小学校何年生か忘れてしまいましたが、国語の教科書に、今でも忘れられないエッセイが載っていました。
「今でも忘れられない」と書いておきながら、その作品のタイトルも作者の名前さえ忘れてしまっているのですが(笑)
話は単純です。
作者が、ある地方都市に旅かなんかに出て、ふっと駅近くの食堂に入り、メニューをながめながら、何を食べようか思案してしまいます。
「カツ丼にしようかなあ、親子丼にしようかなあ」
作者は注文に来た女の子に聞くとはなしに聞きます。
その少女は、純朴そのものの女の子で、赤い頬に飛びっきりの笑顔を浮かべて、
「カツ丼も親子丼も、どちらも美味しいですよ」と言うのです。
作者は、その清々しい明るい対応に、その日は一日中気分がよかった。という何ということはない。別にオチもない、何でもない話なのですが、私はこの話が妙に心に印象として残り、何十年経っても忘れられないのです。作者が、結局、何を食べたことまでは覚えていません。とにかく、注文を取りにきたお嬢さんが、満面に笑みを浮かべながら「どっちも美味しいですよ」と言ったことだけが、何か、一期一会の奇跡のようで、情景さえ浮かんできてしまうのです。
何で、こんなことを書いたのかと言いますと、つい先日、温泉近い駅で昼食をしようと入ったお店で、同じような体験をしたからです。
私は、ラーメンにしようか、蕎麦にしようか迷ってしまいました。
すると、お店の女性が「中華もお蕎麦もどちらも美味しいですよ」と言うではありませんか!
何か、デジャビュのような体験でした。
恐らく、私と同世代でしょうが、教科書で、このようなエッセイを覚えている方は、作者名と作品を教えてください。その他何でもコメントしてくださいね。
東京都江戸川区立の小学校に通っていました。「おいしいよ、みんなおいしいよ」はその後の食べ歩きの原点にもなっているような気がします。筆者が「考えてみれば、店員が店のものをおいしいと言うのは当たり前だろう。」と言いながらも、その中に「親子丼はおいしかったが、カツ丼もおいしかったのだろう。」「素直な店員の前に素朴な質問をした。」というニュアンスが感じられたのを覚えています。コメントにあるような挿絵も思い出しました。ありがとうございます。
遊戯三昧さま
こちらこそ、コメント有難う御座いました。2008年5月29日にテリーさんという方から最初のコメントを戴いてから、もう13年以上経つというのに、「駅前食堂」は息の長い記事です。
皆様に愛読されて感謝申し上げます。
はじめまして。全然関係ない、別の親子丼が出てくる小説を探していたらたどり着きました。皆様コメント含めとても興味深く、調べてみましたので簡単に記させていただきます。
タイトルが「おいしいよ。みんなおいしいよ。」作者は不明、とのことですが、以前候補に挙がっていらした古谷綱武さんの図書にも同様のタイトル及び内容のものがありました。
『生活のなかのことば』(古谷綱武 著,須田寿 絵 牧書店 昭和35年発行)p58「おいしいね、みんなおいしいよ」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1625968 (国立国会デジタルコレクション・加盟館になっている公共図書館及び国会図書館内で本文が閲覧できます)
これ以外の単行本等に収録されているかどうかまでは残念ながらたどり着けなかったのですが、このブログのおかげでまだ見ぬ物語にたどり着けましたので感謝の意を込めてご報告まで。
拝復 羽藤様
コメント有難う御座いました。
「駅前食堂」がこれほど皆様の関心と感心を呼ぶとは思いも寄りませんでした。《渓流斎日乗》最大のヒット記事です(笑)。
デジタルコレクションの御案内も誠に有難う御座いました。
特に、新しい話題ではありませんが、作者古谷綱武さんの妹文子さんは、俳優滝沢修(民藝)の最初の奥さんだったらしいですね。
古谷綱武さんのように、子どもの心に何十年も残るような文章を書ける人は減ったことは確かですね。
おいしいよ。みんなおいしいよ。私も大好きな作品です。
国語の教科書に載っていました。
30年ほど前に、もう一度読みたくなって、国会図書館に行きましたが、蔵書はありませんでした。教科書専門の資料室があると教えていただき、そこを訪問してみました。教育関係者のみを対象とした資料室とのことでしたが、事情をお話しし入れていただきました。
記憶を頼りに探しまくり、ついに再会しました。
「6年生の国語」光村図書(昭和43年)です。
何十年ぶりに読んで、とても感動しました。
友達と「俺だったらカツ丼を選んでいたな」などと話し合った情景もよみがえりました。
この作者の本をもっと読みたいのですが、残念ながら教科書には作者の記載はありませんでした。
この時、コピーも取らせていただき、大切に保管していたのですが、行方不明になってしまいました。捨ててはいないと思うので今度家中を探してみようと思います。
俺ならカツ丼様
コメント有難う御座いました。
「駅前食堂」論争(笑)は、もうお終いかな、と思っていたら、まだ続くとは、「渓流斎日乗」開闢以来の大ベストセラー記事です(爆笑)。
わざわざ特別に光村図書発行「6年生の国語」(昭和43年)をご覧になって、「作者が記載されていなかった」というのは新発見ですね。作者は古谷綱武氏に決着だと思っていたので、意外でした。
大豪邸にお住まいのようですので、またいつかコピーを発見されたら、ご連絡賜ります。
渓流斎
ブラジルの岡村です。
掲載された教科書についての情報、ご同慶の至りです。
古谷綱武氏の父の古谷重綱氏は元アルゼンチン公使で、ブラジルのサンパウロに滞在していた西暦1946年に日本の戦勝を信じる「勝ち組」のテロリスト集団に襲撃されて、からくも一命をとりとめています。
この事件は『インパール』などの著作のある高木俊朗さんの『狂信』に詳しく書かれています。
忘れられない「おいしいよ…」とブラジルに妙なつながりがあり、感無量です。
ブラジルの岡村様 少しご無沙汰です。あれから、渓流斎日乗をいまだにチェックされていたとは感無量です(大袈裟ですか=笑)
ブラジルの終戦間際での襲撃事件は、増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で、知りました。今は新潮文庫で読めるようです。未読でしたら、お勧めです。日本の柔道の歴史、昭和初期のテロリストの背景などよく分かります。(記憶で書いてるので、間違っていたらアイスミマセン)
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、日本の知人に教えてもらって厚い文庫本の上下2冊をブラジルに担いできて読み耽りました。
ちょうど、第二次大戦後に移住してきた人のインタビュー映像を編集していて、ブラジルに来た力道山のことに言及していました。
想えば僕が移住した30年以上前にはサンパウロにも「駅前食堂」みたいな邦人経営の飯屋がいくつかあったものです。
ブラジルの岡村様
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は既読でしたか。そうでしたか。
ところで、話は全く違いますが、小生、ボサノヴァが大好きです。相変わらず、トム・ジョビンとジョアン・ジルベルトの巨匠が別格に好きですが、最近、日本人の中村善郎を知りました。ポルトガル語で自作自演するので大したものです。聴いただけでは日本人だと気付きませんでした。
中村善郎さんの動画を聞いてみましたが、日本人の歌うポルトガル語は僕にはわかりやすくていいな、という思いを新たにしました。
そっかー、今はYouTubeで何でも聴けるんでしたね。小生はラジオのFMで聴いたので、容姿は全く分かりませんでした(笑)。日本人が聴きやすいポルトガル語とは、言い得て妙で、流石でした。
素早い御返信、深謝です。
渓流斎
在ブラジルの岡村と申します。
僕も教科書で読んだこの言葉がずっと残っていて、原典を探してみようと思って検索して御ブログを拝見しました。
てっきり中学時代かと思いましたが、皆さんの記憶によると小学校の教科書だったようですね。
なかなか出典はわからないものなのですね。
わざわざ、遥かかなたのブラジルからの投稿、洵に有難う存じます。岡村様も小生と同世代かと思われますが、半世紀以上過ぎても印象に残っている作品はそれほど多くないので、この「駅前食堂」は不朽の名作ですね(笑)。
一応、前回投稿して頂いた春日様が御指摘されたように、作者は古谷綱武さんではないかと思います。小学校何年生か不確かですが、小学校の国語の教科書だったことは間違いないでしょう。
ブラジルでは世界で二番目に新型コロナ感染が拡大しているということで、くれぐれもお気を付けて下さい。
遠くブラジルから有難う御座いました。
渓流斎
さっそくのご返信ありがとうございます。
奇遇ですが、僕の日本の知人に古谷綱武氏に文学の手ほどきを受けた人がいます。
この件を尋ねてみたところ、以下のような返信をいただきました。
ご本人の了解をいただき、ご紹介します。
「「駅前食堂」は古谷さんの文章かもしれません。こういう”何気ない事柄”を上手に書くひとでした。といっても、活動期は戦前で、戦争中の文学者としての”奉国ぶり”に懲りたのか、戦後は「一介の書生として生きる」というスタンスでしたから、熱を入れて書いた文章はなかったと思います。それよりも、人を集めて育てるようなことが習い性で、わたしたちのような素人を集めて同人誌をやってたのしんでいたと思います。」
こちらこそ御返信賜り、洵に有難う御座います。
古谷綱武は、玄人好みの作家ですね。小生は、太宰治らの同人誌「青い花」や「日本浪漫派」などで、同人になった古谷の名前を知った程度でした。
世の中には熱心なファンがいて、「古谷綱武の人生と作品」http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/Part2-huruya.htm などのサイトも見つけました。
渓流斎
はじめまして!昭和31年生まれの63歳男性です。私もこの「おいしいよ、みんなおいしいよ」印象に残っています。
作者はたしか、当時(昭和40年前後)ニュースキャスターであった古谷綱正の兄、古谷綱武であったと記憶しております。挿画も地方の駅前の食堂、ほっぺの紅い素朴で純情な従業員の少女が描かれていたのを憶えております。
東京江東区の区立小学校の国語教科書に載っていました。
初めまして。夫に、昔の国語教科書にあった小説などの話をしているとき、ふと「おいしいよ…」を思い出し、検索したところ、このブログに。またわずか1か月前、私と同じ思いでrassamさんがコメントされている偶然に驚いているところです。
セリフははっきり覚えており、まず筆者が「親子丼、おいしい?」と尋ねるのです。すると女の子が「おいしいよ」と答える。さらに「かつ丼、おいしい?」「おいしいよ、みんなおいしいよ」という流れです。テリーさんの記憶どおりです。
結局、食べたのは親子丼でした。
授業では、先生が「本当はさほど美味しい店ではなかったのかもしれない」と解説されたんです。あの先生が担任なら、5年生か6年生。1969年か1970年、こちら大阪市です。
タイトルは「おいしいよ、みんなおいしいよ」だった気がします。作者などはわかりませんが、覚えている方が何人もいらっしゃることで、嬉しくなりました。
まつやまようこ様
コメントどうも有難う御座います。
そうでしたか。食べたのは親子丼の方でしたかあ(笑)。凄い記憶力ですね。
それにしても、12年も前に書いた記事に、ほぼ時を同じくして、立て続けにコメントを頂くとは驚きです。
何か記憶のマグマが噴火したようです(例えが変ですけど)
何となく、教科書の「駅前食堂」(仮)にはイラストがあったような気がして、顔のほっぺが赤い、前掛け(古い!)をした少女のイラストだったような感じがします。恐らく記憶違いでしょうが(笑)。
渓流斎
筆者は曽野綾子さんではありませんか。
12年前の記事へのコメントで恐縮です。
私もこの話をずっとおぼえていて、誰かこの話のことを知っている人はいないかと検索して、このページにたどり着きました。
丼物を注文する際はいつも頭の片隅に赤いほっぺの娘さんの姿が浮かんできます(笑)
神奈川県の小学校で昭和43年頃の記憶です。
rassam様
12年前の記事へのコメント、洵に有難う御座いました。
早くしないと、このブログを書いた人はいなくなるところでした(笑)。
昭和43年の小学生なら同世代ですね。
確かに、こんなエッセイありましたよね?
作者と題名までは覚えていらっしゃいませんでしたか?
もう一つ、忘れられない教科書の話に「巌の顔」がありす。何の取り柄のない少年が、地元の山の巌の顔に似た人が村の英雄になって、村を救うという話を親から聞き、早く英雄に会いたい、と待ち望みます。
ある日、そんな人が来たというので見に行ったら、軍楽隊が大歓迎しますが、その人は、巌の顔と似ても似つかぬ人物で、ガッカリします。
結局、巌の顔はだれだったのか?
「駅前食堂」(仮)の作者と題名は残念ながらわかりません。もう少し調べてみるつもりですが。
じつは友人と「駅前食堂」について話した折に、「巌の顔」も話題にあがりました。やはりこの2つは印象深かったのでしょう。ちなみにご存知かと思いますが「巌の顔」はナサニエル・ホーソンの短編「巨巌の顔」がオリジナルだそうです。
中学の国語の時間、「巌の顔」の挿絵に手を加えて変顔にし、友人に見せたら爆笑されて、先生に叱られた思い出があります。
あらま。早速のお返事有難う御座います。
「巌の顔」は、作者名まで知りませんでしたが、どこか外国の短編だということは知っていました。最後は、主人公の少年が長じて、彼こそが「巌の顔」に似ているということで、彼が村長に選ばれたという話だったと思います。
もう一つ、作者もタイトルも内容まで殆ど覚えてないのに、印象的だった作品は、小さな日本の港町で、漁に出た船が嵐か何かに巻き込まれて、帰って来られなかった悲しい話もありました。当時(昭和38年から43年)の小学生時代の教科書を再読したくなりました。
本当ですか?
テリーさん!
あなたは偉い。
やはり、そういう話はあったんですね。
嬉しくなってしまいました。
Unknown
私もその文章は覚えています。たしか「おいしいよ。
みんなおいしいよ」というセリフだったと思います。
40年ぐらい前の話ですね~。