STAND BY ME 

公開日時: 2005年8月21日

言わずと知れた1950年代のベン・E・キングの名曲。

このスタンド・バイ・ミーとはどういう意味なのでしょうか?

先日、ジョン・レノンのフィルムをBSで見ていたら「そばにいてくれ」という訳詞がテロップに流れていました。
何か、違和感を感じてしまいました。確か、stand byは「~の味方になってくれ」という意味じゃなかったっけ?

辞書でみると、確かに「側に立つ」という意味も載っていました。もちろん、「支持する」「肩を持つ」という意味も…。

そうか、この歌詞は、これらすべてのことを言いたかったのではないか!

「側に居てくれ」「僕を支えてくれ」「僕の気持ちも分かってくれ」
そんな意味を込めているのではないでしょうか。

これらがミックスされた意味を一瞬聞いて判断するのは日本人には無理です。
ネイティブでしかできません。

それなら、お返しに日本人しか「意味」が分からない歌詞を。

桜田淳子の歌う「真夏のヴィーナス」

去年のトマトは青くて硬かったわ
だけど、いかが?
もう今年は甘いでしょう。
たぶん、きっと、唇とろかすはずよ。
そんな言葉、突然言われたら、
あなたは、どうしますか?

祝ローリングストーンズ、新アルバム発表!

公開日時: 2005年7月27日

ついにローリングストーンズがニューアルバムを発表します。
1997年の「ブリッジズ・トゥ・バビロン」以来実に8年ぶり。リリースは9月6日です。
タイトルは「ア・ビッガー・バン」。何のことかと思ったら、宇宙の起源といわれる「ビッグ・バン」の比較級でした。

思えば、私はストーンズの新曲は1965年の「テルミー」以来、追いかけてきたので、もう40年も経ちます。ミック・ジャガーは7月26日に62歳の誕生日を迎えたそうです。

ストーンズは1963年に、ビートルズをオーディションで落としたデッカ・レコードからプロデビュー。「不良のイメージ」を作ったのは当時のマネジャーのオールドマンですが、ミック・ジャガーは名門ロンドン大学経済学部のインテリ学生でした。ストーンズの成功も、単なる音楽的な才能だけではなくて、ミックの「経営能力」によるところが大きいのです。そうでなければ、40年以上も世界の荒波の第一線で活躍できるはずがありません。

この点だけは、いくらビートルズ好きの私であっても、ストーンズの偉大さは世界一だと思ってます。
ストーンズのニューアルバムが出るなんて、今、私は中学生のようにドキドキしてます。何しろ、1972年の「メインストリートのならず者」以来の長尺で、「Streets of Love」「 Rough Justice 」「Back of My Hand」など全16曲が収録されているそうです。

はっきり言って、ストーンズの音楽は「偉大なるマンネリ」なのですが、もう伝統芸能のように「様式美」化されているのです。
そのうち、ストーンズ亡き後は、伝統芸術になるか、クラシックとして聴かれるでしょう。人類が生き永らえていたらの話ですが…。

ちなみに、プロデューサーの一人、ザ・グリマー・ツインズは、ストーンズファンなら誰でも知っているのですが、ミックとキース・リチャーズのことです。

ジェフ・ベック健在

公開日時: 2005年7月10日

ロックギタリストのジェフ・ベックが、珍しくインタビューに応えていました。相手は世界第8位のクオリティーペイパーだからでしょう。

今、その新聞は手元にないので、うろ覚えで書きますが、最後の質問で、後進へのアドバイスとしてこんなことを話していました。

①私の真似をしないで、オリジナリティーを追求すること
②自分に正直であること
③成功するまで諦めないこと

これは、ギタリストを目指している人だけではなく、あらゆる人に共通するので掲載しました。

フジ子・ヘミング 「人生はうまく行かない方が当たり前」

公開日時: 2005年7月2日

ピアニストのフジ子・ヘミング。正直、7,8年ほど前に彼女が一世風靡した時、どうも好きになれず「食わず嫌い」でした。
しかし、帯広に来て、ある人から熱心に薦められて、聴いているうちに、つい、のめり込んでしまいました。

4,5冊、彼女に関する本が出てますが、特に『運命の力』(TBSブリタニカ)がいいです。音楽家として致命的ともいわれる聴覚を失っても、希望を失わずに艱難辛苦と闘って、ピアニストとして成功を収める姿が本人のイラストと写真付きで克明に描かれています。

「人生はうまく行かない方が当たり前」「運命はいつか必ずやってくる」-。彼女の言葉に重みがあります。そのせいか、彼女の弾くピアノにも普通のエリートの天才ピアニストとは違った重みが感じられます。 すっかり有名になった「ラ・カンパネラ」にしろ、偶然の産物ではなく、リストの魂が彼女の頭上に舞い降りたかのような必然性すら感じるのです。

hiroの「Coco d’or Parfait」

 公開日時: 2005年6月18日

「2 005年1月1日現在7万3500枚突破!ジャズ・アルバムとしては驚異的なセールスを更新中!」という新聞広告に惹かれてつい買い求めてしまいました。

元SPEEDのhiro(島袋寛子)が初めてジャズに挑戦したアルバム「Coco d’or Parfait」のことです。ジャズ・アルバムといえば、1万枚も売れれば「ベストセラー」の範疇に入る。「さすがだなあ」。久しぶりに彼女の歌声を聴いて、色々と昔のことを思い出して、一人感傷に耽ってしまいました。

彼女には一度だけインタビューしたことがあります。とは言っても、SPEED人気が全盛期だった1998年11月、四人のメンバーの一人としてですが。彼女はリードボーカルなのでステージでは前面に立ち、一番目立っていたのに、正直言って、全く印象が薄かったのです。何を聞いても、「うん」とか「はい」と一言二言返すぐらいで俯いてしまう。でも今から思うと無理もない、と納得します。彼女は当時、まだ最年少の14歳だったからです。一番しっかりしていたのは、今タレントとして最も売れている上原多香子ちゃん。現在イラストレーターとして活躍する新垣仁絵ちゃんは芸術家タイプ。今井絵理子ちゃんは、少しやんちゃな感じでした。その彼女はもう一児の母親。歳月の流れの早さには圧倒されてしまいます。

「Coco d’or Parfait」は、鈴木明男ら日本を代表する一流のジャズメンをバックにhiroが「ミスティ」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」などスタンダードに挑戦しています。日本語歌詞は一曲もありません。ほとんど英語ですが、「ドラリセ」では何とポルトガル語で歌っています。すっかり大人のムードたっぷり、といった感じです。それでも彼女はまだ20歳。若くして成功を掴んでしまうといつのまにか消えてしまう芸能人が多い中、「歌で勝負する」hiroちゃんの場合は、これでよかったのはないかと思います。小さなジャズクラブで彼女の歌声を是非聴きたいものです。

ビートルズ落選とは…

公開日時: 2005年5月24日

ロンドン23日発のAFP電によると、英BBC放送が過去50年を10年ごとに区切って、それぞれの年代で最も素晴らしい曲は何か、アンケートしたところ、ビートルズの曲が一曲も入らなかったそうです。(例の盗作TBS部長は諭旨解雇されてしまいましたね。解雇とはすごいですね。これは、あくまでも引用です)

ちなみに、各年代の第1位は、
①1955-64年 「ユー・リアリー・ガット・ミー」(キンクス)
②1965-74年 「スペース・オデッティ」(デヴィット・ボウイ)
③1975-84年 「ボヘミアン・ラプソディ」(クイーン)
④1985-94年 「ウエスト・エンド・ガールズ」(ペット・ショップ・ガールズ)
⑤1995-2004年 「エンジェルス」(ロビー・ウィリアムス)

このアンケートの対象者の年齢層と人数は不明です。イギリス人らしいといえば、イギリス人らしいですね。恐らく今のの日本の若い人でキンクスを知っている人は少ないでしょう。
最も、私はロビー・ウィリアムスを知りませんけど。

私ならこう選びますね。
①「抱きしめたい」(ビートルズ)
②「ヘイ・ジュード」(ビートルズ)
③「ウーマン」(ジョン・レノン)
④以下はちょっと、タンマ。今すぐ浮かんできませんでした。

トライトーン

公開日時: 2005年5月16日

その五人を初めて某国営放送で見た時、思わず身を乗り出してしまいました。あまり美男美女とは言えない(失礼!)若い男女五人組が何の伴奏もなく歌いだすと、彼らにまるで天使が舞い降りたような神々しささえ感じられたのです。

その名前はトライトーン。初めて聞く名前でしたが、おそらく今、日本でナンバーワンの男女混声アカペラ・グループではないでしょうか。

私もこれまで数々のコーラスグループを聴いてきました。男性四人のダークダックス、ボニージャックスを始め、男女四人のサーカスも一世風靡しましたね。最近ではケミストリー、エグザイルといったところでしょうか。でもトライトーンのように、楽器まで「口」でやってしまうグループは日本にはあまりいなかったと思います。欧米ではマンハッタントラスファーなど沢山います。アカペラとは元々イタリア語で「教会風に」といった意味で、それが転じて、伴奏なしで声だけで歌うパフォーマンスのことを指します。教会音楽の伝統を持つ欧米に多いはずです。

トライトーンは1994年に早稲田大学のアカペラサークルを中心に結成され、96年に現在のメンバーに落ち着いた。それが第1声の松永ちづる、第2声の渡辺愛香、第3声の多胡淳、第4声の北村嘉一郎、ベースの青木肇の五人です。第4声の北村がボイスパーカッションも担当し、小太鼓から大太鼓、シンバルまで声だけで色々表現してしまう。他のメンバーもヴァイオリン、チェロ、フルート、トランペットのような音まで再現してしまう。これでは伴奏楽器がいらないはずですね。

彼らの代表的なCD「にほんのうた~春夏秋冬~」には、「朧月夜」「故郷」など17曲の懐かしい唱歌が収められています。もちろん彼らによるアレンジで、伴奏楽器なし。「村祭」の笛太鼓も彼らの声です。やはり、歌声には人を勇気づけ、癒す力がありますね。

平松愛理

公開日時: 2005年5月3日

「売り物になるのなら買ってほしいくらいですよね…」。シンガーソングライターの平松愛理さんは悲しそうな表情を浮かべた。心無い人から「平松愛理は、病気を売り物にしている」と批判されて、それに答えたものだった。

平松さんは、このほど四年ぶりにアルバム「秋の虹」を発表して、見事「復活」を成し遂げた。相変わらず澄んだ透き通った歌声。「病気」のひとかけらも感じさせない前向きで、元気と勇気を与えてくれる歌詞。例えば、アトランダムに挙げてみると「自分で作る幸せだってある。だって想いは殺せない」(あなたのいた夏)、「明日は何度でもくる。自分を信じていきましょう」(哀しみは風に吹かれて)…といった感じなのだ。

平松さんは1964年、神戸市須磨区生まれ。お父さんは内科医。小さい頃からピアノを始め、学生時代からアマチュアバンドで活躍、92年には「部屋とYシャツと私」が100万枚の大ヒットとなり、「才色兼備」のシンガーソングライターとして一気に注目された。その後、結婚し、トントン拍子にいくかと思われたが、95年の阪神淡路大震災では神戸の生家が全壊。そして、数々の病魔に襲われ、子宮内膜症で子宮を摘出。2001年には乳がんの手術も受けた。

病気については、本人もライブの際に発表して休養宣言したり、自分のホームページでも公表したりしているが、それにしても、世の中にはひどいことを言う人がいるものだ。新潟中越地震では、多くの日本人がボランティアに駆けつけたり、義援金を送ったりしているというのに、「匿名」に隠れて平気で人を傷つけることを言う。その心根が全く理解できない。

平松さんは正直に語る。「前向きな詞を書くことで自分自身が癒され、痛みを忘れることができた」「詞の中の世界の私を現実の私と誤解してほしかった」―。どうですか?「平松愛理は病気を売り物にしている」と非難したアンポンタンに聞かせてやりたいですね。

館野泉さん 復活…

公開日時: 2005年4月23日

10年前の今頃、これでも私はクラシック音楽の担当記者で、すべてのクラシックを聴いてやろうと意気込んでおりました。その頃、知ったのがフィンランド在住の日本人ピアニストの舘野泉さんという人でした。大抵のピアニストなら、ショパンかベートーベンを弾きたがるのに、この人はシベリウスとか、あまり知られていないフィンランド人の作曲家の曲を演奏するので「随分変わった人だなあ」と印象に残っていたわけです。

彼が1996年にリリースしたCD「北斗のピアノ」はまさしくフィンランドの作曲家らによるピアノ名曲集です。この中のシベリウス作曲「樅の木」は、美智子皇后陛下が失語症になられた時に、特別に舘野さんを皇居に招いて弾いてもらった曲だそうです。

その舘野さんが、2001年1月にフィンランドの第二の都市タンベレでの演奏会直後に脳溢血で倒れたというニュースを耳にしました。その後の懸命なリハビリで、一昨年8月に奇跡的なカムバック。ただし、右半身の感覚がまだ戻らず、左手だけでの演奏会だった、という話です。昨年5月には東京を中心にいくつかの演奏会を開き、間宮芳生氏が彼のために作曲した左手のための「風のしるし」が初演され、大好評だったそうです(リハビリの苦労話はインターネットで見られます)。

「左手のための」といえば「左手のためのピアノ協奏曲」が有名です。この曲はラベルが、1932年に第1次大戦で右腕を失ったオーストリア人のピアニストの依頼によって作曲されたものです。このピアニストはあの哲学者のウィットゲンシュタインのお兄さんだったんですよね。

舘野さんは、リハビリの最中、時には「もう2度とピアノが弾けないのではないか」と絶望したそうですが、息子さんからブリッジが作曲した左手のための「3つのプロビゼーション」の楽譜をプレゼントされ、これが立ち直るきっかけになったそうです。国際的に活躍している日本人は松井やイチローだけではありません。舘野さん、頑張れ!

ジェイク・シマブクロ

公開日時: 2005年4月21日 

◎超技巧演奏に圧倒されっ放し
=ジェイク・シマブクロはウクレレの伝道師か!?=

うーむ…。最初に聴いた時にはどうしても信じることができなかった。
「これが、あのウクレレなの?」
決して軽く見ているわけではないが、ウクレレといえば、ギターよりも2本少ないわずか4弦。ボディも小さいので音量がない。しかも音域は2オクターブしかない。漫談用の伴奏楽器、いやハワイアンの伴奏楽器というイメージが強い。これだけハンディのある楽器を「リードギター」として採用したミュージシャンはこれまでいただろうか?
今、注目のウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロを遅ればせながら聴いている。テクニックは申し分ない。何度も言うようだが、今まで「サイドギター」として甘んじていた楽器を前面に押し出してスポットライトを浴びせたのは彼の功績であることは間違いない。これまで誰も考えつかなかったことだ。まさに逆転の発想と言えよう。
彼のプロフィールを調べてみると、1976年11月3日、ハワイ州ホノルル生まれ。わずか4歳でウクレレを始め、高校卒業後、プロデビューとある。本人に直接取材したわけではないが、名前からして日系3世か4世の米国人だろう。4人の沖縄出身の女の子の「SPEED」に島袋寛子ちゃんがいたから、彼のご先祖様も同じく沖縄出身かもしれない。いけませんね。ジャーナリストが正確に調べもしないで憶測で書いてしまうとは。でも、お許しください。彼の作った曲を聴いていると、どうしてもハワイアンというジャンルには収まり切れない何かを感じるのです。
例えば今回取り上げたアルバム「クロスカレント」。1曲目にその標題曲が収められているが、パリでもニューヨークでもいい。車を運転しながら聴くと、爽快感があって、いい癒しになると思う。それだけ都会的なハイセンスに溢れている。しかも、ガット弦が醸し出す自然の温かみが感じられるのです。
それにしても彼の超技巧には圧倒されっ放し。何度も繰り返しますが「これ、本当にウクレレなの?」 (了)