またもや無差別殺人事件

 

犯人の菅野昭一という名の男は、33歳にもなるというのに、「親に仕事のことで相談したら、乗ってくれなかったから。無差別に人を殺したいと思って包丁を買った」と供述しているらしいのですが、唖然としてしまいます。彼は、大人になるための通過儀礼も経ず、希望も挫折もなく、ただ単に年だけ重ねただけなのかもしれません。殺された22歳の書店店員アルバイトの斎木愛さんの方が浮かばれません。ご両親、友人はさぞ無念でしょう。

 

この間の秋葉原連続殺傷事件の加藤容疑者といい、何か、このごろの日本人はおかしいですね。

 

非常に幼稚で、短絡的で、すぐ人に責任を転嫁する。昔の殺人者は、救いようのない貧困とか怨恨とか、それなりの重い動機を抱えていたのに、最近では、「周りから相手にされなかったから」とか全く意味不明の、本人も分からないような衝動的な動機が多く、「誰でもよかった」というのが特徴的です。

 

こういう人たちだけでなく、現代人は、自分自身を大切にしていないから、こういう発想になるのではないでしょうか。自分自身を労わらなければ、そして、かけがいのない生命を認識しなければ、他の人のことも尊重できないのではないでしょうか。

 

世間が悪いとか、教育が悪いとか、こういう子供たちを育てた大人が悪いというのは簡単です。今からでも遅くはない。一人一人が、憎悪や怨嗟から解き放たれた世界を築いていかなければならないと思います。ちょっと抽象的な言い方ですが、これから私もこのブログを通して、少しずつ書いていきたいと思っています。

石原慎太郎という男 「てっぺん野郎」

世界一の鮮魚市場「築地」をダイオキシンだらけの「豊洲」に移転させようとしたり、世論調査によれば、国民の半数以上が反対しているのに、2016年のオリンピックを東京に招致しようとしたりしている東京都知事の石原慎太郎さんほど毀誉褒貶の多い人はいないでしょう。

 

どうでもいいのですが、私は、彼のことはあまり好きではありません。以前、「ババアほど人類に貢献しないものはいない、と高名な科学者が言っていた」と発言して物議を醸しましたが、「フランス語は数も数えられないほど低級な言語だ」と言い放って、フランス語学習者を冒涜したことが許せないからです。

 

自分でも笑ってしまいますが、私如き凡人が「許せない」なんて言っても、向こうは蚊に刺されたほども痛くもかゆくもないだろうし、私のことなぞ、全く眼中にもないので、本当にどうでもいいのですが、かつまた、彼が一介の小説家だけであるなら、彼の作品を読まなければいいだけの話なので、こちらも同じ土俵にのぼることなどしなくていいのですが、相手はこちらの生活までを左右する権力を握った政治家なので、彼が一体何者なのか、気にしないではいられません。

 

石原慎太郎さんに関しては、もう五年前に出た本でちょっと古いのですが、佐野眞一さんの書いた「てっぺん野郎 本人も知らなかった石原慎太郎」(講談社)が本当に面白いですね。

 

特に、慎太郎と戦後映画界の最大のスター裕次郎兄弟の実父石原潔について、調べに調べ尽くして描かれたエピソードは本人以上に面白いです。私自身は月刊「現代」に連載された記事だけ読んでいたのですが、大幅に加筆された単行本は読んでいなかったの、改めて読んでみたらやめられなくなってしまいました。

 

誰もが、慎太郎・裕次郎兄弟の親父ですから、船乗りであることは知られていましたが、旧帝大を出たエリートで海外航路の船長というブルジョア階級だったと考えていたと思います。

 

同書によると、それが違うんですね。潔さんは、確かに日本を代表する海運会社「山下汽船」の幹部にまで出世しますが、四国は愛媛県の警察官の6人きょうだいの三男として生まれ、旧制宇和島中学(現・宇和島東高校)を中退して山下汽船に入社し、「店童」(てんどう)と呼ばれる丁稚奉公からたたきあげで出世した人だったんですね。

 

石原潔という男は豪放磊落な人間で、男気と才覚があり、誰からも愛され信頼され、上司からも目を掛けられて出世した人でした。会社の金を無断で料亭で散在して樺太に左遷させられますが、樺太でまた大活躍します。

樺太は日露戦争で南半分をロシアから割譲され、日本政府が持て余したところを、森林開発に目をつけたのが、三代目樺太庁長官になった平岡定太郎と三井物産木材部長の藤原銀次郎だったのです。平岡は、作家三島由紀夫(本名平岡公威)の祖父。藤原は後に王子製紙社長になる男です。そして、もちろん、樺太の木材を本土に運ぶ利権を一手に引き受けたのが山下汽船の石原潔だったのです。

後に、刎頚の友になった三島と慎太郎は、親や祖父の時代から既につながりがあったのですね。

本の世界

公開日時: 2008年7月21日 @ 09:57

 

昨年の出版点数は約7万7千点。これは、1989年の2倍もあるそうです。版元は、点数でかせいで売ろうとしていますが、書籍・雑誌の売り上げは1996年に2兆6千億円あったのが、昨年は2兆円です。ここ10年に半分近くになってしまったのです!

 佐野眞一氏の「だれが本を殺すか」によると、本の価格の実体を明らかにしています。

 取次と書店が取るマージンは30%。つまり、定価を100%とすると、70%が基礎指数となります。これに実売部数を掛けた数字が、指数になります。例えば、返品率が20%だとすると、実売が80%となり、

基礎指数70%×実売80%=56%  これが、収入指数になります。

 

一方の支出ですが、印刷・造本代が20%。著者印税・装丁・校正費が12%。広告費10%。返品倉庫代が3%。人件費10%で、すべて合計して55%。

収入指数56%ー支出55%=1%   このわずか1%が版元に利益になります。

 

定価1000円の本なら、1冊10円の利益。1万部でも10万円です。

 

これが、返品率40%ともなると、収入指数が42%とがっくと落ち、支出の55%を差し引くと13%の支出オーバーになってしまうのです。

 

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ただし、逆に返品率0%なら、収入指数はまるまるの70%となり、利益は15%。

 

定価1000円の本なら、一冊150円の利益で、10万冊なら1500万円。100万部の大ベストセラーになれば、1億5千万円の利益が転がりこんでくるわけです。

もう、博打の世界なんですね。

責任者出て来い!

この頃の天気予報がおかしい。
もっと、あからさまに書くことを許して頂けるなら、「全く当たらない」。

ひどい時には、「曇り時々、晴れ。ところによっては雨」なんて予報する。

何これ?こんなの予報になってないじゃん。素人の私にだってできる。

責任者を呼べ!という感じなのですが、結局、天気でさえ、ヒトは予報できないということなんでしょうか。気まぐれな雨雲さんが、雨を降らせるわけですから、そんな自然現象を人間が予想できるわけがないーということなのでしょうか。

まあ、自然現象なら分かるのですが、人為的なことでも誰も責任を取らなくていいという判決が18日にありましたね。これにはひどく憤慨しました。1998年に破綻した旧日本長期信用銀行の元頭取・大野木克信被告らが、最高裁で逆転無罪となったあの「事件」のことです。

経済評論家の中には「大野木さんは、最後の貧乏クジを引いただけで、スケープゴートになったから、かわいそう。不良債権処理の先送りを黙認した旧大蔵省幹部が悪い」と言う人がいましたが、結局、一体誰が責任を取るというのですか?

旧長銀には「国民の血税」と言った方がいい公的資金を約7兆8千億円も投入し、このうち約3兆6千億円も回収できていないんでしょう?それなのに、ハゲタカ・ファンドにダンピングで買い叩かれ、歴代の頭取の中には9000万円とか1億数千万円とか噂される超高額の退職金をもらってトンズラしたというのでしょう?

経済評論家も天気予報以上に当たらない経済空論を振り回す前に、ちゃんと、この事件を総括して庶民に分かりやすく説明する義務があるんじゃないでしょうか?
日本の庶民も、子羊のように大人しく黙っていては駄目だと思います。

ああ~やっぱり内緒でした。

昨日は、アークヒルズの全日空ホテルで、ノンフィクション作家の佐野真一さんに会ってきました。

 一番、聞きたかったのは、彼の「満州3部作」の3作目は誰になるかということでしたが、半ば予想していた通り、内緒でした。教えてくれませんでしたね。

 第1弾が「阿片王」の里見甫、第2弾が「甘粕正彦」、続く第3弾は、岸信介かなあ、と頭によぎったのですが、児玉誉志夫ではないかと思った、と先日書いた通り、同じ質問をぶつけると、

 「児玉じゃありませんね」と言下に否定されてしまいました。続けて、

 「二キ三スケでもありません」と言われてしまいました。

 少しでも、満州の本をかじったことがある方ならすぐわかりますよね。

東條英機(とうじょう ひでキ、関東軍参謀長、後の首相)
星野直樹(ほしの なおキ、国務院総務長官)

の「二キ」と

鮎川義介(あいかわ よしスケ、満州重工業開発社長、日産の創始者)
岸信介(きし のぶスケ、総務庁次長、戦後の首相)
松岡洋右(まつおか ようスケ、満鉄総裁、国際連盟脱退時の外相)

の「三スケ」の5人のことです。

いずれも、後に首相になったり、東京裁判でA級戦犯になったりする超大物ばかりです。

それでは一体誰か?

他には、石原莞爾か板垣征四郎といった軍人か、李香蘭といった芸能人しか思い浮かびません。

佐野さんはヒントをくれました。

戦後、生き永らえて、日本の高度経済成長に貢献した人だそうです。

それなら、岸信介じゃないでしょうか?

ますます分からなくなりました。

佐野さんは、取材から資料集めから執筆まで、最低5年はかけるそうですから、答えが分かるのは5年後ですかね?

渓流斎を囲む会を強行しました

 北大塚「串駒」

 

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昨晩は、「渓流斎を囲む会」を東京・北大塚の著名居酒屋「串駒」で強行しました。

 

出席者は、今西さん、後藤さん、松岡さん、斎藤さん、真壁さん、刀根さん、山田さん、田代さん、吉澤さん、村上さん、そして私の11人。当初、来られる予定の人が来なかったり、意外な人がお見えになったりしましたが、とても私のブログを一度も覗いたこともなさそうな人もいらっしゃって、やっぱり単なる暑気払いになりました(笑)。

 

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もちろん、調布先生も率先して来てくださいました。上記の中の誰かです。結局、調布先生がかなりの人を動員してくださったので、渓流斎の会というより、調布先生の快気祝いということになりました。この店が「発掘」した銘酒「十四代」を堪能することができました。さつま揚げやたたみいわしも美味しかったです。

 

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これだけの人が集まったので、談論風発。とにかく楽しかったことだけしか覚えていません。やはり、どうやってお家に帰ったのか、覚えていません(笑)

 

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谷崎潤一郎や三島由紀夫らとかなり深い交流をしたドナルド・キーンさんは、「日記を書く習慣がなかったので、彼らとどんな話をしたのか忘れてしまいました。書き留めていたら、貴重な文学史的な価値があったかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれません」と本人から直接聞いたことがあります。

 

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そうなんですよ。やっぱり、記録として残しておかなければ!一期一会の貴重な会合でしたからね。

 

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とはいえ、あんまり覚えていないんですね(笑)

 

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声の大きい国営放送の主任研究委員が、盛んに映画の「クライマーズ・ハイ」がとても面白かったと叫んでいました。

 

調布先生は、女性陣に向かって、「トイレ掃除のバイトをしないさい」と盛んに説法していました。「家政婦が見た」と同じで、人はトイレに入ると安心して、会社や人の悪口などの本音がボコボコ出てくるので、こんな貴重な情報ソースはない、と断言されるのです。

 

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これを受けて、作家のAさんは「○○○○(某大手新聞記者)は、国会のトイレの個室にじっと閉じこもって、政治家先生の話を盗み聞きして、記事を書いていたんですよ」とおっしゃるではありませんか。なるほど、一理ある話だったんですね。

 

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情報通のAさんは、私がその昔むかしに通っていた北大塚にある予備校の「武蔵」は、その裏手にある十文字学園の理事長が開校した学校で、真如苑の信者だったため、廃校後、その跡地に真如苑の大塚支部ができたというのです。

 

これで、謎が解けました。

 

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宗教学者の島田裕巳氏は「日本の10大新宗教」の中で、真如苑を取り上げています。

 

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1980年代に沢口靖子ら美人女優の入信で注目を浴び、最近では、運慶作とみられる「大日如来坐像」を約13億円で競売で落札して再び脚光を浴びている真如苑は、真言密教系で、意外と古くからあるのです。立川飛行機に勤務していた伊藤真乗が昭和六年に宗教家として専念したのが始まりなのだそうです。

 

今では信者は九十万人を抱え、創価学会、立正佼成会に次ぐ第三位の教団だといいいます。立川の施設を訪れた島田氏は「まるで病院や大学のキャンパスのような印象だ」とまで書いています。

 

 確かに、この大塚の支部も、外からでは曇ガラスに遮られて何も見えず、宗教施設というより病院か学校のように見えました。

 

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 鮨屋「高勢」

 

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会が始まる前に、時間があったので、この間行った大塚の「三業地帯」を徘徊してきました。

 

政治家先生の皆さんの御用達の鮨屋「高勢」や料亭「浅元」などを記録に収めてきました。

 

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もちろん、中に入りたくても、そういうご身分ではないので、入れませんでした。

芥川賞で初めて外国人が受賞したことについて

 

何しろ、日本語を母国語にしない外国人の受賞は、芥川賞73年の歴史で初めてだからです。

 

確かにすごいことはすごいですが、チェコ人のミラン・クンデラがフランス語で「存在の耐えられない軽さ L’Insoutenable legerete de l’Etre」をフランス語で書いていますし、ロシア出身のウラジーミル・ナボコフもケンブリッジで学び、ロリコンの原典になった「ロリータ」を英語で執筆していますので、世界史的な大事件ではないかもしれませんね。

 

そういえば、万葉集の歌人山上億良も、日本人ではなく百済の帰化人だったという説(中西進氏ら)もあります。もしこの説が正しければ、こちらの方が画期的でしょう。

私は、以前、仕事関係もあり、芥川賞・直木賞といえば、毎回必ず事前に読んでおりました。

しかし、正直、ここ10年、ほとんど(全くではありませんが)読んでいません。一番大きい理由は、「スパイ・ゾルゲ」を撮って”引退”した映画監督の篠田正浩さんが、雑誌のインタビューで「私は、小説は読みません。個人の妄想に付き合っている暇はありませんから」という文言を読んでしまったからです。

その通りだなあ。他人の妄想(たとえ、知的とはいえ)に付き合っているほど、人生は長くないなあ、と確信してしまったのです。

以後、ノンフィクションに転向して、できる限り、読むとしたら、ノンフィクションばかり読むようになったのです。

もう芥川賞といっても、主催者の「売らんかな」商魂が見え見えで、「え?何でこんなのがあ・・・!?」というのが受賞しているので、とても読むに耐えられない(軽さ)なのです。正直、前回の受賞作も、途中で嫌になって、投げ出してしまいました。

でも、今回は久しぶりに読んでみようかなあ、と思いました。天安門事件を扱っていて、選考委員の高樹のぶ子さんが「政治的事件に関わった中国人男性の20年に及ぶ個人史で、私たち日本人の多くはこうした20年を過していない」と発言しているからです。

恐らく、この小説は、中国で出版すれば、発禁処分になっていたことでしょう。そういう意味でも興味があります。

満州3部作の3作目は誰になるでしょうか?

私のような気まぐれで気儘に書いているブログでも、論争を巻き起こしそうな時事的(タイムリーな)問題(イッシュ―)を書くと、驚くほど色んな方からのコメントやトラックバックがあったりするんですね。恐らく検索すると引っかかるからなのでしょう。山本モナさんのような芸能ネタですと、普段の2倍以上もアクセスがあったのでビックリしてしまいました。

先日読了した「甘粕正彦 乱心の曂野」(新潮社)があまりにも面白かったので、今度、著者の佐野真一さんに会って話を伺うことにしました。大変忙しい方なので、私のような者に会って頂けるとは、嬉しい限りです。佐野さんの本は、調布先生に薦められて「巨怪伝」を読んだのが初めてでした。読売グループを日本一のマスメディアに育てた巨人・正力松太郎の伝記です。この本も圧倒されました。1994年に刊行されているので、もう14年も昔なんですね。本当ですか?信じられない。調布先生に「必読書ですよ」と言われて、赤坂の本屋さんで買ったのが、つい昨日のことのようです。

佐野さんに会うので、慌ててまだ読んでいなかった過去の著作に目を通しています。今読んでいるのが「だれが『本』を殺すのか」(プレジデント社)。これも面白い。初版は2001年ですから、もう7年も前。この中で、1811年(文化8年)創業の京都の老舗書店「駸々堂」の倒産など出版不況が描かれていますが、7年後の現在、出版業界はさらにさらに悪くなっていますね。

1965年に東京・銀座に進出した大阪の旭屋書店は、今年5月でついに、店仕舞いしてしまいましたし、銀座のマガジンハウス本社近くの「新東京ブックサービス」というユニークな品揃えの本屋さんも、気が付いたら最近、倒産していました。もう悲惨な状況を通り越していますね。

この本の中で、当事の出版界のドンと言われた「閣下」こと紀伊国屋書店の松原治会長が登場します。この人は1941年に東大法学部を卒業後、南満州鉄道株式会社、いわゆる満鉄に入社し、戦後、30歳の時に紀伊国屋書店に入社している人です。何か、ここにも満州経験者が出てきたので、嬉しくなってきました。

佐野氏は、里見甫の謎の生涯を追った「阿片王」、そして「甘粕正彦」に続き、満州3部作として、もう一人の伝記の執筆を進めているはずです。が、まだ、誰にも明かしていないようです。

満州に興味を持つと、右翼、左翼、馬賊、匪賊…とその人材の豊富さに圧倒されます。佐野氏が書き進めている満州3部作の3人目は一体誰なのか?
私の予想では、岸信介かなあ、と一瞬思ったのですが、もしかしたら、児玉誉士夫ではないかと睨んでいます。

今度会ったら聞いてみますが、内緒かもしれませんね。

今夏は東北三大祭りに行くのだ!

 

 

 

夏休みのプランがやっと決まりました。

8月の初めしか休みが取れないので、調布先生からお誘いを受けたお盆の京都には行けず、残念でしたが、色々と試行錯誤を重ねて、「東北三大祭り」に行くことにしました。

8月6日から2泊3日。「秋田竿灯まつり」と「青森ねぶた祭」と「仙台七夕まつり」の実に欲張った旅行です。

当初は友人と行くつもりでしたが、予定が合わずキャンセル。結局、一人でも参加できるJTBのツアーに申し込むことにしました。

楽しみですね。いずれの祭りも、テレビのニュースでは見たことがありますが、生で見るのは初めてです。

私には、死ぬまでに、できるだけ多くの日本の全国のお祭をこの眼で見てみたいという壮大な野望があります。(大袈裟な!)

何かウキウキしてきて、生きる希望が湧いてきました(笑)。

このツアーは一人でも参加できますから、皆さんも参加しませんか?

http://www.jtb.co.jp/kokunai/pkg/detail.aspx?tourcd=13E26051999999999014&dept=TYO&ln=30&sod=&soc=&dmonth=&ddate=&areaAdd=&prefAdd=&fc=&clId=&brand=tourdom&Setplan=&SearchType=&area=A02&ck=&SetStart=&SetEnd=&days=&TourConFlg=X&SetFareFrom=&SetFareFrom2=&SetFareTo=&SetType=000000000000&Brand_BitFlg=00000&MinCstm=&SetKeyword=夏祭り&SetKeywordAdd=&Remove=&OnOff=&SetOrkeyWord=

ちょっと高いかもしれませんが、お祭りはショバ代です。大手旅行代理店なら「良い席」を確保してくれますからね。

ややこしい竹島問題にはあまり触れたくないのですが…

  韓国との間で領有権問題でもつれている竹島(韓国名・独島)が再び騒がしくなりました。

なぜ、今この時期になって、再燃したのかと思ったら、今年は約10年に一度の中学校の学習指導要領の改定の年だからなんですね。今回初めて、先生のアンチョコ本、いやいや学習指導要領解説書に「竹島は日本固有の領土」と間接的に明記されることになり、韓国では逸早く、恐らく普通の日本人以上に速くこのニュースをキャッチして、抗議運動や駐日韓国大使の召還などに踏み切りました。

間接的明記というのも変な日本語ですが、それは同島を実効支配している韓国に配慮したためなのだそうです。今回初めてということは、日本人はこれまで、教科書で「竹島は日本の固有領土」ということを習ってこなかった、と認めたことになります。

同解説書には「北方領土は我が国固有の領土」と明記してから「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」と、恐る恐る書いています。「先生方の皆さん、教科書会社の皆さん、あとは任せたからよろしく」と読めないことはありません。

現在、竹島を取り上げている日本の教科書は、地理が6冊中1冊。公民が8冊中3冊。この解説書のおかげで、早くも来年度のすべての教科書に竹島のことを取り上げられるという報道もありました。韓国の教科書には既に何十年も昔から「独島は韓国の固有の領土」と明記されているので、韓国国民は、自明の理としています。

竹島は日比谷公園とほぼ同じ広さ(0・21平方キロメートル)の岩だらけの小さな島で、とても人間が住めないのですが、近辺には魚など天然資源が豊富で、面子とナショナリズムの問題もあり、まず、両国の間だけでの問題解決は不可能でしょうね。日本は国際司法裁判所(ICJ)に提訴に同意するよう韓国に求めても、拒否しているので、このまま睨み合いが続くことでしょう。そもそも、ICJに提訴しても、その判事の構成員によっては判決は怪しいものになります。

韓国国内では、日本の国旗を焼いたり、日本大使館に卵を投げつけたりして抗議運動は尋常ではありませんが、米国産牛肉輸入問題などで、支持率が大幅に低迷している李明博大統領による、国内の不満をそらすためのスケープゴートだという見方をする識者もいます。

私自身の意見は、日本人ですから、その立場で、「竹島は日本固有の領土」を教科書に盛り込むことは賛成です。

しかし、福田首相の「お互いの立場はある。しかし、立場は乗り越えて、理解も深めていくということは必要ではないか」いう発言は、日本語としてよく分かりませんね。政治的回避でしょうが。

14日に、丸谷才一氏が「本居宣長より偉い最高の日本語学者」と評価する大野晋氏が亡くなりました。大野氏だったら、どういう風に日本語で表現するか聞きたかったですね。