北中さんの番組を聴こう!

南青山「中西」 Phot by Kihee Goto  公開日時: 2006年5月6日

 

昨晩は南青山の「中西」で、後藤喜兵衛さんのお導きで飲み会がありました。2次会にも出て、最終に近い電車で帰ったら、駅を乗り過ごして、1時間かけて歩いて帰ったら、家に着いたのは午前2時でした。

 

実は、どうやって帰ったのか覚えていないのです。2次会でどんな話をしたのかも記憶がすっぽり抜けています。脳軟化症にでもなったのでしょうか?

 

そこで、記憶に残っていることをここに書きます。全く個人的な話なので、興味がない方はつまらないと思いますので、そのまま、別のサイトにお移りくださっても結構ですよ。

 

なんで個人的なことを書くのかと言いますと、いつか、日本文学者のドナルド・キーンさんにお話を伺った時に、こんなことをおっしゃっていたからです。

 

「例えば、三島由紀夫さんとは何度も一緒にお酒を飲んだり、食事をしたりしたのですが、私は日記を書く習慣がないので、三島さんとどんな話をしたのか、今ではすっかり忘れてしまって、ほとんど覚えていないのです。今から思うと、本当にもったいない話です」

 

私なんか、昨晩の2次会のことさえ覚えていないのですからね!

 

集合場所は表参道のみずほ銀行前でした。

 

私は、原宿から歩いて途中で今話題の「表参道ヒルズ」でも見ていこうかな、と思っていました。そしたら驚きです。原宿の改札口からまったく身動きができないくらい人、人、人です。日本全国から来たのではないかと思いました。大袈裟に言って20万人くらいいましたね。全く歩けません。遅刻してはいけないので、しょうがないので、地下鉄に乗って表参道まで行きました。

 

集まったのは、

 

後藤さんと音楽評論家の北中正和さん、翻訳家の片岡みい子さん、日経ビジネスの大豆生田崇志さん、TBSの齋藤孝宏さん、東京スポーツの佐藤祐二さん、MXテレビの坂本知子さん、NHKの山田賢一さん、新聞協会の吉澤正一さん、Yさん、それに私の11人。

 

南青山の「中西」はお奨めですよ。今、生ビールが100円です!

 

北中さんとお会いしたのは11年ぶりくらいでした。帯広の「ナマステ」に音楽関係の本が沢山ありましたが、そこにジョン・レノンの本があり、著者は北中さんだったので、何か異国の地で、昔懐かしい名前を見た気がしたものでした。

 

現在、北中さんは、NHK-FMで、日曜夜9時から、1時間の番組を持っています。もう7-8年続いているそうです。私も偶に聴いていました。中近東のアラビアの音楽とかジプシーの音楽とか、商業主義に乗らないマニアックな音楽をかけています。北中さんに伺うと、全部、ご自分のコレクションをスタジオに持ってきてかけているそうです。絶えず最新情報に目配りして、タワーレコードやアマゾンなどで自ら買うそうです。

 

実は音楽評論家と称するほとんどの人が、芸能事務所やレコード会社と結託して、マージンをもらうタイプが多いのですが、(そうでなければ生活できません)北中さんは、そういった商業主義から一歩身を引いた極めて稀な潔癖な評論家です。ロックの音楽評論家として出発し、ワールドミュージックの紹介者としてはパイオニア的存在です。北中さんのお歳は知っているのですが、驚くほど若く見えます。まだ30歳代の青年のような感じでした。

 

片岡さんとも本当に久しぶりに歓談することができました。彼女は最近、ブログを開設したところ、いわゆるジャンク・メールを送りつけられたり、いかがわしいサイトにリンクされたりして困っているという話を聞きました。たったひと言「身体性」というメタフィジックな言葉を書いただけで、誤解されて、変なコメントが寄せられたというので、全く異常としか言いようがありません。

 

幸い、私のブログはそれほどの被害は受けていませんが、匿名性に隠れて不届きなことを犯す、本当に憎むべき人たちが世の中にいるものです。

 

彼女は、音楽についても、昔は「シャンソン」や「カンツォーネ」などの番組があったのに、今はほとんどラジオでもかけられなくなった、ことを嘆いていました。そういえば、「お金になる」J-POPやアメリカ音楽ぐらいしか流れません。映画もハリウッドが席捲して、ヨーロッパ映画が下火になったのと同じ現象が音楽界でも、もう10年前ぐらいから起きています。

 

結局、北中さんの番組を聴いてリクエストをしようという話でまとまりました。

 

皆さんも協力してくださいね。

ボブ・ディランにノーベル賞を!

昨秋、札幌で買ってまだ読んでいなかった『ボブ・ディラン自伝』を読んでいます。面白くて止められません。

恐らくゴーストライターがいるのでしょうが、それにしても彼の記憶力は只者ではありません。

圧巻なのは彼の驚異的な読書量です。ツキディディスから、ダンテ、マキャベリ、はたまたクラウゼビッツ、ジョン・ロック、ルソー、フォークナーまで古今東西の名著を読破しているのです。

彼の歌詞には聖書からの引用が多いので、かなりの読書家だとは想像していたのですが、これほどすごいとは!

10年ほど前から彼は、ノーベル文学賞の候補に上っていました。最初に聞いたときは「まさか」と思いました。ノーベル文学賞の選考は厚い秘密のベールに包まれていて、一体誰が選考委員で、どんな作品が候補になっているのか全く明らかにされることはありません。受賞作の発表でさえ、毎年10月の木曜日ということが発表されているだけで、第何週の木曜日なのか、それさえも教えてくれないのです。

ですから、ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補になったという話は信じられませんでした。

しかし、この自伝を読んで確信しました。いつか、彼はノーベル文学賞を獲るでしょう。

トムラウシの歌

大雪山系トムラウシ山

 

D     A7
1、朝の光 浴びて
Bm      F#m
トムラウシに かかる
G  Em
雲 たなびく
F#m A7
光の  彼方

D   A7
2、時は 今 まさに
Bm F#m
遥か 遠く 地平線
G   Em
稲妻  鳴りき
F#m   A7  DーD7
ふとめざめた   草枕

※refrain
G   F7  Bm
思い出は  いつも
Bmmaj7
切なくて
Em
振り返ってばかり
A     Aaug
それが それが…

Song and music by Shinji Takada

「歓びを歌にのせて」★★★★

函館 聖母トラピチヌ修道院

 

素晴らしい映画を久しぶりに観ました。

「歓びを歌にのせて」

スウェーデン映画です。2004年のケイ・ポラック監督作品。2005年の第77回アカデミー外国映画賞ノミネート作品です。ストーリーはこんな感じです。

8年先までスケジュールが決まっている世界的指揮者のダニエル(ミカエル・ニュクビスト)が、過労とストレスで心臓発作に襲われ、指揮活動を断念し、子どもの頃に住んでいた片田舎ユースオーケル(架空の村)にある廃校になった小学校を買って移り住み、隠遁生活を送ることになった。そこへ、彼の名声を知っている牧師スティッグ(ニコラス・ファルク)が聖歌隊の指導を頼みに来るが、音楽界から引退したダニエルは断る。しかし、熱心な村人の姿を見て、自ら「教師」として買って出て、この世のものとは思えないほど素晴らしい聖歌隊に育てていく…

と、ここまで書くと、陳腐な成功物語に聞こえてしまいますが、それは、それは、紆余曲折があって、とても複雑な深いストーリーなのです。最後は、オーストリアのインスブルックでのコーラス・コンクールにまで出場するが、再び心臓発作に襲われたダニエルは、トイレで倒れ、舞台に立つことができるかどうか…。あとは観客の想像力に任せる、といった感じで終わってしまいます。

 

私は何と、「悲劇的な終わり方をするなあ」と思ったのですが、一緒に観たHさんの解釈はまるっきり逆でした。「ハッピーエンド」でした。

 

ダニエルが移住を決意したユースオーケルは、7歳くらいまでに住んでいた村で、同級生たちからひどいいじめに遭って、立ち去った所でした。麦畑で一人でバイオリンの練習をしていたら、悪ガキどもに乱暴されたのです。その時の心の傷は、ずーと癒されることはありませんでした。しかし、映画の最終場面。ダニエルが、トイレで倒れて朦朧となっていた時に、その麦畑シーンが出てきて、バイオリンの練習をしている子どものダニエルを、大人になった今の自分が抱き上げて、解放するのです。この場面で、「心の傷を持ったインナーチャイルドが癒された」とHさんは解釈したわけです。

 

母親の手一つで育てられたダニエルは、少年の頃、その母親を交通事故で亡くし、人に対して心を開かなくなります。人を愛することができず、ずっと独身で過していました。そんな彼の心を開いたのが、聖歌隊のメンバーの食料品店の店員のレナ(フリーダ・ハグレン)でした。決して美人ではありませんが、笑顔を絶やさない若さに溢れた魅力的な女性です。そんな彼女も、両親を亡くし、男に騙されて、心に深い傷をもっていました。

 

そうなのです。素晴らしいソロを聴かせるガブリエル(ヘレン・ヒョホルム)はアル中の夫の家庭内暴力に悩み、牧師の妻インゲ(インゲラ・オールソン)も夫の偽善に悩み、聖歌隊に参加している老若男女、すべてのメンバーが、何かしら心の傷を背負っていて、あまりにも人間臭いのです。リーダー格の雑貨商のアーン(レナート・ヤーケル)も仲間をいじめる俗物に描かれ、スウェーデンの片田舎だけではなく、世界中のどこにでもありえてしまう物語に仕上がっているのです。ハリウッド映画に出てくるような美男美女が一人も登場せず、はっきり言って、映画なのにこんな不細工な人を出していいのかなあ、と心配してしまうほどの俳優も登場します(失礼)。

 

ダニエルの恋人役のレナも、美しい金髪の持ち主ですが、顔はどこか東洋的です。

 

映画を観ているというより、ドキュメンタリーを観ている感じでした。

 

そして、この作品では、人間の嫉妬が妄想を生み、いかに自分自身と周囲を駄目にしてしまうか、ということを残酷にも白日の下に晒しています。あんな人格者だった神父のスティッグが、村人の関心と賞賛がすべてダニエルに奪われたと嫉妬し、みっともないほど無様な醜態を見せるし、ガブリエラに暴力を振るう夫コニーも、ダニエルへの嫉妬心から身を滅ぼします。

 

これらの人間の業を救うのが音楽です。夫に殴られて顔に傷を作りながらもソロを歌うことを決心したガブリエラの歌声は、本当に天使の歌声でした。この映画のハイライトの一つでしょう。詩も素晴らしい。

 

「この世に生きるのは束の間だけど 私の人生は私のもの…」と謡いあげるのです。

 

ガブリエラ役のヘレン・ヒョホルムが随分歌がうまいなあ、と思ったら、スウェーデンでは有名な歌手だそうです。

 

スウェーデンがこんな身近に感じたことはありません。

 

映画は国境を越えるのですね。

ひのき屋

函館 赤レンガ倉庫群

公開日時: 2006年3月24日 

NHK「ふるさとドキュメント」で「ひのき屋」という函館出身のバンドを初めて知りました。

函館に行ったばかりなので、ちょっと懐かしく、ちょっと近しく感じ、地元の子どもたちから年配の人にまで愛されている彼らを羨ましく思いました。

彼らのホームページhttp://www.hinokiya.com/jp/index.htmを覗くと、「ソガ直人(篠笛)・しまだめぐみ(たいこ・うた)・渡部洋士(ギター・たいこ)・雨宮牧子(パーカッション)によるユニット。1998年にデビュー。日本の篠笛やたいこの魅力を生かした音楽で、世界を旅するトラベリングバンド」と書いてありました。

番組によると、どうやら彼らは北海道教育大学函館校の卒業生らしいです。奈良県出身のソガ直人を中心に学生時代にバンドを組み、本来なら卒業して先生になるはずが、「このままメンバーが全国に散らばってバラバラになってしまうのは惜しい」ということでプロになったようです。全国のお祭を見て歩いて、文化人類学者のように祭の音楽を採取して、自分たちの音楽を作り上げたといった感じです。だから、篠笛と太鼓がサウンドの中心です。リーダーのソガが作曲を手掛け、30曲ほどのオリジナル曲があります。

ソガさんは、歴史のある函館の街を歩くだけで、すぐ曲想が浮かんでいました。例えば、倉庫の屋根瓦の波曲線を見ただけで、自然と軽快なメロディーが口笛となって生み出されるのです。

今年はデビュー8年目で、既に、フランスやギリシャなどで演奏活動を行い、海外でも人気急上昇中です。もちろん、全国津々浦々でコンサートもしています。本当に「村の鎮守様のお祭太鼓」といった感じの音楽です。聴いていると、手拍子を叩きながら浮かれたくなります。

実際、番組では幼稚園児から素敵なおじさままで、本当に楽しそうに、彼らの音楽に酔いしれていました。

すらばしい!

音楽カルトクイズ  

公開日時: 2006年3月18日

リチャード・マニュエル(Kb)、ロビー・ロバートソン(G、Bv)、リヴォン・ヘルム(Dr、V)、ガース・ハドソン(Kb)、リック・ダンコ(B、V)の五人のメンバーのバンドの名前は何というでしょうか?

ヒントは、超大物フォーク歌手のバックバンドを務め、1976年に解散しました。代表アルバムは「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」。

音楽カルトクイズ

池田町スピナーズファーム

 公開日時: 2006年3月15日

Q:ブルースの王様、B.BキングのB.Bは、何の略でしょうか?

 

①ベイ・ブルース
②ブルース・ボーイ
③ブルース・ビンゴ
④ビューティフル・ボーイ

答えは、明日!

ボブ・ディランの話題の映画「No Direction Home」

公開日時: 2005年12月31日 

ボブ・ディランの話題の映画「No Direction Home」を渋谷のイメージフォーラムでみました。

東京でしか公開しないというのは本当に残念ですね。音楽ファンだけでなくて、もっと多くの人に見て欲しいと思いました。

2000円は高いと思いましたが、3時間半の上映時間は決して長いとは感じられませんでした。ディランの世界にのめりこんで、何度も何度も痺れて陶酔してしまいました。見て本当に良かったと思いました。

私自身、ディランに関しては決して熱心なファンではありませんでした。もちろん「同時代人」として気になる存在ではありましたが、例えば「風に吹かれて」にしても初めて意識して聴いたのは、PPMでした。PPMとはピーター、ポール&マリーのことです。

映画では、ポールはノエルというのが本名でしたが、キリスト教的な名前に揃えるために、改名したということを明かしていました。つまり、ピーター、ポール&マリーというのは、ペテロ、パウロ&マリアとなるわけです。

いずれにせよ、PPMを聴いた後、本当は「風に吹かれて」を作ったのはボブ・ディランというフォーク歌手です、ということで原曲をはじめてラジオで聴いたときのショックは忘れません。1965年頃のことです。

第一印象は「ヘタだなあ」でした。しわがれ声だし、ギターもヘタ。「ミスター・タンブリンマン」も初めて聴いたのは、バーズでした。

ですから、決して熱心なディラン・ファンではなかったのです。

しかし、映画「No Direction Home」を見た時、自分は、それほど不誠実なディラン・ファンではなかったということが分ったのです。

1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはフォークギターをエレキに替えて舞台に登場した時、熱心なファンから「裏切り者」呼ばわりされて、ディランはすっかり自信を失って、楽屋で大泣きしたという話は、音楽雑誌を通して当時から知っていたのですが、何せ、当時は、海外アーティストが動いている姿を目にすることが、ほとんどできないという時代背景がありました。

今回、その「動く映像」を目の当たりにして、本当に感動したわけです。

当時の雰囲気が如実に迫ってきました。

ディランが実に若い!

この映画のハイライトになる曲は、やはり「ライク・ア・ローリングストーン」ですが、この曲がこんな素晴らしい曲だったのか、と再認識しました。羽振りのよかった男が落ちぶれて、住む家もなく、誰からも相手にされず、「どんな気分だい」と揶揄される歌ですが、レコードの演奏時間も6分10秒という異例の長さ。当初、歌詞は50番くらいまであった、というのですから驚きです。

この曲で、アル・クーパーがオルガンを弾いていたことは、大分後になって知ったのですが、もともとアル・クーパーはギタリストとして参加する予定だったのに、既にブルース・ギタリストの名手マイク・ブルムフィールドが参加していたため、あぶれてしまった。そこで、勝手にオルガンを弾いて、レコーディングに参加したということを明らかにしていました。「ライク・ア・ローリングストーン」にオルガンがなければ、全くスパイスがきかないカレーみたいなものです。

アル・クーパーは1970年頃にBS&T、つまりブラッド・スウェット・アンド・ティアーズを結成しますが、私がアル・クーパーの名前を知ったのはその頃でした。

ディランが全盛期だったのは1960年代です。その頃のアメリカは人種差別反対の公民権運動やヴェトナム戦争反対運動が吹き荒れた10年でした。

その時代を背景にして、ディランは、プロテスト・ソングを歌う若者の代弁者として祭り上げられます。面白いことに、記者会見で、そのことを問われると、つまり、代弁者としての哲学的理念などを問われたりすると、ディランは「別にそんなことこと少しもか考えたことはない」とはぐらかします。世間では、ディランは23歳にして、社会の矛盾や問題を解決する「救世主」として見られていたのです。

業を煮やした記者は「それなら、あなたは自分のことを何だと思うのか」と迫ります。
これに対してディランは明確に答えます。

「僕は歌って踊る芸人に過ぎないと思っている」

何と清々しい心意気でしょう。

ディランはジョーン・バエズにこんなことも言っています。

「僕が、気まぐれに適当に書いた曲でも、後世の人間は色々とこじつけて、難しく色んな解釈をすることだろうね」

この映画で改めてディランの魅力にはまってしまいました。

ソニー・ロリンズのインタビュー

 公開日時: 2005年9月8日 

台風14号は、全国に甚大な被害を及ぼしました。
被害に遭われた方々には謹んで哀悼の意を表したいと思います。

北海道にも上陸しましたが、運良く、昨年同時期の台風18号ほどではありませんでした。

昨晩は、窓を打ち壊すほど、あんなに雨が降っていたのに、今日は、台風一過の十勝晴れで、本当に空気が澄み切って、遠くの日高山脈が映えて、素晴らしい景色でした。

空に浮かぶ雲も、初秋を象徴するような積雲というか、乱雲というか、一瞬たりとも、その形を留まることを知らない七色変化のアトラクションを垣間見せてくれました。

あー、そう言えば、子供の頃、時間が有り余っていたせいか、空に浮かぶ雲を飽かずによくも眺めていたものです。ととても懐かしい気持ちに襲われました。

不思議なことに、今日の夕刊で、サックス奏者のソニー・ロリンズのインタビューが載っていました(朝日新聞)

今年、75歳になる伝説的なジャズ・ミュージッシャンは、日本贔屓で知られていますが、高齢を理由に、この秋の日本公演で最期になるだろう、と語っています。

彼は「ジャズの神髄は、いつも新しく、いつも変わっていることだ。空を見上げれば雲がある。どれも形はない。常に変わっているけど、いつもそこにある」と語っているのです!

偶然の一致とは思われません。

印象派音楽の巨匠といわれるドビュッシーも、雲や西風などをテーマに、「移ろいいくもの」「常に変わりゆくもの」に心を奪われ、作曲活動を続けていたのは有名です。

ジャンルこそ違ってもミュージッシャンには共通する何かがあるのでしょうね。