忘れていました…「能登輪島」があったじゃないか!

 今年はお正月早々、マグニチュード7.6の能登半島地震が起き、先月末現在で死者241人、負傷者1299人という人的被害、それに8万件近い住家被害がありました。

 毎日ニュースで取り上げられていますが、いまだ再開できない漁業や、伝統工芸の輪島塗や酒蔵の復興など色々と問題を抱えていて、見聞きすることがつらいです。個人的には義援金を送る程度しか出来ず、忸怩たる思いをしていましたが、そうだ、復興の一助になるかもしれないので、ランチは石川県(他に、新潟、富山、福井)の郷土料理店にするべきだった、と今更ながら思いつきました。

 幸い、私がシマにしている銀座界隈は、全国の各府県の物産館が出店されており、そこで地元料理が食べられたりします。

東京都中央区銀座7-2-8 東建ビル 3F「能登輪島」 焼き魚定食1000円

 「そっか~、忘れていた!」ということで、昨日は銀座にある海鮮料理店「能登輪島」に行って来ました。以前は、よく通っていた店でしたが、最近のランチは、新富町ばかりに足を伸ばしていたので、行くのは数年ぶりでした。輪島市は特に、今回「震度7」と、志賀町と並び能登半島地震の中では最大の震度を経験しました。

 ランチでは焼き魚定食を選びましたが、1000円と銀座界隈にしては安いのです(今時、安くても1100円。1300~1500円が相場です)。上の写真の通り、焼き魚だけでなく、お刺身と鶏の唐揚げまで「おまけ」に付いてきますから、まさに「お買い得」で味も良いので、お勧めです。

 食事が終わって、会計の際に「地震は大変でしたね」とお店の人に声を掛けたところ、「ええ、大変でした」と本心で返って来ました。たった一言だけでしたが、如何に大変だったのか分かりました。

 皆さんも、東京・銀座界隈にお出でになったら、ちょっと能登半島地震のことを思い出して、昼でも夜でも、北陸・中部の郷土料理店や物産店(アンテナショップ)に立ち寄ってみたら如何でしょうか。

【ご参考】

・石川県アンテナショップ「いしかわ百万石物語・江戸本店」は、2024年3月に銀座から八重洲へ移転開業する予定。

「銀座・新潟情報館 THE NIIGATA(ザ・ニイガタ)」2024年5月末に銀座5丁目に移転開業する予定。

・富山県のアンテナショップ「いきいき富山館」は、有楽町駅前の東京交通会館地下1階

・福井県のアンテナショップ「ふくい食の國291」は、イートインもあり、銀座1丁目にあります。

「資本主義経済は、リスクを取っても良い人間が、リスクを取りたくない人間から利益を吸い上げるように出来ている」=山崎元著「経済評論家の父から息子への手紙」の名言です

 幸せとは何か-? 最近、個人的に、幸せとは「憂いがない」ことだと思うようになりました。「憂いがない」というのに、フランス語で丁度良い言葉がありまして、sans souci(サン・スーシー)と言います。18世紀のプロイセンのフリードリッヒ大王が建てた「サンスーシー宮殿」は有名ですから、聞いたことがあるかもしれません。

 人間、生きていれば色んな憂いがあります。その中でも将来の不安が一番かもしれません。具体的に言えば、将来の生活で、もっと具体的に言えばお金の心配です。私は、「経済音痴」を自称し、給料もほとんど、生活費や子どもたちの学費などで消え、若い頃は普通預金に入れたまんまでした。しかし、中年を過ぎて将来の不安もあり、投資も考えるようになりました。その時、一番お世話になった書籍は、経済評論家の山崎元氏が初心者向けに書いた易しい株式投資の本でした。もう15年ぐらい前かもしれません。彼の著作は何作も読みました。

 その山崎氏が今年1月に65歳の若さで亡くなったことには吃驚してしまいました。何しろ、私より若いですから。そんな山崎氏が「遺作」として「経済評論家の父から息子への手紙」(Gakken、2024年2月27日初版)を出版したことを知り、早速購入しました。

 通勤電車の中で直ぐ読了できました。内容はタイトル通り、経済評論家の山崎氏が東京大学に合格したばかりの18歳の息子に宛てた「私信」を元に、経済の仕組み、起業と投資の勧め、それに人間の究極の幸せとは何かといったことを、まさに「遺言」として説いたものでした。(あとがきで、息子さんの出身高校は、海城だと書かれていたのでこれまた吃驚。私の母校ではありませんか!)

 斜に構えて言えば、この本は、まだ世間知らずの息子に対して父親が説いた「処世術」です。私ももっと若い頃に読んでいたら大いに参考になっただろうと思いました。しかし、「人生哲学書」として読むとなかなか味があります。

 勿論、経済評論家の本ですから、投資に関する指南はまさに的を射ております。何よりも、「資本主義経済は、リスクを取っても良い人間が、リスクを取りたくない人間から利益を吸い上げるように出来ている」というのは、名言です。かなり、真相を突いていると思います。言い換えて、「世の中は、リスクを取りたくない人が、リスクを取って良いと思う人に利益を供給するように出来ている」とも言っております。

 まさに、その通りです。経済格差や世の中の不公平を叫んでばかりいても始まりません。このように、世の中の仕組みを知ることが先決です!!このリスクというのは投資と置き換えて良いかもしれません。世界の大富豪のほとんどが起業したりして自社株を保持し、その評価額が富裕層として反映されています。逆に言えば、投資しなければお金持ちにはなれないのです。(人生哲学で、別に大金持ちになる必要がないと確信している人には関係がない話ですが!)

 テレビにチャラチャラ出て(露出を優先して)、CMで1本8000万円も1億円も稼ぐような芸能人や文化人がおります。山崎氏の伝で言えば、その人は確かに強運の持ち主ではありますが、その人なりに、平凡なサラリーマンや公務員の道を選ばす、リスクを冒して今の自分の地位を築き上げた人ということになります。

 さて、これから、具体的に何に投資したら良いのか? 詳細は本書に譲りますが、山崎氏は、例えば、個別銘柄よりもインデックスファンドをお勧めしています。FXや仮想通貨、信用取引などはギャンブルだと断定しています。また、不動産投資も決して有利なものではなく、それは「不動産業者が自ら物件を保有するのではなく、客を探して売っている状況が雄弁に語っている」と説明しています。

 保険も、保険会社が得をして加入者が損をするように出来ていて(そうでなければ、保険会社はつぶれる)、山崎氏も「最近癌にかかったが、健康保険に加入していれば、民間のがん保険は不要だと改めて確認した」と言うほどです。

 いやあ、こういった助言だけでも、この本を買って良かったと思いました。著者が力説する通り、安心も、リスク(投資=本の購入)を取って初めて得ることができたということになりますか。

 

言葉が人類に暴力性を生んだ?…そう言われると困りますが

Ginza

 いやはや、たまたま見ましたEテレの「NHKアカデミア」に出演されていた人類学者の山極寿一氏のお話は、私にとっては「コペルニクス的転回」でした。そして、何よりも、自分は今まで何を信じて生きて、行動してきたのか、グサッと鋭利な刃物を突きつけられた感慨になりました。

 山極氏は、京大の総長まで務められた方であり、世界的なゴリラ学者であります。そういう人が何故、人間は現代になってもいまだに暴力的なのか、その起源はいつからなのかという問題を探索したことがこの番組のテーマになっていました。

 結論を先に書けば、霊長類の人類は700万年前にチンパンジーから枝分かれしてヒトとして歩み始めてから、当初はアフリカのサバンナで捕食者に囲まれ危険な状態だったので、どうしても協力して集団を作らなければならなかった。そこには共感が生まれ、食べ物の分配も行われ、平和的だった。しかし、1万年前に「言葉」が生まれ、同時に農耕定住生活となると、集団同士が食物や領地の争い等で暴力的になったというのです。

 山極氏に言わせれば、共感の力が暴発して、言葉による情報交換が人々を傷つけ、不安や戦争に駆り立てるようになったのではないかというのです。私は「記者」という職業を選び、40年以上も「言葉」を信じて仕事をしてきたので、まさに彼の説は、コペルニクス的転回の発想であり、衝撃を受けたわけです。人類は699万年間、平和だったのに、言葉の威力によって、わずか1万年前から暴力的になったというのですから。

小倉城

 山極氏が専門のゴリラは、決して暴力的な動物ではなく平和を愛好して、リーダーは仲間割れしないよう制裁したり、気を配ったりしているというのです。よく誤解されているのは胸を叩くドラミングで、これは相手を威嚇する意味ではなく、相手と戦わずして引き分けにする表現だったというのです。

 ゴリラは言葉を持っていないので、自分が見ている世界しか共有できない。一方の人間は、言葉を使うので、見た世界を言葉で表現する。それによって、同じ集団や共同体(せいぜい150人程度)以外に住む世界の別の人間にも情報が伝わる。それが、良い方向で伝わればいいのですが、誤解したり、曲解したりして、相手を傷つけたり、猜疑心、嫉妬心、敵対心などネガティブな感情が生み、人間を暴力的に至らしめる、というわけです。

 私は、言葉より、今はSNSや動画の方が影響が強いと思っていますが、同じことかもしれません。

 山極氏は、このように暴力性を生まないよう防ぐにはどのようにしたら良いのか、ズバリ処方箋を語っていました。それは、言葉に片寄り過ぎないようにして、身体的コミュニケーションを増やすことだというのです。一緒に、食事をしたり、スポーツをしたり見たり、音楽を聴いたり演奏したり、ボランティアをしたりすることによって、相手の気持ちや感情を理解するようにすれば良いというのです。

 確かに、契約や条約締結などは言葉のやり取りで済むはずですが、例えば、わざわざロシアのプーチン大統領が、北朝鮮の金正恩総書記に会うために平壌にまで出かけたりするのは、まさに握手したり、食事を一緒にしたりして身体的コミュニケーションを図って、初めて信頼関係が生まれるからなのでしょう。

 山極氏は若い人からの質問に面白い助言をしていました。

 友達と一緒に夕焼けを見たら良いよ。言葉が出ないでしょう。感動して言葉が見つからないでしょう。人間も自然と付き合うことで相手に近づけて、相手の気持ちも分かるかもしれませんよ。

 うーん、確かにそうですね。しかし、「言葉が人類に暴力性を生んだ」と言われると私は困ってしまいます。何しろ、言葉だけを頼りにこれまで生きてきた人間ですから。。。

大谷さん結婚、それで?

Higashi-Ginza

 ドジャースの大谷翔平選手、ご結婚おめでとう御座います。日本時間、昨日の夕方からこの話題で持ちきりで、民放なんか、政倫審(政治倫理審査会)の大事なニュースまで飛ばして、この話題ばかり放送しているんですからね。

 恐らく、これから書くことは直ぐ古びてしまうと思いますが、お相手はどなたかと思ったら、顔写真どころか、名前すら明かさないというのです。交際していたことすらどこのマスコミにも感づかれず、この徹底した秘密主義には脱帽です。それでも、SNS隆盛時代ですから、皆さん好き勝手に飛ばしています。こういった「飛ばし記事」は、昔だったら、東京スポーツや日刊ゲンダイや「噂の真相」の独壇場だったんですが、今や「普通の人」の発表舞台になってしまいました。

 私はそれほど暇ではないのですが、気になるので、検索してみたら、お相手は、いずれも身長180センチを超えた元バレーボール選手、元バスケットボール選手らの名前が挙がっていました。世界中から注目されますから、そりゃあ大変でしょうね。ご同情申し上げます。

東銀座「紹興苑」 香港焼そば1000円

 さて、またまた私事ですが、このごろ、どうも自信がなく、ビクビク、オドオド生きている気がしております(本日は、満員の駅構内でクソガキからいきなり足で蹴られました)。何も悪いことをしているわけではなく、毎日、往復3時間のバスと満員電車に乗って通勤し、真面目に仕事をし、帰りに悪所に通うことなく、飲みにも行かず、瞬きもせず、真っすぐ帰宅しています。しかも、電車の中では量子力学の難解書を読み、家に帰れば、錆び付いたフランス語を紙の辞書を引きながら勉強しているぐらいです。嗚呼、それなのに、それなのに。誰からも褒められもせず、苦にもされず、木偶の坊と呼ばれるだけです。甲斐性なし扱いです。何か悪いことでも、私、しましたか?

 これでは、ビクビク、オドオド生きてしまうのも仕方ないですね(苦笑)。最近、私が住む地域でも、毎日のように微震が続いているので、「大災害や事件、事故に巻き込まれたら嫌だなあ」といった不安がないことはありませんし、残り少なくなった人生を如何に生きるか? お前は一体何者で、何のためにこの世に生まれてきたのか? といったアポリアが頭の中で堂々巡りしているので、そりゃあ、心が不安定になっても当たり前です。

 一番の薬は、「考えないこと」でした。何しろ、回答がないのです。頭の中で堂々巡りしているだけですから、エントロピーが増大し、考えるだけで時間の無駄なのかもしれません。

 再読している「時間の終わりまで」(ブルーバックス)の著者ブライアン・グリーン氏によると、我々という人類といいますか生命は、自然法則に支配された膨大な粒子が集合してできた物理的存在だというのです。我々の行為や思考は全て、粒子の運動に帰着していることから、自由意志が入り込む余地がないというのです(シュレーディンガー説)。つまり、我々が自由に選択しているようにみえるものは、自然法則が最も基本的な姿で働いているところを我々は見ていないからで、我々には自由な意志で考えたり行動したりしているように強く感じられるとしても、実のところ、それは物理法則に完全に支配されて動き回る粒子たちの複雑なプロセスであることが分かるといいます。

 ちょっと難しい書き方ではありますが、理論物理学者の目から見れば、人間とは「物理法則に支配されている粒子が詰め込まれ袋」に過ぎず、結局、意識や思考も物理法則に支配されているというわけです。

確かに、量子論学者さんから見れば、意識しようが、思考しようが、不安になろうが、人間というものは所詮、「粒子の袋」に過ぎないんですね。文学から見ればあまりにも救いようがない話ですが、科学が見れば、それこそが真実なのでしょう。

最初から、Et Alors?(だから何なのさ?)という話でした。

 

日本も韓国も消滅か?=そんなことないでしょうが人口減に拍車掛かる

 昨年2023年の日本(人口1億2570万人)の出生数(速報値=在留外国人も含む)が前年比5.1%減の75万8631人だったと厚生労働省が発表した数字は実に衝撃的でした。8年連続で減少し、過去最少です。一方、死亡者数は159万503人で、前年から8470人増え、過去最多だったといいますから、人口減に一層の拍車が掛かったわけです。何しろ、生まれてきた赤ちゃんの倍以上の人が亡くなっているわけですから減る一方です。

 このまま少子化が進めば、日本人はいなくなってしまうのではないかというSFの世界が待っているかもしれません。

東京・新富町

 これは日本だけの問題かと思いましたら、お隣りの韓国(人口5174万人)ではもっと大変な状況でした。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す「合計特殊出生率」が、8年連続で前年を下回り、昨年の韓国は過去最低の0.72だったというのです。低水準といわれる日本の1.26(2022年)より低いのです。生まれた韓国の子どもの数も、前年比7.7%減の約23万人で過去最少です。8年間でほぼ半減し、少子化は「日本以上」に見えます。

 韓国の少子化の背景には、ソウルに人口が一極集中して、地価と住宅価格が高騰し若者が住宅を購入出来ず、結婚に踏み切れない状況があるようです。結婚しても韓国はかなり苛烈な受験競争と超狭き門の大企業就職と格差拡大問題があり、高額の教育費が掛かるので子どもを2人も3人も持つ余裕がないという遠因があるようです。

 日本もそして韓国も、結婚新生活支援事業や育児休暇、子ども手当、教育費無償化など少子化対策を推進していますが、それでも歯止めが効きません。となると、結婚したくても出来ない非正規雇用といった経済的理由や、将来に対する不安など心理的理由が大きいと思います。

 林官房長官も記者会見で「少子化の進行は危機的状況」と述べ、少子化対策も発表していましたが、口先だけで、「笛吹けども踊らず」の印象です。だって、当事者である企業が賃金を引き上げ、非正規労働者の社員化を進めない限り、改善しないことが分かりきっているからです。「内部留保」に邁進する企業は、相変わらず、低賃金に抑え、非正規雇用の比率を挙げることで利益と業績を上げているわけですから、イエスマンで這い上がってきたサラリーマン経営者が、そんな「打ち出の小槌」を手離すわけありません。

 「内部留保税」や「非正規雇用割合税」なるものを徴収すれば、そんな悪循環が改善するでしょうけど、そんな法案を提出する政治家は一人もいないでしょうし、財界も大反対のキャンペーンを張ることでしょう。フリードマンや竹中平蔵らの新自由主義思想の根が深いからです。

 かくして、少子化に拍車が掛かり、人口減が幾何学級数的に進み、…この先はあまり想像したくないですね。

情けは人の為ならず?=「物価高騰対応重点支援給付金」騒動

 個人的な話なのですが、本日、私が住んでいる自治体から思いも寄らないような大金が私の銀行口座に振り込まれました。

 いえいえ、還付金詐欺でも特殊詐欺でもありません。10日程前に自宅に葉書が来まして、さすがに「お前は貧乏だから」とまでは書いておりませんでしたが、「物価高騰対応重点支援給付金を支給致しますので、貴方の銀行口座に2月28日付で振り込みます」との案内があったのです。

 半信半疑でしたから、振り込まれるまで分かりません。油断も隙もありません(笑)。そしたら、本日、口座を確認したところ、ちゃんと振り込まれていたのです。「あの通知は本物だったんだあ」と、安心と嬉しさと喜びと感激に満ちあふれたのでした(笑)。大袈裟ですねえ。

 大金とはいえ、私は2月1日に早々と確定申告を済ませて、6万5200円もの多額のお金を納税したばかりでした。納税分をギリギリ取り戻したか否かの状態なので、何となく、プラスマイナスゼロといった感覚です。とても、これで「豪遊したい」といった気分にもなれません。

 そもそも、物価高騰対応重点支援給付金ということですから、家計の赤字を解消する補填金ですからね。

東京・新富町

 それでも、大いに助かります。もしかして、私が住む自治体だけがこんな行政サービスをしてくれるのかしら?

 いえいえ、昨年11月に閣議決定したものでした。内閣府のホームページにはこんなことが書かれていました。

 エネルギー・食料品価格の物価高騰の影響を受けた生活者や事業者の支援を通じた地方創生を図るため、「デフレ完全脱却のための総合経済対策(令和5年11月2日閣議決定)」への対応として、地方公共団体が地域の実情に応じてきめ細やかに必要な事業を実施できるよう、令和5年11月に「物価高騰対応重点支援地方創生臨時交付金」(重点支援地方交付金)を創設するとともに、低所得世帯への支援のための「低所得世帯支援枠」を創設しています。
 また、令和6年度与党税制改正大綱のとりまとめと併せて成案を得た「低所得者支援及び定額減税を補足する給付」に対応するため、令和5年12月に「給付金・定額減税一体支援枠」及び「給付支援サービス活用枠」を創設しています。

 お役所の文書なので、大変読みにくいですねえ(失礼!)。交付金は補正予算を含めて、2兆6903億円。

 原資は国民の税金ですから、なあ~んだ、やはり、自分の支払った納税金が、自分の懐に戻って来たようなものです。

 これは、表裏の区別が出来ない連続面となる「メビウスの輪」みたいなものなのでしょうか? まあ、例えは悪いですが、お腹が空いた蛸が自分の足を食べて空腹を満たすようなものかもしれません。

 それとも、自分の投げたブーメランが返って来たようなものなのか? 「情けは人の為ならず」ということで、困った人を助けたお蔭で、逆に、自分が困った時に助けられたような話なのかもしれません。

 いずれにせよ、私自身は2月1日に早々、確定申告を済ませて、納税したお蔭だと思っています。目下、自民党議員の裏金問題で、「確定申告ボイコット」の波がSNS上で巻き起こっているらしいのですが、やはり、確定申告はした方が良いですよ。

 「正直者は得をする」世の中を造っていかなければなりませんから!

漢字を知らない私

 恥をさらします。

 仕事で、たくさんの地名や人名を扱っています。他人様の名前の中には吃驚するほど、今まで聞いたことも見たこともないお名前に遭遇したりします。例えば、祖母井(うばがい)さん、八月一日(ほずみ)さん、薬袋(みない)さんとかです。地名は、読めない漢字が多いのは沖縄や北海道に多いのですが、沖縄の豊見城村(とみぐすくそん)、北海道豊頃町の十弗(とおふつ)、青森県の鷹架沼(たかほこぬま)などがあります。まあ、何千件もありますから、キリがないのでやめておきます。

 私が取り上げたいのは、この年になるまで、間違って覚えていた漢字です。

 東京都葛飾区の「葛」です。「かつしかく」の「かつ」ですが、「くず」とも読みます。この漢字の下方に、周りに囲まれるようにして、「人」の文字が入っております。恥を忍んで申し上げますが、私は、ずっと、これは「人」ではなく、カタカナの「メ」だと思い込んで手書きでそう書いていたのです。

 その間違いに気が付いたのは、つい最近ですから、もう救いようがありませんね。それとも、「生涯勉強だ」と前向きに捉えることにしますか。

築地「魚竹」

 最近、驚いたお名前に、高橋胄さんというという方がいらっしゃいました。「胄」は「よつぎ」と読みます。この漢字は、理由の「由」の下に「月」を書きます。ところが、この「胄」に似た漢字に「冑」があります。こちらは、理由の「由」の下に「月」ではなく、月に似た、横棒がくっつかない字を当てます。実は、こちらの方が馴染み深い漢字で、甲冑(かっちゅう=よろいかぶと)の冑でした。

 逆に言いますと、甲冑の「冑」(かぶと)は、「胄」(よつぎ)ではないのです。

 新聞社や出版社にはこうした間違いを「発見」するお仕事があります。「校閲」とか「校正」とか呼ばれています。縁の下の力持ちで名前は出ませんが、なかなか大した仕事をされているのです。

 いくら大作家、文豪と呼ばれている人でも、校閲さんの影の支えがあってこそなのです。

今更ながら、外山滋比古著「新版 思考の整理学」を読んで

 新聞の広告で「東大&京大で一番読まれた本」「刊行から40年読み継がれて287万部 ロング&ベストセラー」の宣伝文句に惹かれて外山滋比古著「新版 思考の整理学」(ちくま文庫)を有楽町の書店で購入し、読んでみました。

 うーん、あまり、批判はしたくはないのですが、えっ?この本が40年も読み継がれて287万部も売れて、東大、京大で一番売れている本なの? というのが正直な感想でした。偉そうですね。

 40年も経てば、古典の名著と言えるのかもしれませんけど、この本の中で取り上げられたコンピューターの話はさすがに、パソコン時代を乗り越えた現代のスマホ優勢時代では、古びてしまっており、また、40年前なら「セレンディピティ」という言葉も新鮮で、斬新過ぎて、格好良い響きがあったかもしれませんが、その後、勝間和代さんが著書でかなり世間に浸透させて、今や少し聞き慣れ過ぎた言葉になってしまっています。

 読者感想文の中に「もっと若い時にこの本に出合っておけばよかった」というのがありましたけど、やはり、その通りです。若い人向き、特に大学の卒論を執筆しようとしている人向けに書かれているようなフシがあり、もう年老いた「手遅れ」の人が読んでも感動しないのは当たり前かもしれません(苦笑)。

 本を読めば、大抵、引用したい心に引っかかる文章があるものですが、この本で引用したいと思った箇所は、「思考の整理学」の本筋とは全く関係がない包丁を長持ちするための秘訣でした。包丁はさびやすく、直ぐ切れにくくなりますが、その対策としてこんなことが書かれています。

 使ったあと、湯に浸してから乾いたふきんでふいておけばいい。なぜそんな簡単なことが知られていないのか。一説によると、早く包丁をだめにした方が、買い換え需要が増えて業者の利益になる。長持ちさせる方法など教えるのは自分の首をしめるようなものだ、というのである。(185ページ)

 著者の文章は、新聞記事のようにセンテンスが短く、歯切れが良い。だから読みやすい。だから、売れてロング&ベストセラーになったのではないかと推測します。

 悔しかったらお前も、ロング&ベストセラーを書いてみろ、ということですか。

「マティス」展で作品の撮影が解禁! 著作権は大丈夫でしょうか?

 2月24日(土)に、東京・乃木坂の国立新美術館で開催中の「マティス」展を観に行って来ました。土曜日の午前中でしたが、意外と空いていました。5月27日まで開催されるので、皆さん余裕を持っていらっしゃるからでしょう。

 国立新美術館は本当に久しぶりです。10年ぶりぐらいかもしれません。ですから、行き方もすっかり忘れておりました。そしたら、地下鉄千代田線の乃木坂駅に直結していたのでした。

 でも、入場したら、あまりにも広大で何処に行ったら良いのか、訳が分からなくなりました。何しろ、マティス展だけでなく、他の会場では、多摩美術大学や日大芸術学部など東京の5大学の美術部の展覧会が同時に開催されていまして、私なんか3階にまで行ってしまい、迷子になってしまいましたよ。(マティス展は2階でした)

4×8メートルの切り紙絵「花と果実」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 フランスの画家アンリ・マティス(1869~1954年)に関しては、日本人も大好きですし、御説明するまでもないでしょう。フォーヴィズム(野獣派)の代表作家であり、「色彩の魔術師」の異名まであります。私も知っているつもりでしたが、若き頃、官立のフランス高等美術学校に入学できず挫折を味わっていたことまで詳しく知りませんでした。ただし、ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を受けることで才能が開花します。

 また、絵画だけでなく、生涯にわたって彫刻や切り絵も手掛け、ライフワークとして南仏ヴァンスにステンドグラスから壁画、礼拝台に至るまで「ロザリオ礼拝堂」を設計し、今展でその礼拝堂の一部が展覧されていました。

「ロザリオ礼拝堂」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 個人的な話ながら、最近、どうもメンタルが不調気味でしたので、「色彩の魔術師」の力によって煩悩を圧倒してもらおうと会場に足を運びました。2200円と入場料が高かったのですが、それだけの価値はあったと思いました。

 会場に足を運んで、一番驚いたことは、一部の作品が「撮影可能」だったことです。ですから、こうして、恐る恐る、一部写真を渓流斎ブログに掲載させてもらっています(もっと沢山撮影したのですが、ほとんど破棄しました)。

 何故、恐る恐るなのか、と言いますと、実は私は、もう30年も昔ですが、1990年代に美術記者をしていまして、当時、新聞にマチス(当時はマティスではなく、マチスでした)作品を取り上げて、その写真を掲載する際、かなり高額の著作権料を請求されたからでした。それで、マティス作品の著作権は大丈夫なのかなあ、と気になってしまったのです。

 そして、「そっかあ、マティスは1954年に亡くなっているから、没後50年の2004年で著作権は切れていたのかあ」と気付いたのです。しかし、話はそんな単純なものではなかったのです。例えば、海外の作家には「戦時加算制度」というものがあり、通常の著作権保護期間(50年間)に、第2次世界大戦の期間に相当する日数を加えることで、戦時中保護されていなかった著作権者の利益を回復する制度があるのです。マティスのフランスは、3794日(約10年5カ月)なので、50年ではなく、60年5カ月となります。

 となると、マティス作品は、2004年ではなく、2014年で著作権が切れたということになります。しかし、これでは安心できないようです。2018年に著作権法(TPP11協定)が改正され、1968年以降に亡くなった作家の著作権は、没後50年から没後70年まで延長されることになったからです。これにより、例えば、藤田嗣治画伯は、1968年に亡くなったので、これまで50年後の2018年まで著作権は保護されていましたが、改正により、70年後の2038年12月31日まで保護されることになったのです。

 さてさて、肝心のマティスさんです。繰り返しになりますが、2018年の著作権法改正に該当しない1954年に亡くなり、戦時加算を入れても、2014年には著作権が切れているはずです。しかし、フランス本国ではどういうわけか、マティスの著作権は切れておらず、「マティス財団」(著作者人格権)が管理しているというのです。彼らは、ミュージアムショップ等で売られるカップやバッヂなどのグッズに関して、いまだに制約しているといいます。

 私は著作権法に関しては素人なので、これ以上踏み込めませんが、今年2024年はマティス没後70年です。それで、展覧会の主催者さんは、会場の作品の撮影を許可したんじゃないかなあ、と判断しました。はい、間違った解釈でしたら、このブログに掲載した写真は全て取り下げますので、マティス財団さんの御見解も宜しくお願い申し上げます。

 (写真にも著作権があり、だから私が撮影した写真ですから、著作権は私にあるはずです。しかし、平面の絵画には写真の著作権がなく、立体の彫刻を撮影した写真なら著作権が有効になるとか、色々と複雑なようです。詳しい方、どうか御教授ください。)

 

”Ça ne fait rien” Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

先日、小生が作詞作曲した”Ça ne fait rien”という曲を、この渓流斎ブログにアップしました。唄もギターも下手くそなのに、どういうわけか、お二人の方から反響が御座いまして、嬉し恥ずかしで本人は気を良くしております。そこで、前回は日本語の歌詞でしたので、今回はフランス語の歌詞でアップしたいと存じます。

 勿論、強制でも何でもありませんから、「怖いもの聴きたさ」を感じている方だけ、肝試しでもしてみてください(笑)。今回は歌詞も掲載します。

”Ça ne fait rien” 

                     Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

1, Ah oui, je voudrais te dire.

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

2, Mais non, tu dois me dire.

Ça m’est égal. Ça m’est égal. Ça m’est égal.

※ Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive. Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive.

3, Eh bien, elle doit me dire.

Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr.

※ répétition

4, Tu m’a donné le meilleur amour

surtout pour moi surtout pour toi-même surtout pour tous

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

【大意】

 そうそう、君には言っておかなきゃ

 そんなこと大したことじゃないんだよって

 でも、君は僕に言うはずだ

 そんなことどっちでもいい、と。

 ※心配すんな 何があっても 心配すんな 何があっても 

 ところで、彼女は言うのさ

 勿論、やったわ、と。

 ※ 繰り返し

 君は最高の愛をもたらしたね

 特に僕に 特に君自身に 特に皆に

 まあ、大したことないけどね 大したことないさ