オノ・ヨーコさんが幻覚型認知症とは…

山吹

今日4月26日は、「ゲルニカ爆撃」(1937年)、「チェルノブイリ原発事故」(1986年)が起きた日。

昨日は、ポール・マッカートニーが51年ぶりに日本武道館でコンサート。SS席が10万円とかで、ホテルニューオータニでの自民党二階派パーティー券とどちらが高かったか話題になりました。

そのパーティーで、あの今村雅弘復興相が「震災は、まだ東北で、あっちの方でよかった」と挨拶し、さすがにこの発言で、安倍首相も大臣の更迭に踏み切ったようです。

そりゃそうでしょう。一番、被災者に寄り添って、励ましの言葉一つぐらいかけなければならない立場の人が、「本人の責任」「裁判したけりゃ、やればいい」なんて切り捨てていたんですからね。

東日本大震災で、いまだに12万人近くの被災者が避難生活を余儀なくされているというのに、その東北の被災者に対して、「東北でよかった」などと、監督官庁の大臣が言うべき言葉ではありません。

蒲公英

今村雅弘復興相は、70歳の佐賀県人。東京大学法学部を卒業して、1970年に国鉄に入社し、JR九州の企画部長などを経て、政治家に転向した人でした。

日本の最高学府を出た学士様がこの程度では、世界中で、エリート粉砕を叫ぶ候補が、選挙で当選するはずです。

菜花

残念ながら、ポール・マッカートニーの10万円の公演切符は買えませんでしたが、今日発売の「週刊新潮」は買いましたよ。

オノ・ヨーコさんが「幻覚型認知症」という記事が出ていたので、ビートルズ・フリークとしては買わずにはいられません(笑)。

ヨーコさんは84歳だそうで、車椅子に乗った写真まで掲載されていました。

ちょっとショックでしたね。

新潮らしく、「少なく見積もっても2300億円超の財産があっても、病魔の進行になす術はない」と、皮肉を書いてましたが、小野洋子は、安田財閥の一族で、父親英輔は東京銀行の常務だったという、もともと大金持ちの家庭で育ったことを家系図を入れて紹介するなど、ツボは抑えてました。

「千代田」会談

アジフライ定食

昨晩は、東京・飯田橋のグランドパレス 日本料理店「千代田」で、小新聞主筆、水雷艦長、官房秘書、財界之財界さんらと食事会。

艦長さんの機嫌がすこぶる悪く、引き連れてきた若い水兵さんに対して急に豹変して、今村復興相の如く「おまえ、うるさい」「出て行け」と怒鳴り、その後、スッキリされたのかぐっすりと寝込んでしまいました。

会談の内容は、財界之財界さんから堅く口留めされているので、茲では書けないのが残念です。

共謀罪の話は、出なかったことになっています。

恐らく、誰も知らないでしょうが、この渓流斎ブログは、改編、引越し、中断、消滅、復活…と色々ありましたが、今年で12年目になります。

昨晩の会談でも、殆ど読まれていないことが判明し、これからも、誰容赦なく、気遣いすることなく、誰も読んでいないのなら、備忘録のつもりで続けてみるか、という気持ちを新たにした次第(笑)。

日本は格付けが大好きな格差社会

菜の花

街の本屋さんの灯を消してはいけないので、たまに近所に唯一残っている本屋さんに買いに行きます。

何も、いくら便利だからといって外資系の通販ばかり儲けさせてあげることもないでしょう。

そして、出掛けてみると、意外にも、とんでもない掘り出し物にぶつかることがあります。昨日は、まさしくそうでした。

ここ最近、いやもう数十年も昔からの疑問だったのが、歴史上の身分を表す官職名です。

例えば、従三位(これで、じゅさんみ、と読みます)とか、信濃守とかいった名称です。

具体的に言いますと、豊臣秀吉は「太閤」、石田三成は「治部少輔(じぶのしょう)」、徳川家康は「内府」、このほか、水戸黄門や大岡越前守らが有名です。

これらは一体どういう意味なんでしょうか?

これらの様々な疑問に答えてくれたのが、たまたま街の本屋さんで見つけた大石学著「江戸時代の『格付け』がわかる本」(洋泉社、972円)だったのです。2017年4月19日初版なので出たばかりでした。

いやあ、長年の疑問が氷解してスッキリしました(笑)。

上の疑問で言いますと、秀吉の太閤とは、関白を中国の官職に言い換えた言葉だったのです。唐名と言います。同じように、家康の内府は、内大臣の唐名。黄門、正式には黄門侍郎は、中納言の唐名だったのです。

ちなみに、関白も内大臣も中納言も、奈良時代に中国に倣って律令制(律=刑法、令=行政法)を取り入れた時に、その官職はなかったので、令外官(りょうげのかん)と言います。令外官には、他に、征夷大将軍や検非違使などもあります。

三成の治部少輔は、官途(中央官制の長官)名で、実際の役職というより名目上の名称となりました。井伊直弼の掃部頭なんかもそうです。

大岡越前の越前守も、もともと「守」(かみ)は、国司の長官名です。身分として四等官があり、それは長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)なので、国司となると、守、介、掾、目となるわけです。

えっ?分からない?

つまり、越前でしたら、長官が越前守、次官が越前介、判官が越前掾、主典が越前目というわけです。

江戸時代になると、国司は形骸化しますから、領地の主=国司名とはならず、名目上の名前で幕府に許可を求めます。例外として、鍋島藩の肥前守などのように一致するものもあり、武蔵守は、江戸幕府のあるところなので、名乗ることは禁止されました。

大岡越前守忠相も、町奉行になる前は、大岡伊豆守を名乗っていましたが、町奉行の中に既に伊豆守がいて、バッティングしたため、越前守に変えたのです。

あと、正一位から従八位までと大小の初位(そい)の「位階」があります。

こちらは、従五位(じゅごい)以上が「貴族」、従三位以上が「公卿」と呼ばれ、歴然たる身分制度があります。

天皇に謁見するためには、この位階がなければならないので、江戸時代に初めて象が来日した時、この象さんに従四位が贈られたという逸話があります。忠臣蔵の浅野内匠頭は従五位下だったので、何とそれより上だったのです!

このように、人は官職で婉曲に呼ばれましたが、本名は諱(いみな)と言って、忌み名に通じることから、日本人は昔から、本名で呼ばれることを嫌ったからです。

「源氏物語」にしろ「徒然草」にしろ、人は、官職名で呼ばれてますよね。

言霊の国ですからね(笑)。

ですから、ネット社会で、堂々と諱を曝け出している日本人は、勇気があるなあ、と思うわけですよ。

パリの銀行が繁栄した秘密とは

昨日は、大学の同窓会(東京・大手町のサンケイプラザ)に参加してきました。春と秋の年2回あります。フランス語を専攻した皆さんなので、ワインと美食にうるさい(笑)人が多く、秋はボージョレヌーボー、春もそれなりの高級ワインが出ます。

昨日もワイン通から、ワインの説明がありましたが、忘れました(笑)。吾人には理解不能で、ワインでしたら、美味しければ何でも戴くタイプだからです。

毎回、多彩なゲストスピーカーをお呼びします。ゲストとは言っても身内の卒業生です。それが、皆さん優秀な方ばかりですので、各方面で御活躍されております。

有名な政治家だけはいないようですが(笑)、官界、財界、学界、文学界のほか、公認会計士や同時通訳者など数多の人材を輩出しております。

昨日のゲストは、東京銀行のパリ支店長などを歴任した渡辺昌俊氏でした。色々な部署を体験され、ベトナム戦争中のサイゴン支店にも勤務されていたそうです。

東京銀行は、今では三菱東京UFJ銀行として吸収合併されましたが、かつては国立の横浜正金銀行で、日本で唯一、外国為替事業を認可された銀行でした。若き永井荷風がこの横浜正金銀行の行員で、リヨン支店やニューヨーク支店で勤務した体験などから、「あめりか物語」「ふらんす物語」を発表しております。

さて、ゲストの渡辺氏は幸運なことに、パリ支店は3回も勤務されたそうで、最初に渡仏した時(1962年)の、東京銀行パリ支店長が、戦後、文民としてただ一人A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の長男広田弘雄で、この方、作家大岡昇平の小学校時代の同級生で小説「幼年」にも登場します。

そして、パリ支店次長が窪田開造。この人は、窪田啓作の筆名を持ち、加藤周一、中村真一郎、福永武彦らと「マチネ・ポエティック」に参加した詩人、文学者で、カミュの「異邦人」の翻訳家としても知られています。

渡辺氏のお話で面白かったことは沢山ありましたが、2点だけ特筆しますと、まず、フランスの銀行には2種類あるということでした。一つは、(1)バンク・ドゥ・デポといって、日本の市中銀行と同じように、預金で運用したりする銀行。もう一つは(2)バンク・ダフェアといって、預金は集めず、証券会社のように投資事業を行ったりする銀行ーの2種類です。

1960年代の日本の銀行には何処にもディーリングルームがなく、渡辺氏らが中心になって、色々と偵察、ではなかった、研修をさせてもらって参考にして、取り入れていったそうです。

もう1点。なぜ、フランスの金融業界が国際的に繁栄したのか?

もともと、国際金融業務は、基軸通貨が中心になります。第1次世界大戦までは、大英帝国のポンドが基軸通貨だったので、ロンドンの「シティー」が。第2次大戦後は、ブレトン=ウッズ体制でドルが基軸通貨となり、ニューヨークの「ウォール街」が中心となります。

金融業界の規模をボールに例えると、ロンドンやニューヨークがサッカーボールだとすると、パリはテニスボールぐらいの規模。金融の中心を自負するフランクフルトやチューリッヒでさえ、ビー玉ぐらいの大きさだというのです。

ですが、それにしても何故、パリにお金が集まるのか不思議です。

それは、戦後の東西冷戦の時期、ロンドン、ニューヨークといったアングロサクソン系の銀行を嫌ったソ連や東独、ポーランドといった旧共産圏がパリの銀行を贔屓にしたからなのでした。

もう一つ、ド・ゴール大統領の手腕で、アラブ諸国との交流を良好にしたため、オイルマネー(もしくはオイルダラー)がそっくりパリの銀行に流れてきたというのです。

ベトナム戦争後は、パリで和平会議が開催されるなど、パリは、アングロサクソンではないのに、国際都市として、世界から注目と信頼を勝ち取ることに成功しました。

なあるほど。プロ野球で言えば、パリの銀行は「アンチ巨人」の受け皿だったわけですね。

自民党源流の代議士の中には大政翼賛会に反抗した人がいた

ホッケ焼定食880円

これでも、近現代史関係の本は、自分なりに目を通してきたつもりでしたが、かなり偏っていたことが分かりました(笑)。

パリのクルトル先生お勧めの楠精一郎著「大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち」(朝日新聞社)を読み進めると、知らないことばかりで、驚きの連続です。

この本は、政府与党自民党の機関紙「自由民主」の連載をまとめたものが、朝日新聞社によって刊行されています。ということは、世間一般、巷間で伝わっているオルタナ真実とは真逆で、朝日新聞社とは、反体制派でも左翼でも何でもなく、エスタブリッシュメント(既得権益者)だということがよく分かります。

そもそも、右翼、左翼という言葉自体、フランス革命後の議会で、王党派と反王党派が席を占めた場所を指して使われ始めたもので、人間そんな単純なもんではありません、

右翼・体制派と言われた人でも、しっかりと「治安維持法」に反対した国会議員(星島二郎、尾崎行雄、坂東幸太郎ら)もいたわけで、本書にも偉大な人物として出てきます。何しろ、本書のタイトル自体が示す通り、東条英機に反旗を翻して、大政翼賛会に反抗した代議士40人を取り上げているわけですから。

デザートはムース

引用したいことは沢山あります。

「憲政の神様」と謳われた尾崎行雄(1858~1954)が、なぜ、「咢堂」と号したのか?ーそれは、尾崎が、大隈重信が結成した立憲改進党に参加した後、明治18年、東京・日本橋区から立候補して27歳で、東京府会議員になります。ところが、明治政府が民権派弾圧のために発布した保安条例によって、東京から退去を命じられてしまいます。酒席で、縁の下に隠れていたスパイによって、冗談が密告されたからです。

どこか、今の共謀罪の匂いがしてきます。

これに驚愕した尾崎は、自分の雅号を最初は「愕堂」とし、後にりっしんべんを外した「咢堂」と名乗るわけです。

チューリップ

今はときめく世耕弘成経産相兼内閣府特命担当大臣。大阪の近畿大学の理事長としても有名ですが、なぜ、早稲田大学出身の彼が近大の理事長なのか、彼の祖父の代にまで遡らなければ分かりません。

世耕弘一。恐らく、日本史上では、こちらの方の方が重要で格上でしょう。何しろ、苦学力行の人で、人望が厚く、「世耕宗」と言われるほど、和歌山の選挙区では熱烈に支持する人が多かったといいますから。

新宮市の貧しい農家の九番目に生まれ、人力車夫をしながら苦学して日大に入学し、ドイツ留学の後、教授にまでなります。昭和9年に日大と関係が深かった大阪専門学校の校長と大阪理工科大学の学長に就任し、学制改革で両校が合併して近畿大学となると、初代の総長兼理事長になった人です。

続いて、「二・二六事件」の首魁として民間人ながら処刑された北一輝(輝次郎)の実弟北昤吉も大政翼賛会に抗して同公会に所属した40人の代議士の1人でした。

彼は、母校早稲田大学哲学科の講師を始め、大東文化学院教授、大正大学教授などを務め、多摩美術専門学校(多摩美大)の創設者になっています。

さらに、国家総動員の軍事体制の真っ只中で、軍部に異議を唱えた国会議員がいました。

昭和15年3月の衆院本会議で、斎藤隆夫議員が、政府による非現実的な日中戦争の処理方針を糾弾すると、「『聖戦』を冒涜するとは何事だ」と軍部の圧力によって議員を除名されます。この時、除名の可否を問う投票で、敢えて反対票を投じる勇気のある気骨な代議士が7人いました。その中に、戦後首相となる芦田均や軍人出身の宮脇長吉、それに弁護士出身の名川侃市(ながわ・かんいち)らがいました。

この中の宮脇長吉は、昭和13年3月のあの有名な「黙れ事件」のもう一方の主役でした。主役は、戦後の東京裁判で52歳の最年少でA級戦犯(終身禁錮刑)となった佐藤賢了中将(当時は中佐、石川県出身、1895~1975)です。衆院委員会で、国家総動員法を審議している際、佐藤は、議員の質問に答弁しているときに、野次に対して「黙れ!」と一喝したのです。一介の中佐に過ぎない説明役の横柄な態度に議会は大混乱に陥ります。

佐藤の回顧録によると、この「黙れ」の後に「長吉!」と言おうとしますが、その名前はぐっと飲み込みます。その長吉こそが、宮脇長吉代議士のことで、実は、宮脇は元々軍人で、陸士第15期。陸士第29期の佐藤より14期も先輩でした。しかも、宮脇は、佐藤が陸士在校中の教官でもあったのです。

この宮脇長吉の子息が中央公論編集者から紀行作家となった宮脇俊三です。

ちなみに、佐藤は、東条英機の悪名高き「三奸四愚」の1人と言われてます。(三奸=鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、四愚=木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄)

もう1人、斎藤隆夫議員除名に反対票を投じた名川侃市は、明大卒業後、判検事登用試験に合格して東京地裁部長などを歴任します。しかし、私学出身ということから将来に見切りをつけて退官し、弁護士となります。そして、何と、大正12年の甘粕事件の弁護人の一人でもあったのです。

甘粕事件の弁護人の中にこういう経歴の人がいたとは、恐れ入りました。知りませんでしたね。

公事結社しかなくなる近未来

日比谷公園

パリのよく間違えられますが、サルトルではなくクルトル先生です。今日は、パリ中心部のシャンゼリゼ通りでまたまたテロが起き、23日の大統領選挙を目前に控え、不穏な空気が流れています。

日本も「一強多弱」の「忖度」時代ですね。

外国人から見ても、権力を握った為政者がやりたい放題に見えます。

園児に教育勅語を暗唱させる森友学園の教育方針と思想信条に共鳴し、お友達の加計学園の理事長には、市有地を無償で払い下げられるように周囲に忖度させる。

時の日本の安倍首相は、戦前の暗黒時代に戻らせるかのように、「安全保障法」に続き、治安維持法を想起する「共謀罪法」まで成立させようとしています。

シクラメンなど

ところで、2006年に刊行された楠精一郎著「大政翼賛会に抗した40人 自民党の源流の代議士」(朝日選書)は、今のような不穏な時代、日本人には必読書ではないでしょうか。

楠氏は東洋英和女学院大学教授で、この本は、自民党の機関誌「自由新報」に連載した記事を加筆したものです。

東条英機の圧政の中で、当時の国会議員らがどう悪戦苦闘したのかよく分かります。こんな政治家がいたのか、と思うことでしょう。日本のテレビにチャラチャラ出てくる政治コメンテーターなんぞは、何も知りません。

例えば、大野伴睦は院外団出身ですが、同書で院外団とは何か書いてあります。つまり、国会の外でデモをしたり、示威活動をするのですが、その伝で言えば菅直人は院外団上がりの日本で最初の首相ですね。大野伴睦に比して如何に人間が小さいか。平沢貞通の無罪を主張したり、泥棒に追い銭を遣ったり、若いころの読売新聞の渡邊恒雄を手下にしたり、凄いですよ。人間味がありますね。

戦前の大悪法の「治安維持法」から、さらに「大政翼賛体制」に入り、「政党」が解散、解体されるのですが、そこで「政治結社」と「公事結社」の分類が出来るのです。

恐らく、多くの日本人は「公事結社」とは何か分からないでしょう。言うまでもなく、「政治結社」とは政党などですが、「公事結社」とは非政治の結社なのです。分かりにくいでしょう。この本に詳しく書いてありますが、当時、これについて、国会で質問された時の大臣、今でいえば、金田法相みたいな所管の平沼麒一郎内務大臣が言葉に詰まって、「まあ、清掃組合みたいなものだ」と答弁したという事実に触れています。

まあ、日本ではこれからは、「公事結社」なら許されるのでしょう。思想表現の自由の無い時代到来です。

ヒアシンス

コンピュータがいくら進化して、技術革命が進んでも、肝心の人間そのものは不変で、歴史の繰り返しです。
安倍首相は、お爺さんの「昭和の妖怪」岸信介の再現です。北朝鮮を「問題だ、問題だ」と言いますが、全ての根源に世襲があるのです。

日本は、北朝鮮を批判できません。金日成と金正日と同じです。中川政務官も二代目で親父と同じで「●●(伏字)」です。日本人は自分の足元をよく見ていないというか、メディアが真相を見せようとしないのです。産経新聞も、北朝鮮を批判するなら、なぜ「世襲制」批判をしないのか。問題点をすり替えているのです。

以上、フランス人のジャポニストの意見ですが。

内閣府の月例経済報告は、今日発表されまーす

宣伝したくないけど本日開店 銀座シックス

私も、その書き物にはいつも注目しているある著名な学者さんが「ニュースソース(情報源)の9割以上は、オープンソース(公開情報)なんですよ」と発言していたので、「へー」と驚いたことがあります。

著名学者ですから、特別なルートやコネがあって、彼しか入手できない超機密事項でもお持ちなのかと思っていましたからね。

確かに、市販されていない文献や、特殊な情報機関からの情報もあるでしょうが、それは「1割も満たない」と正直に告白してくれたわけです。

オープンソースは、日々、誰も、いとも簡単に手に入る情報源のことです。そのうちの殆どが新聞や雑誌と言ってもいいかもしれません。

これまたあまりにも有名で、テレビや新聞雑誌に出まくっている「知の巨人」とまで言われている2人の両巨頭でさえ、やはり小まめに情報をまず新聞で入手して、2人とも新聞は毎日10紙も目を通しているそうです。

全部自前で取れば、月に5万円、年に60万円近く掛かりますね(笑)。いや、今日はそんな話ではありませんでした…。
咲いた咲いた

ネット時代になって、いろいろと毀誉褒貶、善悪、良し悪しが議論されますが、公権力、と言ってはダメか、お上、これもダメ?じゃあ、官公庁による情報がネットで公開されるようになったことは、最大の収穫であり、功績ではないでしょうか。

何しろ、これまでは「特権階級」の一部マスコミ記者か、シンクタンクか総合研究所の主席研究員さん辺りしか手に入らなかった情報が、今では誰でも、ネット環境のある人なら、スマホでもいとも簡単に入手できてしまうのですからね。

その代表例が、内閣府が発表する「月例経済報告」です。月例ですから、毎月20日頃に発表されます。

例えば、【我が国経済】の項目には、「国民所得統計速報」「個人消費」「輸出・輸入・国際収支」「企業収益・業況判断」「雇用情勢」「景気動向指数」などがあり、【海外経済】の項目には、「国際金融」「主要経済指標の国際比較」などが並び、まさに至れり尽くせりです。

ハハア、偉そうな顔してテレビに出たり、有力紙誌に生意気な論文を書いている連中は、しっかり、これらの資料を引用して、喋ったり、書いたりしてたわけですねえ。

えつ?おまえ、今頃、そんなこと知ったのか?てか?

へっ、親分。じつあ、アッシも、このお上の資料から引用さしてもらつて、ぶろぐを書いてんでありんすよ。へっ、へっ、へ(笑)

ビッグデータの時代ですから、情報は洪水のように溢れています。しかし、その中の真の宝と言えるべき情報を発見したり、何を選ぶかによって、今は、その人の見識や真価が問われる時代になったと言えます。

ルペン仏大統領で、どうなるか、さっぱり分からん

煮魚定食 980円

フランス大統領選挙が23日に迫ってきました。

恐らく、第1回投票で決まらず、5月7日の決戦投票まで持ち込まれることでしょう。

私は、既に、極右政党国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン氏が、大統領になると予想していますが、そうなってしまう今のフランスが抱えている問題は深刻です。

ルペン氏が掲げている「反EU」にせよ、「移民排斥」にせよ、結局行き着くところは、雇用問題です。

政治とは、いかに国民に雇用を行き渡らさせて、富(税金)を公共福祉として分配するか、が全てだからです。

それなのに、今の左派オランド政権のフランスでは失業率が10%前後で推移しています。そして、今年2月の15~24歳の若者に限ると、それが23.6%に跳ね上がるというのですから、4人に1人が失業中という異常事態です。(ちなみに、日本の1月の失業率は、3.0%、若者は4.4%)

一方で、EUの盟主ドイツの失業率は、3.9%です。それにはカラクリがあって、ドイツでは規制緩和のお陰で、非正規雇用が増えたため、失業率は下がったものの、賃金格差が増大したというのです。

フランスでは、ドイツほど非正規雇用は多くはなく、賃金格差もドイツほどではないとも言われてます。

ルペン氏の「反EU」とは、結局、「反ドイツ」なのではないでしょうか。移民問題とは、結局、雇用問題ではないでしょうか。そう感じたフランス国民が、彼女を支持し始めたのではないかと思ってます。

しかし、ルペン氏が大統領になれば、大混乱は必至でしょう。まず、EUに離脱すれば、通貨ユーロからも離脱し、国際金融市場に異変が生じ、株価も乱高下するのでは?

世界同時多発的保護主義のぶつかり合いで、不穏な雰囲気に?

翻って、我が日本。平日だというのに、朝から銀座のパチンコ店の前で大行列。これで日本も安心?

いやはや、正直、これからどうなってしまうのかさっぱり分かりません。

誰も知らない鳥取県

IT’s展での故片岡みい子画伯の作品

昨晩は、東京・銀座の渋谷画廊で開幕した「IT’s展」のオープニングパーティーに行ってきました。

2月に亡くなった片岡みい子画伯の遺作展ともなりました。ちょうど去年の今頃、同展の定例会が開催され、まだ片岡さんもお元気で、雑談したり、写真を撮ったりしたものでした。

どういうわけか、昨年も雨で今年も雨。到着するやいなや、バス観光協会長さんがプラスチックカップに、ビールを山盛り注いで下さりました。

私はと言えば、荷物と傘を何処に置こうか、思案しているまま、ぼんやりしてカップを傾けて床にビールを零してしまいました。それを見た市瀬支配人から「なんばしょっとね!」と怒られてしまいました。コワ~

会場では、以前に片岡さんから紹介して頂いた米澤画伯と再会することが楽しみでした。立派な経歴と職歴の持ち主ですが、いつも世間を超越した仙人のような格好をして、考え方も超然としているので、お話を聞いているだけでも楽しい方です。

昨日は、米澤画伯の出身地鳥取県のお話でした。県の人口は60万人足らずで、何と日本一少ない!東京の街を歩く人でも鳥取県人を見つけることは極めて稀なわけです(笑)。何しろ、東京の世田谷区民より少ないのですから。それでいて、東京都より面積が広い!

鳥取県には四つしか市がありません。鳥取、米子、倉吉、境港です。高校も少ないので、県大会で4回勝てば甲子園に行けるそうです。

最近は、野球よりも相撲に力を入れているそうで、高校の監督、部長がモンゴルにまでスカウトに行くそうです。その代表が大関照ノ富士。県内は、ちゃんこ屋さんが溢れ、店主は相撲部の監督さんや部長さんだったりしているとか。(笑)

大変失礼ながら、鳥取県と言っても、山陰地方にあることは分かっていても、地理的に島根県との区別がつきません。恐らく、全国一知名度が低い県かもしれません。

そこで、危機感を抱いた歴代の県知事さんが、全国に鳥取県を売り込もうと考えました。

それが、漫画です。

「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるや、、「名探偵コナン」の青山剛昌、「孤独のグルメ」の谷口ジローらが県出身ということで、今や大々的に観光資源として売り出し中です。数年前から、米子空港を「米子鬼太郎空港」に、鳥取空港を「鳥取砂丘コナン空港」にそれぞれ名称を変えたそうですね。

歴史的にもあまり英雄がおらず、知られていませんが、古代は因幡と伯耆の国で、中世、近世は代々池田家が治めていました。

今、上野の国立博物館近くに「黒門」がありますが、これは丸の内にあった池田藩上屋敷の門を移築したものです。

都内に現存する江戸時代の門として、本郷東大の「赤門」(加賀前田藩)と並ぶ国の重要文化財ですが、鳥取県人でさえ、あまり知られていないそうです(笑)。

鳥取の池田藩主は、兵庫県の姫路城藩主池田輝政の次男忠継が治めた岡山の池田藩と国替えして藩主となったそうで、血筋は同じ。同族です。そう言えば、新橋に県物産店として岡山県と鳥取県が合同になっていたので、不思議だなあと思っていましたが、ちゃんと歴史的背景があったわけですねえ。

休息のすすめ

東京スカイツリー

春先は大気が不安定で、天気の移ろいも激しい。人間も同じかもしれません。

先週は、帰宅の通勤時間帯に、人身事故が、木曜日と金曜日の二日連続起きまして、さすがにウンザリしました。

ダイヤが乱れ、時間調整のために、駅で何度も何度も停車したため、倍近く帰りの時間がかかりました。

混雑も半端ではありませんでした。
電車から駅に降りたら、人相の悪い餓鬼に小突かれて、危うく転倒しそうになりました。

民度の低い所に住んでいるので致し方ありません。

地方では過疎化、限界集落となり、商店が軒並みシャッターで閉じられてしまっているというのに、一極集中のお陰で、首都圏の過密と混雑は異様です。

新年度、新学期が始まり、五月病が増える来月は、恐らく、今以上に人身事故が増えることでしょう。

何かいい対策、解決策はないものか…。

東京日比谷

偉そうなことは言えませんが、気が重い場合、どうしようもない場合、心が風邪をひいたと悟って、思い切り休んだらどうでしょうか?

1カ月ぐらい休んでも、どうってことはないと開き直ったら如何でしょうか。

しかし、思い詰める人に限って、「自分がいないと仕事が進まない」「周囲に迷惑を掛ける」と気ばかり焦ることでしょう。

でも、「周囲に迷惑を掛ける」という気持ちが少しでもあれば、わけが分からなくなってしまう前に、思い切って休む方が得策です。

老婆心ながら、経験者は語る。

駅で小突かれて転倒しそうになった時、昔なら頭に血が上って反撃したかもしれませんが、異様に冷静で少しも腹が立ちませんでした。むしろ、可哀相にと思いました。

自分でも不思議でしたが、歳を取るのも悪くないと思いました。

自分さえ良ければ、人を押しのけてでもよいという考えの加害者にはいつか報いが来ることを経験の上で知っているからです。