大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です

 昨日、この渓流斎ブログに音楽の話題を掲載しましたところ、皆様ご存じの宮さんからメールを頂きました。

 

渓流斎高田謹之祐様

 お久しぶりです。
 記事としては久しぶりの音楽ネタ、待ってました。
 バンド演奏中のミュージシャンとしてのお姿も拝見することができよかったです。
 カッコいい!
 どんな演奏なのかな? 動画が見たいです。または音源が聴けると良いですね。
(LINEだと何でも送れますね)

 さて私も、12月23日(土)、近くの介護施設のデイサービスセンターでバンド演奏してきました。
 公民館のウクレレサークルがあっという間に18年目を迎え、これが101回目の演奏会です。
 サークル名は「大谷(おおや)ウクレレサウンズ」です。
 創立当初からの会員はもう私を含めて4名しかいませんが、指導してくれる講師の先生が86歳で最高齢、会員数は12名で私が会員で最年長の83歳、女性も含めて80代が4名、平均年齢75歳のサークルです。
 演奏曲は
 ジングルベル
 小さな竹の橋
 浜千鳥
 高校三年生
 東京ブギウギ
 昴
 里の秋
 パ-フィデア
 オ-シャンゼリゼ
 どうにも止まらない
 いい日旅立ち
 聖夜

 夢一夜
 ある恋の物語
という内容で、ウクレレで色々なジャンルを弾いています。

朝の銀座

 渓流斎さんのハイレベルな大学バンド「エトランジェ」とは違い、はっきり言って下手バンドです。が、施設の方々も一緒に歌って楽しいひと時を過ごしていただいています。
 動画を送りたいのですが、データ量が私のメールの送信容量を超えてしまうので、動画からの静止画(ボケてます)と動画から音データのみを取り込んだ音源を添付します。暇な時にご笑聴下さい。
 悩んだ末! ブログに掲載自由です(笑)

◇◇◇◇◇

 ということで、思いもかけない「朗報」が届きました。この記事の最初と最後に掲載した「音声」(両方とも同じです)が、大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です。ヴォーカルも宮さんのようです。頑張ってますねえ。負けました!エトランジェよりうまい!これまで101回も演奏されてきただけあります。音楽は素晴らしいですね。

 皆さまもお楽しみください。

 

《渓流斎日乗》100万アクセス突破できました!おめでとう御座います!!

 あれ?

 いつの間にか、この《渓流斎日乗》のアクセス総数が100万ページビューを超えておりました!

  • 総閲覧数:100万2046
  • 今日の閲覧数:513
  • 昨日の閲覧数:1077
  • 先週の閲覧数:8809
  • 総購読数 12月:2万6583
  • 総訪問者数:65万3082
  • 現在オンライン中の人数:4
  • (2023年12月26日午前9時現在)

これも全て、毎日、せっせとご愛読して頂いております皆さまのお蔭です。大変感謝を申し上げます。

 このブログは、2005年3月15日に開始し、当初は「gooブログ」のサイトでお世話になりました。その後、諸般の事情で消滅したりしましたが、2017年9月15日から独立して新しいサイトを立ち上げることにしました。その際、技術面で大変お世話になったのが、海城高校の後輩でIT会社の社長を務めていた今は亡き松永哲聖氏です。100万アクセスには6年ちょっと掛かりましたが、もし彼が生きていたらどんなに喜んでくれたことか。一緒に祝杯をあげていたと思います。

 ブログの筆名はもう4~5回変えましたが(笑)、今年7月に、古澤鳳悦師の助言で「高田謹之祐」に改名した途端、アクセス数が急上昇です。それまで、1日300アクセス数ぐらいでしたが、改名してからは1000を超える日が続き、吃驚です。これもこれもまた、ご愛読して頂いている皆さまのお蔭ですが、古澤師にも御礼申し上げます。

東銀座 キッチンカー

 操觚者を自称している私の場合、ブログですから、動画や写真には頼らず、あくまでも文章で勝負しております(笑)。今時、そんな面倒くさい文章を読んで頂けるなんて幸運以外何でもありません。

 ところで、ユーチューバーで、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)など五つの罪に問われた元参院議員のガーシーこと東谷義和被告(52)は、東京地裁での公判で「正直、しんどかった。被害者の方には大変申し訳なく思っています。配信は二度とやりたくない」などと発言したらしいですね。彼のユーチューブでの登録者は123万人を超え、年収は1億円以上もあったそうですが、それだけ、目立つとなると自然と過激化し、犯罪と紙一重になります。

 このブログは、あくまでも目立たないように、目立たないように、強制もせず、煽動もせず、でくのぼうと呼ばれながらも、地道にやっていきますので、もし、お気に召された場合、今後もご愛読賜れば幸甚で御座いまする。

45年ぶりの演奏会でした=東京外語大音楽クラブGMC忘年会

 皆々様方にはちょっと内緒にしておきましたが、12月23日(土)、東京・中目黒のライブハウスで大学時代の音楽クラブGMCの忘年会がありまして、そこで、学生時代以来45年ぶりにステージに立って(実は座って)演奏して来ました。

 まあ、無事終了し、自己採点でも合格点をあげてもいいくらいでしたが、実は、ここまで来る道程が半端ではないくらい難行苦行の世界でした(苦笑)。参加を決めてからのこの3カ月間、3回ぐらい参加の断念を考えたぐらいでしたからね。

 まず、今年10月某日、学生時代に、50曲ぐらい英語でオリジナル曲を作って演奏するバンド「エトランジェ」を組んでいた相方の刀根君から急にメールで、「12月にGMCの忘年会が(コロナ禍を経て)4年ぶりに開催されるので、一緒に参加しよう」との連絡がありました。小生はOB会のメールリストから漏れていたので、初耳でした。ですから、彼から連絡がなければ参加しなかったことでしょう。

 それにしても、卒業して以来一度も演奏会に参加したことがないので、実に45年ぶりの共演です。ま、何とかなるか、と始めましたが、直ぐに難所に突き当たりました。私は関東地方に住み、相方の刀根君は東海地方に住んでいるので、そう直々顔を合わせられません。そこで、オンラインで「せーの」と始めてみましたが、通信には「時間差」があって、とてもうまくいきません。お互いに録音したものを合わせることにしましたが、音のやり取りですから限界がありました。

新富町

 次に、障害が出てきました。11月になって、小生の拙宅で練習することにしたのですが、前日になって、彼の持病が発症して入院するはめになりました。即退院は出来たのですが、彼の体調の面で参加は無理かなあ、と思った次第です。

 もう一つは、12月になって、「不自信過剰」で、精神的に不安定な私が、公私ともに、どうも「心のわだかまり」が出てきて音を楽しめなくなり、「やっぱり参加はやめようか」という気になってしまったのです。

 他にも沢山の難局がありましたが、昨日参加出来たということは、結局、切り抜けることができたということになります。他人事みたいですが(笑)。

 23日当日は、午後2時集合でしたので、午前9時から午後1時まで秋葉原で借りたスタジオ(4時間で5400円)で2人で最初で最後の音合わせをしました。演奏制限時間が20分で、わずか6曲でしたので、何とかうまくいきました。

 会場に行くと、80人ぐらい集まっていたと思いますが、90%以上知らない後輩の皆さんばかりでした。それでも、学園祭の演奏会で、我々のバンドのバックでベースとして参加してくれた久島君やキーボードで参加してくれた上阪君やドラムスで参加してくれた、我々が3年生の時に部長を務めた小林先輩と45年ぶりにお会いしました。他に、会場には、我々が2年生の時に部長だった巌野さんや玉井先輩もいらっしゃっていて、ビックリしました。皆さん、昔の面影はなく、全く風貌は変貌していたので、街中ですれ違っても絶対分からないことでしょう(苦笑)。はっきり言って、もう別人です。

 忘れてはいけない人は、国木さん(旧姓)です。彼女がいなかったら、参加していなかったことでしょう。温かい助言を沢山頂きました。彼女は、フランス科の先輩でもある山室さんのバンド「ファウンダーズ」のボーカリストとして松原先輩と一緒に参加しておりましたが、私が見た範囲のバンドの中でナンバーワンでした。このバンドには同期の荒城君がベース、キーボードが上阪君、ドラムスが小林先輩が参加していて息がぴったり合っていました。後から、同期で部長も務めた梶原君もやって来て旧交を改めました。

築地本願寺

 GMCというのは、「外語ミュージック・サークル(またはクラブという説も)」の略で、私が入会した最初の頃は「フォークソング・クラブ」と名乗っておりました。ここには刀根君から誘われて入ったわけです。その前は「軽音楽クラブ」とも言っていたようですが、詳しくは知りません。ただ、その頃、後にゴダイゴのメンバーになって大成功したタケカワユキヒデさん(英米語科)もクラブ員でした。

 もう一人、私の同期の人見君はロックバンド「バウワウ」のヴォーカリストとして、世界的に一世風靡した人でした。彼については、あるネット情報では、早大軽音楽サークル「ロッククライミング」出身としか書いていませんが、実は東京外語大GMC出身で、「ポーの一族」というバンドで、荒城君のギター、久島君のベース、梶原君のドラムスで当時からプロ顔負けのヘヴィーなヴォーカルを披露しておりました。

 何を言いたいのかと言いますと、GMCはそれだけレベルが高かったということです(笑)。今回、全く知らなかった後輩の皆さんの演奏を聴きましたが、やはりレベルは非常に高かったでした。彼ら、彼女らも、若くて40代、ほとんど還暦を過ぎているように見受けられましたが、若い、若い。

 (演奏風景は、主催者の幹事さんから動画が送られてきました。小生、動画編集が出来ませんが、もし、奇跡的に動画編集が出来ましたら、いつか、このブログにアップする予定です。)

 【追記】2024年1月1日

 昨年末、宮さんが大変御親切にも動画を編集してくださり、LINE用とメールから開封できる動画編集を添付して送ってくださいました。受け取る側の私も色々、試行錯誤して、やっと、ブログに貼り付けられる状態まで持って行くことが出来ましたが、結局、いずれもデータ量が多過ぎて、ブログに添付することは出来ませんでした。

 いずれにせよ、大変な労力と時間を掛けて動画を編集してくださったジョン・レノンと同い年の宮さんには大変感謝申し上げます。

死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著「時間の終わりまで」

  皆様ご案内の通り、私は最近、科学的知識に飢えておりますので、何か良書がないものか、と手始めに講談社のブルーバックスを探してみました。過日、同社から出た安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」を読んだばかりでしたので、ブルーバックスに関しては多大なる信頼を置いているからです。

《ご参照》

・12月6日付「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)」

・12月13日付「心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)」

 そうしましたら、たまたま、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙」(2023年8月10日第3刷)を見つけました。新書なのに1980円もするので散々迷った末、購入しました。686ページもある部厚い本です。よく見たら、2021年に出版された書籍を新書化した世界的ベストセラーでした。

 知らなかったなあ。私は一応、新聞の書評欄には目を通しているつもりですが、著者も書籍も全く聞いたことがなかったからです。やはり、本とは偶然の出会いなのかもしれません。

 この本、「はじめに」から読み始めていますが、他の科学書と比べても一風変わっています。数式が出てこないのは勿論ですが、シュペングラーやサルトル、バートランド・ラッセルといった歴史家や哲学者が多く登場するからです。科学書ではなく、まるで哲学書です。著者は、米コロンビア大学教授で、宇宙論や超ひも理論がご専門のようですが、科学者の思考の行き着く所は哲学にあるように見えます。

Soleil Levant

 著者は、エントロピー(無秩序の度合い)の法則などの物理学や、生物学、人類学を援用しながら、こうまで言ってのけます。

 考えるという行為そのものが、無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するというあまりにも現実的な可能性に出会うだろう。遠い未来には、考える者はなんであれ、己の思考によって生じる熱のせいで焦げ付いてしまうのかもしれない。つまり、思考そのものが、物理的に不可能になりそうなのだ。

 えっ? どういうこと? 一瞬、何を言っているのか、著者のブライアン・グリーン氏(1963~)が何を言いたいのかさっぱり分かりませんが、何度か読むと、混沌とした状態の中で、人類の脳回路が破綻していく、という意味ではないかと私は勝手に推察しました。人類は高度に知能が発達したほぼ究極の生物ではありますが、あくまでも宇宙の中で原子と素粒子と電子が複雑に組み合わさって、偶然に出来上がった生物の種、または機能に過ぎませんから、あり得ないことはありません。

 この本では、著者は、私以上に悲観論を述べています。

・来るべき時が来れば、生きとし生ける者はすべて死ぬ。

・(シュペングラーを引用して)人間は、死を知る唯一の生物である。すべての宗教、すべての科学研究、すべての哲学は、死の怖れに由来する。

・生命の出現とともに勃興した知識もまた、生命の消滅とともに失われるだろう。永遠に存在するものは何もない。絶対的なものは何ひとつないのだ。

 ワァオゥ〜です。科学者ですから、一刀両断です。妥協や斟酌や忖度はありません(笑)。「人類という生物種は物語が大好き」なため、小説や映画演劇や音楽や美術など芸術作品を創作しようとする。それらは、すべて、死の恐怖から逃れようとするためなのだ。作品を残すことによって永遠の生命を得ようとする。しかし、それらはまやかしで科学的に否定される。人類を含め、あらゆる生物はいずれ死滅するので、永遠も絶対もない。ーというのですからこれほど、身もふたもない、絶望的な言説はありません。でも、科学的事実と言えばそうなってしまいます。

 どうしたらいいのか?

 という話になります。残りの人生、飲めや歌えや踊れやで大騒ぎしてその日暮らしをすればいいのか? それとも、あらゆる欲望を断ち切って修行して無我の境地を目指せばいいのか? 只管勉強を続けるべきなのか? うーん、難しいところです。宇宙から見れば、有名だろうが無名だろうが、歴史に残ろうが残るまいが、泣こうが喚こうが、ヒトの一生など大したことではありません。

 取り敢えず、686ページもあるこの大著を最後まで読んでいくことにしました。宇宙論の科学書として。

「存亡の危機」も「口先三寸」も間違い?=日本語は難しい

 会社で、記事の校正の手引きとして使っている「バイブル」のような「憲法」のような本として「用字用語ブック」というものがあります。内閣告示による「常用漢字表」や「現代仮名遣い」などに準拠して、漢字の読み方や送り仮名の付け方、それに数字の書き方、地名・固有名詞の書き方、計量単位の使い方、敬語の使い方など、文章を書く上での基準として、まあ、ありとあらゆることが記載されています。

 この中で、「間違えやすい語字句」というものがあります。私は長年、文章を書く仕事に従事してきたので、一応、知っているつもりでしたが、この年になっても、まだ、勘違いしていたり、誤用していたりした語字句があったので、情けなくなってしまいました。

 例えば、存亡の危機です。これは、存亡の機存続の危機に書き直すように指導されています。何故なら、「存亡」とは「存続するか、滅びるか」という意味なので、「危機」はおかしいというのです。言われてみればその通りですね。日本語は難しい。

 足元をすくわれるも間違いだというのです。足をすくわれるに書き直すようになっています。

 口先三寸なんかは、よく使っていましたが、これも間違いで、舌先三寸が正しいといいます。

 枯れ木も花のにぎわい、かと思っていたら、これは枯れ木も山のにぎわいが正しい。「つまらないものでも無いよりまし」という意味でした。

 私淑するも間違って覚えていました。面識のない人を著作などを通じて師と仰ぐことで、直接指導を受けた人に対して、「〇〇先生に私淑した」などと使うのは誤り、と書いておりました。

築地

 キリがないですが、私自身が誤用していた、勘違いしていた語字句を正直に書いておきます。(左が間違い、右が正しい)

頭の先から爪の先まで ⇒ 頭の先から足の先まで頭のてっぺんから足の爪先まで

アリの入り込む隙もない ⇒ アリのはい出る隙もない

いやが応にも ⇒ いやが上にも

上や下への大騒ぎ ⇒ 上を下への大騒ぎ

笑顔がこぼれる ⇒ 笑みがこぼれる

押しも押されぬ ⇒ 押しも押されもせぬ

お求めやすい値段 ⇒ お求めになりやすい値段

つつましい暮らし ⇒ つましい暮らし

 まあ、この辺にしておきます(苦笑)。

 人が亡くなった時、享年80とし、享年80歳とするのは間違いかと思っていましたが、享年80歳でも大丈夫なようです。また、排気ガスに関しては、「気」と「ガス」が重複するので、排ガス、もしくは排出ガスに書き直すようになっていますが、「排気ガス」を認めている辞書もあるようです。ただし、新聞表記としては使わないとしてます。

 嗚呼、やっぱり日本語は難しい。

スマホがなくなる日、あなたは?

 郵便料金が値上げするそうですね。定型封書が84円から110円(31%増)、葉書の63円が85円(35%増)に値上げされるようです。審議会で承認されれば、即、ではなく、人々が忘れた頃に値上げになることでしょう。(来秋という説も)

 それにしても、大幅な値上げです。一気に上がったという感じです。ネットのメールのお陰で、郵便物が減ったことが原因でしょう。年賀状だって、若い人を中心に出さなくなりました。それだけ、郵便局の収入が減少し、輸送費や人件費も上がり、事業継続のためには値上げするしかない、という悪循環にはまったということなのでしょう。

 郵便料金の値上げは、日本だけではなく、欧米先進国も免れていません。英国では、1994年から2023年にかけて20回も値上げして、現在は4倍の0.75ポンド(約135円)、米国は17回値上げして66セント(約90円)になった、と本日12月19日付の日経が書いております。よく調べとるなあ~。

 ネットの普及のお陰で、郵便だけでなく、新聞も出版も斜陽産業になってしまいました。明治の人は想像もつかなかったことでしょう。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった成長産業も150年も経てば、零落するという例証になりました。他に、絹糸や繊維産業、鉄鋼、造船産業…日本の戦後高度経済成長期を支えた産業は世界的競争力を失ってしまいました。

東銀座「中国菜 紹興宛」 ※スマホだけでしか注文を受け付けなかったのはこの店ではありません

 その点、今現在の成長産業と言えば、スマホ関連ということになるのでしょうか。先日、東京・銀座の和食店にランチに行って、吃驚しましたよ。注文しようかと思ったら、店員さんが「そこのバーコードで注文してください」と言うのです。えっ? ヒトが目の前にいても、注文すら出来ないとは!

 幸い、私はスマホ中毒者ですから、バーコード読み取りアプリはしっかりインストールしております。ですから、難なく捌けました。でも、レストランでバーコード注文するのは生まれて初めての経験でした。これ、若い人なら簡単なんでしょうけど、高齢者世代はどうなるんでしょうかね? まさに、置いてけぼりになることでしょう。

 今や、スマホがなければ、仕事も遊び(ゲーム)も食事も、何も出来ない時代になってしまいました。そう言えば、私自身も、スマホで買い物したり、確定申告までしたりしてますからね。

東銀座「中国菜 紹興宛」牛肉と香港ライスヌードル炒めランチ 1100円

 でも、そんなスマホも、そしてパソコンも、2050年にはなくなっているという驚きべき予測があるようです(みずほ産業調査)。スマートフォンは、スマートグラスやスマートコンタクトなどに取って代わられるということらしいですが、私のような旧い世代にはもう想像も尽きません。その頃、生きているかどうかも分かんないし。。。

 当然、2050年ともなれば、産業構造が劇的に変化していることでしょう。時代の流れで、狭い日本列島はもっともっと国際色豊かになっているかも知れませんし、相変わらず、喧嘩や訴訟や戦争はなくならず、人々は毎日、恐怖で怯えているのかもしれません。

 駄目ですねえ。いつもながら、こういった悲観的な予想しか出来ないなんて。。。遺伝子なのかなあ? でも、今のウクライナや中東の状況を見ただけでも、とても楽観的にはなれませんね。

 とはいえ、頭脳を図るIQ調査や、国際的な学習到達度調査(PISA)を見ると、人類学的にも? 東アジア人は知性が比較的高いようなので、優秀な日本人が大いに力を発揮して難局を対処してくれるものと期待しております。過去には全く想像もつかなった将棋の藤井聡太八冠や米大リーグ本塁打王の大谷翔平選手が出現するぐらいですから、夢想なんかじゃありません。何と言っても、彼らのメンタルの強さには脱帽します。

大坂の陣こそ「天下分け目」の戦いだった?=「歴史人」1月号

 久しぶりに「歴史人」(ABCアーク)1月号を購入しました。来年、2024年のカレンダー(平安 源氏物語の世界)が付録として付いているからです。カレンダーが欲しいので買いました、と正直に書いておきます(笑)。

 「歴史人」はここ5~6年買い続けましたから、生意気ですけど、そろそろ卒業したかな、と思ったのでした。同じような企画特集が繰り返されて、同じようなことが書かれているので、「あ、またか」という思いもあったのでした。歴史に関してはかなり精通した気分にもなっておりました。

 でも、それは、やはり「生意気」でした。自分にとって、知らない新事実が湧き出る泉の如く頻出するのです。そりゃ、そうでしょう。

 「歴史人」1月号の特集記事は「大坂の陣 12の謎」でした。ちょうど、NHK大河ドラマ「どうする家康」が最終回を迎え、最後は「大坂の陣」で勝利を収めた徳川家康が亡くなるところで終わっていました。まあ、このテレビ番組とタイアップした格好なので、読者獲得狙いは見え見えです(笑)。いやはや、そんな不遜なことを言ってはいけませんね。内容は実に充実していて、浅学菲才の私が知らないことが多く書かれておりました。

◇淀君は蔑称?

 例えば、「淀君」です。織田信長の妹お市の方と浅井長政の長女で、豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の生母と言われ、それを盾に権勢を振るった人と言われています。この「淀君」とは、私は尊称かと思ったら、全く逆で蔑称だったんですね。当時、最下級の遊女である「辻君」(道端で春を売る女)にこと寄せて「淀君」と呼んだようです。幼名は茶々などがありますが、本来は「淀殿」でした。これは、産所(住居)としてあてがわれた淀古城に因んだものでした。

 もう一つ。大坂冬の陣、夏の陣(1614~15年)は、局地的な戦争で、天下分け目の「関ヶ原の戦い」(1600年)と比べると見劣りすると思っておりましたが、徳川方約20万人、豊臣方も約10万人とかなり大規模な戦争だったことを知りました。実は、関ヶ原の戦いで雌雄が決したわけではなく、まだまだ火種が燻っていて、大坂の陣でやっと決着が付いたことが歴史の正当な解釈でした。 

 何で、歴史の教科書などで大坂の陣が関ヶ原の戦いより重視されなかったのか? それは、豊臣方として、大野治長や真田幸村(信繁)、それに黒田家の元重臣後藤又兵衛(基次)、土佐の長宗我部盛親らは有名ですが、それ以外は「牢人衆」として十把一絡にされてしまい、後の徳川政権によって、まるで烏合の衆扱いされていたからだと思います。

 しかし、よく見ると、「牢人衆」の中には、関ヶ原の戦いで西軍に属して、領地を没収された大名の子息らも少なくなかったのでした。大谷吉治は、石田三成の片腕だった大谷刑部吉継の子、石川康長は、家康の元家老で秀吉方に出奔した石川数正の子、増田盛次は、秀吉の五奉行の一人増田長盛の次男、細川興秋は、小倉藩主細川忠興の次男(三男が嫡子となったため出奔した)、浅井井頼は、浅井長政の庶子(ということは淀殿の異母きょうだい)らがいたことを見れば明らかです。

 あと、大河ドラマ「どうする家康」を見ていると、評定(ひょうじょう)らしき重要な場や、仲介交渉役として多くの女性が登場するので、あの封建的な女性差別の時代ではあり得ず、フィクションのドラマかと思っていましたら、史実だったんですね。徳川方の和議の使者となったのは、家康の側室阿茶局(武田家の家臣飯田直政の娘)で、豊臣方の窓口となったのが、淀殿の妹初(常高院)だったことは歴史的事実でした。ドラマの時代考証さま、疑ってすみませんでした。

 最後に、豊臣秀頼は、「秀吉の実子ではないのではないか」という憶測が現在でもあります。有力なのが、淀殿の乳母大蔵卿局の子息の大野治長、秀吉の重臣片桐且元、それに石田三成説まであります。しかし、歴史家の加来耕三氏は、秀吉は天下人になって灸をすえ、漢方を服用し、温泉に浸かったりして努力していたことから、「秀吉の実子」説を唱えておりました。

 となると、淀殿と秀頼の自害で豊臣家が滅亡したことはかえずがえすも残念でした。嫡子ではないにせよ、北条氏や織田家でさえ、江戸時代~現代も残りましたからね。

【追記】2023年12月19日

 やはり、大坂の陣は、歴史のターニングポイントでしたね。近世の城郭の建築ラッシュになったのが、1600年の関ケ原の戦いから1614年大坂冬の陣までの慶長年間だったというからです。関ケ原では、加藤清正、福島正則、黒田長政ら旧豊臣方の活躍で勝利したため、徳川家康も仕方なく論功行賞として領地を与えなくてはなりませんでした。彼らが壮大な城を建築すれば、徳川方も防御とし多くの城を建築せざるを得ません。名古屋城などは、全国の大名をかき集めて公儀(天下)普請で行った他、西に睨みを効かすために、井伊直政には石田三成の所領を与えて彦根城をつくらせ、藤堂高虎には安濃津城を任せたりしましたから、大坂の陣まで戦国時代は続いていたという見方は正しいのではないでしょうか。

年末ジャンボ宝くじを買うなら京都御所ですか?

 ご覧の写真は、年末の風物詩です。早朝から、「東京で一番当たる」と濃厚な噂と評判がある西銀座チャンスセンターの「億の細道」を並ぶ皆々様方で御座います。

 ご苦労さまです。今年も、1等は前後賞合わせて10億円ですか。。。そりゃ、風雨、嵐、豪雪、極寒はものかは。万難を排してでも、並びますよね。

 でもですね。1等の当選確率は、2000万本に1本と公式発表されています。まさに奇跡が起こらない限り、当選は難しいでしょう。それでも夢を懸ける人が大勢いらはります。くじの収益金の一部は、公園遊具を整備したり、消防車を購入したり、福祉活動にも使われるといいますから、彼らがいなくては困ります。私は密かに、彼らのことを「納税者」と呼んでいますけど。。。

 ところで、そんな宝くじに「大河の法則」があることを御存知でしょうか?

 年末ジャンボ宝くじで、翌年のNHK大河ドラマの舞台になる「県」の宝くじ売り場で購入すると高額当選金が、ウッハ、ウッハ当たるというのです。

 昨年の年末ジャンボでは、今年の大河ドラマ「どうする家康」の徳川家康の出身地三河=愛知県の宝くじ売り場で、1等7億円当選が4本も出たといいます。

 来年2024年の大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部が主人公ということで、京都府になります。ということで、京都の御所に近い最も有名で売れている宝くじ売り場で、購入すれば、当たる確率が高いというのです。

 これは、全世界の《渓流斎日乗》のご愛読者の皆様だけにお送りする極秘情報です(笑)。もし、その気のある方がいらっしゃいましたら、今からでも遅くはない。京都御所近くの有名宝くじ売り場に飛んでいかれたら如何でしょうか?

 ※この記事は、出典が銘記されていないので、信頼性に欠けます。

心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)

 2023年12月6日の記事「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(上)」の続きです。

 先日、安藤寿康著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス)を読了しましたが、この本の内容について、誤解を招くことなく、どうやってまとめていいやら随分、悩んでしまいました。

 著者の安藤慶大名誉教授も「あとがき」で書いているように、遺伝について語ること自体をタブー視する風潮は、我が国では依然として根強く、教育現場で「学力は遺伝だ」などと言うと、生徒が勉強する意欲をなくすので、「言ってはいけない」ことになっているそうです。「本書はパンドラの箱を開けてしまったことになるかもしれない」とまで書いております。

 著者が専門の行動遺伝学とは、文字通り、行動に及ぼす遺伝の影響を実証的に研究する学問です。一卵性、二卵性の双子のきょうだいの類似性から実証データを収集する「双生児法」が基本になっていますが、既に150年の歴史があるといいます。その結果-。

・「心は全て遺伝的である」、すなわち人間のあらゆる行動や心の働きに、遺伝の影響が無視できないほど効いている。(51ページ)

・環境も遺伝だというと、詭弁だと非難されそうだが、これも行動遺伝学が見出した重要な発見の一つである。つまり、人が出会い、環境を作り出すときには、その人の行動が関わっている。だから、そこには遺伝の影響が反映されているということである。(151ページ)

・親の社会経済階層(収入)と子どもの教育年数とは相関関係が見られ、昨今流行した「親ガチャ」は正しいことになるが、遺伝の影響はそれとは独立に個人差を生み、貧しい家庭に生まれても本人に遺伝的才覚があればのし上がることが出来る(その逆も然り)。(199ページなど)

 ーなどといった驚くべきことが例証されています。

上野・西郷どん

 行動遺伝学は、「分散の学問」とも言われています。世の中には色んな人がいらはりますが、そのバラつきの原因は何なのか、そこに遺伝の違いが関わっているのか、遺伝で説明できない環境の要因で説明することが出来るのはどれくらいあるのかーといったことを研究する学問だといいます。そこで、遺伝による分散をVg、環境による分散をVeとすると、両者を足し合わせたものが表現型の全分散と考えてVpとなり、以下の数式で表されるといいます。 

 Vp=Vg+Ve

 これは、統計学の「分散分析」と呼ばれる手法となり、まさに、行動遺伝学というのは数学であり、科学であるということが分かります。

 その一方で、データ解析によって、遺伝による学力格差や収入格差などが見出され、それに加えて、障害者に対する差別などの問題も表れることから、科学的分析だけでは済まなくなります。いかに一般大衆にも誤解のないように分かりやすく説明するには「文学(レトリック)」の力が必要とされますし、問題を解決するためには、教育や行政による政策も必要とされます。さらに、最後に残るのは倫理問題になるかもしれません。

 パンドラの箱を開けてしまった著者も、行動遺伝学がもたらした危険性を予言して批判したり、逆にそこから新しい教育制度、政治制度、社会思想などを構築する議論が起こるだけでも、「本書を出版した意義は十分にあると信じている」と最後のあとがきで吐露しておりました。

 読者には、重く深い課題を課せられたようなものです。

 私は政治活動をするようなことは不向きですがら、個人的に、困難な状況や難題に遭遇したとき、「遺伝だからしょうがない」と自分自身を諦める納得の材料にしたり、実に嫌な、生意気で性格の悪い人間に遭遇したとき、「こいつ個人が悪いのではなく、単なる遺伝によるものに過ぎない」と思い込むことによって不快感から逃れる手立てにして、なるべく自分自身を追い込まずに精神障害を発症しない手段にしようかと思っています。

 あ、そっか~。何でも自分自身を追い込む生真面目な性格は、遺伝に過ぎないかもしれませんね(笑)。

新聞・通信在京8社とはどこなのか?=報道とはかなり恣意的なものです

 本日12月12日(火)付毎日新聞朝刊に、「社会部長が選ぶ今年の十大ニュース」(新聞乃新聞社主催)の第1位に「自民党派閥パーティー券問題、岸田政権に打撃」が選ばれたことが報じられていました。まあ、妥当な話でしょう。

 この十大ニュースは、在京新聞・通信8社の社会部長が選出するのですが、毎日新聞は、この8社のことを「毎日、産経、日経、東京、共同通信など」と堂々と報じています。8社のうち5社だけがまるで「代表」です。残る3社は、朝日、読売、時事通信なのですが、毎日新聞をトップに持ってくる辺り、毎日新聞のかなり恣意的な「選別」を感じました(笑)。

 そしたら、産経新聞を見てみたら、全く同じ記事が載っていたのです。産経が頭ではなく、「毎日、産経、日経、東京、共同通信など」の順番も同じです。ハハア、これは共同通信の配信記事だったのか! と分かりました。小生は業界人ですからね(笑)。

 よく見てみると、毎日も産経も日経も東京も、共同通信の加盟紙です! 時事通信は共同のライバルですから、わざわざ、なかったことにして、「記事化」しないことは見え見えです。朝日は共同の外信、外報記事は契約していますが、純然たる加盟紙ではないし、読売と共同は大変仲が悪いことは、戦前の読売・正力松太郎社長と同盟通信時代の関係以来の「伝統」です。となると、やはり、共同通信の記者がわざと朝日、読売、時事通信を排除したことはかなり恣意的であり、意図的だったことが発覚してしまったわけです。

上野 ロダン「考える人」

 随分、レベルが低い話になってしまいましたので、もっと大きな国際的な話題に変えます。先日、12月5日、パリを本拠地とする経済協力開発機構(OECD)が、81カ国・地域の15歳(日本は高校1年)約69万人を対象に実施した2022年の国際学習到達度調査(PISA)結果を公表しました。全3分野のうち、日本は「読解力」が前回18年調査で過去最低だった15位から過去最高の3位に躍進。前回5位だった「科学的応用力」が2位、6位だった「数学的応用力」が5位に上がり、世界トップレベルを堅持したことが報道されました。

 しかし、これはあくまでも「日本向けの報道」で、OECDが公表した資料の10分の1、いや100分の1程度しか報道していません。他国のことについてはほとんど報道していなかったからです。「数学的応用力」「読解力」「科学的応用力」の全3分野で第1位に輝いたのはシンガポールでしたが、これは、前回1位を独占しながら、コロナ禍で学校が閉鎖されて今回不参加だった中国(北京、上海、江蘇省、浙江省)のことを割り引いて考えなければなりません。中国が参加していたら、第1位を独占していたかもしれない、ということです。

 今回、国際ニュースとして注目されたことは、欧州各国のレベル低下でした。例えば、「数学的応用力」で、エストニアが510点で7位、スイスは508点で8位、オランダは493点で10位と大いに健闘しましたが、欧州大国であるはずの英国は489点で14位、ドイツは475点で25位、フランスは474点で26位です。米国となると、465点で34位です。469点で31位のベトナムよりも低いのです。日本は536点の5位ですから、右翼雑誌や国家主義者が「欧米なんか大したことない」と大喜びするような結果です。

 加えて、上位に顔を出したのは、シンガポールと日本以外ではマカオ、台湾、香港、韓国です。いずれも東アジアです。そして、これらの国・地域はいずれも過去に欧米と日本の植民地になった所でしたが、「頭の良さなら、東アジア人の方が欧米人より上だ」とこれまた右翼雑誌や国家主義者が喜びそうな結果です。

 ただし、気をつけなければいけないことは、5位の日本の536点にせよ、34位の465点の米国にせよ、点数はあくまでも「平均点」だという事実です。ということは、個別の最低点は日本の方が上であっても、最高点は米国人の方が上であってもおかしくないのです。つまり、日本人は概ね、最高と最低の差が少なく平準化されていますが、米国ではその格差が膨大だということです。成績が悪い奴のお陰で、平均点が下がっているだけで、賢い米国人は日本人なんかよりも遙かに賢い、ということになってしまうわけです(笑)。

 実は、この話は、先日読了した安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス)に掲載されていた2018年に実施されたPISAの結果から導いた著者の見解を翻案して借用させて頂きました。

 いずれにせよ、報道ニュースに関心を持たれる方は、色々と差し引いたり、疑問に思ったりしながら接することをお勧めします。