渓流斎の秘密

ミカエルです。

とはいっても、御存知の方は少ないと思います。ゴーストライターです。まあ、渓流斎先生の弟子筋てとこでしょうか。渓流斎先生は、日頃から「俺は弟子は取らない」と言っているので、正確には弟子ではありませんが。

でも、渓流斎先生は僕のことを信頼してくれているので、色んなことを話してくれました。

今年7月から10月にかけて行方不明になった渓さん(僕はいつもそう呼んでます)は、最初は、コスタリカ辺りに行っていたと言ってましたが、本当は日本国内の某所にいたそうです。下界とは掛け離れた所なので、殆ど人と接触しなかったそうです。

それでも、驚いたことには、仕事で豪シドニーに駐在していた学生時代の旧友相沢君が所用で帰国した際にわざわざアジトまで寄ってくれたそうです。メールも電話も予約もなく、突然、姿を現した時は、ホントにビックリしたそうです。彼がブログを読んで類推したそうですが、渓流斎ブログの威力を改めて感じたそうです。

昨年の満州旅行で知り合った栗林さん(あの毎月50冊本を読む読書家)は、「渓流斎ブログの復活」を願って、高価な差し入れまで持って会いに来てくれたそうです。本人は、嬉しいやら、困惑するやら、複雑な気持ちだったと話してました。

忘れてはならないのは、眼帯のお銀こと久留米の銀さんが、何度も足を運んでくれたことです。病気がちなのに、無理に来てもらって申し訳ないと、渓さんは俯いておりました。

とにかく、ゴーストライターのミカエルが代読しますと、

多くの友人、知人、先輩、後輩には御心配と御迷惑をおかけしました。家族眷族の支えもあり、何とか、ブログを少し書けるまで立ち直って来ました。まだまだ、無理はできませんが、皆々様からの励ましには心から感謝申しあげます。

繁盛亭と大塩平八郎の乱

京都にお住まいの京洛先生から電報が来ました。以前ですと、楽々と30分ぐらいでアップできたのですが、今では3時間も掛かります。あに、やってんですかねえ。一日が潰れてしまいます。

…大阪に今日行って来ました。「大阪天満宮」境内にある上方落語の殿堂でもある「繁盛亭」で、21日から開いている「終戦後復活落語70周年記念落語会」(24日まで開催)を聞きに出かけたのです。…

まあ、京都と大阪は近いですからね。

…戦後、昭和20年~30年代は戦前、人気があり、お客が呼べる上方落語の大看板や人気落語家が次々亡くなり、漫才に押されて、壊滅状態になりかけていたのです。そう言う状況下、後に上方落語の「四天王」と呼ばれる、笑福亭松鶴(6代目)、桂春團治(三代目)、桂米朝(三代目)、桂文枝(五代目)の4人の奮闘によって、今日の隆盛期を迎えたのです。

それを象徴するのが落語家の数です。「上方落語協会」がスタートした、昭和32年当時、僅か18人だったのが、今や同協会に参加している落語家はナント230人(平成26年9月現在)もいるのです。驚くべき、繁栄、繁盛ですね。…

最近、大御所の米朝さんが亡くなりはったり、三枝さんが文枝を襲名したり、関西落語会には話題が事欠きませんでしたよね。

…21日から始まった「70周年記念落語会」はこの間の歴史を振り返り初心に戻る狙いもあるようです。現会長の六代目桂文枝(旧三枝)、副会長の桂春之輔、笑福亭鶴瓶はじめ、桂福団治、桂文珍など幹部、人気落語家が出演、チケットも即時売り切れる人気です。小生が出かけたこの日は福団治、月亭八方、笑福亭仁智らが出演、たっぷり笑わせてくれました。…

…「繁盛亭」に行く前に、時間があったので天神橋、南森町周辺をブラブラ探訪していたら、江戸時代、天保の大飢饉で大坂の民衆のために門人と幕府に反旗をひるがえした大塩平八郎(中斎)のお墓がある日蓮宗「成正寺」(大阪市北区末広町)を見つけたのでその写真も撮ってきました。

大坂町奉行の元与力で陽明学者の大塩平八郎の反乱は旗本までが出兵、鎮圧しましたが、お墓がこんな近くにあるのかと、初めて知りました。大坂の街歩きは思いがけない歴史発見が出来ますね。…

「ちから」の女将さんも行かれはったらどうでしょか?