?「花筐」は★★★

東京新聞の二社面の片隅に「編集日誌」がありまして、先日、(石)さんというよく知らない方の署名が入ったそのコラムの中で、病を押して最新映画の公開にこぎ着けた大林宣彦監督のことについて触れられていました。(その日の東京新聞の一面片に大林監督の最新作「花筐」についてのインタビュー記事が載っておりました)

あ、一つ、大訂正です(笑)。実は、この(石)さんという方はよく存じ上げておりました。長年の友人です。失礼致しました。(しっかり訂正しないと怒る人がいるもんで=笑)

その(石)さんに刺激されて、わざわざ東京は有楽町のスバル座まで決死の覚悟と遠出しまして、この「花筐」を観に行って来ました。

◇昭和初期の唐津が舞台の映画

あ、また、二つ目の訂正です。この作品は、原作が私も大ファンの檀一雄先生。時代は昭和初期で、舞台は小生の母方の出身地で、今年亡くなった、大好きだった幸夫叔父さんも長年暮らしていた佐賀県唐津市ですから、見逃がすわけにはいきませんでした。

物語は、昭和12年の支那事変辺りから始まって、16年12月8日の真珠湾攻撃を経て、戦後に主人公の榊山俊彦(窪塚俊介)が青春時代を回想する場面で終わります。

日本は戦争にまっしぐらに進む軍国主義の暗い世相の中、その当時なりに若者はピクニックに行ったり、お酒を呑んだり、タバコを吸ったり、淡い恋愛をしたり、青春を謳歌したりします。

設定がかなり庶民とはかけ離れた裕福な豪邸が舞台ですから、映画の中では昭和初期に一世風靡したアール・デコ風の調度品がふんだんに出てきます。

唐津には私も何度か行っておりますので、懐かしい「虹の松原」も映画では頻繁に出てきて、唐津くんちの山車も全て揃って登場してました。(いわゆる町おこしのための、映画ロケのタイアップ製作作品)

長浜城跡(後北条氏の海城)Copyright par Osamoutakata (映画とは関係ありましぇん)

◇思い切って作品批判

で、肝心の映画ですが、巨匠大林監督の作品ですから、プロの映画記者や評論家は誰も批判しないので(日経の映画評は、何と五つ星でした!)、私は敢えて挑戦しますが、まず第一に長過ぎる!映画館では予告編も見せられて拘束されますから、それを入れて実に3時間の長丁場。私なんか、途中で我慢できず、御不浄に行ってしまいました。編集で30分はカットできたと思います。

も一つ、カメラワークが異様で感動の連鎖が途中で切れてしまいました。映画は、カット割りの継ぎ接ぎだらけだということは、昔、小生が学生の頃、アルバイトで映画のエキストラに出たことがあるので、よく分かっておりますが、あの撮影方法が目についてしまい、要するに自然の流れになっていないので興醒めしてしまうのです。

そして、これは巨匠大林監督の手法なのかもしれませんが、映画というより映像芸術として表現しがちで、美学としてはいいかもしれませんが、あまり行き過ぎると、物語世界にのめりこんでいけない嫌いがありました。

最後に何と言っても、40歳過ぎた中年というか、おじさん俳優が、10代の旧制高校というか予備門の学生役をやるのは、あまりにも無理があり過ぎる!キャスティングのミスでしょう。

以上、少し言い掛かりめいたことばかり述べてしまいました(苦笑)。

◇矢作穂香に大注目

ヒロイン江馬美那役の矢作穂香は、初めて観る女優さんでしたが、異様に可愛らしく、世界に誇れる女優さんですね。子役でデビューし芸歴は長いらしく、あの研音に所属し、まだ20歳なので将来が楽しみです。

映画の会話の中では、中原中也、山中貞雄の「人情紙風船」、満洲、名護屋城など私が関心がある人や場所が登場するので嬉しい限りでした。

今は便利な世の中で、出演者の顔を見て、「あの人誰だっけなあ」と思って、見終わって調べてみると直ぐ出てくるので有り難い。私の場合、「もどかしかった」人は、美那の友達あきな役と酒場の老娼婦役の俳優でした。前者は、全く映画の出演作は見たことがありませんが、映画館で本編が始まる前の予告編の紹介者としてちょくちょく登場していた「東宝シンデレラ」特別賞の山崎紘菜でした。後者は、何と池畑慎之介、つまりピーターだったんですね。長い台詞をスラスラとこなして出演場面も多かったので、誰方(どなた)かと思ってしまいました。

【特別エッセイ】男のサガについて

三島市「山中城」障子堀 Copyright par Osamoutakata

先日、テレビで、ある女性の心理学者さんが男と女の面白い違いを指摘してました。

テーブルの前に何枚かカードを伏せて並べて、一瞬だけ見せてからまた直ぐ伏せて、「何が描かれていましたか?」と質問すると、女性が「バナナがありましたね」などと答えるのに、男性の場合、あったカードではなくて、「葡萄がなかったですね」などと、なかったカードについて言及するというのです。

この話を聞いて、私なんか「はっはー」と思いましたね。

男という生物は、「ないものねだり」と言いますか、なくなったものに対して、妙に執着心があると思ってしまうのです。女性は、「ある」ものにしか興味がない、とも言えます。

だから、男は「失われた時を求めて」のような長編小説が書けるし、今はない幻想を追い求めたり、まあ、過去の歴史が好きだったりするんでしょうね。

男は、もう別れてしまった恋人や愛人やガールフレンドだけでなく、交際が絶えてしまった同性の友人たちについても、時々、ふと思い出したりします。

ところが、女は違うんですよね。

築地・イタリア食堂「のら」

女は、今、現前にあるものにしか相手にしません。「歳月日々に疎し」とよく言われます。英語では、Out of sight, out of mind. つまり、目の前から消えたら、はい、さようならです(笑)。

ある友人の話ですが、彼が遠く離れてしまった昔の女性に、誕生日が近いので久し振りに連絡したところ、電話も通じず、メールもラインのアドレスも変更されていたというのです。それは、それは、誠にお見事なものだったそうです。つい2〜3カ月前までは通じていたのに、一切、予告なしにプッツリ切れてしまったというのですからね。

昔、山本リンダの唄の中の歌詞に「ボヤボヤしてたら、あたしは誰かのいい娘になっちゃうよぉ〜♪」というものがありましたが、今の時代からすると、凄い歌詞で魂消てしまいますが、一理ある歌詞だったんですね(笑)。

いなくなってしまった人やモノのことでウジウジ悩んでいる男性諸君!貴方のせいではありません。単なる男のサガだったのです!

【教訓】

これからは、「ない」ものに執着することはやめて、今「ある」もの(明日飢えない程度のお金と、雨風を避けられる住む家、優しく声を掛けてくれる友人たち等)に感謝の気持ちを持って生きていけば宜しいのではないでしょうか。

【書評】「戦争を始めるのは誰か」を読む

万巻の書を読み尽くす博覧強記の栗原先生から、もう半年近い昔の今年7月に勧めて頂いた本2冊をやっと読了しました。

1冊の対談集は、事実の間違いが多いトンデモ本で、茲で取り上げる価値はありませんが、2冊目の渡辺惣樹著「戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実」(文春新書、2017年1月20日初版)は、さすが、栗原先生が「知的興奮の渦に巻き込まれる」とご指摘されたように、非常に面白かった。今年1年間で読んだ本の中でも、ベスト3に入ると言ってもいいです。

◇歴史は勝者が書く

私は元来、「歴史修正主義者」に対しては懐疑的、批判的立場を堅持しておりますが、渡辺氏のような「修正」は、大賛成です。

歴史というものは、いつの世でも「勝者」の眼や立場から書かれがちです。渡辺氏の場合、このような勝者からの歴史ではなく、いわば敗者から見た歴史を主張し、正史を修正して描いているのです。

人間はどうしても、物事や歴史を「善か悪か」や「正義か不正義か」の二元論で捉えがちです。それは、究極的には「勝ったか負けたか」の違いで、結局は、勝った者が正義であり、善になるわけです。

勝者によって歴史は書かれ、子どもたちも教育で教えられます。同書に沿って言えば、第一次世界大戦で負けたドイツは悪者で残酷で極悪非道、勝ったフランスや英国やロシアや米国は正しかったという「自明の理」です。

それをひっくり返して見てみると、真逆な真実が浮かび上がります。まさに、コペルニクス的転回です。例えば、この第一次世界大戦。セルビアの首都サラエボでの一発の銃声から始まったのに、ほとんど無関係な英国は、世界中に散らばる「大英帝国」の利権を守りたいがためだけに参戦。そして、ドイツの大西洋ケーブルを切断してドイツからの反論を封じ、米国に参戦してもらいたいために、ドイツの悪辣を非難するプロパガンダを米国に垂れ流します。フランスは単なる(といっては語弊がありますが)40年前に痛い目を遭わされた普仏戦争の復讐戦でしょう。

そして、大西洋を隔てたまさに全く無関係の米国は、欧州に武器を輸出してぼろ儲けして参戦し、JPモルガン銀行などが暗躍して、英国の戦費調達やドイツの莫大な賠償金の手数料の獲得に暗躍します。(その結果、世界の金融の中心地はロンドンのシティーからニューヨークのウォール街に移ります)

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で、連合国は、とても返すことができない天文学的数字の賠償金をドイツに課し(交渉の途中で英国代表の経済学者ケインズは、戦勝国ながら、ドイツへのあまりにもの理不尽な金額に精神状態がおかしくなってしまう!)、ドイツ国民の不満はやがて、ヒトラー政権を産む温床となっていくのです。

こんなことは、何処の歴史の教科書にも書かれたことはありませんから、私なんか目から鱗が落ちてしまいました。

Verona

◇経済的側面からのアプローチ

本書が面白いのは、これまでの歴史書には不足しがちだった経済的側面からアプローチしていることです。

著者は、どこのアカデミズムにも属さない民間の近現代史研究家のようですが、東大経済学部を卒業されている経歴から、かなりの経済学知識が豊富です。(ルーズベルト米大統領は、ハーバード大学では歴史学を専攻し、成績は「C+」(平均以下)で経済財政知識がほとんどなかった、と断定してます)

これまでの史書は、ほとんど権力者や大統領が何をしてどうなったのたか、戦争があって、その戦略がどうで、戦死者はどれくらいだったのか、といった記述が多いのですが、渡辺氏の著作では、戦費の調達方法や賠償金の額や物価や失業率など基礎的な経済指標などにも触れているので、読んでいても新鮮で、数字が具体的なので目を見開かせられるんですよね。

◇ニューディール政策は失敗?

例えば、米ルーズベルト大統領によるニューディール政策は、教科書では、テネシー川流域開発など公共事業によって失業者が減り、金融恐慌から立ち直ったと教えられたのですが、本書によると、失業率は、前フーバー政権と変わらず1000万人を超える高止まりで、国民総生産(GNP)もほとんど伸びず、具体的な数字を上げて、「失敗だった」と断定するのです。

もちろん、同書に書かれていることについて全面的に賛成するわけではありませんが、一読の価値があると思いました。

【追記】

著書の最も言いたいことは、最後の「おわりに」の中で集約されています。日本の歴史書のほとんどが日本国内の事情や中国満洲の状況だけを語って、太平洋戦争を読み解こうとしますが、それだけでは日中戦争の原因ぐらいしか分からない。米国が欧州や日中の戦いに非干渉だったら、世界大戦ではなく、局地戦で終わっていたはずだ、と言います。

日本の敗戦の原因を知るには、開戦した原因を知らなければならない。日本の開戦の原因を知るには世界史を知る必要があり、第2次大戦の原因を知らなければならない。その原因を知るには、第1次大戦に敗戦したドイツに天文学的数字の賠償金を押し付けられたヴェルサイユ体制にまで遡らなければならない、と著者は主張するわけです。

第2次世界大戦は1939年9月1日、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって火蓋が切られますが、その根本的な原因は、英国チェンバレン首相の「ポーランド独立保障」と間違ったポーランド外交だったと著書は考えます。ドイツが侵攻したポーランド回廊は、第1次大戦に負けて不当に押し付けられたヴェルサイユ体制で、ドイツ人が多く住む「人工的」に作られた地域だったことも明らかにします。

以下、目に付いたことを箇条書きで引用します。

・ルーズベルト米大統領が非常に好戦的で、なぜあれほど欧州の戦争に参入したかったのか。その原因は複合的だが、ニューディール政策の失敗を隠すために戦争経済を望んだのではないかという説が有力。(316ページなど)

・第2次世界大戦は、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相がその外交を間違えなければ、極端に言えばこの二人の政治家がいなければ起こらなかった。あの戦いは不必要な戦争だった。(8ページなど)

・ヴェルサイユ体制で、チェコスロヴァキアは世界第10位の工業大国となった。人口約1400万人。その3分の2はチェコ・スロバク民族系だったが、300万人のドイツ系、70万人のハンガリー系、さらに少数のポーランド系を抱え込み、どの国も領土を奪われた恨みの気持ちを持ち続けた。(71ページ)

・英政府の第一次大戦の資金調達を引き受けて巨利を得たのが米JPモルガンだった。30億ドルという天文学的数字の1%をモルガンは手数料とした。買い付け実務に辣腕を振るったのがエドワード・スティティニアス・シニアで、後にルーズベルト、トルーマン両政権で国務長官となったエドワード・スティティニアス・ジュニアの実父。(110ページなど)

・1925年12月2日、世界的な特許を多く保有するドイツを代表する化学会社(BASF、バイエル、アグファなど)が、独占企業体IGファーベン社を設立。英米大手化学会社(英シェル石油、米デュポン、スタンダード石油など)がこれと提携し、米国で禁じられたカルテル法に違反しない形で特許を利用できた。第一次大戦で敗れ、多額の賠償金を課せられたドイツが復興できたのは、このように英米の企業家、金融資本家、国際法務事務所の支援があったからこそ実現できた。(120ページなど)

・1936年に始まったスペイン内戦で、共産主義勢力が西ヨーロッパにも拡大することを恐れたイタリア、ドイツなどが介入した。ソ連からの軍事支援に失敗し、劣勢になった共和国左翼のアサーニャ政権は、政府機能をバルセロナに移した。共和国政府は、バルセロナのカタロニア州やバスク州にも自治権を認めていたので、この地方政府は共和国に協力的だった。(現在にも、カタロニア独立は、脈々と流れている!)1937年11月、英国は、結局、反共和国のフランコ政権を承認した。(182ページなど)

・1937年10月5日、ルーズベルト米大統領は、シカゴで講演し、具体的な名指しは避けたが、日独伊の3国によって世界の和平が乱されている。その是正のために米国は国際政治に積極的に関与しなければならないと訴えた。ルーズベルトは3国を伝染病患者に例えた。これが「隔離演説」と呼ばれる所以だ。(225ページなど)

・ニューディール政策の陰りは1937年8月から12月にかけての数字にはっきり現れた。鉱工業指数は27%低下し、株価も37%値を下げた。11月、12月だけで85万人が職を失った。(229ページなど)

・チャーチルは米国滞在中、ニューヨークで株式投資し、一時、6000ポンド(42万ドル)の利益を出すなどしたが、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」で7万5000ドル(今の価値で100万ドル)を損失。ユダヤ系米国人バーナード・バルークが7200ドル(今の10万ドル)を補填したが、借金の肩代わりをしたのは、エコノミスト誌の共同経営者ヘンリー・ストラコッシュだった。彼はオーストリア生まれのユダヤ人で、南アフリカ金鉱山で財をなした大富豪だった。(ストラコッシュはユダヤ人ではないと主張する論文もある)チャーチル家は、父ランドルフの時代からロスチャイルド家と深い交流があり、ユダヤ系の友人が多く、同情的だった。(259ページなど)

・「第2次世界大戦でチェコ人はわずか10万人が戦死しただけだった。一方で英国に救われたはずのポーランドは650万人が死んでいった。裏切られたチェコが幸せだったのか、それとも救われたポーランドが幸せだったのか。(それは言わずもがなではないか)」歴史家A・J・Pテイラー(300ページなど)

佃島渡船場跡〜再び、勝鬨橋【動画】

佃島渡船場跡

奮発して、佃大橋まで足を延ばしてみました。

風情があると思ったら、ガッカリ。車両優先で空気も悪く、行かなければよかったと思いました。

佃大橋は、東京五輪が開催された年、つまり昭和39年8月にできました。

この橋ができる前は、佃島は島(自然の寄州)でしたから、「本土」と島を結ぶ交通手段は、隅田川の渡し船しかありませんでした。(ちなみに、佃島は、徳川家康が大阪の佃村から漁民を移住させて漁業権を与えた。佃煮の発祥地)

◇嗚呼、懐かしやの「ポンポン大将」

渡し船は、俗称ポンポン船。昔、桂小金治が主演した「ポンポン大将」というテレビドラマがありましたが、今では誰も知らないでしょう。

私は「船長さんは朗らか〜ポンポン大将〜」という主題歌は、今でも諳んじることができますが(笑)。

佃大橋は、車両優先で風情も何もありませんでしたが、橋のたもとに「佃島渡船跡」の碑がありました。

全盛期は昭和30年で、「一日70往復もあった」と書かれていました。そして、繰り返しになりますが、昭和39年8に佃大橋ができて、300年もの歴史があった渡し船は廃止されるのです。

今は便利な世の中で、データベースによると、「ポンポン大将」は、NHKのドラマで、昭和35年9月4日から昭和39年4月5日まで、日曜日夜6時から、実に3年半も当時としてはロングランで放送されていたようです。

ちょうど渡し船の全盛期から廃止直前までの同時代が描かれていたわけですね。

内容は覚えていなかったのですが、またまたデータベースによると、子どもの時、浮浪児だった桂小金治扮する船長さんが、施設から三人の子どもを預かって育てる話だったようです。駄菓子屋のおばちゃん役が飯田蝶子だったとは!

昭和35年は、まだ戦後15年しか経っていないので、戦争孤児らは、まだまだ身近な問題だったことでしょう。

佃大橋があまりにも風情がなかったので、お口直しに、再び、勝鬨橋へ。

カモメが飛んでいました。

【書評】「永六輔」を読んで

畏友隈元信一さんの書いた「永六輔 時代を旅した言葉の職人」(平凡社新書)を読了しました。

今、ネット通販アマソンの何とか売上ランキングで第1位を獲得してベストセラーになっているようで、嬉しい限りです。

私が著者の隈元さんとお見知り置きになったのはもう30年近く昔ですが、彼の著作を読むと同時に彼の息遣いと声を聴こえてきます。不思議なもんですねえ。

この本は、放送作家、作詞家、放送タレント、芸能史研究家、ラジオパーソナリティーという戦後のマルチタレントの魁を行った多面体の天才的な人物の評伝ですが、著者の隈元さんが、永六輔という人を心底敬愛し、少なからず私淑していたんだなあ、という気持ちが伝わってきます。

何しろ、彼は永六輔が出版した200冊以上の本を読破し、「読書案内」まで載せる念の入れようです。

私は彼と同世代ですので、ほとんど同時代人として、テレビやラジオを通してですが、同じような体験してますので、話の内容はよく分かりますが、永六輔を全く知らない若い世代でも分かるように、安倍首相のように丁寧に説明文を付記する心の配慮があります(笑)。

ジュリエット像=イタリア・ヴェローナ

私の知らないことも結構ありました。

永六輔の師匠に当たる三木鶏郎(1914~94)の本名は繁田裕司(しげた・ひろし)。東大法学部卒のインテリで、筆名はミッキーマウスから無断拝借して、ミッキー・トリオから文字ったんだそうですね。(三木鶏郎がつくった「冗談工房」からは野坂昭如や五木寛之らが巣立ちます)

早熟の永六輔は、早稲田の高校生の時から、ラジオの放送作家として活躍しますが、初期の頃の今で言うラジオのプロデューサーが、NHK音楽部副部長の丸山鉄雄で、この方、ジャーナリスト丸山幹治(白虹事件で大朝を退社し、後に大毎に入社)の長男で、政治学者の丸山真男の兄に当たる人だったんですね。

永六輔の「仕事」として、「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」などの作詞家として芸能史に名を残すでしょうが、作詞家は若い頃の10年ほどで、その後は、諸般の事情(シンガーソングライターの登場など)で、断筆してしまうんですね。これも知りませんでした。

それでも、私の世代ではよく聴いた「えっ?あの曲もそうだったの?」という歌が結構多いです。

「黒い花びら」「夢であいましょう」「誰かと誰かが」「見上げてごらん夜の星を」「女ひとり」「いい湯だな」「筑波山麓合唱団」「二人の銀座」…キリがないのでやめておきます。

著者の隈元さんは、永六輔のことを「古典的なジャーナリストの原点を体現するような人物だった」と評し、メディア史が専門の山本武利氏(一橋大・早大名誉教授)の「新聞記者の誕生」(新曜社、1990年)から引用して、その理論的裏づけとしていたので驚いてしまいました。

山本武利氏は、先日、この《渓流斎日乗》で「陸軍中野学校」の書評で取り上げさせて頂いたばかりでしたから。

巻末には「参考文献」のほか、「関連年表」も掲載され、昭和と平成の日本の芸能史と社会の動きが分かるようになっています。

1963年を見ると、この年に、永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九唄の「上を向いて歩こう」が全米で第1位に輝き、その年末は、梓みちよ唄の「こんにちは赤ちゃん」が、レコード大賞を獲得します。彼が作詞した曲がレコード大賞に輝くのは1959年の「黒い花びら」(水原弘唄)に続き、2度目です。永六輔、この時まだ30歳ですからね。やはり、早熟の天才だったということでしょう。

放送作家、タレントとして、テレビ草創期の「夢で逢いましょう」をつくった永六輔も、晩年はラジオ中心の仕事に重心を置く経緯などが本書に詳しく書かれています。

「顔は長いが、気は短い」と自称し、意にそぐわない仕事はすぐ辞めてしまい(大橋巨泉らがその後釜に入った)、若い頃は相当生意気だったようで、大先輩作家の柴田錬三郎に批判されて、凹んでしまう逸話なんかは、本人に直接取材しなければ聞けない話でした。

永六輔は2016年7月7日に永眠。享年83。最後まで「現役」に拘って、走り抜けた生き方には感銘を覚えました。

公用電波を民間に開放へ、その裏に何が?

ミラノ・ドゥオモ

名古屋の篠田先生です。

どうも、渓流斎さん、お身体の調子が悪いようですので、あたしが肩代わりして本日は執筆することにしやんした。

何しろ、歯磨き粉を顔に付けたまんま、電車に乗ったり、銀座を歩いたりしたそうですから、相当危ないです(笑)。

◇楽天、第4の携帯電話事業者に

昨日、IT大手の楽天が第4の携帯電話事業会社に参入することを表明して、安倍政権も期待しているというニュースが世界を駆け巡りました。

しかし、このニュース、何処か胡散臭い。裏があるんじゃないかということで、あたしも調べてみました。

で、結局、あたしゃ、冬のボーナス319万円を貰えるような永田町の住人じゃないので、はっきりした証拠はつかめませんでしたが、どうも臭い。何かあるんじゃないか。これは、最初から出来レースじゃないかと、あたしなんか睨んだわけですよ。

つまり、来年辺り、安倍政権は、警察と防衛省の公用電波を一部民間に開放、てゆーか、規制緩和の名の下で、下々の民に分け与えてやるという政策を早晩発表しますが、その伏線を張っているんじゃないか、とあたしなんか見ているんですがね。

電波なんか、土地と同じように有限の希少価値です。それをお上が民に開放するということですから、入札競争です。何処が手を挙げて立候補しても構わないわけです。

それなのに、もうそれらの電波は楽天に引き渡すような既成事実を作り上げてしまおうというのが、今回のマスコミへの示し合わせたリークじゃないかと、あたしなんか睨んでいるわけですよ。

そりゃあそうでしょ?

第一、事情に精通しているいずれのマスコミも、批判の一つもしないじゃありませんか。

ミラノ・ドゥオモ

◇大田弘子女史の規制改革推進会議の正体

まあ、例の大田弘子女史の規制改革推進会議のように、「規制緩和!」を叫んで新利権を生み出す仕組みも、また、電波オークション導入を主張しているのも、こうした背景があるわけですね。

建前は、財政難で「財源、税収を増やす」ですが、「加計学園」同様に安倍首相の”お友達”に新利権を与えることが最終目的で、その最高権力者の意向を官僚が忖度するわけです。

規制緩和=新利権の仕掛けは、もう、子供でも分かる腐敗の構図です。東京地検特捜部がなぜ強制捜査しないのか。これも忖度かもしれませんね(笑)。

マスコミも「規制緩和は良いことだ!」「新規参入は、料金の値下がりにつながる」などと相変わらずステレオタイプの報道ばかりしておりますが、いい加減にそんな悪習から脱却するべきですよ。

マスコミも何処かで「忖度して」、大田弘子女史らと一緒になって「規制緩和=新報利権音頭」を踊っていることになるわけです。

こうなると、もう犯罪に近いのです。

iPhone 新機種断念は残念無念

シュークリーム fabriqué à la main

朝出勤して、トイレの鏡を見たら、口の周りに白い歯磨き粉が山賊のようにべったりとくっついていました。この顔で、バスに乗り、電車に乗り、華の東京は銀座の街を闊歩していたので、我ながら、一瞬、冷や水を浴びせられたような心境で微苦笑してしまいました。

怪しい変なおじさんです。

Milano

私のスマホは、2年前に初めてiPhoneに買い換えてすっかり気に入ってしまい、通話から、写メール、インスタ映え(やってましぇん)、静止画に動画撮影、そして、電車の中でのこの《渓流斎日乗》書きと八面六臂の活躍をしてくれています。

でも、購入して2年ともなると、電池の消耗が早くなり、何よりも、アプリやシステム設定の更新が頻繁に来るようになりました。そこで、「2年契約」の縛りも切れることですし、新機種に乗り換えようかと画策しました。

◇iPhone6はタダだった!

実は、今持っているiPhone6は、2年前は最新機種より2世代ぐらい古い昔の機種だったため、「一括ゼロ円」で購入したのでした。つまり、タダ!

しかし、そんな素晴らしい制度は、総務省の鶴の一声で廃止されてしまいました。私が画策した範囲内ですが、何処に行っても「一括ゼロ円」がなくなったどころか、量販店でも正規ショップでも、場末の裏街の携帯屋でも、ほぼ全く料金が同じになってしまったのです。店員が同じようなタブレットを持っていて、価格をはじき出すだけでした。

今、iPhoneの最新機種は「8」と「Ⅹ」ですが、一番安いiPhone8の64GBでも約9万2000円。iPhoneⅩ256GBとなると15万円もするのです。

繰り返しますと、それが何処に行ってもほぼ同じ値段なのです。

そこで、正規ショップで、値崩れした古い機種のiPhone7を購入しようとしたら、近くのショップは全て売り切れ。遠いショップも10軒以上電話で問い合わせてみましたが、全て在庫なしでした。価格は7万5000円ぐらいです。

確かに、量販店にはiPhone7はありましたが、正規ショップの1万5000円の割引券(ポイント還元)が使えないばかりか、3240円の手数料も取られるので、馬鹿らしい。

結局、新機種買い換えは諦めてしまいました。

何しろ、今、パソコンが、台湾製ながら特別価格で2万円を切る価格で販売されているんですからね!もう文房具に近くなってきました。しかも、高級万年筆よりも安い!

しょうがないので、今のiPhone 6でも十分に使えますので、半年後、新機種iPhone 8EかiPhone 9が発売された時に、値下がりしたiPhone 8でも買おうかなあと思っています。

やっぱり、変なおじさんでした。

【動画】有楽町で逢いませう!

ミラノ・ドゥオモ

12月14日。嗚呼、忠臣蔵ですか。…早いもので、年の瀬。今年2017年も残り少なくなってきました。

日本の首都東京・銀座のイルミネーションも綺麗ですが、有楽町も負けていませんでした。

昔あった有楽町そごう百貨店のコマーシャルソング「有楽町で逢いましょう」(佐伯孝夫・作詞、吉田正・作曲、フランク永井・唄)に引っ掛けて、「有楽町で逢いませう!」の動画を撮ってきました。

浦安でもないのに、急にミッキーマウスが出現して吃驚しました。

病気療養中で、都心にまで足を運べない北原さんにプレゼント致します。

トランプ大統領が可視化した米国の日本占領体制

クロード・モネのジヴェルニーの庭 ©️Hina

◇神保太郎氏のメディア批評

社友の真山君から読むように勧められた今月発売の「世界」(岩波書店)2018年1月号の中の神保太郎著「メディア批評」(2)上すべりするトランプ来日報道―は実に面白かったです。

この神保太郎という人は、筆名で、大手新聞社に勤務するジャーナリストらしいのですが、どなたか不明です。月刊「文藝春秋」の名物政治コラムの赤坂太郎と同じように複数のジャーナリストの代表筆名の可能性もあります。

この神保太郎をネットで検索すると、「メディアの内部にいる人間が匿名でメディアを批判するとは如何なものか」と批判する地方新聞記者の方がおりまして、こんな批判をする当人が、面白いことに、どう画策したのか、今年4月から有名大学の教授になった、と自分のブログに誇らしげに書いてありました。

イタリア・ヴェローナ

さて、神保太郎氏は、11月に来日したトランプ米大統領の日本のメディアの報道の仕方を大批判されております。

安倍首相と一緒に、やれ、霞ケ関カンツリー倶楽部でゴルフをしただの、銀座の高級鉄板焼き屋でステーキを食べただのといった報道ばかりで、肝心要のことが抜けているというのです。

でも、ま、神保先生、それこそが覗き見主義のジャーナリズムの本領を発揮した最たるものじゃないでしょうか(笑)。概して、ジャーナリズムは他人の不幸やスキャンダルや戦争(の脅威)で飯を喰っていることはなきにしもあらずですからね。

◇治外法権を飛び歩いたトランプ大統領

本題に入りますと、トランプ大統領の来日は、戦後、日本が独立を回復してから、歴代大統領がやったことがない空前絶後のやり方だったというのです。

まず、米国から大統領専用機で日本の法律が及ばない、つまり治外法権の軍事基地(東京・福生市の横田基地)から入国し、ここから埼玉県の霞ケ関カンツリー倶楽部に飛びます。ゴルフをした後、ここからヘリコプターで六本木ヘリポートに降り立ち、東京都心の地に足を踏みます。この六本木ヘリポートも日本の法律が及ばない米軍施設で、国会や首相官邸は目と鼻の先にあるのです。

ノンフィクション作家の矢部宏治氏によると、これらの飛行経路である「横田空域」は、日米安保条約に基づいた米国支配の象徴とみなされてきたといいます。つまり、首都圏上空に設定されている米軍専用の空域で、日航や全日空さえ(我が国なのに)米軍の許可がないと飛行できないというのです。

永田町には「日本に反米政権ができたら、米国から刺客がやって来て、横田基地からヘリで六本木に飛び、ひと仕事終えたら横田から出ていく。行動の足はつかないので日本の警察は何もできない」という冗談があるんだそうですね。

初めて聞きましたが、おっとろしいブラックジョークです。

◇いまだに米軍占領下の日本?

こんな事実を大手メディアは、新聞もテレビもどこも、あまり報道しなかったのに、「週刊新潮」11月7日号が、「安倍総理はトランプ父娘の靴を舐めたか」の特集の中で、「戦後72年経てなお、我が国が事実上の『51番目の州』であることがそこに存在した」などと報じています。

つまり、今回のトランプ大統領の来日行為は、いまだ日本は米国の支配下、占領下にあることを白日の下に晒し、「可視化」したと言ってもいいのかもしれませんね。

【動画】「勝鬨橋から隅田川を見ゆ」と電車の中の不愉快

築地・イタリアン食堂「のら」ランチ900円

久し振りに【動画】を投稿します。間違えて、iPhoneの縦で撮影してしまいましたので、両端が黒ずくめになってしまいました(苦笑)。

昼休みに会社から歩いて10分ほどで、こんな良い所があるとは気が付きませんでした。

タイトルは「勝鬨橋から隅田川を見ゆ」です。

東京・勝鬨橋

今日は通勤電車で、ちょっと不愉快なことがありました。

近くの座席に座っていた中国人の女が、ボリュームいっぱいの動画に熱中して、周囲に騒音迷惑をかけていたのに、全く誰も注意しないし、我関せずといった感じだったのです。

なぜ、中国人だと分かったかといいますと、何かアクションドラマか何からしく、中国語の罵声と、マシンガンの音がけたたましく鳴っていたからです。

周囲が注意しないのは、言葉が通じいせいかもしれませんが、女が法律違反を犯しているわけでもないせいだったかもしれません。

でも、こんな時どうしたらいいんでしょうか?私もわざわざ席を立って注意しに行くのも大人げないと思い、やめてしまいました。

インテリの皆さんは、外国人の移民大歓迎で、人権問題にも敏感です。恐らく、彼らは見て見ぬふりをするんでしょうね。

その女は五つ目ぐらいの駅ですぐ降りてしまいましたので、静かになりましたが、今から思うと、あの女は迷惑防止条例か何かには引っかかるはずでした。注意できなかった自分にも腹が立ちました。