銀座、ちょっと気になるスポット(3)=木挽町界隈

  「銀座、気になるスポット」と題しながら、前回は有楽町でした。今回も銀座のど真ん中とは言えない、ちょっと外れた東銀座の木挽町界隈を取り上げます。ここは、結構、意外と知られていない史跡があるからです。

 有楽町から南下して晴海方面に向かうと東西を走る大きな幹線道路に当たります。昭和通りです。港区新橋交差点から台東区の三ノ輪駅前までの8キロの道路です。大正12年(1923年)9月の関東大震災で帝都東京は壊滅的な被害を受けたため、当時、内務相兼帝都復興院総裁だった後藤新平の提唱で、幅108メートルの大道路が計画されました。しかし、財界等からの反対もあり、最終的には昭和3年(1928年)(張作霖爆殺事件があった年)に幅44メートルの道路が完成したわけです。

 銀座からこの昭和通りを横切ると、歌舞伎座などがある東銀座になります。そして、この辺りは、江戸時代は木挽町と呼ばれていました。歌舞伎通の方なら御存知でしょうが、木挽町と言えば、芝居小屋の町で、山村座(絵島生島事件で廃座)、河原崎座(後に森田座に吸収合併される)、森田座(休座するも、守田座と改め猿若町から新富町に移転)と三座もありました。

 もっとも、木挽町は、江戸初期に江戸城建設のために多くの木挽き(のこぎり)職人を住まわせたことからその名が由来します。ただ、江戸城の天守は、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍がつくりましたが、明暦の大火(1657年)で焼失して以来、天守はつくられませんでした。城の修繕だけになってしまえば、かなりの木挽き職人も失職したのではないかと思われます。

ホテルグランバッハ東京銀座 2021年11月30日開業

 と、ここまでは全部「前触れ」でして、ご紹介したかったスポットは、江戸中後期の老中だった田沼意次邸跡です。今は、「ホテルグランバッハ東京銀座」(2021年11月30日開業)というホテルが聳えだっています。

 このホテルの敷地内に中央区教育委員会による「案内板」がありますが、タイトルは「田沼意次邸跡」ではなく、「狩野画塾跡」となっています。江戸幕府御用絵師である狩野派は四派ありまして、そのうちの木挽町狩野家六代目典信(みちのぶ)が、田沼意次の知遇を得て、ここ田沼邸の西南角に画塾を開いたといいます。つまり、田沼意次は芸術家のパトロンだったということになります。

 田沼意次と言えば、賄賂政治の親玉で悪の権化みたいに歴史の教科書に描かれていますが、幕府の財政改革に踏み切り、株仲間を育成して商工業者から初めて税を徴収するなどの功績もありました。また、前野良沢、杉田玄白らによって「解体新書」が翻訳されたり、エレキテルの平賀源内が活躍したりした時代でもありました。

 田沼は、後に寛政の改革を進めた松平定信らを中心とした反田沼派の保守層によって失脚させられます。老中として改革の先頭に立っていた頃は、神田の上屋敷に住んでおりましたが、天明6年(1786年)、彼が68歳で失脚した以降に蟄居したところがこの木挽町の下屋敷でした。

1852年

 田沼意次が晩年を送った下屋敷と狩野画塾があった所から66年後の幕末、今のみゆき通りを挟んだ真向かいに信州松代の真田藩士で兵法学者の佐久間象山の塾がありました。

中央区役所 (新富町)

 中央区教育委員会の案内板によると、塾は20坪程度の規模で、常時30~40人が学んでいたといいます。門下生には、勝海舟、吉田松陰、橋本佐内、河井継之助、坂本龍馬ら錚々たる顔ぶれです。

土佐藩築地邸跡(現中央区役所)

 ちなみに、龍馬は当時、土佐藩中屋敷を拠点としていました。土佐藩中屋敷は現在、東京都中央区役所になっていますから、距離にして800メートル。佐久間象山塾まで歩いても10分という近い場所にあったわけです。

J-POWER電源開発 

 この佐久間象山塾は現在、何になっているかといいますと、「J-POWER 電源開発」の敷地の一部でした。

 電源開発は知る人ぞ知る会社です。昭和40年(1965年)の九頭竜川ダム汚職事件の舞台になった会社で、石川達三が、この汚職事件や吹原産業事件をモデルにして「金環触」という小説を発表しました。

 この小説は、1975年に山本薩夫監督によって映画化されました。金融王・森脇将光がモデルの石原参吉役が宇野重吉、代議士田中彰治がモデルの神谷直吉役が三國連太郎、藤井崇治・電源開発総裁がモデルの電力開発総裁・財部賢三役が永井智雄、官房長官の黒金泰美がモデルの星野康雄役が仲代達矢、とまさに役者がそろった名作でした。 (お見逃しの方は是非とも御覧ください)

 勿論、あの「金環蝕」の舞台になった電源開発の本社がここにあったとは、つい最近まで気が付きませんでした。佐久間象山先生も吃驚です。

銀座、ちょっと気になるスポット(1)=ジョン・レノンの「樹の花」

 《渓流斎日乗》のブログは2005年3月に始めたので、今年でもう17年になります…中途半端ですね(笑)。この17年間、どういうわけか、このブログが原因でかつては親しかった友人たちが、疎遠になってしまう事案が複数回、起きています。このままブログを続けて良いものか迷い道にはまり、正直、かなり落ち込んでおります。

 ある友人の非難の理由は、このブログが「衒学的過ぎる」ということでした。ま、小難しいことばかり書いていて、気取っている、ということなのでしょう。生意気だ、気に喰わないということなんでしょう。本人は全くペダンチックだとは思ってはおりませんが、預言者というものは、お里が知れた故郷では受け入れられないものです。

 「賢い読者からの指摘があれば、問題になりそうな箇所はすぐ削除する。まるで自民党の手口だね。男気がない」などという批判もありました。

 「どうしようもない三流のマスコミに何十年もしがみついてきた三流のジャーナリストの書くものは、読むに値しない」と直球を投げて来る友人もおりました。

 読みたくなければ、読まなければいいのですよ。わざわざ、アクセスする必要もないでしょう。と、言わなくても友人たちはとっくに離れて、このブログはもう読んでいないと思いますが(笑)。

 それにしても、世間に影響も与えないこんな小さな無名のブログが、何でそこまで、見ず知らずの赤の他人からではなく、親しかった友人たちから非難されなければいけないのか、理解に苦しみます。欧米では食事中に政治や贔屓チームの話をすることはタブー視されていますが、私自身もなるべく現在の世論を二分にするような政治的イッシューを取り上げることはわざと避けて来ました。炎上してもその場限りです。実にくだらない。わざとらしいし、恥ずかしい。わざわざ火中の栗を拾うこともないでしょう。

 もう、生身の現代人を扱うことは嫌になったので、最近のブログでは、なるべく歴史上の人物を取り上げるようにしていたのですが、それでも、やはり、衒学的ですかねえ?

 まあ、好きにしてくださいな。嫌ならアクセスしなければ良いだけの話です。こちらは、お読み頂ける読者の皆様がいらっしゃる限り続けていくだけです。勿論、感謝を込めて。

 さて、そんな中で、考えた企画は「銀座、ちょっと気になるスポット」シリーズです。飲食店だけでなく、気になった史跡なども取り上げて、お茶を濁そうかと思ったわけです。実は、これまでこのブログに登場したサイトも重ねて取り上げるかもしれませんが、その点はどうか御勘弁ください。

 記念すべき第1回は「樹の花」という喫茶店を取り上げることに致しました。失礼ながら、ランチにカレーライスを出すような何の変哲もない喫茶店ですが、あのジョン・レノンとオノ・ヨーコが利用したお店でした。

 1979年夏のことです。何とこの店が開店して4日目だったそうです。東銀座の歌舞伎座の「横」にありますから、てっきり、ジョンとヨーコが歌舞伎を見た帰り、たまたま立ち寄った喫茶店かと思っていたら、お店にしっかり説明書きがありました。

 ジョンとヨーコはハイヤーで築地の映画館に来ると、子どもたちだけを降ろして「スーパーマン」が終わる時間までどこかゆっくり過ごせる場所を探して銀座4丁目の方へ歩き始めた。…少し歩いた所で、偶然、樹の花という看板を見つけた。…二人は入り口に近い窓際のテーブルに向かい合って座った。コロンビアコーヒーとダージリンティーを注文すると互いの目を見つめながら静かに語り合う。…

 築地の映画館とは恐らく「東劇」のことでしょう。このビル(松竹本社)は改修(建て替え)されることが決まっており、間もなく閉館されます。

 「樹の花」は、ビートルズ・フリークの私ですから、一度、ジョンとヨーコが座った同じ席に座ったことがあります。今はどうなっているのか知りませんが、10年ぐらい昔、私が利用した時は、席の壁に二人の写真が飾られていました。

上野・洋食「黒船亭」1979年8月 ジョン・レノン(前列右から2人目)とオノ・ヨーコ ※お店の人に許可を得て撮影しております

 そう言えば、今年2月28日に行った上野の老舗高級洋食店「黒船亭」にも、訪れたジョンとヨーコの写真が店内に飾られていました。撮影日が1979年8月とありますから、ちょうど銀座の「樹の花」を訪れた時と同じような頃です。偶然の一致に少し驚いてしまいました。

 それにしても、「樹の花」が開店して4日目にジョンとヨーコが偶然、訪れ、この店は、それ以来今日まで43年間も続いているとは…。残念ながら、ジョン・レノンはそれから1年半後の1980年12月8日にニューヨークの自宅前で暗殺されてしまいます。行年40歳。

PCR検査に初めて挑戦=果たしてその結果は?

  東京・銀座のど真ん中、ということは銀座4丁目交差点近くのビル1階で、臨時に無料の「PCR検査所」が設けられていたので、初めて挑戦してみました。

 実は、そんな会場があるとは知らず、たまたま朝の通勤の際に通り掛かって発見したのでした。私は会社にはいつも早めに(30分前とか1時間前とか)に到着しているので、時間的に余裕があったのです。外で立っていた若い係りの人に「時間はどれくらいかかりますか?」と聞いたところ、「10分か15分ぐらいです」と応えてくれたので、思い切ってやってみることにしました。

 まあ、早起きは三文の得、といったところでしょうか。

東京・銀座4丁目交差点付近のビルで、臨時のPCR無料検査を実施

 でも、「無料検査」ということで、少し、不安になりました。主催者が「東京都」になっているのがチラッと見えたからでした。私は都民ではないので、都民税を支払っていませんからね(でも、地元ではしっかりと納税しておりまする)。しかし、もう一つの主催者は「内閣府」であり、私は日本国民であり、都心の銀座の職場に通勤しているわけですから、通用するのではないか、と開き直りました。

 それでも、受付の人から、色々と細かく聞かれ、何で検査したいのか理由まで聞かれ(後で記入)、「会社の同じフロアで感染者が何人も出たからです」と答えると、先方はやっと納得して、了承してくれました。

◇さて結果は?

 やり方は、細いプラスチックの容器に唾液を入れるだけですが、なかなか一定量が貯まりません。最初に係の人に「これでいいですか?」と見せたら、「まだ、足りませんよ」と言われ、再挑戦してやっと認めてもらいました。やはり、15分は掛かったでしょうか。

 で、どうなったのか? 実は検査を受けたのは昨日の朝9時ごろのことでした。もし結果が悪かったらどうしよう、と内心怖れていたのです。こんなことブログなんかに書かなければよかった、と後悔したかもしれません。いずれにせよ、検査を受けて陽性だった人は必ず保健所に届けることが義務付けられ、署名もさせられました。

 で、結果はどうだったのか?

 うーん、いやにタメますねえ(笑)。

 実は、たった今、主催者から、メールで返答があったのです。

 結果は「陰性」! 特に熱もないし、咳も出ないので、大船に乗った気持ちではありましたが、実は内心、ビクビクしていたのです。

 これで一安心ですが、これからも早寝早起き、うがい手洗い、消毒、三密回避、栄養のある食事摂取、適度な運動等は続けていこうと思ってます。

 他人様に御迷惑をお掛けしたくありませんからね。

いざ「竹葉亭」へ=ポイント乞食、老舗鰻屋に走る

 本日は、通勤途中、朝っぱらから原付バイクに乗った若いおまりさんから追い駆けられて叱られました。詳細は省きますが、嫌なことがあったので、通勤定期を買ったりして溜まっていたJRのスイカのビューカードに付いたポイントを今朝、駅にある「ビューアルッテ」で交換してきました。数千ポイント溜まっていたので、そのまま数千円分使えることができます。

 さて、どうしようか。差し当たって、今欲しいものは特にありません。いや、あるんですけど、それは、ジョン・レノンがはめていたパテック・フィリップの高級腕時計で、それは数千円ではなく、数千万円もするので、買えるわけありません(笑)。

 そこで、本日は高級ランチに行くことにしました。今、喉から手が出そうで出ない高級ランチと言えば、ここしばらく御無沙汰の鰻です。そして、鰻といえば、銀座界隈で食すとなると築地の「竹葉亭」に決まってます。竹葉亭は銀座5丁目にもありますが、やはり、本店の築地の方が落ち着いて食すことができます。

築地「竹葉亭」鰻お丼B 3520円

 このコロナ禍による不景気のご時世だというのに、店内はほぼ満杯で、少し待たされました。

 こっちはポイントで稼いだ余剰金があるので、大船に乗ったつもりで、「 鰻お丼」のAではなく、少し高いBを注文しました。

 さすが、幕末創業の竹葉亭。文句なしのお味でした。

 さて、お隣の席は、初老の紳士と三十路そこそこの若い女性で、何となく怪しい関係に見えるカップルでした。耳を塞ぐわけにはいかず、二人の会話は丸聞こえでした。

 どうやら初老の紳士は、スパイ映画007の大ファンらしく、全部観ているとか。何故なら、第1作「007 /ドクター・ノオ」が公開された年(1962年)に生まれているからだ、と紳士は若い女性に呟いていました。隣に諜報員がいるというのに、そんなことまで喋っていいんですかねえ。59歳か…これで、彼の年齢が分かってしまった(笑)。

 そして、007の大ファンのため、彼の愛用腕時計は、スイスの「オメガ」だと言いつつ、若い女性に自分の腕時計を見せびらかしていました。「まあ、凄い!」と女性が黄色い金切り声をあげたことは言うまでもありません。

 紳士のお仕事はどうもファッション関係のようで、青山にある高級ブランドB店の店長に今度紹介するよ、電話しとくよ、と何度も言ってました。恐らく、店長の口利きで割安で商品が買えるんでしょう。再び、若い女性は黄色い金切り声でした。

築地「吉兆」工事中?

 また、さて、ですが、以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、新橋、築地界隈は、明治時代から高級料亭が林立しています。「吉兆」、「松山」、「米村」、「金田中」(新橋演舞場)、「新喜楽」(芥川・直木賞の選考委員会が開かれますが、実はここは「築地梁山泊」の異名を取った大隈重信邸でした)、「ふぐ料亭わのふ」(かつての料亭「石蕗(つわ)」)、「花蝶」(1968年の日通事件の舞台になった)等々です。

 この中でも代表的な高級料亭は「東京 吉兆」ですが、久しぶりに近くを通ったら、何と今、工事中でした。しかし、「建築計画」の看板をチラッと見たのですが、吉兆の「き」の字も書かれていませんでした。

 「おかしいなあ」と思いつつ、会社に戻ってパソコンで調べたところ、どうも、あの「吉兆」がコロナ禍のあおりを受けて、今年1月で「休業」してしまったらしいのです。どうも事実上の「閉店」らしいのです。よく分かりませんが。

 世知辛い世の中になって、政治家さんたちが料亭で密室政治をやってくれなくなったからでしょうか…。残念といいますか、良きにつけ悪しきにつけ、日本の伝統文化がなくなったようで、何か哀しいものがあります。

 

ルソーの一族は時計職人だった=銀座・高級腕時計店巡り

 このブログでは、これまで、「銀座ランチ」とか、「銀座・明治新聞街」とか、「銀座・地方物産店巡り」など色々と「銀座企画」をやって来ましたが、少し、飽きてきたので(笑)、他のものをやろうと考えてみました。

 代替案はすぐ見つかりました。「銀座・高級腕時計店巡り」です。銀座を歩いていると、やたらと高級腕時計の販売店が目立つのです。もしかして、飲食店に次ぐぐらい多いかもしれません。

 何と言っても、銀座のシンボルは、4丁目の服部時計店=セイコーですからね。世界各国から、特にスイスの高級腕時計店が銀座に集まって来るのも頷けます。何しろ、高級腕時計は安くても数十万円、パテック・フィリップともなると数千万円もする代物ですから、「信用」が肝心です。消費者は、銀座に出店しているから安心して買うのです。その点、銀座に画廊が集中しているのと同じ論理です。やはり、偽物はつかませられたらたまりませんからね。

銀座SIX「シチズン」

 最初に取り上げるのは、日本に敬意を表してシチズンです。銀座SIXにあります。

 1918年創業。関東大震災の翌24年にシチズンの前身・尚工舎時計研究所によって懐中時計が販売され、30年にシチズン時計株式会社が創立されたとのこと。シチズンの命名者は、当時、東京市長だった後藤新平です。この人、色んなところで登場しますね。本社が、今でも、私も土地勘がある西東京市田無町にあるというのがいいですねえ。

銀座SIX「アーノルド&サン」1764年創業

 このシチズンの隣りにあるのが「アーノルド&サン 1764」です。恐らく、シチズンと販売契約を提携していると思われます。英国の時計職人ジョン・アーノルド(1736~99年)に敬意を表して、その名前を冠していますが、スイスの時計店です。1764年とは、アーノルドが国王ジョージ三世に小さな2度打ち時計を塔載した指輪を献上した年なんだそうです。

銀座6丁目「IWCシャフハウゼン」1868年

 私の得意な「みゆき通り」を歩いても、何軒か、高級腕時計店を見かけます。

 上の写真の 「IWCシャフハウゼン」 は、確か、以前はここに風月堂の喫茶店があったと思います。風月堂ビルのままですし、よく、取材でも使ったので間違いありません。

 今や、スイスの高級腕時計店にリースしているということなのでしょう。IWCとは「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー」とのこと。スイスでもドイツ語圏のシャフハウゼンが本拠地に1868年創業。パイロット・ウオッチが世界的にも有名で売れ筋のようです。安くても50万円ちょっとなので、あたしには関係ないですが。

銀座5丁目 ブランド時計販売店「エバンス」1987年創業

 みゆき通り、銀座5丁目でよく見かける「エバンス」はブランド名かと思ったら、販売店の名前のようでした。ロレックスやウブロなど高級腕時計を扱っているので、勿論、お店の中には入りずらいのです(笑)。

銀座5丁目 総代理店「シェルマン」フィリップ・デュフォー、ハブリング・ツー、クドケなど個性豊かなと時計を販売

 この 「シェルマン」 も時計のブランド名かと思っていたら、高級腕時計の総代理店名でした。(水曜日は休みのようでした)

 この店の前は、通勤でしょっちゅう通るので、馴染みになっていますが、店に入ったことはありません(笑)。日本ではあまり知られていない 「フィリップ・デュフォー」「ハブリング・ツー」「クドケ」など個性豊かなスイスの高級腕時計を販売しているようです。

銀座5丁目「センチュリー」1966年創業

 本日最後は「センチュリー」です。 1966年に創業されたサファイアを使った高級時計ブランドですが、恐らく、日本人でも知る人ぞ知るブランドだと思います。(この店も水曜日は休みでした。契約が水で流れると禁忌している日本の不動産屋さんが、水曜日を定休日にするみたいですね)

 このビルが建つ前の、取り壊された古いビルから知っていましたが、銀座にこんな立派なビルを建ててしまうことができる高級腕時計会社というものは、「儲け率」が高いのではないかと下衆の勘繰りをしてしまいました。

 「だから、何なのだ」と言われそうですが、スイスの時計というのは、草創期の17~18世紀では、今で言う超ハイテク機器だったことでしょう。世界中の王侯貴族が買い求めたと言われ、それは今でもあまり変わりありませんね。

 あの自由思想主義者のジャン・ジャック・ルソーはスイスの仏語圏のジュネーブ生まれで、ルソーの父イザークを始め、ルソー家は代々、時計職人だったことは有名です。ルソー家は、いわばエリートだったのです。

「銀座で最も評価が高い」とネットで評判のとんかつ屋さん(あえて名前は秘す)。目立たない地下にあり、やっと探し当てて、少し並んで、ロースかつランチ定食(1200円)を食しましたが、ちょっと脂身が多くて、小生の口にはちょっと…。大いに期待していたので、ネットの評判も当てにならないなあ(笑)

 このルソーの話もまた、「それがどうした」と言われそうですね。

 「いいじゃないか。だって、ブログだもん」と言い返すしかありません(笑)。

(本当は、「ベル&ロス」という1992年、パリで、カルロス・A・ロシロとブルーノ・ベラミッシュにより共同創業された異様に格好良い高級腕時計(銀座4丁目に今年5月に旗艦店がオープン)を御紹介しようと思って、今日行ってみたら、お店は改装中でした。残念)

鳥取県と岡山県との関係は?=「鳥取県産 紅ずわい蟹重」を味わう

I’m stuck.

 ちょっと、行き詰ってしまったので、新企画を考えました。誰も傷つかない、のんべんだらりと、まったりとした企画が良いに決まってます(笑)。

 東京・銀座周辺には、全国道府県が、郷土の名産を集めたアンテナショップを構えているのは皆さん御案内の通りです。そこでは、結構、地元料理を出すショップもあり、2階にレストランなんかがあったりします。そうだ!新企画「郷土料理巡り」はどうだろう? ーなあんだ、結局、「銀座ランチ」と同じじゃないか!(笑)。まあ、台湾、ロシア、タイ、ヴェトナム、インドネシア…と世界各国料理巡りもそろそろ飽きてきたので、愛国心を燃やして、全国各地の郷土料理にチェレンジしてみますか…。

 ということで、早速、昨日は、下調べも何もせずに、銀座1丁目にある「銀座の金沢」に出掛けてみました。そしたら、残念ながら、緊急事態宣言のため、食堂は休業でした。しかし、後で調べてみたら、加賀前田藩の本格的な郷土料理を提供するお店らしく、ランチ会席4200円でした。

 恐らく、銀座周辺で、最も客入りが良いアンテナショップは、有楽町の駅前「交通会館」にある「北海道どさんこプラザ」だと思います。私もよく利用しますが、残念ながら、ここにはレストランがありません。アイスクリームを食べることができるぐらいです。

 銀座5丁目にある「銀座熊本館」には、2階に「ASOBI・Bar」と呼ばれるレストランというより、食堂コーナーのようなeatery があり、いつぞや、そこで「真鯛の漬け丼」(1000円)を食したことがありました。驚くほど風変りではなく、まあ、「こんなものか」といった感じでしたが。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 本日は、新橋駅銀座口の目の前にある「とっとり・おかやま新橋館」に行って来ました。この2階にあるレストラン「ももてなし家」が提供するランチ 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」(1680円 )を是が非でも食してみたかったからでした。値段は二の次です(笑)。

 その前に、鳥取県と岡山県が何で、一緒になってアンテナショップを出しているのか、御存知ですよね? えっ? 知らない? 駄目ですねえ。もう少し、歴史を勉強しなければ…。両県は「親戚」だからです。えっ?これでも分からない?

 話が長くなるので、手短にしますと、江戸時代、鳥取藩も岡山藩も、池田氏が代々藩主を務める従兄弟、縁戚関係だったのです。キーパースンは池田輝政です。あの姫路城(国宝)を改築した初代播磨姫路藩主として知られます。

 輝政は、もともと、父池田恒興以来、織田信長と豊臣秀吉に仕えた重臣でしたが、徳川家康の娘督姫を娶ったり、石田三成と不仲だったりしたこともあり、関ケ原の戦いでは、家康方の東軍に付き、論功行賞で、15万石の三河吉田城から52万石の播磨へ加増転封されます。 

 鳥取藩には、恒興の三男で輝政の弟に当たる長吉が6万石の城主となりますが、その後、鳥取藩主には輝政の孫光政が継ぎます。

 一方、岡山(藩)は、関ケ原の前は、西軍の宇喜多秀家が治めていましたが、敗れたため八丈島に島流し。代わって初代藩主に就いたのが、西軍を裏切って東軍に勝利を齎した小早川秀秋です。しかし、「大谷刑部の祟り」とも言われ、わずか2年で病死。代わって、31.5万石の岡山藩主となったのが池田輝政の二男忠継でした。続いて三男忠雄が就きます。しかし、忠雄亡き後、三代目の家督を継いだ光仲(輝政の孫)は、この時わずか3歳で、山陽の要衝である岡山藩を治めるには荷が重いと幕府は判断し、寛永9年(1632年)、鳥取藩主の光政を岡山藩主とし、幼い光仲を鳥取藩主としたのです。つまり、池田氏同士で国替えをしたわけですが、光仲の子孫は「鳥取池田家」と呼ばれ、明治維新まで鳥取藩主を務め、光政の子孫は「池田家宗家」と呼ばれ、明治まで岡山藩主を務めたわけです。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 やっぱり、長くなってしまいましたが、これで、鳥取と岡山の関係がお分かりになったと思います。

 ああ、そう言えば、郷土料理の新企画の話でした。

  とっとり・おかやま新橋館の2階「ももてなし家」で食したランチ「鳥取県産 紅ずわい蟹重」は、御飯が少なかった、というのが第一感想です(笑)。知らなかったのですが、ズワイガニは、鳥取県が 全国で一番水揚げ高が多いらしいのですが、旬は、秋から冬にかけてということなので、真夏は、身が小ぶりの感じがしました。

 でも、大変美味しゅう御座いました。

 メニューを見たら、岡山名産の「白桃のパフェ」があり、注文しようとしましたが、値段が 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」 と同じ1680円。うーん、さすがに諦めました(笑)。

 1階の売り場には、岡山名産の美味しそうな大振りな葡萄もありましたが、一房5000円也。いつか、迷わずに買えるご身分になりたいものです。

ワクチン狂詩曲第108番=そして銀座・諸国民芸品店「たくみ」へ

 Covid-19ワクチン2回目を巡って、最近、私の周囲では色んな話を聞きます。勿論、「何ともなかった」という人もいますが、よくない話が多いのです。

築地「天辰」のっけ定食 1200円

 例えば、会社の同僚のA氏は、先週土曜日に2回目のモデルナを接種したのですが、その日の夜に39度近い高熱が出てダウン。日曜日も熱が引かず、月曜日も体調が良くなかったので、会社を休んだほどでした(火曜日に回復)。

 健康自慢のB氏の場合、2回目のファイザーで、それほど重くはなかったのですが、翌日は酷い倦怠感に襲われて、何もやる気が起きなかったといいます。

 Cさんもファイザー2回目で、打って4~5時間後に腕が痛くなり、12時間後の翌日には39度近い熱が出て、1日では下がらず、解熱剤カロナールを飲んで、やっと抑えたとか。「やっぱり、体内に衝撃あるワクチンなんだね」と知らせてくれました。

銀座「デリー」よくばりカレーランチ1120円

 何か、モデルナもファイザーも関係なく、副反応があるようです。私も今週土曜日の24日に2回目のモデルナを打つので、髷を切って、白装束を着て会場に向かうつもりです(笑)。

 とはいえ、私の住む地方自治体では、国家から配給されるモデルナ・ワクチンの供給が途絶え、26日以降の接種を延期するなんて言っております。私の場合もどうなるか分かりませんが、延期された人たちにとっては、「えーー、怒るでよおーー」でしょうねえ。

銀座に異様な雲?いえいえ飛行機雲でした

 さて、銀座に民芸運動の作品を販売する「たくみ」というお店が8丁目にあることを知り、昼休みに初めて足を運んで覗いてみました。

 民芸運動の中心人物、柳宗悦については、白樺派の人ぐらいで、ほとんど知らなかったのですが、昨年、彼の著作「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を読んで、初めて浄土思想とは何たるものかを理解することができ、人生の恩人と感じるようになり、彼の民芸運動について再度、関心を持たざるを得なくなったわけです。

 銀座には「のれん会」があって、一番有名なのは、「銀座百点」という小冊子を出している「銀座百店会」です。逆に言いますと、この小冊子ばかり読んでいると、「銀座百店会」に加盟していない銀座の名店を知らないことになります。

 民芸のお店「たくみ」を私が知ったのは、「銀座15番街」という小冊子からでした。「銀座百店会」に加盟していないか、加盟できないお店の「のれん会」だと思われます。と思って、HPを見たら、銀座15番街とは、「昭和41 年(1966年)、銀座7 丁目・8 丁目の店舗が中心となり会を発足させた」とのことでした。

銀座・民芸品店「たくみ」

 猛暑の中、早速、この「たくみ」に行って参りましたが、私も大好きな河井寛次郎先生の焼き物が一点、鍵のかかったガラスケースに入っておりまして、値段も100万円也でした。

 ムフフフフ、手が出ないことはないのですが、さすがに「即断即決」とはいかず、何も買わずにすごすごと帰って来ました。

 ただ、会津の民芸品「赤べこ」が、私がネットで買ったものより安く売っていたので、「なあんだ。ここで買えばよかった」と、地団駄も踏んできましたよ。

靴の中敷きを巡る哲学的考察

 いつも堅い話題ですと、読者離れが、人流のように拡大するのではないかと思い、本日は日常茶飯事のお話をー。(それにしても、霞ケ関辺りが率先して、マスコミも頻繁に使うようになった「人流拡大」というのは凄い言葉ですね。コロナ禍がなければ、意味不明です。今年の流行語大賞になるのではないでしょうか?)

 本日は、靴のお話です。というか、靴の中敷きのお話です。

 例のフィンランド製のスニーカー「カルフ」(実は、フィンランド生まれの中国製だった!)を購入したら、実に履き心地が良かったので、もう一足購入した話を随分前にこのブログに書いたことがあります。最初に買ったブラックは、確かにエアクッションが効いて、実に足取りも軽く歩けるのですが、二足目に買ったブルーのカルフは、どうもエアクッションの具合がブラックと比べて悪く、同じ製品なのに、色が違うと「こうも違うものか」と違和感を覚えていました。

D社の靴の中敷き 何と!こちらが裏だったとは!

 そこで、ある人から薦められて、靴の中敷きを替えてみることにしました。結構、有名なメーカーらしく、1足分、ドラッグストアで2200円ぐらいで買えました。

 そして、どうにか装着して歩いてみましたが、右足はどうにか歩けるのですが、左足がきつくて、痛くて、痛くて、200メートルも歩けず、自宅に戻ってしまいました。

 たかが、中敷きとはいえ、微妙な差があって、なかなか難しい。説明書には、スニーカーでも使えると書いてありました。せっかく購入したのですが、処分するしかないかなあ、と思っていました。。。

 さてさて、話は変わって、東京・銀座を歩いていたら、上の写真の看板を見つけました。

 「コロナワクチン接種券、ご提示でドリンク1杯 又は シェリー(10年熟成)とレーズンのアイスクリームをサービス!!」と書かれていますね。

 「商魂逞しい」というか、「背に腹は代えられない」といった感じでしょうか。品の良さでは全国一の銀座ですから、このような看板を掲げるのは、この店舗ぐらいかもしれません。(テイクアウト以外、用もないのに、この店に電話しちゃ駄目ですよ!=笑)

 私もいつか行ってみようかしら?ー恐らく、64歳以下にもワクチン接種券が行き渡って、あと数カ月でこの看板も消えることでしょう。「ジャーナリスティックな風物詩」というか、案外、「歴史的アーカイブ」になるような貴重写真になるかもしれません(笑)。

【追記】1

 靴の中敷きですが、どうもおかしいと思ったら、裏と表を逆にして靴の中に入れてました!道理で窮屈だったことか!

 正しく挿入したら、クッションが効いて少し歩きやすくなりました。靴の中敷きメーカーさん、大変失礼致しました。

【追記】2

中敷きだけで5000円以上する靴もあるそうです。同じ靴なのに、値段が千差万別なのは、「その秘密は中敷きの値段の違いにあり」と言う人もいます。そして、中敷きが1ミリ違っても履き心地が違うと断言する人もいます。いやあ、単なる靴の中敷きなのに、実に奥が深い❗️

 

私には相応しくなかった(?)銀座・資生堂パーラー

 4月1日はエイプリルフールで、嘘を付いても良い日なんですが、私はへそ曲がりなもんで、今日ぐらい真面目に真実を語ることに致します。

 とは言っても、語るべき真実がない! …ことはないのですが、いつもいつも悲惨なニュースや、しかつめらしい話題ばかりですので、本日は新機軸を打ち出さなければなりません。

 何と言っても、本日は新年度のスタートの日です。これから、コロナ禍で入学式、入社式は盛大に行われませんが、とにかく、新学期、新社会人生活がスタートします。

銀座7丁目

 さあ、新機軸、新機軸…。と考えましたが、またしても、単なるブログですから、そんなもんありません。まあ、仕方ないです。最近、話題もマンネリになったせいか、読者離れが進んでいます。それは、アクセス数を見ればすぐ分かります。このブログは、ソーシャルネットにもアップしていますけど、ほとんど効果がないみたいですね。もうアップするのはやめようかしら(苦笑)。

 となると、マンネリ批判を覚悟で、いつもの渓流斎節をベンベンと唸るしかありません。どうせ、同じことです。読んでくださる皆さんは、相変わらず読んでくださるわけですから、まあ、続く限り、続けてみましょう。

ということで、伝統を重んじ、過去記事を踏襲して、本日も銀座のランチ巡りです(笑)。

銀座・資生堂パーラー

 えー、また、銀座のランチですか!? と言われても、本日は特別です。まさに、清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑戦したのですから。

 時代は昭和初期。銀座はモボ、モガが最新ファッションに身を包んで青春を謳歌して闊歩していた時代です。昭和5年には世界恐慌の煽りを受けて「昭和恐慌」となり、翌昭和6年には満洲事変が始まり、昭和7年は、五・一五事件、昭和11年は、二・二六事件と軍国主義まっしぐらになりますが、まだ米軍による空爆があったわけでもなし、庶民には庶民の、富裕層には富裕層のそれぞれの生活と楽しみがありました。

 いやあ、前置きが長いですね、我ながら(笑)。とくにかく、私は昭和初期という時代が大好きです。当時の銀座の風俗を描いた小説や映画などに必ず出てくるのが、「資生堂パーラー」です。私も、一生に一度でいいから行ってみたい、と若い頃から思っていたのですが、実現できず、やっと老境に入ったこの年で実現することができたのです。

カレーだけでなく、オムライスにも付くらっきょう等

 銀座の資生堂パーラーは、創業1902年(明治35年)。おお、日英同盟を結んだ年ですね。最初は、ソーダ―水やアイスクリームを製造販売していましたが、1928年(昭和3年)に本格的に西洋料理のレストランを開業します。

 まあ、本日は、食事をするだけでなく、そこに集う富裕層の人間観察をするのが主目的でした。何しろ、ビーフカレーライスが3300円、ミートクロケットが2860円、コースともなると、Aランチコースで7150円、Bランチコースで1万0780円というお値段ですからね。普通の人は入れませんよ。

オムライス 2860円

 他のレストランとどこが違うのかー? 本日の探訪の最大の課題でした。私が注文したのは、この店の名物と言われるオムライスでしたが、こちらも2860円。勿論、こんな高いオムライスを食したのは生まれて初めてでした。

 どこが違うかと言えば、卵の弾力が全く違いましたね。注文してから15分ぐらい待たされましたが、恐らく、卵を3~4個使っていると思われます。中の鶏肉、キノコ入りライスもマイルドで、洗練された味でした。

 周囲を見ると如何にも富裕層といった「客質」でした。隣りは4歳ぐらいの女の子を連れた30代ぐらいの若い夫婦でしたが、特に奥方様は、成瀬巳喜男か小津安二郎の映画に出てきそうな上流階級の雰囲気を醸し出しておりました。

 向こうのテーブルは、超一流企業に勤めていそうな20代後半から30代初めといった感じの若いスーツ姿の男性3人とその大学かどこかの恩師に見える70代の男性がビールを片手に談笑しています。えっ?そんな若い時分から、もう資生堂パーラーですか…。羨ましいわけではありませんが、これから残りの人生、何を楽しみに生きていくのかしら?

 私はと言えば、「証拠写真」を撮らなければならない、と必死になっていたら、ジャケットの右袖口にトマトソースを付けてしまっていたらしく、真っ白のテーブルクロスを汚してしまいました。

 私が隠れるようにして、ナプキンで袖口を拭いていたら、お店の人に見つかってしまい、代わりのおしぼりまで運んでくれました。

 いい年こいて、何やってんですか! 駄目ですねえ。こんな高級レストランは、悔しいですが、私の御誂え向きではなかったのかもしれません。

厚労省官僚が深夜宴会した銀座の居酒屋=監視社会の賜物か?

 銀座6丁目

 最近、ブログを書くネタがなくて困っています。以前ですと、西国方面から阿弥陀如来さまのような方が写真と一緒に玉稿まで送ってくださり、年中行事の風物詩の記事を添えることができたのですが、昨年6月からそれもプッツリ切れてしまいました。

 その代わりに帝都の高級住宅街にお住まいの釈正道老師が「暗号」を送ってくださるようになりました。「放送なら基準?違反かな」という見出しでいきなり次の文章が追い込みで始まります

タップリのCM量で、本文の写真か糊口のタネか分からないというあくどい商法かな。銀座周辺の昼メシ情報で活路を見出したかな、と安心していたら、元の木阿弥で、独り善がりの映画、書籍などのウンチクブログに戻ったのは、悲しい限りです。非行少年が、真の道を歩めないのと同様です。悟りの道を求める釈正道が、改心のお手伝いをしましょう。

 これを「暗号」と呼ばずに何と呼ぶことができるのでしょうか? 諜報機関の方々には、是非、この暗号を解読してもらいたいものです。

 まあ、あっしは非行少年みたいなもんなんでしょう。それなら、釈正道老師のお導きで是非とも改心しなければいけませんね。

 さて、厚生労働省老健局の職員23人が過日、東京・銀座の居酒屋で深夜まで送別会を開催したことで、主催した老健局の課長が更迭を含めた懲戒処分、田村厚労相まで閣僚給与2カ月分を自主返納する事態にまで発展しました。

 正直、ここまで厳しい「判定」が下されるとは思いませんでしたが、他にニュースがないので、マッチポンプのテレビがこの話題で大騒ぎしてましたし、引っ込みがつかなくなったということなんでしょう。ただ、コロナ禍で夜の宴会は私自身も自粛していますし、率先垂範して国民に綱紀粛正を求める側のお役人さんが、深夜まで浮かれて騒いでいては、示しがつかないことは確かです。

 実は、個人的には、厚労省の処分よりも、「東京・銀座の居酒屋」が何処なのか気になってしょうがありませんでした。知らなければ、銀座を縄張りにしている渓流斎としては、「銀座博士」の称号を返納しなければなりませんからね(笑)。

 そしたら、意外にも簡単に見つかりました。恐ろしい世の中になったものです。偶然なのか、張り込みなのか、東洋経済の記者が「3月25日0時近くにようやく居酒屋を出て帰路に向かう厚労省官僚たち」の証拠写真まで撮っているではあーりませんか!

 こわ~。ジョージ・オーウェル「1984」の世界です。

 現場は、会社から歩いてすぐの所ですから、すぐ分かりました。

 ちなみに、ビルの名前であるLa Paix(ラペ)とは、フランス語で、「平和」という意味です。渓流斎の野郎にまで写真を撮られて、このビルは平和を乱され、いい迷惑だったかもしれません。

 でも、23人の団体客を受け入れて深夜までやっている薩摩料理の店ということですから、美味しそうですし、楽しめそうです。いつか機会があれば、御一緒しませんか?(笑)。