映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」はよかたとです

  ウォン・カーウァイ監督・脚本・制作の映画「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を見てきました。

もう恋愛映画を見る年頃ではないのですが、ノラ・ジョーンズ(29)の大ファンなものですから、彼女の主演第一作を見たかったのでした。詳しくは分かりませんが、既に香港で中国語で映画化された作品をニューヨークに舞台に置き換えて、欧米人の俳優を採用したようです。

贔屓目なのですが、彼女の演技は合格点でしたね。映画批評家の作品評はどれもこれも散々でしたが、私はよかったと思いますよ。甘いシンデレラ・ガール・ストーリーではなく、恋愛映画というより失恋映画だったので、より現実的で身に染みてしまったからです。

 

特に、警官のアーニー役のデビッド・ストラーザン(59)とスー・リン役のレイチェル・ワイズ(37)がよかったですね。アル中に溺れる元夫のアーニーと、元夫の束縛から逃れようとするスー・リン役の息もつかせぬ攻防(?)は他人事には思えず、のめりこんでしまいました。

ジュード・ロー(35)は英国人なので、ブリティッシュ・アクセントでしたから、ニューヨークの場末のパブの主(あるじ)役にはちょっと無理があるなと思いました。相変わらず、ハンサムでしたが…。

ノラ・ジョーンズの2003年のデビューは私にとって、衝撃的でした。まだプロフィールが知られていない頃、ネットで彼女の地元のテキサス州のダラス・モーニング紙か何かに載っていたと思いますが、それを読むと、彼女の父親はラヴィ・シャンカールだと書かれていたからです。えっ?ラヴィ・シャンカールを知らない?

 

彼は、ジョージ・ハリスンのシタール(インドの弦楽器)の師匠で、バングラ・デシュ・コンサートにも出演しています。親子なので、やはり、どこか似ています。

そんなこともあって彼女のファンになってしまったのです。ハスキーヴォイスも魅力的です。

シタールといえば、ビートルズは「ノルウェーの森」で初めて使用しました。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズも真似して「黒く塗れ」で使いました。ブライアン・ジョーンズは作曲ができなくて、リーダーだったのに、作曲するミック・ジャガーとキース・リチャーズに主導権を奪われて、メンバーの中で孤立して麻薬に走り、事故死してしまうのですが、演奏の名手でした。どんな楽器でも独学でこなしてしまったそうです。ビートルズの「レット・イット・ビー」のB面の「ユー・ノー・マイ・ネーム」では何とサックス・フォーン奏者としてレコーディングに参加しています。

あ、随分、話が違う方に展開してしまいました(笑)。

男と女のたたずまい

 

 

 

昨日の「映画『靖国』が見たい」は意外にも反応がありましたね。

ただ、筆者としましては、この事件を「政争の具」にはしたくはないんですよね。

私は、どちらかと言えば、天邪鬼のミザントロープで、政治的人間ではないからです。

まあ、単なるディレッタントなだけなのです。高田純次さん扮する「テキトーないい加減な人間」(本人はかなり計算高くキャラクター作りをしているのでしょうが)に憧れています。

「無責任男」植木等は、実は住職の息子で本当はインテリのミュージッシャンなのに、「無責任男」を演じていていましたからね。

ただ、純粋に映画「靖国」が見たいと叫んでいるだけで、こんな小さな声が広がればいいと思っているのです。ということは、これは政治運動になるのかもしれません。いやあ、随分、矛盾していますが…。

さて、先日、友人の戸沢君から薦められた嵐山光三郎氏著「妻との修復」(講談社現代新書)を読んでいます。これまた、意外にも面白いですね。知らなかった逸話がたくさん出てきます。

例えば、「『いき』の構造」で知られる九鬼周造は、明治の美術界のドン岡倉天心と、アメリカ公使・九鬼隆一の妻初子との間にできた子供ではないかという疑惑が書かれています。驚きましたね。天心の奥さんの大岡もと子は、大岡越前の末裔だったそうですね。これも驚き。九鬼初子は、京都祇園の芸者だったようです。

作家武者小路実篤は、インタビューに来た大阪毎日新聞記者の真杉静枝と情交を結びますが、これは「喧嘩両成敗」。静枝の方が友人に「ムシャさんをものにしてみせる」と豪語していたというのですから。ムシャさんの方も一生懸命に励みながら「人の幸福のために役立とうとする女にならなければいけません」と人道主義を説くのを忘れなかったそうです。

 

嵐山氏は、【教訓】として、「不倫しつつも愛人に『人の道』を説く余裕がなくてはいけない。反省するのが一番健康によくない」と書いています。これには爆笑してしまいました。

 

このほか、野口英世が米国人の奥さんと結婚していたとは知りませんでした。もっとも、奥さんになったメリーさんは、はすっぱな酔っ払い女でニューヨークの下町で働いている時に、酒場で野口と知り合ったらしく、かなりの浪費家で野口の全財産を湯水のように浪費してしまったそうです。

 

一方の野口についても、偉人伝に書かれているような立派な人ではなく、友人や先輩らを利用するだけ利用して借金を踏み倒して米国に逃れ、うまく立ち回って、秀才にありがちな計算高い性格だった。メリーと結婚したことは野口英世、一世の大失敗だった、と書かれています。

 

ここには、有名無名を問わず、古今東西の男と女のたたずまいが描かれ、今トラブルを抱えている人にとっては、ある意味で精神安定剤になりますよ。

映画「靖国」が見たい

見るのを本当に楽しみにしていたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、ついに上映中止になってしまいました。

本当に由々しき事態です。「憲法で保障されている表現の自由を侵している」なんて大上段に構えたくはないのですが、「いやあな感じ」がします。

上映中止の理由が「近隣に迷惑を及ぼす可能性がある」というのが劇場側の主な言い分で、いわば「不測の事態」に備えた事前の自主規制なのですが、こんなことをすれば誰が一番喜ぶのでしょうか。

この映画は、日中合作映画で、監督は19年間、日本に住む中国人の李いん監督。そもそも、文化庁の所轄の芸術文化振興基金から750万円の助成を受けていることから、一部国会議員が問題視して「事前検閲」したことから、問題は大きく広がりました。

しかし、問題視した自民党の稲田朋美代議士は「問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容であれ、それを政治家が批判し上映をやめさせるようなことが許されてはならない」とコメントしているので、きっかけを作った本人とは違う方向に事態が推移したことになります。

いわば「見えない圧力」に屈服したことになります。

しかし、実際、何かが起きると、例えば、トラブル等で死傷者が出る不測の事態などが起きたりすると、マスコミは節操がないですから「上映した映画館が悪い」などと狼煙を上げたりします。ですから、上映中止を決めた配給会社や劇場を責めるつもりはありません。

ただ一介の市民として香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品を見たいだけなのです。

私自身は政治的にはニュートラルなのですが、心情的には、国家転覆を目論見、私有財産を否定し教条主義的言辞で煙に巻く極左よりも、義理人情と儀礼を重んじ日本の伝統を大事にする極右の人の方が、どちらかといえば、我々の文化的資源を守ってくれるという印象があります。

まだ「見えない圧力」と名指しされた人はいないのですが、心外に思われる方がいるなら、是非、「上映運動」を起こしてもらいたいものです。

よほどひどい映画なら批判すればいいのであって、それを見せる前から門前払いをするのはおかしいでしょう。いずれにせよ、問題視された助成金は戻ってくるわけではないのでしょう?

おかしいものはおかしい。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は85点

若松孝二監督の話題作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見てきました。東京ではテアトル新宿でしか上映しておりません。普段、2000円なのですが、水曜日だけ、1000円で見ることができました。そのせいか、立ち見が出るほどの満員御礼でした。

 

これから見に行かれる方は、水曜日に上映時間の30分前に行かれるといいと思います。上映時間は三時間を超えるので、覚悟して見てください。それほど長さは感じませんでしたが、途中でトイレに行きたくなってしまいました…。

 

 

 

すごい映画でした。どうせ俳優陣は、20代か30代なので、あさま山荘事件の起きた1972年2月28日は、彼らは生まれていないので、実際、どういう事件だったのかについては彼らには皮膚感覚がないので、演技に関しては全く期待していなかったのですが、素晴らしかったです。本当に彼らは役者でした。何人も何人も出てくる俳優の中で、私自身、知っているのは、遠山美枝子を演じた坂井真紀だけでしたが、皆さん、その役にピッタリはまっていました。名前は知りませんが、驚くほどのイケメン俳優がたくさん出演するので、女性には必見かもしれませんね。

 

実録と銘打っているだけに、「史実」を忠実に辿っています。

 

森恒夫、永田洋子、坂東國男、重信房子、田宮高麿、坂口弘、吉野雅邦…当時の事件を同時代として生きてきた人にとっては、忘れられない連合赤軍のメンバーです。しかし、初めて、彼らの名前を聞いた今の若い人にとっては人物関係が複雑すぎて分かりにくいかもしれませんね。

映画では、なぜ、連合赤軍なるものが誕生したのか、1960年安保闘争あたりから、当時のフィルムを多用して歴史を追っているので、分かりやすいです。ヘルメットに角帽、機動隊との小競り合い、お茶の水の石畳の石をはがして投石する学生たち、安田講堂での攻防…懐かしいシーンが沢山出てきますが、今となっては全く異次元か異星人の世界です。あれから36年。学生運動の痕跡すら残っていないからです。

圧巻は、森恒夫、永田洋子が中心になって自分たちの仲間である同志たちを次々と「総括」の名前の下で、粛清していく狂気の沙汰を生々しく描いているシーンです。「真の国際連携における、プロレタリアート解放と平等を追及し…」などと左翼の教条主義的言辞だけが空回りして、集団暴行(リンチ)で仲間を殺害していくのですが、所詮、その背景には、若い男と女の感情的嫉妬心があり、全く権力を握った自分たちだけが絶対に正しいというおめでたいほどの独善主義に凝り固まって、見ていて、背筋が寒くなる思いでした。

それでいて、今の私の年齢からみると、彼らは本当に幼く、額に汗水たらして働いたことがない苦労を知らない、付け焼刃の知識だけを頭に詰め込んだお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちで、自分たちが信じた正義だけがすべてだと思っているだけに、とても手に負えないなあ、と思ってしまいました。

彼らのほとんどは団塊の世代で、今ではもう50代後半から60代ですが、過激派としてさまざまな事件を海外でも起こし、今でも、「革命」を捨てることなく、闘志として潜伏している者も多いので、生半可な気持ちで活動していたわけではないことは分かっていますが、この映画を見た限りでは、社会を転覆してその後にどういう組織や国家を作っていこうかというビジョンが森や永田にしても持ち合わせていないように見えました。

どこかの評論家が、当時の学生運動家とオウム信者たちは、高学歴で、真摯に現実の社会矛盾を改革しようとした若者たちだったという点で共通項がある、と指摘していましたが、そう感じないではなかったですね。登場人物が初めて画面に出てくる時、肩書きと名前と一緒に、京都大学だの、横浜国立大学だの出身大学まで字幕で出てきます。若松監督の意図が分かるような気がしました。

大団円は、あさま山荘に立てこもった赤軍派と機動隊との銃撃戦です。私も当時は、テレビの前に釘付けになりました。山荘内では、革命を叫んでいた仲間同士で、たった一枚のビスケットを食べたことを巡って、「規律違反は革命主義に違反する。お前はスターリニストだ。自己批判しろ」と大喧嘩が始まりますが、本来ならあまりにもバカバカしいので笑えてくるはずなのに、本当に物悲しくなってしまいました。

ついでながら、山荘に立てこもって、最後には拘束された赤軍派の5人の中には未成年の少年がいましたが、彼は私と同世代でしたので、非常に衝撃を覚えたことを思い出しました。

この映画は若松監督が自費を投入したライフワークに近い作品なので、多くの人に見てほしいなあと思いました。総合85点。

「ノーカントリー」を見て縮みあがりました

 

月刊誌の敏腕編集者の方から「是非見た方がいいですよ」と奨められて、映画「ノーカントリー」No country for old man を見てきました。

 

コーエン兄弟監督作品。アカデミー賞主要4部門(作品、監督、助演男優、脚色賞)受賞。

うーん、見終わって、グエーという感じでした。何か、二階にまで上げられて降りる階段を外された感じでした。最後は全く唐突に意味もなく終わってしまい、「どう解釈したらいいの?」と戸惑ってしまいました。まさしく、不可解の連続でした。

 

ただ、私にとって、今年、ベスト5以内に入る傑作だと思いました。ハリウッド映画もここまできたか、という感じなのです。日本人の大好きな「勧善懲悪」ではないのです。最後まで悪が勝ち、生き残るのです。カタルシスも爽快感も全くありません。

 

細かいストーリーは省きますが、色んな映画批評家が書いていましたが、「おかっぱ頭」(「そうではない、単なる長髪だ」と的確な指摘をする評論家もいました)の殺し屋アントン・シガー(バビエル・バルデム)が気味が悪いほど、存在感があるのです。非常に頭が切れ、それでいて、全く罪悪感がなく、動機付けも、ただ金のためなのか、そのあたりがさっぱり分からず、見る者にシンパシーを全く拒否するのです。殺害の仕方も大胆で、エアガンのようなガスボンベを使って、鍵の付いたドアをぶち破ったり、人間の脳天を撃ちぬいたり、見ているだけで、縮み上がってしまいます。

 

そこまでしなくていいのではないかと思えるほど、殺戮を繰り返します。感情が全く表面に現れないので、空恐ろしくなります。「追われる男」ルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)も「追う保安官」エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も、別の殺し屋カーソン・ウエルズ(ウッディ・ハレルソン)も、強烈なキャラクターなのですが、アントン・シガーの前では全くお手上げです。

 

脚本がよく書けているのです。全くストーリーと関係のない味わい深い台詞が、次々と飛び出してきます。それが、間接的に意味があるので、ストレートに表現しない奥床しさが漂ってくるのです。例えば、トミー・リー・ジョーンズ扮する保安官は本当に渋い。不可解な殺人事件が連続して、自分の父親やお祖父さんや叔父さんや伯母さんの時代はまだましだったとか、そこにいない人たちの話をするのですが、それが非常に深い意味を持ってくるのです。保安官同士で駄弁っている時も、「今の若者たちは髪の毛を緑に染めて、ピアスをし、全く敬語も使わなくなった」と嘆いたりするのですが、全体のストーリーの流れに関係ないのに、深い重みが出てくるのです。非常に手馴れた台詞です。大抵の甘いハリウッド映画は、物語展開主体で「ワオー」とか「グレート」といった相槌表現ばかり目立っていたのですが、コーエン兄弟の台詞回しには驚くほど感銘してしまいました。

 

映画を見ていて、思ったのですが、先の展開が予測がつかなかったので、こちらが殺されるんじゃないかと、気を張って見ていました。不思議ですね。誰も、被害者の目線で見ており、殺人鬼シガーに感情移入しないんですね。誰も「さて、次は誰も殺そうか」と楽しみながら見る人はいないでしょう?

 

もし、恐怖を感じながら見ていたとなれば、まさしく、「性善説」なのです。これだけが救いでした。

「アメリカを売った男」★★★★

ビリー・レイ監督の「アメリカを売った男」を見てきました。

2001年2月18日にロシアのスパイ容疑で逮捕されたFBI捜査官ロバート・ハンセンの捕まるまでの2ヶ月間に焦点を当てた作品です。

実際のストーリーの映画化で、結末が分かっているのに、最初から最後までハラハラドキドキのし通しで、一気に映画の世界に入ってしまいました。

80点

ハンセン役のクリス・クーパーが渋くていい。もう、見るからに「犯人」そのもので、屈折した感情を見事に表現していました。ハンセンの若手助手役のライアン・フィリップもよかった。初めて見る役者でしたが、なかなかの好演です。それに、やたらと美人女優が登場するんですね。名前も知らないのですが…。

 

それにしても、二十年間もKGBに米国の国家機密を売り続けていたFBIの捜査官がいたとは、驚きでした。「自由の国」米国の奥行きと懐の深さを痛感致しました。

 

ただ1つだけ、不思議に思ったのは、映画の中の重要なシーンで「ポケベル」が出てくるところです。2001年といえば、日本では、ポケベルは化石化して、ほとんど誰も使っていませんでした。メールにしろ、皆携帯を使っていたはずです。天下の世界最強、世界最先端を行くアメリカで、2001年にポケベルを使っていたんですかね?

 

まあ、原作に忠実に映画化したようですから、実際そうだったんでしょうが、日本ほど携帯が普及していなかったんでしょうね。確かそんな話を聞いたことがあります。ちなみに、ポケベルは、英語でpagerと言います。携帯電話は、cell phone またはmobile phone ですね。

「明日への遺言」 

産経新聞が大々的に宣伝している小泉尭史監督「明日への遺言」を見てきました。

太平洋戦争末期、無差別爆撃を受けた名古屋で、撃墜されてパラシュートで降下した米軍機搭乗員を処刑したことで戦犯裁判にかけられた東海軍司令官・岡田資(たすく)中将の法廷闘争を描いた作品で、原作は大岡昇平の「ながい旅」。

映画の8割近くが法廷シーンで、地味で暗く、娯楽作品ではないので、大ヒットするような作品ではありませんが、ハリウッドに毒された世界中の若者が、こういう映画もあるものだということは知ってほしいものだと思いました。

富司純子ら東映のオールキャストが出演していましたが、それだけに、できれば、岡田中将役が藤田まことではなく、高倉健だったら、どんなにか世界的にも注目されたんであろうかと残念でした。主任弁護士フェザーストン役のロバート・レッサー、主任検察官バーネット大佐役のフレッド・マックイーン(恐らくスティーブ・マックイーンの息子でしょう)の演技はよかったです。それらしく見えました。

 

東京裁判をはじめ、戦勝国による戦犯裁判については、まだまだ、検討すべきことがたくさんあると私自身は感じています。この話は長くなるのでいつかまた。

「ラスト、コーション」の映画評

名匠アン・リー監督の映画「ラスト、コーション」の私の映画評がネットにアップされましたので、もしご興味がある方は覗いてみてください。

この映画については、以前にも少し触れましたが、これは正式(?)なものです。

ちょっと、厳しく書きすぎたので、二水君から「襲撃があるかもしれないぞ」と脅迫(笑)されたのですが、その時は「逃げの(桂)小五郎」で地球の果てまで逃げましょう(笑)。

例によって、記事はスクロールして下の方にあります。

http://www.recordchina.co.jp/group/g15893.html

「ラスト、コーション」を見て

 

「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー賞監督賞を受賞したアン・リー(李安)監督の作品映画「ラスト、コーション」をやっと見てきました。「朝の9時15分からの上映だったら大丈夫です」というので、無理に早起きして出かけたのです。非常に期待してみたのですが、途中でちょっとがっかりしてしまいました。

トニー・レオン扮する親日諜報機関の幹部を暗殺する計画が、別所哲也に似た俳優が扮する香港の大学の演劇部の学生を主体にした若者たちだった、という辺りから、ちょっと「話に無理があるなあ」と思ってしまいました。これが、例えば、最初から国民党なり、共産党なり大きな組織がバックにあって、学生たちを手先に使って計画したものであったならば、筋として納得できたのに、惜しいことをしたと思います。

ヒロインのモデル出身の新人タン・ウェイは、林寛子に似て、確かに綺麗ではありますが、服は脱がない方が魅力的でした。

「中国全土に激震が走った」というベッドシーン(そのために、中国でも日本でも満員御礼が続いているのです!)は、アクロバティックな器械体操みたいで、残念なことに(笑)私はあまりエロスを感じませんでした。もう少し穏やかに育めないものかなあと嘆息してしまいました。

総合70点。

よかったのは、1940年代の上海がCGを使ったのでしょうが、よく描かれていたということでしょうか。

 

ただ、「中国映画」のせいか、日本に対する敵意丸出しです。お座敷小唄か、端唄か知りませんが、日本人の軍人の宴会で、芸者が三味線で歌っているのを聴いたトニー・レオンに「調子ぱずれで聴くに堪えない」と、まるで日本の歌が劣等文化の如き言わせしめるぐらいですから、国粋主義者でなくてもカチンときますね。

 

タイトルもどうにかならないもんですかねえ。ラストと言えば、日本人なら誰でも「last 」(最後)だと思うじゃないですか。しかし、実は「lust」。肉欲のことです。中国語名は「色・戒」ですから、これなら少しは意味が分かります。

 

原題をそのままカタカナにして、タイトルにするのは、映画もしくは配給会社の怠慢だと思います。

惜しい人、ヒース・ジャレット

 アン・リー監督の話題の映画「ラスト、コーション」を見に行こうとしました。

 

が、平日の昼間にせっかく並んだのに、映画館の窓口で「満員が予想されますので」という理由で入場を断られてしまいました。確かに、日本アカデミー賞会員会則には、日曜日と祝日は入場できない。満員が予想される場合は、入場をお断りすることがあります…などと銘記されています。

しかし、田舎から1時間半もかけて都心に出てきたのに、門前払いされると、侮辱されたような怒りを感じますね。

日本アカデミー賞会員の威光なんて、そんなものなのかもしれません。黄門様の印籠というわけにはいきませんでした。

 

仕方がないので、アン・リー監督が2005年にアカデミー賞監督賞を受賞した「ブロークバック・マウンテン」のDVDを借りて見ました。

 

話題作とは知っていたのですが、テーマが私の趣味趣向に合わないので、見ていなかったのです。

 

しかし、想像していたより、結構、重いテーマで奥深い内容でしたね。羊飼いのシーンが、本当に綺麗で雄大で、うまく撮れていました。

先日買った私の秘密兵器のDVD機器で見たのですが、字幕なしでは、残念ながら意味が取れませんでした。仕方がないので、英語の字幕を出して見たのですが、呆れたことに、それでも分からないのです。え?これで、通訳の国家試験に合格したの?と自分を恥じてしまうくらいです。

 

例えば、 We pasture the woollies. なんて出てきました。これで、羊を放牧するという意味です。辞書を引かないと分かりませんでした。羊のことをsheepなんて、簡単に言わないんですね。まだまだですね…。

 

特に映画の場合、スラングが多いので、要注意です。例えば、犬のことを dog なんて言わないんです。canineとか気取った言い方をするんです。

さて、この「ブロークバック・マウンテン」のヒーローの一人、ヒース・レジャーが先月22日、28歳の若さでニューヨークで亡くなりましたね。薬物の過剰摂取による事故死のようです。この映画で、夫婦役で共演した女優のミッシェル・ウイリアムズと婚約し、マチルダちゃんをもうけたのですが、籍を入れずに別れたようです。豪州パース出身で、葬儀は地元で、親族のみで十人ぐらいで執り行うと、ヒースの父親のキム氏が明らかにした、と昨日のAPニュースで読みました。

本当に味のある俳優さんでした。

惜しい人を亡くしました。