「ナイロビの蜂」★★

今日は久しぶりに映画を見ました。3月に帯広で見て以来ですから3ヶ月ぶりです。
観たのは、今話題の「ナイロビの蜂」です。ブラジル人のフェルナンド・メイレス監督作品。原作はスパイ小説の巨匠ジョン・ルカレ。主演は「イングリッシュ・ペイシェント」でアカデミー主演男優賞を受賞したレイフ・ファインズ(この俳優さん、私は好きですね)とこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞したレイチェル・ワイズ。

とにかくストーリーが錯綜していて分かりにくかったですね。ファインズ扮するジャスティン・クエイルは英国人の外交官で、新妻のテッサ(ワイズ)を伴って、ケニアのナイロビの大使館に一等書記官として赴任するが、妻のテッサは、ある陰謀の実態を調査しているうちに、刺客に狙われて、結局、事故にみせかけて殺害されてしまう。その陰謀とは、国際的な製薬会社が、新薬の効果を調べるために、ケニア政府と裏で取引して、貧しいケニア人を使って、人体実験をしているというものだった。この背後には、英国の外務省のアフリカ局長もからんでいた、という一大スキャンダルで、テッサは、口封じのために殺されたのだ。妻の「事故死」に不審を抱いたジャスティンは、妻の足跡を追っているうちに、次第に組織に狙われるようになるーといった内容です。と、まだ観ていない人には悪いのですが、書いてしまいました。

しかし、これは私が映画で観てとった内容であって、本当は、もっと違う話かもしれないというのが正直な感想なのです。カメラはわざとぶれて、ドキュメンタリー・タッチで撮っています。主人公と一緒に、ケニアのスラム街を歩いているような気分にさせてくれます。

名門ケンブリッジ大学出の才媛レイチェル・ワイズの美しいこと!妊婦姿でしたが、あれは本物だったのか、CG(?)なのか今でもわかりませんが。

原題は、 The constant gardener です。何でこれが「ナイロビの蜂」になるのかー映画を観れば分かるでしょう。原題は、ジャスティンが、あまり妻の行動に関心を示さず、というか束縛しないで、自分は、好きなガーデニングに打ち込んでいた。その結果、妻を死に追いやってしまったという負い目を感じたから、この題をつけたのではないかと勝手に想像しています。

言っておきますが、私の読みは浅い!

観ている途中で「ありえない」と不思議に思う場面が何度もありましたが、とにかく、アフリカの大地の映像と音楽は素晴らしかったです。それだけでも観る価値があると思います。

ついでながら、ネットで間違えて「ナミビアの蜂」と検索したら、社民党党首の福島みずほさんのブログをはじめ、かなりのヒットがありましたが、これは「ナイロビの蜂」の間違いですよね?何だかよくわかりません。

「歓びを歌にのせて」★★★★

函館 聖母トラピチヌ修道院

 

素晴らしい映画を久しぶりに観ました。

「歓びを歌にのせて」

スウェーデン映画です。2004年のケイ・ポラック監督作品。2005年の第77回アカデミー外国映画賞ノミネート作品です。ストーリーはこんな感じです。

8年先までスケジュールが決まっている世界的指揮者のダニエル(ミカエル・ニュクビスト)が、過労とストレスで心臓発作に襲われ、指揮活動を断念し、子どもの頃に住んでいた片田舎ユースオーケル(架空の村)にある廃校になった小学校を買って移り住み、隠遁生活を送ることになった。そこへ、彼の名声を知っている牧師スティッグ(ニコラス・ファルク)が聖歌隊の指導を頼みに来るが、音楽界から引退したダニエルは断る。しかし、熱心な村人の姿を見て、自ら「教師」として買って出て、この世のものとは思えないほど素晴らしい聖歌隊に育てていく…

と、ここまで書くと、陳腐な成功物語に聞こえてしまいますが、それは、それは、紆余曲折があって、とても複雑な深いストーリーなのです。最後は、オーストリアのインスブルックでのコーラス・コンクールにまで出場するが、再び心臓発作に襲われたダニエルは、トイレで倒れ、舞台に立つことができるかどうか…。あとは観客の想像力に任せる、といった感じで終わってしまいます。

 

私は何と、「悲劇的な終わり方をするなあ」と思ったのですが、一緒に観たHさんの解釈はまるっきり逆でした。「ハッピーエンド」でした。

 

ダニエルが移住を決意したユースオーケルは、7歳くらいまでに住んでいた村で、同級生たちからひどいいじめに遭って、立ち去った所でした。麦畑で一人でバイオリンの練習をしていたら、悪ガキどもに乱暴されたのです。その時の心の傷は、ずーと癒されることはありませんでした。しかし、映画の最終場面。ダニエルが、トイレで倒れて朦朧となっていた時に、その麦畑シーンが出てきて、バイオリンの練習をしている子どものダニエルを、大人になった今の自分が抱き上げて、解放するのです。この場面で、「心の傷を持ったインナーチャイルドが癒された」とHさんは解釈したわけです。

 

母親の手一つで育てられたダニエルは、少年の頃、その母親を交通事故で亡くし、人に対して心を開かなくなります。人を愛することができず、ずっと独身で過していました。そんな彼の心を開いたのが、聖歌隊のメンバーの食料品店の店員のレナ(フリーダ・ハグレン)でした。決して美人ではありませんが、笑顔を絶やさない若さに溢れた魅力的な女性です。そんな彼女も、両親を亡くし、男に騙されて、心に深い傷をもっていました。

 

そうなのです。素晴らしいソロを聴かせるガブリエル(ヘレン・ヒョホルム)はアル中の夫の家庭内暴力に悩み、牧師の妻インゲ(インゲラ・オールソン)も夫の偽善に悩み、聖歌隊に参加している老若男女、すべてのメンバーが、何かしら心の傷を背負っていて、あまりにも人間臭いのです。リーダー格の雑貨商のアーン(レナート・ヤーケル)も仲間をいじめる俗物に描かれ、スウェーデンの片田舎だけではなく、世界中のどこにでもありえてしまう物語に仕上がっているのです。ハリウッド映画に出てくるような美男美女が一人も登場せず、はっきり言って、映画なのにこんな不細工な人を出していいのかなあ、と心配してしまうほどの俳優も登場します(失礼)。

 

ダニエルの恋人役のレナも、美しい金髪の持ち主ですが、顔はどこか東洋的です。

 

映画を観ているというより、ドキュメンタリーを観ている感じでした。

 

そして、この作品では、人間の嫉妬が妄想を生み、いかに自分自身と周囲を駄目にしてしまうか、ということを残酷にも白日の下に晒しています。あんな人格者だった神父のスティッグが、村人の関心と賞賛がすべてダニエルに奪われたと嫉妬し、みっともないほど無様な醜態を見せるし、ガブリエラに暴力を振るう夫コニーも、ダニエルへの嫉妬心から身を滅ぼします。

 

これらの人間の業を救うのが音楽です。夫に殴られて顔に傷を作りながらもソロを歌うことを決心したガブリエラの歌声は、本当に天使の歌声でした。この映画のハイライトの一つでしょう。詩も素晴らしい。

 

「この世に生きるのは束の間だけど 私の人生は私のもの…」と謡いあげるのです。

 

ガブリエラ役のヘレン・ヒョホルムが随分歌がうまいなあ、と思ったら、スウェーデンでは有名な歌手だそうです。

 

スウェーデンがこんな身近に感じたことはありません。

 

映画は国境を越えるのですね。

映画「有頂天ホテル」は不合格

音更町鈴蘭公園

三谷幸喜監督の映画「有頂天ホテル」見ました。

天才・三谷の話題作ということで、期待して見たのですが、感想は「残念賞」でした。

やはり、彼は舞台作家の域を全く出ていませんでした。

天は二物を与えずと言いますが、やはり、彼の才能は舞台止まりでした。映像は不合格です。

「有頂天ホテル」は、学芸会でした。舞台演技のわざとらしさばかり目立って、喜劇だというのに、全く笑えませんでした。むしろ、怒ってしまいました。例えば、川平慈英の演技。例えば、西田敏行。例えば、唐沢寿明。例えば、YOU。例えば、香取慎吾。非常に臭い芝居で、ワザとらしく、鳥肌が立つくらい白々しいのです。

これが、舞台なら、まだ許せるのですが、映像で、そんな演技をしてしまっては身もふたもありません。

唯一の救いは、例えば、松たか子の自然な演技です。主人公の役所行司も、芸達者だけに、ほんの少しだけ許せます。

戸田恵子は、半分の人は許せるかな、といった感じです。

これが、三谷君の限界でしょう。

喜劇で人を怒らせてしまっては、お仕舞いでしょう。

「禁じられた遊び」

ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」を見ています。1952年作品なので、もちろんロードショー公開は見ていませんが、テレビや名画座で何度も見ているのですが、こんな作品だとは思いませんでした。すっかり忘れていました。老人力がついたせいでしょうか。

以前は少女ポーレット(ブリジッド・フォッセー)と少年ミシェル(ジョルジュ・プージュリー)の物語だと思っていたのですが、親同士が仲の悪いロミオとジュリエットばりの恋愛物語であり、フランスの片田舎の古き家父長制の物語であり、何よりも反戦映画であり、教会制の批判だったりしていたことが今日見て今更思ったのです。

子供たちの禁じられた遊びとは、十字架集めであり、その十字架は、ポーレットの身代わりになって死んだ子犬のためでした。十字架の重さを知らない異教徒の子供が見てもさして内容が分からず、それほど感動しなかったのですが、今の年になって見ると、十字架を盗んだ子供を殴る親の気持ちが分かってしまうのです。

これは、すべてに当てはまるかもしれません。若い頃は「理由なき反抗」を見ても、ジェームス・ディーンに思い入れたっぷりで、親の苦労などさっぱり分かろうとしませんでした。

しかし、今では親の気持ちの方がよくわかります。

人間って勝手なものなのでしょう。

大切なこと チャップリン

泣いたらいけない。
笑え。

絶対に自殺するな。

人が生きる上で大切なこと、それは

食べること

働くこと

愛すること…

 

時は、偉大な作家なり。

 

ーーーチャールズ・チャップリン(1889-1977、俳優・監督・プロデューサー・脚本家・作曲家)

 

【家族構成】

妻  ウーナ・オニール・チャップリン(1926年8月1日~1991年9月27日 享年65歳) 

女優 「Broken English」  1943年結婚
長女 ジェラルディン・リー・チャップリン(1944年8月1日~)
女優「ドクトル・ジバゴ」、「赤ちゃんよ永遠に」、「ナッシュビル」、「チャーリー」など。
長男 マイケル・ジョン・チャップリン(1946年3月7日~)
俳優として「ニューヨークの王様」・「The Sandwich Man」など、
脚本家として「Act of Betrayal 1988、テレビドラマ」、「Dalziel and Pascoe: The British Grenadier 1999、テレビドラマ」など、
プロデューサーとして「”Wish Me Luck” 1987、テレビドラマ」、「The Black Ve lvet Gown 1993、テレビドラマ」など。
次女 ジョゼフィーン・ハナ・チャップリン(1949年3月28日~)
女優「Racconti di Canterbury,I」、「Poulet au vinaigre」など。
三女 ヴィクトリア・チャップリン(1951年5月19日~)
女優「伯爵夫人」、「”Le Cirque imaginaire” (1989年、テレビドラマ)」など。
次男 ユージン・アンソニー・チャップリン(1953年8月23日~)
四女 ジェイン・セシル・チャップリン(1957年5月23日~)
五女 アネット・エミリー・チャップリン(1959年12月3日~)
三男 クリストファー・ジェイムズ・チャップリン (1962年7月8日~)
俳優「トニー・カーチスの発明狂時代」、「太陽と月に背いて」など。

【離婚した妻たち】
①ミルドレッド・ハリス(1901年11月29日~1944年7月20日 享年42歳)女優 出演作「Sumuru」、「Melody of Love」など。1918年結婚、1920年離婚

ミルドレッド・ハリスとの間に:
長男 ノーマン・スペンサー・チャップリン(1919年7月7日~同年同月10日死亡、享年0歳)

②リタ・グレイ(1908年4月15日~1995年12月29日 享年87歳)女優 出演作「Mr. Broadway」、「The Devil’s Sleep」など。1924年結婚、1927年離婚

リタ・グレイとの間に:
長男 チャールズ・スペンサー・チャップリンJr.(1925年5月5日~1968年3月20日死亡、享年42歳)俳優「Fangs of the Wild」、「The Big Operator」など。
次男 シドニー・アール・チャップリン(1926年3月30日 43歳) 俳優「Sept hommes et une garce」、「A doppia faccia」など。

③ポーレット・ゴダード(1911年6月3日~1990年4月23日 享年78歳)女優 「モダン・タイムス」「チャップリンの独裁者」、「ザ・モンスター」など。1936年結婚、1942年離婚

「第三の男」

オーソン・ウエルズ(ハリー・ライム)主演作品「第三の男」をNHKのBSでやっています。今見ているところです。

 

監督キャロル・リード、音楽はアントン・カラス、主演ジョゼフ・コットン(ホリー・マーティンス)、アリタ・ヴァリ(アンナ)、トレヴァー・ハワード(キャラウエイ少佐)。原作は遠藤周作も大好きだったグレアム・グリーン。ここまでは諳んじて言えます。不思議ですね。

 

何しろ、57年も昔の映画です。オーソン・ウエルズをはじめ、ここに出演している役者は、子役以外ほぼ全員、死亡しているでしょう。

 

ここに映画のすごさがあります。

 

1949年作品。57年経とうが、人間のエートス(心因性)は、全く変わりがないのです。

 

昔、見たとき、登場人物が異様なジジイに見えましたが、みんなすごーーく若く見えるのです。

 

単に私が年を取ったに過ぎないのですが。

「ミュンヘン」

<a title=”スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」、ドイツで議論に (ロイター) – goo ニュース” href=”http://news.goo.ne.jp/news/reuters/geino/20060127/JAPAN-201334.html?C=S” target=”_blank”>スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」、ドイツで議論に (ロイター) – goo ニュース</a>

スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を見ました。

1972年のミュンヘン五輪の開催直前に、「黒い九月」と呼ばれるアラブ人のテロリストがイスラエル選手団を襲い、11人の選手・コーチを殺害した事件を元に、イスラエルの秘密諜報機関「モサド」が、報復のため、テロリストを次々と殺害する話です。

暗殺者のリーダー、アヴナーも最後は、自分は何をしているのかわけがわからないくなり、発狂寸前まで追い込まれます。生まれたばかりの娘にも危害が及ぶのではないかという不安に駆られ、すっかり祖国に対する不信感すら感じでしまいます。

見終わっても、カタルシスがなく、スピルバーグは何を言いたかったのかわからなくなりました。これでは、同胞のユダヤ人からもアラブ人からも批判されるはずです。

「事実に触発されて」と最初に断り書きが登場しますが、結局はフィクションなのでしょう。辻褄が合わないというか、ちょっと可笑しいなあというシーンがいくつかあります。

例えば、情報提供者のフランス人のルイ。モサド陣にアテネでのアジトを提供する一方、アラブのテロリスト(とこの映画の作者が呼ぶ)にも同じアジトを提供し、敵対する二者が鉢合わせすることを仕組んでおきながら、モサドのアヴナーは少しも、ルイを疑わない。これは、おかしいですよね。

やたらと、ドンパチ打ちまくるシーンが多く、これでは、ヤクザ組織の縄張り争いと変わらない、バックが国家か、愚連隊の違いに過ぎない、その程度の違いなのです。

真の背景にはユダヤ人問題やパレスチナ問題がからみ、一筋縄ではいかないのに、単純な物語にすること自体、とても危険なのです。さすがにエンターテインメント映画ではないでしょうが、サスペンス映画にしては中途半端です。

とにかく、この作品でアカデミー賞を狙っているらしいのですが、私にとっては、よく分からない映画だなあ、言っておきます。

「ヴェニスの商人」

マイケル・ラドフォード監督作品「ヴェニスの商人」を見ました。

言わずと知れたシェークスピアの名作。映画は原作に忠実でしたが、出演者の顔ぶれがすごい。

高利貸しシャイロックにアル・パチーノ、ヴェニスの商人アントーニオにジェレミー・アイアンズ、アントーニオの友人バッサーニオにジョセフ・ファインズ、ベルモントに住む女相続人ポーシャにリン・コリンズという豪華キャスト。街並みから衣装、風俗に至るまで16世紀後半のヴェニスが再現され、その世界に入り込んでしまいました。

特に感情移入してしまったのは、シャイロックです。名優アル・パチーノが演じているせいかもしれません。

有名な裁判の場面。散々アントーニオから唾を吐きつけられたりして虚仮にされたシャイロックがアントーニオに対して借金の形として要求したのは、金利ではなくて「肉1ポンド」。血を一滴も流さず、きっかり1ポンド。それ以上でもそれ以下でも駄目。できなかったら財産没収。取れるなら取ってみーろ、といった感じ。

妻を失い、娘を失い、しかも財産まで没収されようとするシャイロックの虚ろな姿で幕が閉じますが、シャイロックに感情移入している限り、救いもカタルシスもありません。

もちろん物語の底流にはユダヤ人問題が流れています。

だからこそ映画化されたのでしょう。「シンドラーのリスト」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ライフ・イズ・ビューティフル」そして近日公開される「ミュンヘン」に至るまで、かわいそうなユダヤ人の迫害物語です。

しかし、かわいそうなパレスチナ人が主人公の映画は見たことがありません。製作者にしろ配給会社にしろ、映画界にパレスチナ人が圧倒的に少ないせいかもしれません。

「映画こそが大衆に最も訴えるプロパガンダだ」と注目したのはヒトラーであり、ゲッペルスでした。

奥歯に物が挟まったような言い方しかできません。

ただ、結論を書けば、迫害されるかわいそうなパレスチナ人の映画も見てみたいと思ったのでした。

「雪に願うこと」

映画「雪に願うこと」の特別試写会が全国に先駆けて、帯広で開かれました。
試写会といっても、ちゃんと入場料1000円を支払いましたが。

この映画は、昨秋の東京国際映画祭で、グランプリ、監督賞(根岸吉太郎)、主演男優賞(佐藤浩市)、観客賞の4冠を獲得した「鳴り物入り」の作品です。

原作者の鳴海章氏が帯広市出身で、帯広市在住。作品も帯広競馬場の「挽馬」が舞台で、昨年、帯広でロケが敢行され、帯広市民もたくさんエキストラとして出演した関係で、帯広が日本最初の「上映地」として白羽の矢が当たったわけです。

それで、どうだったか、と言いますと、百点満点で65点かなあ。ちょっと、辛いかもしれませんが、全編、帯広競馬場の厩舎で話が展開されて、馬が白い息を吐きながら一生懸命に走る姿は感動的でしたが、登場人物があまりにもステレオタイプで、今ひとつ映画の世界に我を忘れるほど没入できなかったのが残念でした。

例えば主人公役の伊勢谷友介は、13年間も親兄弟とは音信不通だったのに、事業に失敗して東京から故郷の帯広に逃げるようにして戻ってくる。兄役の佐藤浩市は、当然、彼を受け入れない。母親にも会わせない。母親は認知症となって施設に入院していたが、伊勢谷のことを自分の息子であることを認識できない。随分、乱暴なストーリーなんですよね。

厩舎の賄い役の小泉今日子は、佐藤浩市のことを互いに好きなようで一緒にならない。彼女には別れた亭主との間に高校生の子供がいて、夜は街中のスナックで水商売。「生きていくには、夜も働かなきゃいけないっしょ」という台詞!わー、これも、よくあるお涙頂戴劇のワンパターンですね。

それでも、帯広競馬場とか、市内の飲み屋さんとか、上士幌のめがね橋とか、少しだけ「観光案内」となっていて、全国的に、いや全世界で帯広が有名になればいいなあ、と応援したくなりました。

「アメリカン・グラフィティ」

「アメリカン・グラフィティ」を久しぶりに見ました。DVDで980円で売っていたからです。

映画公開は1973年。当時、高校生だった私は、お金がなく、ロードショー映画館で見た記憶がなく、リバイバル上映で見た気がします。池袋の「文芸座」、渋谷の「前進座」、飯田橋の「佳作座」、高田馬場の「パール座」、大塚の…名前忘れました等、当時の東京には貧乏学生向けに沢山の「二番館」がありました。

もちろん、当時は音楽映画として見ました。チャック・ベリーやプラターズなど1950年代のロックンロールが効果的に使われて、単に楽しんだだけでしたが、後にテレビやビデオでも何回も見たのも、毎回、何か発見があったからです。

まずは、「スターウォーズ」で大御所監督となった若きジョージ・ルーカスの出世作だったこと。プロデューサーは、既に「ゴッド・ファーザー」などと有名になっていたフランシス・コッポラにルーカスが頼んだこと。

俳優人も、この作品がきっかけでスターの道を歩んだ者も多かった。後に「ジョーズ」や「未知との遭遇」に主演したリチャード・ドレファイス、「スターウオーズ」や「インディージョーンズ」のハリソン・フォードも俳優を諦めて大工になっていたところを、スタッフに呼ばれて参加して復活しています。

そして今回、一番驚いたことは、主人公のノッポのそばかすだらけの少年スティーブを演じたロン・ハワード。DVDの付録の「製作余話」のインタビューに登場していましたが、30年前の面影が全くなく、すっかり禿げ上がっていましたが、後でプロダクション・ノートを読んで、驚いてしまいました。

監督業に進出し、「アポロ13」「ビューティフル・マインド」などで知られる巨匠ロン・ハワードだったのですね。

映画通にとっては当たり前の話でした。