意欲の低下

ローマにて

評論家の宮崎哲弥氏の作品は一冊も読んだことはないのですが、彼は一日、7冊の本を読んでいるそうです。「わあ、これはすごいや」と思いました。私は一日3冊が限界でした。数ヶ月、いや2ヶ月ももたなかったと思います。若い頃なので、体力(視力)があったおかげでできましたが、今はとてもできません。

それでも、最近、数冊を並行して読んでいます。先月末に鳥居民「近衛文麿 『黙』して死す」(草思社)を読んだばかりです。

今、面白く読んでいるのは、ドナルド・キーン「渡辺崋山」(新潮社)、原信田実「謎解き 広重『江戸百』」(集英社新書)、田中優子「江戸を歩く」(集英社新書)、浜田和幸「ハゲタカが嗤った日」(集英社)、吉野裕子「ダルマの民俗学」(岩波新書)、そして、昨日、偶然、神保町の三省堂書店で平積みされていたのを見つけた加治将一「幕末 維新の暗号」(祥伝社)の6冊。これを一日で読むことはとてもできませんね。1ヶ月以上かかるでしょう。ともかく、感想についてはまた書きます。

「下流社会」などの著作がある三浦展氏は、最近の「下流」階級は、経済的な「下流」ではなくて、精神的な「下流」であると指摘しています。つまり、主体的に何かを達成しようという意欲が弱いというのです。下流意識のある人ほど、家に引きこもって、ゲームに耽溺し、友人も少ない。学習意欲どころか、コミュニケーション意欲、消費意欲、つまり、人生への意欲が乏しいというのです。

私にも古い友人がおりましたが、最近、「もう僕のことは構わないでくれ」と通告されました。彼は、人生に対して大変前向きで、何か事を成し遂げてやろうという意欲満々の男でしたが、大病をきっかけに、まさに、下流意識の塊になってしまいました。まさしく、コミュニケーション意欲も、生活意欲も、消費意欲もなくなってしまったのです。俗世間との交際を断ち切って、仙人のような生活を目指しているのかもしれません。

私のように、見たい映画があるわけではなく、読みたい本があるわけではなく、それまでは、渋々、人の話に調子を合わせていたのかもしれません。疲れてしまったのでしょう。

それにしても、残念な話です。