活字メディアがんばれ!

 知床

公開日時: 2007年9月4日 @ 09:11

昨日の産経新聞で、音楽や映画などのエンターテインメント系の雑誌がここ最近、全く売れなくなり、業界が広告を雑誌だけでなく、ブロガーにも向けるようになった、という記事がありました。ブロガーに何か書いてもらえば、褒めてもらうにしろ、けなされるにしろ、宣伝効果抜群ということらしいです。

それだけ、最近、ブログが社会的影響力を持ってきたということでしょうか。

出版科学研究所の調べによると、国内の音楽雑誌は、1996年に83誌で計約5308万部あったのに、昨年は83誌と同数ながら、2407万部とほぼ半減したそうです。

映画雑誌も、1998年に約870万部だったのが、昨年は、「キネマ旬報」「スクリーン」などの8誌で約330万部と半分以下に急減し、もう惨憺たるものです。

インターネットで音楽を買ったり、聞いたり、映画情報は、ネットで検索できるようになったからでしょう。

私は中高生のころ、雑誌の付録にあった好きな俳優(名前は言えましぇん!)の大型ポスターを自分の部屋に貼ったりしていましたが、今の子供たちはそういうことしないんでしょうか。それに、ネットで映画を見ても、迫力がなくてつまらないと思うんですけど。

まあ、それにしても、今更ながら、ネットが世界中の人々のライフスタイルを劇的に変えていっていることは確かです。私は活字派ですから、がんばれ活字!

「This is BOSSA NOVA」★★★★

 久しぶりに映画を見に行ってきました。ボサノヴァの映画です。そんな映画をやっていることを初めて新聞の記事で知って、居ても立ってもいられなくなって、渋谷の三業地帯にある単館にまで行ってきました。

故国ブラジルでは、2005年に公開された映画です。日本でも、ボサノヴァ・ファンが増えたとはいえ、わずか250席程度の小さな映画館での2年遅れの上映ですから、その程度かもしれません。

しかし、かなり熱心なファンも多かったですよ。私もそうですが、映画が終わって、プログラムとサントラ盤ではないのですが、この映画のコンピレーション・アルバムも買ってきました。今、それを聴きながら、ご機嫌なムードで書いています。

映画では、ホベルト・メネスカルとカルロス・リラの二人のボサノヴァ界の巨匠が、ナヴィゲーターになって、ボサノヴァ音楽のルーツやエピソードを語る、いわばドキュメンタリー・タッチで進行していきました。そう、キューバの映画「ブエノ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ」に近いのです。あれぐらい、ヒットしたらいいなあと思いましたが、ちょっと、残念ながら、あれほどのインパクトに欠けていました。

メネスカルとリラのことを知っていたら、あなたは相当のボサノヴァ通です。私はこの映画で初めて知りました。私が知っているのは、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアンとアストラッド・ジルベルト、ニュウトン・メンドサ、ヴィニシウス・モライス、カルターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタぐらいが顔と名前が一致するくらいで、それ程詳しくないのです。

何しろ、この映画で初めて、アントニオ・カルロス・ジョビンの動く姿を見たくらいですから。非常に知的で、エネルギッシュで、カリスマ性に溢れていました。ジョビンは、ビートルズに次いで、彼の曲は世界でカバー曲が多いそうですから。彼の曲で一番はやはり「イパネマの娘」になると思います。ジョビンは、もともとクラシック音楽出身で、ドビュッシーやラベルらの印象派の音楽に最も影響を受けたというエピソードには、成程と思ってしまいました。

この映画、見てよかったですよ。

ボサノヴァという音楽ジャンルは、偶然ともいえる自然発生的に生まれたものだから、ムーヴメントではなかった。だから、定義は諸説あって、これが正しいというものはない。1958年のジョアン・ジルベルトのデビュー曲「シャガ・ヂ・サウダーヂ~想いあふれて」(モラレス作詞、ジョビン作曲)がボサノヴァ曲の第1号だというのが通説。故国ブラジルでは1964年に軍事政権が樹立し、多くのアーティストが欧米に移住したり、ボサノヴァを捨てて、サンバに転向したため、自然消滅したという説もあり、本来、ボサノヴァは、中産階級出身の中産階級のための音楽で、それ程多くの人の支持を得たわけではなかったという説もあり、ジョアン・ジルベルトが囁くように歌うのは、最初は、大声でアパートで歌っていたら、隣近所から「騒音妨害」を注意され、仕方なく、小声で歌っているうちに、それがスタイルになったという説があり、この映画では色々と収穫がありました。

ただ、登場人物の人間関係が複雑で、一回見ただけでは、なかなか、よく分からなかったというのが、正直な感想です。ですから、もう1回見ようかなあと思っています。

何と言っても、メネスカルとリラのギターが惚れ惚れするほどうまかった。コピーしたいくらいでした。いや、この映画のDVDが発売されたら購入して、ギターのコピーに励もうかと思っています。

人情紙風船 

 軽井沢

 

今回の参院選について、まだまだ感慨深いものがあります。何しろ、オセロゲームのように、バタバタと地方の自民党閥が倒れてしまったのですから。四国は全滅です。九州も辛うじて、薩摩と中津藩が残りましたが、信じられないことに自民党王国の肥前と肥後が民主党に席を譲ってしまったのです。総裁を輩出している長州は死守しましたが、土佐は脱落しました。

 

自民党の肩を持つわけではありませんが、「人情紙風船」という言葉が浮かんできます。この言葉は、調布先生の口癖で、私自身、この言葉の意味はよく分かっていませんでした。そこで、調べてみると、どうやら、昭和12年(1937年)に公開された映画(山中貞雄監督)のようです。河原崎長十郎、中村翫右衛門主演の前進座の作品でした。もちろん、見ていませんが、「人情なんて、紙風船みたいなもの」と示唆しているのでしょう。民意なんてものも同じようなものです。「民意紙風船」です。

 

調布先生は、インターネットに関しては、ひどく懐疑的です。「路上の立ち小○」「○所の落書き以下」と痛烈に批判されています。ですから、私のブログなぞ読まないでしょうし、私がこんなことを書くとは思いも寄らないでしょうが、こっそりと、陰で読んでいらっしゃるという噂も聞きます。

「君ねえ、人情紙風船だよ」

「こだわっちゃいけないよ。人間、色々とこだわるから、何でもややこしくなるんだよ」

「人なんて、そんなもんなんだよ。あっちと言えばあっち、こっちと言えばこっちって、節操がないんだよ」

「だから、人が去っていったとか、そんなこと考えちゃ駄目なんだよ。去る者は追わず、来る者は拒まずの精神でやっていかなきゃ」

実際のところ、洞察力に研ぎ澄まされた調布先生のこれらの言葉にどんなに救われたか分かりませんが…。

 

いつか、調布先生の語録をまとめてみると、面白いかもしれません。何しろ、取り留めのないことを、唐突に叫んだりするのです。

「平手造酒は男でござる。君、そんなことも知らないのか?」

「何ですか?」

「天保水滸伝だよ」

こういった調子です。何しろ調布先生の教養の深さにはついていけません。浪曲から清元まで、実によく知っています。こういう戦前派の教養人は調布先生が最後ではないでしょうか。

熊井啓監督 

 池田町

 

ある統計によりますと、2005年に映画館に足を運んだ人を各国の年平均で比較するとー。

1、アメリカ人  4・7回

2、オーストラリア人 4回

3、フランス人 3回

4、スペイン人 2.9回

5、イギリス人 2.7回

そして、我らが日本人は、わずか1.3回だというのです。

世界一の「映画王国」のインドの数字が入っていないので、正確な比較にはならないのですが、それにしても、日本の1.3回は唖然とするほど低い数字です。ほとんどの人は、態々映画館に足を運ばないのでしょう。自宅でテレビかビデオ等を見ているのでしょうが…。私は約24回という感じです。

 

昨日、調布先生から電話があり、銀座のシネパトスで「熊井啓監督特集をやっているから、行ったらいいよ」とご教授戴きました。特に、26日までやっている「日本列島」(1965年、宇野重吉、芦川いづみ、二谷英明主演)は、何やら昭和の一大疑獄事件を追うサスペンスらしく、若き頃の大滝秀治も精悍な役で出演していて面白い、ということでした。シネパトスは、会社の近くですから、早速、タイムテーブルを確認に行ったのですが、すべて、ナイトショー(20時40分~)で、日程的に行くことができそうにありません。残念。家の近くにレンタルビデオ屋さんもない民度の低い所に住んでいるので、フラストレーションがたまりそうです。

 

でも、「追悼 映画監督 熊井啓」特集は、8月25日まで続いています。「社会派」の代表監督として名を馳せただけに、「謀殺・下山事件」「日本の黒い夏 冤罪」「海と毒薬」など、続々と公開されます。(残念ながらデビュー作の「帝銀事件 死刑囚」は終わってしまいました)もちろん、山崎朋子さん原作の「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年、栗原小巻、田中絹代主演)も7月5日から8日まで上映されます。他に井上靖原作「天平の甍」、武田泰淳原作「ひかりごけ」なども…。ご興味のある方は、私の分も是非。

 

熊井啓監督は、今年5月23日にクモ膜下出血のため急逝されました(享年76歳)。5月18日早朝に自宅敷地内で倒れているところを発見されて、病院に搬送されたらしいのです。その倒れる一週間ぐらい前の頃、大学教授の井川さん(仮名)が、桜上水の自宅付近を歩いていると、向こうから品のいい感じの老人が近づいて来て「この辺りに、『木々』という名前の料亭がありますか?」と聞かれたそうです。もちろん、井川さんは知っていますが、道が複雑で分かりにくいので、結局、一緒に歩いて案内したそうです。

 

『木々』に着くと、その老人は、「私は映画監督の熊井啓と申します。わざわざご案内して戴き。有難うございました。もし、お時間がありましたら、ご一緒しませんか」と誘われたそうです。井川さんは、そこは高級懐石料理を出す店であることを知っていましたし、あまりにも突然の申し出だったので丁重にお断りしました。しかし、それから1週間ほどして監督の訃報に接し、「ああ、あの時、ご一緒して、色んな話を伺っておけばよかったなあ」と後悔したそうです。

 

この話を聞いて、私も大変参考になりました。「歳月人を待たず」です。

「バベル」★★★★

話題の映画「バベル」を見てきました。

うーん、何というか、フラストレーションの塊となって、映画館を出てきましたね。もちろん、後悔ではなく、見て本当によかった。今年のベスト5に入るのではないかと思っています。

監督のメキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。監督の意図が透けて見えるようでしたね。この映画は観客にフラストレーションを巻き起こすためが目的なのだと。

モロッコと東京と、アメリカと国境に近いメキシコが舞台。別々に起こっている事件が、同時につながりがあるのですが、いずれも解決しないままで終わってしまう。そこにはヒーローもヒロインもいなく、勧善懲悪もカタルシスも何もない。これまでのハリウッド映画の王道とは正反対の道を行く作品なのではないでしょうか。

この映画を見た人は誰でも、深く深く、沈思黙考させられてしまいます。

イニャリトゥ監督は何で日本の若者をあのように、退廃的で絶望的に描かなくてはならないものかと思ってしまいました。菊池凛子の裸のシーンは必要なのかなあ、とも思いました。が、モロッコやメキシコの人たちと比べ、あまりにも自然のない、コンクリートジャングルの中で暮らしている東京人にとって、残っている自然は人間の裸くらいしかないのではないか、という監督の皮肉なメッセージが聞こえてきます。

全体的には、この映画の主題は「コミュニケーション・ブレイクダウン」にあるようですが、東京人が、一番精神的に病んでいるような扱い方ですね。東京でも、もっと静かな落ち着いたところがあるんですけどね。檜町公園、赤坂氷川神社がそうでした。

それにしても、俳優連中が皆素晴らしかった。まるで、ドキュメンタリーを見ているような感覚でした。ブラッド・ピットはいくつになったのか、随分老けましたね。役所公司も日本代表としてよく頑張っていました。

カタルシスがない、と書きましたが、ブラッド・ピット扮するリチャードがお世話になったモロッコ人の通訳兼ガイドに謝礼を払おうとすると、モロッコ人が最後まで受け取らなかったシーンです。それまで、モロッコ人を訳の分からないことしか話さない野蛮人のような描き方でしたが、そのシーンだけは救われる気分でした。

役所公司と菊池凛子の親娘関係は身につまされる感じでした。

このように、この映画は見る人の国籍、性別、職業、家庭環境によって、感想は様々でしょう。一つの意見はないと思います。

「ドレスデン、運命の日」★★★★

(続き)
「東京タワー」に続いて、日比谷シャンテ・シネで「ドレスデン、運命の日」(ローランド・リヒター監督作品)を見ました。戦争映画ですから、やはり目を背けたくなる場面もありましたが、評価としては「まあまあ」でした。
イギリス人の爆撃パイロットとドイツ人の看護婦が恋に陥るという話ですが、まず、そこからして「ありえない」と心の中で叫んでしまう自分がいました。何しろ、ドイツ人の看護婦アンナには、医者の婚約者アレクサンダーがいます。それなのに、病院のベッドで、敵国の人間(ロバート)と不貞を働いてしまうのですから、それだけでも「ありえない」と思ってしまうのです。

看護婦の父親は病院長で、ナチスの幹部と結託してモルヒネをしこたま隠し持って、スイスのバーゼルに家族で逃避しようとします。
そして、そのまさに逃避する当日の2月13日に、彼の歴史的に有名な悲劇「ドレスデン空襲」が始まるのです。この空爆で、街の85%が破壊され、3万人とも15万人ともいわれる市民が亡くなりました。
この作品は、アメリカ映画ではなく、ドイツ映画なので、台詞もドイツ語で、ドイツ側からの視点で描かれています。戦争映画の多くはアメリカ製で、いつも正義の味方のアメリカが悪いドイツ人をやっつけるシーンばかり見せ付けられて辟易していたので、新鮮な気持ちになりました。
とはいえ、この映画では、殊更に、「悪いアメリカ人やイギリス人」を描いているわけではありません。何しろ、主人公は、ドイツ人の看護婦ですが、相手は「不正を糾弾する」イギリス人なのですから。

とにもかくにも、この映画で初めて見ましたが、アンナ役のフェリシスタ・ヴォールが美しかったこと!

「東京タワー」★★★★

ローマ

話題の映画「東京タワー、僕とオカンと時々オトン」を見てきました。

当初は見るつもりは全くありませんでした。何しろ、リリー・フランキーの原作は200万部の大ベストセラーらしいですし、既にテレビドラマ化され、舞台にもかかっている(いずれも見てましぇん)というのですから、大体の粗筋も、新聞の広告等で知っていました。まあ、半分はやっかみ、半分は敬遠で、「このブームが過ぎれば忘れ去られるでしょう」と静観の構えだったのです。

ところが、何の風の吹き回しか、今日は映画の日で、普段より安く見られます。想定していた映画が、時間帯が合わなくて、「ま、いいか」といった軽い気持ちで見ることにしたのです。正直、流行に乗り遅れてしまうという危機感もありましたが…。

しかし、本編が始まった途端、私自身はもうスクリーンの中にいました。また、懐かしい昭和三十年代を舞台にした物語が始まったからです。私もスクリーンの中の子供と同時進行で成長して、オダギリジョーになっていました。見ていない人には分からないかもしれませんが、オダギリジョーは、主人公のマー君役です。

半ばから、涙、涙で、スクリーンが霞んでしようがなかったのです。「たかが三文芝居、騙されないぞ」と思っても駄目でした。俳優陣の自然の演技には脱帽しました。オカンの若い時代が、現在のオカン役の樹木希林にそっくりな女優で、「随分、スタッフは、そっくりさんを見つけてくるものだなあ」と関心していたのですが、若きオカン役は、樹木の実の娘の内田也哉子だったのですね。内田の父親はロックンローラー内田裕也ですから、「自由人」のオトンにそっくりです。本当にはまり役でした。

映画館は、いわゆるシネコンで、「スパイダーマン」だの「バベル」などは満員のようでしたが、「東京タワー」は結構空いていました。両隣に誰もいなかったので、思い切り泣くことができました。

何と言っても、九州弁がよかとですたい。

「不都合な真実」★★★★

ローマ

アル・ゴア米元副大統領の映画「不都合な真実」を観てきました。

地球温暖化による影響を詳細なデータと学術論文を土台にして、大衆に分かりやすくスクリーンでゴア氏が、地球の「危機」を世界中の講演(全世界で1000回以上)で説明している様をそのまま映画化したもので、非常に衝撃的といえば、衝撃的です。あのヘミングウエイの「キリマンジャロの雪」が、このわずか20年で、あんなに溶けてなくなっていたとは知りませんでした。吐き気さえ催しました。

このまま温暖化が進めば、北極や南極の氷が溶け、モルディブやオランダをはじめ、中国の北京、上海、インドのボンベイ、東京の江東、墨田区などのゼロメートル地帯は海面の下に沈むことでしょう。あの「9・11」の舞台だったNYマンハッタンの世界貿易センターの跡地でさえ、海面下です。テロ対策と同時に地球温暖化対策が必要だと、ゴア氏は何度も力説しています。

この他、洪水や旱魃、人口の増加や、伝染病の蔓延などによる人類の破滅に近い有様が、まるで他人事のように淡々と描写されています。「50年後」と言われれば、そこまで、生きていない人にとっては、関係のない話なのかもしれませんが…。

そもそも、この映画を観たいと思ったのは、バスの中で、60代後半か70代の紳士、恐らく、単なるサラリーマンではなく、この年で現役で働く中小企業かどこかの取締役と思われる人が、この映画の話をしていたからです。

「温暖化なんていうと、温かくなって、有り難いなんて雰囲気がありますが、そんなもんじゃない。アル・ゴアは、地球の危機という言葉を使っていましたよ」と、恐らく、50年も経たなくても、遅かれ早かれ鬼籍に入られてしまうような老人が心配そうに話していたのです。

あ、映画を観なければいけないな、と老取締役の会話を聴いて、使命感を感じたのです。

ゴア氏は、環境問題に関しては、学生時代から興味を持っていたようです。その辺りは、映画の中で明らかにされています。

この映画は、政治家ゴア氏が主人公ですが、政治家不信の人のために、ゴア氏の息子が6歳の時に交通事故で重症を負った話や、父親が煙草の大農園の領主だったのですが、ゴア氏の実姉が煙草の吸いすぎで、肺がんで亡くなり、煙草農家を辞めた話などを盛り込んで、ちゃんと伏線を張っています。つまり、ゴア氏がなぜ環境問題に取り組むようになったのかというエピソードも盛り込まれているのです。

CO2の排出をこのまま続けていけば、地球は破滅してしまう。というのが、この映画の主眼だと思われますが、笑ってしまうのは、その主人公のゴア氏が映画の中で平気でCO2を排出する車を運転しているのです。ゴア氏は「いや、この車は、環境にやさしいハイブリッドカーだよ」と反論するかもしれませんが。

そうです。映画の中で明らかにされているように、一番の問題の一つは、京都議定書に調印していないアメリカとオーストラリアの存在なのです。市場原理主義、経済最優先の国の国民たちの、地球温暖化抑止のための意識がもう少し高まると、宇宙船地球丸の将来に明るい展望が開けるのです。

CO2を世界一排出する悪玉国家がアメリカなら、こういう映画を製作できるのは、その正反対の良心を持ったアメリカでしかないという現実。

もう、宣伝臭いなどと学生のような言い分がまかり通る時代は終わりました。

このままいけば、地球は破滅し、人生がどうのこうのといったお遊びをなくなってしまうのです。

皆、覚悟してこの映画を観るべきです。記者や評論家もちゃんと自腹を切って。

もう特権意識しかない鼻持ちならないマスコミだけが発言する時代は終わりました。良心を持った市民が発信する時代なのです。

【後記】

●「不都合な真実」は、アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー賞」を受賞

●アル・ゴア氏、自宅で電力を浪費していることが判明。1年間のガス、電気代は3万ドル(350万円)とか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000029-mai-int

 

「それでもボクはやっていない」★★★★

ポンペイ

今、話題の映画「それでもボクはやっていない」を見に行ってきました。新聞記者如き、映画評論家風情とは違って、ちゃんと自腹でお金を払って見てきたので、奴らよりは説得力はあると思います。平日の午前中に某所で見たのですが、やけに人が多くて並んでいて、チケットを買うのに10分も並びました。不思議だなあ、と分からなかったのですが、後で、その映画館は毎週水曜日は「レディースデイ」で、女性のみ1000円で見られることが分かりました。道理で…。これ以上書くと、女性から顰蹙を買うので、止めておきます。私も女装していけばよかったと後悔しています。

さて、映画の話です。エンターテインメントでもハッピーエンドでもないので、現実の辛さを忘れて気晴らしで見たい人は止めた方がいいと思います。全く、身につまされる話です。粗筋については、これだけ、マスコミ等で情報が氾濫しているので、「痴漢冤罪事件」を扱った裁判映画とだけに留めておきますね。

普通、映画はシンデレラ・ストーリーにしろ、SFにしろ、現実には「ありえない」ことをテーマに取り上げるものです。ところが、周防正行監督は、これを逆手にとって、映画ではありえない、現実では「ありえる」ことを映画化したのです。(かなり長い間、取材し、実話を元に脚色されています)

ですから、本当に身につまされてしまうのです。夢も希望も理想もないのです。要するに現実にありえてしまうのですから。

役者も随分自然な演技をしていたので、まるでドキュメンタリーを見ているようでした。さすがに瀬戸朝香は女弁護士には見えませんでしたが、主人公の加瀬亮も、裁判官役の正名僕蔵も、「この人は痴漢ではありません」とかばったOL役の唯野未歩子も、被害者の女子中学生役の柳生みゆも、まるで演技をしているのではないような名演技でした。脚本を担当した周防監督には、説明口調の台詞が少なく、裁判所で暴言を吐いたり、現実でありえてしまうことばかりなので、感服してしまいました。

男性陣には「転ばぬ先の杖」として見て頂ければいいのではないでしょうか。ただ、面白半分に「ガハハ」と笑って、内容もすっかり忘れてしまうものだけが映画ではありませんから。

私も満員電車に乗るときは、せめて両手を挙げて降参のポーズをすることにします。

「武士の一分」★★★★

今年は邦画の興行収入が21年ぶりに洋画を上回るそうですね。

数字は正直です。最近のハリウッド映画は続編や二番煎じが多く、ついに邦画のリメイク版が出る始末。全世界を席捲していたパワーも、グローバリズムのようにうまくいかず、枯渇してしまったのでしょうか。

その点、邦画は元気がいいですね。変な言い方ですが、世界のどこに出しても恥ずかしくない作品や若手監督が雨後の竹の子のように出てきています。

山田洋次監督の「武士の一分」もよかったですね。原作(藤沢周平)の力かもしれませんが、俳優陣も粒よりの役者が揃っていました。予告編でちらっと見たり、映画評で読んだりして、話の粗筋は大方分かって観たのですが、途中から涙が止まらなくて困ってしまいました。世に言う「サラリーマンの悲哀」は、現代でも全く変わらずに通じるので、自分の身に置き換えてしまったのかしら。いや、それだけではなく、現代日本人がとっくに失ってしまった健気さとか、律儀さとか、武士道精神とか、そんな真っ当な気持ちに対する郷愁の念にかられてしまったのかもしれません。

そもそも、「武士の一分」ってどうやって英訳したらいいのかなあ,と考えてしまいました。一緒に観たT君は思い浮かばず、私が「Gentlemanshipかなあ」と言って、勝手にそれで落ち着くことにしました。

この映画に主演した木村拓哉が、日本アカデミー大賞のエントリーを辞退したことで、色々な噂が飛んでいましたが、あまり興味ありませんね。「キムタクに時代劇は似合わない」とも言われてましたが、なかなか似合っていましたよ。それより、キムタクの御新造役の檀れいという宝塚出身の女優を初めて見ましたが、綺麗でしたね。 世界に誇れる女優さんです。