「僕と君のブー」

  知床 公開日時: 2007年8月19日 

 

非常にマニアックな話なのですが、私がよく聴いていた60年代から70年代の洋楽ポップスの歌詞と訳詞と音源を載せたサイトを偶然見つけました。リンクは貼りませんが、「eigo21 Those were the days ナツメロ英語」というサイトです。

 

非常に凝ったつくりになっています。例えば、ロボの1971年のヒット曲「僕と君のブー」では、ロボの本名(ローランド・ケント・ラヴォア)からバンド(とはいってもソロなのにグループのような名前をつけた)デビューのいきさつ、交友関係、その後の活動、歌詞の意味まで、こと細かく記載さているので、つい、夢中になって見てしまいます。もう完全なアディクトですね。

 

このサイトがすごいのは、管理人さんが自分の力で翻訳していることです。それは、どういうことかと言いますと、先の「僕と君のブー」の歌詞について、以下の意義申し立てをしているのです。禁じ手と認識しながら、無断で引用してしまいます。

 

さてこの歌詞には, 1箇所「?」マークの場所があります。
第1連の最後のほうにある a roamer’s mind told me that’s so がそれです。

この部分はウエッブ上にある歌詞サイトの9割9分は
a woman’s mind told me that it’s so
a woman’s mind told me that so
a woman’s mind told me that’s so
のいずれかになっています。 that 以下がまちまちですが最初は a woman’s で同じです。 こうすると「女心がそれはそうだと私に言った」くらいの意味になるでしょうが,この前のところが「スタックした車を意志の力で動かした」という内容なので,意味が通じません。

いろいろ検索したら Jackson Stonewall という歌手の歌詞に音楽出版社の?マーク付きで『僕と君のブー』が載っているのを発見。 これによると問題の部分は
My roamin‘ mind told me that’s so
となっていました。
これなら「私のさすらい心がその通りと言った」となり意味が通ります。

しかし実際の歌では少なくとも my とは歌っていません。 しかも s音が聞こえます。 出版社の「正式の」歌詞には s音にあたる部分はありません。

そこで生粋の日本人の耳をしていながら, 私は, 大胆にもネイティブ・スピーカの耳に挑戦状をつきつけ, この部分は a roamer’s mind told me that’s so ではないかと提唱します。

ね?すごいでしょう?本当に驚いてしまいました!

全くマニアックな話で、興味がない人には面白くなかったかもしれませんが、私は本当に夜も眠れないくらい興奮してしまいました。

世界経済を破壊する闘争技術

 知床

 

経済問題に疎い私ですが、さすがに、ここ数日の急激な円高と世界同時株安は気になります。猛暑で、正常な判断のできない日本人に冷水を浴びせられたような気分です。昨日の日経平均株価も874円も急落しました。米国のITバブルの先行き懸念などから1426円安となった2000年4月以来7年ぶりの大幅な下落です。

 

そもそも、今回は、米国のサブプライムローンが、この世界的な経済混乱の端緒になったと言われますが、何で、アメリカという一つの国の低所得者向けの住宅ローンがこれほど国際経済に影響を持つのか、よく分からなかったのですが、こういうことだったというのです。

 

まず、住宅金融会社が貸し倒れのリスクを回避するために、「住宅ローン担保証券」などの商品を作る。これを、世界各国の金融機関やヘッジファンドが買う。(もちろん、高利回りの配当を獲得するため)ということは、サブプライムローンが焦げ付いてしまうと、世界中の金融機関やファンドが大損をこいてしまったという仕組みだったのです。ハイリスク・ハイリターンの典型ですね。転売されたローンは全体の8割に当たる1兆ドル(113兆円)で、その損失額は把握できていないようです。信用取引とかあるからでしょう。要するに、世界経済を舞台に賭場を開いているようなものだったのです。

 

機関投資家の損失だけではなく、最近、個人投資もインターネットを通じて簡単にできますから、今回の「円高・株安」による損害も莫大なものになりました。インターネットなどを通じて外貨を売買するFXと呼ばれる外為証拠金取引で、14日から16日までの3日間だけで、「個人投資家の損失が総額3・6兆円に膨らんだ」という記事も出ていました。

 

わずか1円円高ドル安になるだけで、輸出産業型のトヨタ自動車は、年間営業利益が350億円も減少するとか。ここまで来ると、私の想像力が追いつきません。

 

UCLAの経済学教授だった故ハーシュライファー氏は、純粋な経済活動以外に、生産とは無縁な技術が存在し、これらを「闘争技術」と呼んだそうです。それらは、社内の権力闘争で勝つ技術、顧客の無知に付け込んで不必要な商品を売り込む技術、政治家に取り入って、利益を誘導する技術…などです。

 

なるほど、今回の世界経済の混迷も、市場原理主義による「闘争技術」が生んだ成果だったのか!だって、やつらは生産とは無縁なことをしているわけでしょう?経済に詳しい方はご教授して戴ければ有り難いですね。

史上最高気温

  摩周湖

 

昨日の8月16日、猛暑日を書いた途端、最高気温が74年ぶりに更新しましたね。埼玉県の熊谷市と岐阜県の多治見市で、何と40.9度を記録したということです。(従来の記録は1933年7月、山形市の40.8度)

 

さすがに暑いので、昨日は市民プールに行ってきました。入場料420円、ロッカー50円。実に4年ぶりぐらいだったと思います。どこにでもあるような田舎の市民プールで、昨今のプール事故を鑑みて、高校生らしきアルバイト救助隊が絶えず目を光らせていて、一時間に一回、10分間の強制休憩があって、来ている人も、小さなお子さんと親御さん、お爺ちゃん、元気盛りの中学生、あとは、私のような得体の知れない怪しいおじさんぐらい。若くて、綺麗なお姉ちゃんは皆無でした。まさに、芋を洗う状態で、一時間ほどで出てきてしまいました。

 

それにしても、この暑さは異常です。北極の氷も溶けているらしく、海氷面積は530.7平方キロと史上最小記録を更新した、という記事も出ていました。

 

昨日は熱中症で亡くなった方が全国で11人もいました。いわゆる、鬼の霍乱というのは、熱中症のことだったのですね。2003年に記録的な猛暑に襲われたフランスでは、実に1万5千人もの人が熱中症で亡くなったそうですから、本当に馬鹿にでできません。

 

世界的同時株安も始まり、世界経済もおかしくなってきました。「我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」。ゴーギャンのような心の叫びが聞こえてきますが、世間の危機意識は薄く、相変わらず、くだらないテレビを見てガハハと笑いながら一生を終えてしまう人間ばかり多い気がします。

 

いつも、こんな暗い終わり方をしているので、偶には思い出で締めくくりたいと思います。プールと言えば、「外人プール」を思い出します。外人プールというのはもちろん俗称で正式名称は知りません。そこに、米軍の防諜アンテナ施設があって、普段は治外法権なのですが、どういうわけか、夏のシーズンだけ、日本人にもプールだけ開放してくれたのです。私も、父親の仕事の関係で、入場券を入手できました。子供だったので、一日50円くらいだったのではないでしょうか?小学生から中学生にかけての元気盛りで毎日のように行っていました。まだ、当時、身長が150センチくらいしかなく、外人プールは2メートルくらいの深さがあったので、そこで、何度も水を飲みながら泳ぎを覚えました。だから今でも泳ぎには自信があります。

 

外人プールでは、米軍向けのラジオ「FEN」がBGMとしてかかっていました。ベトナム戦争華やかりし頃です。よく聴いたのは、マンゴージェリーの「サマータイム」、ジェファーソンエアプレインの「キープ・ミー・ハンギン・オン」、デイヴデイ・グループの「キサナ・ドゥーの伝説」、1910フルーツガム・カンパニーの「トレイン」、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」、クリームの「ホワイトルーム」、ジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」などです。(これで年がばれてしまいますね)

 

そこで、生まれて初めて、シャワーを見たのです。女の子(もちろん外人)が、シャワーでシャンプーを付けて頭を洗っているのでびっくりした思い出があります。

 

プールサイドでは、サングラスをかけて、カクテルを飲みながら、長椅子で日光浴をしている人もいました。まるで、007の映画のワンシーンのような感じでした。そこで、マイクという男の人と顔見知りになりました。相当大人に見えたのですが、まだ、高校生だったのかもしれません。彼は、少し、足りないところがあって、僕たち日本人の子供が近づくと、浮き輪につかまりながら、笑いながら”Breast! Breast”と大声で叫ぶのです。

 

もう二度と再現できない夏の思い出です。

猛暑日

 神の子池

 

どうしちゃったのですかね。この暑さ。昨日は、群馬県の館林市で40・2度という観測史上歴代7位という記録を樹立し、今日も埼玉県の熊谷市で40度を超えているらしい。館林といえば、ブンブンク茶釜の故郷。さぞかし、たぬきさんも干上がってしまっていることでしょう。

 

史上最高気温は、1933年7月、フェーン現象による山形での40・8度ですが、歴代記録のほとんどが1990年代以降のものです。「地球温暖化はない」という人もいますが、この事実はどう証明するのでしょうかね?

 

とにかく、以前は聞いたことがなかった「猛暑日」なるものを最近、よく聞くようになりました。「真夏日」はよくあったのですが、もう、末期症状ですね。体温より、気温が高いなんて、本当に生きてられませんよね。

 

こんな文章を読むだけで暑くなる?-はい、もうやめておきます。

宗教と政治

 宇登呂

 

某地方新聞が、ある宗教団体の「教祖」の英雄的履歴を詳述した記事を掲載していましたが、実は、その記事は、その宗教団体が掲載費用を負担していることが分かりました。つまりは、広告だったのですが、まるで読み物記事のように仕立てた偽造記事だったわけです。新聞業界では、それらは「パック記事」と呼ばれているそうです。新聞の半分は広告ですから、こんな便利なシステムはありません。

 

日本では建前上は、「政教分離」がお題目として、表明されていますが、かなりの政治家が特定の宗教団体と密接な関係を持っていることは、自明の理となっています。石原慎太郎都知事と霊友会との関係も、本人が著書で明らかにしているほどです。

 

今日の新聞でも、宗教団体が参院選比例区で推薦した当選者の名簿が載っていました。

自民・川口順子氏(立正佼成会など新日本宗教団体連合会)

民主・尾辻秀久氏(佛所護念会教団)

自民・衛藤晟一氏(日本会議加盟の宗教団体など)

民主・ツルネン・マルティ氏(世界救世教いづのめ教団)

民主・藤谷光信氏(浄土真宗本願寺派)

…………

 

政治家の発言の裏と動機には、宗教団体と何か関係があるのか、有権者はウオッチしてこそ、初めて自分の票に責任を持つことになると思います。

 

朝青龍問題

 宇登呂

 

大相撲横綱の朝青龍問題が、国際問題に発展しそうですね。この経緯については、皆さんもうよくご存知なので、触れませんが、何で、こんな問題が発生したのか、色んなメディアで報道されていましたが、一番分かりやすかったのが、12日付産経新聞の「朝青龍騒動3つの非」という記事(小田島光記者)でした。

 

小田島記者は、この騒動になった非は3つあり、第一は、横綱という立場を弁えなかった朝青龍。第二が、自覚のない横綱を育てた師匠の高砂親方(元大関朝潮)。第三が、そんな朝青龍を横綱にした日本相撲協会の特に北の湖理事長(元横綱北の湖)だと、明解な論理で説得してくれました。

 

この記事を読んだのか、態度のデカイ某スポーツ評論家が、その日のテレビのワイドショーで全く同じことを言っていたので、彼の取材力の底の浅さが知れて、軽侮心さえ浮かんできました。まあ、それ程、説得力がある記事でした。

 

朝青龍本人から事情聴取もしないで一方的に「二場所出場停止」などの処分を下した日本相撲協会を批判する人もいましたが、私の意見は、相撲という興行の世界はそういうもので、相撲協会の裁断は正しいと思っています。そもそも、勧進相撲から始まった相撲は、裏社会の力で興行が行ってきた世界であり、一般の、倫理観や正義や人権とやらを持ち込んだら、おかしくなります。

 

やはり、一番悪いのは、仮病を使った朝青龍(本当に疲労骨折なら、サッカーなんかできるわけがない!)で、「年6回の本場所だけ出演していればいい」といった考えが間違っていたのです。裏社会の人々にとっては、巡業こそが稼ぎ時なので、彼らのルールに反するパペットは排除するしかないという論理なのでしょう。しかも、朝青龍は、モンゴル政府が率先してバックアップしているビジネスを母国で展開しているらしく、そのために、しばしば帰国しなければならなかったという事情があったらしい。もし、これが事実だとしたら唖然としますね。ハワイから苦労して関取になった外人の第一世代に当たる高見山らは、余程のことがない限り、帰国しませんでした。時代が違うとはいえ、今後、モンゴル政府の抗議も予想され、外交問題に発展しそうだと指摘する人もおり、この騒動はまだまだ予断を許しません。

 

ところで、気になる記事をみつけました。この騒動で中田英寿の事務所がボロ儲けをしていたというのです。朝青龍が母国モンゴルで、中田と一緒にサッカーを興じていたことは知っていましたが、騒動になったおかげで、中田事務所の素人スタッフが、ハンディカメラで撮影した手ぶれの多い、画質の悪いサッカーの画像が、1分当たり破格の30万円で売られているというのです。あの天下のNHKですら、朝青龍の処分が決まった1日に泣く泣く購入したという話です。

 

この騒動で一番得したのは、中田事務所だったとは!

水木しげる「総員玉砕せよ!」

 

妖怪漫画の水木しげるさん(85)の自伝的戦記漫画「総員玉砕せよ!」を脚色したドラマ(西岡琢也作、香川照之主演)が、昨晩、NHKスペシャルで放送されました。よく知られているように、水木さんは、数少ない激戦区ラバウル戦線の生き残りです。左腕を失って帰還しました。

 

今だから、当時の軍幹部の無謀、無自覚、無責任、無定見は非難できますが、その渦中にいた当事者の庶民は何も抗弁も反抗もできず、玉砕という名の狂的な方法で殺害されたのに等しいことが分かりました。特に、最後に出てくる陸士出身の木戸参謀(榎木孝明)は、「司令部に報告義務がある」と言って逃げてしまうところなど、100パーセント、水木さんが見た事実だと思います。

 

木戸参謀は、部下を無意味に玉砕させておいて、自分だけは戦後もぬくぬくと生き延びたことでしょう。日本人はトップに立つ人間ほど卑怯なのですが、その典型なものを見せ付けられました。

 

水木さんは、10日付の東京新聞でインタビューに応えていました。戦記ものを書くのは、戦死した戦友たちが描かせるのかなあ、と言っています。「戦死した連中のことを考えるとわけがわからんですよ。何にも悪いことしていないのに、殺されるわけですからね。かわいそうだ」と語っています。

 

これ以外で、水木さんは大変貴重なことを言っています。

「好きなことをばく進してこそ人生です。カネがもうかるから嫌いなことでもするというのには、水木サンは我慢できないですねえ。人は我慢しているようですけどね。見ていられない。気の毒で。嫌いなことをやるのは馬鹿ですよ。…嫌いなことをするのは、私からみると意志が弱いように見えるねえ。自分の方針を貫かない。従順であったり。特に優等生に多いですよ、従順なのがね。世間が『こうしなくては』って言うとそっちの方向に行くって人が案外多い。好きなことにばく進する勇気とか、努力が少ない。私から見ると、必ず成し遂げるというのがない。命がけになれば選べることですよ。それをやらずに文句ばっか言っている」

 

最後に水木さんは、18歳ぐらいの時、生き方を真似ようと10人ぐらいの人からゲーテを選んだというのです。そのおかげで、ゲーテは水木さんの模範となり、幸せをつかんだといいます。戦場にもエッカーマン著「ゲーテとの対話」(岩波文庫、上中下3冊)を持って行き、暗記するくらい読み、ボロボロになった本を持ち帰ったそうです。

ケータイ小説は救世主か?

 知床

毎日、我ながら、懲りずに書き続けるものだと思っています。

さて、今、「ケータイ小説」なるものが、ベストセラーの上位を独占しているらしいですね。「らしい」と書くのも、ほとんど知らないし、見たことも読んだこともないからです。それどころか、以前は、必ずと言っていいくらい、芥川賞・直木賞作品には目を通していたのですが、今では、その作家の名前ですら、うろ覚え状態なのですから。

ケータイ小説とは、そのもののズバリ、携帯電話からアクセスして、投稿する小説なのだそうです。アクセスランキングが高い小説が、出版社からオファーがあって、単行本化され、100万部も売り上げる作品もあるそうです。何で、携帯で一度読んだ作品が、単行本化されてまた売れるのか不思議な感じがしたのですが、編集者は「作品が生まれていく時間を共有した思い出を残すための記念ではないか」と、うまく分析しています。

ベストセラーになっているケータイ小説は、メイ著「赤い糸」、凛著「もしもキミが。」、稲森遥香著「純愛」、十和著「クリアネス」などです。ご存知でしたか?私は、全く知りませんでした。作者はどうやら20代の女性が多いらしいのですが、凛にしろ十和にしろ「何と読むのか分からない」と、東京新聞の匿名記者は正直に告白しているので、笑ってしまいました。

ケータイで書かれた小説らしく、文章の中に絵文字や記号★も頻繁に出てくるらしいので、長いメールみたいなものなのでしょうか。

 

でも、読む方も、書く方も、ご苦労さんのことですなあ、と思ってしまいます。最近では、大学生にケータイで論文を提出させる教授も出現してきたそうで、ちょっと、ついていけません…。

でも、このブログも同じようなものですか?

失礼しましたあーー

記者は性格が悪い?

 知床の岬に♪。

 

ジャーナリストの池上彰さんが、英国の「フィナンシャル・タイムズ(FT)」に載っていた安倍晋三首相の昭恵夫人のインタビュー記事を取り上げていたので、私も早速、原文を読んでみました。今の時代、本当に便利ですね。ネットで検索すれば、件の記事が簡単に読めます。7月13日付でした。

 

池上さんは、FTは、経済専門紙で、経済という難しいテーマを扱う分、文章はやさしい、と書いていましたが、これがなかなか日本人では難しい。やはり、辞書なしでは読めませんでした。

 

池上さんは、記者という人種は性格が悪く、相手が有名人であろうと、ずけすけと聞きにくいことを聞く、などて書いてましたが、FTのインタビューアのデビッド・ピリング東京支局長が、いかにも性格が悪くて、観察力が鋭いということを、愛情をこめて披露しています。例えば、「レストランの若いウエイトレスがおしぼりを渡す時に緊張して震えていたが、昭恵夫人は、その時、お腹が鳴って、自分で笑いころげた。自分の口を手で隠さなかった」とまで記者は書いています。まったく何とも思いやりのない、性格の悪さ…と池上さんは書くのです。

 

「最後に、昼食代が二人で3万700円だったとまで書いています」と池上さんは、書いていましたが、このインタビュー記事は「Lunch With the FT」という週末の名物コラムで、どんなインタビューでも、いくらかかったか、明記されていました。同支局長は、「国家の品格」がベストセラーになった藤原正彦氏にも三月に長野の彼の別荘近くのレストランでインタビューしていましたが、昼食代は二人で、5250円と書いていました。

 

ということは、昭恵夫人の3万700円は異様に高いですね。場所が、今はときめく六本木の東京ミッド・タウンにあるリッツ・カールトン・ホテルの45階にある高級和食レストランだったからです。池上さんは、「リッツ・カールトン東京」と場所は明記していましたが、重大な事実を書いていませんでした。原文を読んでよかったと思いました。「その場所を昭恵夫人が指定した」というニュアンスが書かれていたのです。原文はこうです。

 

Akie had asked to meet me at a restaurant on the 45th floor of the Ritz-Carlton hotel, the latest palace of luxury to puncture Tokyo’s skyline.

 

私の言いたいことは以上です。え?何が言いたかったのか分からない?いや、これ以上書くと、私も「性格が悪い」と言われてしまうものですから…。

「This is BOSSA NOVA」★★★★

 久しぶりに映画を見に行ってきました。ボサノヴァの映画です。そんな映画をやっていることを初めて新聞の記事で知って、居ても立ってもいられなくなって、渋谷の三業地帯にある単館にまで行ってきました。

故国ブラジルでは、2005年に公開された映画です。日本でも、ボサノヴァ・ファンが増えたとはいえ、わずか250席程度の小さな映画館での2年遅れの上映ですから、その程度かもしれません。

しかし、かなり熱心なファンも多かったですよ。私もそうですが、映画が終わって、プログラムとサントラ盤ではないのですが、この映画のコンピレーション・アルバムも買ってきました。今、それを聴きながら、ご機嫌なムードで書いています。

映画では、ホベルト・メネスカルとカルロス・リラの二人のボサノヴァ界の巨匠が、ナヴィゲーターになって、ボサノヴァ音楽のルーツやエピソードを語る、いわばドキュメンタリー・タッチで進行していきました。そう、キューバの映画「ブエノ・ヴィスタ・ソーシャル・クラブ」に近いのです。あれぐらい、ヒットしたらいいなあと思いましたが、ちょっと、残念ながら、あれほどのインパクトに欠けていました。

メネスカルとリラのことを知っていたら、あなたは相当のボサノヴァ通です。私はこの映画で初めて知りました。私が知っているのは、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアンとアストラッド・ジルベルト、ニュウトン・メンドサ、ヴィニシウス・モライス、カルターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタぐらいが顔と名前が一致するくらいで、それ程詳しくないのです。

何しろ、この映画で初めて、アントニオ・カルロス・ジョビンの動く姿を見たくらいですから。非常に知的で、エネルギッシュで、カリスマ性に溢れていました。ジョビンは、ビートルズに次いで、彼の曲は世界でカバー曲が多いそうですから。彼の曲で一番はやはり「イパネマの娘」になると思います。ジョビンは、もともとクラシック音楽出身で、ドビュッシーやラベルらの印象派の音楽に最も影響を受けたというエピソードには、成程と思ってしまいました。

この映画、見てよかったですよ。

ボサノヴァという音楽ジャンルは、偶然ともいえる自然発生的に生まれたものだから、ムーヴメントではなかった。だから、定義は諸説あって、これが正しいというものはない。1958年のジョアン・ジルベルトのデビュー曲「シャガ・ヂ・サウダーヂ~想いあふれて」(モラレス作詞、ジョビン作曲)がボサノヴァ曲の第1号だというのが通説。故国ブラジルでは1964年に軍事政権が樹立し、多くのアーティストが欧米に移住したり、ボサノヴァを捨てて、サンバに転向したため、自然消滅したという説もあり、本来、ボサノヴァは、中産階級出身の中産階級のための音楽で、それ程多くの人の支持を得たわけではなかったという説もあり、ジョアン・ジルベルトが囁くように歌うのは、最初は、大声でアパートで歌っていたら、隣近所から「騒音妨害」を注意され、仕方なく、小声で歌っているうちに、それがスタイルになったという説があり、この映画では色々と収穫がありました。

ただ、登場人物の人間関係が複雑で、一回見ただけでは、なかなか、よく分からなかったというのが、正直な感想です。ですから、もう1回見ようかなあと思っています。

何と言っても、メネスカルとリラのギターが惚れ惚れするほどうまかった。コピーしたいくらいでした。いや、この映画のDVDが発売されたら購入して、ギターのコピーに励もうかと思っています。