれば、全国の名産品もそれ程、歴史が古いわけではないことがわかるでしょう。

「ノルウェーの森」は間違い

公開日時: 2005年4月11日 

恥ずかしげもなく言いますが、私が人生で最も影響を受けたのが、ナポレオンでもゲーテでも松下幸之助でもなく、ビートルズだと言えば、人は笑うでしょうか?

ビートルズに関するレコードは、海賊盤を含め、かなりの枚数を揃えたものですね。50枚、100枚…。いや、数ではないですね。彼らに関する書籍や写真集もかなり集めました。だから、彼らについて知っている人で私の右に出るものはいない、と自負していました。左から出てきたら仕方がないが…。

高校時代からバンドを組み、彼らの曲をかなり演奏しました。歌詞についても、知り尽くしているつもりでした。

それが、この標題については、カルチャーショックに近いものを感じました。
実は、これは世紀の大誤訳だったのです。

ビートルズを知っている人には説明するまでもないでしょう。この曲は、1965年発売の彼らの6枚目のアルバム『ラバーソウル』の2曲目に入っています。ジョン・レノンが自分の私的生活を基にして作曲したもので、ジョージ・ハリスンが初めてインド楽器シタールを取り入れた曲としても知られています。

原曲名Norwegian Wood、邦題「ノルウェーの森」。
この曲に刺激されたわけではないでしょうが、村上春樹が、この題名を借用して同じタイトルで出した小説が大ベストセラーになったことは良く知られていますね。

だから、これは正しい、とずっと勝手に誤解していたのです。

間違いを指摘したのは、作家の林望氏。
Woodは「森」なんかじゃない。紙数がないので、結論を先に書くが、「森」ではなくて、単なる「木」。もっと正確に言えば「木製の家具」。

つまり、「ノルウェー製の家具」だったんですね。これには本当に驚きました。
嘘だと思った人は、もう一度、歌詞を聴いて確かめてください。