女優岡江久美子さんも新型コロナで=【動画】緊急事態宣言下の銀座はゴーストタウン

 女優の岡江久美子さんが23日早朝、新型コロナウイルスで亡くなったというニュースが同日午後に飛び込んできました。

 行年63歳。まだお若いですが、乳がんの手術をされた後で免疫力が弱まっていたようです。

 岡江さんは長年、TBSテレビの朝の生番組の司会役として出演されていたので、第一報はTBSでした。ご主人の俳優大和田獏さんとおしどり夫婦としても知られていました。御冥福をお祈り申し上げます。

若い人の中には、まだ危機感がなく、今度のゴールデンウィークには海や山に、そして何よりも他府県のパチンコ店へ繰り出そうと計画しているようですが、やはり、この期に及んで、ですから、自粛すべきですね。そうでなければ、為政者は、要請ではなく、もっときつい強制に変更しかねませんよ。

東京・銀座・東映映画館周辺 Copyright par keiryusai

 東京・銀座の盛り場は夕方からの書き入れ時も、ご覧のように、まるでゴーストタウンです。

 映画館も休業で、人通りも殆どなし。現実なのに、まるで映画を見るようです。皮肉ですね。この動画も、恐らく、【アーカイブ映像】として、歴史に残るかもしれません。

銀座「離亭 三ぶん」の「りゅうきゅう丼御膳」を食す

 新型コロナの感染者がいまだ判明していない岩手県にお住まいの石川先生から昨晩、電話がありまして、急に「ではメモをしてください。銀座〇丁目の〇〇、電話番号〇〇…」えっ?何ですかあ? ですよね。

 後期高齢者の石川先生は、若い頃の大半は東京暮らしで、定年退職後に郷里の盛岡市に戻ってきたのですが、東京生活が懐かしく、テレビで東京の名所や展覧会やグルメ情報等が流れると食い入るように見つめ、自分では行かれないので、このように、小生に身代わりに行くように勧めるのでした。

 昔、テレビでやっていた米国ドラマの「スパイ大作戦」みたいですね。違うかあ(笑)。

 今回、石川先生のお薦めは、どうもテレビの「酒場放浪記」みたいな番組で見たようで、昼は名物ランチをやっているらしいのです。「大分料理の『離亭 三ぶん』て店ですがね。銀座ですから、一応、高級居酒屋って感じでしょうか。昼は『りゅうきゅう丼』をやってます。ああたも暇ですから、一度食べに行ったら如何ですか?歌舞伎座の裏です。会社から近いでしょう」と仰るのです。

 いやあ、暇じゃありませんよ。りゅうきゅう丼なら沖縄料理じゃないんですか?石川先生も人使いが荒いですね。

 「ああたは、いつもつまらないブログばかり書いているから駄目なのです。だから話題を提供したまでですよ(笑)ああたみたいに、いつも安い、貧困層が食べるものばかり取り上げていては、腹の足しにもなりませんよ」

 石川先生、そこまで言いますかね。わ、わ、分かりました。行きますから、行きますよ。

 てなわけで、昼休みに早速行ってまいりました。

「りゅうきゅう丼御膳」。な、な、何と1200円。

店を出て分かったのですが、「魚の刺身を『ヅケ』に薬味とともにご飯に載せた丼。最後は出汁をかけてお茶漬けに」なる文面がお店の外の看板にありました。

 3人ほど先客がおりましたが、ほどなく入れ替わりとなり私一人に。6人掛けのカウンターとテーブル2脚というこじんまりとして、小料理屋といった雰囲気でした。

 年格好40歳前後の物静かなメガネをかけた御主人が「マグロとカツオの2種類がありますが、半分ずつにしますか?」と聞いてきたので、「じゃあ、それで」。

 普通のランチだと、事前に用意していてすぐ出てくるものですが、この店は、高級店らしく、注文を聞いてから、刺身作り。結構、時間がかかりました。手持無沙汰なので、今の状況を聞くと、「ええ、夜もやってますよ。夜8時までのおっ達しですが、流れで9時半ぐらいまでやることもあります」とのお答え。

 そうそう肝心の話を聞くのを忘れるところでした。最近、この店、テレビの取材が入ったんですか?

 「去年か一昨年の話ですよ。その方、再放送でも見たんじゃないですか?」

 銀行員にしてもおかしくない律儀そうな料理人でしたが、私も思わず、吹き出しそうになりました。ただ、その後、「どんぶりは3分の1ほど残しておいてください。お茶漬けにしますから」と言われて、何となく、中学校の生徒になった気分。

 いわゆる一つの「鯛茶漬け」のような感じになりました。そして肝心のお味は?

 美味いに決まってるじゃありませんか。上の写真で御想像あれ。

人類は100年前の「スペイン風邪」の教訓から何も学ばなかったのか?

 今日は日曜日なのにほとんど外出せず、自宅で自粛しておりました。

 午前中に家のお掃除とトイレ風呂掃除をやったぐらいでしょうか。気分的に爽快とまではなかなかいきません。午後は疲れて、久しぶりに昼寝しました。

 こうして毎日が無為に過ぎていきます。

 新型コロナウイルスの世界的な蔓延は相変わらずです。そんな中、今、アルフレッド・クロスビー著「史上最悪のインフルエンザー忘れられたパンデミック」(みすず書房、2009年1月8日)が再注目されているようです。

第一次大戦末期の1918〜19年に世界的に大流行した「スペイン風邪」のことを扱った本で、小生は未読ですが、結局、人類は100年前の世界的インフルエンザの蔓延を忘れ、歴史的教訓を何を学ばなかった、という内容のようです。

 確かに、現代人でスペイン風邪のことを知っている人は多くはないでしょう。小生はこのブログで取り上げたことがありますが、このインフルエンザの死亡者は2500万人とも1億人とも言われ、日本人の死者も36万人とも45万人とも言われています。犠牲者の中には、フランスの詩人アポリネールやオーストリアの画家クリムト、それに日本では劇作家の島村抱月や、東京駅舎などを設計した著名な建築家辰野金吾らが含まれていたことを書きました。

 このインフルエンザは、スペイン風邪と言われましたが、感染源は米国でした。最初に発生したのがデトロイトともシカゴとも言われ色んな説があります。第1次世界大戦に参戦した米国人兵士が欧州にもたらしたといいます。世界各国が感染の実態を隠す中、スペインが率先して情報公開したため、そう命名されたと言われています。欧州から帰国した米兵が再び米国内で感染の輪を広げたといいます。第2波ですね。

 トランプ米大統領は、今回の新型コロナウイルスのことを「中国ウイルス」「武漢ウイルス」と呼ぶべだと主張しましたが、正論ではあります。ただし、その前に100年前の「スペイン風邪」のことを「アメリカ風邪」と修正しなければならなくなりますね。

 どういうわけか、当時を代表する人気作家だったヘミングウェイもフィッツジェラルドも「スペイン風邪」のことを書いていないそうです。特に、ヘミングウェイは、この疫病で恋人をなくしたというのにです。不思議というか、不可解ですね。

 アメリカ風邪なのに、スペイン風邪としたのは、アングロサクソンや米国が日頃からスペイン人を貶めるために画策したからという陰謀説があります。米国人がインディアンを虐殺したことよりも、スペイン人がインカ帝国、アステカ帝国を征服して地元民を大量虐殺した方が酷いといった類の主張です。英米人よりスペイン人の方が残酷かどうか分かりませんが、私は、とにかく、このような陰謀説には与しません。

2020年4月9日(木)午後5時半ごろ。銀座ソニービル跡公園は人影があまりにも少ない

 でも、今は100年ぶりにパンデミックが襲ってきたことは事実です。

 最近、米FRBは、1918年のスペイン風邪について、論文を発表しています。それによると、この影響により、全米で製造業の生産活動が18%押し下げたものの、収束後の19年は、都市によって経済復旧度合いが違ったといいます。流行より10日早く衛生介入(学校や教会などの閉鎖)の策を講じた都市では、収束後に雇用者数が5%増加。平均より50日間長く策を続けた都市は6.5%増といずれも急回復。製造業生産も5~7%増加したといいます。(日経新聞より)

 これに対して、「銃・病原菌・鉄」などで知られる人類生態学者ジャレド・ダイアモンドUCLA教授は、読売新聞(10日付)のインタビューに「私の住むロサンゼルス市は3月初めに非常事態宣言し、学校、飲食店の閉鎖、外出自粛要請などの対策を講じました。それでも感染が広がっています」と応えています。

 うーん、実に悩ましい話です。「封鎖」は即効薬ではないかもしれませんが、結果的には有効策だと信じるしかないようです。そして、100年前の「スペイン風邪」の教訓を学び直すべきです。

緊急事態宣言下の東京・銀座【動画編】

 そう言えば、今は簡単にスマホで動画が撮れました。

「緊急事態宣言」発令という歴史的な事件を写真(静止画)だけでなく、動画として残すべきではないか、とフト思い立ち、IT音痴ながら、試行錯誤の末、ブログにアップしてみました。

何とかご覧になれますか?

歌舞伎座も御覧の通りです。

おまけに、最初のと同じ銀座の中心、4丁目辺りの動画をアップします。

金曜日の午後ですがら、通常の10分の1、いや、100分の1の人数かもしれません。

ウチの会社は、実は、普通の企業ではなく、社会的使命を持った会社なので、今の今まで現場で頑張ってきましたが、ついに、出社人数を絞って、テレワークと自宅待機態勢に移行することになりました。

 小生は、明日から1週間、自宅待機組となりました。ま、出社に及ばず、てなところでしょうか(笑)。

そんなことはありません。と自分で言ってどうするの?と突っ込んでみました。

ちょうど、ギックリ腰のようなものをやって歩行の困難を来していたので、自粛するには良い機会でした。

緊急事態宣言下の東京・銀座

 戒厳令、いや、間違いました。緊急事態宣言が発令された翌々日の4月9日、首都東京を代表する繁華街の銀座を昼休みに散策しました。

 いまだに銀座まで通勤しており、銀座は私の庭みたいなもんですからね(笑)。

銀座4丁目 左は和光、右は三越

まるでゴーストタウンです。早朝でも深夜でもなく、午後1時すぎですよ!

三越百貨店も臨時休業
銀座「鳩居堂」も当面休業

 ノーベル賞作家アルベール・カミュの小説「ペスト」が売れに売れているらしいですね。新潮文庫は2月中旬から最近まで、何と15万部以上も増刷したそうです。

 信じられません。

銀座通り こんなに人がいないとは!

 担当者によると、映画化などの話題なしにこれほど大きな反響を呼ぶのは過去に例がないそうです(以上、読売新聞から)。

 確かに、この銀座の風景も、「ペスト」のような「都市封鎖」された街に見えなくもない。

普段なら観光客でごった返す「銀座SIX」もこの通り(しゃれではありません)
銀座5丁目

 1960年代に「花は何処へ行った」というフォークソングが大ヒットしました(キングストン・トリオ、PPM、ジョーン・バエズら複数)。こんな光景を見ると、思わず「人々は何処へ行った」と呟きざるを得ません…。春の光を浴びて、一番、銀ブラしたい季節がやって来たというのに、です。

東銀座の歌舞伎座 出し物の案内看板すらない!こんなの初めて!

 以上 こういう写真は、何十年後かに見た人が「えっ?そんな時代があったの!?」と奇声を発するに違いありません。

 ですから、これらは、資料的価値がある写真かもしれませんよ。ただし、無断転載は禁止しまーす。(ご連絡頂くか、リンク先を貼ったり、著作権を明記したりしてくださればオッケーですが)

銀座から中国人が消えた!…わけではありませんが…

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

2月3日の時点で、新型コロナウイルスによる肺炎の死者が、中国で361人となり、2003年に大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)による中国の死者349人を上回った、などと報道されています。ついにそこまで来ましたか。しかし、17年前と比べて中国の世界的影響、つまり経済的影響は比べものにならないくらい大きいのです。

 日本経済新聞は、1月29日付の夕刊で、米調査会社データトレック・リサーチの資料を引用して、2003年の中国のGDPは1.7兆ドル(約185.3兆円)で世界の4.4%を占めるに過ぎなかったのが、19年は14.3兆ドルと占有率は世界の16.3%に拡大。中国発の感染症が世界経済に与える影響は、SARS当時とは比較にならない、と分析しているのです。

 日本も影響を受けるのは必至です。内閣府によると、世界のGDPに占める日本の割合は、1980年に9.8%だったものが、バブル期を経た1995年には17.6%まで高まったものの、2010年には8.5%に急降下。このまま推移すると、2020年には5.3%、2040年には3.8%、2060年には3.2%まで低下するといいます。

 政府は、新型コロナウイルスを「指定感染症」とする政令を2月1日から施行して、湖北省に過去2週間以内に滞在歴のある外国人の日本への入国を拒否するなど入国管理の強化策を打ち出しました。

東京・銀座8丁目

  ということで、私もジャーナリストの端くれですから、「私の庭」である東京・銀座が今どうなっているのか、歩いて確かめてみました。

 銀座8丁目のガード下は、中国人の団体旅行客のバスが軒を連ねている場所ですが、1台もありませんでした。中国当局による海外への団体旅行禁止令が効いていると思われます。

銀座5丁目 ラオックスが入居するビル

 銀座5丁目は、中国企業が買収した家電量販店の「ラオックス」があるせいか、中国人観光客の「溜まり場」になっていて、足の踏み場もないほど、人、人、人で溢れていましたが、今は御覧の通り、ほとんどいません。月曜日の昼休みの午後1時ぐらいの時刻ですが。

 韓国人観光客は、徴用工等の問題で、既に昨年からめっきり減り、銀座で韓国語を聴くのが少なくなりましたが、これほど中国人観光客までもが減るなんて想像もつきませんでした。元に戻ったとはいえ、中国人観光客がいないと、銀座はこんな空いていたんですね。

 でも、中国は、団体客は禁止されましたが、個人ツアー客までは禁止されていないようで、カップルや家族連れは結構見かけました。

 とはいえ、中国人客をアテにしているデパートや商店は さぞかし、大困りのことでしょう。

 私も銀座にある衣料量販店に行ってわざわざ買い物までして取材したところ、店員さんは「はい、ここ2週間ぐらいから中国の方は減りました。売り上げ?…いやあ、もちろん、減りましたよ」と正直に応えてくれました。

 エコノミストの予想では、新型コロナウイルスの影響で、日本のGDPも0.5%以上減速するということですから、やはり、日本は、いや日本だけじゃありませんが、中国におんぶに抱っこだったことが分かります。

 新型ウイルスに効くワクチンが早く開発されて、一刻も早い終息を待つしかないのでしょうか。デマ情報には振り回されず、加油(がんばれ!)

「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。

「銀座化粧」で失われた場所を求めて

さきたま古墳群の秋桜

予告通り、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」を見ました。またまた昭和26年公開。成瀬巳喜男は、この年、あの林芙美子原作の「めし」(原節子、上原謙主演)も撮ってます。

昭和26年ですから、まだ占領下の銀座が舞台になっています。私が見てみたかった三間堀、三原橋の、あの許斐氏利がつくった「東京温泉」も、まだ営業前の建築中として映っていました。

パブ(宣伝)として、許斐氏利がこの映画に出資したのかもしれません。白黒なので分かりませんが、白亜の立派なビルでした。「ボクシングと大東亜」の中では、義理堅い許斐が上階を麻雀荘として無料で貸し出していたと書かれていましたね。

当時の大スターで、演技派の田中絹代主演の映画でした。銀座のバー「ベラミ」の女給で、5歳の男の子のシングルマザーという設定でしたが、当時満41歳ぐらいですから、やはり、少し…という感じでした。当時、19歳か20歳の香川京子と比べてしまうと致し方ないといった感じでした。

昭和25年頃の銀座の風景写真は、歴史的価値があることでしょう。室内のシーンが多く、ロケが少ないので、街頭風景はあまり多く映っていませんでしたが、路面電車が走り、男はソフト帽を被り、女性はまだ和服姿が多かったですね。

この映画の三原橋、「君の名は」の数寄屋橋のように、かつて銀座は川と橋ばかりでしたが、今では殆ど全て埋め立てられて、当時の面影すら残っていません。

今では外資系のブランド・ショップが乱立する銀座ですが、昭和39年の東京五輪前までは、まだ木造の仕舞屋が多く、庶民も暮らしていたことが分かります。

田中絹代扮する雪子と5歳の春雄が暮らす長屋も、新富町辺りの長唄の師匠さんの二階でした。
今は跡形もないことでしょう。失われた場所を求めて…といった感じでした。

「めし」「浪華悲歌」「ボクシングと大東亜」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いつもながら、どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座いました。

昨日は、すっかり調子に乗って、ネットにはなかった成瀬巳喜男監督作品「めし」をDVDで観てしまいました。昭和26年度公開。まだ、米軍による占領時代(昭和20年8月15日~昭和27年4月28日)だったんですね。林芙美子の未完の遺作の映画化で、今後「晩菊」(昭和29年)、「浮雲」(昭和30年)、「放浪記」(昭和37年)など成瀬の代表作となる「林ー成瀬」コンビの第1弾です。

結婚5年目で子供がなく倦怠期を迎えた夫婦を上原謙と原節子が好演しています。終戦直後の大阪が舞台ですが、二人とも東京出身で大阪に転勤してきたという設定です。上原扮する主人公は真面目な北浜の証券マンです。(上原謙は、森雅之ばりに知性派俳優ぶりを全面的に押し出しております)そこへ彼の姪っ子が東京から家出して来て、一騒動になるという話でした。

昭和26年というまだ物資がない時代に、さすがに女優陣は当時最先端のファッションで身を包んでいるので映画だなあ、と思いました。やはり、言葉遣いが丁寧なので、観ていて感服します。成瀬は、台詞に関しては、削りに削っていたそうですから、無駄がありません。

夜は、またネットで、溝口健二監督作品「浪華悲歌」を観てしまいました。昭和11年公開ですから、何と「2・26事件」が起きた年ではないですか!

山田五十鈴主演です。さすが、画面は劣化してぼんやりしている場面がありますが、アップになるととても80年も昔の映画とは思えないぐらい鮮明に映っていました。

山田五十鈴が「不良少女」アヤ子役というのですから、時代を感じさせます。30歳ぐらいに見えましたが、当時、実年齢18歳か19歳の本当に少女だったんですね。

主人公アヤ子の父である準造(竹川誠一)は、事業に失敗して酒浸りになっていた溝口の父善太郎がモデル とされているそうです。映画の中では、アヤ子は父親の300円の借金を返済しようと、男を手玉に取る「不良少女」になり、最後は家族にも見離されて、大阪の街を一人彷徨う寂しい場面で終わります。

俳優さんの顔と名前が一致しないのが残念です。社長さん役の人は、婿養子で奥さんに頭が上がらないという設定ながら、アヤ子と愛人契約したりしますが、なかなか味がありました。また、医者役をやっていた俳優さんの名前も分かりませんが、随分太っていて、昭和11年という時代にああいう体格の人もいたのかという驚きです。

評論家の山本夏彦は「戦前は決して暗い時代ではなかった」と著書の中で繰り替えし書いていましたが、既に、デパートがあって、地下鉄があって、キャバレーもあって、株取引もあって、歓楽街で楽しむ大衆も描かれていたので、少し分かったような気がしました。

 ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

博多の曇卓先生のお勧めで、乗松優著「ボクシングと大東亜」(忘羊社)を読んでいます。

内容と目の付け所が大変いいのですが、大学の紀要を読まされている感じで少し読みにくく、市販書としてなら、残念だなあ、という感想です。

最初に「凡例」を書いて、「読み方の手引き」でも書いておけば、いいのですが、読みずらかったと言わざるを得ません。

例えば、98ページにはこう書かれています。

「…初期のテレビ放送は成功しただだろうか。
佐野[二〇〇〇a]は、日本初の民放テレビ放送の幕開けを、警察官僚から不屈の転身を遂げた正力の事業欲や権勢欲と重ね合わせながら描きだしている。…」

という具合ですが、何ですか?この急に現れる「佐野[二〇〇〇a]」は!!!?

私のような近現代史関係を中心に乱読している者なら、少し考えて、「もしかして、佐野眞一氏の『巨怪伝』を引用しているのかもしれない」と、ピンときます。しかし、「巨怪伝」は1994年に初版が発行されたので、この2000とは何か?

そして、後ろの「参考文献」欄を見ると、2000年に発行された同書の文庫版からの引用だということを著者は、言いたかったようです。

私は博士論文を書いたことはありませんが、引用文献として、時代を経て文庫版になった年号を書くものですかね?いずれにせよ、「凡例」がないので、実に不親切です。

それとも、著者はまだ若いので、読者がそこまで要求するのは酷なのでしょうか?

 ワニノ港 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最初に「目の付け所と内容はいい」と激賞したので、少し引用します。

・かつてボクシング界には、嘉納健治(神戸富永組)をはじめ、阿部重作(住吉一家)、山口登(山口組)、藤田卯一郎(関根組)などの大親分が関わっていた。中でも、日本ボクシング創世記から興行の世界に足を踏み入れていた嘉納健治は「菊正宗」で知られる造り酒屋の生まれであった。一族の中には近代柔道の祖、嘉納治五郎がおり、嘉納家は神戸でも名門中の名門の家柄で知られる。(83ページ)

【追記】ひょっえーです。菊正宗は、渓流斎の愛飲の酒ですが、嘉納治五郎と関係があったとは不覚にも知りませんでした。渓流斎の呑む菊正宗は、日比谷「帝国ホテル」か、麻布「野田岩」か、銀座「酒の穴」に限ります。せんべろ居酒屋で出される「菊正宗」は似て非なるモノと心得よ。

・後楽園スタヂアムを取り仕切り、日本ボクシング・コミッションの初代コミッショナーに就任したのが田辺宗英。彼は戦前、玄洋社の頭山満を敬慕し、孫文を援助した黒龍会の内田良平や大陸浪人として知られる宮崎滔天らと知り合い、勤皇報国の思想を強めた。1931年(昭和6年)、銀座尾張町の四つ角に「キリン・ビヤホール」を開店。1933年(昭和8年)には西銀座に高級喫茶「銀座茶屋」を、1935年(昭和10年)には5階建ての食堂娯楽デパート「京王パラダイス」などを開き、実業家としての成功を収めていた。(p107~110)

【追記】銀座尾張町というのは、今の銀座四丁目交差点辺りです。最近、日産ショールームがあったビルが「銀座プレイス」として新装オープンしましたが、地下に銀座ライオン(つまりサッポロビール)のビアホールができました(まだ、行ってません)。田辺宗英の「キリン・ビアホール」と関係があるのかどうか?(確か、サッポロは三井系、キリンは三菱系、アサヒは住友系だったと思います)
また、この本では、あの牧久さんの書いた「許斐氏利」伝を引用して、銀座の東京温泉は、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」(1951年)のロケで利用された、と書かれてあったので、早速この映画もネットで観てみようかと思ってます。

銀座はもう駄目だぁぁ


見よ!

渓流斎ブログでは、よく私のランチを掲載して、多くの方から顰蹙を買ったものです(笑)。

「銀座1000円ランチ」です。

ところが、私がよく通っていた高級料亭「和らん」のランチが、10月1日から1000円と1200円と1500円の3種類となり、1000円ランチは一瞬にして売り切れてしまうのです。

実質上の値上げかな?

そう言えば、「和らん」の周辺の和食店の1000円ランチは、軒並み1200円に値上がっています。

個人的ながら、10月1日からちょうど小生の給金がダンピングされることから、とてもついていけなくなりました。駄目じゃ、これゃ(笑)。

やはり、銀座は敷居が高いですね。

その一方で、写真を見てください。殺到してもらっては困るので都内某所としか書けませんが、ハムエッグ300円、コロッケ300円、アジフライ400円!

同じ東京でも、こちらはとても生活しやすい所です。