「アース」

 話題の映画「アース」を見てきました。すごーく期待していたので、ほんの少し、がっかりしましたね。いや、自分では何もできないくせに、ないものねだりに過ぎないのですが、正直、物足りなかったのです。だから、79点。

 

何が物足りなかったか、というと、ディズニー映画のように、「動物万歳!」の視点で撮られており、肉食動物が狩りをするにしても、襲ったところで、お仕舞いにしています。子供たちにあまり残酷なシーンは見せたくないという配慮なのかもしれませんが、自然の過酷さが伝わってきません。

 

でも、内容は本当に素晴らしいのですよ。北極から南極に至るまで、地球に棲む動植物が精一杯生き抜く姿勢が描かれています。ヒトは登場しません。主人公はホッキョクグマであったり、アフリカゾウであったり、鯨だったり、サイベリアのタンドラ(つまり、日本語ではシベリアのツンドラ)だったり、壮大な瀑布だったりします。

地球温暖化の影響で、北極の氷が解け、2030年までに、ホッキョクグマは絶滅すると警告しています。お腹を空かして体重が半分にまで落ちこんだホッキョクグマが、やっとセイウチの集団を見つけますが、狩りをする体力も残っておらず、結局、餓死してしまうところまで映されています。

 

映像は素晴らしいの一言で、誰もが「どうやって撮ったのだろう」と疑問を持つに違いありません。空から撮ったことは分かりますが、ヘリコプターなら、もっと映像がぶれるはずです。鳥が空を飛んで眺めているように、映像は「なめらか」なのです。

この地球は人間だけのものではない、ということをこの映画は伝えたかったのでしょうか?

深く考えさせられる映画でもあります。

「続・三丁目の夕日」

 芥川賞に「乳と卵」の川上未映子さん(31)、直木賞に「私の男」の桜庭一樹さん(36)が受賞されました。おめでとうございます。特に、川上さんはシンガーソングライターで、アルバムを3枚も出しましたが、全く売れず、作家生活わずか9ヶ月で受賞したというのですから、ラッキーガールですね。父親が定職につかず、貧しかったという報道もあります。

 

たまたま、偶然、昨日、映画「続・三丁目の夕日」を見ました。作家の茶川さんが、芥川賞を受賞するかどうかという話だったのです。いやあ、涙が何度も出てくるほど感動しました。甘いですが90点をつけちゃいます。

 

東京タワーが完成した昭和33年から東京五輪が開催される昭和39年の間の出来事のようです。まだ、首都高速もできていません。銀座の数寄屋橋は埋め立てられておらず、橋の下に川が流れていました。もちろん、CGなのでしょうが、本当によくできていました。人物造形もしっかりしており、映像で感動させる要素に欠かせない「子供」と「動物」と「家族愛」が全面的に押し出されていました。

 

昭和三十年代にあんなに芥川賞の発表が騒がれていたのかなあ、と思いましたが、石原慎太郎が「太陽の季節」で芥川賞を取ったのが昭和31年ですから、全くなきにしもあらずでしょう。あそこまで、騒いでいたかは疑問ですが。

 

私のような昭和三十年代を知る者にとってはノスタルジーを感じて感動が倍増してしまうのですが、私の隣の隣りの席に座っていた20歳代と思われる若い女性からもすすり泣きの声が聞こえてきたくらいですから、万人を感動させる要素をこの映画は持っていると思われます。

 

皆さんにもお奨めです。

「茶々」と「ナショナル・トレジャー」

今日はお休みで、銀座で映画を2本も見てきてしまいました。お正月から働いてきたので、まあ、それぐらい許してください。

実は、今年から日本アカデミー賞協会会員になったため、割かし、映画はスムーズに見られるようになったのです。ただし、お断りしておきますが、会員になったからといっても、ちゃんと入会費と会費は払っております。映画館で見られると言っても、初日や日曜祭日は駄目です。指定の映画館でしか見られませんし、満員の場合は入場を断られるという制約があります。

それでも、ある人物(複数)のご厚情に縋って、何とか会員になることができました。やはり、賞の選考をしたかったのが一番大きい理由ですかね。

でも、会員として映画を鑑賞するとなると、どうも粗捜しばかりやってしまい、純粋に楽しむことが難しくなってしまいました。一番恐れていたことですが…。

今日見たのは、豊臣秀吉の側室、淀の君の生涯を描いた「茶々」と、ニコラス・ケイジ主演の「ナショナル・トレジャー2」です。

「茶々」が60点、「ナショナル・トレジャー」が70点といったところでしょうか。

「茶々」の主演の淀君は和央ようか。この人、宝塚の雪組、宙組の男役2番手の頃、舞台でよく拝見していたのですが、やはり、宝塚男役の演技になっていました。声も地声なのか、野太く、とても姫らしくない。ミスキャストじゃないでしょうか。秀頼にしても、どう計算しても、秀吉はその頃、遠征中で、秀吉の子としては考えられず、「不義の子」であるという説が有力なのに、その辺は全く触れられていません。脚本のミスではないでしょうか。ただ、茶々を格好良く見せたいがためのエンターテインメントだとしたら、それでいいのかもしれませんが。

ただし、大坂城の燃え盛るシーンや、内部の調度品、屏風など、CGを使っていたにせよ、舞台セットには見るべきものがありました。

ケチばかり付けてしまいましたが、私なんか二度ほど不覚にもホロリとさせられる場面がありました。

「ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記」は冒険活劇ともいうべき作品ですが、私は、どうも、主演のニコラス・ケイジに魅力を感じず、これまで、彼の主演作は一本も見てこなかったんですよねえ。ストーリー展開に難があるなんて、こましゃくれた事を言ってしまえば、身も蓋もないのですが、ただ2時間、ジェットコースターに乗った気分で、場面の中に入り込みたいのなら、それで楽しめる作品だと思います。「全世界を揺るがす陰謀」と言われても、どこに陰謀があるのか最後までわかりませんでしたが…。

ジョン・レノン「PEACE BED」続き

(続き)

 

昨日の続きです。ジョンの映画のパンフレット(700円)を読んでいたら、昨日自分の書いたことの間違いや気が付いたことがあったので、書きます。(まあ、ほとんどの方は興味ないかもしれませんけど)

まず、ニール・ヤングが歌った「オハイオ」は、オハイオ州立大学でもオハイオ市立大学でもなく、ケント州立大学でした。事件は1970年5月4日。ニクソン大統領のカンボジア侵攻に抗議して大学構内でデモをしていた学生がオハイオ州兵によって発砲され、4人が死亡、9人が負傷した事件でした。単にデモしただけで、射殺されるとは!射殺された男子学生がうつぶせになっている横で、女子大生が跪いて両手を広げて嘆き悲しんでいる写真が世界に配信されて有名になりましたね。ミャンマーではなく、わずか37年前に天下のアメリカ合衆国でこんなことが起きていたんですよ。

ザ・ビートルズ・クラブの斉藤早苗代表が書いていましたが、当時、ジョンの名声を利用しようと彼に近づいた過激な反体制派のリーダー、ジェリー・ルービンは、ベトナム戦争が終わると、とっとと企業家に鞍替えして、ビジネスマンに転身していた。ジョンが最も嫌う狡猾さを持ち合わせていたというのです。まあ、芥川龍之介の「杜子春」と同じです。名声とお金を持った人の周りには絶えず胡散臭い人間が付きまとうものです。利用できなくなれば、ポイと捨てて、他の利用できる人間を探すだけです。

だから、思想信条だの政治運動だのというのは、私は信じられないのです。

話が脱線しましたが、このパンフレットには実に恐ろしいことが書いているのです。このパンフレットの編集者がどういう意図で掲載したのか分かりませんが、ニクソン大統領とエルヴィス・プレスリーががっち握手している写真の下にこんなキャプションが付いています。

「大統領、お気をつけてください。ビートルズはアンチ・アメリカ勢力に巨大な影響力を持っています。そして彼らはアメリカの若者に悪影響を及ぼします。~エルビス・プレスリー」

これが事実だとしたら、何だか、プレスリーって嫌な奴ですね。点数稼ぎのチクリ屋じゃないですか!嫌いになっちまいましたね。

ジョン・レノン「PEACE BED」

誰も遊んでくんないので、一人で、六本木ヒルズにまで遠征し、ジョン・レノンの映画「PEACE BED」を見に行ってきました。

ビートルズ・フリークを自称していますからね。見ないと話になりません。

TOHO CINEMASは、わずか、123席の小劇場が6個くらいある映画館でした。初めて行きました。月曜の昼間なので、さすがに空いていました。土日も仕事をしなければならない職業ですが、平日休めるので、「役得」「です。

「PEACE BED」は、原題を訳すと「アメリカ合衆国VSジョン・レノン」。決闘みたいなタイトルですが、こちらの方が映画の内容に近いです。何しろ、戦争をやっている国に対して、公然と「戦争するな」と反政府活動をするのですから。元FBIの捜査官が、当時を回想して「アメリカ人の若者がレコードを買ってくれるから、儲けているのに、アメリカにまで来て非合法活動するなんてもってのほかだ」と発言していました。

今は私も年取ったせいなのか、この体制維持派の発言も分かりますね。ジョンは目の上のタンコブでした。

当局は、徹底的にジョンをマークします。尾行、電話盗聴…挙句の果てには、過去の麻薬使用の前科をタテに、ビザを再発行せず、国外追放を画策します。

私は当時、高校生か大学生くらいでしたので、同時代人として、同時進行としてニュースに接してきましたが、このように映画化されて、過去の歴史のように扱われると、やはり感慨深いものがあります。もう30年以上昔の話ですからね!

面白かったのは、FBIかCIAの元捜査官が「ミック・ジャガーなら単なる不良の金持ちだが、ジョン・レノンは危険人物だ」と発言していたことです。ニューヨーク定住を決めたジョンは、ボビー・シールズやアンジェラ・デイヴイスといった当時、当局のブラックリストに載っていた極左活動家と親交を持ち、ヴェトナム戦争反対などのデモに積極的に参加します。

極左活動家といっても、まだ、生きているんですね。昔を回想してインタビューされていましたから。当然かもしれませんが…。今、米国は戦時体制なのですが、活動家による「イラク戦争反対」のデモなどのニュースは聞きません。大学生も保守的になったのか、ITで金儲けするのに必死なのか、あの60年代、70年代に盛り上がった反体制運動はほとんど聞こえてきません。

そういう時代だったのでしょうか。ニール・ヤングの「オハイオ」も、オハイオ州立か市立大学のデモで警官に射殺された学生のことを歌っていました。バッフィー・セントメリーの歌ったテーマソングで有名になった「いちご白書」も学生運動の話でした。
政治の季節だったのでしょうね。

とにかく、ジョン・レノンは信念の人でした。革命といっても、暴力には大反対でした。ガンジーの無抵抗主義の影響があったようです。「レボルーション」も「平和を我らに」もかなり政治的なアジテーションの意味が込められていたんですね。この映画で再確認しました。

ニューヨーク・タイムズの敏腕の女性記者から「あなたはアイドルだったのに、何で今、こんな政治活動するの?」と聞かれたジョンは「君はあの『ア・ハードデイズ・ナイト』の頃の僕のことを言っているのかもしれないが、今の僕は、もう違う。もう29歳になったしね。政治運動だろうが何だろうが、もう黙ってみてられないんだよ」と答える場面が出てきます。

29歳だなんて!何と老成した人だったのだろう。もっとも、わずか40年の生涯でしかなかったから、かなり生き急いだということは確かだと思います。

「ベッド・イン・ピース」や「」バッギズム」など、当時、私は子供で、何であんな気が違ったことをやるのか、ジョンのことを理解できなかったのですが、今では、よく分かります。

映画の中で胸にバッジを付けたジョンがいました。そこには「Not insane」と書かれていました。

もちろん、その意味は「気が狂っていないからね」。映画を見て、このバッジに気づいた人は、かなりの「通」です。今度会ったら、私が表彰します!

年末大感謝祭用のバナー02

「ボーン・アルティメイタム」

 マット・デイモン主演の映画「ボーン・アルティメイタム」を見てきました。

 

いやあ、ハラハラドキドキというのは、素晴らしかったという意味での感想で使われますが、最初から最後までハラハラのし通しで、心休まる時間がなく、途中で逃げ出したくなってしまいました。

全編を通して、殺し合いをしているか、殴り合いをしているか、車かバイクでカーチェイスしているか、人間同士で追いかけっこをしているかの場面ばかりで、止まらないジェットコースターに乗っている気分でした。

アメリカの人は、ここまで、精神的に追い込まれているんですかねえ?茲までストレスが溜まっているんですかね。こういう映画でないと、ストレスの発散ができないんでしょうかね?私は、途中で何度も目をつぶってしまいました。

同じマット・デイモン主演のCIA映画「グッド・シェパード」とは、正反対の映画でした。

映画を見終わった後、日本人として、もっと、落ち着いた侘びとか、寂びの世界に浸りたくなってしまいました。そしたら、一緒に見た野寺さんが、今度、表千家の茶の湯にご招待してくれることになりました。

本当に楽しみです。茶の湯は、精神修養と優美な礼儀作法を学ぶ場でもあるからです。

哲学者の梅原猛氏によりますと、昔の日本人は50歳を過ぎれば隠居したといいます。隠居というのは、一切の世事を免れ、ひたすら自分の中にこもって自己の生を反省し、また生まれ変る日に備えるというのです。近代哲学の祖、ルネ・デカルトも「よく隠れる者はよく生きる」というストア派の哲学者の言葉を自己の生活のモットーにしたそうです。

しかし、梅原氏の昔とはいつの時代を指すのか分かりませんが、今の日本では、80歳過ぎてもギラギラして、世事にかまけるどころか、あからさまに介入してくる輩が多いようですね。

私は、人間が生まれ変るという思想は持ち合わせてはいないのですが、ある程度の年齢になったら、世事から解放されて、日本人らしく侘び寂びの世界に浸ってみたいと思っています。「ボーン・アルティメイタム」を見て、そのきっかけとなり、気持ちがはっきりしました。

「私家版・ユダヤ文化論」

公開日時: 2007年11月3日

久しぶりに脳天がぐじゃぐじゃになるくらい刺激的な論考に出会いました。

内田樹「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)です。小林秀雄賞を受賞した話題作だったので、致し方なく買って、そのままにしていたのですが、フトと思い出したように手に取って、読み始めたら、もう止まらない、止まらない。面白くて、面白くて、ページを繰るのがもったいない気持ちになってしまいました。

すごい本です。人間の思考法を根底からひっくり返すような挑発的な言辞が羅列されています。

この本を「理解」することは、読者のそれまでの生活、信条、読書遍歴、嗜好、志向、思考がすべて問われている、と言っても過言ではないでしょう。

この本では、「ユダヤ人とは何か」というテーマで一貫して問われています。

この話は1回だけでは終わらないので、初回は、皆さんも意外と知られていない歴史上、そして現代でも活躍している「ユダヤ人」と呼ばれている人たちを本書から引用してみます。

【学者】

スピノザ、カール・マルクス、フロイト、レヴィ=ストロース、アインシュタイン、デリダ

【映画】

チャップリン、マルクス兄弟、ウディ・アレン、ポール・ニューマン、リチャード・ドレイファス、スティーブン・スピルバーグ、ロマン・ポランスキー、ビリー・ワイルダー、ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン

【クラシック】

グスタフ・マーラー、ウラジーミル・アシュケナージ、バーンスタイン

【ポップス、ロック】

バート・バカラック、キャロル・キング、フィル・スペクター、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、ビリー・ジョエル、イッギー・ポップ、ルー・リード、ジェーリー・リーバー&マイク・ストーラー、ジーン・シモンズ(kiss)、バリー・マニロウ、ベッド・ミドラー、ニール・ヤング、ブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネジャー)

ユダヤ人は世界の人口のわずか0・2%しか占めないのに、1901年に創設されたノーベル賞で、2005年度までの統計によると、ユダヤ人が占める割合は医学生理学賞で26%、物理学賞で25%、化学賞で18%にも達するのです。彼らはどうして、これほどまでにも優秀で他から抜きん出ているのでしょうか?遺伝?熱心な教育熱?それとも、選ばれた民であるから?

そもそもユダヤ人とは誰を指すのでしょうか?

なぜ、これほどまで彼らは迫害されるのでしょうか?

すべての「答え」が本書に詰まっている、という言い方はできませんが、少なくとも、考えるヒントだけはぎっしりと詰まっています。

読者に考えさせるのが、この本の主要目的でもあるからなのです。

(続く)

「グッド・シェパード」

話題の映画「グッド・シェパード」(ロバート・デ・ニーロ監督、マット・デイモン主演)を見てきました。新聞の映画評もほぼ好意的で、ちょっと、「見逃せないなあ」と思ったからです。

最近、映画は一人で見ることが多かったのですが、大野さんが同行してくれました。でも、彼女は待ち合わせに20分も遅刻してくれました。駅で待っていると、隣りに座っていたギャルにも遅れて友達がやってきました。

「遅れちゃった、ゴメ~ン~」

その言葉に対する、待っていたギャルの反応があまりにも可笑しかったので、私は椅子から転げ落ちそうになってしまいました。

「とんでも茄っ子!」

こうして、言葉にしてしまうと、その時のニュアンスが伝わらないのですが、絶妙のタイミングで、その発音が田舎言葉丸出しで、お里が知れてしまうような言葉遣いに笑いが止まりませんでした。

映画の話でした。

とても、複雑でした。ハリウッド映画らしからぬ暗さが全編に漂っていました。

まだ、見ていない人は粗筋を少し明かしてしまうので読まないでください。

主人公のエドワード・ウイルソン(マット・デイモン)は、イエール大学の学生時代から秘密結社の「スカル・アンド・ボーンズ」にスカウトされ、これがきっかけで、秘密諜報局の仕事に携わることになります。この組織は後に、CIAへと発展し、1962年のキューバ危機での彼の対応がこの物語の最大の山場になります。

脚本は「フォーレスト・ガンプ」や「ミュンヘン」のエリック・ロス。物語は、エドワードが学生時代から諜報局で仕事をするようになる1940年代と、この映画の現代である1960年代を行ったり来たりするので、途中で話がついていけなくなるところがあります。

もう一つ、ついていけなかったのは、何の理由かよく分からないのに、やたらと人が殺されてしまうことです。「情報を漏らした」とか「情報を知った」とかいう理由なのでしょうが、ちょっと、やり過ぎです。

ドイツ軍の将校を取り調べる際の通訳だった女性も殺されます。何でなのかさっぱり分からなかったのですが、耳に障害を持って、補聴器を付けていたのが、実は、その補聴器が録音機であることが分かったからでした。私は、そのことが分からなかったのですが、後で、大野さんに聞いて、「なるほど」と思いました。

もう一つ、エドワードの息子がコンゴ人の女性と結婚することになりましたが、その女性は、結婚式の直前に飛行機から落とされて殺害されます。この下手人は、私は、二人の結婚に反対するエドワードが差し向けたものだと思ったのですが、大野さんは、「私はKGBの方だと思う」と言うのです。

「あー、そういう見方があるのか」と納得しました。一人で見ていては分からなかったので、二人で見てよかったと思いました。(これではまるで小学生の感想文ですね!)

「エディット・ピアフ 愛の讃歌」

映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」(オリヴィエ・ダアン監督)を見に行ってきました。

 

ピアフ役のマリオン・コティヤールがすごい熱演で、「そっくりさん」なのかもしれませんが、本物のピアフは、私は声では何度もレコードやラジオを通して聴いていたものの、「動いている姿」はほとんど見たことがなかったので、似ているかどうかは分かりませんが、とにかく、まるで、本物以上に見えました。(すごい日本語ですね)

映画は一人で見たのですが、終わってから、ちょっと人と会う約束をしていたので、あまり泣くわけにはいきませんでした。あまり無様な姿は晒せませんからね。それでも、どうしても我慢できなくなって、感涙にむせぶシーンが何度も出てくるので、困ってしまいました。

年表をみると、ピアフは1915年に生まれ、1963年に亡くなっているので、48歳の若さで亡くなっているのですね。コティヤールは、18歳くらいの小娘から、晩年の亡くなる頃までを演じていましたが、晩年は、酒と麻薬と心労で心も体もズタズタに成り果てて、杖なしでは歩けず、歯もボロボロ、髪の毛も薄くなり、80歳くらいの老婆にみえました。すごいメイキャップです。

この物語の主軸は何なのでしょうかね。歌手として富と名声を得たピアフですが、生まれた頃の境遇や、好きな人が不慮の事故で亡くなったりしたこと(ボクサーのマルセルが飛行機事故)や、これでもか、これでもかというくらい「不幸」が襲ってくることです。ピアフは、それらの不幸に負けないのではなく、どんどん、失意の果てに酒や麻薬に溺れて、どんどんどんどん転落の人生を歩んでいってしまうのです。

救いは彼女の天性の声と歌唱力でしょう。彼女が歌うからこそ、その歌が人生となり、まるで「3分間のドラマ」が展開されるのです。主題曲の「愛の讃歌」をはじめ、「パリの空の下」「パダン・パダン」「水に流して…私は後悔しない」など、彼女の名曲が次々とドラマに合わせて登場します。脳みそがグルグル回るようでした。

あれだけの歌唱力ですから、歌声は本物のピアフのアフレコだったそうですが、コティヤールの声は、随分、ピアフの声に似ているように聞こえました。熱演の成果でしょうが…。

映画の世界にどっぷり浸かってしまったので、何か苦しくて切なくて、見終わっても、溜息ばかり出てきました。

「SICKO」(シッコ)

  オンネトー

 

マイケル・ムーア監督の映画「SICKO」(シッコ)を見てきました。Sickoとは、「ビョーキ」と「変質者」の二つの意味を持つそうです。

 

うーん、見終わって、爽快感がないどころか、どうも、気持ち悪いというか、色んな意味で嫌な感じが残りましたね。映画の内容と、ムーアの映画製作の両方について。

 

内容は、乱暴に要約すると、アメリカでは、国民保険がなく、個人で保険会社と契約するしかない。約5000万人の抵所得者たちは、保険に入ることができず、病気になると、碌な治療が受けられず、病院から遺棄されるか、手術もしてもらえず、自宅で死を迎えるしかない。保険に入っている人でも、「既往症」を申告していなかったという様々な難癖をつけられて、保険金がおりない。保険金支払い拒否に貢献した医者にはボーナスが与えられ、保険会社はしこたま金をためこんで、政治家に献金して自分たちに都合のいい法案を通す…。

 

これが、世界の超大国の実態かと思うと、身の毛のよだつ話ばかりです。ある大工が、誤って自分の中指と薬指を切断してしまい、病院に行ったら、「中指なら6万ドル、薬指なら1万2千ドルかかる」と言われ、仕方なく安い薬指だけ選んだという全く笑えない話。夫が心臓発作、妻はガンにかかり、医療費が払えず、自宅を売り払って、子供の家の物置に居候するはめになった50歳代の夫婦なども登場します。

 

それでいて、カナダやイギリスやフランスでは、国民健康保険が行き届いていて、医療費はタダ!

 

アメリカに住んでいるI君なんか大丈夫かなあ、とまず一番に心配してしまいました。

 

最後は、同時多発テロの現場でボランティアで働いた人たちが、塵煤を吸って、重い気管支炎にかかっても医療費が払えず、ムーア監督が、何と米国の「仮想的敵国」であるキューバに連れて行って、タダで治療してもらうのです。アメリカでは、薬代だけでも120ドルもかかったのに、キューバでは同じ薬がわずか5セントという、全く笑えない皮肉のような話で映画は終わります。

 

ただ、ムーア監督お決まりの製作手法には、ちょっと疑問符がつきました。何と言っても「アメリカは最低で、諸外国は正しい」というフレームで作られているので、それに則さない事例は徹底的に排除されています。イギリスだって、フランスだって、アジアや中東系の人が沢山住んでおり、彼らは全く差別がなく、平等に医療が受けられているのか。(英仏では裕福そうな人ばかり取材していました)カナダでは、国民健康保険制度も財政的に崩壊寸前という話なのですが、そのことには全く触れず、いいことばかり強調していました。

 

それにしても、ますます、アメリカという国に対する不信感は募ってしまいました。自国の毒を世界中に撒き散らすムーア監督の手腕の成果であると、私も皮肉をこめて報告しておきましょう。