伊藤野枝、辻潤、大杉栄…ドラマ「風よあらしよ」

 国際労働機関(ILO)などが5年ごとに調査して公表している報告書「現代奴隷制の世界推計」というものがありますが、先日(9月12日)、マスコミ向けに発表され、2021年の時点で世界で5000万人が「現代奴隷」として生活していることが分かりました。

 この5000万人の内訳は、2800万人が強制労働を課せられ、2200万人が強制結婚の状態にあるといいます。前回2017年9月に発表された世界推計(2016年時点)と比べ、今回、現代奴隷の状態にある人が1000万人以上も増えたといいます。

 現代日本も例外ではなく、研修生、実習生の名目で途上国から来日した外国人を狭い部屋に押し込んで、奴隷のように長時間働かせている企業主がいて問題になっていることが度々、ニュースになっています。これも現代奴隷でしょう。

 古代日本では、奴隷は「奴婢」とか「生口」とか呼ばれ、大陸に献上されたりしましたが、現代21世紀になってもあまり変わらないということです。ロシアによるウクライナ侵攻のように、21世紀になっても戦争がなくならないのと一緒です。

 我々は一体、何が出来るでしょうか?

北海道 青い池 Copyright par Tamano Y

 さて、話はがらりと変わりますが、9月18日に最終回(第3回)を迎えるドラマ「風よあらしよ」(NHKBS)を面白く拝見しております。伊藤野枝が主人公で、村山由佳の同名小説を原作にしています。何しろ、日本史上でも桁違いな人物ばかり登場します。

 主役の伊藤野枝を演じるのは吉高由里子ですが、彼女の最初の夫がダダイストの辻潤(稲垣吾郎)、二人の間の子、辻まこと(後の詩人、画家)が赤ちゃんで登場します。伊藤野枝に影響を与えたのが「青鞜社」の平塚らいてう(松下奈緒)。そして、伊藤野枝が辻潤を棄てて出奔する相手が無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)。ここで、大杉栄の妻堀保子(山田真歩)と東京日日新聞記者の神近市子(美波)との間で「四角関係」が生じ、有名な葉山の「日蔭茶屋事件」が起きます。

 第3回では、大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥橘宗一少年の殺害現場に立ち合った甘粕正彦(音尾琢真)も登場するようで、まさに役者が揃った感じです。

 個人的には大杉栄と甘粕正彦との関係はさることながら、辻潤、辻まことに大変興味があります。辻潤はダダイストを自称したらしいのですが、まさに風来坊で、尺八を教えて生計をたてたりした奇人です。48歳ころから「俺は天狗だぞ」と言って、二階から飛び降りたりして、精神科病院に入院。放浪生活を繰り返し、最後は1944年、上落合のアパートで餓死していることが発見されます。行年60歳。

 辻潤の周囲の人たちは振り回され、迷惑を掛けられたことでしょう。私自身も辻潤に似た親友がいますから、気持ちはよく分かります。でも、歴史上、辻潤ほど自由、気ままに生きた男はいないことでしょう。後世の人間として、勇気をもらえた感じです。

 息子の辻まことは詩人、画家で知られ、私の学生時代にみすず書房から出た「辻まことの世界」がベストセラーになったことを覚えています。華麗な女性遍歴でも有名ですが、不勉強で、1975年に自死されていたことまでは知りませんでした。行年62歳。何しろ、辻潤と伊藤野枝の二人の血を引き、有り余るほとの才能があった人ですから惜しまれます。

エリート群像と名もなき庶民の声=平山周吉著「満洲国グランドホテル」

 ついに、やっと平山周吉著「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社、2022年4月30日初版、3850円)を読了できました。565ページの大作ですから、2週間以上掛かりました。登場人物は、巻末の索引だけでも、ざっと950人。まさに、大河ドラマです。

 満洲と言えば、最初に出て来るのは、東条英機(関東軍参謀長)、星野直樹(満洲国総務長官)、岸信介(満洲国総務庁次長)、松岡洋右(満鉄総裁)、鮎川義介(日産コンツェルン⇒満洲重工業総裁)の「ニキ三スケ」です。それに加えて、何と言っても「大杉栄殺害事件」の首謀者から満映理事長にまで転身した甘粕正彦(昭和19年1月、甘粕は、芸文協会の邦楽部長藤山一雄に対して、「藤山さん、あれは私ではないよ」と呟くように言った。=41ページ)と張作霖爆殺事件の河本大作の「一ヒコ一サク」です。(この名称は、著者が「勝手に命名した」と「あとがき」に書いております。)

 とはいっても、この7人のうちに章を立てて取り上げられているのは、星野直樹と松岡洋右の二人だけです。勿論、残りの5人と満洲事変を起こした板垣征四郎と石原莞爾は、陰に陽に頻繁に「脇役」として登場し、完全に主役を食っている感じです。そんな彼らについては多くの紙数が費やされていましたが、731細菌部隊の石井四郎や満洲国通信社の阿片王・里見甫、作家の長谷川濬、漫画家の赤塚不二夫やちばてつや、俳優の森繁久彌や宝田明らはほとんど出てきませんでした。(著者は「あとがき」で、取り上げたかったが、残念ながら出来なかった人物として、「もう一人の男装の麗人」望月美那子、「満洲イデオローグ」評論家の橘樸=たちばな・しらき=、「満蒙開拓の父」加藤完治らも挙げています。)

 その代わりに多く取り上げられていたのが、小林秀雄や長与善郎、八木義徳、榛葉英治、島木赤彦といった文学者と「満洲の廊下トンビ」小坂正則(報知新聞新京支社長⇒満映嘱託など)、石橋湛山(東洋経済)、石山賢吉(ダイヤモンド社)、「朝日新聞の関東軍司令官」武内文彬(奉天通信局長)、「女優木暮美千代の夫」和田日出吉(時事新報⇒中外商業新報⇒満洲新聞社長。坂口安吾が振られた美人作家矢田津世子とも付き合っていた艶福家)といったジャーナリストたちです。彼らは、満洲関連の多くの文献を残しているせいかもしれません。

 著者も「あとがき」に書いているように、この本が主眼にした時代は「ニキ三スケ」の時代で、初期の満州事変や末期のソ連軍侵攻の悲劇にはそれほど触れられていません。従って、登場する中心人物は、「白紙に地図を書くように」これまでにない新しい国家をつくろうとする野心と理想に燃えたエリートたちで、筆者も「満洲国は関東軍と日系官僚が作った国家であったから、近代日本の二つの秀才集団である軍人と官僚は欠かせなかった」と振り返っています。軍人では、植田謙吉(関東軍司令官)、小磯国昭(関東軍参謀長)、岩畔豪雄(関東軍参謀)、官僚では、古海忠之(大蔵省⇒総務庁次長)、大達茂雄(内務省⇒国務院総務庁長)、「満洲国のゲッベルス」武藤富男(司法省⇒総務庁弘報処長)、「満洲の阿片行政の総元締め」難波経一(大蔵省⇒専売公署副署長)らに焦点が当てられ、意外な人物相関図や面白い逸話が披露されています。

 一つ一つご紹介できないので、是非、手に取ってお読み頂けれたらと存じます。好評なら、今度は「もう一人の男装の麗人」望月美那子や「満洲イデオローグ」評論家の橘樸らを取り上げた「続編」が出るかもしれません。

東京・銀座「わのわ」お刺身定食1000円

 ただ、本書に登場する人物は、ほとんど陸士―陸大を出た超エリート軍人か、東京帝大を出て高等文官試験に合格した超エリート官僚ばかりです。皆、新しい国をつくろうと燃えた人たちでしたが、その下には何百万、何千万人という漢人、満人、蒙人、鮮人(当時の名称)ら虐げられた人がいたことも忘れてはいけません。

 巻末年表を見ると、歴史的に、漢人が「化外の地」(中華文明が及んでいない野蛮な土地)として相手にもしていなかった満洲の地を最初に侵略したのはロシアで、1900年のことでした。満州に東清鉄道を敷設し、ハルビンなどの都市を建設していきます。それが、1904~5年の日露戦争での大日本帝国の勝利で、日本の満洲での権益が拡大していきます。

 昭和初期、金融恐慌などに襲われた日本にとって、満洲は理想の希望に溢れた開拓地で、「生命線」でもありました。一攫千金を狙った香具師もいたでしょうが、職や開拓地を求めて大陸に渡った日本人も多くいます。先日、名古屋で14年ぶりに会った旧友K君と話をしていて、一番驚き、一番印象に残った話は、私も面識のあったK君の御尊父が、16歳で満洲に渡り、満鉄に就職したことがあったという事実でした。16歳の少年でしたから、この本に出て来るような東京帝大出のエリートとは違って、「使い走り」程度の仕事しかさせてもらわなかったことでしょう。

 それでも、そこで、かなり、日本人による現地人に対する謂れのない暴行や差別や搾取を見過ぎて来たというのです。「それで、すっかり親父はミザントロープ(人間嫌い)になって日本に帰ってきた」と言うのです。

 K君の親父さんは、本に登場するような、つまり、字になるような有名人ではありませんでした。が、私自身は、身近な、よく知った人だったので、活字では分からない「真実」を目の当たりにした感じがしました。お蔭で、聞いたその日は、そのことが頭から離れず、ずっと、頭の中で反芻していました。

【参考】

 付 「傀儡国家の有象無象の複雑な人物相関図=平山周吉著『満洲国グランドホテル』」

 「細部に宿る意外な人脈相関図=平山周吉著『満洲国グランドホテル』」

お笑いロバート秋山竜次さんも関係していた満洲物語

哈爾濱学院跡

満洲(現中国東北地方)と聞くと、どうも気になります。

縁も所縁もないわけではなく、個人的にはただ一つ、唐津の伯父(母親の実兄)が、一兵卒として赤紙で徴兵された所でした。

伯父は、行き先も目的も告げられることなく、何処とも分からない所に連れて行かれた場所は、中国大陸の戦場。弾丸が飛び交う中、奇跡的に命を保ったものの、戦後はシベリアに抑留され、終戦後1年か2年経ってからやっと日本に帰国できたという話を聞いたことがあります。

私が子どもの頃に、伯父が自宅に遊びに来た時に聞いただけなので、詳しいことは聞いていません。シベリアに抑留されたということは、戦場は、ソ連軍が侵攻した満洲だったのでは、と想像するだけです。近現代史に興味を持ち、もっと詳しく話を聞くべきだと思った時は、既に亡くなっていて、後の祭りでした。

伯父は歌が好きで、うまかったので、「東京行進曲」などを歌って抑留された戦友たちを慰めていたといった話だけは聞いたことがあります。

◇戦後活躍した満洲関係者

その程度の私と満洲との御縁なのですが、戦後活躍した人たちの中で、結構、満洲にいた人が多かったことが後々になって分かります。

赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次といった漫画家、アナウンサーから俳優に転身した森繁久弥、甘粕正彦理事長の満映から東映に移った内田吐夢監督や李香蘭ら映画人、指揮者の小澤征爾(奉天生まれ。父開作は協和会創設者)、安倍首相の祖父岸信介、東条英機らニキサンスケ、このほか、哈爾濱生まれの加藤登紀子、タレントの松島トモ子も奉天生まれ…いや、もうキリがないのでやめておきますが、皆様も御存知の松岡さんのご尊父松岡二十世や哈爾濱学院出身のロシア文学者内村剛介も忘れずに付け加えておきます。

有名人でこれだけ沢山いるわけですから、満蒙開拓団などで満洲に渡り、ソ連侵攻で亡くなった無名の人々は数知れずということになります。

満洲関係者については、ある程度、知っているつもりでしたが、最近になって知った人も出てきました。

◇「スターリン死去」をスクープした人

ノンフィクション作家野村進氏のご尊父さんです。この方、通信社の記者として1953年の「スターリン死去」をスクープした人でした。東京外国語大学の学生時代に学徒動員で満洲に渡り、ソ連軍の侵攻でシベリア抑留。なまじっかロシア語ができたことからスパイと疑われ、4年半も抑留され、凄惨な拷問に遭っていたことを、野村氏が10月29日付日経夕刊のコラムに書いておられました。

◇満洲第3世代

もう1人は、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さん。10月29日にNHKで放送された番組「ファミリーヒストリー」で初めて明かされたところによりますと、この方は「満洲第3世代」で、父方の祖父秋山松次さんが、北九州門司で、ある事件があったことがきっかけで妻と長女を連れて満洲に渡っていました。

炭鉱で働き、50人も雇うほど羽振りの良い生活でしたが、松次さんは昭和19年に突然、帰国することを決意します。その理由がソ連が満州に侵攻することを予測したからだというのです。松次さんがどういう情報網を持っていたのか分かりませんが、凄い機転と言いますか、カンが働く人だったんですね。残っていたら、ほぼ間違いなく、戦死か抑留死した可能性が高く、そうなっていたら、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次さんもこの世に存在しなかったわけですから。(母方の祖父は台湾に関係していたり、父親が若い頃、東映の大部屋俳優で梅宮辰夫と「共演」したことがあったり、不思議な縁がつながっていて、大変面白い番組でした)

またまた甘粕さんの話、または満州

またまた甘粕正彦の話です。

林真理子著「RURIKO」によると、満映理事長の甘粕は、満州国務院の役人だった浅井源二郎の4歳の娘・信子を見てこう言ったといいます。

「信子ちゃんは近い将来、とてつもない美女になるはずです。そうしたらぜひ女優にしてください」

浅井信子、1940年、満州の新京(現・長春)生まれ。後に浅丘ルリ子の芸名で大スターになる人です。

変な言い方ですが、満州は、意外にいろんな人を輩出しています。漫画家の赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次らは満州生まれ、もしくは満州育ちだし、指揮者の小澤征爾も、満州生まれの満州育ち。歯科医師で、協和会創設者の一人だった父親の小澤開作が、親交のあった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って第三子に「征爾」と命名したことは有名ですね。

佐野眞一著「甘粕正彦」にも出てきた人で、満州・関東軍司令部に配属され、敗戦後、ソ連に抑留され、戦後、ロシア文学者になる「内村剛介ロングインタビュー」が、恵雅堂出版というところから出版されたようです。この本も読んでみたいと思いました。

甘粕は偉かった…

 

 

 

今日もまた二日酔いです。健康診断でまたひっかかってしまいました。でも、飲んでしまう男の性(さが)。

昨晩は、高校時代からの友人と中目黒で痛飲してしまいました。中目黒の駅は初めて降りました。何と言う事もない街ですが、裏道に入ると風情のある渋いお店も沢山ありました。外人さんやミュージッシャンもウロウロしていて、ちょっと色の付いた街でした。

サラリーマンの友人は、7月に異動になるらしいのですが、今度上司になる人が年下の女性ということで、「やりにくいなあ」とボヤいておりました。まあ、辞めるわけにはいかず、男はつらいよですね。

昨日でやっと佐野眞一著「甘粕正彦」を読み終わりました。映画やDVDにうつつをぬかしていたので、時間がかかってしまいました。正直、楽しみながら読んだので、読み終わりたくなかった面もありました。

最後に1つだけ引用したいと思います。甘粕の陸軍士官学校時代の同期に澄田○四郎という人がいます。(○は、貝偏に旁は來)大蔵省から日銀総裁になった澄田智の父親です。敗戦を迎えた頃は、北支派遣軍第一軍司令部の司令官(中将)でした。この澄田という男は、敗戦になっても武装解除命令を出さず、国民党軍と密約して、2600人もの兵士をそれから3年半も中国戦線で共産党軍と戦わせて、おびただしい戦死者を出したというのです。

この男は、部下を戦場に置き去りにして、一人のうのうと日本に帰国して、昭和54年に89歳の大往生を遂げました。先頃評判になった映画「蟻の兵隊」では、間もなく90歳になる元部下たちが、かつての上官のこの「売軍行為」に対して、澄田が死してなおも告発し続けている姿を追っています。

著者は、結局、甘粕は、大杉榮らを殺害しておらず、陸軍のために犠牲になって罪をかぶった、というスタンスをとっていますが、こう書きます。甘粕は敗戦時、国策映画会社「満映」の理事長でした。

「最後の職場となった満映の全職員に退職金を渡した上、貨車の手当までして満洲を脱出させ、自らは服毒自殺した元憲兵大尉の甘粕と、部下を戦場に残し、自分は勲一等旭日大綬章の栄誉を受けた陸軍中将の澄田のどちらが本当に立派な日本人だったのか。」

今でも澄田のような卑劣な男は世の中に沢山います。未来永劫、こういう極悪な人間はいることでしょう。

しかし、甘粕のような潔癖で義理堅い男は、もう現れないかもしれません。

茂木久平という男

 

再び 「甘粕正彦」の話。同書には、実に多数の有名無名の人物が登場します。それだけに、巻末に索引があればなあ、と思います。

この中で、著者の佐野眞一氏が最も、思わさせぶりな書き方をしている人物の一人に、茂木久平という人がいます。甘粕に取り入って、満洲映画協会東京支社長になる人物です。

佐野氏はこう書きます。

”満洲の甘粕”の周辺には、右翼とも左翼ともつかない正体不明の男たちが数多く出入りした。茂木はいかがわしさという点で、その筆頭格にあげられる人物だった。”阿片王”といわれた里見甫の生涯を追ったノンフィクションを書いたとき、最後まで正体がつかめなかった人物が茂木久平だった。

それくらい、胡散臭そうな男なのです。

この茂木は、早稲田大学時代、後に作家となる尾崎士郎の親友で、尾崎の代表作「人生劇場」に登場する高見剛平のモデルなんだそうです。

売文社に出入りして、大杉栄や伊藤野枝の最初の夫である辻潤らに頻繁に会っているんですね。それでいて、左翼ではなく、周囲は誰も茂木のことを「右翼だった」と証言しているのです。

甘粕が仮出獄後、フランスに逃亡する際に「ばいかる丸」の船内で、茂木と甘粕は知り合うのですが、その辺りの詳細は同書を読んでください(笑)。

茂木に関して、桁外れの超弩級のエピソードが、あのレーニンから「日本に革命を起こす軍資金だ」と偽って5万円を騙し取ったという話です。5万円というのは、今では、1億5千万円という価値があります。その後、この数字は一人歩きして、300万円だったという説も出ています。今の貨幣価値でいうと、90億円だというのです。

嘘か誠かよく分かりませんが、昔の人は随分スケールが大きかったんですね。

「甘粕正彦 乱心の曠野」

 

佐野眞一著「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を今、読んでいます。嬉しくなるほど面白い。読んでいる時間の間だけ、幸福に浸ることができます。

一つには、時代といい、人物といい、私自身が一番興味がある対象のせいかもしれません。甘粕といえば、関東大震災のドサクサにまぎれて、無政府主義者の大杉榮と、内縁の妻伊藤野枝、そして大杉の甥に当たる橘宗一君6歳を惨殺したとして知られる憲兵大尉です。残忍非人。情のかけらもない軍国主義者として歴史に名を残していますが、よくよく調べると、甘粕は情愛が深く、頭脳明晰で律儀で、結局、時の軍部幹部に利用されただけで、実際には本人は自ら手をかけていなかったのではないか、という話になりそうなのです。

週刊誌に連載されていた頃から興味深く読んでいましたが、大幅に加筆修正されており、このまま、読み進むのが本当にもったいないくらいなのです。

甘粕といえば、後に映画化されたベルナル・ベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」で、坂本竜一がその役を演じていましたが、満洲や上海などで、時の中国政権転覆を謀る秘密諜報員、工作員として暗躍したと言われます。実際、甘粕は、大杉ら「主義者殺し」の犯人として服役後、特赦で、2年10ヶ月で無罪放免になった後、フランスに逃亡し、最後は満洲映画の理事長として活躍するのですが、真相が闇に葬られてしまったので、よく分からない部分が多く、そのせいか、さまざな憶測や飛躍的伝説が生まれてしまいました。

そういう意味で、この本は、甘粕を知る人に多く直接取材しており、これまでの甘粕像を覆すと言う意味で、かなり、かなり面白いのです。

この本については、また折に触れてみたいのですが、今日は、今まで読んだ箇所で面白かったことを書いてみます。

例えば、大杉とともに、惨殺された甥の橘宗一君は、大杉の妹あやめの子供だったのですが、大杉事件が「国際問題」に発展したのは、この宗一少年が、米国生まれで、アメリカと日本の二重国籍を持っていたため、あやめが、我が子が虐殺されたことを知って、アメリカ大使館に駆け込んで真相解明を求めたからだった、というのです。へーと思ってしまいました。この宗一少年は、1917年生まれ。先日会った「125歳まで生きる!」渡辺弥栄司さんも1917年生まれなので、「大杉事件」というのは、歴史に書かれるような遠い事件なのではなく、まさしく現代史、昨日のことだったんですね!

甘粕は、大杉栄一家殺しの首謀者として懲役10年の実刑判決を受けますが、わずか2年10ヶ月で恩赦により仮出獄します。

出獄は、隠密秘密で、緘口令どころか、国家機密として厳重に秘匿されます。

しかし、国民新聞と報知新聞が、極秘裏に出獄した甘粕氏とのインタビューを大スクープするのです。大正十五年十月二十一日のことです。

しかし、これが、とんでもない大誤報。スクープどころか、でっちあげの架空の捏造記事だったのです。

私自身は、朝日新聞による「伊藤律インタビュー」の架空会見(1950年9月27日)のことは、ジャーナリズムの汚点として、知っていましたが、(この辺りは、今西光男氏の著書「占領期の朝日新聞と戦争責任」に詳しい)、それを遡る四半世紀前に、ジャーナリズムの世界で、ありもしない架空インタビューがあったということをこの本で初めて知りました。

実際に、出獄後の甘粕をスクープ・単独インタビューしたのは、1926(大正15)年10月30日、東京朝日新聞社会部の岡見齊という記者で、山形県の川渡(かわたび)温泉「高友旅館」に潜んでいた甘粕をほとんど偶然に近い形で遭遇して、会見に成功しています。岡見記者は自分の4歳になる長男を連れて、新聞記者とは怪しまれないように湯治客として滞在するあたり、そこら辺の探偵小説なんかと比べて、はるかによくできた物語に仕上がっています。この辺りのスクープ合戦の内幕は、手に汗を握るほど面白い。

しかも、著者の佐野氏は、この朝日新聞の岡見記者まで興味を持って、その後の岡見氏の足跡まで調べているのです。面白いことに、岡見氏は、後に朝日新聞の満洲支局に転勤になり、当地で甘粕と再会しているんですよね。というより、律儀な甘粕が岡見記者にわざわざ会いに行っているようです。岡見氏は、その後病気で休職し、大阪本社記事審査部付時代に、甲子園沖で海水浴中に不慮の事故で亡くなっています。昭和17年8月3日。享年50歳。

佐野氏は、そこまで、調べているんですからね。感服してしまいます。