私は会津の味方です

会津 赤べこ

  昨日のブログの最後で「はっきり言って、私は会津の味方です。幕末の会津の悲劇を知っていますからね。」と書いたところ、永夢さんというハンドルネームの方から、猛烈な抗議なのか、皮肉なのか、よく分からないコメントを頂きました。

 会津の歴史は、誰でも知っています。あんな上から見下ろす書き方をする以上、柴五郎も既知のことでしょうね。念のため聞きますよ。

 あらま。この方、あまり渓流斎日乗の熱心な読者さんではなさそうですね。柴五郎さんは当然のことながら、このブログでは何度も何度も「会津の悲劇」を取り上げているからです。

 その証拠が、

 「会津藩の悲劇―筆舌に尽くしがたい

 「近代化を進めた幕府

『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』は人類必読書ではないでせうか

 「『斗南藩ー泣血の記ー』(東奥日報社)を読んで

 「『慶喜が敵前逃亡しなければ』『孝明天皇が急死しなければ』『錦の御旗が偽造されなければ』=松田修一著「斗南藩ー泣血の記ー

 他にも多々ありまする。このブログ内のサイトで検索すると沢山出てきます。

 そのような趣旨で永夢さんにお応えしたところ、こんな返信が返ってきました。

銀座「宮下」 豚肩ロース定食 le prix est secret

 ブログの書籍の写真を見て、翁が何回も言及されていた事を思い出しました。俺は詳しいぞ!との主張も理解します。ところで、ランチ写真はヤッパリ良いですね。あの効果で、長文のブログも、斜め読みする気持になります。

 な、な、何なんだ、この人!ランチの写真ばっかり見て、斜め読みしているから、駄目なんですよ!

 そもそも、私は、「上から見下ろす書き方」をしてるつもりはありませんし、「俺は詳しいぞ!」なんて主張なんかしていません。むしろ、私自身が不勉強で知らなくて、「へー、そういうことだったのか」と備忘録のつもりで書いているのです。

 その証拠に自分が書いたことでも、すっかり書いたことすら忘れていますから(笑)。

  先日、テレビ番組で「鹿鳴館の華」と呼ばれた大山捨松(元老大山巌公爵の妻)を特集していました。明治4年に、12歳で新政府の米国留学女学生として、後に津田塾大を創設した津田うめらと一緒に渡米した話は詳しくやってましたが、捨松が、会津藩の白虎隊出身で、東京帝大総長などを歴任した山川健次郎の妹であることは、一言も触れませんでした。これを見て、少し、憤慨したので、それだけ、私が会津ファンだと御理解頂ければ幸甚です。

 ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の言葉に、こんな有名な一文があります。

 人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。

 この伝でいけば、ブログの作者の意図とは関係なく、ヒトは自分の読みたいと欲するようにしか読まない、ということになるのでしょうね(笑)。

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