ケータイ小説は救世主か?

 知床

毎日、我ながら、懲りずに書き続けるものだと思っています。

さて、今、「ケータイ小説」なるものが、ベストセラーの上位を独占しているらしいですね。「らしい」と書くのも、ほとんど知らないし、見たことも読んだこともないからです。それどころか、以前は、必ずと言っていいくらい、芥川賞・直木賞作品には目を通していたのですが、今では、その作家の名前ですら、うろ覚え状態なのですから。

ケータイ小説とは、そのもののズバリ、携帯電話からアクセスして、投稿する小説なのだそうです。アクセスランキングが高い小説が、出版社からオファーがあって、単行本化され、100万部も売り上げる作品もあるそうです。何で、携帯で一度読んだ作品が、単行本化されてまた売れるのか不思議な感じがしたのですが、編集者は「作品が生まれていく時間を共有した思い出を残すための記念ではないか」と、うまく分析しています。

ベストセラーになっているケータイ小説は、メイ著「赤い糸」、凛著「もしもキミが。」、稲森遥香著「純愛」、十和著「クリアネス」などです。ご存知でしたか?私は、全く知りませんでした。作者はどうやら20代の女性が多いらしいのですが、凛にしろ十和にしろ「何と読むのか分からない」と、東京新聞の匿名記者は正直に告白しているので、笑ってしまいました。

ケータイで書かれた小説らしく、文章の中に絵文字や記号★も頻繁に出てくるらしいので、長いメールみたいなものなのでしょうか。

 

でも、読む方も、書く方も、ご苦労さんのことですなあ、と思ってしまいます。最近では、大学生にケータイで論文を提出させる教授も出現してきたそうで、ちょっと、ついていけません…。

でも、このブログも同じようなものですか?

失礼しましたあーー

文語ブーム

文語文がブームだそうですね。

とはいえ、実際に文語文に接するとなると、教養がないとなかなかついていけません。

たまたま、人気、文語サイト「文語の苑」にある岡崎久彦氏による「蹇蹇録」の解説で、「嚼蝋の感なき能ず」という言葉を説明していますが、まず、漢字が読めません。

「嚼蝋(しゃくらふ)の感なき能(あたは)ず」と読み、「砂を噛むよりもその含蓄は深いものがある」ということだそうです。昔の教養人はこういう言葉がすっと出てきたのでしょうが、戦後教育を受けた人間にはまず太刀打ちできませんね。

何と言っても、パソコンでは、すっと漢字が出てきません。

とはいえ、志を持って、これから少しずつ勉強してみようかと思っています。

パソコンなどしている暇ないですね。

ちなみに「蹇蹇録」は…あ、これは説明するまでもありませんね。「易経」から採った言葉(「蹇蹇匪躬」=心身を労し、全力を尽して君主に仕える意)です。

相補的なものの見方

ラオコーン

相補的なものの見方とは、量子物理学者のニールス・ボーアの言葉から来ていると、芥川賞作家で、僧侶の玄侑宗久氏が書いています。(1月30日付東京新聞)

微小な量子の振る舞いが「粒子」に見えたり、「波動」に見えたりすることは、相対立することではなく、お互いに相補って全体像を見ていくことだというのです。

難しい言葉をはしょって、簡単に要約すると、実験は、観察者の使う器具の性能や観察者自身の思惑にも左右されるので、世の中に客観的な観察などというものはないというのです。

玄侑氏は「現実に即して云えば、どんなモノサシも絶対化してはいけないということではないか」と結論づけています。

仏教が、死について、病を治す力を象徴する「薬師如来」に任せてばかりいては苦しいので、極楽浄土を願う「阿弥陀如来」を作ったのも、空海が発想した「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」を並置したのも、相補性を尊重しているからではないか、と玄侑氏は言います。ちなみに、金剛界は、ダイヤモンド(金剛)のように輝く真理を求める意志で、胎蔵界は、母親の胎内のように現状を温かく容認する態度だといいます。

国家というモノサシ、学力というモノサシ、老人や福祉というモノサシ…。現代は、あまりにも一つのモノサシで測り過ぎているのではないか。演繹的な見方と帰納的な見方の両方が必要ではないかと同氏は力説しています。演繹的とは、普遍的なことから、特殊なことを導き出すこと。その逆に、帰納的とは、それぞれの具体的なことから、普遍的な法則を導き出すことです。

「物事に絶対はない」という考え方は賛成です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも、唯一の絶対神を信仰する宗教です。日本人のように草花や路傍の石にも神が宿るというアニミズムとは、相容れません。山や日の出に向かって、頭を垂れて祈る日本人の姿は、一神教の人々から見て不思議に思われることでしょうね。

しかし、相補的なものの見方は、一神教の世界からでは発想できません。明らかに東洋思想の影響が見られますが、西洋の科学者であるボーアが「発見」したというのも面白いです。

レオパルディ

ポンペイ

「大都会の人間たちは際限のない雑念に囚われ、さまざまな気晴らしに気をとられ、精神は否が応でも浮薄と虚栄に向かわせられ、内的な悦びを感じることが難しい」

このような寸鉄釘を刺すような警句を書いた人は誰かご存知ですか?加藤周一?丸谷才一?大岡昇平?はたまた、バーナード・ショー?ジョージ・オーウェル?

正解は、19世紀の作家で詩人のジャコモ・レオパルディ(1798-1837年)でした。

伯爵家に生まれた早熟の天才で、わずか15歳で「天文学の歴史」を刊行し、風刺的なエッセイを数多く残し、喘息の発作で39歳で亡くなりました。私は知らなかった、というより、忘れていたのですが、夏目漱石(「虞美人草」)、芥川龍之介(「侏儒の言葉」)、三島由紀夫(「春の雪」)ら多くの日本の作家にも影響を与えています。

1月14日付の毎日新聞の書評欄で知ったのですが、取り上げられた彼の詩集「カンティ」(脇功、柱本元彦訳)(名古屋大学出版会・8400円)(富山太佳夫氏評)は、半年以上前の昨年の5月に刊行されたものです。これは、初の原典からの完訳だそうです。数ヶ月もすれば、すぐ書店の棚から消えてしまう昨今の新刊本の宿命にしては、随分と息の長い書評の取り上げ方ぶりです。(毎日の書評欄は、日本一だと思っています。)

ネットを検索すると、熱心な方がいらっしゃるもので、「ウラゲツ☆ブログ」さんによると、日本で初めて、レオパルディが翻訳されたのは大正9年(1920年)12月に刊行された「大自然と霊魂との対話」(1827年版の散文集「オペレッテ・モラーリ」の完訳)で、これは、訳者の柳田泉氏(1894-1969年)が英訳本から重訳したそうです。逆算すると、26歳で翻訳しているのですね。柳田氏は訳者序で「レオパルディの名前は夏目漱石の『虞美人草』を読んで知った」と書いています。

「物知り博士」漱石は英訳で読んでいたのでしょうか。いずれにせよ、「思想の連鎖」のようなものを感じます。

『薬指の標本』

渋谷のユーロスペースで上映中の「薬指の標本」http://www.kusuriyubi-movie.com/index.htmlを見てきました。芥川賞作家の小川洋子の原作をフランス人の監督ディアーヌ・ベルトランが映画化したということで、是が非でも見なければならないという気がして、本当は「子供の街、渋谷」にはあまり行きたくなかったのですが、暇な合間を縫って出かけてきました。

それにしても最近の小川洋子の活躍は目覚しいですね。読売文学賞を受賞した「博士の異常な数式」が映画化、舞台化されて話題になり、「ミーナの行進」が今年の谷崎賞を受賞。目下、日本人作家として諸外国語に翻訳されるのは村上春樹に次いで多いらしく、米週刊誌「ニューヨーカー」に翻訳が載った日本人作家としても、大江健三郎、村上春樹に続いて三人目というのですから、もう世界的作家の仲間入りです。

そんな彼女の作品をフランス人が映画化するということで興味が沸かないわけにはいきません。

で、見た感想はどうだったかと言いますと、フランス語で bizarre  という単語がありますが、それに近いです。「奇妙な」という意味です。

主人公のイリスを演じるオルガ・キュリレンコはウクライナ人のモデルで、これが女優としてデビュー作だそうです。辺見エミリと伊東美咲を足して2で割ったような可憐な女優です。確かに原作に忠実に映像化されたのでしょうが、彼女の魅力を表現したいがために映画化したのではないかと勘ぐりたくなるくらい彼女の官能的な肢体がスクリーンに乱舞されます。そして、標本技術士役のマルク・バルベの変態性愛者スレスレのミステリアスな雰囲気は、見ている者を催眠術にでもかかったような気にさせます。

ストーリーは、まずはありえないような話です。どこかの港町(ハンブルグで撮影されたようです)が舞台で、安ホテルに船員と部屋を時間差で共有したり、わざわざ離れ小島のような所にあるラボに船で通勤したり(なんで主人公は近くにアパートでも借りないのでしょう?)…まあ、内容については、これから映画を見る人のために内緒にしておきます。

ただ、最後の終わり方が、「わけの分からない」ヨーロッパ映画らしく、「すべて、あとは鑑賞者の想像力におまかせします」といった感じで、それが、さっき言ったbizarre という言葉に集約されるのです。そこが、ストーリーがはっきりしているハリウッド映画との違いです。

そのせいか、わずか144人しか収容できないミニシアターで上映されているのでしょう。平日の昼間だったせいか、お客さんも10数人しかいませんでした。

でも、こういう映画って、「あれは何を言いたかったのだろう?」と引っかかって、あとあと残るんですよね。最後に付け足すと、この映画の不可解な不条理な世界にマッチしたベス・ギボンスの音楽が素晴らしかった、ということです。

 

L’ automne deja

L’automne deja!- Mais pourquoi regretter un eternel soleil, si nous sommes engages a la decouverte de la clarte divine,- loin des gens qui meurent sur les saison.  – Arthur Rimbaud

素朴な疑問です。

ルネッサンスの三大巨匠といえば、ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロです。そう、世界史に名前を残しています。でも、ミケランジェロとラファエロは苗字でなくて名前なんですよね。正確には、

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

ミケランジェロ・ブオナローテ(1475-1564)

ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)

です。ブオナローテやサンツィオでは誰のことか分かりませんよね。ボッティチェリでさえ苗字で、名前はサンドロ・ボッティチェリ(1444-1510)です。

(パブロ)ピカソでも、(クロード)モネでも、(ポール)セザンヌでも、(オーギュスト)ルノワールでも、苗字ですよね。

そういえば、「夜警」で知られるレンブラントがいました。確か名前だったはずです。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-1669)がその正確な名前です。ファン・レインでは誰のことか分かりません。

本人がそういい残したのでしょうか?よく分かりません。

吉村昭さんのこと

旧聞に属しますが、作家の吉村昭さんが7月31日に膵臓ガンのため亡くなりました。79歳でした。私は吉村さんとは文芸家協会の会合や文壇懇親会でお見かけした程度で、親しく歓談したことはないのですが、著書を通じて、尊敬しておりました。「戦艦大和」「破獄」「天狗争乱」など名作が多く、その綿密な取材には頭が下がる思いでした。

周囲の作家からの信望も厚かったようです。城山三郎氏などは「真面目で欠点がなく、ゴルフなんかの遊びもせず、人の悪口も言わず、愚痴もこぼさない」と、本当に聖人君子扱いです。

加賀乙彦氏は、吉村さんから「外国旅行する暇があったら日本国内旅行をするべきだ」と諭されたそうです。ある小説を書くために、長崎を50回も訪問しながら「50回行っても、長崎の石畳を全部歩けない。全部歩かないと小説が生き生きと書けない気がする」と語ったそうです。映画や芝居など、作られたものを見るよりも、自分で調べて作ることの方に全エネルギーを注いでいた感じだと明かしています。

私はといえば、今、海外旅行に行きたくてしょうがなく、映画や小説など、他人が作ったものを鑑賞するのに全エネルギーを注ぎ、毎日、愚痴ばかり言っています。

まるで正反対の堕落人間です。

(引用は朝日新聞と毎日新聞)

山崎朋子さん

かんの温泉

今晩は、ノンフィクション作家の山崎朋子さんと銀座でお会いしました。山崎さんから先週「お渡ししたいものがあるのですが…」という電話を受け、ジョンとヨーコが雲隠れした例の喫茶店「樹の花」で待ち合わせしたのです。

「お渡ししたいもの」とは何だと思いますか?

秘密にしたいので、コメントを戴いた方にだけお教えしましょう。

山崎さんとは、本当に色んな話をしました。座を代えてすぐ近くの穴場の居酒屋「中ぜん」で4時間くらい粘ってしまいました。山崎さんはお酒は召し上がらない人なのに、私が一人でパカパカ飲んでいるものですから、ほんの少しだけ付き合ってくださいました。

山崎さんはもちろん、パソコンもしませんし、携帯も持っていません。ブログも知らないかもしれません。だから、好き勝手に書こうと思えば書けるのですが、そこまでしようとは思いません。

三国連太郎さんのこと、田中絹代さんのこと、栗原小巻さんのこと等色々お伺いしましたが、書けないこともたくさんあります。

書けることは、今度、山崎さんの代表作の「サンダカン八番娼館」が、カンボジア語に翻訳される話があるが、今許諾しようか、しまいか迷っているという話です。

山崎さんは、本当に好奇心の塊みたいな人です。これだけ有名な方ですから、皆さんも簡単に彼女の実年齢を調べることができるでしょうが、まだまだ少女のあどけなさが残る純真な人です。これだけ、世間に揉まれながら純真さを失わないのは人類史上稀有なことだと思います。

何か奥歯にモノが挟まったようなモノ言いで恐縮ですが、彼女は作家でありながら、ゼネラルプロデューサー、つまり仕掛け人でもあるのですが、その自覚がほとんどありません。行き当たりバッタリ、という言い方は失礼なのですが、ぶつかった対象相手にトコトンぶつかって、それが、文学作品になろうがなるまいが関係ない。ですから、メモも取らず、テープにも録音しないそうです。全く作為がないのです。

「私の名前は朋子ですから、一度、お友達になった方は、相手が嫌で離れるまでずっとお付き合いします」

なかなかの人です。

彼女に興味を持った方は、彼女の「サンダカンまでー私の生きた道」(朝日新聞社)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022576782/503-8476322-6834359?v=glance&n=465392

をご参照ください。

星の王子さま

サン=テクジュペリの不朽の名作『星の王子さま』を遅ればせながら読んでいます。

教科書に載っていたのか、子供の頃から何度も「帽子」の話は読んだ記憶があります。が、通しで最後まで読んだ記憶がありません。フランス語を習い始めた頃は、もうこれは子供が読む童話だと思っていたので見向きもしませんでした。

しかし、その考えは間違っていました。サン=テクジュペリは「はじめに」で、きっぱりと断っています。子供の頃の純真さを失った大人に向けて書いているのです。

童話でなくて寓話です。ですから、登場するキツネも薔薇も狩人も地理学者もビジネスマンも何かを象徴しているわけです。とてもとても深い物語です。

『星の王子さま』を読んでいます、と書きましたが、日本語ならわずか2時間くらいで読めてしまいます。しかし、深くじっくり読むと、もっともっと時間がかかるのです。だから今でも読み続けているのです。

オリジナル作品は、1943年に出版されました。日本では1953年に内藤濯氏による翻訳が最初です。

Le Petit Prince は「小さな王子」というのが直訳ですが、これを「星の王子さま」と翻訳したのが内藤氏の功績です。1999年の時点ですが、世界的なベストセラーの第一位が「聖書」で第二位がマルクスの「資本論」。第3位が「星の王子さま」なんだそうです。累計販売数で5000万部だそうです。

日本では昨年から今年にかけて急に翻訳本が出ました。目に付くものだけでも、倉橋由美子訳(宝島社=05年6月)、山崎庸一郎訳「小さな王子さま」(みすず書房=05年8月)、池澤夏樹訳(集英社文庫=05年8月)、稲垣直樹訳(平凡社=06年1月)、河野万里子訳(新潮社文庫=06年3月)と5種類もあります。

これは異様ですね。

私の推理ではサン=テクジュペリの著作権が切れたせいだと思われます。彼は1944年7月31日に偵察飛行に飛び立ったまま、南仏上空で行方不明になります。44歳の若さでした。通常、著作権は50年なのですが、第二次世界大戦の戦勝国は、戦時中に著作権が保護されなかったとか何とか言って、もう10年くらい引き伸ばされています。昨年は戦後60年でしたから、堂々と出版できたのでしょう。

ということで、読み始めると、翻訳本といっても訳し方が様々でどれも違うのです。手始めに、倉橋さんの遺作となった作品を読むと、さすがに小説家だけに読みやすい。しかし、彼女流の意訳も多いのです。

一番、原作に近いのは、サン=テクジュペリの研究者でもある京大大学院教授の稲垣さんの訳ではないでしょうか。実は、彼は、現在、NHKラジオのフランス語講座の講師をやっていて、私は、それに触発されて、フランス語で読み始めたのです。テキストには訳が載っていますが、3分の2くらいで、残りはカットされています。それで騙されて彼の翻訳本を買わされてしまったわけです(笑)

フランス語のお勉強は実に四半世紀ぶりです。

『星の王子さま』のハイライトは、何と言っても、キツネが王子さまに3つの「秘密」を説き明かすことです。

その1=「心でしかものは見えないんだよ。大切なことは目で見えないんだよ」

その2=「バラのために失った時間こそが、君のバラをそれだけかけがえのないものにするんだよ」

その3=「君が馴染んだものに対してはいつまでも君には責任があるんだよ」

急に読んだ方は何を言っているのかわからないでしょうが、大変な隠喩が含まれています。

是非、原書で読んでみてください。