ギブソン破綻と大陸新報と記者の劣化

私は、少年の頃、ギター小僧でしたから、フェンダーやマーチン、ギブソンと聞くと、襟を正したくなります。

当時でも20万円、30万円は軽くしましたから、とても手に届くはずがなく、憧れの的でした。

ですから、昨日(米時間5月1日)、「ギブソンが破綻した」というニュースを聞いた時は本当に驚き、悲しくなりました。「ギブソンが危ない」という憶測記事が数週間前に流れていたので、覚悟はしておりましたが、やはり、寂しい。米裁判所に連邦破産法11条(日本の民事再生法)の適用を申請したらしく、負債は最大5億ドル(550億円)だとか。

5月2日付朝日新聞夕刊の記事によると、ギブソン破綻の原因は、ギターをあまり使わない「ヒップホップ」が人気を集める一方、ロック音楽が低迷し、エレキギター市場も縮小傾向が続いていたからなんだそうです。そのせいで、ギブソンは、日本のティアックなど音響メーカーを買収して多角経営を図ったのですが、それも裏目に出たようです。(再建後は、ギター製造に専念するらしい)

ギブソンは1894年創業といいますから、ロックなんてありません。もともとは、カントリーやジャズ、ブルースギターを中心に始めたのでしょうが、記事を書いたのは若い記者のせいか、一言も触れていません。ギブソンを愛用したギタリストとして、「ルシール」と名前を付けて愛用したB・Bキングは当然出て来なければならないし、何と言っても、レスポールギターの生みの親である名ギタリストのレス・ポールは最重要人物です。恐らく、若い記者は知らなかったのではないでしょうか。

批判ついでに、同じ朝日新聞夕刊の社会面に「戦時下の上海  幻の雑誌」「井伏・壷井ら有名作家ずらり」といった見出しで、太平洋戦争末期に上海で発行され、これまで「幻の雑誌」とされてきた日本語の雑誌が北京などで見つかり、その内容が明らかになった、と報じてます。

北京の図書館で見つかった雑誌は、月刊「大陸」で、これまで日本の公共図書館では所在が確認できなかったといいます。そこには井伏鱒二や壷井栄ら有名作家らも寄稿していたといいます。それはそれでいいのですが、この雑誌「大陸」について、「日本軍などの支援で創設された新聞社『大陸新報社』が1944年に上海で創刊した」としか書いておりません。

大陸新報社=朝日新聞ですよ!ブラックジョークかと思いました。山本武利さんの「朝日新聞の中国侵略」(文藝春秋)を読んでいないんでしょうかね?大陸新報は、朝日新聞が昭和14年に、帝国陸軍とグルになって、大陸利権を漁る方便として創刊した新聞なのです。侵略の急先鋒みたいなもんです。その事実をひた隠しにしているとしたら、随分と悪意がありますね。

もし、その事実を知らないで若い記者が書いたとしたら、不勉強というか、記者の質が劣化したと言わざるを得ません。

大陸新報と朝日新聞との関係を知っていて、わざと書かなかったとしたら、これはまた酷い話です。原稿を見たデスク、整理部か編成部か知りませんが、校正と見出しを付ける部署も含めて、「証拠隠滅」と言われてもしょうがないでしょう。

「新聞社崩壊」(新潮新書)を書いた畑尾一知さんが心配した通り、このままでは、記者とデスクの劣化で本当に新聞社は崩壊してしまうかもしれませんよ。

根津で忘年会 小三治の話、伊藤律の話…

東京・根津「車屋」

最近の華麗じゃなかった、加齢と動体視力の低下によりまして、電車内でスマホで毎日更新することが、正直、身体的にとてもしんどくなりました(苦笑)。

◇根津の「車屋」で痛飲

先週の土曜日といいますと、12月2日に東京・根津で開かれた忘年会に参加しましたが、マスコミ業界紙の敏腕記者から「書かないと刑事告訴しますよ♪」と脅されていたにも関わらず、体力的にすぐに書けませんでした(笑)。

ま、今日は簡単に触れます。ちょうど去年の今頃、東京・目白の「五城目」という秋田料理の小料理屋さんで忘年会をやったと思ったら、あれからもう1年も経ってしまったんですからね。早いもんです。今年は、紳士淑女合わせて9人も集まりました。

根津は落ち着ける安くてうまい居酒屋がたくさんあるので、私も好きな街です。串揚げの「はん亭」とか小料理屋の「うさぎ」なんかは昔、よく通ったものです。

今回の会場「車屋」という所は、赤羽彦作村長行きつけの店で、私は初めて行く居酒屋さんでしたが、雰囲気があるなかなかの店でした。お店の人は忙しいのでなかなか注文を聞いてくれませんでしたが、かの有名な吉田類先生の大きな色紙が飾ってありました。

東銀座「凱旋門」生姜焼き加齢じゃなくて、カレーランチ800円

大した話をしたわけではありませんが、有名出版社に勤める成田さんが、熱心に落語の話をされてました。

今は人間国宝の柳家小三治の大ファンというか、追っかけをやっていて、先日は、遠路、埼玉県志木市文化会館で開催された独演会にも行かれたそうです。

そして、熱烈な小三治ファンだけに、彼の愛車のナンバーが「★532」だということまで掴んでおりました。532で小三治と読めますね。(笑)

成田さんが最も敬愛していた落語家は古今亭志ん朝らしいですが、彼も若くして亡くなってしまいました。

自慢話になりますが、私は、20年以上昔になりますが、小三治さんにも、生前の志ん朝さんにもお会いしてじっくりお話を伺っているんですよね。  成田さんには鼻高々です(笑)。

◇伊藤律と甘粕大尉の架空インタビュー

ところで、いつも私を脅迫して喜んでいる敏腕記者は「《渓流斎日乗》はウソばっかし書く。フェイクニュースだ」と、どこかの国の大統領のように絡んでくるので、私も反論しました。

「かの大新聞、朝日新聞が、当時、北京に幽閉されて、外部の人間に会えるわけがない伊藤律にインタビューした、という記事を掲載し、『架空インタビュー』ということで、世間では大騒ぎになりました。フェイクニュースは今に始まったわけじゃありません。そして、もう一人…」と言った途端、名前が出て来ず、「あ、忘れてしもうた」と大失態を演じ、大笑いされてしまいました。トホホ…

悔しいので、ここに書きます。大正12年、関東大震災のどさくさに紛れて無政府主義者の大杉栄らを惨殺したとされ、軍法会議の前に雲隠れしていた甘粕大尉のことでした。

当時、何処の新聞社も先を争って血眼で甘粕大尉の行方を探しますが見つかりません。そこで、某新聞社が会ってもいないのに甘粕大尉のインタビューを掲載して、後で「架空インタビュー」だと発覚するのです。

私も、この場で、汚名返上、名誉挽回が少しできてスッキリしました。

ワセダクロニクルが天下の電通と共同に果たし状!

久し振りの

今、早稲田大学ジャーナリズム研究所が運営するワセダクロニクル(Waseda Chronicle)というネット上の調査報道メディアが注目されています。

編集長は昨年、朝日新聞の調査報道の「限界」を見極めて同社を退社した人です。

本来、ジャーナリズムというものは苦労と手間ばかり多く、あまり儲からないものです。

昔は「ブン屋」と蔑まれ、まずは表玄関では会ってくれず、「裏口に回れ!」と叫ばれた賤業でした。相手の男の職業がブン屋だと分かると、父親は「娘は嫁にはやらん!」と断ったものです。

これは、嘘でも冗談でもなく、ブン屋は職業として「犬殺し」と同等の扱いでした。

何故これ程まで、ブン屋が嫌われたのかと言いますと、「報道」にかこつけた恫喝、恐喝まがいなことをする事案が多く、報道と宣伝との境界が曖昧だったからなのです。

業界の専門用語に「記事稿」と呼ばれるものがありますが、これは、一般の報道記事に見せかけた広告のことを指します。今でも、証拠隠滅逃れのために紙面の片隅に虫眼鏡で見ないと分からないほど細かい字で「広告」と書かれています。

この記事稿を発明した人は誰なのか分かりませんが、日本でその手法を高めたのは恐らく、1901年に電報通信社を創業した光永星郎だと思います。

電報通信社は昭和11年、聯合通信社に吸収合併される形で同盟通信社となり、戦後は電通として復活します。同盟が解散してできたのが、この電通と共同通信社と時事通信社です。

で、最初に取り挙げたワセダクロニクルですが、調査報道として、この電通と共同通信社を俎板に乗せております。両社が製薬会社と結託して、記事に見せかけた広告を共同が全国の地方新聞社に配信し、その記事を一方的に信じた読者が、その高価な脳梗塞の予防薬や糖尿病治療薬などを購入したというシリーズ「買われた記事」を報道しております。

まあ、詳しくは「ワセダクロニクル」http://www.wasedachronicle.org/ を検索して読んでみて下さい。

ワセダクロニクルは、広告「記事」を執筆した共同通信社の編集委員にまで突撃インタビューしており、まさに調査報道の最たるもんです。

恐らく、世間一般の人の中で、新聞の記事やラジオ・テレビのニュースが共同通信社が配信したものだと知っている人はほんの僅かでしょう。

全国には一県一紙以上は必ず地元紙があり、そこのニュースは大抵、共同通信社から配信されております。「朝日だ、読売だ」と騒いでいるのは、東京や大阪の大都会に住む人だけで、北海道の人なら道新、名古屋なら中日新聞しか読まないのです。

ですから、共同通信社の読者の累計は1000万部を超え、その影響力は、朝日や読売は足元にも及ばないわけです。少し言い過ぎですが(笑)。

その天下の共同が「成功報酬」を得て、記事に見せかけた広告を配信する暴挙は、何処のメディアも取り上げることはないので、ワセダクロニクルというネットメディアが今、注目されているわけです。

加計ありきの獣医学部新設

ハバロフスク Copyright par Duc de MatsuokaSousumu

産経新聞を読んでいますと、いつも「朝日新聞がどうした」「朝日新聞がこうした」という文言ばかり登場して、まるで朝日新聞がなければ産経の存在価値がないみたいです。

下衆な言い方をすれば、朝日新聞をネタにして飯を喰っている感じです。

動物の名前のような有名なスター記者も恥ずかしくないんでしょか?「モノを言う」新聞なら、他紙の見解などあまり引用せず、我が道を歩んだらどうでしょうか。

産経の読者なら、朝日なんか読みたくないでしょ。
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いわゆる右翼系と呼ばれる雑誌も同じです。「朝日新聞に鉄槌を下す」といった論調に終始してます。

これじゃ、まるで世の中は朝日新聞を中心に回っているみたいじゃないですか。朝日は、世間の人が思っているほど反体制派新聞でも何でもないですし、内閣府や財務省官僚のイタコになって庶民を欺く論説委員さんも沢山いるのですからね。

週刊文春もかつては同じような調子でした。朝日を飯のタネにしてました。しかし、ここ数年は様変わりして、何処の新聞社もできないようなスクープを連発しています。

もう朝日新聞はライバルでも何でもないつまらない弱小媒体に成り下がっていますから、気にすることはなくなったのでしょう。

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本日発売の週刊文春のスクープ記事「加計学園 安倍氏選挙応援で公選法違反の疑い」は、もしこれが事実だとしたら、とんでもない話です。

【以下引用】
週刊文春が入手した、2009年7月28日付の組合の「要求書」には次のように記述されている。

〈岡山理科大学、倉敷芸術科学大学および千葉科学大学に所属する事務職員が2009年8月末投票予定の衆院議員選挙において、実質強制的に特定政党の選挙運動に動員されていると聞き及んでいる。職場の上下関係において上位にある者が行えば、強要の意図がなくとも下位の者は非常に断りにくい状況に追い込まれることは火を見るより明らかであり、これは思想信条の自由に対する重大な侵害である〉

これではまるで便宜供与ですね。

安倍首相は国会で「李下に冠を正さず」と身の潔白を主張しておりましたが、これでは選挙応援の見返りに獣医学部新設を「岩盤を崩して」認めたようなもんです。

今日3日は、安倍首相は内閣改造を断行して目先を変えて逃げようとしているようにも見えます。

とはいえ、もう「終わった人」の動向には誰も興味を持たないかもしれませんね。

「新聞 資本と経営の昭和史」

 公開日時: 2007年10月10日

昨晩は、調布先生と半蔵門で会食しました。またまた、色々と人生訓をご教授して戴きました。

先生は、古い方なので、急に変なことを言います。例えば、

「博労の気質がなければ駄目だよ」というわけです。

博労といっても、よく意味がわかりませんでしたが、辞書によれば、牛馬の仲買人で、牛馬を品評する目利き役のようですが、それが、転じて、「博労の気質」というのは、何かを成し遂げてやろうという山っ気のある人物のようです。そういうことは、広辞苑にも載っていないので、私が勝手に判断したのですが、そういう言葉がポンポン出てきます。

博労の気質というのは、明治の時代から政治家や、実業家などに必要とされ、新聞記者なども、真面目なサラリーマンでは、記事の中身も面白みに欠ける。「博労の気質がなければ、駄目だ」というわけです。奥さんも、同じで、、英傑と呼ばれた人たちの女房には花柳界出身の人が多く、かつての経済団体の四天王(経済団体連合会の稲山嘉寛会長、日本経営者団体連盟の大槻文平会長、日本商工会議所の五島昇会頭、経済同友会の某=失念)といわれた人のうち、大槻氏以外の奥さんは皆、博労の気質の人だった(つまりそういう意味です)という興味深い話もしてくれました。

新聞記者なんぞも、ジャーナリストなどとお高くとまっていても、所詮、博労の民で、官僚の重要書類を盗み見したり、脅したり、すかしたりして、機密情報を取ってくるのが仕事で、「そんな大それた仕事じゃないよ」と言うわけです。

調布先生は私に、今西光男著「新聞 資本と経営の昭和史」(朝日新聞社)を読むように薦めてくれました。同書は、朝日新聞の編集局長から政界に進出した緒方竹虎を中心にした昭和初期の言論界における朝日新聞社の恥部が暴かれているそうなのです。

調布先生は憤ります。「朝日が、左翼だとか、反体制派なんて言ったら大間違いだよ。まさに、体制べったりで、右も左もオールマイティーなんだから。産経や週刊新潮が、朝日は左なんて言うのは、分かっていないね。戦時中は、朝日は飛行機を百何十機も国家から認められてるんだよ。こんなの国家との癒着じゃないか。今の電波行政みたいなもんだよ。当時の飛行機なんて、国家から割り当てられたんだから…。これだけでも、朝日が、いかにも体制派だったかの証左だよ」

もともと、朝日新聞は、大阪が発祥地で、東京日日新聞のように時の政府に対して敢然と立ち向かって言論を張る「大新聞」とは違って、庶民にも分かりやすいようにカナがふられ、スキャンダラスな事件を売り物にした「小新聞」だったというのです。

それが、明治の末に、東京の朝日新聞に池辺三山が夏目漱石を迎え入れて、文芸欄を作って、高級紙にステップアップし、政界にも太いパイプを築いていくのです。

「やっぱり歴史を知らなきゃ駄目だよ。インターネットやブログなんかにうつつを抜かしていたら駄目なんだよ」と調布先生は言うのです。

だから、もちろん、調布先生は、こんなブログは読んだりしません。

朝日新聞 虚報事件

昨日書いた米国のハリケーン「カトリーナ」の被害は最終的には、死者数百人に登るそうです。256人が死亡した1969年の「カミル」も上回るのではないかとも言われ、過去半世紀で最悪と言っていいかもしれません。
ニューオリンズは、一度は訪れて、ジャズやブルースのスポットをはしごしたいと思っていた所だったので、街の8割が浸水したというニュースを聞いてショックでした。

ところで、朝日新聞の虚報事件には驚きましたね。28歳の長野総局の記者が、取材もしていないのに田中康夫長野県知事の談話を捏造したというのです。思わず、伊藤律の架空インタビュー事件を思い出してしまいました。

「天下の朝日」がどうしっちゃったのでしょうね。他の五万とあるメディアの中で、あらゆる面で飛び抜けて優遇されているはずなのに、何で、明らかに、後になれば100%ばれてしまう嘘をついてしまったのでしょうか?問題の記者は「功名心が先走ってしまった」と弁解したそうですが、取材できなければ「取材拒否されました」と言えば、上司からも許されたと思うのですが…。

思い出すのは10年ほど前、漫画家の園山俊二さんが亡くなった時、訃報の記事を書かなければならなくなったことです。園山さんの自宅に電話すると、親戚関係の方らしい人が「窓口は朝日新聞になっているので、詳しいことはそちらで聞いてください」と言うのです。当時、園山さんは、朝日の夕刊で「ぺえすけ」という漫画を連載していました。

言われたとおり、朝日新聞に電話すると、担当者が出てきて「夕刊に出るのでそれを見てくれ」というのです。こちらは、夕刊の時間に間に合わせるために、記事を書こうとしているので、何度も押し問答が続きました。

当時の朝日新聞は「ウチが書かなければ、ニュースではない」という今から思えば、漫画チックなほど倣岸不遜な態度でした。

時代が変わり、インターネットの時代になり、さすがに、このようなことを言う朝日新聞の人は今では絶滅したことでしょう。

しかし、こうして「弱い」朝日を見ていると、妙に、あの10年前の「倣岸な」朝日が懐かしくしてしょうがなくなるのです。

頑張れ、朝日新聞!