サイトのIT技術者松長哲聖氏が急逝=渓流斎ブログは今後どうなるのか?…

  ちょっとショックなことがあり、口もきけないような状態です。

 この《渓流斎日乗》ブログのサイトの立ち上げから技術トラブル処理に至るまで、何から何までお世話になっていたIT企業社長の松長哲聖氏に、何度メールや電話で連絡しても通じなかったことから、入院でもしているのかと思い、昨晩、湯島にある酒房に直接行って主人の坂元氏に事情を聞いたところ、7月に亡くなっていたことを聞かされたのです。

 何と言っても、松長さんは、私の高校の後輩で、私より一回りも若い。亡くなったのも53歳という若さでした。前日、夜遅くまで呑んでいて、翌日、自宅近くで散歩途中で倒れて、帰らぬ人となったといいます。普段からお酒の飲み過ぎで、私もよく注意したものでした。そして、彼には「俺より先に死ぬなよ。12歳も違うから死ぬわけないか。でも、お酒は控えた方が良い」と約束していたので、悔しくて涙も出ないほどです。本人も自分自身がこんなに早く身まかるとは思ってもいなかったと思います。

 彼とは、2016年頃、海城高校の同窓会で知り合いました。名刺交換して、IT企業「プラニクス」という会社を自分で創設した社長さんだということは分かりましたが、具体的にどんなことをしているのかは知りませんでした。でも、プラニクスは、立派なホームページがあるので、事業内容が「ホームページ作成」や「インターネット広告・広告代理」などであることは、今では分かりますが。

 それが、ひょんなことで、彼と親密になるきっかけがありました。皆様御案内の通り、私はお城や寺社仏閣巡りが趣味です。ある日、家の近くを散歩中に、見知らぬお寺があったので、スマホを片手にそのお寺を検索してみました。すると、「猫の足あと」という首都圏を中心にした寺社情報のサイトがあり、それに概要から由緒に至るまで非常に詳しく掲載されていたのです。しかも、「新編武蔵風土記」などの文献も引用し、学術的価値もあって信頼できそうです。

 でも、「猫の足あと」? どっかで聞いたことあるなあ、と思い、彼からもらった名刺を再度見てみたら、吃驚。業務の一つとして、しっかり、「猫の足あと」も記載されていたのです。何だ、彼がやっていたサイトだったのか!です。(サイトに掲載されている寺社の写真は、全て、松長さんが足を運んで参拝して自ら撮影したものでした。どれだけ時間とお金を掛けたサイトだったことでしょう。彼は、首都圏だけでも全ての寺社は回り切れないと話していました。)

 それから、彼と連絡を取り、神保町にあった彼の会社というか事務所にも何度もお邪魔し、近くの居酒屋や、高校のラグビー部の後輩が経営する湯島の純酒肴「吟」や、彼の親戚筋の経営する池袋の焼鳥屋さん「雲吉」で飲むようになりました。それで、2017年9月から私のブログのサイトも独自に製作してもらうことになったのです。

 ブログに広告を付けて広告料が入るようになったのも彼のおかげです。そのため、そのブログの広告収入は個人事業主を申請して確定申告するようになったのでした。もっとも、その収入も微々たるものですから、一晩の呑み代で消えてしまいますが(苦笑)。

 彼とは、このブログに書けないような色んな話をしました。彼は、名門都立日比谷高校を蹴って、海城に入り、某国立大学に合格しながらそれも蹴って、「高卒」で起業した人でした。かなり苦労した話も聞きました。それでも、大変な勉強家で、ほぼ独学でITをマスターしたようなのでした。

 頭の良い彼は、酔うと自信満々になるところがありましたが、普段は気立てが良いというか、気前が良いヤツでした。こうして書きながらも、あの若い彼がこの世から去ってしまったとは今でも信じられません。

 彼の急死で、この渓流斎ブログがこの先どうなってしまうのか分かりません。でも、やっと、奥さんと連絡を取ることが出来まして、今後、会社の継承者を模索中だということまでお伺いしました。

 いずれにせよ、畏れていた最悪の事態が起きてしまった感じで、茫然自失です。

77回目の終戦記念日に思ふ

 いつも渓流斎ブログを御愛読賜り、誠に有難う御座います。最近、驚くべきことに1日のアクセス数が「3000」台を達成することが多くなっております。普段は1日「300」とか多くても「500」ですので、「どないしたんやあ?」といった心境になります。

 よくよく調べたところ、今年1月17日に配信した「比企氏一族滅亡で生き延びた比企能本とその子孫の女優=『鎌倉殿の13人』」のアクセスが異様に多いことが分かりました。ということは、NHKの大河ドラマを御覧になっている方が、たまたま暇つぶしに検索したら、私のブログが出てきたということなのでしょう。まあ、「通りすがり」ということで、この異様なアクセス数も一過性だということが分かりました(笑)。

銀座「マトリキッチン」デザート

 昨日は8月15日。77回目の終戦記念日でした。戦後生まれが今や8割を超えるといいますから、ますます戦争体験者が減り、防衛費増強が叫ばれる中、今後の日本はどうなってしまうのか心配です。終戦記念日の昭和20年8月15日から77年経ち待ちましたが、昭和20年から見ると、77年前はちょうど明治維新の年、明治元年(1868年)なんですね。欧米列強に追いつけ追い越せという「富国強兵」策で、日本は、日清、日露、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と戦争に明け暮れていました。

 この明治から昭和にかけての先人たちについて、後世の安全地帯にいる私が一方的に批判するつもりはありません。むしろ、あの19世紀から20世紀にかけての帝国主義、植民地主義で世界がしのぎを削っている中、日本が植民地化されないための苦肉の策の軍国主義はある程度、致し方なかったと思っています。当時最も尊敬された人物は軍人さんでしたからね。

 ただ、あの時代は「人権」思想がなかったのが問題です。東北の飢饉で娘が身売りされていたのは人身売買であり、いまだに奴隷制度が残存していたことになります。維新で、封建時代を打破できたと思ったら、明治以降は公侯伯子男の爵位のある身分社会が温存され、陸士・海兵を出たエリートだけが優遇される階級社会でしたので、一兵卒などは虫けら同然の扱いです。兵站(ロジスティックス)の概念すらなく、飲食物は「現地調達」にして補給がないので、戦死者の大半は餓死でした。ランチサンドにチョコレートまで付く恵まれた米兵とはえらい違いです。(インパール作戦の司令官牟田口廉也も、それに続くビルマ戦線の司令官木村兵太郎も、「あとは宜しく」と自分たちだけが飛行機に乗って戦場と白骨街道から脱出、いや逃亡しています。併せて16万5000人の戦死者を出したというのに)

 8月15日に終戦にはなりましたが、軍隊は即日解散されたわけではありません。9月2日に米戦艦ミズリー号降伏文書の調印でやっと全面的に武装解除されたと言えます。私の父は大学受験に失敗したため、17歳で志願して帝国陸軍の一兵卒になり、19歳になる2日前の18歳で終戦を迎えましたが、炊事当番だっため、1週間ほど上官の食事を作るために残された、と聞いたことがあります。戦争が終わっても特権階級から奴隷のように使役されたわけです。

新橋「奈良県物産館」 柿の葉寿司ランチ1200円

 大東亜共栄圏の高邁な理念と思想だけは、GHQと東京裁判が断罪するほど酷くはなかったのですが、統治する日本人のエートスが「強い者にはこびへつらい、弱者には虎の威を借りて傲岸不遜に振舞う」では、盟主としての資格は全くありません。迷惑を掛けたアジアの人々に対して反省だけでは足りないと思っています。(現地の人たちは、欧米列強から解放を謳いながら暴力で支配する日本よりもましだと欧米を選んだのです)

 日米開戦からわずか半年で、日本はミッドウェーで大敗し、それからは玉砕に次ぐ玉砕で、挙句の果てには鬼畜と見下していた外国人から歴史上初めて占領・支配される始末です。(開戦時、米国のGNPは日本の12倍もあったという無謀な戦争)日本史上最悪の時代でしたが、日本人は痛い目に遭わなければ分からない民族です。もし、連戦連勝だったら、今でも戦争を続けていたことでしょう。それは、ウクライナに侵攻したロシアを見れば分かります。

◇旅行キャンセルし、夏休み返上

 さて、目下、お盆休みとなり、私も今頃、日蓮宗の総本山身延山にお参りに行っていたところでした。しかし、コロナの第7波の感染が拡大して、感染者数も高止まりし、おまけに、先月7月は個人的に病気をして1週間も会社を休んでしまったことから、旅行はキャンセルしてしまいました。身延山のキャンセルは2年連続2度目です。

 ということで、夏休みは返上して、しっかり、出勤しております。

新橋「奈良県物産館」 かき氷950円

 あ、そう言えば、先日、このブログを読んでくださる都内にお住まいのNさんからは「もう一人の自分をつくられることが必要ではないですか」との助言も頂いたことを書きました。どうしようか、ずっと考えていたのですが、もう一人の自分は、何も日本人にすることに拘る必要はない。一層のこと、フランス人にしようということで、名前も考えました(笑)。

 François Hautchamp ( フランソワ・オウシャン)です。

 フランソワは、アッシジの聖フランチェスコに由来するらしいですが、フランス人にはよくある名前です。国王や、ラブレー(作家)、ミッテラン、オランド(大統領)もフランソワです。オウシャンは私の造語で、Hautは高い、champ は田んぼという意味です。オウシャンは、マルセル・デュシャンみたいでいいじゃないですか(笑)。

 もう一人の自分、フランソワ・オウシャンはバカロレア試験を控えた1970年代のリセの学生という設定です。これから、サルトル、カミュに加え、ポール・ヴァレリーやレヴィストロース、メルロー・ポンティー、アンリ・ベルクソン、ミシェル・フーコーらを読破しなければ、試験にすら臨めないといった状況です。

 パスカルを例に出さなくとも、人生はどうせ暇つぶしです。好きなことをすれば良いのですが、個人的に、今さら、「呑む、打つ、買う」にのめり込む年齢(とし)ではあるまいし、です。

 1970年代のフランス人の学生フランソワ・オウシャンがもう一人の自分…いいんじゃないでしょうか?!

 

ブログ更新できなかった言い訳=コロナは陰性でした

 ブログ更新は7月15日(金)以来実に1週間ぶりです。

病気してました(苦笑)。今年5月の大型連休中には酷い風邪に罹り、3日間も寝込みましたが、今回はもっと酷くて、17日(日)昼前から21日(木)深夜にかけて、5日間もwatery diarrhea に悩まされました。多い時は、夜中に20回もトイレに駆け込みましたから、疲労困憊。薬をのんでもなかなか治らず、こんなの初めて。さすがに人間やめたくなりましたよ(苦笑)。

 一番辛かったのは、私の人生の愉しみの「最後の砦」(笑)だった食欲が全くなくなり、少し口に入れても受け付けなかったことでした。アルコールも駄目です。

 先週までは、入院した友人や、メールをしても返信が来ない年長の先輩たちの健康問題のことばかり気になり、心配ばかりしておりましたが、自分のことで精一杯になり、それどころではなくなりました。人生、美味しいものが食べられて、夜ゆっくり眠られることが最も幸せであることを身に染みて体験しましたよ。

◇コロナが身近に

 15日(金)を最後に会社に行っていなかったのですが、その間、不運にも会社の同僚が新型コロナに感染していたことが分かりました。彼は、かなりの潔癖症で、手洗い消毒は欠かさず、帰宅する際に自分の机の周りを一生懸命にアルコール消毒するほどでした。しかも、会社の近くに住んでいるので通勤電車に乗ることさえありません。不思議ですねえ。一番気を付けていて、一番罹りそうにもない人がコロナになるとは!

 私自身は熱も咳もありませんでしたが、一応受けておいた方が良いと考え、19日に自宅近くの内科クリニックで、「ついでに」PCR検査も受けることにしました。翌日、結果が分かるはずでしたが、ここ最近、コロナ患者が爆増したこともあり(7月21日は全国で18万6246人、東京でも3万人を超え、過去最多)、検査も殺到して、間に合わず、21日の朝8時にやっと、結果が分かりました。

 結果は「陰性」でした。ヤレヤレです。

銀座「ローマーヤー」イングリッシュマフィンのオープンサンド~ローストビーフとクロックマダム~1540円

 クリニックの先生はとても良い人なのですが、どういうわけか、「症状」が出た人は院内の冷房の効いた待合室に入れてもらえず、外の炎暑で待たされます。自家用車を持っている人はいいでしょうが、私にはないので、暑い中、外のベンチで、一時間ぐらい虫の息で待ち続けました。そして、色々と症状を聴かれ(問診)、いよいよ検査でもしてくれるのかな、と思ったら、看護師さんらしき人が出てきて、会計と処方箋の紙を持ってきただけです。多分、食当たりか、ウイルス性胃腸炎でしょうが、病名も何も分かったもんじゃありません。どちらにも効く薬を処方したようでしたから。

 こんな目に遭わないためには、人間、病気にならないことです。でも、細心の注意を払っている品行方正な真面目人間に限って、病魔が襲ってくるんですよね。どうにかなりませんかねえ?…。

銀座・昭和通り

 実は、症状が一番きつかった18日(月)=「海の日」祝日=は、私の誕生日でしたので、3人の友人知人と、親戚家族からお祝いのメッセージを頂きました。その中には、Facebookをやめたのに、わざわざ私のブログに直接アクセスしてくれたり、意外にも「隠れて読んでいる」人だったりしました。驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 というようなことがあったもので、御心配をお掛けした皆様に対して、今回、ブログを更新できなかった言い訳をクドクド述べさせて頂いたわけです。

 人間、健康が一番。健康にさえなれれば、死んでも構わない。ちっぽけなブログを貶されようが、監視されようが、大したことではありません。

 なんくるないさー。

ブログにそんな力があるのか?

今朝の新聞を読んでいたら、ブログは結構、力があるようで、知らない人でも簡単に署名したり、ヘイト運動に参加したりする人もいるようですね。

いわゆるネトウヨに感化されて署名した人が後悔しているという記事でした。

でも、この渓流斎ブログは無力であり、他人(ひと)様を煽ったり、署名を求めたりしませんからご安心ください(笑)。

とはいえ、読んでも気分が爽快になったり、鬱憤晴らしになったりするかといえば、その逆で、妙に暗い気分にさせられたりすることもあるので、その点はお許しのほどを。

今日は暗い話なので、この先は読まない方がいいと思いますので、ここまで読んで下さっただけでも有難う御座いました。この先は、本人の備忘録ですので、さようなら。

◇◇◇◇◇

迂生も初老の域に入って、色々と身体のあちこちで悲鳴をあげ始めだしました。先日は会社で健康診断を受けましたが、相当悪く書かれました。

あと、何年生きられるかなあ? 漱石49歳、鴎外60歳、芥川35歳、太宰38歳、三島45歳は暗記してましたが、随分お爺さんに見えた谷崎と荷風散人はともに79歳だったとは。

驚いたことに司馬遼太郎は72歳。今思うと随分若かったんですね。それにしても凄い量の仕事をしたものです。今や読まれなくなった哲学者のサルトルは74歳。こちらも意外と若かった。話は飛んで楽聖ベートーベンはまだ56歳の若さで亡くなっていたんですね。モーツァルトが35歳だったので、随分長生きしたのではないかと思っていたので、こちらも意外でした。

また、自分のことですが、体重が学生時代と比べ15キロも増えて大台に乗り、胴回りが昨年と比べて3.5センチも増え、さすがにビールを控えてダイエットを始めました。その甲斐あって、ほんの少しだけお腹が引っ込んでくれた感じです(笑)。

一昨日は、奥歯の銀色の詰め物がまたまた取れました。今年に入って5,6回目。ということは、毎月1回の頻度で取れていたということになり、今日はとうとう新しく詰め物をつくることにしました。麻酔をかけてくれたので、痛みは感じませんでしたが、30分ぐらい椅子に縛り付けられ、口を開け、先生に「ベロを動かさない」と何度も注意され、「助けてくれえい」と弱音を吐きたくなりました。

おまけに、今日は腰痛が久しぶりに出てきて、歩くのが少ししんどい。我ながら、何でこんなつまらないことばかり書くのか不甲斐ないのですが、実はもっと深刻な問題にも巻き込まれ、そのことは流石にブログには書けませんね。

そういうものでしょう。それが普通でしょう?

本来なら、日銀の金融緩和策はいつまで続くのか? 米国に対する報復関税で、真の貿易戦争が始まるのか? またまた円高株安に見舞われるのか?ー といった高尚な案件に触れるべきなのかもしれませんが、ちょっとその体力気力がないのでやめておきます(苦笑)。

あれ? 最後まで読んで下さったんですか? お有難う御座います。

【業務連絡】《渓流斎日乗》プラットフォーム完成

パリ・ルーブル美術館

早くも11月1日。今年も残り少なくなってきました。9月1日に独立独歩で、《渓流斎日乗》を新しく立ち上げて丸2カ月にして、やっとプラットフォームが完成しました。

IT青年実業家の松長会長による不眠不休の突貫工事のおかげです。ホームページのトップ画面にあるジャンル別の五大「カテゴリー」が決定し、その下に中カテゴリー、小カテゴリーと手繰り寄せることができます。

例えば、大カテゴリー「芸術評」→中カテゴリー「演劇」→小カテゴリー「歌舞伎」といった具合で、過去記事に遡ることができます。

何しろ、2005年からの現在まで12年間分の記事(ただし、08年から15年間分までの7年間分は消滅)がありますから、まだ全て整理できておりません。終わるのに数年かかるかもしれませんが…(笑)。

パリ・モンパルナス「ドーム」

せっかく、この《渓流斎日乗》を「世界最小の双方向性メディア」(登録商標思案中)と銘打っておりますから、皆様からの情報をお待ちしております。

ただし、なにぶん一人でやっておりすから難しいご注文は御勘弁ください。

先日、業界紙の敏腕相川記者から、何の脈絡もなく、急に「納沙布岬にいます。今すぐ来てください」なんていうメールが飛び込んで来ました(実話)が、そりゃあ、流石に無理でしょう(笑)。

《渓流斎日乗》に取り上げてもらいたい情報がありましたら、ホームページの一番下にある「お問い合わせ」か、コメントにお寄せください。

貴方もスクープ記者になれるかもしれませんよ。

宜しゅう頼みます。

渓流斎、ついに断筆宣言?!

江戸城大手門口

【政治屋】
うまくいった。帝国議会で、やっと俺様一強多弱法案が通過したぞ!これからも縁故主義を徹底し、気にいらねえ奴は、どんどんしょっぴいてやる。讒謗律でも新聞紙条例でも国防保安法でも何でもいい。

とにかく、主義者や危険思想の持ち主、扇動家、弱い無名ブロガーはドンドン逮捕しろ!

【公安当局】

へー、八丁堀の旦那、分かりやんした。

あっしも、渓流斎とかいう野郎、むっかしから気に喰わなかったんでがんすよ。

あんの野郎、いつも調子の良いことばかしほざきやがって、ただじゃおけねえ。そう、思ってたところでがんすよ。

市中引き回し、獄門、遠島…何でも御座れ。

あやつの息を止めて、まずは金輪際、ブログなんぞで危険思想をばら撒かないよう断筆宣言させましょう。

お約束致します。

何の花かなあ?

【渓流斎】

最近、スマホ中毒で眼精疲労になってしまいました。

ススメ ススメ ヘイタイサン ススメ

木口小平ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ(尋常小学校修身書)。

渓流斎は寝ても覚めても、電車に乗っても、トイレに入ってもスマホを離しませんでした。

これじゃあ眼痛で夜も眠れない。

百薬の長の酒だって、呑み過ぎたら身体に悪い。賢者は「休肝日」を設けるものです。

て、ゆうことで、小生も「休刊日」ではなく「休眼日」を設けることにしやんした。

それゃあ、毎日毎日、小さな液晶画面ばかし見てたら、お目めさんも疲れますよ。

今、毎月400円払えば、週刊新潮、文春、現代、ポストを始め、月刊誌まで100冊ぐらい読めるネットサイトもあり、契約しようか、どうしようか悩みましたが、やめました。あの憎っき、ドコモですからね(笑)。それに、人智を超えているというか、自分の処理能力を超えてます。

100冊なんか読めるわけない。しかも、液晶画面で眼が痛くなる。それで人生が終わってしまう…(笑)。

…ちゅうことで、断筆はしませんが、たまには休筆させていただきます。

熱烈な読者諸兄姉の皆々様方にはご迷惑をおかけしますが、今後とも御指導、御鞭撻の程宜しゅうお頼み申し上げ仕りまする。

渓流斎ブログ、昨日のアクセス数が第22位とは!怖い、恐ろし過ぎる…

菜花散歩道

【4月26日のアクセス数】
閲覧数=5,028PV 訪問者数=3,873IP 順位=22位

えーーーー!?

何かのま、ま、間違いではないでしょうか。

御覧の通り、昨日のアクセス数が第22位だったとは!閲覧のペイジビュー(PV)も5028? ありえない!普段のPVは250~350で、順位は6000位~7000位ですからね。

史上最高値ながら、お~コワ~

何かあったんすか?

昨日取り上げたオノ・ヨーコさんの威力だったんでしょうか?

恐ろしい有事になったものです。

ま、今日も平常心でいきましょう。(スポーツ選手か?!)

今村復興相発言を逆手にとって、昨日からツイッターで「東北でよかった」というハッシュタグで、東北の素晴らしさを発信する人が増え注目されているそうですね。

綺麗な三春の桜や、美味しそうな盛岡冷麺の写真などが投稿されています。

正直、あたしは、ツイッターは個人サイトみたいなもんはあるものの、波長が合わないといいますか、はっきり言って読みづらいので、殆ど見ないのです。

しかし、この渓流斎ブログは、ツイッターと同期しているので、投稿するとツイッターにも掲載され、恐らく、昨日はそれでアクセス数が増えたのかもしれません。(でも、いつも同期してるんですが)

ところで、渓流斎の先祖は、久留米有馬藩の御舟手役とかだったらしいので、オリジンは九州人です。

しかし、おなじ佐賀九州人の今村・前復興相とは違い、東北に対する愛着度は何百万倍もあります。

そもそも、この渓流斎という雅号は、釣りとは関係なく、青森県十和田市の「奥入瀬渓流」から拝借したものだということは、長年の愛読者の皆さまは既にご存知でしょう。

しかし、渓流斎ブログは秘密結社のように(笑)、体制批判のスタンスでやっておりますから、あまりアクセス数が多くなると、共謀罪に引っかかるのではないかという懸念がありまする(笑)。

誰も読んでいないと思えば、気楽に書けるのに…と、内心喜んでおきながら、早くも天邪鬼ぶりを発揮してます。

それにしても、恐ろし過ぎる…

フラフラ千鳥足

例年でしたら、この時期は、京洛先生の御導きで、京都で紅葉狩りなんぞをしていたのですが、今年は、諸般の事情で無理です。

先日、ヨレヨレの千鳥足ながらブログを再開したところ、京洛先生がいち早く東福寺に出掛けられ、紅葉の写真を送ってくださいました。

もし、この写真が上手く掲載されたら、F社のブログから、また、このgooブログを使用させて戴こうかと思います。

前回のgooブログが、この電脳空間から突然消え失せてしまったことについては、皆さんも驚かれたでしょう。

私も驚きました(笑)。

gooの有料メールを止めようと、IDを解約したところ、ブログまで消えてしまったのです。あとから、細かい字で書かれた説明書を読み返したら、そう、書いてあったのですが、そこまで全く頭が廻りませんでした。

あの、300万近くもアクセスのあった膨大な情報量と特ダネ写真は、一体何処に消え失せてしまったのでしょうか?

関係各位の皆様方にも大変御迷惑をおかけしてしまいました。

でも、気を取り直して、フラフラ千鳥足で、元気な時に更新していきましょう。

そういうものです

公開日時: 2008年6月18日 @ 22:12

私がブログを始めたのも、世間で認知されている識者と呼ばれている輩の学のなさ、いい加減さに呆れてしまったからです。

私のような人間でも世間に向かって発言してもいいのかもしれない。

それが、きっかけでした。

お久しぶりです

お約束通り、渓流斎日乗を2週間ぶりに再開致します。

おまちどおさまでした。え、待っていない?これは、失礼致しました。

正直に書きますと、この2週間、何をしていたかと申しますと、試験勉強をしておりました。24時間、暇がある時は、すべての時間を勉強に費やしておりました。好きな本は読めませんでした。映画も見ません。もちろん、テレビなんかも見ません。(横目でチラチラ以外は)

パソコンは、メールのチェックで見ました。序に、このページを開きました。ほとんど、スパムメールというか、不届きなコメントやトラックバックを削除するためでした。

そして、序にアクセス数を見ると、それが、あまり変わらないんですよね。(笑)休筆しても、しなくても、変わらない。これは、何を意味するんでしょうか?

まあ、今は、試験が終わったばかりなので、まだ、現実感を取り戻していません。まだ、下界に戻っていないという感じです。

明日から本格的に再開するかどうか、まあ、ブログを書かないことが習慣になってしまったので、どうなるでしょうか?