「文化学院」は参謀本部の謀略放送拠点として接収されていた

10月なのに、秋の気配がなく、30度を超える真夏日が続いてます。

 昨日は、インテリジェンス研究所(山本武利理事長)と早大20世紀メディア研究所共催によるインテリジェンス見学ツアーに公認記者(笑)として潜入し、その後のセミナーと懇親会にも参加してきました。

どなたでも参加できるのに、参加者は25人ほどで年配者が多かったです。

見学場所は、東京・御茶ノ水にあった「駿河台技術研究所」(偽装用の表看板)です。陸軍参謀本部が昭和18年から敗戦まで、連合国の捕虜や日系人から抜擢した人を使って、米兵らに厭戦、反戦運動を盛り上げる謀略工作として、英語のラジオ放送番組(ニュースやドラマなど)を制作した拠点(駿河台分室)でした。

「東京ローズ」が活動した場所と言えば分かりやすいかもしれません。(インテリジェンス研究所の則松久夫理事の論考によると、東京ローズは日系二世のアイバ・戸栗・ダキノ(1916〜2006)が最も有名ですが、東京ローズは、他にも複数いたようです)

駿河台分室は、もともと、文化学院の校舎を、陸軍が接収したのでした。駿河台の明治大学本校舎の閑静な裏手にありますが、こんな所にあるとは思いませんでした。文化学院は、和歌山県新宮市出身の教育者で、建築家、画家、詩人でもある西村伊作らが、大正10年(1921年)に創立したもので、与謝野鉄幹・晶子夫妻や芥川龍之介、佐藤春夫、山田耕筰、有島生馬ら当時の一流の文化人を講師に招聘し、1923年の関東大震災で校舎は焼失しましたが、昭和12年に西村伊作設計の独特のアーチを持った新校舎が再建されました。(個人的ながら、切羽詰まって2000年に熊野古道を巡礼し、熊野本宮大社などをお参りして、新宮に出て、市内にあった「西村伊作記念館」に入り、初めて彼の業績を知りました)

昭和18年に、自由主義者の西村伊作は不敬罪で逮捕され、文化学院は閉校となり、校舎を陸軍が接収したわけです。

戦後、復興した文化学院は、杉本苑子、山東昭子、十朱幸代、前田美波里、寺尾聡といった作家や俳優らを卒業生として輩出してます。(戦前、あの入江たか子も入学してました)

米軍の爆撃の難を逃れた文化学院の駿河台校舎では、昭和30年代は、同じ駿河台で戦災に遭った仏語学学校「アテネ・フランセ」(1913年創立)が仮校舎として同居していたそうです。

今現在は、面白いことに、衛星放送のBS11(ビックカメラの出資会社)の本社として使われておりました。参謀本部のような謀略放送はしてませんが(笑)、放送局として再利用しているとは、奇遇というか、何かの因縁を感じでしまいました。

惜しむらくは、ニュースにもなりましたが、2014年に両国にキャンパスを移転した文化学院は、今年18年3月で、本当に閉校してしまいました。ネット上では「駿河台の土地が乗っ取られた」などと色々と書かれておりますが、今回は、趣旨が違うので、これ以上は追及しません。

所長室などがあった2階

見学ツアーの案内人で、午後の講演会「参謀本部の謀略放送」の講師も務めた名倉有一氏によると、この駿河台技術研究所の所長は、藤村信雄・外務省アメリカ局1課長でしたが、駿河台分室そのものをつくったキーパーソンは、参謀本部第2部第8課(参八)の恒石重嗣(つねいし・しげつぐ)少佐(1909〜96、享年86)で、当時32歳。高知県出身で、陸士44期生。あの瀬島龍三と同期でした。

市井の現代史研究家である名倉氏は、30年前の1988年と恒石氏が亡くなる直前の96年に本人にインタビューしており、その一部をセミナーで公開しておりました。名倉氏の努力には頭が下がります。

名倉氏は、駿河台分室で勤務していた元外務省嘱託の池田徳眞(いけだ・のりざね)著「日の丸アワー」(中公新書)を読んで感動して、謀略放送の研究に没頭し、関連書「駿河台分室物語」まで出版されております。詳細は、同書に譲りますが、恒石少佐らが工作した女性アナウンサー「東京ローズ」は、かなり効果があったようで、戦後、GHQに付随して来日した記者らは血眼で東京ローズを探したそうです。

秘密組織ですから、駿河台分室に精密な放送設備があったかどうかは不明で、謀略放送は主に、スタッフが内幸町の放送会館(現在のNHK)(場所は、今の日比谷シティ辺り)に移動して、そこから太平洋諸島から米西海岸辺りにまで届く電波で放送したようです。

つまり、NHKは、戦前のラジオ放送から国家機関の一翼として、時の政府や政権の宣撫活動に協力的だったことが分かります。今でも変わらないのは、歴史が証明しています。

ちなみに、恒石少佐は昭和20年に中佐に昇格し、同年6月に四国の第55兵站参謀に赴任、後任の実質的責任者は、スパイを養成する陸軍中野学校出身の一二三(ひふみ)九兵衛少佐でした。

「駿河台分室」見学の後、我々は、近くの「山の上ホテル」にまで移動しました。(途中に外務省の官舎がありました。勿論、標識も何もありませんが、事情通の人が教えてくれました)

山の上ホテルは戦前は、帝国海軍が接収した官舎だったそうです。戦後は、GHQが、Hill Top Hotelと名称を変えて(翻訳して?)そのまま接収して、女性将校用に使われたそうです。

知りませんでしたね。

ただ、戦後は、売れっ子作家が締め切りに追われて使う「カンヅメ・ホテル」ということは知ってました(出版社も近いので)。もう随分昔ですが、ここで学生時代の友人が結婚式を挙げたので、参列したことがあります。その後、宿泊ではなくて、ホテル内のバーには結構足を運びましたが(笑)。

GHQの女性将校の宿舎は、この山の上ホテルから、神保町の駿河台下に行く道路を挟んだ所にある旧主婦の友社本社ビル(現日大カザルスホールなどのお茶の水スクエア)もそうだったようです。主婦の友社ビルは大正14年(1925年)、あの著名なヴォリーズ建築事務所が建設した名建築です。

このように、米軍は、戦後の占領計画を練った上で、病院やホテルを残すなどして空爆を行っていたことが分かります。つまり、東京に残っている戦前の建物は、何らかの形で米軍が占領期に再利用する計画だったというわけです。

近現代史を知り、知識が増えると、見慣れた同じ景色が一変するから不思議でした。

沿道広告禁止のスペインとスタンプなしの帰国審査

アルハンブラ宮殿

日本で報道されている最近のニュースや話題が、どうもつまらないので、また、先月のスペイン旅行の話を取り上げます。毎日書かなければならないので、話題を見つけるのが大変です(笑)。

スペイン国内の移動は大型バスで、高速道路を利用しましたが、沿道はほとんど全く広告看板がありませんでした。

確かに、人家も見当たらない荒野を駆け抜けることが多かったのですが、それにしても、見当たらない。ケバケバしい広告だらけの日本とは大違いです。スペインはよほどの不景気なのか? 理由を添乗員さんに聞いたところ、「法律で禁止されているんですよ」という答えが返ってきました。

そうなのか。さすが、年間7000万人も観光客が訪れる世界第2位の観光国。美観を大切にするんだろうなあ、と納得しました。

ただし、例外がありました。巨大な牡牛の看板です。目鼻口は描かれず、シルクスクリーンのような真っ黒な看板です。どこかの牧場の印なのか、闘牛場のコマーシャルなのか、と思ったら、オズボーンというスペイン人なら知らない人がいないウイスキー会社の広告看板だというのです。極甘口のシェリー酒「オズボーン・ペドロヒメネス・1827」が有名なんだそうです。

ボトルラベルには、その真っ黒い牡牛がブランドマークとして載っています。

添乗員さんの話では、このウイスキー会社は目下、広告看板設置をめぐって、政府と裁判闘争中なんだそうです。まだ、判決が出ていないようなので、看板は撤去されていないといいいます。

◇◇

もう一つ。スペインの話ではないのですが、2年ぶりに海外旅行して出入国審査が変わっていたことには驚きました。随分簡素化されていたのです。

出入国の際、自分でパスポートをスキャンして、自分でカメラの前に立って、「人相認証」をやってもらうのです。そして、帰国した際に、以前パスポートに押してもらっていた入国スタンプが省略されてしまったのです。

スタンプなし!「バン」と係員にスタンプを押してもらった時、「あ、日本に帰ってきた」と安堵感が広がったものですが、何か拍子抜けしてしまいました。

【追記】

今日はあっさりしているので、少し追加します(笑)。

●昨年買った高級腕時計が、もう電池切れで今朝止まってしまいました。そこで、銀座の和光に行って電池交換してもらったら、何と3240円も取られてしまいました。以前の安い時計は、1000円ぐらいで済んだんですけどね(笑)。

で、思ったことは、時計屋さんにとって、電池交換がビジネスモデルになっているんじゃないかということです。先日、10年近く使っていたドイツ製電気シェーバーの切れ味が悪くなったので、最高機種9シリーズに買い換えたところ、何と18カ月で「替え刃」を交換するようにとのメッセージが入っておりました。

前の機種5シリーズは10年ぐらい使いましたが、替え刃を交換したのは1回だけ。つまり5年間ぐらい持たせていましたからね。何か、プリンタのインクリボン交換のような気がしました。電気シェーバーなんかなかなか壊れませんから、替え刃で儲けるシステムになっているんでしょう。

●安部第4次政権は、「全員野球内閣」なんだそうです。

早速、「政治をスポーツに例えるな!」と非難轟々です。

「全員野球じゃなくて、ライト(右翼)とキャッチャー(捕手⇒保守)しかいない」という人もいます。

「まだ3年か。とはいえ、終わりの始まり。ショート内閣になるかも」という人もいます。

 10月3日付日経の緊急世論調査によりますと、内閣支持率は、9月の調査から5ポイント減の50%、内閣改造を「評価しない」が44% に上りました。

 

クールベ「世界の起源」のモデルをついに発見!

アルハンブラ宮殿

ギュスターヴ・クールベ(1819〜77)は、19世紀フランスを代表する写実主義の画家です。代表作「オルナンの埋葬」「画家のアトリエ」などはよく知られています。詩人ボードレールの肖像画も残しています。

私自身は、大学の卒論に「印象派」(モネとドビュッシー)を選んだくらいですから、フランス史の中では、19世紀の文化や、革命を挟んだ帝政、王政復古、共和制、帝政、共和制とコロコロ変わる政治体制などにも関心があり、今でも興味を持ち続けております。

さて、クールベですが、パリのオルセー美術館に行かれると、クールベ・コーナーがありますが、そこに、ほぼ等身大の女性のgenitalsのクローズアップが展示されていて、まず大抵の人は度肝を抜かされます。タイトルの「世界の起源」(46×55センチ)とは言い得て妙で、よく名付けたものです(笑)。顔は描かれていません。局部だけです。

あまりにもリアル過ぎて「これ、ゲージュツなの?」と東洋から来たおじさんは圧倒されますが、これを見る前に、2人の若い裸婦がベッドで絡むようにまどろんでいる姿を描いた有名な、あの官能的な、想像以上に巨大な「眠り」(135×200センチ、プティ・パレ美術館)を事前に見ていれば、そのドギマギ感は少し薄れるかもしれませんが(笑)。

勿論、19世紀のサロンでは、このgenitals作品は大スキャンダルとなり、すぐさま隠匿され、オルセー美術館で一般公開されるようになったのは、つい最近の1995年からでした。その前は、著名な精神科医のジャック・ラカン(1901~81)がオークションで落札して何年間も、秘蔵していたようです。

「世界の起源」は検索すればその画像が出てきますが(18歳未満お断り。ここでは載せられません!)、そのモデルは誰なのか150年以上も不明で、一時はクールベお気に入りのモデル、ジョアンナ・ヒファーナン説もありましたが、謎に包まれていました。

それが、このほど、ついにその「正体」が分かったというのです。歴史家のクロード・ショップ氏が、仏国立図書館の司書部長で美術史家のシルビー・オーブナ氏の手を借りて、小説家のアレクサンドル・デュマと閨秀作家ジョルジュ・サンド(ショパンとの関係は有名)との往復書簡に注釈を付ける作業をしているうちに、そのモデルの名前が出てきて、偶然にも発見したというのです。

写真左がモデルのコンスタンス・ケニオー、右が画家クールベ

10月2日付のニューヨーク・タイムズ紙によると、そのモデルは、コンスタンス・ケニオー(Constance Quéniaux 1832~1908)という人物でした。パリ郊外で私生児として生まれ、オペラ座バレー団の踊り子として活躍した後、膝の故障で引退し、その後、高級娼婦になります。今ではすっかり忘れ去られましたが、当時は、あの楽聖ワーグナーと並び称されたオペラ作曲家のダニエル・フランソワ・エスプリ・オーベール(1782~1871)(現在は、パリ高速地下鉄オーベール駅にその名を残しています)の愛人となり、晩年はロワイヤル通りの豪邸に住み、彼女の死後は、その財産目録がオークションにかけられるほど裕福な後半生を送った人でした。

彼女がモデルになったのは1866年で、34歳ごろだったことが分かります。クールベは47歳でした。(依頼主は、当時コンスタンスを愛人にしていた元オスマントルコの外交官で超お金持ちのハリル・ベイ)その後、クールベは1870年のパリ・コミューンに参加してスイスに亡命せざるを得なくなり、不遇のうちに亡命先で57歳で亡くなります。

コンスタンスは、オペラ座の踊り子としてはかなり才能があったらしく、1854年の新聞の批評欄でも「優美で気品がある」と褒められています。詩人で批評家のテオフィル・ゴーティエも注目したようでした。

時は、日本で言えば、幕末の話です。現代人の感覚では、娼婦から愛人という遍歴は、眉をひそめるかもしれませんが、150年前は、田舎出の、しかも、私生児として生まれた女の子が、社交界にデビューするなり、それなりの地位に昇る手段の一つだったのかもしれません。富裕層は、劇場などに出かけては踊り子や女優らを自分の愛人にする時代でした。

 クールベも依頼主のベイの2人とも不遇のうちに亡くなりました。でも、コンスタンスの場合は、美貌と才覚に恵まれたおかげか、「成功者」として穏やかな晩年を過ごしたようでした。享年75。

察するにあまり…

アルハンブラ宮殿

国民の皆様には声を大にして言いたい。

昨日は、若い記者から「みそぎは終わったのか」なぞとタワケた質問をされました。でもですね、2016年、あの憎き週刊文春がスクープした金銭授受問題とかゆうやつで、私も秘書も、あっせん利得処罰法違反容疑で告発はされましたが、天下の東京地検特捜部は嫌疑不十分として不起訴処分にしたんですよ。

一点の曇りもないシロだと確定したわけです。

だから、若い不勉強な新聞記者にも言ってやったんですよ。「私については何の刑事事案にもなっていない。検察の捜査がすべてだ。まず正確な記事を書いてほしい」とね。

 アルハンブラ宮殿

そもそも、私の派閥の親分でさえ、モリカケ問題、公文書改ざん問題があったにもかかわらず、財務相を辞任するどころか、あろうことか、いや、口が少し滑りました、当然のこととして、第4次改造内閣で留任されたんじゃあ、あーりませんか。

私もね、本来はですね、党の総務会長になるはずだったですよ。つい先日も、日本の最高権力者から「実績、手腕、調整能力は他に追随を許さない」と褒められたばかりなんですよ。それを、馬鹿な、いや、また口が滑りました、賢明なる国民の皆様の中の異質な方が、SNSとかで、「どうせ検察とグルだろ。いかがなものか」と批判したり、野党党首からは「睡眠障害がこんな都合よく治る人はあまり見たことがない」なぞと皮肉ったりするものだから、党三役になれず、ナンバー4の選対委員長に甘んじてしまったわけですよ。

ふざけた話ですよ。

「人の噂も七十五日」と言うじゃありませんか?2年も昔のこと、馬鹿な、いや賢明な国民はもうとっくに忘れてますよ。大臣室で業者からもらった100万円と秘書がもらった500万円は、支持者と一緒に呑めや歌えやと銀座のホステスのチップで、とーうの昔に使い果たしてしまいましたよ。悪銭身につかずってやつですかねえ。でも、我ながら、私腹を肥やしたわけじゃないから見上げたもんですよ。

えっ?わしが誰かって、それは、察してあまりあるでしょう。

軽減税率はかなり恣意的では?

アルハンブラ宮殿

星の王子さまは「大切なものは目に見えない」と喝破しました。

だから私も言いたい。

「大切なことは誰も教えてくれない」。

つまり、知識は自分で学ばなければならないのです。特に、「生きる術(すべ)」。「人間の業(ごう)」…。

それらを学んで来なかったから、分別のついた老境に入っても、チンピラに因縁をつけられたり、詐欺師に騙されたり、人に裏切られたりするのです。

あ、俺のことか?(笑)。知識を身に着けても駄目じゃん!

アルハンブラ宮殿

という救いようがないオチで始まりましたが、ちょうど1年後の来年10月から、消費税が10%に増税されることが、99.99%確実となりました。

ところが、ここに来て急に、特例と言いますか、「軽減税率」案が浮上してきました。

この件については、「御用新聞」と揶揄されている読売新聞が、他紙を圧倒して、抜きん出て報道してます。さすが、「政府系機関紙」です。政策に関する情報は、この新聞を読まなければ分かりません(笑)。天下の朝日新聞は後塵を拝しております。経済面は特につまらない…。

しかし、この軽減税率、よく理解できませんね。仕組みが複雑です。例を取ると「外食」です。店内で食事すると、10%の消費税が掛かりますが、「お待ち帰り」だと、食品などの軽減税率が適用されて、8%で済むというのです。

そんなら、私は滅多に行きませんけど、ファストフード店に行って、店内で食べずに、お持ち帰りのフリをして、外のテラスの席でこっそり食べたら安上がりで済むということなのでしょうか。セコイ話ですけどね(笑)。

アルハンブラ宮殿

「新聞は8%の据え置きにする」という話も解せないですね。私は、新聞業界で働いていながら、不公正を感じます。どうせ、新聞業界のドンが政府筋に圧力を掛けたのだろう、と推測してしまいます。

一番困ってるのはスーパー業界です。「生活必需品」は軽減税率が適用されますが、酒やタバコは駄目、その他諸々…となると、レジ作業というか、値札付けや会計処理が複雑になることでしょう。

財務省のお偉い役人さんは「軽減税率は、欧米の例に倣った」と弁明してますが、思わず「欧米か!」と何処かの漫才師のように突っ込みたくなりました。

あの初音ミクに童謡を歌わせているのは 88歳のおばあちゃんYouTuber

アルハンブラ宮殿

皆様ご存知、あの宮さんのご令姉様には特別な御才能が満ち溢れており、ユーチューブ上で、初音ミクに童謡を歌わせた作品を発表し続けております。

2週間前には、最新作?の童謡「オイラはのら猫」を発表されております。

投稿者は「kogomi88」こと、群馬県在住の88歳の普通のおばあちゃん内藤昭恵さん。宮さんの御令姉さまです。

作品は、ご自分で作詞作曲したものや、知人や童謡仲間の詞に御令姉さまが作曲したものなどがあります。この「オイラはのら猫」のクレジットは「小阪百合子作詞 内藤昭恵作曲 小林登編曲 初音ミク歌」となっております。編曲家の方もいらっしゃるようですね。

実は、このスーパーおばあちゃんの童謡については、以前に一度、この《渓流斎日乗》で取り上げたことがあります。が、皆様ご案内の通り、事情があって、それらの記事は「消滅」してしまいました。

当時、取り上げさせて頂いた時は、確か、まだ作品は4~5曲だったと思いますが、今では、何と91曲(2012年10月11日 ~ 2018年9月12日 )までにもなったというのです。

まさに、大作曲家並みです!ただ者ではありません。

宮さんは「姉は、音楽の打ち込みからイラスト・動画作成、投稿まですべて一人でやっております。とはいっても、黒字経営の渓流斎さんのブログのようなわけにはいかず、収入はゼロです」と謙遜されておりますが、動画のかわいいイラストも御令姉さまのオリジナルとは、吃驚仰天。実に瞠目ものです。

(それにしても、「黒字経営のブログ」と言われると実におもわゆい=笑)

皆様も、ユーチューブで「kogomi88」と検索すれば、ほかに90曲出てきますから、是非とも御覧ください。

この中で、「かみなりゴロちゃん」という作品が、私が検索した現在、2591回視聴されており、一番人気が高いようです。

皆さん、是非とも応援してくださいね!

また、節目になったら、次回もまた取り上げさせて頂きたいと思っております。

松岡將著「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」は浩瀚な労作でした

もし、私が「松岡総裁」と親しみを込めて呼んでいる松岡將氏と、面識を得ることがなかったならば、これほど、日本近現代史の「汚点」と言われた満洲問題について興味を持つこともなく、かつて満洲と呼ばれた現中国東北地方を実際に旅したりすることはなかったことでしょう。

松岡総裁という呼称は、日本の首席全権代表として国際連盟を脱退して有名な松岡洋石が、南満州鉄道(満鉄)総裁を務めたことがあったことから、私が勝手に(笑)、その名前にちなんで付けたものですが、松岡氏の御尊父は、松岡二十世(まつおか・はたよ)という戦前の労働問題専門の知識人でした。ゾルゲ事件で処刑された元朝日新聞記者の尾崎秀実と東京帝大法学部~大学院で同級生で、北海道で農民運動に挺身して治安維持法で逮捕され、その後、家族とともに満洲に渡り、敗戦後はシベリアに抑留されて帰らぬ人となった人でした。私も個人的に興味がある甘粕正彦が理事長を務めた満洲映画にも携わったことがある人で、それらの経緯については、松岡將氏の「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)に詳しく書かれております。

さて、松岡氏(昭和10年2月生まれ)自身は、日本の最高学府を卒業して霞が関の官僚となり、退官して老境に入ってからも拘り続けたのは、国民学校一年生の6歳から11歳までの5年間、「在満少国民」として過ごした満洲のことでした。それなりに家族団らんもあり、平穏な暮らしが一変したのは、1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄したソ連軍による侵攻でした。松岡氏は、ソ連軍の蛮行を目の当たりにし、父親が行方不明で、命からがら大陸が引き揚げるという壮絶な筆舌に尽くしがたい体験をしただけに、忘れよと言われても一生忘れることはできないことでしょう。

その後、松岡氏は退官して時間的に余裕ができるようになってから、旧満州の地を何度も訪れ、数千枚もの写真を収めてきました。例えば、かつてのお城のような形をした日本の関東軍司令部の庁舎が、そのまま壊されずに現代でも中国共産党吉林省委員会として使われたりしています。そこで、現在と昔を比較した「今昔物語」としてセンチメンタル・ジャーニーを写真入りでまとめたものが、「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」(同時代社、2018年9月30日初版、3000円+税)というタイトルでこのほど出版されました。

この企画については、私自身は以前から、スライドショーとして拝見したり、お話を伺ったり、事前にゲラまでお送り頂いたりしておりましたが、実際に出来上がった本を見て吃驚です。262ページの横変型のB5判というのでしょうか。しかも、百科事典のような重さです(笑)。

これなら、皆様に購入して頂くのが一番ですが、全国の自治体の図書館や、中・高・大学の付属図書館でも取り揃えてもらい、後世に伝えてほしい一冊です。

大連~奉天(瀋陽)~新京(長春)~哈爾浜。私も中国新幹線「和諧」号に乗って2014年7月17~23日にかけて旅行をしたことがあるので、写真を見て大変懐かしい気分になりました。何と言っても、中国が凄いところは、あれほど、「偽満洲」と全面的に否定しておきながら、かつての日本のヤマトホテルは現在でもホテルに、旧満州中央銀行は、中国人民銀行吉林省支店にするなど、そのまま再利用していることです。韓国が、近代建築の粋を集めた旧朝鮮総督府を破壊してしまったのとは正反対です。

以前(5年前の2013年)、松岡氏が「松岡二十世とその時代」を出版された時に、あまりにも多くの史料が引用されていたことから、私は不用意にも「随分たくさんの資料を持ち帰ることができたんですね」と感想を述べたところ、氏から「着の身着のまま、裸一貫でかろうじて帰国できたのですから、そんな資料なんかあるわけありません。一から、いや、ゼロから集めたのです」と真顔で反駁されたことがありました。

国家と歴史に翻弄された引揚者の苦労を知らない、書物でしか知らない戦後世代の甘さを痛感し、恥じ入ったものでした。

松岡氏は敗戦直後、新京(長春)に留まらざるを得なかった際に、市内で銃撃戦に遭遇したり、ソ連兵による暴行を見聞したりしたらしいのですが、この本ではあまり深く触れておりません。

松岡氏は、この本を通じて、満洲の「負の遺産」以外のものを伝えたかったのではないかと私は思いました。そして、ただひたすら「ひたむきに満洲の大地に生きた」この記録が、後世に伝えるべき「歴史の証言」となっており、特に、こんな時代があったことさえ知らない多くの若者には、この本を手に取って読んでほしいとも思いました。

「拡散」をお願いしているクラシック・コンサート

アルハンブラ宮殿

私の音楽遍歴ですが、子どもの頃はよく歌謡曲を聴いていました。城卓矢の「骨まで愛して」なんか好きでしたね(笑)。

10代からバンド遊びをやり始めたので、20代まで専らロックです。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリーム、レッド・ツェッペリン、クイーン、ポリスなど主にブリティッシュ・ロックを聴いてました。

アルハンブラ宮殿

30代になると、一転してクラシックばかり聴いてました。特に、バッハ、ベートーベン、ブラームスの「三大B」とモーツァルト、マーラー、それにドビュッシー辺りをよく聴きました。エンターテインメントというより、教養として、モーツァルト以外はしかめっ面しながら聴いてました(笑)。

40代になると、専ら、ジャズやボサノヴァです。王道のマイルス・デイビスとコルトレーンにはまり、ピアノはビル・エバンスとウインストン・ケリー、ギターはウエス・モンゴメリー、ボーカルはヘレン・メリルとチェット・ベイカーの「遅れてきたファン」になりました。

ボサノヴァのアントニオ・カルロス・ジョビンは、レノン=マッカートニーと並ぶ作曲家でしょう。ジョアン・ジルベルトも最高です。

とにかく、レコードやCDを買いまくりました。

アルハンブラ宮殿

で、今、自宅の特別オーディオルームという名のラジカセで、モーツァルトの交響曲第29番を聴きながら、このブログを書いております。

この曲は、意外と知られていませんが名曲です。1774年、モーツァルトが18歳の時に作曲した傑作です。さすが大天才です。この曲は、随分前から自分の頭の中でよく回っているのに、どうしてもタイトルが思い出せず、「何だっけ?何だっけ?室内楽だっけ?ディベルティメントだったっけ?」などと数週間、膨大なレコードコレクションの前で頭を悩ませておりました。

そしたら、やっと、色々と自分のコレクションを視聴して、「交響曲29番」だということが分かったのです。演奏は、カラヤン指揮、ベルリンフィル。

ルハンブラ宮殿 後宮のお風呂だとか

そして、昨日、ユーチューブでこのモーツァルトの交響曲29番を検索してみたら、カール・ベーム指揮ウイーンフィルの動画が出てきたので、聴いてみましたら、実に演奏が遅い、遅い(笑)。よく「疾走するモーツァルト」と音楽評論家たちは表現しますが、鈍足、牛足そのもの。まるで別の曲に聴こえてしまいました(笑)。

しかし、こんな名曲なのに、カール・ベームのユーチューブの視聴回数はわずか2900回程度。今、世界で最も売れていると言われながら、私はよく知らない(笑)アリアナ・グランデの「ブレイク・フリー」という曲なんか、現在、9億6000万回も視聴されているではありませんか!残念ながら、クラシックって、世界的にはマイナーな音楽なんだなあと痛感してしまいました。

それを証明する「事案」がありました。

アルハンブラ宮殿

私自身、最近は、昔のようにほとんど全くクラシックのコンサート会場に足を運びませんが、噂によると、このごろは会場に行くとパンフレットが配られ、そこには「聴衆の皆様へのお願い」として「どうか、この公演の内容やご感想をフェイスブックやツイッターなどのSNSでアップしてください」などと書かれているそうですね。

つまり、大手メディアや音楽雑誌だけでは、クラシックファンを獲得することができないので、お客さんにまで宣撫活動の協力を求めているわけです。

著作権がありますので、音声や動画まで拡散するよう要請しているかどうか分かりませんが、今やインスタグラムやユーチューブが大流行ですから、主催者やプロモーターやクラシックの演奏家としては、猫の手も借りたいほど切羽詰まっているということなんでしょうね。

それにしても、時代は変わったものです。

日本の格差社会は、まだマシなのか?

バルセロナ サグラダファミリア教会

英エコノミスト紙(電子版)を見ていたら、興味深い記事に当たりました。

Sep 26th 2018付の記事で、タイトルは「 Buying time How life expectancy varies across America」。意訳すると、「時はお金で買うもの 米国の平均寿命は何で地域によってこうも違うものか?」あたりでしょうか。

簡単に要約しますと、米国立保健統計センターの調査によると、ノースカロライナ州のフィアリントンという街の住民の平均寿命は97歳だったのに対して、オクラホマ州のスティルウエルの住民は56歳だったというのです。実に41歳も開きがあるのです。驚きです。

グラナダ アルハンブラ宮殿

ちなみに、日本の場合を調べてみましたら、厚生労働省によると、男性の場合、1位は長野県で79.84歳で、最下位の青森県が76.27歳。その差3.57歳。女性の首位は沖縄県の86.88歳で、47位の青森県は84.80歳。その差は2.08歳です。

よく格差社会と言われますが、米国の41歳差は半端じゃありませんね。

フィアリントンもスティルウエルも、人工的につくられた街ということで共通点がありますが、前者は、もともと酪農場だった所を英国の「田園調布」をモデルに開発された富裕層向け高級住宅街で、同市チャトハム郡の住人の96%が白人。後者は、もともとイチゴ畑だった所が、1830年に、チェロキー族などネイティブアメリカンが強制的に移住させられた街だというのです。

フィアリントンの世帯の平均年収が8万1900ドル(925万円)に対して、スティルウエルはわずか2万5000ドル(282万円)。

全米6万5662カ所の平均寿命を調査した研究者たちは、この大きな格差の要因は、貧困と教育にあると結論付けておりました。貧困で教育に恵まれない地区ほど、肥満や運動不足で喫煙習慣があり、高血圧、糖尿病などの病気に罹る人が多く、それが短命につながっているのではないかというのです。

教育については、高学歴が高収入につながり、健康志向になり、禁煙もするようになるということです。

この記事を読んで、皆様もさまざまな感想を持たれることでしょう。「ネイティブアメリカンは差別されて可哀想だ」とか「格差社会とはいっても、日本はまだマシだ」とか…。

バルセロナにて フラメンコ

日本でいえば、56歳というのはまだ働き盛りですが、貧困のどん底に押し込められて、夢も希望もない生活で、酒とタバコぐらいしか人生の楽しみがないとしたら、こんな世の中、長生きしてもしょうがないと思うのが人情なのでしょう。

何を書いても批判されるでしょうから、今日は過激にまとめてみました(笑)。

西城秀樹と姐さん(文春砲の見出しそのまんま)

サラゴサ

もう20年近い昔ですが、これでも仕事で、(好むと好まざるとに関わらず)、芸能担当記者をやっていたことがあります。

芸能と一口に言っても守備範囲は幅広く、文楽能歌舞伎といった伝統芸能から、最先端の音楽、人気歌手、テレビや映画に出演する国内外の大物俳優インタビュー、放送行政などさまざまでした。

レコード大賞の審査員などもやったお蔭で、芸能界の実態についてはかなり詳しくなってしまいました。大手芸能事務所と裏社会との関係、タレントの出自、政財界や宗教界との関係、警察公安と芸能界との持ちつ持たれつの関係…等々です。

バルセロナ サン・パウ病院(ガウディの師ドメネクが設計)

小指のない芸能事務所の社長さんと懇談したこともありますが、茲でさらに詳細に書けば、生命の危険に及ぶので、残念ながら書けませんね(苦笑)。最近は、ネットで色んなことが、虚実ない交ぜで書かれていますから、ご興味のある方はそちらをご参照ください。半分近くは当たっているんじゃないでしょうか。(ということは、半分は嘘、デタラメ)

いずれにせよ、自分自身は、かなりの「芸能界」通だと思っておりました。でも、今日発売の「週刊文春」を思わず買ってしまったのですが、先日亡くなった人気歌手の西城秀樹の実姉と広域暴力団五代目山口組の宅見勝若頭(=当時、1997年8月に、中野会との内部抗争で暗殺、享年61)とは内縁関係だっため、大阪市の名刹四天王寺の墓地では、秀樹と宅見若頭の墓が隣同士にあることが写真入りで書かれておりました。(執筆はノンフィクション作家森功氏)

知りませんでしたねえ。

秀樹と9歳離れた実姉は、秀樹を芸能界にメジャーデビューさせるに当たってかなり尽力した人で、大阪で高級「クラブ西城」を経営し、当時は「宅見ママ」ということでかなり有名だったらしいのです。

グラナダ大聖堂

宅見若頭が神戸で暗殺された1997年は、私自身バリバリの芸能記者でしたから、そのニュースはかなり衝撃的でした。芸能関係には複雑に入り組んだ利権構造があり、宅見若頭は当時、頭がキレる「経済ヤクザ」として名を馳せ、芸能界にもかなり深くコミットしていたことを噂で聞いていたからです。

暗殺された宅見若頭は、当時は自分自身も若かったせいか、かなりの年配だと思っていたのですが、61歳と、思えば随分若かったんですね。

あれから21年ですか…。芸能担当記者から足を洗って(笑)かなり年月が経ってますから、最新情報には全く疎いのですが、芸能界の相関図は20年前とそう変わっていないと思っております。

(残念ながら、今はあまり興味がないので、タレントさんの名前と顔が一致しません。←それじゃ駄目じゃん!)