「甘粕正彦 乱心の曠野」

 

佐野眞一著「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を今、読んでいます。嬉しくなるほど面白い。読んでいる時間の間だけ、幸福に浸ることができます。

一つには、時代といい、人物といい、私自身が一番興味がある対象のせいかもしれません。甘粕といえば、関東大震災のドサクサにまぎれて、無政府主義者の大杉榮と、内縁の妻伊藤野枝、そして大杉の甥に当たる橘宗一君6歳を惨殺したとして知られる憲兵大尉です。残忍非人。情のかけらもない軍国主義者として歴史に名を残していますが、よくよく調べると、甘粕は情愛が深く、頭脳明晰で律儀で、結局、時の軍部幹部に利用されただけで、実際には本人は自ら手をかけていなかったのではないか、という話になりそうなのです。

週刊誌に連載されていた頃から興味深く読んでいましたが、大幅に加筆修正されており、このまま、読み進むのが本当にもったいないくらいなのです。

甘粕といえば、後に映画化されたベルナル・ベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」で、坂本竜一がその役を演じていましたが、満洲や上海などで、時の中国政権転覆を謀る秘密諜報員、工作員として暗躍したと言われます。実際、甘粕は、大杉ら「主義者殺し」の犯人として服役後、特赦で、2年10ヶ月で無罪放免になった後、フランスに逃亡し、最後は満洲映画の理事長として活躍するのですが、真相が闇に葬られてしまったので、よく分からない部分が多く、そのせいか、さまざな憶測や飛躍的伝説が生まれてしまいました。

そういう意味で、この本は、甘粕を知る人に多く直接取材しており、これまでの甘粕像を覆すと言う意味で、かなり、かなり面白いのです。

この本については、また折に触れてみたいのですが、今日は、今まで読んだ箇所で面白かったことを書いてみます。

例えば、大杉とともに、惨殺された甥の橘宗一君は、大杉の妹あやめの子供だったのですが、大杉事件が「国際問題」に発展したのは、この宗一少年が、米国生まれで、アメリカと日本の二重国籍を持っていたため、あやめが、我が子が虐殺されたことを知って、アメリカ大使館に駆け込んで真相解明を求めたからだった、というのです。へーと思ってしまいました。この宗一少年は、1917年生まれ。先日会った「125歳まで生きる!」渡辺弥栄司さんも1917年生まれなので、「大杉事件」というのは、歴史に書かれるような遠い事件なのではなく、まさしく現代史、昨日のことだったんですね!

甘粕は、大杉栄一家殺しの首謀者として懲役10年の実刑判決を受けますが、わずか2年10ヶ月で恩赦により仮出獄します。

出獄は、隠密秘密で、緘口令どころか、国家機密として厳重に秘匿されます。

しかし、国民新聞と報知新聞が、極秘裏に出獄した甘粕氏とのインタビューを大スクープするのです。大正十五年十月二十一日のことです。

しかし、これが、とんでもない大誤報。スクープどころか、でっちあげの架空の捏造記事だったのです。

私自身は、朝日新聞による「伊藤律インタビュー」の架空会見(1950年9月27日)のことは、ジャーナリズムの汚点として、知っていましたが、(この辺りは、今西光男氏の著書「占領期の朝日新聞と戦争責任」に詳しい)、それを遡る四半世紀前に、ジャーナリズムの世界で、ありもしない架空インタビューがあったということをこの本で初めて知りました。

実際に、出獄後の甘粕をスクープ・単独インタビューしたのは、1926(大正15)年10月30日、東京朝日新聞社会部の岡見齊という記者で、山形県の川渡(かわたび)温泉「高友旅館」に潜んでいた甘粕をほとんど偶然に近い形で遭遇して、会見に成功しています。岡見記者は自分の4歳になる長男を連れて、新聞記者とは怪しまれないように湯治客として滞在するあたり、そこら辺の探偵小説なんかと比べて、はるかによくできた物語に仕上がっています。この辺りのスクープ合戦の内幕は、手に汗を握るほど面白い。

しかも、著者の佐野氏は、この朝日新聞の岡見記者まで興味を持って、その後の岡見氏の足跡まで調べているのです。面白いことに、岡見氏は、後に朝日新聞の満洲支局に転勤になり、当地で甘粕と再会しているんですよね。というより、律儀な甘粕が岡見記者にわざわざ会いに行っているようです。岡見氏は、その後病気で休職し、大阪本社記事審査部付時代に、甲子園沖で海水浴中に不慮の事故で亡くなっています。昭和17年8月3日。享年50歳。

佐野氏は、そこまで、調べているんですからね。感服してしまいます。

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