原節子さんの訃報に触れて


世界的に有名な会田昌江さんが、今年9月5日に亡くなっていたことが分かりました。享年95。
 
 えっ?知らない?会田さんは、日本を代表する大女優原節子の本名です。1935年の「ためらふ勿れ若人よ」でデビュー。1920年生まれですから、15歳です。そして、1962年の「忠臣蔵」を最後に引退。この時42歳ですから、わずか、と言っていいのか、27年間の映画人人生ということになります。

 残りの53年間は、隠遁するように表舞台には出ず、映画人生の2倍近い年数を単なる(?)会田昌江さんで過ごしたわけです。

 それで、「伝説」が生まれるわけですが、小津安二郎監督との関係の噂などをはじめとして、いわゆる伝説には、私は興味ありませんね。

 関心があるのは、2カ月以上前に亡くなっていたのに、なぜ今頃になって公になったのか。25日に一斉に報道されたので、確実にどこかの筋が発表したのでしょう。会田さんの遺言だったのか、親戚の意向だったのか、知る由もありませんが。

 もう一つは、女優というのは、「一生の仕事」で、お婆ちゃん役でも何でもありえたはず。引退の本当の真相(変な日本語ですね)を知りたかったですね。恐らく、彼女独特の「美学」だったのでしょう。最近のタレントは、一旦、引退宣言しておきながら、すぐカムバックする人があり、やはり、他の芸能人とは別格です。

 私もまだ元気だった春先、彼女が主演した日独合作映画「新しき土」(1937年)と成瀬巳喜男監督の「山の音」(54年)を図書館からDVDを借りて観たばかり(笑)でした。

 やはり、「清楚」さはどんな監督が撮っても現れるものですね。代表作である小津監督の「晩春」(49年)や「東京物語」(53年)などのヒロイン役では、台詞だったにしろ、昔の日本の女性は本当にこんな丁寧な言葉遣いをしていたものか、とほとほと感心してしまいます。

 そこには今の日本人が忘れた「気品」があります。

 今のテレビが(と一括りしてはいけませんが)つまらないのは、気品がない、はっきり言って下品だからです。

 原節子という女優は、私にとって、顔だちやスタイルよりも、声と言葉遣いに魅せられた女優でした。誤解を恐れずに書けば、まるで「絶滅危惧種」が亡くなってしまったような感じです。

 会田昌江さんのご冥福をお祈り申し上げます。