「図案対象」と戦没画学生・久保克彦の青春

WGT National Gallery copyright par Duc de Matsuoqua

8月は哀しい。

昨日6日は広島原爆忌、9日は長崎原爆と日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍による満洲侵攻(その後のシベリア抑留)。そして15日の終戦(敗戦記念日は、ミズーリ号で降伏文書を調印した9月2日)。

 あれから74年も経ち、戦争を直接体験した語り部が減り、テレビでは特集番組さえ消えつつあります。

 嗚呼、それではいけません。

 最近、ほんのちょっとしたきっかけで知り、感動し、興味を持った藝術作品として、東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、徴兵されて中国湖北省で戦死した久保克彦が遺した 「図案対象」 という7メートルを超す大作があります。

美術作品は、何百万語言葉を費やして説明しても実物を見なければ無理なので、ちょうど2年前の2017年8月にNHKの「日曜美術館」で放送された「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」をまとめたブログ(?)がありましたので、勝手ながら引用させて頂きます。

 これをお読み頂ければ、付け足すことはありません。

 私は、このテレビ番組は見ていません。「図案対象」を描いた久保克彦の甥に当たる木村亨著「輓馬の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春 」(図書刊行会、2019年6月20日初版)の存在を最近知り、興味を持ったわけです。

この「図案対象」はとてつもない前衛作品です。全部で5画面あり、抽象的な模様もあれば、戦闘機や大型船が描かれた具象画もあります。

久保克彦は23歳の時、東京美術学校の卒業制作としてこの作品を完成させましたが、2年後の25歳で中国大陸で戦死しており、作品についての解説は残しませんでした。

 しかし、その後、あらゆる角度から分析、解釈、照合、比較研究などの考察を重ねた結果、驚くべきことに、一見バラバラに見える事物の配置は、全て「黄金比」の法則に従って、整然と並べられていたことが分かったのです。

 黄金比というのは、人間が最も美しいと感じる比率のことで、それは、1:1.618…だというのです。

 この黄金比に沿って建築されたのが、古代ギリシャのパルテノン神殿や古代エジプトのピラミッド、パリの凱旋門、ガウディのサグラダファミリア大聖堂などがあり、美術作品としては、ミロのビーナスやレオナルド・ダビンチの「モナリザ」などがあります。

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 私は、黄金比については、映画化もされたダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」を2004年に読んで初めて知りましたが、結構、身近に使われていて、クレジットカードや名刺などの縦横比も「1:1.16」と黄金比になっているようです。

 それに、今何かとお騒がせのGAFAのグーグルやアップルのロゴもしっかり黄金比を使ってデザインされております。ご興味がある方は、そういうサイトが出てきますのでご参照してみてください。

 久保克彦が、黄金比を使って「図案対象」を制作したのは昭和17年(1942年)のこと。戦死しないで旺盛な創作活動を続けていたら、「ダビンチの再来」という評価を得ていたかもしれないと思うと、実に哀しい。

 

700年の歴史を誇る王子田楽

 気温34度。暑過ぎる毎日が続き、溶けそうです。

 8月4日(日)、東京・北区の王子神社で、700年もの伝統を誇る「王子田楽」が開催されるというので初めて観にいきました。

 北区教育委員会によると、「王子田楽」とは、王子神社の例大祭に伴って神前に奉納される躍りのことで、始まりは鎌倉時代にまで遡るといわれるそうです。

 一般的に田楽舞は、「五穀豊穣」を祈念するのに対し、王子田楽の躍りは「魔事災難除け」を祈願するという大きな特徴があります。

 戦前には、舞童の花笠が観衆の頭上に投げられ、それを縁起物として奪い合う「喧嘩祭り」としても知られていたそうです。

王子という土地に深く根付いていた田楽は、戦争中の昭和19年(1944年)から途絶えてしまいましたが、昭和58年(1983年)に地元の人々の熱意と努力により復興しました。その後、毎年奉納されるようになり、昭和62年(1987年)には北区の「指定無形民俗文化財」に指定されています。

 田楽を舞うのは、北区内の小学校に通う選ばれた小学生です。1年間、熱心に稽古をしたそうです。

 色鮮やかな花笠と衣装を身に着けて厳かに舞う姿を観ると、時空を越えて、700年前のご先祖さまが味わった同じ気持ちに触れる気がしました。

王子は、江戸中心から離れた郊外で、将軍様の鷹狩りの地だった飛鳥山に桜を植えて庶民に開放されたことから浮世絵にも描かれる土地でした。

 江戸中心の浅草の三社祭や神田明神の神田祭などは、数万、数十万規模の群集が押し寄せるでしょうが、王子神社の祭りは、数百人規模といった感じです。(主催者発表は取材していません=笑)

 御神輿のわっしょい、わっしょい、も凄い群集に見えますが、このように、目の前で、神輿を担ぐ人たちと同じ気分で観ることができました。

やっぱり、日本人、夏は祭りですね(笑)。

孔子を心もとない人物として描く「老子・列子」を読む

高野山 親王院 

中国古典シリーズ「中国の思想」の中の「老子・列子」(徳間書店)を読んでいます。

「老子」は老聃(ろうたん)の説を記した書物ですが、この老聃という人物については不明なことが多いようです。楚の国の出身で、本名は李耳、字は伯陽、おくり名が聃。周の守蔵室の役人を務め、道と徳の説を5000余言の文章に残して、周の国を去り、その最期は誰にも分らず、160歳まで生きたとも200歳まで生きたとも言われています。(司馬遷「史記」)

 老聃は孔子に教えを授けたことでも有名であることから、道家が儒家に対して優越性を示すために、老子とは、「荘子」を書いた荘周による創作人物ではないかという説もあるそうです。

 後から弟子たちが付け足したという説もありますが、色々差し引いても、後世の人間としては学ぶべきことが多いのは確かです。

 老子の思想を一言で言えば、物事に対して、意気込むことなく「無為自然」に任せよ、ということになるでしょう。これは、隠遁者的思想ではなく、常に内省し、冷徹な批判精神を持てということです。

 ざっと読んでみますと、人の道や道徳を説く言葉が多く、ほとんどエピソードがなく、どちらかと言えば堅苦しい書物でした。驚いたことには、日本では神様のように崇められている孔子を、学に秀でているわけでもなく、心もとない人物として描いていることでした。(「列子」にも「物を知らない孔子」の話がある)

 文化大革命の際に、「批林批孔」のスローガンがあったように、中国では儒教や孔子が日本ほど(例えば、渋沢栄一のように)神格化されていないのではないかと思いました。

 解説によると、老子の孫弟子に当たると言われる列子は、文化大革命を発動した毛沢東が大変評価した思想家らしいので、それで、毛沢東が孔子を批判する理由が少し分かった気がしました。

 「列子」は「老子」と比べて堅苦しいところはなく、逸話が満載されて読みやすいです。「杞憂」の語源になった話もこの「列子」に出てきます。

日本人のモラル低下を嘆く=かんぽ生命の不正販売で

 日本郵政グループ、かんぽ生命の不適切販売のニュースに接するにつけ、日本人のモラル(道徳心)はどこに消えてしまったのか、と疑いたくなり、腹が立ってきました。

 ノルマ達成のために、保険料を二重に徴収したり、病気が見つかると契約を解除して保険金を支払わなかったケースもあったらしく、企業ぐるみの組織的な詐欺犯罪としか言いようがありません。

 被害に遭った方々が当初9万件だったのが、18万件に増え、さらにもっと増えることが予想されています。最も許しがたいのは、80歳代や90歳代の高齢者で、しかも自己判断のできない認知症を患っている人に対して、強引ともいえる手法で何度も解約と新規契約を繰り返させて、2000万円もの高額の保険料をせしめていた事案があったことです。新規契約させればそれだけ手数料が入り、ノルマが達成できる仕組みだからです。

 今回の最高責任者である日本郵政の長門正貢社長なんぞは「きっちりお客様のサインをいただいている案件ばかりなので、何か法に反するようなルール違反をやったとは考えていない」と最初はすっとぼけていました。

 「お客様のサイン」というのは曲者で、契約の際に、タブレット上に電子ペンでサインさせると、そのサインはずっとたらい回しで、色んなところで使えてしまえるらしく、認知症になった人が自分が契約したつもりもないのに、勝手にこのサインを使って契約させられていたと思われます。

 こんなことは不適切行為どころか、犯罪ですよね。それなのに、張本人たちには重い罰は科せられないでしょう。何しろそんな悪いことをする奴はいなかったから法律が追い付いていないんでしょう。

 昔は親や教師から「お天道様が見ているよ」と諭され、誰も見ていなくても自己を律して、悪の誘惑には負けたり、怠けたりしないように訓練したものでした。

奥之院 上杉謙信廟

 先月末に放送されたNHKスペシャル「半グレ 反社会勢力の実像」では、外見からしてその筋の者と分かる犯罪者ではなく、優秀な京都の大学生が、クラブか同好会感覚で、女の子を弄んで、挙句の果てには借金返済名目で風俗業界に売り飛ばしてしまう行為を重ねていたことには驚かされました。

 その学生は逮捕されるわけではなく、悪いことをしたという気持ちはある、と言いながらも、「コミュニケーション力が身に付いた」と嘯き、一流企業に就職して生かしたいとまで言ってのけました。半グレ集団に参加して捕まった連中も、執行猶予で保釈され、被害に遭った女性は「罪が軽過ぎる。許せない」と嘆いていましたが、まさに泣き寝入りするしかない状態でした。

 今の日本は、政治家も教育者も警察官までもモラルが低下して、不祥事のニュースばかり聞かされます。いっそ、子どもたちには、日本は悪が蔓延り、弱肉強食の世界になっているから、他人を信用してはいけない。油断をすれば騙されるよ、と教えるべきなのかもしれません。

政府と吉本興業との関係は如何に

与太郎 ご隠居さま、御無沙汰しちまってます。

ご隠居 お、与太か、ま、こっちに入(へえ)んな。何かあったんかい?

与太郎 いえ、ね、最近の巷で騒ぎになってるお笑い芸人と芸能事務所とのいざこざ、何で、世間はそんなに騒ぐのか、ちっとも分かんねえもんで…。

ご隠居 吉本興業の話かえ? そりやあ、あったぼうよ。他人事じゃねえからよ。俺たちの懐も痛む話だってえことよ。

与太郎 えっ? それは一体、どういうこって?

ご隠居 まったく、お前さんも、相変わらずおめでたいねえ。安倍政権が2013年につくった官民ファンド「クールジャパン機構」を聞いたことないかい?政府、つまり元を正せば我々の税金がこの機構に約586億円出資されいるんじゃが、2014年と18年には吉本興業が関わる事業に計22億円を投入されちょるんだよ。今年は、吉本興業がNTTと組んだ教育と称する事業に対して、段階的に最大100億円を出資することまで決まっちょる。教育ったって、 何やら、吉本は、沖縄にアミューズメント施設を作って、お笑い芸人を出演させるらしいよ。

与太郎 へー、そうだったんすか。

ご隠居 安倍首相が吉本新喜劇の連中を官邸に呼んで、選挙前の人気取りに利用したりしたのを、お前さんは知らなかったのかい?

与太郎 あら、そう言えば、時の最高権力者の吉本への接近ぶりは異常でしたよね。

ご隠居 そう、つまり、吉本興業は、単なる一(いち)民間のお笑い芸能事務所というわけじゃないんだよ。それは支那事変(日中戦争)勃発後の昭和13年(1938年)に、国家事業として中国大陸に派遣した戦地慰問演芸団 「わらわし隊」のように、政府との結びつきは吉本の伝統でもあるわなあ。

与太郎 さすが、ご隠居、よく御存知で。

WGT National Gallery

ご隠居 知らないのはお前さんぐらいだよ。それより、今の政権ほど、文化事業に介入している与党政権はないんじゃないか。道徳教育と国家主義を標榜する右翼雑誌にも政府資金が流れているという噂じゃないか。

与太郎 ほんとですか?

ご隠居 単なる噂だけど、政治家指導による国民の税金の使い道は、納税者である国民自身がしっかり見届ける義務があるんじゃないかい?

与太郎 そう言えば、こないだ7月の参院選投票率はたったの48・80%で、24年ぶりに50%割ったらしいじゃないですか。日本人の政治意識の貧困さが表れているんじゃないすか?

ご隠居 おや、お前さんにしてはよく知ってるね。見上げたもんだよ。

与太郎 えへへへ、瓦版にそう書いておりやんした。受けおりっすよ(笑)。

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宗教サイトを検索していたらお墓の宣伝ばかり溢れる

 高野山金剛峰寺

高野山にお参りしたおかげで真言宗に興味を持ち、手始めに真言密教についてネットで検索したら、大変詳しいサイトが見つかりました。これはいい、大変勉強になる、と思いました。

 密教ですから、本来ですと、秘密の教えですから、厳しい修行を乗り越えた僧侶のみに口伝されるものなのですが、このサイトでは、密教経典である「理趣経」の詳細な解説から、印の結び方、梵語での真言の唱え方、瞑想法、聖地、そして雑学に至るまでありとあらゆることが網羅されていて、「これは凄い」とプリントアウトして読み始めたのでした。

奥之院

 そのうち、このサイトの解説の中で「空海の弟子円仁」(円仁は最澄の弟子で、第3代天台座主=慈覚大師)といった明らかな間違いが気になり始め、一番、気になったのは、あなたに取り付いている悪霊を祓う「除霊」として、「一般の人がやるのは危険で、供養法については秘伝なので、なかなか教授はできない。しかし、○○宗が、あなただけ特別に、除霊をすることができます。その際には○○宗本部宛に、実費と寸志等で計6000円をお送りください」とあるではありませんか。

 「6000円で除霊ができるなら安いもんだ」と思われる方もいるかもしれませんが、この宗派は、教祖に前科歴があり、正統派からは「邪宗」と糾弾されている宗派です。当初、「とても勉強になるいいサイトだなあ」と思っていましたが、これでいっぺんに醒めてしまい、他のページに書かれている立派なことも信頼できなくなりました。

 とにもかくにも、ネット上には色んな宗教サイトがアップされています。「邪宗」「邪教」と名指しで非難されている新興宗教も、芸能人や政財界の大物を導入し、見かけだけは素晴らしく、清廉潔白で神聖で厳かな雰囲気が漂っています。

◇宗教とメディアには親和性

 そもそも、不特定多数の信徒を相手にする宗教とメディア(ネットも含む)とは親和性があります。多くの宗教が紙媒体を発行しておりますが、ラジオの文化放送が、フジサンケイ・グループだと知っていても、もともとは、聖パウロ修道会が1951年、カトリック布教を目的に設立した「日本文化放送協会」が前身であることを知っている人は少ないと思います。聖パウロ修道会は、現在も文化放送の最大の株主で、日曜早朝に宗教番組がありますが、普段の聴衆者は、誰も気が付かないでしょう。(蛇足ながら、これは例えばの話で、決して非難しているわけではありません)

 オウム真理教による事件が起きてから、日本人は宗教に対して一種のアレルギーができてしまった気がします。私も、全財産を教団に寄付、もしくは布施を余儀なくなれた友人の祖母の話などを聞くに付け、特に新興宗教に対して恐ろしさを感じます。

 ですから、私自身は、他人様に宗教を強要するつもりは毛頭ありません。自分自身も、ある特定宗教団体に入会することはありません。ただ、自分は弱い人間ですから、精神の安定のために、御先祖さまの供養のために、そして子孫の繁栄のために、宗教、私の場合は、仏教の力をお借りするつもりです。「お前は、頭でっかちの智識だけで修行が足らん!」と和尚さんに渇を入れられると思いますが。。。

 ということで、最近、宗教のサイトばかり検索していたら、パソコンに病的に取り付くバナー広告が、寺院のお墓や墓石の宣伝ばかりになってしまいました。

 勘弁してくれい!!

意外に多い仏教系大学

 先日、高野山にお参りした際に泊まった宿坊「天徳院」の直ぐ近くに高野山大学があり、天徳院の若い住職さんも歩いて通ったらしく、大学と宗教の関係に興味を持ちました。

 高野山大学は、もちろん、空海が開いた真言密教を学ぶ大学で、835年(承和2年)に朝廷より真言宗後継者育成制度を認定されたことに始まりを持つと言われています。世界で最も古い総合大学は、イタリアのボローニャー大学(1088年)と聞いたことがありますから、凄いですね。

 空海は、828年(天長5年)に、貴族だけでなく、庶民にも開放して京都に綜藝種智院(廃校したものの、戦後に種智院大学として継承)を創設しており、日本で最も古い教育機関かなと思いましたが、 聖徳太子が 推古元年(593年)に 、仏教を学ぶ場として創建した四天王寺敬田院(きょうでんいん)があり、これが現在の四天王寺大学に発展したとも言われています。

 さて、空海の最大のライバル(?)といえば、最澄ですが、最澄が開いた天台宗比叡山延暦寺は宗教大学の総本山みたいなところで、ここで学んだ僧侶の中には、天台宗の基礎を築いた円仁をはじめ、融通念仏宗の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮ら多くの宗派の開祖を輩出していることからも分かります。

高野山 奥之院

 しかし、現在存在するその天台宗系の大学はほとんどなく、大正大学ぐらいなのです。大正大学は、私の出身大学のすぐ近くにあったので、よくキャンパスに入ったことがあります(教室はありませんが)。 落ち着いた雰囲気で、学生数も少なく、仏教系の大学だということは知っていましたが、宗派は知りませんでした。

大正大学は大正15年(1926年)、天台宗、真言宗豊山派、浄土宗の三宗の連合大学として創立します。 昭和18年(1943年)に智山専門学校も合併して、真言宗智山派も加わります。また、最近では、時宗も加わったようです。

 初代学長は、文部官僚で、東北帝大、京都帝大の総長も歴任した澤柳政太郎。「随時随所無不楽」(随時随所楽しまざる無し) が彼のモットーでしたね。大正大学出身者に、浄土宗宗務総長も務めた作家の寺内大吉がおります。

 仏教系大学はかなり多くありますが、一番有名なのは、親鸞の浄土真宗系大学でしょう。京都にある龍谷大学は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、大谷大学は、真宗大谷派(東本願寺)で、全国に○○大谷大学も結構あります。

太田道灌像=芳林寺(さいたま市岩槻区)

 意外と知られていないのは、東京の駒澤大学が道元の曹洞宗系の大学だということです。起源は、天正20年(1592年)に駿河台の吉祥寺内に設けられた旃檀林学寮にまで遡ることができるといいます。この吉祥寺を創建したのが、かの太田道灌公で少し驚いてしまいました。江戸時代に入り、明暦の大火で今の駒込に移転しました。横浜の鶴見大学も、総持寺系の曹洞宗の大学です。

◇花園大学、妙心寺の算盤面

 京都の花園大学は、臨済宗の妙心寺派ですね。 明治5年(1872年)、境内に創設された旃檀林学寮にまで遡ると言われています。

 いつ誰が言ったのか定かではありませんが、京都の臨済宗の禅寺について、「妙心寺の算盤面、建仁寺の学問面、南禅寺の武家面、東福寺の伽藍面、相国寺の声明面、大徳寺の茶面」という格言(?)があります。

  妙心寺が何故「算盤面」と言われるのか、諸説あるようですが、国内にある臨済宗寺院約6000カ寺のうちの半数以上が妙心寺派の寺院で、財政的に厳しく、倹約と合理化に努めたから、らしいのです。

 日蓮宗系の大学には立正大学などがあります。

 天理大学や創価大学など、新興宗教系の大学もかなりありますが、小生の力及ばず、この辺でやめておきます。

失われた時を求めて=見つかった?高悠司

国立国会図書館

 久しぶりに東京・永田町の国会図書館に行って来ました。病気をする前に行ったきりでしたから、もう5年ぶりぐらいです。当時、ゾルゲ事件関係の人(ドイツ通信社に勤務してゾルゲと面識があった石島栄ら)や当時の新聞などを閲覧のために足繁く通ったものでした。

 今回、足を運んだのは、自分のルーツ探しの一環です。私の大叔父に当たる「高悠司」という人が、東京・新宿にあった軽劇団「ムーラン・ルージュ新宿座」で、戦前、劇団座付き脚本家だったらしく、本当に実在していたのかどうか、確かめたかったのです。

 高悠司の名前は、30年ほど前に、亡くなった一馬叔父から初めて聞きましたが、資料がなく確かめようがありませんでした。正直、本当かどうかも疑わしいものでした。

表紙絵は松野一夫画伯

 それが、最近、ネット検索したら、やっと「高悠司」の名前が出てきて、昭和8年(1933年)5月に東京・大阪朝日新聞社から発行された「『レヴュウ號』映画と演藝 臨時増刊」に関係者の略歴が出ていることが分かったのです。今回は、その雑誌を閲覧しようと思ったのです。

 最初は、雑誌ですから、「大宅壮一文庫」なら置いてあるかなと思い、ネット検索したらヒットしなかったので、一か八か、国会図書館に直行してみました。 

 何しろ5年ぶりでしたから、パスワードを忘れたり、利用の仕方も忘れてしまいましたが、「探し物」は、新館のコンピュータですぐ見つかりました。何しろ86年も昔の雑誌ですから、実物は手に取ることができず、館内のイントラネットのパソコン画面のみの閲覧でしたが、申請したら、コピーもしてくれました。カラーが36円、白黒が15円でした。

 国会図書館内では、一人で何やらブツブツ言っている人や、若い係の人に傲岸不遜な態度を取る中年女性など、ちょっと変わった人がおりましたが、税金で運営されているわけですから、多くの国民が利用するべきですね。

「 レヴュウ號」目次

 7月26日に発売され、同日付の産経新聞に全面広告を打っていた「月刊 Hanada」9月号には「朝日新聞は反社会的組織」という特大な活字が躍り、本文は読んでませんが、これではまるで朝日新聞社が半グレか、反社集団のようにみえ、驚いてしまいました。右翼国粋主義者の方々なら大喜びするような見出しですが、戦前の朝日新聞は、こうして、政治とは無関係な娯楽の芸能雑誌も幅広く発行していたんですね。

 とはいえ、この雑誌が発行された昭和8年という年には、あの松岡洋石代表が席を立って退場した「国際連盟脱退」がありましたし、海の向こうのドイツでは、ヒトラーが首相に就任した年でもありました。前年の昭和7年には、血盟団事件や5・15事件が起こっており、日本がヒタヒタと戦争に向かっている時代でした。

 そんな時代なのに、いやそういう時代だからこそ、大衆は娯楽を求めたのでしょう。このような雑誌が発売されるぐらいですから。

 目次を見ると、当時の人気歌劇団がほとんど網羅されています。阪急の小林一三が創設した「宝塚少女歌劇」は当然ながら、それに対抗した「松竹少女歌劇」も取り上げています。当時はまだ、SKDの愛称で呼ばれなかったみたいですが、既に、ターキーこと水ノ江滝子は大スターだったようで、3ページの「二色版」で登場しています。

 残念ながら、ここに登場する当時有名だった女優、俳優さんは、エノケン以外私はほとんど知りません。(先日亡くなった明日待子はこの年デビューでまだ掲載されるほど有名ではなかったみたいです)むしろ、城戸四郎や菊田一夫といった裏方さんの方なら知っています。

 面白いのは、中身の写真集です。(「グラビュア版」と書いてます=笑)「悩ましき楽屋レヴュウ」と題して、「エロ女優の色消し」とか「ヅラの時間」などが活写されています。それにしても、天下の朝日に似合わず、大胆で露骨な表現だこと!

 43ページからの「劇評」には、川端康成やサトウハチロー、吉行エイスケら当時一流の作家・詩人も登場しています。

レヴュウ関係者名簿

 巻末は、「レヴュウ俳優名簿」「レヴュウ関係者名簿」となっており、私のお目当ての「高悠司」は最後の54ページに掲載されていました。

 高悠司(高田茂樹)(1)佐賀縣濱崎町二四三(2)明治四十三年十一月三日(3)ムーラン・ルージュ(4)文藝部プリント(6)徳山海軍燃料廠製圖課に勤め上京後劇團黒船座に働く(7)四谷區新宿二丁目十四番地香取方

 やったー!!!ついに大叔父を発見しました。

 一馬叔父からもらった戸籍の写しでは、大叔父(祖父の弟)の名前は、「高田茂期」なので、ミスプリか、わざと間違えたのか分かりませんが、出身地と生年月日は同じです。(4)の文藝プリントとは何でしょう?同じムーラン・ルージュの伊馬鵜平(太宰治の親友)はただ文藝部とだけしか書かれていません。(5)は最終学歴なのですが、大叔父は、旧制唐津中学(現唐津西高校)を中退しているので、わざと申告しなかったのでしょうか。

 (6)は前歴でしょうが、徳山海軍燃料廠の製図課に勤めていたことも、劇団黒船座とかいう劇団に所属していたことも今回「新発見」です。 確か、大叔父は、旧制中学を中退してから佐賀新聞社に勤めていた、と一馬叔父から聞いていたのですが、その後、「職を転々としていた」一部が分かりました。

 (7)の香取さんって誰なんでしょうか?単なる大家さんなのか、知人なのか?新宿2丁目も何か怪しい感じがしますが(笑)、ムーラン・ルージュまで歩いて行ける距離です。想像力を巧みにすると面白いことばかりです。

いずれにせよ、この雑誌に掲載されている当時あったレビュー劇団として、他に「ヤパン・モカル」「河合ダンス」「プペ・ダンサント」「ピエル・ブリヤント」などがあったようですが、詳細は不明(どなたか、御教授を!)。「ムーラン・ルージュ」の関係者として6人だけの略歴が掲載されています。そのうちの一人として、天下の朝日新聞社によって大叔父高悠司が選ばれているということは驚くとともに、嬉しい限りです。

繰り返しになりますが、大叔父高悠司こと高田茂期は、ムーラン・ルージュを辞めて、満洲国の奉天市(現瀋陽市)で、阿片取締役官の職を得て大陸に渡り、その後、徴兵されて、昭和19年10月にレイテ島で戦死した、と聞いています。33年11カ月の生涯でした。

遺族の子息たちはブラジルに渡り、その一人はサンパウロの邦字新聞社に勤めていたらしいですが、詳細は分かりません。

この記事を読まれた方で、高悠司について他に何かご存知の方がいらっしゃっいましたら、コメントして頂けると大変嬉しいです。ここまで読んで下さり感謝致します。

「テレビに出る事は不安に押し潰され、自分を追い詰めること」=島田紳助さん激白

高野山「不動堂」

 ここ最近続いている一連の「吉本騒動」について、昨日発売の「週刊新潮」8月1日号が「独占激白『島田紳助』大いに嘆く!『親と子のケンカに弁護士が入ったらアカン!』『宮迫博之』『田村亮』造反劇へのやるせない悲憤」と題して特集しておりました。この記事の中で、広域暴力団幹部との交際が明るみに出て芸能界を引退(2011年8月、えっ?もう8年前!?)した元吉本興業の島田紳助さん(63)が内部事情を激白していました。

 島田さんが後輩芸人に対して何と言ったか、についてはこの記事を読んでいただくとして(見出しだけでも分かります=笑)、私が注目したのは、島田さんが自身の芸能界復帰について、どんな発言をするかでした。

島田さんは、こんなふうに言ってます。

「そろそろテレビに出たいやろ、て言うてくるけど、そんなん、出たいわけがない。もういっぺん頑張らなあかんやんか。1年以上リハビリしないと無理ですわ。テレビに出る言うことは、不安に押し潰されながら、とことんまで自分を追い詰める。それを繰り返していると、ノイローゼみたいになってまうよ」

 いやあ、これを読んで深く考えさせられました。紳助さんほどの大ベテランで、何ら怖いものが一切ない自信家に見えても、テレビに出ることは相当な覚悟が要り、プレッシャーと闘い、不安に襲われていたことが分かり、意外だったのです。

 考えてみれば、「目立ちたい」とか「有名人になりたい」とか、ヒトには功名心とか、自己顕示欲は誰にでも持ち合わせていても、テレビに出れば、顔や名前が割れるだけでなく、住まいや家族構成までプライバシーも筒抜けで、酔っ払って醜態を晒すわけにはいかず、暴漢に襲われる危惧がなきにしもあらずで、平穏無事に安心して暮らせるとは限らなくなります。

 それでも「目立ちたい」「スターになりたい」というヒトに限って、そして何よりも大スターになったヒトに限って、必ずと言っていいくらい、家庭的に複雑だったり、生い立ちが不幸だったりします。まず、普通の平凡で幸せなサラリーマン家庭で育った大スターは皆無に近いです。

 汚泥に咲く蓮の花が綺麗なのと同じです。大衆に憧れや希望をもたらすスターのオーラが輝かしければ、輝かしいほど、指す影は深く暗いのです。(他に色々とあるのですが、これ以上は茲に書きません)

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 島田紳助さんの発言が載った同じ週刊新潮に、東映の大スターだった菅原文太の評伝が連載されていましたが、文太さんも幼少のとき両親が離婚するなど複雑な家庭で育ったことが描かれていました。(父親は河北新報の記者だったのに、画家を目指して退職して離婚)

 もう一人、真逆で、7月18日に起きた(ワイの誕生日やないけ!)悪名高い「京都アニメーション」放火殺人事件の青葉真司容疑者(41) の生い立ちもこの週刊誌に書かれていましたが、やはり、想像した通り、かなり複雑な家庭環境で育っていました。(両親は離婚し、父親に引き取られるも、タクシー運転手だった父親は事故を起こして廃業し自殺)勿論、複雑な環境に育ったからということで、犯罪を犯すとは限らないわけで(逆は真ではない)、彼に情状酌量はなく重罰に処すべきだとは思いますが。

 ということで、昨日発売された週刊誌のことを書きましたが、昨日このブログに書かなかったのは、「ブログの読者を増やしたい」という自分の浅ましさが昨日はつくづく嫌になったからでした。

 それに、島田紳助さんではありませんが、ブログを書くことによって、「不安に押し潰され、自分が追い込まれる」気分になることがあるのです。私自身、なるたけ自分の顔と諱(いみな)を出すことを避けていますが、不特定多数向けに書いてますから、因縁をつけようと思えば、できなくもありませんし、私のプライバシーを調べ上げて、考え方が違うという単純な理由で襲撃することもできます。

ま、考え過ぎかもしれませんが。

元祖アイドル明日待子さんの訃報に接して

 本日、戦前から戦後にかけて「元祖アイドル」と言われた女優明日待子(あした・まつこ、本名須貝とし子、1920~2019年)さんの訃報に接しました。享年99。

 何よりも、まだご健在だったことに驚き、叶わぬことでしょうが、もしその事実を知っていたなら、生前にお話を伺いたかったなあ、と思いました。

 私が彼女の名前を初めて聞いたのは、30年ほど前です。戦前から戦後にかけて新宿にあった大衆劇場「ムーランルージュ新宿座」(1931~51年)の看板女優だったという話を佐賀の一馬叔父(父親の弟)から聞いたことでした。最初聞いた時は、随分変わった分かりやすい芸名だなあ、ということぐらいで、それ以上はどんな女優だったのか知る由もありませんでした。

 当時、一馬叔父さんは自分の九州の高田家のルーツ探しに非常に熱心で、戸籍やら曾祖父が残した書き物などを元に系図を作ったりして、コピーも送ってくれました。その中で、叔父の叔父に当たる高田茂期(私から見て祖父の弟に当たる大叔父)が、昭和7~8年に、このムーランルージュで座付き脚本家として活動したことがあり、ペンネームとして「高悠司」という名前を使っていたという話を聞いたのです。

 しかし、当時は今ほどネットに情報が溢れていたわけではなく、知る由もなく、「高悠司」という人がいたかどうかも不明でした。当時、私は演劇担当の記者をしていたため、その折に知遇を得た演劇評論家の向井爽也氏(古い民家の絵を描く著名な向井潤吉画伯の長男で元TBSのディレクター)に、高悠司について伺ってみると「聞いたことないなあ」と一言。その代わり、ムーランルージュ関係の本を1冊紹介してもらいました。その本のタイトルは忘れましたが(笑)、勿論、高悠司の名前などありませんでした。

WT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua  明日待子さんの写真が著作権の関係で使えないので、リンク先でご参照ください。

 それが、最近、ネットで検索したところ、高悠司の名前が2件ヒットしたのです。1件は、大恥を晒しますが、私が2006年5月28日の《渓流斎日乗》に書いた記事(笑)。もう1件は、1933年に東京朝日新聞社から発行された「レヴュウ號」映画と演芸・臨時増刊(54ページ、50銭・26x38センチ判)の索引の中に出てきたのです。名前だけですが、有馬是馬 、春日芳子といった俳優のほかに、関係者(座付き作家?)として伊馬鵜平(太宰治の親友としても有名)、斉藤豊吉らとともに高悠司の名前が並んでいたのです。

 嗚呼、今は亡き叔父の言っていたことは本当だったんだ!実在していたんだ!と感激しました。いつか、この雑誌を国会図書館が何処かで閲覧させてもらおうかと思いました。

 さて、ウイキペディアの「ムーランルージュ新宿座」によると、明日待子さんは、上に出てきた俳優の有馬是馬に発掘されて1933年に入団、とあります。昭和7(1932)~同8(1933)年頃に在籍した大叔父高悠司と接点があったかもしれません。明日待子さんが存命と知っていたら、その辺りを聞いてみたかったのです。(一馬叔父の記憶では、高悠司は当時、湘南地方で起きた事件を題材に脚本を書いたところヒットして、二カ月のロングランになったらしい。また、彼はヴァイオリンも演奏したらしいですが、真相は不明です)

 明日待子さんは、デビューすると瞬く間に人気アイドルとなり、カルピスや花王石鹸、ライオン歯磨きなどの宣伝ポスターに引っ張りだこ。原節子、李香蘭と並ぶ「元祖アイドル」と言われる所以です。

 ムーランルージュには、座付き作家として、吉行淳之介のご尊父吉行エイスケや龍胆寺雄ら、俳優歌手には、左卜全、益田喜頓、由利徹らも関わっていたんですね。戦後生まれの私は勿論知りませんが、ボードビル風の軽喜劇もやっていたことでしょう。

◇ルーツ探し

 大叔父高悠司こと高田茂期の消息については不明な部分が多いのですが、旧制佐賀県立唐津中学(現唐津東高校)を中退し、佐賀新聞社に勤務。その後、兄である私の祖父正喜(横浜で音楽教師をやっていた)を頼って上京し、職を転々とした挙句にムーランルージュで脚本家の職を得たようです。そして、何かのツテがあったのか、そのムーランルージュも辞めて満洲に渡り、奉天市(現瀋陽市)で阿片取締役官の職に就き、その後、徴兵され、昭和19年10月のフィリピン・レイテ島戦役(フィリピンで俘虜となり、レイテ島に収容された大岡昇平の「レイテ戦記」に詳しい)で戦死したと聞いています。享年33。

 長らく自分の「ルーツ探し」はサボって来ましたが、また復活したいと思っています。