あれから40年…

さきたま古墳公園

綾小路きみまろの決まりセリフに「あれから40年…」というフレーズがあります。

昨晩は、その奇妙な40年に気が付きました。

40年前、学生だった私は、色んなアルバイトをしました。中でも鮮烈な記憶として残っているのが、出版卸しの作業工場です。

もう今ではなくなったと思いますが、当時、東京・飯田橋の駅近くに日販の工場がありました。出版社から集まってくる書籍や雑誌を梱包して、全国の本屋さんなどに配送する現場でした。

雑誌なら30冊くらいを1単位として、硬い油紙のような紙に包み、非常に硬いプラスチック製のテープで、機械で一瞬にして梱包する単純作業でした。

雑誌などは、ベルトコンベアで流れてきて、休む暇もありません。皆んな黙々と作業をしています。学生バイトは、梱包された雑誌を所定の位置に運んだり、補助的な仕事を担当しました。

これを見て、チャプリンの映画「モダンタイムス」を思い出しました。チャプリン扮する労働者は、ベルトコンベアから流れてくる部品のネジを締めるだけの単純作業で、疲れて休んだりすると、次の人に影響が出て大変。何しろ、大型スクリーンで経営者が時々監視したりします。

公開は、1936年です。何と、2・26事件が起きた大昔です。考えてみたら、私もその流れ作業を体験したのは、今から約40年前の1976年だとすると、そのちょうど40年前に当たるではありませんか。

1976年に若者だった私は、その40年前の1936年の出来事は、戦前の大昔のことで、当時と繋がりはなく、戦前と戦後ことなので、遠い過去の出来事で、全く断絶したものだと誤解しておりました。

それがどうでしょう。

さきたま古墳公園

歳月を経たとはいえ、今から40年前に体験した流れ作業は、鮮やかに思い出すことができます。名前は忘れましたが、40歳代後半と思しき、髪の毛にポマードを付けてオールバックし、少しキザっぽい、遊び人のような労働者。そんな人が、昼休みになると、おにぎり二つを食べて、長椅子に寝っ転がって熱心に新聞を読んでいた姿をありありと思い出すことができます。

「あれから40年…」となると、自分が生まれる前と生まれた後では感覚が違うということなんでしょうか。

最近、作家三島由紀夫の未公開秘蔵インタビューテープが見つかったということで話題になっていますが、この中で三島は面白いことを言ってます。

生まれる前は、死は外側にあったのに、生まれたら、死は内側に入ってきた、と。

三島らしい繊細で鋭利な表現です。

この三島の記事を読んで、40年前の若い頃、そのまた40年前の自分が生まれる前のことに思いを巡らしたわけなのです。

鬼才のパフォーマンス

忍城

畏友末岡武彦氏から、自作自演のパフォーマンスがSNSを通して、送られてきました。

「パフォーマンス・ナンバー1」 ??こちら

パフォーマンス・ナンバー2」 ??こちら

ちょっと、目が怖いところもありますが、彼は怖い人ではありません(笑)。

ジョークが通じる良い人です。

千鳥ヶ淵

末岡氏の短いコメントもあります。

…やっと、YouTubeの自作自演のライブラリーが充実してきました。完璧な演奏ではないですが、誤解無く、精神の共有が出来ると思います。19世紀以来のフレデリック・ショパンといった自作自演家を目指しております。貴方のブログに冷かしではなくて、真面目に宣伝して頂ければ幸いに存じまする。…

緊張しますねえ。ついに、渓流斎ブログも、宣撫活動の一翼を担うことになりました。

まあ、世界の人気ブログ(?)ですから、多くの皆様方がアクセスして下さることでせう。

漢字の不思議

皇居

私は、全く中国語が出来ないのですが、漢字には「一文字一発音」の原則があるらしいですね。

例えば、「高」なら「がお」といった調子です。

(以下も含めて、間違っていたら、コメントで修正お願いします。)

それなのに、日本では、色んな読み方があります。

例えば、「明」なら、「みょう」「めい」「みん」といった感じです。

これは、実は、日本に漢字が輸入された際の発音そのまま、という説があります。

古い順に、「呉音」(飛鳥時代)、「漢音」(平安時代)、「宋(唐)音」(鎌倉時代)と呼ばれ、「明」を例に取れば、「みょう」が呉音、「めい」が漢音、「みん」が宋音となるわけです。

記紀によると、日本に漢字を伝えたのは、渡来人の王仁で、6世紀のことと言われています。

この頃、同時に仏教も入ってきましたので、文字という書き言葉は、お経が原点だったのでしょう。

そのせいか、「利益」は呉音で「りやく」と読み、漢音で初めて「りえき」と読むようになります。

宋音は、鎌倉時代の禅宗の留学僧が持ち帰ったと言われ、「行脚」(あんぎゃ)とか、「普請」(ふしん)などといった読み方をするようになります。

「行」は、呉音で「ぎょう」、漢音で「こう」でしたから、「あん」などと読むこの飛躍に当時の日本人の頭の良さには感心します。「行灯」(あんどん)もそうだったのでしょうね。

「和尚」は、呉音で「わじょう」、漢音で「かしょう」、宋音になって、やっと「おしょう」となります。

乾門

そこで、中国では「一文字一発音」ではなかったのではないかという疑問が生じます。

しかし、それは、地方によって、同じ漢字でも全く読み方が違っていた、ということで説明がつくことでしょう。

それに、中国には56もの民族が住んでいますから、中国4000年の歴史を見ても、漢民族以外に、モンゴル族や女真族など、漢民族から見ての異民族が支配した時代も長かったわけですから、それはそれは、色んな発音が飛び交ったことでしょう。

あれだけ広大な大陸ですから、地方同士では同じ中国語でも、言葉が通じなかったと言われます。実際、現代の中国人に聞きますと、北京語と広東語は、フランス語とドイツ語以上に言葉が違うといいますからね。

まあ、我国でも江戸時代は、薩摩藩と津軽藩の人は、全く言葉が通じなかったものと思われます。文字なら通じたでしょうが、現代人の私も、聞いただけでは分かりません。

漢字と言えば、日本人は優等生です。

中国に千年間も植民地支配されたベトナムは、独立後、漢字を捨てました。韓国朝鮮も漢字表記することは稀です。

それに対して、日本人は明治になって、「哲学」「科学」「経済」など考案し、中国が逆輸入するほどでした。

皮肉にも、「民主主義」も、「領土」も「領海」も日本人が欧米の書物から苦心してつくった言葉なんですね。ヒトは、概念から言葉をつくりますから、中国人にはない発想だったのかもしれません。

ポイント囲い込み運動

伊太利亜ヴェニス

山崎元著「お金に強くなる!」本では、競馬は娯楽としてやってもいいが、クレジットカードは使うな、と戒めておりました。

何でかあまり詳しい理由は書いてませんでしたが、一つは「いらない余計な買い物をしてしまうから」らしいのです。

けど、クレジットカードやプリペイドカードは、リボルビングなどという詐欺商法に引っかからなければ、現金だけ使うより、ポイントが貯まって還元されるので、その点だけは、いいのではないでしょうか?山崎先生?

伊太利亜ヴェニス

先日、もう何十年も会社の給料の振込み取引銀行にしていた田舎銀行のATMで、通帳がなくて、カードだけでお金を降ろしたら、紙切れにこの銀行には何とかクラブとかあって、私にもポイントが貯まっていることが初めて分かりました。

今まで、通常ならATMでも通帳を使って降ろしていたので、そんなポイントがあるなんて知らなかったのです。

早速、紙切れに書いてあった何とかクラブに電話して、ポイント還元の仕方を教えてもらい、iPadで事務手続きをしたところ、約1カ月後、今利用している通販のポイントに振り込まれていることが今朝、分かったのです。

長年のポイントが貯まっていて、約8000ポイント=8000円ですから、馬鹿にできませんよ、奥様(笑)。

さて、これで何を買おうかしら? iPadのキーボードにしようか、iPadの携帯用カバーにしようか? あっ!いずれも買ってしまったところでした。(笑)

本でも買おうかしら。

勿論、ポイントを発行する敵さんの真の狙いは、馬鹿な消費者を囲い込み、お金を使わせることだということは充分に分かってます。

ええ、騙されたと思って、8000ポイントを有効に使わせてもらいますよ、大統領。

キネマ旬報の謎

伊太利亜ヴェニス

本日は、単なる個人的な日記です。

昨日は、Kさんの御見舞いに御茶ノ水にある杏雲堂病院まで行ってきました。

この病院は、明治15年に佐々木東洋によって開業された歴史のある病院でした。

京都からお見えの京洛先生、うまずいめんくい村の赤羽村長との3人で訪れ、この後、神保町まで歩き、ナウいアベックで人気の「ラドリオ」でお茶でもしようかと思ったら、アッジャッパーでした。そのまま、そこから歩いてすぐ近くの「さぼうる2」に行くことに。隣の「さぼうる」は、名物ランチを求めてお上りさんの長蛇の列でした。さぼうる2では、朝からビール。

この後、有名な艦長さんと合流し、お昼を食べに江戸前の「神田 餃子屋」へ。黒豚餃子、野菜餃子、酢豚、焼飯などなどにビール、酎ハイで、お腹いっぱい。これで1人2000円は安い。

伊太利亜ヴェニス

帰路、省線御茶ノ水駅近くのミルクホール「デリフランス」で、食後の紅茶。私はアッサムを所望。432円。

博覧強記の京洛先生から、何の繋がりか、キネマ旬報の社長も務めた上森子鉄(かみもり・してつ)の話になり、「白黒戦争」?なるものを初めて聞きました。

上森子鉄(1901~89)とは?
別名上森 健一郎。金沢市出身。大正2年、松ケ枝尋常小卒。大正・昭和期の編集者。キネマ旬報社長。日本競馬新聞協会会長。
苦学しながら大正8年、菊池寛の通い書生となる。昭和2年「文芸市場」を創刊。文芸資料研究会にも参加し、性文献の刊行に貢献。戦後、キネマ旬報社社長、現代評論社取締役も務めた。また、三菱グループなどに影響力を持つ総会屋としても活躍した。

と、ありますね。上森は「大物総会屋」としての方が有名ですが、本人は、鎌倉商工会議所の会頭を務めたりしたため、「自分は総会屋ではない」とキッパリと否定していたようです。

キネマ旬報は、1919年に今の東工大の学生によって、創刊された日本で最も古い映画誌です。戦時中の1940年に戦時統制のため休刊しますが、50年に復刊します。

今では、「キネマ旬報ベストテン」などが斯界の権威となり、清廉なイメージがありますが、1977年、いわゆる「キネマ旬報事件」が起きます。当時の白井佳夫編集長(後に映画評論家)が、ルポライター竹中労の連載モノ「日本映画縦断」の掲載を巡り、打ち切りを宣言する上森子鉄オーナーと対立し、編集長を解任されるのです。

伊太利亜ヴェニス

ところで、私の住む自宅アパートは、ベランダの目の前が竹林で、京都のように大変風情のあるということで、非常に都心から離れて不便な所ながら、居住することにしたのですが、それが、昨日、あっという間に、この風光明媚だった竹林が全て刈り取られてしまったのです。

どうやら、持ち主の地主さんが、相続税対策として土地を手放さなければならなくなったものと推測します。この地主さんは、とても良い方で、このアパートに引っ越す前に、「竹林をそのまま保存されるかどうか」尋ねてみたところ、「売るつもりはありません」と応えてくれたので、もう四半世紀以上前の大昔ですが、引っ越す決断をしたことを覚えています。

恐らく、御主人が他界されたのでしょう。だから、「竹林は売らない、と言ったのに、話が違うんじゃないですか」などと言うつもりはありません。ただ、風情もない宅地になってしまうのが残念ではありますが。

でも、この竹林が伐採されたせいで、視界が随分開けました。驚いたことに、こんな田舎なのに、これまで竹林に隠れていたスカイツリーが見えるようになったのです。

スカイツリーから自宅は見えませんが、へーと思ってしまいました。

のれん会

伊太利亜ヴェニス

昨晩は、東京・内幸町にある高級料亭の隣りの大会議室で、「カレーを食べる会」が開催されまして、昔の古い仲間が参集しました。

大分宇佐から八幡先生がお出ましになり、先生の鶴の一声で集まったのが、怒髪三千丈の老若男女30人は超えていたと思います。

凄い集客力です。

中には、随分ご無沙汰している人もおり、3年ぶりか、5年ぶりに会ったというのに、もう数十年に渡って懇親してきた仲ですから、そんなブランクなど感じさせず、すぐ打ち解けるのが昔の由みのいい所です。

石川啄木ではありませんが、昔は顎で使っていた友が皆んな偉くなってしまい、今ではすっかり立場が逆転しまいました(笑)。

内館牧子「終わった人」です。

とはいえ、かなりの極秘情報を仕入れてきましたぜ、旦那。

世の中にはまだまだ知らないことが多く、新聞やテレビや、ましてや、ネットなんぞには出てこない、それはそれは、えっ?と驚くほどの超機密情報というものがあり、そういった情報は全て「口コミ」によって、インナーサークル内だけで伝わるものだということが、今回も分かりましたよ。

まあ、街の商店街の「のれん会」みたいなもんです。経団連だの、新経済政策委員会だの、商工会議所だのと大上段に構えていようと、所詮、内実は、内々の「のれん会」なのです。

さて、極秘情報とは、どんなものでしたかって?いやはや、やはり、残念ながら、ネットには出てこないんですよ(笑)。

荒れるトランプ相場

伊太利亜ヴェニス

ちょっと前に流行った言葉を使えば、「想定内」といった感じでしょうか。

アメリカの次期大統領に決まっているトランプ氏が昨日、何とニューヨークの自宅で、初めて記者会見に臨み、早速、トランプ氏の「ロシア疑惑」を報じていたCNNの名物記者を面罵するなど、「アメリカ・ファースト」どころか、「自分ファースト」に終始したため、機関投資家らもソッポを向いてしまいました。

NYダウは、下落して、同盟国日本もドルが売られて円高となり、お陰さまで、株安と相成りました。

ま、想定内ではありますが、この異様事態が、このまま、地獄へと真っしぐらに進むのか、反転するのかどうかについては、まだ、誰にも分かりません。

伊太利亜ヴェニス

私は、昨晩は、動画(笑)ニュースを見ておらず、活字から得ただけの情報ではありますが、トランプさんは、記者に対して、「お前の質問は受け付けん。イカサマ野郎」とか何とか相当噛み付いたようですね。

新聞の静止画(写真のこと)を見ると、吠えているように見えます(笑)。

でも、トランプ氏のロシア疑惑とは何ぞや?

日本の新聞では「性的関係」なぞとオブラートに包んで、さっぱり分からなかったので、米メディアを本当にざっと見たところ、以下のようなことらしいことが分かりました。

伊太利亜ヴェニス

??2013年にモスクワで開催されたミス・ユニバース・コンテストで、トランプ氏は審査員として、モスクワの高級ホテルに滞在し、其処で、高級娼婦と一夜を共にした。(ロシア当局によるハニートラップ)

??2016年夏、トランプ氏は、モスクワでロシアの高官と面会した。(内容の詳細は不明)

勿論、トランプ氏は昨日、そんな疑惑は全面否定しました。「俺は潔癖症だからな」と理由まで説明しています。潔癖症は、英語でgermophobe
。バイ菌恐怖症てことですね(笑)。
とはいえ、私も1月8日の渓流斎ブログ「スリーG機関=トランプ新政権の実体」で書いた通り、次期国務長官のティラーソン氏(エクソンモービル元会長)、次期商務長官のロス氏(ウォール街の再建王)らロシアと密接な利害関係を持った「親ロシア派」をトランプさんは多く「入閣」させております。

トランプ氏自身も、ロシア企業に投資しているのではないかという観測や、トランプ氏の顧問弁護士マイケル・コーエン氏の義父が、プーチン大統領と親しいモスクワの不動産王ではないかといった疑惑もあります。(ABCは否定)

これらの情報は、民主党によって雇われた英国人のスパイによって齎され、同時にかつて共和党の大統領候補だったジョン・マケイン上院議員にも渡り、マケイン議員は、それらの極秘情報をFBIに提供したと言われております。

なるほどね。

日本のメディアだけでは分からなかった話でした。

越中富山の…

皇居

昨日は、銀行不信家さま、コメント有難うございました。

◇◇◇◇◇

これでも、私は、仕事と旅行で、北は利尻島、北海道から南は沖縄まで日本全国47都道府県に足を踏み入れたことがあります。これは、私の唯一の自慢です(笑)。

それでも、日帰りが殆どですから、滞在したことがある都道府県となりますと、もっと少なくなります。滞在したことがない県の中に富山県があります。普段あまり接点がないので、思いも寄りませんでしたが、この県はなかなか話題が豊富であることが、最近の渓流斎日乗の独自極秘調査で明らかになりました(大袈裟な!)。

この県は、古代中世から越中と呼ばれていましたね。隣県の新潟は越後、福井は越前ですから、この越とは何処を起点として指すのでしょうか?

ベトナムは、越南と言われ、漢字でもそう書かれますが、これは、中国から見た国境の南という意味です。ベトナムは、千年間も中国の植民地でしたからね。

それで、越中の越がどこから見て越なのか、気になってしまったわけです。

それはさておき、富山県の県庁所在地がある富山市は、富山平野で米作にも適していますが、その平野のほぼ真ん中に呉羽(くれは)丘陵があります。

呉羽は地名ですが、クレラップなどで知られる生活用品、化学製品会社クレハは、以前は呉羽化学工業という社名で、この地名が原点になりました。今はない富山県の呉羽紡績の流れを汲むということです。

この呉羽地方は、古代は呉服部(くれはとりべ)と言われ、中国の呉からの渡来人が多く住み着き、機織の技術などを伝えたと言われます。

呉服の語源ですね。

さて、富山県では、この呉羽丘陵を挟んで、東を呉東(ごとう)、西を呉西(ごせい)と言い、実は歴史的にも文化的にも違います。

呉東は、新潟、長野県に接し、立山連峰が連なり、黒部市や魚津市などか中心です。

黒部市出身の偉人に、世界的なファスナー企業YKK(旧・吉田工業株式会社)を創業した吉田忠雄がおります。

吉田さんはもともと、魚津の人でしたが、不条理な理由で黒部に移住し、東京に出てきて一旗揚げたと言われております。(昭和9年に日本橋にYKKの前身のサンエス商会設立)

呉西は、石川県に接し、中心都市は高岡です。

勿論、高岡市と富山市は仲が悪い、と言ってはいけませんね(笑)。お互いライバルとして競い合っています。

面白いことに、富山県の県紙と言われる有力紙は、北日本新聞なのですが、高岡市だけは歯が立ちません。警察官僚から読売新聞の社主になった正力松太郎がこの街の出身で、全国紙では唯一と言っていいくらい高岡市には読売の購読者が多くおり、隣りの石川県の県紙北國新聞の傀儡と言われている富山新聞と覇を競っているからです。

これで、高岡市は富山文化圏ではなく、石川県=加賀前田文化圏だというわけです。つまり、戦国時代か江戸時代の飛び地と、そう時代は変わっていないということが分かります。

富山県が産んだ最大の偉人は、安田財閥を独力でつくった安田善次郎だということは、大方の富山県人の見立てです。

帝国陸軍参謀でシベリア抑留を体験し、戦後、伊藤忠商事の重役になり、フィクサーとして恐れられた瀬島龍三は砺波出身ですが、県民の評判は意外にも芳しくないようです。

安田善次郎は、確かに偉人で、莫大な財産を匿名で寄付するなど「陰徳」を積んだ人でした。しかし、この陰徳が最期に仇となります。

大正年間に、右翼の狂信者によって暗殺されてしまうのです。その理由が、人民の困窮を省みず、一人だけ奢侈を貪っているというのですから、何とも的外れです。

安田善次郎は、東京帝国大学の講堂(安田の死後、安田講堂と命名)や日比谷公会堂などの建設に当たり、名前を伏せて多額の寄付をしていたのです。

まさに、陰徳です。

歌舞伎役者の間では「五十、六十は鼻垂れ小僧。八十、九十になってやっと一人前」という言葉が言われてますが、もともとは、この安田善次郎の言った言葉らしいですね。

そうそう、故ジョン・レノンの妻小野洋子さんも安田善次郎の外戚です。華麗なる一族であることは、よく知られています。

※電車の中でスマホで記憶で書いたので、間違いは後で訂正します。

金融業界に騙されるな!

 長春 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

山崎元著「お金に強くなる!」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、金融に関する名言、格言がずらりと並び、なーんだ、もっと早く学んでおけばよかった、と多くの人を後悔させてくれます(笑)。

こういう話は、せめて、高校の授業にでも取り入れてほしいものです。庶民がこれ以上騙されないためにも社会人として、誰でも金融リテラシーが必要とされるからです。

またまた、換骨奪胎して、山崎氏の名言・格言を引用させて頂きましょう。

●銀行はお金を相談する相手としては不適切。銀行は客から手数料を稼ぐという点で、証券会社や保険会社と全く同じ。銀行は、単に自社の利益のために動く営利企業なのだ。

嗚呼、そうだったのかあ…。特に、取引先の銀行なんかは、自分の手の内(預金)を知られているのに、胴元を相手に勝負するようなもので、最初から負けに決まっていたわけですね。

私は、東京三菱銀行から不愉快な扱いを受けたので、この銀行嫌いです。(あくまでも個人の感想です)口座は既に解約し、今後も関わりません。

●銀行員や証券マンはあくまでもセールスマンで、自分や会社を儲けさせたい人です。相談相手を儲けさせてくれる人ではありません。だから、金融機関の「お金の無料相談会」などに近づくべきではない。人件費などの経費が掛かっている無料相談会は、「相談」と銘打った「セールス会」というのが実体なのです。

なるほどねえ。道理で、くじ運の悪いこの私が、何で抽選の「無料相談会」に当選するのか不思議でした。やっと、からくりが分かりました。

 長春 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

●あまり知られていないが、健康保険には高額療養医療費制度がある。自己負担の限度額が決められており、限度を超えた分は、健康保険が負担してくれるシステムになっているのだ。だから、基本的に医療費についての心配は無用。がん保険に加入するのも損だ。

ええ!そうだったんだあ。心配して損したなあ。。。

●生命保険は原則的に加入するべきではない。支払う保険料は、実体として「純保険料」と「付加保険料」の二つに分かれており、純保険料は、保証や貯蓄に回る分。付加保険料は、人件費などの手数料のことで、当然、顧客の保証に回らない。しかも、この付加保険料がどれくらいなのか一切開示されておらず、保険料全体の2割から5割とも言われている。

えっ!それは酷い話ですね。5割だと収めた保険料の半分しか保証に回らないということですか!これを白昼堂々の詐欺商法と言わずして何と言う?!

●金融業界が煽っている「老後不安」に騙されるな。「老後不安」を駆り立てて、有利とはいえない金融商品を購入させようと、金融業界がビジネスとして利用しているだけなのだ。

なあるほど、そういうことだったとは…!

●ギャンブルの競馬は25%、宝くじは50%以上、胴元が取り、残りを参加者が再分配するシステムになっている。

つまり、1万円を競馬に賭けた場合、最初から2500円抜き取られ、宝くじともなると、1万円で買ったつもりが、最初から5000円の商品を買わされているという詐欺みたいな商法だったわけですね。最初から「娯楽」として割り切って楽しめば、問題はありませんが、偉く高い授業料だこと!5000円あれば、腹いっぱいステーキを食べて、グラスワインぐらい飲めるはず…。せんべろ店なら、ベロベロです(笑)。

長春 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

●個人が最初から投資する候補として外すべき金融商品とは、(1)不動産投資⇒換金性が低い(2)外貨預金⇒為替リスクと手数料が高い(3)FX取引⇒投資ではなく投機なので資産形成に不向き。参加者の8~9割が損をしているという(4)金(ゴールド)などの商品投資⇒これもゼロサム・ゲーム的投機で資産形成には不向き

うーん、早く言ってよお。いや、私ではなく、貴方の呻き声が聞こえてきそうです(笑)。

●投資信託には高額な「販売手数料」と日々運用と管理のための「信託報酬」が掛かり、投資信託の9割以上は買うに値しない。

著者は、東大経済学部卒業後、商社、生保、投信、証券、信託銀行など12回も転職を経験したとか。まあ、金融業界の裏の裏の裏を知り尽くした人なんでしょう。そういう経験者が語る言葉ですから、確かな真実なんでしょう。

でも、こんな正直なことを書いて、業界から刺客を送り込まれないかしら?

新聞出版業界は風前の灯火?

伊太利亜ヴェニス

昨晩から、システム障害なのか、gooブログがアクセスできないそうで、道理でアクセス数が普段より少ないと思いました。

昨日は、渓流斎ブログにコメントを寄せて下さった方に、号でも字(あざな)でもいいですから、お名前をお知らせ下さいとのお願いをしました。

それでも、私は、てっきり、そのコメント主は、京都にお住まいの京洛先生ではないかと推測していたのです。たまたま、昨日、その下手人(笑)からお電話があったので確認したところ、「いいえ、私じゃありませんねえ」と仰るではありませんか。

あんりまあ。です。

本当に、コメント主は、一体誰方だったのでしょうか?

東京・神田川

最近のコンビニは、随分変わったそうです。私自身は、滅多に行かないのですが、そんな輩でも、コンビニは、街中あちこちにあって目に付きますから、その変容には気付きます。

第一は、私だけかもしれませんが、私の世代は、コンビニのない時代で育ったため、それ程足繁く行く習慣がありません。確かに便利ですが、スーパーのように安いわけではないせいだったかもしれません。

ですから、かつてのコンビニは若い世代ばかりでした。それが、最近では高齢者の世代が半数近くに圧倒的に増えたのだそうです。理由は色々あるでしょう。お陰で、介護サービスなど老人向けサービスの申込もコンビニでできるようになったとか。

昨日も散歩の途中にコンビニがあり、目の前を通ったら、コンビニの前のベンチで、老夫婦が店で買ったと思(おぼ)しきおでんを食べていました。何が哀しいのか、寒空の下で、お互いソッポを向いて言葉も交わしていませんでした。

宮内庁

第二に、コンビニ内にフードコーナーが設けられたことです。大抵、窓際につくられるので、外から丸見えです。

東京・銀座のコンビニでは、軽食やコーヒーだけでなく、本格的にランチを取っている人をよく見かけます。

ある説によりますと、このフードコーナーのお陰で、消滅したのが、本や雑誌コーナーなんだそうです。窓際に本や雑誌を置くと立ち読み客がおり、防犯になるので設置されたという説もありましたが、窓際のフードコーナーは「客寄せパンダ」の役割を果たします。

そうでなくても、出版不況が言われて久しいですから、雑誌コーナーが減れば、この先どうなっちまうんでしょうかね?

伊太利亜ヴェニス

そう言えば、私の家の近くにある高級スーパーの店内で、店の特売のチラシを配ってました。何故に?ということで、聞いてみたら、驚愕的事実が判明しました(大袈裟な)。

最近、新聞を購読する読者が減ったため、新聞の折り込みチラシにしてもそれ程効果がない。そこで、経費削減のため、これまで毎週、折り込みチラシを入れていたのを止めて、月に2、3回程度に減らすことにしたというのです。

これは、新聞業界にとって、由々しき事態です。折り込みチラシは、販売店のマージンになるとはいえ、植物も動物も、その本体は根元から腐っていきますからね。

新聞出版業界も風前の灯火か?