「セッション」と「バジル・ホールと大琉球」

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 おやおや、昨日は、寸鉄人をさすようなコメント有難うございます。

 ただ、どちら様なのか、「unknown」ではいけませんね(笑)。まあ、「詠み人知らず」ということでしょうが、せめて、気の効いた号でも字(あざな)でも異名でも僭称(笑)でも何でもいいですから、名乗り出てくださると嬉しいですね。

 渓流斎ブログは、開業してもう丸12年になりますが、(その間、5回近く引っ越して、最大読者を誇っていたかつてのサイトは消滅しましたが…)皆さまの温かいコメントだけを励みに続けて参っている次第で御座います。

 とはいえ、内実は、自分の備忘録のため、つまりは外付け記憶装置として書いている面もあります。古い記事でも、追加修正したりしております。昨日のトランプ新政権の陣容の中で、「親ロシア派」を追記しました。「もうこれで、我々が何処へ行くのかお分かりですね」(笑)。

 そう言えば、かつて、よくコメントして下さった方の中に、「インド象」さんがいらっしゃいましたが、今はどうされているのでしょうか?

 壮健でいらっしゃいますかね?(成瀬巳喜男の戦前の映画で使われていたので、昔はよく使われていたのでしょう)

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 さて、昨日は、またまたiPadで、無理やり1カ月間だけ加入させられたビデオパスで映画を観ていましたら、簡単にwifiの月額契約の3GBがなくなってしまいました。

 データ通信がオーバーすると、使えないことはないのですが、極端に送受信が遅くなったり、動画は、もう見られたものではなくなったり、画像もアップロードするのに、相当時間が掛かったりしてしまいます。

 昨日観た映画は、2015年のアカデミー賞で3部門(助演男優賞にj・k・シモンズ)を受賞した「セッション」でした。なかなか、よくできた映画でしたが、ちょっと後味が悪かったですね。

 ジャズを専攻するニューヨークの音楽学校が舞台で、先生テレンス・フィッチャー役のシモンズが、生徒に悪態をつき、徹底的にしごいて、いわゆるパワハラ問題に発展するストーリーです。

 主役は、プロのジャズ・ドラマーを目指すアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)で、名前から推測される通り、ユダヤ系として登場します。ハリウッド映画ですから、配役として、特に主役として必ず出てきます。「シンデレラ」や「家なき子」などの伝統にのっとって、徹底的ないじめられ役で、その後どうなるか、といったお決まりのパターンが展開されます。

 映画ですから、神業のような場面が何度も出てきます。ドラムを叩いて、指に血豆ができて、大量出血するシーンは当たり前。交通事故、自殺とみられる突然死、あと大雨が降る中、若い男女が和解する場面が出てくれば、完璧でした。

 いやあ、皮肉ばかりでしたが、音楽教師のフィッチャーが、「次は44小節目から」などと言ってジャズバンドの指揮をはじめ、「音がずれている」と瞬時に分かるシーンは特に神(かみ)ってました。

 でも、ジャズと言えば、メインはサックスやトランペット、せめてピアノなのに、それらは全くの脇役で、ドラムスに焦点を当てたのは画期的でした。

 俳優マイルズ・テラーは本当にドラムスを演奏しているようで、本当なら全くプロ以上にうまかった。

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 昨年末に沖縄の上里さんから送って頂いていた「英人バジル・ホールと大琉球」(不二出版)をやっと読みました。

 沖縄の人にとっては、郷土史に出てくるのか、知らない人はいないぐらい有名らしいのですが、私は知らなかったので、簡単に略歴します。

 ●バジル・ホールは1788年、スコットランドの首都エジンバラ生まれ。父親のジェームス・ホール卿(1761~1832)は地質学者で、かのナポレオンとはフランスで学窓を同じくする間柄だった。この縁で、バジルは、英国の海軍士官となり、1816年にライラ号の艦長として、対清貿易交渉で北京に派遣された英国政府特命全権大使アマースト卿を護送した後、琉球王国を訪問。その帰途にセントヘレナ島に幽閉されていたナポレオンに謁見する。「朝鮮・琉球航海記」(1818年)などの著作があり紀行文学作家としても著名。

 バジル・ホールの外孫が、明治期に日本研究家として名を遺したバジル・ホール・チェンバレンで、彼には「琉球語の文法と辞典―日琉語比較の試み」などの著書がある。

スリーG機関=トランプ新政権の実体

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1月20日に始動する米国トランプ政権は、ミズーリ州選出のクレアー・マッカスキル上院議員(民主)の命名によりますと、「スリーG機関」となるようです。

スリーGとは、Goldman, generals and gazillionaires のこと。つまり、トランプ政権の重要ポストに就任する面々のほとんどが、世界最大の投資銀行ゴールドマン・サックス出身者と国防省の将軍歴任者と億万長者で占められているというわけです。

「我々は何処から来たのか 我々は何者なのか  我々は何処へ行くのか」(ゴーギャン)

ええ、それは、彼らスリーGが、我々を連れて行ってくれるのです。

一体、それは何処へ?
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まだ、総資産37億ドルの不動産王トランプさんがつぶやいた内定段階ですが、ちょと見てみましょう。(敬称略)

【ゴールドマン・サックス=GS関係】
●スティーブン・ムニューチン 53歳(元GS幹部でトランプ選対の金庫番)⇒財務長官
●ゲーリー・コーン(GS前社長兼COO)⇒国家経済会議議長(経済政策司令塔)

【軍人・将軍歴任者】
●ジェームス・マティス 66歳(元中央軍司令官・元海兵隊大将、イラク戦争指揮官、「狂犬」の異名)⇒国防長官
●マイケル・フリン(元陸軍中将)⇒国家安全保障担当大統領補佐官 *親ロシア派 「イスラム教を怖れることは理にかなう」と発言
●ジョン・ケリー(元海兵隊大将)⇒国土安全保障長官
●ライアン・ジンキ(元海軍特殊部隊シールズ出身・モンタナ州選出下院議員)⇒内務長官

【億万長者】
●レックス・ティラーソン 64歳(石油大手エクソンモービルの前会長兼CEO・総資産4億ドル)⇒国務長官 *樺太油田をロシアと共同開発 、プーチン大統領とは刎頚の友
●ベッツィ・デボス(義父リチャード・デボスがアムウエイの共同創業者・総資産51億ドル)⇒教育長官
●ウィルバー・ロス(投資家・ウォール街の再建王・総資産25億ドル)⇒商務長官 *親ロシア派
●ウィリアム・ハガティ(投資会社ハガティ・ピーターソン創設者)?駐日米国大使
●リック・ペリー(石油パイプライン「エネルギー・トラスファー・パートナーズ」重役・前テキサス州知事)?エネルギー長官

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このほか、トランプ次期大統領の最初の妻との間の長女イバンカ(実業家)の夫ジャレッド・クシュナー(35)はユダヤ系で、父親の不動産業を受け継ぎ、IT業界との太いパイプがあり、中東問題に多大な影響を持つと言われています。

【学識経験者】
●ピーター・ナバロ(カリフォルニア大学アーバイン校経済学部教授)⇒国家通商会議(新設)議長 ※著書「中国は世界に復讐する」など対中国強硬派

●スティ-ブン・バノン(親イスラエル・サイト「ブライトバート・ニュース」会長)⇒大統領上級顧問兼首席戦略官 ※白人至上主義・人種差別主義・女性蔑視記事を好んで掲載(サイトの設立者の故アンドリュー・ブライトバートは、ユダヤ系米国人)

もうこれで、我々が何処へ行くのかお分かりですね。

東京の横丁ー永井龍男、菅忠雄、横光利一

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 (つづき)

 永井龍男著「東京の横丁」とその文庫版の解説を書いた川本三郎氏からは色々と教えられるところがありました。

 「東京の横丁」は、もともと、昭和59年(1984年)、作家が80歳の時に、日経新聞の「私の履歴書」に連載していたものを後に加筆等をして、1991年に単行本として発行されました。講談社文庫は昨年9月に第1刷となっています。

 明治37年に東京市神田区猿楽町で生まれ、関東大震災も満洲生活も敗戦も体験した永井の貴重な歴史的な証言録で、彼が書き残さなかったら、誰にも知られることなく、忘れ去られたことでしょう。

 また、興味深かったことを換骨奪胎で列挙します。

 ●震災後の大正13年2月、荻窪に借り住まいしていた錦華尋常小学校(夏目漱石も在籍した)の同級生波多野完治(神保町古書店「巌松堂」の子息で、後の心理学者)を訪ね、そこで、波多野とは一高東大の同級生だった小林秀雄と出会う。(永井は、後に小林とは同人誌「青銅時代」「山繭」などに一緒に参加することになる)

 ●菊池寛が創業した文藝春秋社は、昭和2年当時、麹町区下六番町にあった。この建物は、作家有島武郎の住宅をそのまま借り受けたもので、長屋門を潜ってから玉砂利を敷いた径を植え込みの奥深くに行くと、車寄せが見えてくる古風な邸宅だった。有島家の先祖は、五千石取りの旗本だったとその頃聞いた。

 (さすが、白樺派!)

 ●当時の文藝春秋編集長は菅忠雄と云って、小説も書く人だった。父君は一高独逸語教授、夏目漱石の親友として知られた菅虎雄。少年時から鎌倉文士に愛されて物書きに顔が広く、大佛次郎、佐々木茂索などとも交渉が深かった。(永井は菅に連れられて鎌倉の「湘南クラブ」=麻雀、ポーカーなどができる風変わりな社交場=に出入りし、ここで、里見弴や久米正雄、国木田独歩の息子である国木田虎雄らに紹介され、生涯鎌倉に住むことになる)

 その頃(昭和2年)、文藝春秋に就職したいがために、菊池寛に会うために麹町区の社を訪問した永井龍男は(当時の新聞社も出版社も入社試験はなく、ほとんどがコネ入社だった)、菊池から「人は余っている」と、入社を一度は断られる。しかし、帰り際、菅忠雄と会い、その場で菅から紹介された初対面の横光利一(菅は横光、川端康成らとともに新感覚派の「文芸時代」の同人だった)から、結果的に菊池寛に掛け合ってもらい、入社が実現することになる。

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 永井が文藝春秋に入社した最初の配属先は「小学生全集」編集部だった。そこには、誌上で募集した「文筆婦人会」のメンバーで、女子の最高学府を卒業した才媛ばかりだった。しかも美人ぞろいで、「青二才だった私は居たたまれず、二日目で菊池氏に部署の変更を願い出た」

 この美人の才媛の中には、岸田国士、森岩雄氏らに望まれてその夫人となった女性や、「ノンちゃん雲に乗る」で知られる石井桃子ら文壇史に名を留めた女性もいた。

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川本三郎氏の解説によると、この他に、今井正監督「また逢う日まで」(1950年)や成瀬巳喜男監督の「おかあさん」(1952年)、それに映画史に残る名作「浮雲」(1955年)などの脚本を手がけた水木洋子も昭和10年頃、菊池寛の主宰する「脚本研究会」に所属していたといいます。

 (何と、ここで、また成瀬巳喜男と出会うとは!)

昭和2年春、永井は、堀辰雄の紹介で、ともに田端の芥川龍之介の自宅を訪れ、文藝春秋誌への寄稿を依頼し、快諾される。しかし、芥川はその2カ月後に、自裁する。ただ、永井は、芥川については「いつも才気が先行して愛読し切れなかった」と正直に告白している。
 

つる人、2017年の渓流斎の運命

寿司幸

昨日の帰りの通勤電車の中で、左胸と左腕の付け根辺りの筋肉がつってしまい、5分近く激痛に苦しみました。

生まれて初めての体験(笑)。

何てことはないのです。立っていて、あるターミナル駅で、前方右手の席が空き、右隣の人もその駅で降りたので、その席に座ろうとしました。

網棚からカバンを降ろして、ちょっと身体を捻ったかな、思った瞬間、ギクっと鈍い音がして、左胸の辺りがつってしまい、肉離れのような激痛が走ったのです。

真冬ですから、オーバーを着込み、狭い車内ですから、身動きも取れません。本当は、ストレッチでもして、痛みを拡散したかったのですが、それすらできません。

涙目で、痛みを堪え忍びました。

伊太利亜ヴェニス

仕方がないので、家に帰って、今年の渓流斎の運気を調べてみました。

【渓流斎2017年の運気】
2017年のあなた人生の運気の流れは、現状から見ると、最終的にはあなた自身が自分の夢や目標を達成することができます。しかし、それまでの道は苦難の連続になるでしょう。茨の道を歩み、ゴールまで辿り着くためには、並大抵ではない覚悟が必要です。

(ゲっ!今さら、茨の道とは!)

意志の強いあなたでも、時には挫折してしまいそうになることがあるでしょう。もしそこで挫折してしまえば、その時点で終わりです。

(ご愁傷さまでした)

逆に、どんな苦境に立たされても、希望を捨てずに歩み続けていけば、あなたは必ず自分の夢をつかむことができます。挫折しそうなほどの苦難に見舞われたときこそが、あなたの人生の分岐点と言えるでしょう。

ですから、どんなときでも諦めずに、前向きな姿勢で物事に取り組んでください。その過程には多くの苦労がありますが、その苦労と努力に見合っただけの結果を得ることができるでしょう。

(へー、なるほど。そうなんですか)

伊太利亜ヴェニス

【あなたの成功への道】
仕事面では、なかなかあなたの努力が報われない時期が続きます。不器用なあなたですから、どうしてもうまく立ち回ることができません。

(確かに、その通り…)

しかし、最終的にはあなたのひたむきさや真面目さ、そして、仕事に対する情熱が正当に評価され、それが結果へと繋がっていきます。

(あれっ?何でご存知?)

将来的に大きな富を築くような成功を収めるわけではありませんが、少なくともあなたは自分の夢を実現させることができるでしょう。

(何か、中途半端だなあ…)

あなた自身、それを一番望んでいるはずです。夢が実現されれば、あなたの人生は充実したものになるでしょう。

(うーん、よく分からないし、一番望んでいるわけでもないのになあ?)

伊太利亜ヴェニス

【あなたの運気を上げる最良の方法】
あなたの運気を上げるための最良の方法は、とにかく物事を考えすぎないことです。あなたは自分にコンプレックスを抱いているため、何事に対しても後ろ向きな気持ちを持ってしまう傾向にあります。

(コンプレックスとは、何と古い言葉=笑)

しかし、後ろ向きな気持ちが状況を好転するわけではありません。むしろ、あなた自身の行動そのものに悪い影響を与えてしまいます。

(マイナス志向のことですかね?もう、あまり、そんな精神論は流行らないと思いますけどねえ)

ですから、難しく考えることはやめて、気楽に過ごすことを心掛けてください。自分を信じて幸せをつかみとり、失いかけた自信を一緒に取り戻しましょう。

(一緒に?貴方は誰ですか? でも、仰ること分かりますよ。今年のモットーは、「気楽」にしますか!)

国際平和=国内戦争

女優入江たか子(昭和10年頃?)

今年は酉年。

申酉相場は荒れるらしく、昨日の東京株式市場の大発会では、日経平均が昨年末比479円(3%)高の1万9594円16銭と大幅に上昇し、大発会の上げ幅としては1996年に付けた749円高以来、実に21年ぶりの大きさだと、胴元の(笑)日経新聞は、大々的に報じてます。

まあ、景気が良くなって、株が上がることは悪いことではないので、流行り言葉で言えば、ウィン・ウィンということになるでしょうか。

しかし、今の相場は、実態経済に沿った数字が反映されているわけではないでしょう?

単なる「トランプ効果」による期待感のみで、今後の出方次第では大暴落もあり得ないことはないでしょう。

兎に角、1月20日のトランプ氏の米大統領就任式があり、その後、100日間程度の「ハネムーン期間」と呼ばれる様子見時期を経て、それからが正念場になることでしょうね。

今年、国際的に注目されることは、5月のフランス大統領選挙で、移民排斥を公約する極右のマリーヌ・ル=ペン女史が当選するかどうかでしょう。

後は、秋に予定されている中国の5年に1度の共産党大会でしょう。そうでなくとも甚大な内憂を抱えている中国が、トランプ政権になって、大幅に外患まで抱えて、今秋の国際情勢がどうなっているのか、私には、サッパリ分かりません。

都心から見られたお正月の富士山 par Duc Matsuoka

シリア内戦、ウクライナ問題は依然膠着状態で、難民、移民問題、そして、宗教対立、テロが、今年もどうなるか?

我が日本では、進歩的知識人階級と呼ばれる人たちが、日本も国際水準並みに、移民を受け入れて、少子高齢化による労働不足の解消を目指すべきだと、耳触りの良いことばかり言ってますが、果たしてどうなんでしょうかね?

移民受け入れ反対を公言する札幌の雪祭り先生は「自分たちが楽するために、単純労働者を受け入れ、その二世、三世がテロを起こしているのが、移民受け入れ先進国のヨーロッパの現状なんですよ。日本は、他山の石としなきゃなりません。自衛隊を南スーダンに派遣した安倍首相をはじめ、テレビに出て来るコメンテーターと称する無責任な連中は、口を開けば『国際貢献』『国際貢献』と連呼しますが、国際平和=国内戦争になるということが全く分かっていない。怖しい想像力の欠如、反知性主義の最たるものですよ」と、不満をぶちまけておりました。

国際平和、イコール国内戦争とは! ー 暫くこの言葉は、私の脳裏を駆け巡るましたよ。

成瀬巳喜男~古き東京市の思ひ出

旧航空写真地図 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 年末年始は、あまり読書が進みませんでした。正直(笑)。

 どうも、iPad で古い映画や70年代のロックを見てしまって、遊んでしまったわけです。

 古い映画とは、もちろん、成瀬巳喜男監督作品です。特に、戦前の、しかも、昭和11年(1936年)の2・26事件より古い映画は、サイレント(無声映画)ながら、あまりにも質が高いので、驚いてしまいました。

岡田嘉子

 列挙しますと、昭和6年の「腰弁頑張れ!」(成瀬の実質的一本立ち監督デビュー作、山口勇、浪花友子主演。腰弁とは今のサラリーマンのことで、主役の山口は、保険外交員役)とか、昭和7年の「生(な)さぬ仲」(いわゆる継母物語。ハリウッド女優として大成功して一時帰国した日本人女優の珠江役が岡田嘉子。ご存知、彼女自身は昭和13年1月3日に演出家の杉本良吉と樺太国境を越えてソ連に亡命します=杉本は、後にスパイ容疑の濡衣で粛清)、昭和8年の「夜ごとの夢」(当時の大女優栗島すみ子が主演。甲斐性のない駄目夫役が斎藤達雄)、昭和9年の「限りなき舗道」(銀座の喫茶店に勤める杉子=忍節子と袈裟子=香取千代子の恋愛物語。杉子は女優にスカウトされるほどの美人。途中で、新聞記事が写され、そこには「人気女優「東山すみ子引退」とあり、どうやら、この東山すみ子は、「夜ごとの夢」に主演した栗島すみ子のパロディらしい)

栗島すみ子

 私のような戦後生まれは、戦前は、軍国主義一辺倒で、何の娯楽もない暗黒時代だったと想像しがちですが、これらサイレント映画を観ただけでも、当時の生活水準の高さ(もちろん、富裕層とはいえ)は、半端じゃなかったですね。
 
 銀座の華やかさも今とそれほど変わりがありません。

 何しろ、昭和7年だというのに、もう日本人のハリウッド女優が登場するんですからね。驚きですよ。

 旧航空写真地図 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 70年代のロックで感動したのは、イーグルスでした。

 特に「ホテル・カリフォルニア」が大好きで、有名なツインギターのフレーズをどうやって弾いていたのか、生まれて初めて見ることができました。

ドン・フェルダー(左)とジョー・ウォリシュ

 いろんな解説書を読みますと、この曲をメインで作ったのが、ドン・フェルダーで主にリードギターを演奏しています。これに後からかぶさるように名演奏するのがジョー・ウォリシュでした。(ウォリシュは「テイク・イット・イージー」でピアノを弾いていたので多才な人だなあ、と思いました。)ボーカルは、ドン・ヘンリーでドラムを叩きながら歌っていましたから、ザ・バンドのレボン・ヘルムを思い起こさせました。

 知らなかったのは、イーグルスのリーダーは、昨年亡くなったグレン・フライ(「テイク・イット・イージー」などを作曲し、ボーカルも担当)だったんですね。イーグルスは80年代に解散しますが、その解散の理由が、ギャラの配分を巡るもので、ギャラのほとんどをグレン・フライとドン・ヘンリーが独占していた、とドン・フェルダーが後に内幕本を出版して暴露しています。

 旧総理公邸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 年末年始に読んだ本は

 ◆国重惇史著「住友銀行秘史」=やはり、暴露本で読後感は最悪。東大経済部卒の著者のエリート臭が鼻につく。メモだらけの怪文書で、唯一、意味が分かって読めたのは、引用された日経や読売や毎日などの新聞記事。暴露本を書いて本人は清々したことでしょうが、周囲は逃げますね。

 ◆藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」=とにかく、暗い。我が言いたいことを言いたいがための資料の引用の仕方が、どこか、我田引水に見えてきたのは、読者の僻目か? 途中で投げ出した。

 ◆佐藤愛子著「人間の煩悩」=派手な宣伝をするので、書き下ろしかとばかり思っていたら、古い著作を集めたアンソロジー。御年93歳ということですから仕方ないかも。中には半世紀も昔に書かれたものもあるとか。「この世は不平等にできている」「人間も死んだらゴミ」「苦難の中にも救いがある」…などなど。若い人向きだったかもしれません。ある程度、年を経るとこの本から頭を垂れて学べることはほとんどなし。

 ◆永井龍男著「東京の横丁」=この本には、昔の東京の風俗がちりばめられ、教えられるところ大でした。著者は、東京市神田区猿楽町生まれ。父親が病気がちで長兄、次兄が家計を支えていたため、高等小学校卒。しかし、文才が菊池寛らに認められ、作家となり、文芸春秋にも勤務し、直木賞と芥川賞の選考委員にも。芸術院賞会員。

 以下、換骨奪胎で引用し、注も付記します。

 ●山の手、下町は東京市の地形による呼び名であって、住人の貧富には何ら関係がない。(山の手にも、貸し間が多くあり、貧困層が住み、下町にも大豪邸があったそうな)

 ●靖国神社の境内の奥に、「遊就館」という建物があって、日清・日露戦争の戦利品の展示をしていた。(明治時代は、靖国神社の大祭がかなり賑やかだったそうで、多くの屋台が並び、永井少年も楽しみだったそうな。2日の新年一般参賀の後、渓流斎も靖国神社に立ち寄りし、その大祭の模様を明治時代の絵巻で見ました。大村益次郎=村田蔵六の銅像も明治時代の絵巻にしっかりと描かれていました)

 ●私が奉公した日本橋区蠣殻町の米穀取引所仲買店「林松次郎商店」の並びに、同業の谷崎商店があり、後に、谷崎潤一郎・精二の生家であることを知った。(蛎殻町は、今の人形町、水天宮前辺りです)

 ●夏目漱石も通った錦華尋常小学校の同級生に波多野完治がいた。彼は、巌松堂という大きな古書籍商の息子で、淡路町の開成中学から第一高等学校、東大を卒業して、心理学者として大成した。(巖松堂は、戦時中は満洲の新京に支店を出すほど繁盛しましたが、戦後は戦犯扱いを受けて倒産。その後、出版社として再建し、現在も飯田橋で巖松堂出版として営業しています)

 (つづく)
 

人生初の新年一般参賀~千鳥ヶ淵戦没者墓苑~靖国神社~神保町~お茶の水

新年一般参賀

昨日の1月2日、これまで、まあ長いこと生きてきましたが、生まれて初めて、新年一般参賀に皆様を代表して行って参りました。

天皇皇后両陛下を始め、皇族方が宮殿バルコニーで1日5回、新年のご挨拶をしてくださります。

私は右翼ではないので、つい、2、3年前でしたら、新年参賀に行ってみようなどという気は起きなかったのですが、自分にとっては想像もつかなかったある苛酷な体験を一昨年したため、昨年、神社で厄祓いをしてもらったりすると、神社そのものに深い関心を持つようになったわけです。

遡って、「古事記」「日本書紀」なども読むようになり、自然に、人類史的にも、世界史的にも稀な皇族についても興味を持つようになりました。

特に、昨今では今上陛下が、退位の意向を示されたこともあり、今年は是非とも、参加してみたかったのです。

新年一般参賀

大変な人出が予想されていましたから、一人で行って長い時間を持て余すのは何なんですから、大手メディア粉砕を信条とし、戦後レジームからの脱却を目指すK氏なら必ず参加することだろうと考えてお誘いして、「同行二人」で参加しました。K氏は右翼かと思ったら、元ナロードニキだったそうなので、こちらも吃驚してしまいましたが…。

皇族方は、1日5回もバルコニーにお立ちになりますが、私たちは、最終の14時20分の回を目指しました。

「入場するのに1時間は掛かる」という事前情報を仕入れていたので、東京駅に午後1時に待ち合わせをし、その足で、二重橋方面に行くと、既に、雲霞の如き群衆が皇居方面に向かって長蛇の列をつくっていました。

4回目の13時30分の回の直前に皇居バルコニー手前に到着しましたが、そこで、列が止まって並ばされて、最終回に臨んだので、比較的、特等席とも言える前から15番目くらいのいい位置を確保することができました。

昨日は、宮内庁の発表では、平成に入って2番目に多い9万6700人が足を運んだらしいので、1回につき、1万9000人ぐらい参加したと思われます。

外国人もかなり多く、皆んな何の目的で参加したのか分かりませんが、整然と礼儀正しい人もいましたが、列を乱して割り込んだり、人にぶつかっても平然として押しのけて前に進もうとする連中もおりました。まあ、世の中そんなもんでしょう。

私は単純な人間ですから、陛下の新年の挨拶を聴いて、感動してしまいました。

左横にいた、並んでいる最中にいつまでも止まらずに大声で喚いていた髭を伸ばした無神経そうな50ぐらいのおじさんは、想定した通り、陛下らが14時20分ちょうどにバルコニーに登場されると、「天皇陛下万歳!スメラミコトイヤサカ」と何度も何度も叫んでおりました。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑

この後、K氏の希望もあり、乾門を抜けて、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にお参りしました。ここは、戦場で倒れた無名兵士らのお骨が納められたまさしく本当の墓地なのですが、知っている日本国民はほんの僅かで、残念なことにいつも閑散としております。

私たちは献花して、不本意にも亡くなった多くの兵士の冥福を祈りました。K氏は事前に、私の分も含めて2個の大福を買ってきて、一瞬だけお供えしました。

K氏は、今まで、ワンカップ酒を持ってきてお参りしていたのですが、ある本で、戦場で亡くなる兵士のほとんどが、死ぬ前に「酒を飲みたい」といった兵士は少なく、むしろ、「大福を食べたい」と言って亡くなった兵士が多かったという話を読み、それ以降、お参りする際には、大福を持ってくるようにしたというのです。

2・26事件で戒厳司令部となった軍人会館(現九段会館)

この後、また、K氏の希望で、靖国神社に行きました。そしたら、驚くべきことに、ここでも、またまた長蛇の列。本殿にお参りするのにまた1時間は軽く掛かると思われたので、参拝は諦めて、無料休憩室でお茶を頂いて、少し休息しました。

その足で、神保町まで歩き、三が日でも空いている安いイタリア料理のファミレス「サイゼリヤ」でしこたま安いワインを飲み、この後、お茶の水の山の上ホテルのカウンターバー「ノンノン」でドライマティーニまで呑んだところ、前後不覚となり、どうやって家に帰り着いたのか、分からず、気がついたら自宅で寝ておりました(笑)。

年賀状に関する幾何学級数的哲学考察=グルメ情報も

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 まだ2日ですから、新年のご挨拶で、明けましておめでとうございます。でいいと思います(笑)。

 今年もたくさんの年賀状を頂きまして有難う御座いました。

 世に出て、もう何十年もの古株になってきますと、年賀状で1年に1度だけのご挨拶となる場合が多くなってしまいますから、お相手の顔姿は、10年前、20年前のまんまです。

 ですから、街ですれ違ってもお互いに分からないかもしれません。(笑)

 でも、年賀状は「安否確認」みたいなもので、「まだ頑張ってるんだなあ」と、お互いに励みになります。

 ですから、年賀状はもらうと大変、大変うれしいです。

 その年賀状を頂くためには、やはり、こちらも書かなければならなず、年を取ってくるとそれが段々大変になってきます。

 とはいえ、年賀状は、頂く嬉しさの方が何百倍大きいので、これからも続けていくことでしょう。
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 毎年欠かさず年賀状を送って下さる方の中には、どういうわけか、大ベテランの女優さんがいらっしゃいます。

 それが、正直、いつ、何処で、どういうきっかけで、お会いしたのかもう霧の彼方で(笑)、すっかり忘れてしまっているのです。

 昔は、個人情報保護法なんかなかったですし、簡単に住所が分かったのでしょうけど、ほとんどその場限りで、年賀状も1、2回やり取りすれば、それまでなのに、どういうわけかこの大女優さんは、毎年送ってくださるのです。

 もしかして、大女優さんの方は、私は誰なのか忘れながらも誠実に送って下さっているのかもしれませんが…(笑)。

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 今年の年賀状のベストワンは、まだ早いですが(笑)、横浜にお住まいのKさんでした。

 2016年にご自分の身辺に起きたことを列挙される方式で、このような様式美は、京洛先生や麹町商事のHさんによく見られますが、畏友Kさんの場合、何と、長い文章だというのに手書きなんですよ。

 彼は、大変失礼ながら、ほんの少しお年を召されておられながら、昨年は、「青春18キップ」で全国一人旅を楽しんでおられたようでした。松山城と道後温泉、それに、「おわら風の盆」にも出かけられたようです。

 Kさんは、大変なグルメの方で、私に東京・銀座の王子製紙本社横にある美味しい名物焼き鳥屋「武ちゃん」(いつも混んでます)を紹介してくれたのも彼でした。

 年賀状では、美味しかったパン屋さんを列挙しておりました。横浜にお住まいがあるので、パン屋さんの場所は、横須賀でした。小生の自宅からは遠いので、小旅行になってしまいますが、京急線汐入駅「パンプキン」のカレーパンと県立大駅「中井パン」のポテチサンドはかなり美味しいようです。リンクを貼っておきました。見るからに、地元に愛されているパン屋さんですね。

 彼が言うぐらいですから、味も確かでしょう。

 都内では立ち飲み屋さんを開拓しているらしく、ベストワンに山手線駒込駅「きんらん」を挙げておりました。

ここも、なかなか良さそうです。

 渓流斎ブログ、久しぶりのグルメ情報ですねえ。私も機会があればのぞいてみたいと思っています。

AI時代がやって来た、ヤア、ヤア、ヤア!

王子神田川

2017年、平成29年、大政奉還と坂本龍馬暗殺から150年、明けましておめでとう御座います!

えっ?!

お正月だというのに、もう渓流斎ブログをお読みになっているのですか?

お有難う御座いまする。今年も宜しくお願いします。

昨晩の大晦日は、紅白を少し見ていたんですが、あまりにもつまらないので、早々と退散し、年賀状書きに追われておりました(笑)。

疲れて除夜の鐘も聞かずにバタンキュウ。よく眠れました。

今朝、ラジオを付けたら、AI=人工知能特集をやっておりまして、2045年になると、AIがすっかり、人間の知能を凌駕するというのです。

何を根拠に、何処の学者が言い出したのか不明ですが、2045年と聞いた時、私はゾッとしましたよ。

渓流斎ブログの愛読者の皆さんでしたら、先日、私が「25年周期説」を唱えたことを覚えてらっしゃるかと思います。

1945年の敗戦から、1970年のよど号ハイジャック事件、1995年のオウム真理教地下鉄サリン事件と、25年おきに、社会を根本から変革する大事件が起きているという「法則」でした。

この分だと、オウムから25年後の2020年が危ない、と書きましたが、まさしく、その2020年の25年後は、2045年じゃありませんか!

AIは、既に現代でもある程度、人間の知能を凌駕しています。将棋は既にそうで、昨年は、後味が悪いカンニング疑惑が発生しました。

米国では、世界最大の通信社APが、既に簡単なスポーツや経済記事は、AIが書いているそうです。

私は、天邪鬼な人間ですので、AIが夢の世界を開くとか、人間を凌駕して、人間を支配するとかいう両極端な考えには懐疑的ですが、このように、既に人間の仕事を奪っていることは確かです。

それも、いわゆる知的労働と言われるもので、会計士や税理士の仕事も、かなり個人のパソコンでできるようになりましたからね。(ネット申告とか)

私が、子供の頃にあった金魚売りやお菓子や薬の行商人も消えてしまいました。

こうなると、残るは肉体労働。それも、クリエイティブな肉体労働しか付加価値を造れないかもしれません。

声帯を使って震わせるとか、木や石を使って彫刻するとか、絵の具を使って布に塗るとかです。

2045年になって、未来の人間は「昔はこんな仕事があったのか」と驚く姿が目に浮かびます。

名は体を表わす

コムソリスク par Duc Matsuoka-Sodai

大晦日だというのに、いまだに年賀状書きに追われています。

もし、元日に到着しなかった場合、お許しください。

迂生は、今年から竹の子生活が始まりましたので、極力お仕事関係の皆様からは隠遁しまして、「来る者は拒まず、去る者は追わず」方式で、交際関係も低空飛行の縮小態勢に入って参る所存で御座います。

宜しくお願い申し上げます。

勿論、几帳面な性格ですから、必ず、御返事は差し上げる次第で御座います。

コムソリスク par Duc Matsuoka-Sodai

さて、今年も間もなく終わりますが、1年間、皆様にはこの渓流斎ブログのご愛読、誠に有難う御座いました。

一応、ほぼ毎日更新することができまして、完全復活した感があります。

もう、黄泉の国に行ったりせず、分相応で、身を弁えて、精進していくつもりです。

引き続き、来年もご愛読宜しくお願い申し上げます。

コムソリスク par Duc Matsuoka-Sodai

さて、ついでながら、ラジオを聴いていたら、道路の交通情報をやっていまして、「渋滞学」なる学問を世界でも初めて立ち上げたとかいう学者さんが出てきて、自然渋滞の謎を解明しておりました。

彼の学説によりますと、登りの坂道になると、空いた高速道路でも、自然と減速してしまう。すると、後ろを走る車が、前がつかえているんだろうなあ、ということで、ブレーキを踏む。それが、後続車に伝わり、いつのまにか停止する後続車も現れ、渋滞するという説です。

ローカルな話ですが、その学者さんは、関越道路の坂戸~東松山インター間を例に挙げておりました。ここは、いつも渋滞が発生するらしいのですが、この坂戸から、誰も気がつきませんが、緩やかな坂道の傾斜が始まるというのです。そこで、前述の学説が当てはまるわけです。

私は、この話を聴いて、「嗚呼、名は体を表わすなあ」と直感したわけです。

坂戸という地名は、恐らく、「坂の戸口」から命名されたのではないでしょうか。
江戸は、皆さんご存知の通り、「入江の戸口」から来てますからね。

古い地名と言えば、目黒や目白は、不動尊が建てられたから付けられたわけです。(実は、かつては目赤不動尊も目黄不動尊もありました。渓流斎ブログでは、赤坂不動尊が有名です=笑)

渋谷は、浮世絵を見ると、その名の通り、深い谷間でした。私も、どうも渋谷は、混雑しているだけではなく、何となく空気が淀んでいる感じで、あまり好きになれなかった所でした(笑)。

赤坂の溜池は、そのものズバリ、江戸時代に溜池があった所です。

昔の人は偉かった!