【拡散禁止!】日本会議、加計学園問題は矮小な話

中国・大連食べ物横丁 Copyright par Duc MatsuokaSousumu kaqua

京洛先生 相変わらずつまらないブログを書いてますな。何が「日本会議」ですか。あんなもん、活字芸者が騒いでいるだけで大した勢力でも何でもないですよ。騒ぎ過ぎですよ。

渓流斎 はあ、あれでも、朝の5時に起きて一生懸命に書いたんですけど…。あたしゃ活字芸者じゃないので、原稿料なしで…。

京洛先生 だから、ああたは駄目なんですよ。本質を見抜いていない。物事は、今流行りの本当か嘘かではないのです。本質か、本質ではないか、なんです。
日本会議なぞはその典型で、単なる1万人かそこらの極右集団ということだけで、何の本質もありません。早晩、内部分裂して雲散霧消するはずです。そういうことを、ああたは書かなきゃならないのです。

渓流斎 はあ…

京洛先生 森友学園も、加計学園の問題もそうですよ。小さい、小さい。実に小さい。人間の業の中のほんの僅かなちっぽけな通過点に過ぎませんよ。首相の安倍そのものが器が小さ過ぎます。
それより、よくぞ大手マスコミはあそこまで、「国有地を破格の安値で払い下げた」なぞと非難できますね。

マスコミも同罪じゃないですか。

朝日新聞の築地本社は、もともと海上保安庁の国有地ですよ。格安どころか、目の玉が飛び出るほどの安値で払い下げを受けたのですから。

毎日新聞の一ツ橋のパレスサイドビルだって国有地。政府に楯突くのが可笑しい(笑)。

その点、安倍の広報機関紙とお墨付きを得た読売新聞は偉い。大手町の国有地を払い下げてもらった御恩を一生忘れていない。91歳にもなるナベツネが今でも陰に陽に最高権力者として君臨することができるのも、この国有地払い下げで暗躍したからですよ。まさに、論功行賞。生涯年金、生涯保障ですよ。

大手町族の産経新聞も、日本経済新聞も同じ穴の貉。みんな、国有地払い下げです。天下の公共放送NHKだって、豊洲に移して空いた築地市場に社屋を移転する話が、石原都知事との間で決着がつくところだったんですからね。

どこも、森友学園や加計学園の払い下げを批判できないのです。天に唾を吐くようなもんです。

こういうのが本質です。分かるでしょ?こういうこと書かなきゃならんのです。

渓流斎 はあ…

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京洛先生 はあ、じゃないんですよ。ああたは、まったく本質が分かっておらん。

マスコミは「忖度」「忖度」と騒いでおりますが、昔から、物事は最高権力者の裁量で決まるのです。

だから、安倍首相も、はっきりと、俺の友人の加計君にくれてやった。何か文句あるか、と言えばいいだけの話なんです。そして、朝日さん、あんたんとこにも安く分けてやりましたよね、と言えばいいんです。

無知な大衆は歴史を学ぼうとしないのです。

元を言えば、東京の一等地なんて、大手町にしろ、殆どが大名の上屋敷じゃないんですか。薩長の盗賊が暴力で革命を起こして分捕って、好き放題に分けただけですよ。

だから、世の中、うまく立ち回ったもん、才覚のあるもんが勝ちなんです。これが本質。

政商と言われようが、利権屋と言われようが、おべっかや追従ができない奴がヤッカミで言ってるだけなんですよ。

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渓流斎 はあ、しかしながら、先生は庶民の味方じゃなかったのですか?

京洛先生 そういうことを言うから、ああたは駄目なんですよ。物事の本質が分かっておらん!

体制派も反体制もないんです。マスコミがいい例でしょう?反体制のポーズを取っているだけで、裏でしっかり政府と手を握っているのです。

右翼も左翼も極右も極左もないのです。

そんなもん、幼稚園の席順にも劣る話で、何ら本質を突いていない。

右翼思想を持つ左翼も、左翼的思考を持つ右翼もたくさんいるのです。極右と極左は、実は大変仲がいいのは、共通のエートスを持っているからです。似た者同士なんですよ。これが、本質。無知な庶民はそこが分かっていない。

渓流斎 はあ、そんなもんすか。

京洛先生 そんなもんですよ。

昨日も奈良の春日大社に行ってきて、帰りの電車の中で日刊ゲンダイを買って読みましたが、安倍の支持が落ちると北朝鮮がミサイルを打ち上げて、脅威を撒き散らす。人気挽回のために、裏で手を引いて連絡し合ってるんじゃないか、などと推論を展開してますが、案外、そういう話が本質になるのです(笑)。

渓流斎 えっ?それでは、本質なら嘘でも構わないのですか?

京洛先生 またまた、ああたは、そういう屁理屈を捏ねるから駄目なんですよ。

小池都知事なんか見てご覧なさい。細川にくっつき、小沢にくっつき、自民にくっつき、節操のない渡り烏。元キャスターかライターか知らないけど、庶民はあんなんでコロッと騙される。

都民ファーストなんて、大半が政治経験のない烏合の衆の集まりです。親分の金を持ち逃げした元政治秘書もいるそうじゃないですか。そのうち、週刊誌が続々とスキャンダルを書き出すことでしょう。

ま、ああたも頑張ってくらさい。

渓流斎 はあ

「日本会議の正体」

目黒不動尊(目黒とは、眼が黒いのではなく、馬の畔道という説があり、ビックリ)

松居一男です。この度は、世間の皆様にはお騒がせ致しました。

さて、青木理著「日本会議の正体」(平凡社新書)を読了しました。

この本は、菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)と対をなすもので、性格もアプローチの仕方もちょっと違います。

菅野本が、地を這うようにして泥んこになりながら、この安倍政権に多大な影響を与えている右翼団体の実体を探ろうと格闘している様がよく現れているとしますと、大手マスコミ出身の青木本は、最初から大きなハンディをもらい、余裕で大所高所から俯瞰的に論じている感じです。

菅野氏は一人で格闘していたのに対して、青木氏は、出版界では有名で優秀な編集者の「金澤君」(小生もお会いしたことあります=笑)を引き連れたり、週刊誌「AERA」の連載を語り、主語も「私たち」だったりします。(新潮社新書の編集者安河君も頑張らなければいけませんね)

菅野本は、ほぼ「生長の家」一色なのに対して、青木本は、海外の論調にも目配りし、もっと全国規模の右翼団体の緩やかではありますが、緊密な連係と歴史を描いております。

どちらかと言えば、後世の資料的価値があるのは青木本ですが、独特の文体の菅野本は、推理小説を読むような謎解きの部分があり、面白さではこちらに軍配が上がりました。

いずれにせよ、両方読めば、貴方も日本会議通になれることは間違いないでしょう(笑)。

本居長世の碑

例によって、青木本を備忘録として換骨奪胎で引用しますとー。(著者に倣って敬称略、肩書等はいずれも当時のもの)

●日本会議は1997年5月30日、有力な右派団体「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流する形で産声をあげた。

●前者の「国民会議」1981年に発足。議長は加瀬俊一(外交評論家)、運営委員長は黛敏郎(作曲家)。主な役員は、清水幾多郎(学習院大学教授)、江藤淳(評論家)、瀬島龍三(伊藤忠商事会長)、井深大(ソニー名誉会長)、塚本幸一(ワコール創業者)、百地章(日大教授)、大原康男(國學院大教授)ら。

※他に世間では有名な右翼論客がほぼ全員参加しておりますが省略。百地さんは、菅野本でもよく出てきた生長の家筋。ソニーの井深さんは意外でした。

●後者の「守る会」は1974年、主に右派系の宗教団体を中心に結成。呼び掛け人は、鎌倉円覚寺貫主などを歴任した臨済宗の朝比奈宗源。彼は、尾崎行雄や賀川豊彦らと「世界連邦運動」などを繰り広げた。代表委員などの役員は、伊達巽(明治神宮)、谷口雅春(生長の家)、富岡盛彦(富岡八幡宮)、蓮沼門三(修養団)、安岡正篤(陽明学者)ら。

※いわゆる屋台骨の生長の家など新興宗教だけでなく、既存の伝統宗教もかなり入会しておりました。この中での注目は、修養団の蓮沼さんですね。私も渓流斎ブログ2017年2月10日付「蓮沼門三~修養団~フジタ」で、この方について、詳しく触れております(笑)。

●15年4月現在、日本会議の会員は、約3万8000人。年会費1万円。維持会員3万円、篤志会員10万円、女性5000円。

※女性にやさしい。

●全国に8万数千社ある神社の90数%を束ねる「神社本庁」が結成した神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会のメンバーは、衆参両院合わせて304人。(衆院223人、参院81人)

●JR原宿駅近くの一等地にある明治神宮は、内苑と外苑を合わせて数十万坪の敷地を所有し、神宮球場や結婚式場の明治記念館、テニスクラブ、ゴルフ練習場などで、グループ子会社の年間売上高は約110億円(「ダイヤモンド」2011年7月2日号)。

※財政が苦しい日本会議の頼みの資金源になっているようです。

●海外メディアは日本会議のことを「極端な右派」(米CNN)、「極右ロビー団体」(豪ABC)、「強力な超国家主義団体」(仏ルモンド)などと報道。

※欧米メディアの報道が正しいとは限りませんが、日本のメディアが報道するはるか以前からかなり辛辣な色眼鏡で日本会議には注目していたようです。

と、ここまで書いていたら、都議会選挙で自民党が歴史的惨敗に終わったことから、早くも「潮目が変わった」との報道のオンパレード。

世の中の速い動きにはついていけましぇん。

日本会議の関連本が続々

New Orleans Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
毎日、毎日、糠に釘を刺すような作業を行っているので、「自分でも、あにやってんだか」といった気分になることもあります。

でも、結構、このブログを読んでくださっている方もいらっしゃるんですね。半年ぶりでも…(笑)。

色々、コメント頂き、感謝申し上げます。

困ったことに、コメントは、毎回「もう、疲れたから、やめようかなあ…」と思った矢先に来ますので、こうしてコメントを頂きますと、「ま少し続けてみるか」という気にもなります。もしかして、戦略にはまってしまっているのかもしれませんが(笑)。

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さて、せっかく19世紀のパリに住んでいたのに、また現代日本に引き戻されてしまいました。

菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)を読了しまして、今、青木理著「日本会議の正体」(平凡社新書)を読んでいます。

すっかり、日本会議にやられてしまっております。確かに、日本会議関係の本は、柳の下のどぜうの如く、2匹も3匹も、いや10匹も現れだしました。「ジャーナリストの飯のタネ」と大阪にお住まいの堂島先生は喝破しておりましたが、私もうまく乗せられているのかもしれません。

日本会議の関連本で嚆矢となった菅野氏の著書「日本会議の研究」の最後の「むすびにかえて」の中で、彼は、実に冷静にこの極右団体を分析しております。

菅野氏が、日本会議の本を執筆することを決めたきっかけは、これだけ、安倍政権に深く食い込み、影響力が天文学的に絶大なのに、どこのメディアも解明しようとも、取り上げようともしない。それなら、自分でやるしかない、という憤りで始めたらしいのです。

毎日図書館に通い、古書を漁り、現場に行き、人に会い、取材ノートが7冊を超え、集めた資料は段ボール12箱程度に及んだそうです。

そして、分かったことは、当初の「巨大組織」というイメージが、取材を重ねていくにつれて、意外にもその組織の小ささと弱さが目につくようになったといいます。ずばり、潤沢な運動資金があるわけではなく、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない。かつてなら数ある「圧力団体」の一つとして無視される程度のものだったというのです。それが、なぜ、これほどの莫大な影響力を持つことになったのか?

それは、「日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきたデモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けてきた極めて非民主的な思想を持つ人々だった」からと著者は分析します。

菅野氏は「運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉」とまで結論づけております。

著者は1974年生まれ、と略歴に書いてありましたので、60年安保どころか70年安保も知らず、浅間山荘事件等は生まれる前の出来事です。そうした世代がこのような冷静な分析力があることには本当に感服してしまいました。

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「日本会議の研究」はもう1年前に出版されたので、気が早いネット社会の住人たちは、色々と賛否両論を繰り広げているようです。

私は最近、幾何学級数的に記憶力が劣化しているため、この本のあらすじをまとめたいと思っておりましたが、疲れてしまいました。(パソコンが古くなったせいか、もう10回以上も電源が落ちて、最初から書き直しております!)

そこで、この本の概要をうまくまとめたサイトがありましたので、勝手ながらリンクさせて頂きます。

安倍政権を支える生長の家原理主義者たち ←ここをクリック

菅野氏は同書の中で、こう書いております(敬称略のまま、一部肩書等加筆)。

運動の流れから、ヘイトスピーチの在特会の桜井誠や山本優美子らにとって、「チャンネル桜」の西村修平・水島総は親であり、外務省と菅官房長官が推奨する教育学者の高橋史朗や安倍政権の政策ブレーンナンバーワンの「日本政策研究センター」代表の伊藤哲夫たちは祖父母だといえる。

「日本会議」は大きく分けて、(1)日本会議総長で、その実働部隊である日本青年協議会会長を兼務する椛島有三(1945~)グループと(2)伊藤哲夫(1947~)グループと(3)1983年に政治運動から撤退した生長の家教団に反旗を翻して「生長の家原理主義」運動を「谷口雅春先生を学ぶ会」という形で展開した中島省治、百地章らのグループがある。(この他、「日本会議国会議員懇談会」安倍首相補佐官の衛藤晟一(1947~)や稲田朋美防衛相(1959~)らも)

これら代表的な人物の根幹となる紐帯が宗教団体「生長の家」だ。(繰り返しながら、1983年から生長の家教団は、日本会議とは真逆に距離を置く左派エコロジーに方向転換)
その原点となったのが、1966年の長崎大学での左翼過激派打倒を掲げた右派の「生長の家学生運動」で、その中心人物で、現在これら3グループをまとめて頂点に立つのが、「神の子」と言われた安東巌・生長の家千葉教区教化部長(1939~)だ。

以上引用で、他にまだまだ沢山おりますが、これぐらい書いておけば、これから自民党が憲法改正の発議をした時に、また彼らのお名前が登場することでしょうから、備忘録として役立つのではないかと思ってます。

菅野完著「日本会議の研究」を読んで

今年3月15日、自宅前でインタビューに応じる菅野完氏。あたしが撮影したので著作権は大丈夫です(笑)。

私は2015年5月頃からほぼ1年間、病気のため黄泉の国を彷徨っておりましたが、閻魔大王様から「お前は修行が足りんから、もう少し娑婆で苦しんでおれ!」と言われて、下界に戻ってきてしまいました。

ある程度意識が回復した頃、周りの世間を改めて眺めてみると、黄泉の国に行く前と比べるとすっかり変わってしまっていることに気がつきました。

リップ・ヴァン・ウィンクルか、浦島太郎さんになった気分です。

特定秘密保護法、集団的自衛権の閣内決定、安保法制、そして先の共謀罪成立です。憲法改正論議も喧しい。このまま、「戦前」に突入する雰囲気です。

超国家主義者や国粋主義者の皆様は万々歳なんでしょうけど、あたしのような日本の伝統を重んじる保守的な西洋かぶれの個人主義者にとっては窮屈な閉塞感しか感じません。

安倍一強独裁政権については、何度もこのブログで批判してきましたが、単なる蟷螂の斧で、何の突っ張りにもならないことは分かりきっておりますが、閻魔大王様からあれだけ「娑婆世界を見て反省して来い」と言われたものですから、こうして懲りもなく、ブログってるわけです(笑)。

で、今、あのかなりの物議を醸し出した菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)を今ごろになって読んでおりますが、「ははあ、なるほど、そういうことだったのか」と、一人で相槌を打ちながら読んでいるわけです。

この本が話題になった頃、私は黄泉の国におりましたので、知りませんでした。

意識を回復した頃、例の森友学園問題が怒涛の如く、あらゆるマスコミで報じられ、その中で、籠池理事長(当時)が記者会見に臨んでいる場面がありました。ある記者らしき人物が食い下がるように質問して、自分の名前を明かすと、それまで眠たそうな顔をしていた籠池理事長が急に目を輝かせて、「そうか、君が菅野君か、そうか、君があの菅野君かあ」と実に感動的に、そして嬉しそうに話している場面がありました。

「日本会議の研究」の中で、恐らく新聞雑誌や一般書籍では初めて森友学園のことを取り上げられていたので、これまた恐らく籠池理事長も読んでいたのでしょう。

籠池理事長にとって天敵だった菅野氏が、その後、籠池氏からその実力を買われて、逆に、菅野氏が森友学園問題の機密文書を託されるようになるとは、全く娑婆世界は不思議に溢れています。

私も本当に偶然に、フランス大使館で用があった時に、この菅野氏がマスコミの記者やカメラマンが沢山群がってインタビューされている場面に遭遇したことを今年3月15日のブログに書いたことがあります。(当時は、菅野氏が何者なのか、全く知りませんでした)

で、肝心の「日本会議の研究」ですが、今になっては、建前主義の新聞がやっと重い腰をあげて報道したので、かなりオープンになった事実があります。でも、出版された当時は、ほとんど報道されていなかったので、実に画期的な労作と言っていいでしょう。大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を獲得したことは妙にうなづけます。

今、稲田朋美防衛相が、都議選の応援演説で「自衛隊としても宜しくお願いしたい」などと発言(後に撤回)し、「自衛隊の私物化」「自衛隊の政治利用」として問題になっています。稲田さんは弁護士なのに、憲法や自衛隊法や公職選挙法などについての知識には欠けていたようです。

安倍首相は、稲田防衛相は罷免しない、とはっきり宣言し、菅官房長官も「地位に恋々としがみついていた」などと発言するわけがありません。

彼らは、「日本会議国会議員懇談会」のメンバーとして堅い血より濃い結束があることが本書を読んで分かりました。第3次安倍内閣の8割がこの日本会議国会議員懇談会のメンバーであることもこの本には書かれています。

稲田氏は祖母以来、宗教法人「生長の家」の信者で、戦前に発行された谷口雅春教祖が書いた経典「生命の實相」をボロボロになるまで読んでいたことが本書の中に出てきます。

日本会議の原点となった生長の家は、今では方向転換して、左翼的エコロジー運動に重点を置き、日本会議とは一切関係を絶っているともこの本には書かれています。

いやあ、確かにこの本は読み応えがあります。ノンフィクションというより、身体を張った突撃取材によるルポルタージュと言った方がいいでしょう。