行蔵は我に存す 第20刷

銀座に浜松餃子とはな?

慰みに、「宇都宮餃子と浜松餃子」のことを書きましたら、早速、栗林提督から、油断も隙も…とコメント頂きました。

誠に有難う御座いました。

個人的なメールながら、栗林提督様によりますと、「台湾料理」の看板を掲げるお店でも、大陸から安い賃金の農民工を引き連れてやってきた一攫千金を狙う輩がいるそうです。「中国料理」の看板にすると、食材は農薬や抗生物質漬けの野菜や肉を使っているんじゃないかと怪しまれるので、安心感を与える「台湾料理」の看板を掲げて偽装しているとか。

へー、ホンマでっか?と思わず聞き返したくなります。まあ、中には、そういう輩もいるのかもしれませんが。

さて、話は変わって、またまた愚生は、逆境に恵まれることになりました。有り難迷惑ですが、考えてみれば、子供の時から、逆境の中で生きてきて、その度に乗り越えてきましたからね。今回もどうにかなるでしょう。

そんな時に、またまた栗林提督から、以下の言葉を贈って頂きました。

「古より路に当たる者、古今一世の人物にあらざれば、衆賢の批評に当たる者あらず。計らずも拙老先年の行為に於いて、御議論数百言御指摘、実に慙愧に堪えず、御深志忝く存じ候。行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候。御差し越しの御草稿は拝受いたしたく、御許容下さるべく候也。  福沢先生  安芳」

福沢諭吉が書いた「痩せ我慢の説」に対する勝海舟の返書です。この中の「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」という部分が有名です。

行蔵とは、出処、進退のこと。表立った行動と陰徳を積むという意味もあります。

要するに、自分の行動は自らの信念に基づくもので、褒めたり貶したりすることは、他人様のすること。自分は関知しない、といったような意味になります。「痩せ我慢の説」を福沢諭吉が創刊した「時事新報」を通して、世間に公表しても構わないよ、と勝海舟は、福沢諭吉の手紙に返事を書いたのです。(もっと複雑な話ですが、詳細略)

さすが、栗林提督です。今、心理学者のアドラーの本がベストセラーになって日本でも知られるようになりましたが、アドラーについては、そのずっと以前から、渓流斎にご教授して頂いた提督です。知性と教養に満ち溢れています。

それでは、福沢諭吉は「痩せ我慢の説」の中で、勝海舟をどのように批判したのでしょうか?

簡単に言いますと、勝海舟が徳川幕府側の代表として、官軍代表の西郷隆盛と会談し、一戦交えることなく、江戸城を「無血開城」することに合意したことに関して、「何で、やらなかったんだ。痩せ我慢でもいいから、負けると分かっていてもいいから」と批判したわけです。福沢はご案内の通り九州中津藩士として大坂の藩邸で生まれ、いわば幕府の録を食んだ忠君精神を最期まで保持したのに対し、元幕臣でありながら、維新後、転向して明治新政府に仕官し、伯爵にまでなって高位高官を極めた勝海舟を批判したわけです。

うーむ、なるほど…。そういうことだったんですか。私は、無血開城した勝海舟は、江戸市中を戦争の動乱に巻き込まなかった救世主だとばかり、思っていましたが、同時代人の見る眼は、違っていたんですね。

確か、勝海舟と福沢諭吉は、幕末に幕府所有の「咸臨丸」で一緒に渡米しているので、面識どころか、交際もあったはず。いつか、何処かで仲違いしたのでしょう。と、思って調べてみたら、どうやら、咸臨丸の頃から反目していたようです。(詳細略)

勿論、元幕臣の福沢諭吉が、維新後、勝ち馬に乗るように、新政府に出仕した勝海舟や榎本武揚らを批判したのは一理あるとして、勝海舟としては、渋々、無理矢理出仕しただけで、どの官職も長続きせず、すぐ辞めてしまったではないか、と反論したくなるのもよく分かります。

「この人には信念がある。ブレない」とか言って尊崇の念をもって崇め奉られる人でも、実際の本人はかなり守旧的で、案外、時代に取り残された融通が利かない人なのかもしれません。

自分の考え方が一生変わらない人なんて、逆に怖くありませんか?

人の評価は、難しい。やはり、勝海舟の「毀誉は他人の主張」は、よく身に染みて分かります。そして、同時に、高位高官を求めた裏切り者の俗物を批判する福沢諭吉の気持ちも分かります。(単なる推測で、実際そこまで、福沢は勝のことを貶しているわけではありません。事前に勝に掲載許可を取ったのがその証拠です)

お前は、どっちの味方なんだ!?と詰問されれば、困りますねえ(笑)。両方とも、と答えておきます(笑)。

「何でやらなかったんだ?」と言いますと、ローリング・ストーンズが、1968年に「ストリート・ファイティングマン」をリリースして大ヒットした後、その返歌として、ビートルズ(というかポール・マッカートニー)が「ホワイ・ドゥ・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」(何で、道路でやらなかったんだ?)を「ホワイト・アルバム」の中で発表したようなものではないか、と私のようなフリークは感じてしまいましたが、これは、ちょっとマニアック過ぎて、誰方もついていけないと思います(笑)。

“行蔵は我に存す 第20刷” への1件の返信

  1. 十倍返し
     勝海舟は坂本龍馬に西郷の人となりを問われて「こちらが小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響き返す」と器量の大きさを評したそうな。

     「日乗」のファンの方々にご報告します。わが渓流齋先生はこちらが小さく打っても、今回の「日乗」にみられるように大きく響き返してきます!。

     思うことあって「行蔵は我に存す‥」とメールを差し上げたところ、 書誌や時代背景などの説明を加え、、さらにはご自身の「主張」までしっかりと「書き倒して」きました。

     ひところはやった「低反発枕」ならぬ「高反発言論」であり、半沢直樹の「倍返し」ならぬ「十倍返し」です!。
     思うに、これは先生の「負けず嫌い」(笑)というご性格以上に、あらゆる「権力関係」から自由な「渓流齋日乗」という言論空間で楽しもうというサービス精神なのです。  

     私生活ではいろいろ「不都合な現実」(笑)を抱えておられるようなのに、こうした言論空間を経営してくださることに改めて感謝します。

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